カナー先生っていうのは、精神科医は比較的知ってます。というか、みんな知ってます。
先生方は知っててほしいですよね。
ただね、残念なことに名前は知ってて、自閉症の話は聞いてたことは僕もあったけれども。
やっぱりね、児童の精神科ってちょっと別なんですよ。
違うんですか?
うんとね、違うっていうのはちょっと言い過ぎですが、ちょっと違います。
例えば教室によっては、本物の精神科プラス児童精神科っていうのを2つで講座を持っている教室もあったりして、
いろんな医学の分野の精神学の中でもいろんな分野があるけど、その中で児童って少し特別なんですよ。
確かに今は仕事柄精神科で行くことあるんですけど、子供さんって見かけませんね。みんな小児科行かれてますね。
そうなんですね。小児科行ってるのもあるし、児童精神科って別の科もあるんですよ。
大きい病院とかやったらね。
そうそう。一般の精神科をしている私たちって、この児童精神科っていうのは一通りは習うんやけれど、実際ですね、診療に携わるっていうことはあんまりないんですよ。
確かに確かに見かけないです。
児童の先生は児童の先生用の研修とかをして、そこで専門医とかをとっていくことになるので、僕もあんまり知らんのですよ、実は。
そういうことだね。精神科の先生でもあんまり詳しくは知らない。
詳しくは知らない。
じゃあ今日はいいですね。
ただね、この自閉症の問題はここ10年、15年ぐらいからすごく大きな問題になってて、つまり大人の自閉症というのも注目されているので、
僕たちも自閉症を勉強しないといけないということになって勉強させてもらっております。
なるほど。で、垣根が取れてきたってことですね。
まあ垣根はやっぱりあるんだけれど、僕らが知っているのはあくまで大人の自閉症のことはちゃんと物の役に立つように勉強はしているんですけど、
この児童の精神科ってまたちょっと別なんですよね。
なので、カナー先生の話は聞いたことがあったし、
今日は勉強する話は、なんとなくあらすじでは聞いていたことがあったんですけど、
ちゃんと勉強したのは今回僕が自分で勉強したということだったりとかして、
だからね、あんまりプロでも実はないんですよね、この領域の私はね。
だからまあとりあえず勉強はしてお話はさせてもらうんやけれども、という感じではあります、今回はね。
レオ・カナーはですね、1894年にオーストラリア・ハンガリア帝国の現在のウクライナのリビューという町に生まれます。
そうですか、今のウクライナですね。
リビューって聞いたことあります。戦争のああいう話題で時々出てきたなとかって僕は記憶に残っていたんですけど。
カタカナで書かれているのを見たことある気がします。
そうですよね。ウクライナの西部の町ですね。またポーランドとかに近いところみたいですね。
そこのこのユダヤ人家庭でお父さんは商人の方で、お母さんが結構勉強熱心な文化的関心が高い家庭のところで生まれたと言われてますね。
例に漏れず幼少時から学問とか言語に強い関心があって、文学とか古典が好きだったと。
賢い子ってことですね。
賢い子です。こういうところで話する先生はみんな賢いですね。
そうですよね。歴史に長残る方々ですからね。
そうですね。
1913年の19歳の時にベロリン大学の医学部に進学します。
25歳の時に医学博士を取得します。
これは小児科の先生なんですね。梁カナワさんね。
つまり精神科とかはあまり関係なく、一般小児科の先生として勉強するんですよ。
29歳の時に結婚して、看護師さんの奥さんを見取られて子供さん2人も受けるということです。
ところが翌年の1924年、30歳の時にアメリカに移住します。
この頃オーストリア近辺はユダヤ人差別とか不安定な政治状況があったみたくて、
梁カナワさんの一族はユダヤ人でしたから、ここでいるとやばいなということになったんだろうなと思うんですけど、
そこでアメリカ合衆国に移り住んで、サウスダコタ州の病院で小児科医として勤務を始めます。
すごいですね。オクライナからアメリカへ。
この時代、ユダヤ人の方が移民でアメリカに移住するということはあったみたいですね。
当然、梁カナワはこの当時、心身経営の小児科医だし、学者というか学問的なこともできる人ということでアメリカで仕事を始めるんですけれども、
1930年、36歳の時にジョンズ・ホッポッキンス病院、ボルチモアのところにある有名な、超有名な病院に招聘されます。
聞いたことありますね。前にも出てきましたよね。
ジョンズ・ホッポッキンス病院って、アメリカで一番の病院でした。
そうなんや。
今でも3番か4番らしいんですけれども。
すごいですね。大きいってことですか。
大きくて、レベルが高くて、医療レベルがいい先生がたくさんいてて、すごいちゃんとしているという病院なんですけど、
そこのところの小児科の先生の児童精神科部門を設立するときに、梁カナンさんはしませんかということで招聘されました。
初ですね。
初です。今までそういう児童精神科というのはなかったんですけど、梁カナンがなぜかそこで招聘されるということになりました。
まずこの時代の背景から言うと、1920年代から30年代っていうのは、アメリカではですね、ヨーロッパもそうなんですけれども、児童に関する研究っていうのも注目されていました。
問題児っていうか、そこに問題がある児童っていうのがわりと注目されてて、それでこの学校とかですね、心理学者さんとか医学者さんとかが連携して対応しないといけないよねみたいな話になってたりとか。
それでこの児童指導クリニックみたいなのが始まってたらしいですよ。
指導?
