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アポロオフィシャルポッドキャスト 超ブログ思考
こんにちは、アポロです。
今日のテーマはですね、人生を苦しめる観念という話をしていきます。
観念というのは、自分の思い込みみたいなもので、
価値観の中でもですね、特に何々すべきとか、何々ねばならないとか、
そういう類のものをですね、観念というふうに呼んでいるわけですけど、
人間誰しもですね、この観念というものを持っています。
しかし、この観念というのはですね、大抵の場合、
自分の人生を苦しめる原因になってしまうことが多いということですね。
このすべきとかねばならないっていうのはですね、
ほとんどの場合、外部の人間とかね、社会の常識とか、
そういうものによって作られていることが多いんですよね。
何々したいとか、要するにワントゥーとかっていうのは自分の内側から出てくるものですけど、
このねばならないっていうハフトゥーっていうのは、
基本的に外部の影響を受けて作られるものなわけです。
人それぞれ違う観念を持っているんですね。
住んでいる場所とか地域とか文化とか、そういうのによっても変わりますし、
どういう教育を受けて育ったのかとか、
そういうところでも、このすべき、ねばならないっていうのは変わりますよね。
ルールに従うとかね、そういうことって良しとされていることが多いと思うんですけど、
このすべき、ねばならないっていうのはですね、
多すぎると、もう本当にその鎖につながれているような状態というか、
もう自由がなくなるんですよね。
このすべき、ねばならないっていうのはですね、本当に悪い影響を与えてしまうというか、
まずそのすべき、ねばならないっていうふうに思うとですね、
まだ心の余裕がなくなると思うんですよね。
こうしなければならないっていうふうになるわけだから、心の余裕がなくなります。
そしてそれだけではなくて、自分だけじゃなくて他人のことも許せなくなるんですね。
自分はこうしなければならないっていうふうに思ってて、
他人がこうしなければならないっていうルールにのっとって行動していない場合、
要するにこの、ねばならないっていうところから逸脱した行為をした場合にですね、
相手に対して怒りを感じたりするわけですよ。
例えば、自分に子供がいて、子供が騒いでいたら他人に迷惑かけるから、
静かにしないといけないみたいな観念を持っていた場合ですね、
どっか出かけた時に、よその子供が走り回っていて、
親が子供のこと全然気にせずにペチャクチャ友達として喋っているとかそういうのを見たら、
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もう許せなくなったりするわけですね。
なんで親は注意しないんだとかって思ったりするわけですけど、
その辺の価値観って考え方によって違うわけですね。
子供って騒ぐものだしみたいなふうに考えて、特に何も注意しない。
日本だとそういう価値観を持っている人は少ないと思うんですけど、
海外とかだと別にそんなね、よほど人を叩いたりしたらさすがに注意すると思いますけど、
子供が騒いでいるぐらいではわざわざ注意しないわけです。
だから日本人的な観念を持って、子供は静かにすべきだみたいなふうに思っていると、
そういうものが許せなくなるわけです。
でもそれって勝手に自分が思い込んでいる単なるルールであって、
それを他人に強制するのはおかしいわけですね。
他人には他人の考え方があるわけだから、
どうしても守らないといけないルールというのは法律とかそういうもので定められているわけですよ。
ちなみに常識と法律って違うじゃないですか。
常識ってルールじゃないんですよね。
あくまでも多数派の考え方なので、そこに従わなければならないというルールはないんですよ。
これだけは絶対に守ってねというのは法律で決まっているじゃないですか。
そこをさえ超えなければ、常識だからこうしなければならないというのは完全な思い込みでしかないということです。
さっき言ったみたいに、やっぱりこの観念というものを持っているとですね、
すごく他人のことも許せなくなる。
自分のことも許せなくなるし、他人のことも許せなくなる。
そして、このすべき、ねばならないというのはですね、正解が1個しかないわけですよ。
まるまるすべきという風になった場合、このまるまる以外のものは全部不正解になるんですよね。
こうしなければならないと思っているのに、
このこうしなければならないというここの部分以外のものはもう全部許せなくなるわけですよ。
でも人生ってね、いろんな生き方があるし、いろんな考え方があるし、
選択肢も1つじゃないと思うんですよ。
だから、それをこのすべき、ねばならないという風に思うことによって、
選択を1つに絞っているわけですね。
これしか絶対にダメだという風になってしまう。
そうするとやっぱり苦しくなるじゃないですか。
さっき腐れに繋がれているような状態という風に言いましたけど、
本当にそういうような状態ですよ。自由が効かない。
