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  2. 選択の基準は自分のために
2023-02-15 16:20

選択の基準は自分のために

今日2月15日(水)の夜9時からインスタライブします♪テーマは『片付けは今の自分のためにある』ぜひ遊びにきてください♪ インスタグラム▷https://www.instagram.com/matchan_tidyingupyourlife/

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はい、みなさんおはようございます。このラジオでは、私、まっちゃんが自分の選択で今の暮らしを豊かに面白くおテーマに、片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分いろいろお話をしていきます。
掃除や片付け、朝活のお供にぜひ聞いてみてください。
今日ですね、私朝、朝一でトイレに行ってね、いい香りをするスプレー、方向剤をね、シュシュってしようと思ったら、なんか壁に泡がついてるなと思ったら、トイレのベッキに掃除のためにシュシュってするスプレーを壁にシュシュってやってて、朝一から壁を拭いておりました。
その後ね、コーヒーを作ろうと思って、パックのやつ、なんていうんだっけ、忘れちゃった。
あれをね、あのビニールを開けて、コップの上に入れる、置くじゃないですか。
なのに、そのままコーヒーを三角コーナーにピッて入れてて、お湯だけね、コップに注いでて、5秒くらいしてから、はーってなったんですよ。
朝って、こういうこと起こりますよね。
朝からね、2回自分で、ちょっと笑ってたんですけど、こんな感じの、日常の小さいことから恥ずかしいなと思うこと、たくさんあるけど、
なんか前回も言いましたけど、これってなんか自分のうちに隠しておくと、なんかただただ恥ずかしい失敗で終わりますけど、
なんかネタができたなとか、これ人のためになるなとか、学びになる、これは何の学びになるかわかんないですけど、
なんかこう、外に出せば出すほど、やっぱりそのちょっとしたエピソードもね、すごい価値が上がるというか、恥ずかしいことじゃなくなるので、
そう、あのー、もうね、私も恥をさらしながら、このポッドキャストとかインスタとか、人の前に立ってますけど、
やっぱり、多分私だけじゃなくてね、皆さんもね、こう生きてるだけで恥さらしてんなーみたいなことあると思うし、
それって隠そうとすればするほど、なんか、なんだろう、あの人なんか隠そうとしてるなーってわかるし、
隠せることじゃないと思うんですよ。私のその、おちょこちょい加減とか、道迷ったりするとことか、ちょっとダサん的なところとか、
多分ね、隠しきれてないし、まあ最近はもう隠してもないんですけど、運転が下手なとことかね、
でも出せば出すほどみんな受け止めてくれるし、助けてくれたりとか、人って思ったより優しいなって思うとね、
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皆さんもね、私みたいにどんどん、自分が恥だと思っていることこそ表に出して人に伝えていったら、
それで助かる人とか、それで一日なんか笑って乗り切れる人とかね、いると思うので、
芸人さんみたいにもっと恥をね、晒して生きていきましょうっていう話なんですけど、
今日のテーマはですね、ちょっと前回に引き続き、私がなぜ片付けをそもそも広めているのか、
私が片付けを通して伝えたいと思っていることの根幹にまつわるエピソードなんですけど、
私はそのちょっとダサん的に色々選択してきたんですよ。自分がやりたいこととかよりも、
人にどう思われるかみたいなことを意識的に選んできたんです。
それはそれで一つの私の選択なんですけど、
でも、それが楽しいかって言われたら楽しくはないこともあったので、
それで結果得られたこともたくさんあるんですけど、
私の嬉しい恥ずかしい、なんかダサん的エピソードみたいなのを今日はお話しして、
私もそうですって思ってくれるのか、
なんだこのダサん的な人間はって思われるのかわからないんですけど、
ちょっと聞いてもらえたらなと思います。
子供の頃からめちゃくちゃあるんですよ。
ものすごく考えてきてる人間なので、これやりたいからこれやるとか、
好きだからこれやるってことが子供の頃から比較的少なかったんですよね。
本当にちっちゃい時は好きでやってたこととか、
えかちゃん人魚遊びとかね、畑ごっことか、
お孫子とかすごい好きでやってたんですけど、
