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2025-07-26 32:01

建築から考えるムジナの庭

サマリー

このエピソードでは、建築とコミュニティの関係について考察され、特に「無地名の庭」というテーマを通じて、建築家伊藤豊の作品やその影響が探られています。伊藤豊のスタイルの変化や、彼が作り上げた空間の特徴が詳しく語られています。建築の中で人間の居場所や繋がりを考える重要性が議論され、特に東日本大震災以降のプロジェクトや建築家のアプローチが紹介されています。『みんなの家プロジェクト』やOプラスHのリノベーション作品を通じて、建築が地域にどのように寄与するかが語られ、分かりにくさが居心地の良さを生むことにも触れられています。無地名の庭を通じて、建築と居心地の良さについての考察が行われ、特に透明性のない空間やコミュニケーションの重要性が強調されています。

ムジナの庭の探求
フェスティナレンテ、この放送は、SWC、スロースフィーズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今日のテーマは、建築から考えるムジナの庭について話していきたいとおもいます。 みなさん大好きなSWCメンバー大好きな
UNOさんのですね、庭の話の中で語られているムジナの庭の話のことについてちょっと建築的にね
僕が知っている情報から そこからまあこういうことを考えたよみたいなことを
考えられるのかなということを話していきたいというふうに思います。 まずね、そうですねこの庭の話ってすごい
SWCの中でも話題になって、それは多分一種のコミュニティの現代の在り方から あとはまあそういったこう在り方が今の社会に必要なんじゃないかという思いが
多分あったから皆さん興味を持っていたんだと思うんですよね。 僕もそういうとこがすごくあって
だから興味を持ったんですよね。 もちろん読んでは読めないので結構厚みがある本なんで読めないなと思って諦めて読んでなかったんです
けども えっとでも梁太郎さんとか和羽さんとかの話を通した庭の話を聞いていてそこで
まあ考えたことなどを話したりしていたんですけども これはねなんかもう読まないとダメだと思ったんですよ
ちゃんと読めねえとか言ってんじゃねえよと思ってそれで買ったんですけど やっぱり本読めない、読めないっていう話をしてたのでこういうふうにやると読めるんじゃないか
っていうふうに梁太郎さんが 話をしてくださっていたりとか和羽さんとかもねそういう読み方の話とか
白石さんとかもそういった話してくださってたんですけども でねまぁ最初のこう
伊藤豊の建築哲学
タイトルというか項目ごと分かれてそこから興味深いキーワードのところから読むとか あとは全体をすべて完璧に理解しようとするという読み方
だからこそ読めなくなっちゃうのかなっていうのも 気づかせてもらって
だからまあ本当にこの本から一つでも学ぶところがあったらいいみたいなそういう ある種そんなに気構えないというかね
それぐらいラフな感じで読んだ方がいいよみたいなのもあって本当そうだなと思ってそういう 読み方をしていました
ただなんかあるところでちょっと流れ 多分このエッセイ的にこういくつか項目分かれているので違う話の時もあるんですけど
ある程度こう流れを踏まえた上で読んだ方がいいところがあったので 僕なんか途中でその無地名の森って出てきて
庭か 無地名の庭って出てきてなんだろう無地名の庭とかって思ってたんですけど
でそこから読んでいくとちょっと自分の中では なんかあんまり理解ができたある程度理解できたんだけど
ちょっとわかんないなと思ったんでちょっと戻ったりして ある程度最初から読んだりはしてたんですよね
結局まだね全部読んでないんかいと言われると 言われるというかまだ全部読んでないんですけど
途中の段階で無地名の庭のところまで終わったぐらいの まだ真ん中まで行ってないからしか読めてないんですけど
そうそうでもそこで びっくりしたんですよね
僕は無地名の庭ってなんだろうなぁと思ってて その時にまさか黄金井の
家ですよね 回収したものが無地名の庭というものとして
あるっていうのがびっくりしました というのも黄金井の家っていうのは建築家の伊藤豊さんが
設計した家で 僕それこそその
黄金井の家自体も有名なので建築の業界の人は結構知ってると思うんですけど
プラスその回収したよっていう情報すら建築の雑誌で読んでたんですよ 見てたんですよ
