ポッドキャストの新展開
みなさんこんにちは、マスコットです。
今回の収録から、今まではスタンドFMだけで収録していたんですけども、
せっかくいろんな話をしているので、もっといろんな人にもしかしたら聞いてもらえるチャンスを増やせたらいいなってことを思って、
ポッドキャストでも流せるように変更しました。
なので、おそらくスタンドFMは、僕が所属しているSWCというコミュニティの方々が聞いてくださっていたんですけども、
広く聞いていただける可能性があるので、そういう感じで変更しています。
でも内容的には今まで通り、雑談というか、そういったものにしようと思っているんですけども、
僕が普段このスタンドFMの話している内容というのが、先日SWCの仲間である野間さんが、
僕の話というのは結構モヤモヤを見つけるのが上手いというか見つけることが多くあって、
そこでそれを解釈している。正しいか正しくないかわからないけど、
それってつまりこういうことなんじゃないのかということを言うということをよくやってますよね、
的なことを言ってくださっていて、そういうことが確かに僕はネガティブに言えばクレーマーで、
ポジティブに言えば…ポジティブに言えばというか、ポジティブクレーマーだと自分の中で認識では思っているんですけども、
そういったことがわりと好きで発信しています。なので、今回からのタイトルとかアイコンというか、
タイトルをメタモヤモヤというので、モヤモヤをメタ的な感じでしゃべっていって、
自分の中でこうなんじゃないかみたいな話をできたらいいなと思ったので、そのテーマで今後はしゃべっていこうと思います。
意味価値の探求
他にも雑談的には全然しゃべるんですが、そういう感じでやっていこうと思っています。
今回はどういった話をしたいかというと、タイトルは依存から接続へという話をしていきたいと思います。
結構長くなると思いますし、ちょっと難しい話だと思うので、僕もちょっとメモとか見ながら話していこうと思います。
うまく話していかないと多分よくわからない話になりそうなので。
まずですね、先日SWCという、まずSWCの説明をちょっとすると、
SWCとはSource With Creatorsという、フィナンシアという名前を出すとわからないと思うんですけど、あるコミュニティで、
主催は企業家のケンスーさんです。そこのケンスーさんのコミュニティで、そこでいろんな話とか考えたこととか、
いろんな皆さんが話をしたり、クリエイティブ的な活動もしているんですけれども、そういったコミュニティです。
そこでメンバーの仲間である梁太郎さんという方とワーバホCTOさんという方が対談をしていました。
その対談の内容というのが、意味価値ってなんだろうみたいな話をされていました。
これ何かというと、ちょっと戻ると、コテンラジオで深井さんがポスト資本主義とは何ぞやというか、
今の資本主義じゃなくて今後の資本主義ってこういうものであった方がいいんじゃないかというのを今研究していて、
完璧にまとまっているわけではないんですが、ちょっとずつ出していったらいいなということを思って、その話をされていました。
その中で、今後のポスト資本主義社会として必要になってくるのは、財務価値と意味価値である、それの掛け算であるみたいな話をしていて、
財務価値というのはお金ですよね、お金とか数量的に測れる、数値的に測れるものがほとんどで、
今までの株式会社とかがそこを求めて、みんなその財務価値をいかに上げるかという、そういったゲームというかそういったことをやっていますね、ギズナ侵攻系で。
だけど今後はそこに意味価値というものをちゃんと見直して、意味価値というのを考えてやったほうがいいよと。
なぜなら、財務価値はもちろんレバレッジが効くんですけれども、意味価値もレバレッジが効くからやっていたほうがいいよみたいな話をしていて、
だからじゃないけど、それもあって、意味価値って何かというと、すごくわかりやすいところで言えば社会的に価値があることという、