それよりもうちょっと成長してきたら周りの人にどう思われるかみたいなことを優先的に選択してきて、
それのエピソードでいくつかあるのが、
小学校の時におそらくポスターの絵を描いて、
それを何かに応募するみたいなことってあったと思うんですけど、皆さんも。
私絵は描くのは嫌いではないんですけど、
上手って自分で思ったことないし、
描きたいものがポンポン出てくる子供でもなかったんですよね。
で、ポスターのいいところってテーマが決まってるんですよ。
この例えば記念日、母の日だったら母の日についてのポスターを描いて、
それを応募してくださいみたいなテーマが決まってたから、
それすごく私にとって都合が良かったんですよ。
その時もポスターは祝日、何か祝日にちなんで作ってくださいって言われたから、
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私はその祝日でポスター映えするような祝日を選んで、
その祝日について調べて、
どう描いたら賞を取れるのかみたいなのを分析して作ったんですよ。
描きたいものを描くみたいなニュアンスじゃなくて、
どうしたら賞を取れるのかみたいな。
地点で描いてたんですよ、小学校。
何年生ですか?4年生か3年生か。
子供ですよね。
結果でも賞を取ったんですよ。
それまで今まで美術の判定は3とか、そんな感じの。
3とかじゃないか、小学校は。
とりあえずいい評価ではなかったし、
美術に褒められるってことは一切なかったんですけど、
初めてダサン的に計算をして描いたポスターの絵が賞を取れて、
なんか子供ながらに思ったんですよ。
なんか計算して描いたら賞取れるんかみたいなね。
かわいくない子供だなと思いますけど。
そんな感じでダサン的にまず絵を描いてたし、
工作も、工作の時間って楽しいですけど、
でもアイディアマンでもないし、
完成の人でもないから作りたいものは何もなかったですよ。
ただ練りながら友達と話すってことはすごい楽しかったんですけど、
でもね、何か作品を作らなきゃいけないってなった時に、
そこはね、またダサン的な私はですよ。
何を作ったら大人に褒められるのか、賞を取れるのかをまず考えたんですよ。
それで、私の地元はみのやきほうきで有名なので、
そのみのやきのキャラクターを作ったら褒められるんじゃないかと思って、
あまり知られてもいない、ときみのやきまつりのキャラクターであるチャキチャキトッキーっていうね、
あ、あれね!ってみなさん全く思わないであろう、
キャラクターを作ったんですよ、その時で。
私の前の子は作りたいものとか、心から思うものを作ってたにもかかわらず、
私は可愛くもない、可愛いとあまり思ってもいなかった、
地元のキャラクターを作って、
結果それは誰にも褒められることもなく、
自分も作り上げたものを見て可愛いと思うこともなく、
親に見せてもそれなんやねんって言われて終わった悲しい作品があるんですけど、
そんなに多分私の庭でね、木の横で飾ってある、生きていらっしゃるチャキチャキトッキーくんなんですけど、
そんな感じでね、工作すらダサんときに作ってました。
あと、本当にちっちゃいときの記憶ですけど、
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なんだろう、なんかね、おじいちゃんと歩いていて、
おんぶしてほしかったんですよね、おじいちゃんに。
でも素直に自分の気持ちを子供の頃から私は言えなかったんですよ。
しっかりもので、ちゃんとしなきゃいけないって思ってたから。
なんでですかね、長女だからかわかんないんですけど、
でもね、めっちゃ疲れてたからおんぶしてほしかったんですよ。
歩きたくなくって。
だから私は、きっとおじいちゃんという生き物は孫をおんぶしたいであろうと思って、
そこで聞いたんですよね、おじいちゃんに。
疲れたからおんぶして、じゃなくて、
おじいちゃん、私のことおんぶしたいって聞いたんですよ。
子供だからかわいいなって思うんですけど、
おんぶしたいって聞いたら、おじいちゃんが、
たぶん察してくれたんでしょうね。
おんぶしたいって答えてくれて、
おんぶをしてくれたっていう記憶があるんですよね。
まぁそんな感じで、
すっごいダサン的なことたくさんしてたなと、
今思うとあるんですけど、
それはそれで私の長所だと思うんですよ。
いろいろ計算をして、
自分の得たいものを得るみたいな、
箔を得るみたいなことは、
それはそれで私はすごいいいと思うんですけど、
自分を認めてあげたいと思うんですけど、
でも私ね、そこから大人になるまで、
