2025-10-25 09:50

弱さを見せることが真の強さ

「他人からどう思われるか?」ばかり気にしていたら、ありのままの自分で発信することができなくなります。


自分の弱い部分(影)を出す勇気を持ちましょう。


本当にあなたのことを好きな人だけが集まってきます。

サマリー

このエピソードでは、自己発信に伴う恐怖や自分らしさを示すことの重要性について考えられています。特に、弱さを示すことが真の強さであり、他者との関係において自己を偽らない態度が大切だと説かれています。

自己発信の壁
ほとんどの人は、情報発信をするときに、自分がどう見られるか、ということを非常に意識しているわけですね。
なので、それがメンタルブロックになって、そもそも発信ができないとか、発信をしたとしても、自分の言いたいことが言えない、自分らしく発信ができない、みたいなことってあると思うんですね。
そういう考え方を持つのは仕方ないと思うんですけど、それだとなかなか一歩踏み出すことができないし、ずっと続けていくっていうのは難しいと思うんですよ。
本当の自分じゃなくて、誰か別人を演じて無理して発信している、みたいな状況になるんでね。
一番理想なのは、等身大の自分でやっていくっていうのがいいですし、やっぱりオーセンティックにするのが非常に大事だよっていうことを考えると、
そういった別人になって無理して発信するっていうのはよろしくないわけですね。
自分らしくいるっていうのは当然、僕たちは人間なので、良い部分もあれば悪い部分もあるわけですね。
光と影が必ずどんな人であってもあるんですよ。
だけど基本的にそういうメディアとか、こういうSNSもそうだし、情報発信の媒体っていうのは、この光の部分だけしか見せない人が多いわけですね。
だからそうなると、自分が発信者の立場になった時も、そういうすごいところとかいいところばっかり見せないとなっていうふうに思ってしまうんですけど、
その根本にあるものは何かっていうと、他者から拒否されるっていう恐怖なわけですね。
フィアー・オブ・リジェクションっていうふうに言うんですけど、これは全人類共通して持っている、そういう一つの恐怖なわけですね。
拒まれることへの恐怖。自分が等身大のまま発信したら嫌われるんじゃないかっていうね。
そういう恐れがあって、そういういわゆる影の部分を見せることができないわけです。
弱さの強さ
僕の発信を見てもらっている人は気づいたと思うんですけど、特にこの離婚してからっていうのは、結構自分のダメなところとか情けない部分とか、そういった発信も増えてきたと思うんですよ。
僕はあんまりそういうものを出すことに対して抵抗がないし、自分で吐き出したいっていうのもあったんで、あんまりそういうものを隠さずに普通に出していくんですけど、
なかなかそういうものって勇気が出ないと思うんですよ。特にぐちゃぐちゃになってボロボロになってね、そういう姿を見せるってちょっと怖いじゃないですか。
YouTubeの僕の離婚しましたみたいなエピソードの時って、本当に顔もぐちゃぐちゃで、寝起きで撮ったっていうのもあるんですけど、そういう状態で撮影したんで顔もひどいし、みたいな感じで発信をしているんですけど、
それって自分の弱い部分なわけじゃないですか。ダメな部分、弱い部分。だけど、僕はそれを出すことが強さだと思うんですよ。弱い部分を出せることが強さ。
逆にそういう弱い部分を出すことができない人っていうのは本当は強くないんだと思うんですね。自分のすごいところを見せないと認めてもらえないんじゃないかっていう恐怖があるから出せない。
だから無理して演じるみたいな、大きく見せるみたいなことをしてるわけだから、根本にあるのは恐怖なわけですよ。
別に弱い部分とかダメな部分とか、ありのままの自分を出してもいいんだ、別にそれで嫌われても別にいいやって思ってる人であれば、それを出すことに対して抵抗はないわけですよ。
だからそういう弱い部分を出せる人っていうのはある意味非常に強い人なんじゃないかなって僕は思うんですね。
逆にそうやって無理して演じてるような人、自分を大きく見せようとしてる人ってやっぱりどうしても根本にあるのは恐怖みたいなもの。
虚勢を張るっていうのはそういうことだと思うんですね。本当にすごい人ってそういう虚勢を張らないじゃないですか。
一郎とかマッチーとかもそうだしね。例えば誰だろうな。ザッカーバーグとか。前の辺もそうだろうしね。大谷翔平なんかもそうですね。
本当にすごい人って別に選ぶったりとか自分を大きく見せたりとかね。むしろしないと思うんですよ。どちらかというと謙虚に近いみたいなね。
そういう人が多いと思うんですよ。そういう人たちはもう堂々としているとかね。ありのままの自分でも全然いいって思ってるからあえて大きく見せようと思わないわけですよ。
他人の評価に振り回されないってことですね。だからそういう状態の自分を作っていくっていうのがやっぱりすごく大事ですし、
全ての人に受け入れられるっていうのは不可能なので。どんなに自分がよく振る舞っていても絶対に自分のことを嫌いになる人間って出てくるし。
真の信用を得るために
その人に好かれようとして無理してね。自分という人間を曲げて変える必要もないと思うんですよ。
僕の発信の中にはかなりメッセージ性の強い相当尖った発信もあると思うんですね。日本を批判するみたいな発信。
