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2025-12-05 29:56

クロルプロマジン誕生の舞台裏:戦時フランスの精神科病院から始まる物語

飢える病院、乱用される拘束、治療なき時代——そんな極限の環境から精神医療の革命は生まれました。

第30回では、初の抗精神病薬クロルプロマジンがどのように誕生し、20世紀の医療の地図を塗り替えたのかを専門医が解説します。ナチス占領下で4万人が餓死した精神科病院の現実、共同体運営で危機を乗り越えたサン・アルバンの奇跡、そして薬の登場がもたらした劇的な変化を、多角的に読み解きます。

 

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サマリー

このエピソードでは、抗精神病薬クロルプロマジンの誕生と、その背景にあるフランスの戦時精神科病院の厳しい状況を探ります。ナチス占領下での医療が直面した困難や、サン・アルバン病院の共同体的アプローチが後の精神科治療に与えた影響について語られます。また、戦後のフランスにおける精神科病院の状況とその治療方法についても解説されます。特に、精神疾患の患者に対するアプローチやアールビルットの重要性、戦後の患者数の増加とその要因が取り上げられます。クロルプロマジンの誕生は、戦時フランスの精神科病院に起源を持ち、その時代の医療と人道的な問題が浮き彫りになります。医療の進歩が遅れる中で、患者や医療従事者の厳しい現実が描かれます。

クロルプロマジンの革命的な治療
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。
この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在開業医のマリモ等。
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、
もう一つの事業、運営する社会人サッカークラブが県リーグ優勝で地域リーグを挙げるため、各県上位にチームが出て戦うリーグへ進出することが決まった桜がお送りします。
初の抗精神病薬、クロルプロマジンによる精神科の革命です。
抗精神病薬というのも難しいし、クロルプロマジンというのを初めて聞きました。
はい、ありがとうございます。
ちょっと初めの情報が多くて、紹介してくれませんが。
とりあえず始めますね。
今日はクロルプロマジンの話です。
クロルプロマジンというのは、抗精神病薬と言われるお薬なんですけどね。
それで、現代の精神科医療が変わりましたよという話をするんですけど。
抗精神病薬って何かという話ですよね。
はいはい。
これですね、精神科の薬っていろんな呼び方があるんですよ。
一番広い呼び方っていうのは、抗精神薬って言って、向かうっていう漢字に精神薬って書くと。
はいはい。
抗精神薬っていうのは、全ての精神科で使うお薬を含みます。
その中の一つに、抗精神病薬っていうのがあって、抗うに精神病の薬って書くんですよね。
はい。
精神病に効果がある薬っていうのが、この抗精神病薬なんですね。
戦時中の精神科病院の状況
この病が入ってるかどうかで、ちょっと意味が違うということになります。
そうですね。耳から入ってくるのはちょっとややこしいですよね。
感じてみたら、病が入ってるかどうかでわかるんですけど、聞こえにあったらどっちか難しいですよね。
ちなみにまだ抗精神薬って、この広い方の中には、この抗精神病薬以外にも、気分安定薬とか抗鬱薬とか睡眠薬とかがあると。
なるほど。睡眠薬も入るんですね。
うん。睡眠薬も一応入れていいかなと思うんですけどね。
ここってちょっと微妙な色分けなのであれなんですけど、いろんな精神科の薬という意味ですね。
はい。
クロールクロマジンっていうのが初めにできた抗精神病薬なんですけど、この精神病っていうのはなんぞやってことなんですけどね。
そうですね。そこからですよね。
いろいろ精神科には病気があるんですけども、その中の一番大きいというか有名なのが精神病と言ってて、これは一般名詞なんですけどね。
医学用語としては精神病って使う場合もあれば、あんまり使わない場合もあるんですけど。
医学的に言ったらこの統合失調症を中核とするような病気の群を精神病と言っていいと思うんですけど。
はい。
だから今日はこの精神病とかっていうのが出てくるんですけど、主に統合失調症と思ってもらっていいと思うんですよ。
はい。
だからこのクロールクロマジンっていうのは、初めに統合失調症に効く薬として開発されましたよっていうことの歴史を見ていこうかなと思います。
このクロールクロマジンが開発されたっていうことなんですけど、この20世紀の偉大な医学というか、薬の発明の3つのうちの1つって言われてるんですよ。
おっ。
言われてるって言い方悪いですけど。
そんな大きいことなんですね。
