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2024-04-17 16:20

『人のため』の本当の意味

まっちゃん|今の暮らしを愛でる片付けコンサルタント                                       \あなたの感性と思考で一生モノの片付け/                 
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はい、皆様おはようございます。このラジオでは片付けコンサルタントのまっちゃんが、今の暮らしをめでるための片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分ゆるく話をしていきます。
はい、皆様おはようございます。前回ですね、私が最近読んでよかった本、ビクトーリー・フランクルさんの『夜と霧について』ちょっとお話ししてたんですけど、
それの感想とかですね、あ、それ読みたかった本だったんです、みたいなお話を何人かからいただいたんですよね。
ポッドキャストからとか、インスタから、はい。なので、ちょっと驚いているというか、
あ、やっぱこれをなんか読みたかった人とか、なんか読んでみようかなーって思ってたけど、
夜と霧っていうタイトルとかね、そのアウシュビッツっていう雰囲気に圧倒されて、なかなか手が伸ばせなかった人がいるんだなぁと思ったので、
はい、あの、話してよかったなと思いました。迷ってる人は是非、是非、あの、読んでください。
はい、あの、ね、人間が愚かなことを繰り返さないように。これを読んだ人は、あの、戦争をしようとかね、そういうよくわからないことは言い出さないと思うんですよね。
そう、はい、是非見てください。これのね、映像作品もあるみたいなんですけど、
あの、映像作品の感想を読んでた時に、なんか、あぁーって思ったんですよ。これは私はちょっとまだ見れる、ちょっとね、見れる勇気がないかもしれないと思って、見てないんですけど。
はい、あの、是非見た人はね、ちょっと感想を教えていただきたいです。はい、映像作品もあるよってことをお伝えしました。
でね、あの、今日のテーマなんですけれども、
今日は最初に、あの、前回そのお話しした本の中で、もう一個私伝えることを皆さんにね、あの、伝えることを忘れたことがあったので、それを一個お伝えしようと思ったのと、
あの、なんだろうな、シェアハウスと二人暮らしをして、シェアハウスと違うなって思ったことをね、ちょっと今日はちょっとちらっとお話しようかなと思います。
なかなかそのシェアハウスを経験してる人って割合的には少ないと思うんですよ。
だからシェアハウスと二人暮らしと家族で暮らしした時の自分の、私のね、個人的な感覚とか立ちふるい前の変化みたいなことも、ちょっと面白いなと思ったので、ちょっとその辺を話そうかなと思います。はい。
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ではまず最初、前回あの話したことでちょっと伝え忘れてたことが一個あって、もう一個その本に書いてあって、すごいいいなと思ったことがですね、ちょっとそのまま読み上げますと、
人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何を我々から期待しているのかが問題なのであるって書いてあったんですよね。
人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何を我々から期待しているかが問題なのである。
日本語訳なんでちょっと難しい日本語で書いてますけど、要は、人生から人生に何を自分たちが期待しているかが問題なのではなくて、人生が私たちに対して何を期待しているかが問題なのであるって書いてあったんですよね。
これぐらいしか思わないかもしれないですけど、アウシュビッツの中にいる人が書いてるっていうのがすごいことなんですよね。
何かっていうと、多分アウシュビッツにいらっしゃる方々、いた方々は全ての選択権を剥ぎ取られるんですよね。
だから自分に何も選択権がないんですよ。
自分で死ぬっていう選択肢もあんまりなかったらしいんですよね。
だから自分で得られるのは、精神面の中だけ、頭の中だけっていう状況で、今まで外で活躍されてた人、お医者さんとか、社会的地位がある人も全てを剥ぎ取られるわけですよ。
