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アポロオフィシャルポッドキャスト 超ブログ思考
はい、こんにちは、アポロです。
今日はですね、固定給という不条理というテーマでお話していきたいと思います。
固定給って非常に魅力的に聞こえると思うんですけども、
毎月ですね、一定の給料が振り込まれるということで、
多くの人がですね、自分の仕事を決めるときに、この固定給というのを基準に考えています。
というのは、やっぱり固定給でないと安定しないからですね、
仮に一時的に稼げる時期があったとしても、全く稼げないみたいなことがあったら非常に怖いので、
安定的に、絶対に確実にもらえる固定給というのを基準に考えるわけですけども、
実はこれって非常に不条理でアンフェアなものなんですよね。
もちろん会社からすると、一人一人のスタッフを個別に査定して給料を決めるってものすごく手間がかかるし、
管理しやすくするためにある程度固定給という制度を設けていると思うんですけど、
そもそも収入とかお金って何なのかということをまず最初に考えてみてほしいんですけども、
お金とか収入っていうのは要するに価値なわけですね。
自分がどれだけ価値をもたらしたかによって得られる金額が決まるということです。
価値が大きければたくさんもらえるし、価値が小さければ少ししかもらえないということなんですけど、
そういうふうに考えたらですね、固定給ってちょっとおかしいと思いませんか。
だってまだ例えば会社に入社もしてないのに、あなたのもたらす価値はこれだけですみたいな感じで決められてしまってるわけですよね。
入ってみて実際に自分が働いてこれだけのパフォーマンスだったから、
あなたの収入はこれだけですっていうふうになるんだったらわかるけども、
会社に入る前からあなたがもたらすことのできる価値はこれだけですっていうふうに決められてしまってるわけです。
だからそれってある意味アンフェアなんじゃないかなって僕は最近思うわけです。
そしてもう一つ、例えばAさんとBさんとCさんがいて、
当然ですね、人それぞれ働き方もパフォーマンスも違うと思うんですね。
でも全員が同じ給料をもらうっていうのはちょっと公平ではないと思うんですよ。
平等だけども公平じゃない。
この平等と公平っていう言葉って似てるようなんですけど実は違うんですね。
平等はイコールです。英語にするとイコールですね。
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公平はフェアです。
だから固定給金額が一緒っていうところでは平等なわけですね。イコールになってるわけだから。
でもそういう働きに応じて給料がもらえる金額が違うっていうふうになってないってことは公平になってないわけです。
つまり平等ではあるけども公平ではないっていうことなんですね。
この固定給を基準にそういうふうに自分の働き先を決めてしまうと何が問題なのかっていうことなんですけど、
それが例えば自分のやりたい仕事とかあるいは向いてる仕事であれば全然問題ないんですけど、
多くの場合ですね、自分がやりたい仕事がどうか向いてるかどうかってことを度返しして、
とにかく例えばそこそこ給料がもらえるとか家から近いとかそういうような感じで自分の職場を決めてしまうわけです。
でもそれって必ずしもそれが幸せであるとは言えないと思うんですよ。
だって自分に向いてない仕事をやるわけだからとにかく苦痛でしょうがないわけですね。
仕事が楽しくないっていうふうに感じるのは自分に合ってない仕事をやってるからなわけです。
そして自分に合ってない仕事をやるっていうことは当然パフォーマンスも落ちるわけですよ。
自分に向いてる仕事っていうのはパフォーマンスが上がるから当然そういう本来であればもたらす価値も大きくなるわけですけど、
自ら自分に適性のない職場に入ることによって価値を大きくすることができないような状態を自分で作ってしまっているということです。
例えば自分が1階のサラリーマンだったとして、固定給ですよね普通であれば。
どんなに頑張っても給料一緒じゃないかって思うかもしれないですけど、
例えばあなたがバリバリ働いて会社にすごく大きな利益をもたらすような存在になったらどうなるかっていうと、
給料が上がるかもしくは別の会社から引き抜きがあるとか、もっといい条件の会社に転職できるとかってなると思うんですよ。
会社としてもそういう優秀な人間は手放したくないので、給料を上げてでも残ってくれって言うかもしれないし、
それができないんだったら当然あなたもこんなところにいてもしょうがないって思うだろうから別の会社、もっと条件のいい会社に入ると思います。
ってなると当然自分のもたらした価値が大きくなるので収入も増えるということですよね。
