1. 小松正史『耳を澄ませば世界が変わる』
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耳は、特別じゃなかった──新書の壁打ちで崩れた前提
2026-10-05 24:41

耳は、特別じゃなかった──新書の壁打ちで崩れた前提

目は世界の端っこ、耳は世界の中心。そう思って話したら、「それは違うだろう」と言われました。

言われてみれば、その通りでした。どの感覚を通っても、最後にかかるのは自分の気持ちのフィルターです。

新書の壁打ちで出てきた問いに、雨の中を歩きながら答えていきます。

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おはようございます、小松です。 またね、新書の壁打ちをね、ちょっとしようかなと思って、駅までね、とぼとぼと歩きますけども、
雨降ってんですよね。今日ね、あの、えっと、通信教育のね、えっと、あの、オープンデイというか、ホームカミングデイがあって、ちょっと1時間ほどね、喋ったんですけど、
いや、すごくね、130人ぐらい来てくれて、めちゃくちゃね、あの、熱心に聞いてくださってね、もう、即興も大満足いただけたっていう感じですね。
で、今日もね、私ごとというか、あの、ほとんど、えっとね、あの、一人ごとでね、やっていこうかなというふうに思っております。
それでね、えっと、まず共感覚の話なんだけど、えっとですね、河野先生がですね、企画書をちょっと書いたところがあって、それがですね、えっとですね、前提、共感覚の受講生の話があるんですよね。
前提として、僕は思っていたことが崩れちゃったというか、ま、目と耳の違いで、目はですね、えっと、ま、世界の端っこ、そして耳はね、世界の中心ということで、ま、あの、自分のその、えっと、感覚としてはですね、えっと、ま、聴覚の方が、ま、実感が湧くし、ま、生きてる、ま、なんか、ポジティブなものがあるんじゃないかっていうようなことを話したんですけど、
共感覚の方はですね、いや、それは違うだろうっていう、あの受講ね、受講の時にちょっと言われたわけですよね。えっとね、それは確かに、ほんとその通りで、関係ないですよね。
語感とかって、その中に音があるじゃないですか。それで視覚はその中の一部ではあるし、他にも感覚があると思うんですけど、結局はですね、全部のスケープね、エクススケープという言葉、ま、ぜひね、本書でも書きたいと思うんですけど、エクススケープの前提として人の主観とかね、あの感情があるわけですよね。
そこがね、あの、とてもポジティブだったら、何をね、どんな感覚回路をね、通したとしても、どんな窓をね、通したとしても、それはプラスになり得るし、そうじゃない場合は全然ダメっていうことなんですよね。やっぱり主観のフィルターがね、あると、どうしても人はね、どんな音を聞いてもね、どんなおいしいご飯を食べてもね、ダメっていうね。
で、それであの、まあ母が亡くなった時っていうのは、やっぱり2年ぐらい前にやりましたけど、その時はですね、やっぱり何食べてもね、まあね、おいしいものは出ますけどね、なんかそのお葬式の時に、なんか味があんましてない感じがするんですよね。
まあおいしいというか、まあ式が迫ってきて覚悟はしてたんですけどね、やっぱりようやく、ようやくじゃないわ、ようやくって言い方じゃないですね。ついに亡くなったかみたいなね、やばいな今の言い方は。ついに亡くなったか、亡くなってしまったのかみたいな感じで思うから、なんかね、そこですべてのものがね、やっぱりフィルターがかかるわけなので、
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だから耳の特徴、聴覚の特徴が優位というわけじゃないんですよ。やっぱり補ったりとか、視覚よりも扱いづらいところがね、やっぱり聴覚がありますからね。だからよしよしで聴覚は他の人がね、あんまり手がけてないからね、研究とか、まあ活動に、
ブルーオーさんだからね、レッドオーさんよりもね、競合相手少ないからいいんだろうっていうことは、僕はゼロじゃないと思うんですよね。いやいやいや、純粋に音が好きだからってなるけれども、あと僕は結構ね、なんていうかな、戦略的なとこもあるので、そこをうまく何かに使ってみようとかね、そういうのはあんまり口に出しては言わないんですけど、やっぱりそういうのって自分の邪気だとは思いますけどね。
聴覚に有意な文言を入れてね、やっぱり言ってる可能性が高いんじゃないかっていう。だから主観でそれがよしよしという生きていく術なところもありましたからね。やっぱりある程度、自分の活動を確立させるためにはね。だからどうしてもそういうのはね、仕方ないところがね、あるんじゃないかなと思いますよね。そういう正直な話でございました。
聴覚花瓶の人に1分間の代わりに何を進めるか。花瓶のね、集中、掘りのままでいったら一つでも実践を行う。聴覚花瓶の人のね、1分間耳取り、やっぱり一つあるでしょ。自分の内側の音を聞くということだよね。