そして、その自由が効かない。
自分がこんなに我慢しているのに、なんであいつはそんなことをやっているんだという風になって、
自分のことも許せなくなる。
そうすると自分が苦しくなるんですよね。
許さないという行為は、一番苦しんでいるのは自分なんですよ。
どんなに自分がね、例えばさっきのケースで言うならば、
その他の親に対して、なんなんだあいつはみたいな感じで怒っても、
相手にしてはノーダメージなわけですよ。
相手は自分のことなんか全く気にもかけていないし、
どんなにこっちが恨んだとしても、何も相手には影響がないわけです。
それでどっちが損しているかというと、自分が損しているわけですよね。
だからこういう観念というのはできる限り手放していかないといけない。
特に人生を悪い方に持っていくような観念ですね。
このすべきにねばならないというのは完全なる思い込みでしかなくて、
絶対に万人共通で持たないといけないというものはないわけですよね。
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特にどうでもいいような小さなことを観念として持っていると、
本当に心に余裕がなくなるんですよね。
例えば、この皿はここに直さなければならないとか、
それって観念と呼んでいいのかどうかもわからないですけど、
いわゆる完璧主義者ですよね。
絶対にここはこうしないといけないんだみたいな、
ちょっとでもずれていたらもう許せないとかイライラするとなると、
もうそんなのを心に余裕を持てないじゃないですか。
ずれたら怒りを感じるとかっていうんだったら、
もうイライラすることだらけですよ。
自分以外の人間とかあるいはそういう出来事とかって、
基本的に自分でコントロールできないですよね。
そういうものに対して意識を向けること自体が、
そもそも無駄というか意味がないわけであって、
相手がどうだとかっていうのはコントロールできないわけじゃないですか。
じゃあ自分が変わればいいだけなんですよ。
自分の考え方を変えれば解釈も変わるから、
相手に対して怒りを感じることがなくなったりするわけです。
そういう人もいるよねぐらいに考えればいいわけじゃないですか。
もちろんこっちが相手のことを許せないってこともありますけど、
自分だって同じように他人に迷惑をかけたりとか、
他人をイラつかせたりとかってあるわけです。
だからそこをいちいち相手を裁くっていうんですけど、
裁いてばっかりいると本当にいいこと何も一つないなっていうふうに思うわけです。
だから特に日本人って観念って多いんですね。
子供の頃からいろんなルールに縛られたりとか、
こういう時はこうしなければならないみたいなのって多いじゃないですか。
僕は本当それが苦手だったんですけど、
例えばエレベーターに乗ったらこの場所に部下は立って、
自動車はここに立たないといけないとかありますよね。
そんなのどうでもいいんじゃないのって僕は思うんですけど、
そういう無駄なことが多い。
神座下座とかも無駄と言っていいのか分からないですけど、
そんなにこだわる必要あんのかなとかって、
もっと合理的に考えればいいのに、
そういう無駄なルールが多すぎて、
しかもそこにフォローできない人間を批判したりとか、
非難したりとかするわけじゃないですか。
それは観念とは違って一つのマナーってなるのかもしれないですけど、
そういうようなことが多いわけですよ。
だから自分が本当に心からこれがいいんだって思うんだったら、
そういう観念は持っててもいいと思うんですけど、
少なくともそれを他人に強要すべきじゃないですね。
自分の中で完結して、
自分はこういうふうにしたいからこうすべきなんだっていうふうに
考えるのはいいんですけど、
それをじゃああんたもそういうふうにしろみたいなふうに
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押し付けるのは全然的外れというか、
それによって何が起こるかというと、
相手を裁くということをするわけですね。
なんでこんなこともできないんだとか、
なんでやらないんだとか。
でも相手には相手の考え方があってやってるわけなので、
そういうことを裁くだけ時間の無駄ということですね。
なので自分の観念というものを今一度洗い出してもらって、
本当にそれって必要なのかなという人生を生きていく上で、
というのを見ていくと、
ほとんどのものはいらないというのは分かると思うんですよ。
こんなものを持っててもしょうがないなという。
それを手放すとすごく楽になります。
人のことも許せるようになるし、
細かいことを気にしなくなる。
細かいことを気にすればするほど、
息苦しさを感じたりとか、
心に余裕がなくなったりとかね、
というふうになるので、
この観念というものはですね、
本当に大抵の場合他人から押し付けられた価値観であって、
自分にとって必要なものでない可能性が高いので、
ぜひ今一度自分はどんな観念を持っているんだろうというふうに
思い返してもらって、
いらないものがあったらどんどん捨てていってほしいと思います。