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こんにちは、まゆみです。私は、投資・進化・公衆的に運用し、結婚9年半で資産6000万円を達成。
2025年3月末で18年間勤めた公定期間をやめ、サイドFIREしました。
今日のテーマは、努力しなかった自分が許せない、というようなお話をしていきたいと思います。
私は先日、とある方のワークに取り組んでおりました。
どんなことだったかというと、自分年表を作るものだったんですけれども、
人って生きていれば、良いこともあれば悪いこともあるというのは当たり前の話だと思うんですけれども、
私も0歳から41歳までの自分年表を作って、この時は良かったとか、この時は悪かったとか、
そういったものを作っていました。
今回、良かったことというのは、一旦割愛するんですけれども、
悪かった時というものが、大体人生の中で4つありまして、
その1つ目が、大学受験失敗ですよね。
基本、進学か、恋愛に関することか、結婚とか妊娠とか、この4つに分かれるんですけれども、
1つ目の悪かった時というのが、大学受験の失敗ですよね。
これは、自業自得なんですけれども、私は高校は結構進学校に行ってまして、
幼稚園の時に目指した高校がありまして、公立高校なんですけれども、結構良い高校に行ってたんですよ。
良い高校に行ってたんですけれども、大学受験に失敗したわけですよね。
だから、思った通りの学校にはもちろん行けなかったですし、
それには理由があって、当たり前ですけど、勉強しなかったというのがあるんですよね。
私は中学生ぐらいの時が、一番人生の中で勉強して、
高校自体が一番勉強しなかったという感じなんですけれども、
自業自得の大学受験の失敗ですね。
失敗した後は、その行った学校で、とある資格を取ったんですけれども、
その資格で仕事をしていくのは違うなと思ったので、
違う大学に変入して、マシなところに行ったんですけれども、
それでも全然、自分の中では納得いくような学歴ではないという形なんですよね。
それが一つ目の悪い時。二つ目の悪い時というのが婚活ですよね。
私は24歳から29歳まで婚活しておりまして、
元々恋愛が苦手なんですよね。苦手だったんですよ。
結構こじらせ系で、高校生の時にすごい好きな人ができて、
それを7年ぐらい引きずったという、謎の引きずりをしまして、
そんなことがあって、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけれども、
そこから色々と曲折あって、本で恋愛本とか買って、
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恋愛について勉強したりとか、いろんな人を紹介してもらったりとかして、
最終的に結婚できたという形なので、
本当に20代前半の頃は好きな人と結婚できるとは全然思っていなくてですね。
ただ、色々曲折あって、今度は旦那さんと恋愛結婚できたという形になりますよね。
三つ目が不妊治療ですね。
不妊治療は私のブログの歴史の中でも鉄板なんですけれども、
もう心ぐちゃぐちゃでしたよね。
なんで妊娠ってただでできるものじゃないの?と思って思ってたんですけれども、
全然妊娠しなくて、
不妊治療は大体2,3年ぐらいかな。
2,3年して、結局胎外受精で子供を授かったというね。
最後の最後まで治療的にはやって、やっと授かったということなんですけれども、
本当に出口が見えなかったですし、
せっかく好きな人と結婚できたにもかかわらずですね、
子供ができない。
先に起こされるわけですよ。
後に結婚した友達とかが先に妊娠したりとかして、
すごい寝たんだし、悲願だし、
本当に暗闇の中で辛かったなって思っています。
最後は和ままになって、
やっぱり体がしんどかったとか、働き方に悩んだ時期ですね。
これもかなりしんどかったですね。
もちろん資産を貯めて再度ファイヤーするという気持ちはあったんですけれども、
だいたい辞めようと思ってから辞めるまで5年かかってるんで、
もう最後の2、3年たぼろですよ。
仕事もやる気ないし、
だけど一応ミスとかダメじゃないですか。
だからきっちり仕事はしていたんですけれども、
もう気持ちがしんどすぎて、
本業にがいやすぎて、
副業もできないくらいになってしまったという、
こういった4つの私のしんどかった時がありました。
そのワークをやっていて、
自分の人生の中で悪かった時はだいたいこの4つなんだということが理解はできたんですけれども、
ワークをしていて、相手の方、メンターしてくださっている方にですね、
前美さんはこの4つの中でというか、
今までの人生の中で一番辛かったところってどこでしたかって聞かれたんですよ。
じゃあですね、ちょっと自分でも意外なことを言ったんですよね。