たとえば息をする音とか、吸ってる音と吐いてる音の違いを認識していただくかとか、そういう感じで内側に向けた、外側に向ける耳取りっていうのは結構ありますね。音の数いくつ聞こえるかとかね、音の名前つけるとか、一番遠い音と近い音っていうね。
遠い音と近い音の中に人によっては体内の音をね、呼吸のことを感じたりとか心臓の音とかね、そういうのを感じる人がいてて、そういう場合は自然とね、そちらの方向になると思うんですけども、聴覚花瓶の人はとにかく外に対するね、敏感性がやっぱり高いので、内側に対する認識をね、軸を立てることによって、
結果的にね、アテンションをね、外から来る過剰なアテンションに対する防御というかね、そういうことをやってもいいんじゃないかなっていうふうに思ったので、そこら辺が多分回答になるんじゃないでしょうかね。
はい。あとは息子さんの色の話ね。カラーグレーディングを本に入れるかどうか。入れるのは第4章。質感をね。なるほどね。これはなかなかどうしようかな。子供が見ることもありますからね。だからちょろっと入れるのはいいのかもしれないですよね。
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息子が映像の表現を極めたいということでね、自分で撮影からして、編集。その中でもね、時間的編集というより質感の編集なんですよね。音で言うところの音色なんですよね。音色の分析というかですね。
音色のように色の配置みたいなものをね、すごく興味持ってるんですよね。僕はもう専門的なところがよくわからないんだけど、今って簡単に色をね、撮影というか、色というか動画撮影できますよね。
撮影したものに対して、デジタル機器なんだけれども、コンピューター上でアナログ的な効果を出すことができるんですよね。シネマティックみたいな。
フィルターを使うっていうのは、音でもあるんですけどね。やっぱり映像でも結構そういうのがね、人気になって。ちょっと違う話かもしれないけど、インスタの資格というかね、映像とか写真の提示で、やっぱり色合いをフィルターで何種類かかけることができるじゃないですか。あれはめちゃくちゃ安直なんだけど。
そんな風に、ちょっと昔風にとかね、ノイズを入れるとかね、そういうのがあったりすると思うんですよね。だからね、そういう感じのフィルターかけると安直だから、僕はあんまりそういうことはしないんですけどね。
映画で言うと、デジタルの前のアナログ的な色の表現ですよね。そういうのがすごく興味があって、それをデジタルの機器が手軽に使えることになったので、昔だったら、色の処理っていうのは原造ですよね。
暗室に入って、銀煙カメラの頃はね、フィルムの上でやっていくっていう感じだけど、それが物理的な液体というかね、原造液を時間的に長く入れるとかあるんでしょうね。僕はよく知らないんだけど。
それがデジタルの細かいところのパラメーターである程度処理できるんですよね。そういう処理する箱みたいなものがあってね、それを並べたりするような、そういう感じのプログラミングというか、直感的なプログラミングをやってですね。
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それで、進めていくというところなんだけど、僕は響きが音としてはすごく大事。意味よりも響き的なものですよね。そういうのがあるから、そこをしっかりと進めていくというかね、処理するということは僕はすごくやっているわけなんですけどね。ミックス、マスタリングのタイミングというか、そういう段階ですよ。
息子は色彩という言葉にはできないんだけど、確かに感じる質感ですよね。そういうのに処理をしたりとか、それで大きく変わるんですよね。雰囲気が、その作品の。
今の映像作品、商業的な映画があるじゃないですか。すごくカラーグレーディングをやってるんですよ。だからあんまりパッとしない映画でもカラーグレーディングが良かったら、それなりに見れちゃうんですよね。
だから響き的な、音韻的なものというかね、そういうものがあるというのがやっぱりね、カラーグレーディングの醍醐味であって、それがもう数年前ぐらいかな、10年も経ってないと思うんですよね。5年ぐらい前にそういうのが、まあまあ市販で出るようになって。
ダヴィンチっていうソフトがあるんですけど、それを使ったりとかして、楽しんでいるようですよね。それぐらいかな。
あとは、一人で聞くことと誰かと聞くこと。
しょうごの猫と一緒に聞いた日があって、それがおといくの言い口だってことを話したわけですよね。
街やの二重には別々に深く潜って、井戸の底で繋がっているみたいなことも話したし。
10日の糸井さんのあれかな、あるいは八甲の話だったのかな。独立存在ですよ、ビーング。孤立しているけれども、それが真実。
孤立と独立はどう違うかというのは、難しいよね。哲学的な本だよね。僕は内在的なものを出しているけどね。
だから一人で聞くことと誰かと聞くことっていうのは、やっぱり違う。同じでもあるし違うので、それって関係性だよね。