だからこの固定給っていう考え方をしてしまうと、お金イコール価値みたいなふうに解釈することができないわけです。
実際に自分がビジネスをやってみるとわかるんですけども、お金って結局価値、どれだけ自分が価値を与えたかによって収入が決まるわけなんですけど、
そういうふうな考え方ができなくなるわけですよ。お金イコール価値みたいな。
お金イコール価値っていうふうに考えたら、お金を稼ごうとするよりも価値を大きくしようっていうふうに考えることができるわけですよ。
とにかく与える価値を大きくしようっていうベクトルでビジネスをやっていけば後からお金がついてくるんですけども、
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多くの場合お金を目的、お金にベクトルを向けてビジネスをしてしまう人が非常に多い。
価値を大きくすることよりもどうやってこのお金を稼ぐのかみたいな、そういう発想でビジネスをしてしまうというわけです。
短期的にはそれでもお金が増えるかもしれないけども、長期的に考えると信用を失ったりとかして稼げなくなってしまうということですね。
やっぱり自分に合ってない職場とかで働くってすごく苦痛だと思うんですね。
確かに毎月一定の収入はもらえるかもしれないけども、そこで感じるストレスとか居心地の悪さとか楽しくないっていう感情だったりとかね、
っていうことを考えるとあまりにも対価が大きすぎるような気がするんです。
僕もですね、最近ちょっと電車に乗る用事があって、バンクーバースカイトレインっていうのを走ってるんですけど、
本当に1年ぶり以上ぐらいに乗ったんですよ、電車に。
その時にふとですね、自分が会社員として働いていた頃のことを思い出したんですね。
僕はもう本当に郊外に住んでるので、バンクーバーまで電車で通ってたんですけども、会社員時代に。
当時の自分を今起業した自分から思い出してみると、なんかね、まるで奴隷みたいな風に見えたんですね。
もう1人の自分が目の前にいて、電車に乗ってる姿がイメージできて、なんかもう顔も疲れてるし、まさに奴隷みたいな。
毎日同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、疲れた顔してね。
首輪とか手錠とかで繋がれてはいないけども、そういう労働する場所に何か、
例えば馬車なり何なりで運ばれているような奴隷みたいなね、昔で言うならば。
そんなイメージがあったんですね。自発的にその電車に乗っているわけだから、乗せられてるわけじゃないんですけど、
なんかそういうようなパッていう感覚があったんですよね。
まさに奴隷だったなみたいな、やりたくもない仕事を嫌々やる。
自発的に起きて、同じ時間に家を出て、自発的に電車に乗っているけども、
結局何か死んだような表情で電車に乗って職場に向かう。
職場っていうのは昔で言うならば、岩を切ったりする場所だったりとか、水を汲んだりする場所。
奴隷が働くような場所に自ら行っているような、なんかそういう感覚をすごく感じたんですよね。
だから本当に、あんまりこっちではいないんですけど、
日本とかだと通勤電車ですごく疲れたような顔をしている人っていっぱいいると思うんですけど、
それもそういうのに近いんじゃないかなと。やっぱり自分に合っていないことをやっている。
自分に合っていることをやっていると楽しくなってくるので、そういうことにはならないんですよ。
どんなにハードな仕事でも。
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例えば、売れっ子芸人とかがほとんど寝ていませんとかって、
普通に考えたらもうブラックもいいところが多いじゃないですか。
だけどそれでも全然過労にならないって、やっぱり好きなことをやっているからとかってのがあると思うんですよ。
だから、やっぱり好きなことをやるっていうのはすごく大事だし、
心の豊かさっていう点においては、やっぱり楽しいこととか自分に合っていることをやるっていうのがすごく大事かなと思います。
自分に合っていることをやっていると、勝手に自分の仕事のパフォーマンスも上がってくるので、もたらす価値が大きくなるわけですよ。
そこで会社が自分の給料を上げてくれるかどうかっていうのは決めるわけですけど、
もしそれに見合った価値が得られていないと思うんだったら、もっといい条件の場所に行くなり、
自分でビジネスをやるなりっていう選択もできるわけなので、
お金イコール価値っていうふうに考えてもらうと、自分がどうやったら収入が増えるのかって分かると思いますし、
そもそも固定給っていう制度自体が実は結構不条理でフェアな制度なんですよっていうのが僕が最近感じたことなので、
ちょっとシェアさせてもらいました。