アメリカの精神薬理学者のレオ・ホリスターさんっていうのがですね、この方は2000年に亡くなったので、20世紀にずっと活躍してた精神薬理学者さんなんですけどね。
その方が自らの人生において、今まで3つの医学的な奇跡に遭遇したというふうに講演で述べたというのが伝わってて。
まず初めがペニシリンだと。ペニシリンは、当初これが開発されるまでは死ぬはずだった病気の感染性シンナイマイクエンの患者さんが救われたのを見たと。
2番目がフクジンヒスステロイド。ステロイドっていうホルモン剤ですね。これが人間に作れることになったんですけど。
これのせいで間接流末で車椅子生活しか送れなかった患者さんが病棟で立ち上がって歩き回ったりすることもできるようになったのを見たと。
この2つは聞いたことありますよね。素人でも。
そうね。ペニシリンとステロイドですね。
ステロイドっていうのは。
これが20世紀に開発されて。もう1個がクロールクロマジンで。これは今まで治療できなかった精神病の幻覚とか妄想が良くなったよっていうのを見たと。
この3つ目に入ってるんですよね。
クロールクロマジンをはじめとした精神病薬がないと現代の精神科医療は成立しないと思いますね。
実際多くの患者さんを救ってきて、それに付随する私たち医療関係者も支えている薬剤かなと思うんですよ。
1952年なので、第二次大戦が終わってから7年後に開発されたんですよ。
そうですよね。
だから結構戦後間もなくに開発された薬なんですよね。
最近ですもんね。
最近という言い方は1950年なので。
長い歴史から見るとね。今まで勉強してきたね。すごく古い時代から。
比べると20世紀の半ばに開発されたっていう感じですね。
ちょうどこの時代にペニシリンはちょうど40年代とか30年代に開発されて、戦後使い始められてるし、ネステロイドもそのぐらいにできてるし。
だいたいこの時代になぜか画期的な薬ができてるんですよ。
文化的に一歩進んだんかもですね。
そうですね。戦争が明けてっていうことかもしれないね。
まずはじめに、第1回目はクロール・クロマジンが発見される前の時代の精神科の話をしようかなと思うんですけどね。
クロール・クロマジンが開発されたのはフランスなんですよ。
その前の話をしようと思うんですけどね。
第二次大戦の時にフランスはナチス・ドイツと戦って一旦負けるんですよね。
そうですよね。
降伏してナチスに占領されるんですよ。
そこから話が始まるんですね。
なるほど。そこまで戻りますね。
パリが占領されるんですよ。ナチス軍に。
それはそれなんやけど、市民がどうなるかっていうことなんですけどね。
市民生活は当然ですね、このドイツ軍優先になって
物資とか食料がなくなったりとか、強制労働に刺さられたりとか
フランスのユダヤ人も迫害されたりとかっていうことになるんですよ。
一般の人たちに最も影響があったのは、この食料とか物資の不足っていうのがあったようですね。
戦争ですもんね。
だからフランスの食料とかがドイツ軍が奪って
ドイツ軍の、あるいはドイツ本国とかに送るということになって
フランスではとても食料危機になるわけですよ。
1940年からフランスの占領地域では食料が配給制度になったっていうことがあるようで
パンとか肉とかチーズとかね、その必要なものが配給制度になって
とてもカロリーが少ないと。
1人1日当たり1180キロカロリーって言われてるから
めっちゃ少ないですよね。
なかなかですよね。
これが一般の方なんですけれども
隔離された精神科病院では一番影響が強かったって言われてるんですよ。
なるほど。
だからこの前ですね、占領される前までも
精神科病院というのは結構収容される体制で
精神疾患を持っている患者さんが精神病院に詰め込まれている状態だったんですよね。
そこのところでいきなり人はいなくなるし
食料も減るしということで結構大変な状況になるみたいですね。
実際この占領されている1940年から45年の間に
4万人以上の、4万人が亡くなった。しかも我死したって言われてるんですよ。
4万人ってなかなかの数ですよね。
今皆さんがお住まいの町に比べて何万人の町に住まれているかによりますけど
ちょっとゾッとしますね。
戦争が終わった後の1946年の精神科病院で入院している患者さんが7万人と言われていたので
ところも5年間で4万人亡くなったと言われているわけだから
全員その年に亡くなったわけじゃないけれども
でもその4割くらいの人数が我死に近い感じになったと。
すごい状態ですよね、これってね。
今の時代からは具体的な想像ができないですよね。
数字ではイメージするけど、どんな状況?それって感じですよね。
だからこの時代のフランスの精神科病院って
とても過酷な状況に追いやられたよということがわかっています。
サン・アルバン病院の共同体活動
その過酷な状況の中で1つの精神科病院だけ
我死者を出さなかったという病院があって
フランスで?