そういう人がそういう何か、自分で何かできる状態じゃないところに連れてかれた時に何を思うかっていうと、
自分の生きる価値とか、自分の生きていく存在価値とか、人間としてどうやって生きていくかっていうものが失われるみたいなんですよね。
そこまでのことが私たちの今起きるかって言われたら起きないと思うんですけど、
でもね、私は選挙主婦をやったことないんですけど、お金を得られないお仕事をしてたりとか、
人からありがとうって直接言われないお仕事をしてた時に、
社会と断絶された環境にいる子育てをしてお家にずっといる人とかが、多分これ感じやすい現象なのかなと思うんですけど、
私、人の役に立たないとか、社会に貢献してないとか、自分がやりたいことで人の役に立っていないみたいな感覚を得た時って、
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人は生きる意味みたいなものを失いやすいんじゃないかなと思うんですよ。
私も新卒で仕事を辞めた時に、新卒で辞めるって自分は思っていませんでしたし、
辞めたくて、本当に辞めたくて辞めたわけじゃないから、
それは続けて仕事をしたかったから、その時に私が思った感覚みたいな感じなのかなと思ったんですよ。
私、他の人と比べて何の役にも立たないみたいな、社会の役に立たないとか人の役に立たないってことは生きてる価値がないみたいな、
そこまでは言ってないんですけど、私は。
そういう感覚になった時に、人って本当に生きていくのがしんどくなるのかなーって、
ちょっとその文章を読んで思ったんですよね。
で、そこまで行って、自分には何の価値もないっていうところまで、
そのアオシビッツの中にいらっしゃる方達が思って、
このフランクルさんがたどり着いたのが、
そうじゃないと、自分で決めるんじゃなくて、
もう人生が自分たちに何を期待しているかを決めていると、
そこには必ず存在すると。
だからそういう、自分の中で決める何かじゃなくて、
もっと大きい何かこう、
自分に背負わされている、
何ですかね、運命って言ったらあれですけど、
そういう何か、自分に人生が何かを期待していると、
どんな人でもどんな状況でも、
寝たきりの人でも何でも、
人生が自分に何かを期待していることが何かあると、
だから生きなければならないみたいな、
そういう気持ちのもと、この人は生きてきたんですよね、このフランクルさんは。
で、本を読む限り、このフランクルさんが、
その辛い環境を、なんで精神を保って生きてこれたかっていうと、
この状況を本に書いて、
あの伝えようっていう気持ちがあったりとか、
家族のために生きてた感じがしたんですよ、その本を読んでた時に。
家族が生きてるか死んでるかを置いといてですよ。
だからその本を読んだ時に私は思ったんですけど、
自分のためだけに動いたりとか、生きていたりする、
喜びだけにね、生きていたりするので、それはそれで楽しいですけど、
きっとそれで結構ちょっとエネルギーが、生きていくエネルギーとか、
強さみたいのが非常に弱いんだなって思ったんですよね。
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はい、ちょっと鼻が詰まったので一回切りましたけど、
主語がね、大きいし、自分のためだけじゃなくて、
むしろ人のためとか、愛のためとか、
リタの心とか最近いますけど、
なんかそういう、自分に課せられた意味で、
自分に人生が、君ならできるぜこれはみたいな感じの、
期待に対して突き動かされている人が、
アフシュビッツの中では生き延びたし、
そういう人が生きがいとか、生きる意味とか、
生きる時のエネルギーみたいなのを奮い起こしやすいし、
大きいことができるのかなーって、
ちょっとそれを読んでて思ったんですよね。
それは別に人が喜ぶとか、
人からお金をもらえるとか、そういう感覚じゃなくて、
自分でそう感じられればいいっていうことが、
なんか前、アドラー心理学の共同体感覚みたいな、
ちょっとよくわかんないなって、読んでて思ったことに書いてあったんですけど、
このフランケルさんも、
アドラー心理学を学んでた人らしいんですよね。
途中で波紋したらしいんですけど、波紋されたのか。
だから似たようなことが書いてあるというか、
似たような感じ方をしてらっしゃるなーって、
本を読んでて思ったんですけど、
それを踏まえた上ですね、
私が最近シェアハウスとか、
自分で選んだ人間2人暮らしを相方としてたりとか、
家族と暮らしてた頃と比較して、
