2022-03-05 11:25

地球が良い星になればそれでいい

今日はかなりスケールの大きい話をします。


綺麗ごとのように聞こえる人もいるかもしれませんが、

最後まで聞いてもらえると嬉しいです。

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こんにちは、ポロッです。
今日はですね、優しい地球になればそれでいいという話をしていきます。
かなりスケールのデカい話になりますし、
人によってはですね、「なんだ綺麗事かよ!」みたいな印象を持つ人もいるかなと思うんですけど、
僕自身が最近感じることについてですね、シェアしていきたいと思います。
まだ僕もですね、完璧に実践できているわけではないんですけど、
自分への忌ましめも含めてですね、
こういう考え方を持って生きていきたいなというふうに思っているものを今からお話していきます。
既にですね、例えば自分がビジネスをやっていて、
何か商品を売るとかサービスを売るってなった時に、
お客さんが買ってくれないことってあると思うんですね。
セールスをしても買ってくれない。
他の商品、ライバルの商品とかを買われてしまったりとかってあると思うんですよ。
しかもそのライバルの商品がどう見ても自分よりも良くないもの、質の低いものだった時って、
どんな感じになりますか?
僕もですね、ぶっちゃけて話させてもらうと、
やっぱりなんであんなの買うんだろうとかって思ったりするわけですね。
もしくは自分よりも大したことない人が売れた時に、
なんであんなしょぼい人が売れるんだろうって思ったりするんですよ。
これはおそらく僕だけではないとは思うんですけど、
そういう経験をしたことがある人もいるんじゃないかなと思います。
本当にね、こういうことを言ったらこいつ性格悪いなって思う方もいるかと思うんですけど、
今回はね、きれいごと一切なしで自分の本音をお伝えしていきたいなと思うんですけど、
そういう時の自分の心の在り方ってどうなのかなっていうのを見つめ直してみてほしいんです。
僕自身もそういう風に感じたことが過去に多々あったんですけど、
ちょっとその考え方ってどうなんだろうって最近思うようになったわけです。
自分が選んでもらえなくて相手を責めるとか、もしくはライバルを否定するとかっていうのは、
ちょっと視野が狭いなっていう風に感じたんですよね。
それって自分のことしか見えてないからそういうことになるわけですよ。
お客さんがね、あの人はわかってないから自分の商品を選ばないんだとか、
ライバル、あの人は大したことないのに売り上げやがってみたいな、
ちょっとネタ見に近いような感情が出てきたりとかするっていうのは、
自分のことしか考えてないからですよね。
よくビジネスをする時にですね、私はこういう人を救いたいですみたいなことを言う人いるじゃないですか。
それはすごく素晴らしいことだと思うんですよ。
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私はこうこうこうで困っている人を救いたいと言っておきながら、
例えば今みたいに自分の商品が売れなくてライバルの商品が売れた時に、
何なんだみたいな感じで怒ったりとか、そういう風に怒りを感じたりするっていうのは、
本当にそうなんですかってことなんですよ。
本当に何か心からそういう人を助けたいと思っているんですかってことです。
何が言いたいかっていうと、その人を本当に救いたいのであればですね、
別に自分の商品じゃなくてもいいわけですよ。
ライバルの商品を買って、その人がその問題を解決できたら、
結局自分が本来果たしたい目的を果たしているわけじゃないですか。
こういう人を救いたいという目的はね。
でも実際はそうじゃないです。
こういう人を救いたいと言っておきながら、
結局のところはそれを大義名分にして自分が稼ぎたいだけなわけです。
だからこそ自分が選ばれなかったときに、他人に対して怒りを感じたりするわけですよね。
本当にその人がハッピーになればいいんであればですね、
別に自分の商品である必要はないわけですよ。
でも自分の商品が売れなかったときに、そういう他人を責めるっていうのは、
結局自分の商品を買ってくれってことなんですね。
自分の儲かればいいってわけです。
だから結局そういう誰かを救いたいっていうのは、
あくまでも建前でしかなかったってことです。
これを本当地球規模で考えて、地球がもっといい星になったらいいなとかね、
もっと優しい人が増えたらいいなとか、
もっとみんながハッピーになったらいいなっていうレベルで考えたら、
別に自分の商品が売れないって関係なくないですかね。
ライバルの商品を買って、それでその人がハッピーになったんだったら、
結果としては一緒なわけですよ。
自分がそれを提供するのか、ライバルが提供するのかの違いだけであって、
単純にそのお金の流れがどっちにいくかっていうところだけなんですね。
だから結局みんな、おそらく多くの人、僕自身も含めそうだと思うんですけど、
こういう人を救いたいと言っておきながら、結局は自分が稼ぎたいみたいなところになっちゃって。
だからそういう相手を責めたりとか、ライバルを否定したりとか、
そういうような行為に走ってしまうわけですよね。
もうちょっと視点を上げて、地球がハッピーになればいいかなっていう視点で考えたら、
別にそういう人たちも許せると思うんですよ。
それの方が自分にとってもハッピーだと思うんですね。
売れなかったけど、あの人が幸せになるんだったら別にいいかなって。
自分じゃなくてもね。
当然自分が選ばれない時もあるんですけど、
自分が選ばれる時もあるわけです。逆に言うとね。
だからお互い様なんですよ。
今回はたまたま自分が選ばれなくて、ライバルが選ばれただけで、
でもその逆のパターンもあるわけですよ。
自分が選ばれてライバルが選ばれなかった時もあるわけです。
結局のところお互い様なんですよね。