フランスで。
すごい。
これが山の中にあって
ドイツ軍が直接めっちゃ進行したわけじゃない地域だったせいもあるんですけれども
フランスの中におる先生がちょっと特殊なことをやってたということがあって
1つ間逃れたという病院があるんですよ。
これがサン・アルバン病院っていうのがあって
フランスの南部の産地にある病院なんですけどね。
めちゃめちゃ大きな町にある病院じゃないんですけれども
田舎の中にある公立精神科病院で
ここの中にフランスのトスケルさんっていう
スペインから亡命してきた精神科の先生がいてたんですよ。
ノチスに占領された時にも
このサン・アルバン病院でフランスのトスケルさんっていうのは
共同体にしようということをしたみたいですよ。
共同体とは?
普通の病院って管理する人が当然いてるわけじゃないですか。
患者さんを養生するということなんやけれども
患者さん自身を病院の運営とかにも使っていくというか
共同で生活しましょうということにして
食事とか作業とか
どんなふうに決めていく病院を運営するかっていうのを
患者さんも入れてやろうと。
実際この農業とか芸術とか工業的なものも
患者さんと一緒に作っていこうということをしたみたい。
それでその共同作業をして食料を自給して
合社を出せなかったと。
なるほど。皆が働きてね。
皆が働きてね。働いてと。
その文化活動というか
患者さんとか職員の方とかが詩とか絵画とか演劇とかしたり
新聞を発行したり
すごい。
とかっていうのをやりつつ
このナチスドイツに抵抗するレジスタンス運動というのも
政治的な活動があるんですけど
それにも関わったりとか
それから逃れてくる人もその病院に囲まったりとかして
っていうのがありました。
これがサン・アルバン病院で
染料を飲まれることができたと言われています。
すごいですね。
コミュニティだ。
そう、コミュニティをこの時代に作ったんですよ。
このトスケルが作ったこのサン・アルバン病院のやり方っていうのが
後々ですね
フランスとかイタリアとかに広がることになります。
なるほど。
これから20年30年先なんですけどね
精神科病院の歴史とアールビルット
この戦後ですけれども
例えばイタリアとかが有名なんですけど
精神科病院がなくなるんですよ。
そうなんや。
なくなるって言い方はあれやけれども
長期に収容するっていう制度が終わるということに
つながる運動の一つにこれがつながるみたいですね。
このトスケルさんって
私は勉強で初めて知ったんですけれども
あんまり有名じゃないんですよ、この人って。
スペインでは有名だと思うんですけど
あんまり日本では伝わってはなかったんですけど
ただ調べさせてもらったら
このアールビルットっていうのが
最近注目されているのがあるんですけどね。
はい。
アールビルットっていうのは
いわゆる精神疾患とか障害を持たれている患者さんが
作る芸術だったりとかするんですけど
はい、そうですね。
最近いろいろあるじゃないですか。
ありますね。
注目されている領域なんですけれど
これをですね、初めに見出した人ということでも有名みたい。
この方が、トスケルさんが。
そうそう。
このサン・アルバン病院とかで
患者さんとかと一緒に詩とか絵画とか演劇とか
作ったっていうのがあったんですけれど
それがね、その患者さん自身が主体的に
そういう芸術とかに関わっていくと
そういう能力を持たれている方があるので
それを活かそうということですね。
なるほど。
それは21世紀になって割と注目されていて
このアールビルット、
芸術文化に触れていない人々による作品というのが
戦後の精神科医療の現状
一応定義みたいですね。
はい。
その芸術とかを勉強している人というか
による作品じゃなくて
そういうのに触れなくて
自分からの衝動のみで作るという作品とかっていうのが
有名みたいですね。
なるほど。
過酷なですね、フランスの精神科医療に
もうちょっと踏み込んでいこうかなと思うんですけど