一つの価値観とか聞き方とかを一緒にしているコンテクスト、文脈があるメンバーにとっては、独立しているんじゃないかな、独立というか。
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一人で来たとしても独立できるじゃないですか。特定のアーティスト、推しのアーティストがいるライブなんかは、周りはあんまり分からないんだけど、一体感が出るっていうのはそういうところですよね。
一人一人は、一人なんだけど、そこに集う人たちが同じ共通したファンとか、価値を分かっていますよね。
初音ミクでもいいし、小松正文でもいいかもしれないけど。それで同じ時間帯を分かち合うっていうことは、すごく共鳴してやってるんですよね。だから独立してると思います。
独立っていうのは、典型的に街中の地下街とか繁華街なんかそうですよね。いろんな音とかいろんなところで鳴ってるんだけれども、周りがそういう価値観を分からず、赤の他人という言い方はちょっと失礼かもしれないけど、
誰も繋がりのない状態で一人で歩いてるっていう時なんかは、やっぱり独立なんですよね。例えばバスの音とか商店街のBGMとか流れたとしても、それを心置きなく聞くっていうより、ただ鳴ってる音っていう風にしか聞こえないんじゃないですかね。
公共的になっている音としてはね。それがやっぱりいたたまれないから、独立的なものを人って耐えきれないわけですよね。だからね、音楽再生プレイヤーでね、イヤホンかヘッドホンとかして聞く人が多いんですよ。自分の好きな曲とかね。
そういう音を聞く人もいれば、ノイズキャンセリングして、逆に周りの音を聞かない状態にするっていう。音は流さないんだけど、周りの音を相殺する。音楽とか人の話し声とかね。なんか仲良い二人とかが例えば話したりしてる時に、別の人がね、そういう音を聞くと、ちょっと気分によってはちょっとネガティブに思う場合だってあるじゃないですか。
そういう場合は、やっぱり独立なんですよね。だから、独立が嫌だから、ヘッドホンとかね、そういうので音を足す場合と音を弾く場合があるというかね。そういうところの傾向が多分あるんじゃないでしょうかね。
そして、本を閉じた後、読者の耳に一つだけ残したい音。蝉の最後か、盆生が山に溶けるところか。すごいね。
蝉の何か、ティンシャか。何を最後聞かせたいか。これは何か画意的かもしれないけど、本を閉じた時か。
それは僕がその音を提供というかね、提示したいとか、紙の上だからQRコードで音を聞かせるという安直なことはしないけれども。
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それは紙の上とか紙面上、文字でもあっても、それは僕が提示した音に過ぎないんですよ。
そういうと同等なイコーリティというか、等価な音は読者のあなたにはありますかということだよね。
そこは多分、そういう音を見つけてくれたらいいというか。だからそこは空白の日記みたいなものですよね。
そういう感じの終わり方がいいんじゃないかな。自分でそれを見つけていくというか。
見つけられなかったら、まず自分の体内の音ですよね。体内の音をまず発見してみましょうみたいな。
それって普段ほとんど聞き逃しているしね。発達障害のある方とか、自閉症の方は自分の外側に意識を結構向けるんですよね。
内側ってあまり向けれないからちょっといびつな状態になってね、すごく精神が不安定になるということがあると精神科医の方は言っておられますけどね。
だからそういう感じで、僕が大事に思っている音の風景、外側の音ね。さっき伝えたような盆栽の音とか、稲蝶の舟にあたる波音とか、そういうのは外側の音ですよね。
その外側の音で、読者も良さげな音がもしあったら、ぜひともそれは体感というか、思い出したりとか、大事に聞き直してもいいと思うんですよね。
それと共にね、やっぱりすごく大事なのは自分の内側なんだよね。
内側にある音っていうのが常に聞いてるんだけど聞いてない状態だからこそ感じていくっていうか、これマインドフルネスに近いところやね。
今ここみたいな、そういうのを感じるような時間というか、そういうところに促していくっていうような、結構自分に変えていくようなビーニングに変えていくような最後終わり方ができたら、めちゃくちゃいいんじゃないでしょうかね、この心象。
そこが多分この心象の良さというかね。こんな風に心象を書いてる時点で、書いてないよね。自分の整理だよね。それでできていくっていうのはすごく面白くて。
今日も何度か構成したけど、どんどんどんどん良くなってるんですよね。自分で手を入れることによって。
初め以来のね、僕が喋ったことの内容のプロットをいただくんだけど、そこからね、どんどんどんどん入れていくってことなんですよね。それをしていくとやっぱりすごくいい感じの配置になってくるんですよね。
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最後余韻を持たせて終わりたいな。余韻をふわっとするような感じのね、終わり方ってあるじゃないですか。