だからあの家なんだと思ってそれがまずびっくりしました 回収したのはOプラスHの百田悠希さんと
百田悠希さんと大西真紀さんですよね
その2人とかも建築の人たちはもちろん知っててすごい若手で僕の
5歳上ぐらいなんでほぼ同世代の建築家なんですけども まあもう学生の時代の時からこの人たちがどういう人といって何で伊藤さんの
建築を回収するのかっていうのは全然あるなぁと思うんですよね だから建築の業界の人しかちょっとわからないことがあると思うのでそのことを
ちょっと長くなるかもしれないんですけど 話していけたらもしかしたら何かそういう視点でも
見れるのかなぁと思って見れるのかなっていうかそういう視点で 見ても僕は面白いなと思ったのでそういった話をしていきたいと思います
だからまあそれに 先だってまずはまああれですね伊藤豊さんについてちょっと話していきたいと思いますね
伊藤豊さんというのは建築の業界で言うと皆さんもしかしたら結構有名なんで知ってる かもしれないですが多分安藤忠夫さんとか熊謙吾さんとかよりは
多分おそらく一般の人にとっては有名じゃないのかもしれないですね でもなんか建築の業界からするとどっちかというと
僕の認識では伊藤豊さんの方がある種建築業界 今の建築業界にとってめちゃくちゃ影響力を与えてた人だなというふうに
僕は思っていますし 伊藤さんの特徴としては変わる建築家だなっていうのも思ってますね
そのことについてもちょっと話していくんですがある時代ごとにそれに合わせた 自分のスタイルっていうのを変えていてある種
同年代である安藤忠夫さんと比較して考えても 安藤さんというのはある種昔から一貫したやり方で建築を考えていて
変わらない建築の代表例としてももちろんね 変わってはいるんですよ
対比した時にある種スタイルが変わらないというそういう どちらが悪いとかいいとかではなくてそういうスタイルを保っていて
どちらもすごく魅力的な建物を作る方々なのでそういうリスペクトというかもちろん それはあるんですがそういった比較ができると思います
どういうふうに変わってきたのかというところから説明すると 1970年代っていうのは結構建築ってもちろん社会的な背景と連動して
ある種社会に対しての批評というかそういったものとして作品を作っていくみたいな側面が建築家の人たちにはあるので
もちろんその時代背景と連動しているんですよね 特にそれに合わせて変えてこられているのが伊藤豊という建築家ですね
伊藤さんは1970年代の高度経済成長が終わるところだったりオイルショックがあったりとした
そういった混沌とした時代に対して建築家は何のために建てるのかということを考えていくわけですよね
その時の一つの回答方法としてやったのが閉じることで守るということをやっていて
それが中野本町の家とかホワイトユーとかっていう別名言うんですけどそれが建築的に有名な作品で
これはお姉さんの家なんですけどいろんな理由があってかなり閉じられた
そこまで詳しく話すとあれだからなんですがかなり閉じられた家なんですよね
中庭があるんだけど普通ね中庭があったらそこに対して窓で大きく開いて中庭に豊かな庭があってとかっていうイメージをされる方が多いと思うんですけど
中庭がもう閉じられた静域のようなものになってるんですよね
だから中庭を楽しむというようなものではなくて中庭に対しても閉じるみたいな外に対しても閉じてるんですが
おかしく言えば閉じた閉じたことで守るというようなやり方を取ってました
ここは結構さっきほど比較した安藤忠夫さんとも近いものがあって
安藤忠夫さんも住吉の長屋という有名な家があるんですけども
そこで閉じ方っていうのをやっていたのである種時代的に建築家の人たちがいかに閉じるかということをやっていた時代でした
80年代になってそこからバブルで結構経済的にも社会の日本のお金が漁ってきて
あとはポストモダン的な流れというので多様性とかそういう遊びとか解放性みたいなことが割とある時代になっていて
簡単に言えば70年代の閉じた時代から80年代というのはいかに社会に対して開いていくかというのを考え始めた時期ですね
そこで伊藤敦夫さんの代表作であるシルバーハットという軽やかな鉄骨の屋根が曲線でうねうねして
時代と建築の関係
本当に軽いような軽やかな半屋外的な空間を連続外と連続させて作るみたいなことをやっていたんですよね
まさに小金井の家というのは中野本町の70年代に作った戸尻というところと
シルバーハットという開くというのをやり始めたところの間にあるもの