だから売れなかった時だけ周りを責めるっていうのはちょっと違うかなっていう風に感じるわけです。
なのでもっと高い視点で考えて、
みんながハッピーになるわ、それでいいかなぐらいの感じで考えてたら、
そういう商品が売れなかった時とかに他人を責めることがなくなるわけです。
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でも最初言ったみたいに、明らかに自分よりも質の低い商品が売れて、
自分の商品が売れないんだろうって感じることってあると思うんですよ。
それをよく考えてみてほしいんですけど、
こういうこと言ったらすごくおこがましいかもしれないんですけど、
やっぱり人間って学びって必要なんですね。
学び。
だから例えばそういう粗悪品とかに手を出すっていうのは学びなんですよ、1個の。
その人にとってね。
そこで失敗して、
こういう過ちを犯してしまった。
じゃあ次から気をつけようっていう、
そういう経験が必要な人の中にはいるわけですよ。
最初からそういういいものを手に入れることができるとか、
正解がわかるとか、成功をつかむことができるとか、
そういう人ばっかりじゃないから、やっぱり僕も含め、
多くの人は過ちを犯すので、
そういう間違いを犯す体験って必要なわけですよ。
だからそういう点においてAとBっていう商品があって、
明らかにAのほうがクオリティが高くて、
間違いなく有料商品、いい商品にもかかわらずBを選んでしまうっていうのは、
その人にとって学びの体験なわけです。
それを学びと捉えるか、
そういうふうに解釈できないのかは本人に委ねられているわけですけど、
結局なんで人々がそういう選択をしてしまうかっていうと、
僕はそういうメカニズムだと思うんです。
その人にとって学びの段階であるからこそ、
正しい選択ができないっていうふうになるわけです。
そういうふうに考えると、相手のことを許すことができないですかね。
なんでこの人こんな大したことないものを買うんだろうとか、
僕自身もやっぱり思ったことがあるし、
本当にそういうときに自分に対して嫌な人間だなとか、
性格悪いなって思ってたりしたんですけど、
でもそういうことがあるんだなっていうふうに思うと、
相手も許せるわけですよ。
だから決してそういう人たちを責める必要もないし、
その人たちもやっぱりそういう過ちを犯すことによって、
次のステージにここで過ちを犯して、
次はじゃあ同じ間違いを犯さないようにしようっていう人も中には出てくるから。
ってなると次は正しい選択ができるようになったりするんですよね。
そういうふうに、
もっと高い視点から見ると、
いろんなものが許せるようになって、
最終的に自分が楽になるんですね。
あれも許せない、これも許せないってなると、
一番苦しいのは自分だから、
それを全部手放して、全部許しますっていうね。
そういう人もいるよねとかっていう感じになると、
一番軽やかになるのは自分自身です。
そっちの方が自分にとっても得じゃないですか。
それが正しいとか真実であるとか、
そうじゃない嘘であるとか間違ってるとか、そういうことではなくて、
自分にとって何が一番ハッピーなのかっていうことを考えたときに、
やっぱり許すっていう選択をした方が、
自分にとって一番メリットがあるわけですよ。
だから他人をさばいて、あいつは間違ってるみたいなことを言ってるうちは、
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自分自身も苦しいですよね。
だから別にそれも許しちゃって、
そういう生き方もあるよねって、
人それぞれ考え方も違うし、ステージも違うし、
今までやってきた体験も違うしね。
全員が同じ生き方とか選択をできるわけではないから、
そこをいちいち自分の基準でさばくっていうのは、
やっぱりそもそもちょっとずれてるというかナンセンスだと思うんです。
だから僕自身も本当にそういうことが多いんですけど、
そういうふうに他人をさばいてしまうときっていうのは、
今日お話したようなことをちょっと頭に止めておいてもらって、
とにかく許すっていうことですね。
っていうことを考えて、地球全体が良くなればいいかなって、
その人にとってはその段階ではそういう選択をしてしまったかもしれないけども、
その後その人にとっていい人生が送れるんだったらそれでいいじゃないですか。
自分が選ばれた選ばれないっていう基準。
稼げた儲かったっていう基準だけで考えるから、
他人を許せなくなるわけであって、もっと高い視点。
人類全体が良くなっていけばそれでいいやっていう考え方であれば、
きっとそういうものも許せるようになると思うんですよ。
最終的にやっぱり、この他人を応援する人が結局信頼されることになるので、
例えばライバルが売れたりとかそういう時に嫉妬するんじゃなくて、
おめでとうって言ってあげる方が、自分も結局応援される人になるわけですね。
ライバルとか自分の知り合いとか身の回りの人が成功した時に、
足を引っ張ろうとしたりとか否定したりとかね、
そういう感情が湧いてきてしまうかもしれないですけど、
そこで心からおめでとうって応援してあげることによって、
自分自身も気分がいいし、相手もハッピーだし、
最終的にそういう人が信頼されて応援が返ってくると思うので、
周りの人が成功した時も、ぜひ祝福してあげてください。
自分という視点だけで見るから、祝福できないわけであって、
もっと高い視点、地球全体とか人類全体が良くなるんであればいいやって考え方で言うと、
ライバルが売れた時もおめでとうって祝福することができると思うんで、
ちょっとかなりキレイごとのように聞こえるかもしれないですし、
ちょっとスケールがデカすぎるので、
何言ってんだこいつって思う人もいるかもしれないんですけど、
その方が自分にとっても気分よく過ごせるので、
少しでも実践してもらえるといいかなと思います。
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