それは意味価値の中の一つなんですけど、社会的に、例えば障害者の人のための何々をするとか、福祉的なものとして高齢者施設として高齢者の人のためになるこういうことをするとかっていう、
例えばですけど、そういったもので社会的な意味があるから、それは財務的な価値ではなくて意味的な価値なんだというのがありました。
これがわかりやすい、社会的なことというのは意味価値としては一番わかりやすいのでそれを今言っただけなんですが、他にも意味価値って実はいっぱいあって、
そういう意味で意味価値って何なんだろうというのがわからないというのをコミュニティメンバーの梁太郎さんという方が疑問に思っていました。
そこで、わぼぼCTOさんという、もともといろんな知識が、本とかいろんな知識があるんですけども、特にわぼぼさんは古典ラジオを全部の回を5回ずつ、
もしかしてもっと聞いているかもしれないですけど、それぐらい何回も何回も聞いているので、かなり古典ラジオで話していることの解像度を高く理解しているというところがあったので、
心理師のある梁太郎さんが、意味価値ってよくわかんないんだよなと思ったから、わぼぼさんに対してそれを質問していくみたいな形で対談がありました。
それ、僕もだから、意味価値って実際僕もよくわかっていなかったんですよ。
社会的なものというだけで捉えれば、それは意味価値ということを理解できるんだけど、どうやらそれだけじゃないぞって考えると、
じゃあ何が意味価値なのか、何でもかんでも結構意味価値にならないって、梁太郎さんもそういったことを話されていたと思うんですけど、近いことを話していたんですけど、
僕も本当そうだなと思っていて、その中でわぼぼさんが意味価値というのを4証言で分解するとちょっとわかりやすいかなみたいな感じで話されていて、それが特に僕は面白かったです。
その前に、今回の放送では、まず今話した古典ラジオのポスト資本主義経営についての回のリンクも載せますし、
今話した梁太郎さんとわぼぼCTOさんの対談のスタンデフムのリンクも貼っておくので、まずそちら、もし今回の話がよくわかんないとか言ったらそっちを聞いていただきたいですし、
接続と依存の再考
僕よりもお二人は言語化がとても得意なので、上手に意味価値の話をされているので、聞いていただけるとよりわかりやすいと思うので、ぜひ聞いてみてください。
話を戻るんですが、その中でわぼぼCTOさんが、意味価値は4証言で整理できますよって話をしていて、縦軸と横軸どっちでもいいんですが、
縦軸を個人と社会と、下を個人、上を社会とする。横軸を既存と新規、左を既存として右を新規という風にすると、
まず個人で既存のという風に見ると、例えばバーベキューとかの思い出とか趣味とかそういったものが入りますね。それで次に既存で社会という軸の部分にあるのは、
みんなが共有している常識や制度みたいな、記号消費みたいなところですね。新規で個人のところは、新しい価値、自分自身が変化するような新しい価値、お金の使い方とかそういったものをことを言っていて、
個人の再解釈とか、自分の世界、体験によって自分自身が変えようとするというか、そういったもの。
社会で新規というのが、個人の再解釈、社会全体の関係や価値観を更新する段階ですね。社会の希望によって変えるみたいなことですかね。
という4章言があって、この4章言のどこかに意味価値というのは当てはまると。それで、これ聞いたときに、なるほどというふうに僕は思って、こうやって分類できるのかというふうに思ったんですよね。
それと同時に、そのときにどの方向がいいとか、どこを目指すとか、それがいいのかなという疑問があったりして、意味価値という言葉が人の生き方や社会の見方を整理できるレンズ的なものなのかなという、ちゃんとは理解できていなかったんですよね。
その中で、対談の中で、確かわぼわさんがですね、この意味価値って有意識論的なことなんだよねという話をされていて、有意識論って言ってたなと思って、仏教の用語で有意識論とあるんですけれども、これも古典ラジオとかでよく話されていたような空海とかの最澄とかそこら辺の話でも出てきたりしているんですけれども、