そう。
指導クリニック?
医療っていうのはまだここにはできてない時代なので、ちゃんと指導しないといけないような考え方があって、そういうクリニックがシカゴとかニューヨークでは流行ってて。
ただこれを主にしていたのが心理学とか社会福祉とかの先生方がやってたので、医療っていうのはあまり関わってなかったんですよね。
ということで、やっぱり医療もここに関わらないといけないよねって考えられてたという背景がありました。
実際このレオ・カナーを呼んだのはアドルフ・メイヤーっていう精神科医の中心人物です。
この当時のジョーンズ・ホップキンス病院の精神科分野の主人ですね。
アメリカでも中心的な方です。精神医学の中でアドルフ・メイヤー。
この当時64歳ですよね。
カナーを呼ぶのが36歳なんですけれども、つまり30歳ぐらい年の差がある先輩なんですけれども。
カナーを招聘するんですけどね。
なんでこのメイヤーはカナーを呼んだかっていうと、カナーっていうのはとても小児科出身で言語能力とか、
言語能力というか、つまり多言語をうまく操れる方。
もちろんドイツ語はもともとの母国語でしょうし、クライナー語とかも多分サーバーデータでしょうし、
もちろん英語も十分堪能屋ということで、この当時ってやっぱり学際的にいろんな言葉大切だったみたいですね。
小児科医としての実力っていうのも有名だったみたい。
この先生にお願いしたらいけるんじゃないかっていうことでメイヤーが見つけて呼び出されて、
児童精神科分野の主任として赴任することになります。
この時代、実はアメリカは1929年、その前の年ですけれども、大恐慌になってますね。
なるほど。
すげえ不況になってて、ニューディー政策とかっていうのを行われているような時代ではあります。
第二次大戦にアメリカも突入していくことになるんですけれど、
ちょうどその時代にカナーがホップキンス病院に行くということですね。
そこからカナーはすごいんですけれども、41歳ですね。
そこから5年後なんですけれども、もうすでに児童精神医学の教科書を出します。
すごい。出せるぐらい。
いろんなことを5年間の間に手に入れているってことですよね。
そうですね。
すごいな。
だからやっぱりこの先生は賢いというかすごいよね。
そうですね。スピード感がすごいですよね。
だから一つの学問を作られて、ないところから作ったりして、
児童の精神医学の初めての教科書を作るということです。
主にカナーの精神科医としてのスタンスですけれども、
生物学的思考とかって言うとかってね。
生物学的って何やって言うと、脳とかの方を中心に考えるという学問と、
生物学に対応して心理学っていうのがあるんですよ。
つまり心の起死済みというか、
折々の動きとかを中心にする学問という学派があるんですよね。
生物学的、つまり脳の方をしっかり考えて、
児童精神の方を見ていきましょうという立場で、
カナーは学問を作っていきます。
この先生っていうのはただ研究者というよりは、
むしろこの温厚で人間的な臨床医という側面が強かったみたいですね。
そうなんだ。
学問ももちろん優れてるんやけれども、
どっちかって言うたら臨床医より。
優秀な先生って結構研究の方に走る人多いですけどね。
基本はこのカナーっていうのは臨床医よりです。
僕のイメージで言うとあれなんですけれども、
児童精神科医の先生って基本こういうパターンが多いような気がする。
なるほど。
割と子供さんに寄り添ってみたいな姿勢を取られる方が多いイメージがあるかな。
私の知っている小児科医の先生もそうかも。
小児科の先生もそうですよね。
大体こういう小児科とか児童精神の先生っていうのは、
主に子供さんを接してるからからも分からないけれどもというイメージが僕にもありますね。
カナーもそんな先生でした。
カナーの診療スタイルがいくつか有名なのが伝わっているのがあって、
まず一つは子供の言葉をそのまま記録する意思っていうのも特徴だったみたいですね。
子供の発言を畜語的に記録すると。
実際カナーの論文でも子供の発言をそのまま記載とかするんですよ。
かるでそのまま書いてあったりするのかな。
そうです。それが結構大切だっていうことですね。
子供の発言そのままっていうのに大きな意味があるっていう風に考えていたみたい。
ただその当時の精神医学はどっちかっていうと解釈中心ですよ。
そうでしょうね。
つまり例えば現状ありとかね。
現状ありって書くんじゃなくて、誰かの声でこれこれこう言われるっていう風な記載をするのがそのままってことになるんやけれど、
この解釈ではなくてそのままを記録することっていうのをカナーは貫いてたって言われてますね。
今の精神科医の先生はどっちなんですか?