シルバーハットのちょっと前なんですよね
つまり開くというどういうふうに社会に対して開くかということを考え始めたそういった時期だったんですよね
一応ちょっとその流れからつながっていくのでその後の説明もしていきたいと思います
90年代はやっぱりインターネットの登場というのが大きくて
これは社会的な背景ですね
より開くというところは共通しているんですけども
情報社会に対してどう開くかということだったりだとか
場所に縛られずにねということもやっぱり大きくて
そういうことを考えてどういうふうに開くかということ
流れるように開くとか流動的というかそういうふうな開き方を考えていった時代です
2000年代になってそれをある種構成という開き方のルールというのを考えてきて
それはある種いろんな理由もあると思うんです
この頃からこの頃より前からそうなんですが割と大きな公共施設も伊藤さんもやっていて
ある種どういうふうに開くかというのをルールを作ることによってやっていくということをやり始めていました
その中で代表するものが仙台メディアテイクという仙台にある建物なんですが
水平と垂直のチューブが巨大なチューブがあるんですが
それを外のガラス張りの建物といかに外とつなげるかという開放性を出してということをやっていました
これの時に面白いなと思うのがあるテレビ番組でやっていて
プロフェッショナルかなかなんか伊藤敦さんが出てた時に見て面白かったのが
面白いって誰ですけど興味深かったのが
仙台メディアテイクに仙台駅から確かタクシーで行こうとして乗ってた時に
タクシーの運転手さんが
違うよ仙台メディアテイクじゃないですね
その頃の作ってた建物を見に行こうとしてタクシーに乗ってた時に
そのタクシーのおじさんがあの建物全然良くないよみたいな
全然使い勝手悪いんだよみたいなことを言われて
それが結構衝撃だったみたいな話を聞いて
ある種この頃っていうのは構成という開き方のルールを結構作って
その通り建築を作っていたので
ある種結構システマチックに作ってたんですよ
ただもちろん開くということをやっていたんですけども
ある種それが人間性というかそういうものを排除してしまっているのかもしれないという
たぶん気づきがそこであったんだと思うんですよね
それで2010年代になるんですが
ここで一番大きいのは2011年の東日本大震災ですね
本当に今までは開くということを考えてきて
それを時代に合わせてやってきていたんですけども
僕の考えでは開くというよりも繋がるということを
より意識し始めたなというふうに思うんですよね
それでよく現れているのがみんなの家というプロジェクトですね
だからそれがさっきの今のタクシーの電車さんの話にも通じるんですけども
いかに開くかということが豊かさ
人間が豊かになるためのものだという感覚があったんだと思うんですけど
それをシステマチックにあまりにもやりすぎていて
それが人間を受け入れる場所というものを
もしかしたら与えていなかったのかもしれないなという疑問を
建築と人間の繋がり
より東日本大震災があったことで感じたんだと思うんですよね
だからこそもっとトリッキーな
普通の人から見たら特殊な建築を作るということではなくて
地に足ついたというか本当に一つずつ丁寧に考えていって
建築としてはわかりやすい目当たらしさというものがなくても
いかに繋がれるかということの方を重要視するような
人間に寄り添うような考え方の建築の方がいいんじゃないかという考え方に至ったんですよね
みんなの家のプロジェクトというのは実は僕は大学院生とかの時だったし
伊藤豊さんって僕の大学の先生の先生なんで
先生というか大学の僕の先生が働いていたのが伊藤豊さんの事務所だったので
そこのOBなんですよね先生は
僕の大学の先生はね
だからそれで伊藤豊さんのことはある程度わかっていて
あとみんなの家というのはプロジェクトというのは
その時に大西さんとか百田さんとかのOプラスHも
一緒にみんなの家プロジェクトに関わっていたんですけども
他の大学とかも連携していろんな案とか考えたりとかっていうのをやってたんですよね
いかにして繋がれるかという
おかしすぎればそういうキーワードで考えていって
災害復興のそういう仮設住宅ですね
に対してどういうふうに
要はいろんな
そうですね精神的にも
いろんなこうなんて言うんですかね
震災があったわけなんでそこで心的にも落ち込むというか
そういう暗くなってしまう雰囲気があると思うんですけど
だからこそそういう