ナジスドイツからのこの染療が終わった後のフランスなんですけどね
精神科病院ではガシ者をいっぱい出した後のフランスなんですけれども
精神科病院はその後どうなるかというと
結構入院患者数がどんどんと増えます。
増えるんだ。
当初、戦後は7万人ぐらいだったのが
8年後には9万人になって
それから1962年には11万人まで増えていきます。
結構メキメキと増えるんですね。
ほんまですね。
15年ぐらいで2倍弱ですね。
そうですね。増えちゃったんですね。
増えたんですね。
何で増えたかというと
男性患者さんが増えたと言われていて
戦後になってですね
兵隊さんが帰ってきてということもあると思うんですけど
そこでアルコール依存の方とか
アルコール問題で入院される方が増えたりとか
あとまあ高齢女性の陶器在体も増えたりとか
高齢の女性とかって
それまでは家で介護されてたと思うんですけれども
それが病院に預けられることが増えたのかな
とかって言われていますね。
だから男性の患者さんと高齢女性が増えたと言われています。
社会の状況とかも変わってきたんでしょうかね。
フランスの精神科病院というのは
主に医療機関の方が
フランスの精神科病院というのは
主に公立病院なんですよ。
県立病院的な感じですね。
結構巨大な精神科病院なんですよ。
何千人もいるというのが
そんなに珍しくない感じの精神科病院だったんですね。
そこが戦後ですね
人手不足になるんですよって
それはそうですよねっていうことなんですけど
お医者さんとか看護師さんとかっていうのは
もちろん病院には帰ってはくるんやけれども
精神科病院というのはどうしても後回しにされて
それ以外のところに始めに充足しなきゃってことになりますので
フランスの1961年
1005年目の精神科病院の記事が載っているんですけれども
医師10人で4000人の患者を見ているという記載があったりして
ちょっと待って、お医者さん1人で400人ですか?
そうですよ
それは無理ですよね
400人とかね、その程度1人に当たってですね
だから本当に主治医というか
看守というか
そういう位置ですよね
という感じ
とりあえず患者さんは病院に詰め込まれているけれども
実際に診療とかっていう感じじゃないよって言われていて
その頃何をしてたかということなんですけどね
治療方法と患者の状態
できてた治療というのはいくつかあるといえばある
その頃ちょっと流行ってたのがあって
インスリン食療法というのがあるんですよ
インスリンって血糖値のお薬ですよね
その通りです
糖尿病の時にですね出なくなって
高血糖とかになるっていうのがインスリンなんですけど
インスリンを投与すると低血糖になるんですよ
低血糖混水っていうのに人間があるんですけど
これほっといたら亡くなっちゃうんですけど
危険なやつですね
その低血糖混水になってそこから回復すると
精神症状が良くなるっていうことが発見されたりして
30年代ぐらいで発見されたりして
それを行ってたっていうのがあります
食療法の一つなんですけどね
そうですよね治療じゃなくてですよね
一応この当時は治療ですね
重症の精神病患者さん
統合症症の患者さんに使われてたんですけれども
これはやっぱり危険なので
本当に亡くなっちゃうことが生まれならずあったりして
10年以内には育てられてはくるんですけれども
50年代はまだやられていました
あと電気系電療法もありましたね
電気を頭に通して系電させると
その後回復してきたら
精神症状が良くなっているっていうことがあるんですよ
これは今もあります
そうなんですか
治療として
治療として今もありますね
重篤な鬱病とか統合症症の特殊な状態には
電気系電療法がよく効くと言われているので
現在も残ってはいるんですが
この当時はね
今は麻酔をかけて電気系電にするんですけれども
この当時は起きている時に
系電とかかけるとかっていう
ちょっと非人道的な行為とされているのもありました
いわゆるこのショック療法ってやつですね
インスリーンショックにしても電気系電にしても