今日雨の音はね、シャーシャーって鳴ってるのね。車によってもね、フワーとかシャーとかね、すごいよね。車種によっても違うし、当たり方によってもね、この雨の音のね、走行も変わりますよね。
言葉にできない、それはね。フワーとかシャーとかね。フォーとかね。シャッシャッシャッシャッシュワーとかね。
今日もね、学生さんにね、講演会中聞いたらすごい色んな音ね、表現してくださいましたよね。
いやすごい、そういう表現をね、分かち合うことによって、より自分のね、認識とかね、自分の感覚、感性が整ってくるというか、磨かれてくるということを話したんですよね。
感性は授業中にはそれは教えられないけれどもね、感性どうしたら磨かれていくんですかということで言うと、2つくらい今回伝えましたよね。
まず1つは、さっき言ったような他者の存在で、他者がどういう風に音をね、同じ時間同じ空間で感じているかをまず実感していくということがまず1つありますよね。
あとはね、それを言葉にするということですよね。言葉はすごく深いよね。僕もずっと言葉で喋っているんだけれども、そこを自分で何とかね、やっていくっていうか、
作っていくということがすごく大事かなと思うんですけども、だから表現には穴があるんですよね、穴がね。穴があるけれども、そこをそういうもんだと思って埋めていくことも大事だと思うし、
穴に対して逆にね、いろんなことを同時に、限られた時間と限られた空間の中では伝えきれないでしょ、人ってやっぱり。限界がありますからね。
それをね、定観するというか、精査するというかね、それをして、磨いていくって言うんかな、文章を磨いていくっていうことだよね。文章じゃなくてもオノマトペでもいいし、単語でもいいんだけど、
そのあたりを磨き続けるというか、こね回すっていうことだろうね。だから喋ってるとか一家制とかね、音声配信、音声でいろいろ吹き込んでますけどね、それだけではちょっと良くないんですよね。
さっきもずっとコンピューター上ではあるんですけれども、
あのー、まあ、
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公正やってるんですね、吹行ね。やっぱり全然違うんですよね、吹行やるとアプローチの仕方っていうのかな。なんか全く違う。喋るのとすごく違うなっていうのがあるから、
それをね、やっぱり実感していただきたいなっていう感じだよね。だから自分がパパッと書いたオノマトペの文章ありますよね。それを寝かして、10日とか1ヶ月とか1年後とかね、
そういう感じで見ていくと、やっぱりなんかね、奇跡があるんですよね。人の奇跡というか、考え方の癖みたいなもの。そこをね、磨き続けて。でもほとんどそんなことしないよね、めんどくさいしさ。
ダメだよね、そんなことしないというか。そこをしないとね、文章とか何でも磨かれない。それが好きな人はやっぱり磨かれるんだよね、その前提として。
だからこれも方法論としてね、鑑賞や磨くとかって言ってるけれども、実はモチベーションというか、そこら辺のあたりでモチベが高いというかね、やってみたいなっていう感情のある人はやるんですよね。
例えば俳句なんかもそうですね。めちゃくちゃ俳句好きな人いますよね。俳句をやっていって、ものすごく出したりとかする人がいる。そういう、なんか体が勝手に動いてしまうっていうような、そういう感じがあるんですよね。
だからそれが音でもいいしね、今日だいぶ喋りましたけど、音の部分っていうか、別に特化することでもないし、特別中するわけでもないんだよね。
自分の存在を希少価値で大きく見せるとか、そういうものとして音を使うと良くないよっていうのは僕は思いますし、若い頃はそれも意図的にしましたよ、はっきり言って。
でもずっと関わってきて、そういうアプローチっていうのはすぐに消え去っちゃうんだよね。持続性がない、継続性がないということなんで。
だからそういう、それを上手く利用しようとか、勝ちようという感じだったらまだ弱いかもしれないけど、そういう感じで見ていくと、もうちょっと何か、本質に近いところ。本質っていうのも見つからないけどね、何なのかって言われたら、そんなもの見つからないよね。
つかみきれません、生きてるうちには。つかんだら神様になっちゃいますからね。そんな感じの印象ですよね。
何を言いたいかというと、今回の本を通して、自分に合った感覚の使い方っていうのを見つけてもらって、それをちょっとしんどいかもしれないけど、わりと継続的に磨き続けるってことだよね。
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それが多分音にしても何にしても出てきたらいいし、僕はそれがずっとたまたま続いてるってことなんですよね。そんな感じで今日配信、これ載せるかどうかわからないけど、一応答えました。こんな感じでいただいたでしょうかということで。はい、今終わります。
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