僕もじゃあ有意識論ってちゃんと説明できるかと言われると難しいなと思っていて、外界も他者も全て自分の識、意識的なものの現れでなんだよというふうにされている考え方であって、これもちょっと一つの解釈になっちゃうんで、完璧な僕の説明にはなっていないかもしれないですけど、
つまり世界は自分の意識の反映なんだっていうことで、世界は外にあるんじゃなくて自分の識が生み出していると。こう言われてもちょっと、ん?みたいな感じもあったんで、これもたぶん古典ラジオかな、確かの中で話されていて、それこそ菊池さんが言ったのかな、ちょっと忘れちゃったんですけど、マトリックスの世界なんだよみたいなとほぼ近いっていう話をしていて、
現実は、マトリックス映画見たことある方結構多いと思うんですけども、現実っていうのはプログラムのようなもので、僕たちはそれを自分の認識として体現していると。そう考えると、意味価値っていうのは自分の識と世界の識が触れた瞬間に生まれる出来事なんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
そうすると意味価値がだんだんぼんやりしているのがなんとなく分かってきて、さらに言えば、僕の中ではシャボン玉をイメージして、自分というシャボン玉、これ識ですよね、と世界というシャボン玉、まあ識ですね、がぶつかって、その境界が虹色に光るじゃないですか、シャボン玉の色。その光った瞬間っていうのが意味価値が生まれる瞬間なんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
僕、そもそもイメージじゃないとなかなか、ビジュアル進化といわれる視覚指向者なので、なかなかイメージでしか理解が、なんて言うんだろうな、言葉で分かっても体感としてよく分からなかったので、こう捉えるとすごい分かるなと思って、それが光った瞬間が意味価値が生まれる瞬間で、心が動いたとか、世界と通じたという感じるような小さい震えというか感動みたいな。
それが意味が、そういうのが意味が立ち上がるってことなのかなと。もしかしてちょっと間違ってるかもしれないけど、そういう解釈を僕はしました。
僕、建築の仕事をしているんですけど、この四小言を建築に当てはめて考えてみたときに、考えているときにようやくこの意味価値を育てるみたいなことをちょっと方向が見えてきたなというふうに思いました。
例えば住宅の設計で自分たちのための家を建てたいという出発点は、一見すると個人的な欲求のように見えるんですけども、でも実際は社会がすり込んだ良い家のテンプレートのコピーになっているってことが多いなというふうに僕は思っていて、
例えばホテルライクな家がいいなとか、家事動線が完璧な間取りがいいなとか、流行りの素材をこの素材を使いたいなとかっていう、そういう価値観というのは実は自分で考えたようで他人の指揮に依存していて、さっきの四小言でいうところの左下、既存で個人の領域なのかなというのを思ったんですよね。
で、そこから本当に自分にとって気持ちいいとは何かとかっていう心地が良いとは何かとかっていうのを考え始めたときに、さっきの四小言でいうところの右下の新規で個人というところに移っていくのかなと。
で、冬の光の角度を感じながら窓を決めるとか、隣の桜が見えるように壁を調整するとか、自分のこの意識が世界に触れて、さっき言ったシャボン玉とシャボン玉が触れるみたいな、ぶつかるみたいな瞬間、で世界と響き合う瞬間がそこで生まれるんじゃないかなと思ったんですよね。
そしてその建物が周囲の人たちにとってすごく風景としていいよねとか馴染んでるよねっていうふうに思われるようなものになったときに、それはさっきの四小言でいうところの右上に来る新規とか新規かける社会の一ところに来るのかなと。
で、このプロセスっていうのが意味価値を成熟させていくプロセスなのかなと思ったんですよね。意味価値はこの四小言のどこかに入るのであって別にどこがいいとかどこが悪いとかっていうんじゃないんだけど、意味価値を成熟させるのはそういう左下、右下、右上みたいな順番がやりやすいとかそういうプロセスが結構多いのかなと思いました。