これは両方書けって言われるね。
医学的にも。
なるほど。
実際何を言ったかっていうこととどうそれを解釈するんだっていうことを並立して書きなさいと。
かるでの書き方っていうのがそれぞれこの時代から現代にかけて変わってはくるんですけど、
今の一つのベースはそこかな。
実際見たままのこととそれをどう解釈するかっていうことと、その評価と計画と書きますみたいなね。
そのようになってますね。
あともう一つ診療のスタイルで有名なのが診療時間が長いと。
待ってる人は辛いね。
辛いというか多分待てないんだと。
カナーは一人の患者さんに2時間から3時間使いましたっていうのも有名です。
と、午前中一人ですね。
午前中一人、午後から一人か二人っていうところで時間切れっていうところですね。
当時の外来の小児科の先生もゆっくり見る方は多かったとは思うんやけれど、
それにしてもカナーの時間っていうのは長いなって言われてて。
これでも勉強して読んだときに気づいたのがあって、
僕が直接習ったわけじゃないが、斜めで見てた先輩が、児童をやってる先輩がいてて、
その先生の診察は確かに1時間くらいしてた。
あ、そう。
先生何してるんすか?とか言った記憶があるんやけど。
何十人って町会議室にいるからね。
もちろん精子トラは特別外来でしてるんですけど。
1時間か。
1時間、その時代でも平成の初めくらいかな。
引退した先生ですけど、児童もしてる精神科医でしたけど。
そういう伝統がやっぱりあるんかなって思いましたね。
この2時間何してたかっていうことなんやけれど、
これ遊ぶんですよ、二人で。
先生と子供が?
先生と子供が遊んだり、親の話を聞いたり、
子供の行動をまったりってすることが必要やって考えてたみたいですね。
待つね、これ子育て大事なんですよね。待つ。
彼の言葉が残ってて、子供は急がせると本当の姿を見せないって考えてたらしくて。
すごくうなずきます、私。
そうですか。
急がせたらあかんわ。
なるほどね。そういうことをかなは考えてたみたいですね。
なるほど。
あともう一つ有名なのが、親への共感的な態度っていうことも有名だったみたいね。
親を擁護する発言が多いと。
病んでる子供さんが来たときに、親もいたばるっていうことね。
逆にその子供さんが病気になったことに対して、親が責められるっていうこともあったりもするから、
親は原因ではないですよ、親も苦しんでるんですよ、みたいなことを抗議で話したみたいなこととかね。
昔、ちゃんとそんなふうに言ってくださってたよね。
そうみたいですね。
お母さんに対して、あなたの育て方のせいでこの病気になったわけではありませんと、何度も説明していたみたいなことが書いてたみたいですね。
現在と一緒ですね。
ついつい親御さんってそんなふうに思ったりとか、周囲の方から思われたりもするもんね。
あと子供さんの診察なので、長期のフォローも重視してたって言われてて。
後にカナーが自閉症の初めの11例を発表するんですけど、そのそれぞれについても十数年後まで追跡した、みたいな記録があります。
なるほど。
子供さんはどんどん成長するからな、どういった大人になってっていうこともやっぱり見ないといけないなと思ってたんですね。
なるほど。
そうした信条をするようなカナー先生なんですけど、実際に家族との関係はどうだったかっていうのも一応残ってて。
ご自身の家族ね。
ご自身の家族です。
これもいい話ですわ。
素晴らしい。
カナーは家庭的な人物でね。
仕事中心ですけれども家庭も大切にしたって言われてて。
奥さんが看護師さんのもので、看護師さんっていうこの見方っていうのも大切にしたって言われてますし。
奥さんはですね、カナーと話したときに、彼は帰宅後も子供の話をしていたと。
一方、秘書義務を守って、別に詳細は語らなかったけれども、いろんな話は私にしてくれたみたいなことは言ってましたね。
あと子供さんが好きで、カナーはね。