そういった場所に対して建築がどうあるのかっていうのを
考えていこうっていうのから始まったものですね
OプラスHのリノベーション
それで僕もその研究室で実際に携わっていて
研究室で考えていったのでそのことはよくわかるんですが
そういうことをやっていました
いかに人と繋がるか
繋がるということを本当に建築的な手法で
分かりやすい手法でやるのではなくて
ある種分かりにくかったりしてもそういったものを丁寧に
だから縁側とか本当に分かりやすく言えば
縁側的なものとかもそこでわりと日本の伝統的な
縁側的なものだったりドマ的なものだったりとかっていうのを
わりと新しい新規性とかをそこまで出さずに
作り始めたなという時期でしたね
僕その大学院卒業した後に糸豊さんの事務所でもバイトしてたので
わかるんですがある種そういうものがあるから
ちょっと変わる建築家であるが故に
その前のルールとか構成みたいなことを生かした建築とは
ある種180度違う考え方なわけですよね
なので結構スタッフの方もわりと思想が
わりと前の時代のものと混ざってでも
コンペって言われる世界でいろんなものを作る
大きな建築とかをやる時に
その競技設計競技みたいなので選ばれたりするものっていうのは
ずっとそういう構成とかルールとかっていうもので
やっていた事務所なので
そことのギャップみたいのは結構ありましたね
ただでも糸豊さんというのはそもそも変わる建築家であるので
それに魅力があるという部分もあると思うので
それは皆さんスタッフの皆さん受け入れてたと思うんですが
そんな感じを肌で感じてました
バイトしかしてないスタッフではないんですけど
っていうのがあって
なんでこういう説明したかというと
すごい長くなりましたが
小金井の家はOプラスHがリノベーションしたわけですよね
ちょっとOプラスHについても説明したいんですけど
まさに僕のご公園ぐらいの方なので
学生の時代から特に大西真樹さんはもう有名な方でした
それこそ学生時代も
学生のコンペがあるんですよね
アイディアコンペみたいなふうに言われるものがあって
それでも連戦連勝みたいな
めっちゃ有名な人だったんですよね
百田さんもそうなんですけど
その時にやってたので
僕が印象的だったのはコンペで
大きな机みたいなのがあって
それをみんなで囲んでるみたいな建築を提案してたんですよね
わかりやすく言うと
ある種だからどう繋がるかということを
その時から考えていた建築家の人だと思いますね
でもその時にもやっぱりルール
伊藤さんとかその世代の人たちが割とやっていた
先ほど言ったルールとか構成みたいなものはやっぱりあるんですけども
でも割とそういう開くということももちろんあるけど
繋がるということにも結構重きを置いていたなというふうに思いますし
そういう活動をされていました
だから大きな机をみんなで囲んで
そこでいろんな作業をしているみたいな案があって
それが今回の無地裏の庭とも少し通じてくるなというのを思った
当時からそういった思想があったからこそ
伊藤さんの小金井の家をリノベーションするのに
まさにふさわしい人だなと思います
もちろんみんなの家プロジェクトにも携わっていたし
でも僕はなんか面白いなと思ったのはもう一つ
それこそ学生時代に実施であったプロジェクトで
ある公園の遊具みたいなものを作ったのがあるんですけども
それもある種土のような塊のようなものが浮いているというか
ちょっと浮いているように見えるような遊具で
そこはある種キーワードとして家みたいなのがキーワードであって
いろんな場所が要はあるんですよね
そういう多様な場所を遊具として作っていたんですが
そういったものをデザインすることができるような人たちなので
それも今回の無地名の庭ともつながってくるなというふうに思いました
ただやっぱりさっき言ったように構成とかルールとかというのは
居心地の良さと建築
強いなというふうに思っていました
作る作品も実際そういうところもありましたし
今日の話は僕の解釈なので多少そうじゃないだろうと
建築家の人が聞いても思うところもあるかもしれないんですが
そういうふうに僕は捉えていました
今回無地名の庭で見ていたら
そうなんだと思ってあの家だったんだと思って
建築の雑誌で見たときは
リノベーションっていろんなやり方があるんですけども
昔の要素をいかにどう残すかとか
でもやっぱり昔の良さをそのまま残すっていうんだったら
リノベーションする意味ってなんだろうってところもあるから
ある種新規性も必要な部分なんですよね