で、あとその対談が面白いなと思ったのが、両太郎さんが接続を増やすよりもっとは言ってないかもしれないですけど、一旦個人に戻るってことが大事なんじゃないかなみたいな話をされていて、最初それ聞いたときに僕は今話した謝文壇がぶつかるみたいな接続が大事なんじゃないのっていうふうに思ってたんで、
それって逆のことなんじゃない?僕とは逆のことを話しているなというふうに思ったんですけど、でもよく考えてみると今の社会って結構接続しすぎていて、そこでも話されていましたけど、ワイパパさんと両太郎さん話されていましたけど、
今の社会ってのは接続されすぎていて、何々の何々パパとかって言われたりとか、関係性の中で言われているから、自分の輪郭みたいなのが溶けているというかなくなっちゃっていて、他人の反応や承認の中でしか自分を感じられない状態に結構なっているんじゃないかなと思って、
それは接続っていう僕がした方がいいっていう話じゃなくて依存ということになっちゃうのかなって思ったんですよね。だからこそ1回ここに戻る必要あるよねっていうのはすごい思って、パソコンで言えばOSをクリーンインストールというか1回全部初期化して、そこから改めて接続をしてアップデートするみたいなことが必要だと思うので、
接続の重要性
依存を断ち切って接続に変えるっていうことの意味ではここに戻るっていうのが僕も大事なことなんだなと思いました。もちろんちょっとだけ最後ら辺に触れてただけなので、そこの深い意味みたいな話まではちょっと理解していないし聞けなかったんですけど、そんなことを思いました。
ちょっと話変わるんですけど、今の僕たちっていうのは結構関係があるようで実は関係がないみたいになっているのかなと思っていて、それは何かというと例えばSNSの繋がりとかも、承認を得るための一方方向的な関係に過ぎないんじゃないかなと思っていて、心が本当に動くような相互の関係性っていうのは失われているんじゃないかなと。
しかもそういったもののSNS疲れみたいなところから、テンションエコノミーとかもあるんですけど、そういった刺激が強くてそれを求めるみたいなことの疲れから今わりとスピリチュアルみたいなのが増えてきているっていうのが皆さんも多いと思いますし、僕自身もスピリチュアルとか都市伝説とかすごい好きなんでね、結構見てるほうの人間なんですけど、
今それを考えるときに、これ全てじゃないんだけど、スピリチュアルも結構今ビジネス化されちゃってて、結局その一方通行的に誰かが儲けるためにスピリチュアルを使っているみたいなところもあって、結局その依存関係の再生産みたいになっちゃっているんじゃないかなと思ったんですよね。
でも本来のスピリチュアルって世界と共に生きる感性を取り戻すことだったはずなんで、つまりこの接続の感覚だと思うんですよね。だから僕が言うこの依存から接続へっていうのは、一方方向の関係から双方向の関係に戻ろうとしているっていう感じだと思うんですよね。
依存を悪だっていうふうに言いたいんじゃなくて、関係を再び再構築みたいな感じにして、響き合う状態に戻そうっていうことなんじゃないかなってことを思っています。
で、なんでそもそもその意味価値大事なんだみたいなのを考えたときに、コテンラジオの中でもよく、というか何回か話をされてたと思うんですけど。
他の研修さんとのお風呂仕返りとかでも話されていましたけど深井さんが、そもそもホモサピエンスがそういう性質だから僕はそういう生き方をしてるんだっていう。つまり意味価値的なものを求めた方がいいんだっていう。
これ僕の解釈もちょっと入るけど、ことをおっしゃっていて、別に自分がいい人だからそういうことをやりたいとかそういうことじゃないんだよ。
自分がもしカバだったら水浴びずっとしてるよみたいな話もされてましたよね。それでそれ聞いたときに、それどういうことなんだろう。
ホモサピエンスの性質上、そこを意味価値を求めるって何でなのって思ったときに、これも多分どっかでおそらくしてたと思うんですけども。
ユヴァルノ・ハラリさんのサピエンス全史でもこういう文章がありますよね。