自分の子供だけじゃなくて、近所の子供とも遊んだとかね。
教え子の証言としてあるのは、カナーは床に座って子供と遊ぶような教授だったみたいなことが書かれていました。
一時間の診察の中もそういうときあったんでしょうね。
あったんでしょうね。
やっぱり当時としても珍しいかなと思いますね。
今の、僕らも平成の初めに医学生の私だったんですけど、
このときに私が習った小児科の先生も、学生にはちょっと厳しい先生でしたけれども、子供にはすっげえ優しかったな。
それが記憶に残ってますわ。
すごいな。
やっぱり教授先生ってそういうスタイルってある。
みんながみんなそうじゃないんでしょうけども、そういう先生もいてたなと思ってますね。
なんか思い出しました。
カナーは当然診察もして家庭でも過ごして、あと教育も行うんですよね。
若い小児科の先生とかを育てるということにはなるんですけども、
指導者としてはどうだったかというと、怒らないとか批判しないとか、観察を重視するとかね。
あまり厳しく指導する先生じゃなくて、質問をすることで教えるということみたいですね。
温厚な先生な感じですね。
温厚な先生ですね。
有名な指導スタイルというのがあって、研修医の先生が患者さんへの診断を言ったときにカナーはどう答えたかというと、
それはあなたが観察したものなのか、あるいはそれは解釈したものなのかという質問をしたとかね。
実際に観たものと考えたものを分けなさいということね。
これ結構発達診断とかでは大切にはなるんですけれども、
観たものなのか、こっちで解釈したものなのかというのを分けていくということですね。
大切なことですね。
例えば教え事のあるエピソードで言うと、ある研修医がこの子は自閉症ですって言ったわけね。
カナーがなぜそう思うんだって聞いたらね。
研修医が目を合わしませんってね。
まあそういう一つ有名な特徴があるんですけれども。
カナーがその後に聞くんですね。何秒見たんだってね。
つまり目を合わさないっていうことを、何秒あなたは見たんですかみたいなことを言うわけですね。
観察を何秒したかってこと?
そうそう。目を合わしてないっていう時間がですね。
何秒間この患者さんはあなたと目を合わさなかったんですかみたいなことを聞くわけですね。
それは当然答えられないんですけれども。
カナーはそれを数えて私に言いなさいっていうことね。
なるほど。
つまり単に答えを言うんじゃなくて、実際の行動を伴うようにしましょうみたいなことで言われています。
カナーっていうのは教え子の証言としては非常に優しい紳士だったり、子供に敬意を払った最初の精神科医だったみたいな証があったりとかしますね。
すごいな。
カナー最大の発見が1943年、彼が49歳のときに発表した論文で自衛省の発見を行います。
11例の子供を報告して、このそれぞれの方が自衛省という病気を持っているんですよということを提示します。
11人いるんですね。
11人の子供を出すんですね。
つまりね、それまではもちろん自衛省という方はいらっしゃった、当然いてたと思うんですけど、考え、無視されてたわけですよね。
無視という言い方はあれですが、その病気としては見られてなかったわけですよ。
よくわからんって感じなんよね。
ちょっと変わった子がいるよねっていうこととか、あるいはいわゆる精神事態というか知的障害の方とほぼ同じというふうに考えられてたりとか。
あるいはその当時ですね、児童統合失調症という病気もあるとされてて、大人でいうところの統合失調症というのが児童にもあって、それが自衛省みたいな症状を出すんじゃないかみたいな考え方もあってですね。
なるほど。
精神病として考えられてた問題もあったみたいですね。
カナーはそういった中から、つまり児童の統合失調症とか知的障害の中から、自衛省っていうものがあるんですよっていうことを発表しました。
すごい。