自分の立ち振る舞いがえらい変わってるなって思ったんですよ。
これが私のエネルギーが湧くポイントがそこだからなのか、
皆さんそうなのか、人間的にそうなのか、ちょっとわからないんですけど、
私は確実に実家にいたときはまるで動かなかったんですよね。
本当に動かないし、片付けもしなかったし、
片付けに関しては片付けを勉強する前ですけど、
片付けも子供の頃は本当にやるときとやらないときとすごく差が激しくて、
親にいつも泥棒が入ったのって言われてたから、
部屋がめっちゃ汚かったんですよ。
汚かったし、家事やらなかったし、
親に助けて、ちょっと手伝ってって言われても無視してたタイプなんですよね。
だから全然動いてたかって言われたら全然動いてなかったし、
仕事も別に主体制に決めてなかったし、
大学とかもフォワーって決めた感じだったんで、
今みたいに自分で選んで決めるみたいな、
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そういう主体制はあったかって言われたら、
ちょっとあんまなかった気がするんですよね。
シェアハウスをしてた時は主体制はもちろんあったんですけど、
シェアハウスってものすごい個人主義なんですよね。
みんな全然関係ない人間が生きてるから、
個人主義って言ったら当たり前ですけど、
みんなそれぞれ自立してて、
リビングで時間とかタイミングが噛み合った時に、
人と共有できるっていう、すごい楽しいし楽やったんですよね。
だから別に人が部屋を散らかそうが、
人が床にバナナを巻き散らかそうが、
あんまり良かったと思ったんですけど、
自分と他人だからって区切りやすいんですよね。
別にそのキッチンは私のものじゃないし、みたいな感じで。
これが二人暮らしになると、また訳が違うんですよね。
それはそうだろうと思うと思うんですけど、
共同体感覚みたいな、
さっき私がアドラー心理学うんぬんで話した、
主語が少し大きくなる感じがですね、
シェアハウスとか家族で子供として暮らしてた時よりも、
二人暮らしの方がより大きいんですよ。
だから私っていう主語だけじゃなくて、
私たちっていう主語、人生を共に歩んでいきたい人と暮らしてるから、
私一人の問題だけじゃなくて、私たちの問題、
私たちで解決しなきゃいけない、私たちで行動していかなきゃいけない、
私たちで決めなきゃいけないことがより増えてくるんですよね。
そうするとポジティブな面もネガティブな面も出てくるんですよね。
ちょっと今回で終わらなかったんで、次回またその話をしようと思うんですけど、
今回の話とつなげるのであったら、
私は二人暮らしの時の方が一番自分のエネルギー、
なんかめんどくさいなーって思った時に、
ケツを上げる、動き出すエネルギーが一番起こしやすいですよね。
なんでかって言うと自分のためじゃなくて、
人のために動きやすいからなのかなーって思ったので、
これってもしかしたらリタの心とか共同体感覚とか、
自分以外の何かのために動くとか生きるとか、
そういう感覚に近いのかなーと思ったので、
ちょっと今日この話を最後にピッて入れたんですけど。
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次回ね、シェアハウスと二人暮らしと家族暮らしで、
自分がどう感覚が違うのかということをもうちょっと詳しく話そうと思うんですけど、
今回の話とつなげたらそうですね、
二人暮らしが一番、私が動く時のエネルギーが一番湧きやすい、
食器洗う時のエネルギー、
一人暮らしの時はめんどくさかったし、
シェアハウスの時はめんどくさかったし、
家族暮らしの時は人に言われても絶対やりたくなかったんですけど、
二人暮らしの時はなんだかんだやるエネルギーが湧きやすいなと思ったので、
これが人のために動くかってちょっとなっているところです。
というわけで、今日のテーマは何ですかね、
また考えて聞いてみようかなと思いますが、
ここまで聞いてくださってありがとうございました。
また次回はね、もうちょっと詳しく、
シェアハウスとか二人暮らしとか、一人暮らしもしたんで、
その辺のなんか、自分の心の動きみたいなことをね、
お話ししようかなと思います。
ではまた次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ではでは。
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