だから非常に難しいリノベーションというのは
そういうジャンルだなというふうに思っているし
それでいろいろ読んでいったときに
やっぱりOプラスHのお二人は
いかに開くかということをやろうとしたわけですよね
そこで印象深かったのが
ある壁もちろんつなげたところもある
1階の部分とかは間仕切りの壁を取って
つなげたという話だったんですが
2階の吹き抜けに出て窓に向かったところに
今壁があって
その壁を抜こうとしたらしいんですけど
伊藤さんがこの壁を残した方がいいよっていう話をされていて
そこでOプラスHのお二人がやったのは
60センチぐらいの大きさの小さい窓をそこにあげたという
この回答方法がすごい面白いなというふうに思ったんですよね
あと他の家もそうなんですけど
開くということを純粋に考えると
例えば縁側を作るだったりテラスを作るだったり
外との開くというやり方を考えるなら
縁側を作るだったりベランダ的なものを作るだったり
というふうな回答方法
あるいは本当に全面ガラス張りにして外と繋げました
という回答方法が分かりやすいですよね
多分一般の人にも通じる分かりやすさだし
建築の人も結構そういう部分あると思います
割と論理的にも説明できないといけない部分があるから
ある種分かりづるさというのは排除する方向にあると思うんですよね
そういった回答方法が分かりやすいから
そうするという部分が取る人が多いと思うんですよね
だけどやっぱりそこで多分伊藤さんがもし
東日本大震災のようなあれがあって
みんなの家とかっていうプロジェクトをやるような感じに
シフト考え方を変えていなかったら
その前までの仙台メディアテイクまでの考え方だったら
多分壁をなくすということを
良しとしていたのではないかなというふうに思うんですよ
でもそこでやっぱりああいった震災を通して
いかに人の居場所を丁寧に考えるかということの方に
シフトしたからこそ
ある種分かりやすさというものではなくて
より複雑にはなるけれども
そういった壁を残す
中途半端な壁という話も書かれていましたけど
あれを残すという判断の方が良いというのに至ったのではないかなというふうに思うんですよね
というのはあるし
やっぱりみんなの家プロジェクトに携わっていたマウプラスエイジのお二人も
ある種そういう極端な回答方法が
この場所に対してそれが正しいかというと
そうではないというふうに至ったと思うんですよね
もちろん壁を1回の壁なくしたりとか
窓を増やしたりとかというところはあったと思うんですけども
それを取ったということがすごい僕には面白くて
でもだからこそ一人でいたいなと思う人が一人でいれるし
だけどだからといって孤立しているわけではなくて
何か繋がりを感じられるような場所というのが
ある種その分かりづらさから
そうやって作り上げられたのかなというふうに思ったんですよね
あそこがもちろん円画とかでもない2階の感じとかって
だけど腰より何ていうか目線より上の
目線より上っていうかな
目線から上ぐらいの部分の場所が窓になっていて
外に対しても繋がりを感じられる
だからある種捉え方によっては
今言い方にもよるんですけど
中途半端な外との繋がり方だったりとか
中途半端な中の繋がり方なんですよね
でもその中途半端って多分表現が良くないからあれですけど
その感じが多分その居心地の良さを作ってるんですよ
そのさっき言ったような
一人で居たいという人は一人で居れる場所を作ってるし
だけど効率しない
なおかつもし他の人と話をしたいという時には
話ができるようなそういった繋がりを生んでいて
これはすごい僕は前にその円画的な場所という話をしてたんですが
これはこの回答方法はすごい鮮やかだなというふうに思いました
ある種分かりにくさもあるんだけど
そう分かりやすく作ろうとすれば
さっきみたいに円画を大胆に作ったりとか
ドマ的な中間領域を作ったりとかっていうことができるんだけど
それはなんかある種逆に排除してしまう可能性があるんですよね
一人で居たいけど一人で作業したいけどっていう人が
無地名の庭に見る空間の重要性
例えば円画的なというかより外と繋がりがあるような
繋がっている感覚がより強いものを作ってしまうと
本当は一人でやりたいんだけどというところが担保されないんじゃないかなと
極端なものを多分作ると
誰かを排除しちゃうみたいなことがあるのかなっていうのをより感じました
だからその曖昧さとか中途半端というかあれですけど
半透明みたいな話もキーワードでありましたけど