どんな特徴を言うたかというと、実は今にも通じるんです、カナーが指摘したのは。
例えば6つあってね。
対人関係の障害と言語発達の異常とか、あるいは同一性の保持への寄与、こだわりですよね。
常動行為というと同じことを繰り返す。
早期発症といって、小児期の早い時期から発症します。
知的能力にはばらつきがあります。
この6つのことを提示するんですけどね。
いずれも現在の21世紀になっても、自衛スペクトラム省の中の中核的なものとほぼ重なってますね。
論文の名前でですね、常動的なコンタクトが自衛省では障害されるっていう名前がついてるんですけれども、
この常動的な接触っていうね、アペクティブコンタクトっていうのがあるんですけど、これの障害があるっていうふうな表題なんですけどね。
常動的な接触っていうのは喜怒哀楽っていう常動ですよね。
あれとか他人への興味を示すような、そういう気持ち、その動きの気持ちがあるじゃないですか。
これがもともと障害されてるよっていう自衛省の大体のイメージなんですよ。
カナがいたのはね。
これ大きくは間違ってはないんですが、もうちょっと正しく言うと、
自衛省の方っていうのは、この常動的な接触っていうのは、常動自体は存在するんです。
むしろそれが敏感な方も多いぐらいなんですけれども、
それをうまく他人と共有する能力が偏っているというのが正しいかなと思うんですけどね。
っていう一群を発見するわけですよ。
なんか今ちょっと私、うちの事業所にいる方をいろいろ思い浮かべながら聞いてて、
ああ、なるほどって漠然と思ってます。
漠然と思ってますかね。
ざっくり理解するのがちょっと難しいんですけど、
あえてちょっとえいやというふうに振り返って、
この自衛省の症状の特徴を大きく2つ挙げるとするなら、
社会的なコミュニケーションが難しいっていう特徴と、
反復的なこだわり、これがあると。
この2つが特徴と言われてますね。
例えばこの社会的なコミュニケーションが偏っているっていうのはどういうことかというと、
目が合わないとか、名前に反応しないとか。
反響言語っていうのがあって、
他人が言った言葉をそのまま繰り返すというような反応をするのも特徴的だったりとか。
あと代名詞の逆転っていうのも特徴的に言われてて、
あなたとか私とかっていう言葉、代名詞あるじゃないですか。
あれを逆に使っちゃうんですよ。
っていうのもちょっと特徴と言われてますね。
確かにそうですね。言われた言葉をそのまま言ってるときありますもんね。
ありますかね。
こういう人とのコミュニケーションへのこだわりというか特徴っていうのも持たれてたりとか。
あとこの反復的な形式っていうのは何かっていうと、物への執着とかね。
変化への強い抵抗。
同じところでないとダメっていうこととか。
あと感覚過敏っていうのもあります。
音とか光への過敏性っていうのがありますね。
大体この2つに分けられるんですけど、自変症の特徴ですね。
とはいえね、これを言うと思ってパッと聞いたところで、
見てない人はよくわからないよねっていうのが正直だと思うんですけど。
自変症っていうのはよく聞くし、目にもすると思うんですけど、
実際どうよっていうのはすごくよくわかる人と想像がつく人と
全然わからんって抽象的な、ただの病名みたいに感じる方もやっぱり多いと思うんですよ、一般的には。
ちょっと難しいんでね。
ただこの自衛所の概念っていうのはこの後21世紀になって結構広がってですね、
多くの人たち、もっと多くの人たちがもっと軽いのを持ってるっていうことも分かって、
そういった概念を知っていると割と過ごしやすかったりとか。
楽に生きるっていうことにもつながるので。
ちょっと自衛所のことっていうのは、
21世紀を生きる人間としては知っておいてもいい話かなという気もするんですけどね。
そうですよね。これってちょっと話飛ぶかもしれんのですけど、
今自変症の人って増えてます?割合的には変わってないの?