人類が他の動物に勝てたのは物語、意味を共有できたからだっていうのがあって、そこですよね。
もともと人間というのは全然強いものじゃなかったし、強い牙とか持ってたりとかじゃなかったけど、物語みたいなものを共有できたことで関係性を築いて共同できて勝ち残ることができたと。
つまり意味と関係こそが僕たちのこの生存戦略としてとても必要だったと。
だから今意味のない関係につかれた人がスピリチュアルとか繋がりを求めているのは、ある意味で本能的なものなんだって思うんですよね。
だから僕らは本来接続する生き物なんだと思うんですよね。それを求める生き物なんだと思うんですよね。
古典ラジオの中でも財務価値だけでは社会を持たなくて、これからは意味価値を見直していく必要があるっていうふうに言っていて、個人としても意味価値の重要性には気づいている人は実はもう多いっていう話もされていて、
でも会社組織の中でそれを実践するっていうのは難しいんだみたいな話もしていて、つまり気づいていないわけではなくて、あと一歩のところにいるっていう状態なのかなと思っていて。
多くの人が意味価値的なものが重要性っていうのは感じ取っているのかなと。ただそれを言葉にできずにいるだけなのかなと。
その意味で僕はそれを建築という力で形にしてやっていけたらいいなということを思っています。意味価値を分かりやすく伝えたいとか具体的に感じられるようにするみたいなことだと思うんですけど、
社会全体を変えることは難しいんですけど、自分の分野でそれを実践していくことはちょっとずつできるのかなと思っています。
依存は結論的に言えば依存は関係性の未成熟な形で、接続は関係の成熟した形。
測れる価値というよりは響き合う価値を信じてほうがいいのかなと。世界を支配するんじゃなくて世界と共に生きようみたいなあり方ですよね。
接続したから僕たちは生き残ったというホモサピエンス的なものがあるので、だからこそその接続が今切れちゃっている状態だと思うので、
それを取り戻すことがこれからの大事になってくるのかなと。
新しくそれをやっていこうということじゃなくて、本来の人間に戻るみたいなのに近いのかもしれないというふうに思っています。
スピリチュアルに聞かれている人というか、いいなと思っている人も、SNSにつかれているという人も、
実は意味価値の入り口に近いところにいると思うので、
あとはその接続をどこに向けるかという意味で、意味価値が大事だよねという方向に持っていければいいのかなとか、
その隣にいるみたいな状態なんで、実は結構近いんじゃないかなと思っています。
そういうことを今思っています。
ただ、これも実際まだ全然整理できていなくて、今メモを見ながらも話をしたので、
ちょっとわかりにくかったりとか、飛躍している部分もあるとは思うんですけれども、
そういった今の世の中というか、このからの時代、この依存というものから接続へ、
一回個人に戻ってから接続へという形は僕はいいのかなと思うんですけれども、
OSを全部初期化しなければ、今あるこの弱い接続というのかな、
SNSとかで、弱い接続と言ったら違うかもしれないけど、
SNSとかで依存しているような、緩いというか弱いみたいな依存している関係は、
一回なくして、そうじゃなくて、実際この意味価値的な部分で接続していって、
さっき話したみたいに、できれば意味価値を成熟させるという意味では、
さっきの4小弦の左下である部分というのを、個人の既存の部分も、
それを否定するのではなくて、家の例で言うと、
それはその通りだし、その考え方を再解釈みたいな形ですね。
それを肯定しながらも、またその解釈を変えてみるというか、
本当にいい家ってなんだろうって考えてみるとか、
そういうふうにしていって、
それってつまりは社会にも立っても意味があるとか風景にも立っても意味があるとか、
そういうふうにしていって、
結構長くなってしまいましたが、
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
それではみなさん、スロースロースロース。