それを自分で選んできてなかったと思ったんですよ。
周りにこういうふうにさせられたとか、
社会にこういうふうにさせられたから、
だからつらいんだみたいなね。
それ以外の選択肢はないんだと思ってましたけど、
よくよく考えたら子供の頃から、
ちゃんとそのダサン的な道をね、
自分で選んでるやんと思って、
ちゃんとめっちゃ自分の意思あるなって、
ちょっといい方向でもね、
認めてあげれるようになったんですよ。
ただ今はその選択が、
ダサン的っていう方向ではなくて、
自分の直感とか、
自分が楽しいと思う道に選ぶっていうね、
軸が変わっただけで、
結構選択はちゃんと子供の頃からしてたから、
なんか私みたいにね、
ちゃんと子供の頃から意思はあって、
いろいろダサン的にとか計算的にとか、
選んできてる人たくさんいると思うんですよ。
ただ選ぶ軸が、
自分が楽しいと思う軸じゃなかったから、
自分が心から望んでいるものが、
家に揃っていなかったりとか、
なかなか捨てられないものがあったりとかね、
箔がついてるものとか、
なかなか捨てられない、手放せないと思うんですけど、
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資格とか名誉とか、
そういったものってなかなか、
なくなると怖いなって思うから、
手放せなかったりするんですけど、
なんかね、そういうものって結構手放してもね、
困らないって私は学んだ、気づいたんですよ。
それこそすごい年月をかけてですけど、
まだ未だに取り繕ったりとか、
すごいように見せようとするところはまだ若干あるので、
可愛いなって周りの人にその辺は、
温かい目で見ていただけたらと思うんですけど、
私も片付けでね、
自分の選択をすごい大事にしてほしいっていうのを伝えたいし、
その基準をね、
選択する基準を、
もっと自分のための基準にしていいよっていうことも伝えたいです。
もっと自分のためが人のためになるみたいなニュアンスですよね。
自分が我慢をするとですよ、
その我慢を人に押しつけたりとか、
自分が我慢してるから相手も我慢しろってやっぱり思っちゃうんですよね。
だって自分が好きでやることってそれは我慢にならないから、
人が自分と違う行動しててもなんとも思わないんですけど、
自分が我慢をしてたら人にもその我慢を許容するし、
とりあえず自分がまず満たされてないと人を満たすことはできないので、
自分の人生の選択の基準をね、
もっと自分よりにしていいと思います。
それは自分勝手でもなく、わがままでもなく、
それが結果人のためになるんだから。
もうちょっと選択の基準も見つめ直した方がいいし、
それって結構片付けでも得られることなので、
だから私は片付けで、
目を逸らさずに自分がなんでそれを選んでいるのかとか、
なんで手放せないかみたいなところをね、
まさに掘っていくお手伝いをしたいなって思ってます。
今日もねちょっと長くなっちゃったので、
申し訳ないんですけど、
でもちょっと切りたくはないので、
ここまで聞いてくださってありがとうございました。
はい、では最後にお知らせです。
今日2月15日水曜日、夜9時からインスタライブを私一人でやります。
今月はもう2回コラボでやって、
今日の夜9時は今回一人でやるんですけれども、
テーマはですね、
片付けは今の自分のためにあるということについてお話をしようと思います。
なんかいろんな方のね片付けのお悩みを聞いてたりとか、
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私が今日話したね、片付けを通して伝えたいことにもつながるんですけど、
なんかね、手放せない理由とか片付かない理由って結構過去に縛られてたりとか、
未来に託してたりすることが根幹にあるので、
片付けって今の自分のためにあるんだよっていうね、
お話をね、しようと思います。
そしたら皆さんの片付けの考え方とか、向き合い方とか、
日常の選択とかもね結構変わってくると思うので、
そのことについてねちょっと私の考えと、
皆さんの片付けの悩みも、
伺いながらしていこうかなと思います。
それでね、そこで私もちょっとお知らせもするので、
ぜひ遊びに来てください。
ポッドキャストの方が来てくださると私めっちゃ嬉しいので、
ただあの、言ってくれないとわからないから、
ポッドキャストから来ましたーってね、教えてください。
はい、では皆様今日も一日味わい尽くしてください。
ではでは。
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