実際診断される人は増えています。
これはでも実際の人が増えているというよりはおそらくですけれども、
こちらが医療の側が診断する精度が上がっているとか、
あるいは診断基準を拡大しているのもあるので、
実際増えているのかなと思うんですけどね。
なるほど。診察受けやすくなったっていうのもあるしね。
そうですね。
まだどこかで言ったかもしれないけど、
やっぱり他人との交流っていうのが結構求められる社会になっているのも問題なのかなと思うんですけどね。
なるほどね。
例えば今時すごく他人との交流を重視するっていうのは、
例えば学校の講義とかで、
普通僕らの時って昭和の時代って講義をただ受けるだけだったじゃないですか。
小中高大もそうですけども。
今ってそうじゃないんですよ。
もちろん講義も受けるけど、その後グループ学習して、
少人数の中でいろんな議論をして、それを発表するみたいなのがね。
もう福祉の研修そればっかりよ。
グループワークばっかりよ。
あれ流行りですよね。
最近というかずっと流行ってる。
でもあれって、
政省とか他人との交流が苦手な人だとどうも苦手なんですよ。
いやそれさ、ちょっと話飛ぶんですけど、
サッカークラブで今もう20人超えてるので、スタッフ全員入れると、選手も入れるとね。
一堂に会議するって難しいじゃないですか、社会人なので。
時間は合わせられないし。
なので夜ズームで会議しようということになるんですけど、
これズームで全員が顔写ってる状態って全然しゃべらないんですよ。
だけど小部屋にみんな分けるでしょ。
各ルームでいろんな話をまとめてっていう風にした。
私はいろいろいろんな部屋に勝手に入って覗きに行くんですけど、
結構みんなしゃべるんですよ、少人数だったら。
これって日本人の特性なんてちょっと思ってたんですけど、
ヨーロッパの人とかアメリカの人って割とちっちゃい時から、
その提携の学びじゃなくって、ディスカッションすることに重きを置いた教育を受けるじゃないですか。
ああと言いますね。
でもアメリカにもヨーロッパにも自閉症の方っていらっしゃるでしょ。
はいはい言ってます言ってます。
こういう時ってどうなるんだろうと思って。
だからやっぱり日本よりも激しく違和感を持たれるんじゃないでしょうかね。
そうよね。本当にしゃべらない子、しゃべらないのかしゃべれないのかがわからないんだけど、
どうしても集団が大きくなった時に言葉を出せない子っていうのがいるので。
日本人は割と苦手な人多いですよね。多いでしょうね確かに。
自閉症とは別。
僕も苦手やけど。
そうなの?
そんなことない。
マリモ先生結構言うけどな。言ってるよ。
言ってるかな。
例えばそういうのって大学の講義とかあるじゃないですか。
割と大人数の大講義室みたいなところで、
教授が質問ある人みたいなことを言った時に、
あったとしてもそこではいって言えるかどうかって言うと、
僕ちょっと言えない人かな。
私もどっちかって言わないかな。
ああいう場面で例えば欧米とかの学生さんっていうのは、
はいはいっていうのが正しいというか、そういう姿勢を持たれてるけど、
日本人ってあんまりそういうのないよね。
ないない。
でも今は違うのかな。
いや言わないと思うよ。
ちょっと自閉症とは離れちゃったんやけど、
自閉症の方っていうのはそういう時に、
言いたいんだけど言わないでおこうとかじゃないよね。
そうですね。
僕らが言いにくいっていうのは、
自分が悪く見られるから恥ずかしいとか、
失敗したら嫌だみたいな。
っていう思いで言わないわけだけれども、
彼らの場合はそうではないでしょうね。
ですよね。
自閉症のタイプとして結構ワーッと言う方の自閉症の方もいらっしゃいますわ。
そういう場面でいわゆる空気を読まずに発言しちゃうという方もいてたりとか、
あるいは逆に全く言えないっていう人もあったりして、
でもそれはちょっと僕たちの定期発達の人が感じる言いにくさとはちょっとまた違うんかな。
違うんよね。
そこをやっぱりちょっと理解をしとかないといけないなと思ったんです。
自閉症を知らない人は。
そうなんですよね。
だから恥ずかしいからとか自分が失敗するから言いにくいっていう僕らが言う戸惑いなのと、
自閉症の人が言う他人の方とお話しできないっていうのはちょっとまた違うんよね。
違うん、違うん。そうなんですよ。
そういうものではないんですよね。
そうなんですよ。
どうしても自分のものさしでスケールで考えがちやけど、
全然違うものなんよっていうところをちょっと想像しておいてもらいたいですね。
そうですね。
つまりこの自閉症の方が持っている世界一つの他人との交流の仕方っていうのがあるので、
それをある程度僕たちも理解するというか付き合うということがやっぱり大切なのかな。
そうですよね。
うまくお話しとかするときにはね、その方とかね。
そうそうそう。
そういうのも経験にはなりますけれどもね。
なかなかそういうの初めてだと大変ではありますけれども。
そう、違いがわかりにくいとこあるかなと思って。
だんだんわかってきますけどね。
続きは次回お送りします。