あれは僕は本当に昔から若い頃から持っていたずっと考えて、それがやっぱり離婚によってよりタガが外れたというか。
一つは妻に向けてちゃんと子供預かるんだったら責任持ってよっていうそういう意識があって発信したっていうのもあると思うんですけど、
当然あれを聞いたことによって不快に感じる人もいたと思うんですよ。
じゃあそれで、そういう人がいるから自分の言いたいことを抑えて我慢して思いもしないこと。
私は日本が大好きですって言うべきなのかというと僕はそうだとは思わないですね。
あえてそこを自分の意見を殺して相手に会わせに行く必要はないわけですよ。
その意見が受け入れられない人は多分僕とは会わないしっていうだけの話だから、
僕の話に共感できる人だけが残ってくれればいいやっていうふうに思ってるから、
無理してそう言って自分の意見を曲げて思ってもないようなことを言うってことはしないわけですよ。
独定の個人を批判しているわけじゃないし、そういうイデオロギーとかそういったものに対しての批判というか自分の意見を述べているだけなんで、
それをどう捉えるかは受けて次第なわけですね。
でもそれを言えるっていうのはある意味一つの強さというかね。
やっぱりそれを吐き出したくても本当はそう思っててもやっぱりこんなこと言ったら周りの人にすごく悪く思われるんじゃないかみたいな。
そういう恐怖感があったらなかなかそういういわゆる陰の部分、自分のドス黒い部分とかそういったものって出せないと思うんですよ。
だけどそれを出すことができるっていうのは別にそれを言って誰かがね自分のこと嫌いになってもまあそれはしょうがないよねっていう、
まあそういう思いがあるから出せるわけですよ。
だからこういいとこばっかりを見せようとするっていうのは苦しくなるし人間だからね。
絶対そういうダメな部分とかマイナスな部分も当然あるわけだし、
特にSNSなんかはもうね盛り合わせみたいなところだからいかにキラキラしてみせるかみたいな。
たぶん辛いと思うんですよ。
本当はお金ないのは無理してね、高級ホテル行ってね、なんか高いランチ頼んでね、
そういう写真撮ってこんな優雅な生活してますみたいな。
たぶん虚しくなると思うんですよ。何やってんだろう自分みたいな感じになると思うんですね。
だからもっと自分に正直に自分はこんなことやりたくないんだと。
別にキラキラしなくてもありのままの自分で好きになってくれる人をお客さんにすればいいんだって。
みんなに好かれようとしなくていいんだって思ったらそんなことしなくていいわけですよ。
この人なんか地味でお金持ってなさそうだなみたいな。
でもそれでも私はこの人好きって思ってくれる人も当然いるわけですよ。
逆にそうやってキラキラして人が集まってくる。
キラキラしないと集まってこない人達っていうのは自分が好きなんじゃなくてキラキラが好きなだけなんですよね。
だから自分がキラキラしなくなった瞬間に一気に離れていくっていうのは結局自分を好きだったっていうわけではないわけですよ。
だからそういう人をお客さんにしてもおそらく幸せにはなれないと思うんですね。
相手にとって都合のいい自分を演じてるだけだから。
そのAさんならAさんにとってこの人はこうあってほしいみたいな。
それに答えるために本当の自分じゃない自分を演じるみたいなことをしているわけですね。
だからそういう発信よりも自分のありのままを出していっていいところも悪いところも全部出していってそれでも受け入れてくれるっていう人を相手にしてる方が私はこの人が好きですと。
こういういいところもあるしこういう悪いところもあるけどもそれでも私はこの人がいいですって選んでもらえるようになるから。
そうするといわゆる選ばれるってことができるわけですよ。
差別か差別かってみんな言いますけどね。
情報なんかそんな差をつけるのは難しいじゃないか。
だいたいみんな同じようなことを言ってるわけだから。
最終的には人間で選ばれるわけですよ。
どういう人間が選ばれるかっていうとやっぱり今言ったみたいな人として立体的にいいところばっかりじゃなくて自分のダメなところを見せる。
そういうダメなところを見せることが信用につながったりするわけですよ。
そうやって無理して高いホテル行って高級ランチ頼んだりとか本当は持ってないけどねフェラーリをレンタカーしてね写真撮るみたいなのよく聞くじゃないですか。
そんなことしてる人よりもダメな部分とかそういうものを出してる人のほうがこの人正直だなって思ってもらえて信用されたりとかするからね。
そういういわゆる金持ちアピールとかキラキラだけが相手を惹きつけるわけじゃなくて本当に正直にいるっていうね。
それだけでも信用っていうのは獲得できるんで。
ここはやっぱりいい部分も悪い部分を出していったほうがいいと思うんですよ。
それがいわゆるパーソナルブランディングっていうものにつながっていくんでこの人こういう人だよねっていうところにつながってくるし
人間らしさとか人間臭さみたいなものも出ていってこの人本当私好きだなっていうふうに思ってもらうことができるんで。
これはあくまでも僕の考えですけどね。
そういういいとこばっかり見せようとするんじゃなくてダメなところとかね。
そういうちょっとブラックな部分とかっていうのも全然出していってもいいと思います。
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