そういった透明ではなくて半分透明のような空間というのが
そこに必要だったのかなということを思いました
しそれを実際にできている例だなというふうに思いました
でもちろんね
庭の話を読むとそこの辺りというか建築の話も書いてあるので
それは見ていただければと思うんですが
一応その伊藤徹夫さんとかオープラスエイチのお二人の視点というところから
無地名の庭がどうしてこういう感じになったのかというのを
僕の解釈で話を今日はしていきました
居心地の良さの探求
だからねすごいねなんか
すごい偶然なんですけど
てかまあ本当にねこれは
そうそうお二人から無地名の庭の話たぶん聞いたけども
もちろん伊藤徹夫さんとかオープラスエイチのお二人の話とかっていうのは
全然建築の専門のお二人じゃないから
お二人って教えていただいて人たちから聞いてなかったので
なんかまさかっていうのがあったりとか
そうそうだからこそこれは僕は絶対読むべき本だったなと思うし
だからやっぱりそういうものの居心地の良さというのはすごく感じるので
なんか今自分の辞典をやってる時もそういうふうに思ったりもするんですよ
なんかある種極端な回答方法を取ろうとしてしまったり
ルール化してしまったりするっていうのがあって
でもそれは本当に豊かなのかっていうのは
自分の中で結構疑問に思っていたことで
ある種こう分かりやすい回答に依存してしまってるんじゃないか
みたいな思ってたんですよね
でも本当はもっと複雑で
何て言うんだろうな
まあ多分量儀性的なものもあるし
それこそ連馬的なものもあるっていうか
要は多分あんまり簡単に
建築ってある種形で回答しなきゃいけないけど
それが分かりやすいさを求めて
もちろんそれだけじゃないですよ
ただ単にガラス板にすればいいっていうだけの問題では
もちろんないんですけど
そういうところから考えていってしまう側面があって
僕はあってあるし
建築家の流れでもそれがないとは言えないと思うというか
そういうところも正直結構あると思うんで
そうじゃない回答の仕方
それは多分分かりにくさにも繋がってしまうけれど
でもそれが分かりにくいというか
極端にならないという反っていうのが
結構キーワードになると思うんですけど
そのバランスみたいなのを作るのは
すごく難しいことだとは思うんですよね
正直壁を残す
ここから何を家で言うと
無人の庭で言うと
あの壁を残すという
2階の壁を残すという判断
おそらくじゃああの壁をそのまま残したら
今の関係性でもないと思うんですよ
その60センチ角の
約60センチ角の窓を
室内窓ですよね
を開けたっていう
オプラスHの2人がやったことっていうのも
すごく重要であって
そのある種その小さな窓が
こちら側とあちら側を繋げている
でも繋げているけど
そこで遮られているから
居心地の良さがあるっていうのと
があるのかなと思いましたし
オプラスHが2人が学生で
若い時にやっていた
さっきの公園の遊具の話にも
通じるんですけれども
ある種いろんな居場所がある
あとねそもそも小金井の住宅っていうのは
フレキシブルな状態で
間仕切りの壁とか変えれたりとか
そういう仕組みのもので考えられていたので
だからこそそういうものできたし
でお二人が言った
いろんな居場所を作るっていうことが
実際あの壁に
壁を残すという判断と
その壁に60センチぐらいの大きさの
小さな窓をつけるということから
より多様な場所ができたのかなというふうな
気がしました
だからその何もしないということが
良いわけでもなくて
何かをしなければ
もちろんリノベーションはいけないっていうのもあるし
無地裸の庭という考え方に考えていくと
それが本当にベストだったと思うし
少しだけ繋がってるけど
ちゃんと安心感もある繋がり方みたいのもあると思うので
何かそれがあの場所に現れていて
すごく僕は興味深く
面白いなというふうに思いました
まだ年上までしか読んでないんですけども
無地裸の庭のところまで読んで
僕が建築家としての考え方も
ちょっと話をしたいなというふうに思ったので
今日はこんな話をしました
そうですね
わかりにくいところもあったかもしれないし
かもしれないですけど
僕にとってはすごいこの今
無地裸の庭の話から考えていくのは
すごい良かったなというふうに思ってます
最後まで聞いてくださりありがとうございました
それでは皆さん
スロースロースロー
32:01

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