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今の話だと不妊治療とかね、
ワームマン生活が辛いとか直近のねとかっていうのを自分が言うのかなというふうに思ったら、
意外とですね、大学受験失敗した時が一番辛かったっていう記憶なんですよ。
何が辛かったかっていうと、
大学受験して思うような大学に行けなかったと。
最初的には編入して違う大学に行ったは行ったんですけれども、
実は私はですね、
大学受験失敗で18歳ぐらいですけれども、
旦那さんと結婚する30歳ぐらいまでですね、
悪夢を見ておりまして、
それは何かっていうと、
行く大学がないっていう悪夢をね、
たぶんね、
12年ぐらいね、見続けたんですよ。
もちろん毎日ではないですけれども、
何かね、夢を見る時に、
大学に行けないっていう夢を何度見たことかっていうところ、
それを思い出した時に、
不妊治療をしてて、
子供がいない生活で悲しい夢を見たとか、
婚活で結婚できなくてすごく夢を見たとか、
我儘もね、
これからずっと私は働き続けるしんどい夢を見たわけではないので、
一番しんどかったのは、
やっぱり大学受験なんだなっていうことを思ったんですよ。
なんでそこが一番自分の中で引っかかってるかっていうと、
テーマにもあるように、
努力しなかった自分が許せないっていうことですよね。
私はですね、結構人生の中で後悔するポイントってもうなくって、
それは何でかっていうと、
めちゃくちゃ努力したこともあるし、
ただそこまで努力してなくても、
ある程度努力したことをしてきたんですよね。
人生の中で。
だからこそ婚活も、
ご縁だけれども結婚もできたと思うし、
不認知では努力と言ってもね、
ほとんどが運とかそういうものになってくると思うので、
ここは言えないんですけれども、
我儘だって辞めれたのは資産形成できた自分の努力のおかげのところも絶対あると思ってるので、
そういうふうに努力を結構してきたタイプなんですよね。
だからこそここまでやったらとか、
ある程度努力したんだし、
これは人生で後悔しなくてもいいかな、
みたいな考え方を持ってるんですけれども、
この高校時代の3年間、
ほぼですね、
勉強とかっていうのはあんまりしなくてですね、
クラブ活動とかしていたので、
ここの3年間っていうのは、
すごい自分の中でおてんというふうに思っていて、
あとは優秀な高校に行ったからこそ分かったのはですね、
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自分は中学生まで結構優等生みたいな気質でやってきたんですけれども、
優等生が集まってしまうと、
自分は全く優等生ではなく劣等生だったっていうか、
周りがすごく頭が良かったりとかするわけですよね。
ってなった時に、私はこの世界戦では勝てないんだなっていうか、
そういうのを自覚した時だったんですよね。
言ったら一番の挫折だったんだと思うんですけどね。
そういうこともあって、
就職とかは別にそこまで大手企業に行きたいという気持ちもなかったんで、
別にそれは何とでもいいんですけれども、
そういう高校時代の優等生だった同級生とか、
人たちに勝てない自分、
そこで戦っても勝てない自分っていうのをそこで知ってしまったからこそですね、
そういう人たちとは違った世界で生きたいって思ってるのかなっていうふうにちょっと思っていて、
それはこういったサイドファイヤーとか、
そういった生活を今してる理由にきっかけっていうか、
にもなってるのかなっていうふうに思います。
言い方がよくないかもしれないですけど、
多分見返したいんだろうなっていうふうに思うんですよ。
自分が悪いんですよ。
自分が努力しなかったから大学受験に失敗して、
そこから一応編入とかして、
なんとかっていう、
大学に、
ましな大学に行けたっちゃ行けたんですけれども、
納得しないですよね。
でも結局自分が悪いっていうね、
そういうぐるぐるになってしまうんですけれども、
自分が努力しなかったことがもちろん許せないっていうのもあるし、
自分がそういうふうになってしまったことは悪いっていうのは承知ではあるけれども、
どこかで高校時代の人たちとは違うフィールドで活躍したいんだなとか、
違う土俵で自分は輝きたいんだなとか、
そういうふうなことをこのワークをして思いました。
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意外と自分が一番辛かった時って、
自分では分かんないっていうか、
今回ワークをして、
いつが一番辛かったですかって聞かれて、
やっと分かったことだし、
そこからなんで私はそこが一番辛かったんだろうって考えて出た結果なので、
今回のワークは本当にやらせてもらってよかったなっていうふうに思います。
それではまた。