脳に良い刺激を与えて
回復過程を使うことで良くなると
実際良くなることもあるっちゃあるんやけれども
暴力的だったりとか
命に危険を及ぶたりするので
あんまりできなかったんですよね
あと使えるものは薬があるんですけれども
主に寝る薬なんですよ
コーヒースタミン薬とかバルビツール系の睡眠薬とか
いわゆる寝ることはできるんだけれども
寝て起きたらまた元に戻っているっていうだけで
その時の興奮とか不安とか攻撃性とかを
沈めることはできるんだけれども
またその薬が起きてきたら
また元の目覚めということなんですよね
だからこの幻覚とか妄想とかっていうのを
止めることっていうのは
インスリーンショックとか電気系例以外では
なかなかできないなって言われてた
実際はもうできなかったんですよね
じゃあ実際こんな密な精神科病院でどうしたかっていうと
抑えつけてたわけですよ
そうでしょうね
それしかないんですよ
そこでよく使われてたのが高速胃っていうやつなんです
この腹なんですけどね
特殊な腹でくくる腹なんですよ
体をくくって動かなくするような腹っていうのがあって
高速胃っていうのも結構使われてたってことですね
初めて見ました
写真もつけてくれてます
これさ
踊る大捜査船の映画で
レインボーブリッジを封鎖せよやったかな
あそこで小泉教皇がね
サイコパスの犯人役で出てるんですけれども
それがサイコパスの犯人が捕まって
牢屋に入れられてた時に
この高速胃を小泉教皇が着て
にっこり笑ってるっていう
印象的な場面があるんですけど
あるんですか
今でもないわけじゃないです
精神科病院にはあることはありますね
危険を回避するためにね
警察とか留置所とかにもあるとは思うんですけどね
この当時っていうのは結構これを使ってたって言われてます
そこの使い方などなどを言うとですね
この当時の精神科の看護婦さんの
アンドレ・ルミューっていう方はですね
パリ近郊の公立病院で勤めてて
公立病院っていうのは3000人くらい患者さんがいてた病院なんですけど
そこで勤めてた看護婦さんがですね
著書を残してるんですよ
こんな風に治療してましたっていうか
こんなことを考えてましたよっていうようなことがあるんですけど
残してくれてて
そこのところちょっと残ってるので見たらですね
まず患者さんが
救世機の患者さんが運ばれてきたらどうなるかっていうことなんですけど
興奮とか妄想状態にある患者さんが
病棟に搬送されてきたらっていうことなんですけど
まず高速椅っていうのを着せられて
体が固定できる専用ベッドに移されると
2,3人の看護人とか監視員が押さえつけてベッドに縛って
患者さんは叫び声を上げたり
ベッドから起き上がろうとすると
隔離室へ移動させると
自分を傷つけないように縛っておくと
病棟内では患者が暴力を振るう
壁、鉄格子に体をぶつける
看護師に噛みつく
夜中に叫び続けるといった場面が
日常化してましたよと
スタッフ看護者さんはですね
巡回パトロールをしてるんですけれども
その時にやばい状態になったら応援を呼ぶ体制があったりして
高速椅で高速椅した後
鎮静目的でハーブティーとか睡眠薬が与えられて
患者がある程度落ち着いた段階で
高速椅を外して軽い活動に移すと
いうような運用をしてたということみたいですね
ルミューさんが書いてるのは
患者も職員も怒りと恐怖の中で一日を過ごしていた
そうですね
治療というよりも秩序維持だったって回想してるんですけどね
クロルプロマジンの登場
だからなかなかちょっと厳しい状態があったよってことですね
そうですよね
こういった精神科病院の中で
クロール・クロマジンが登場してくるということになります
19世紀18世紀から基本的なところは変わってないわけですよ
そうですよね
大きな進歩がないんですよね
精神科病院でしていること自体はね
ただやっぱりですね
看護師さんがこんな記録を残しているっていうことは
人道的な問題っていうのはみんな考えてたんですよね
やっぱりこれはあかんなとは当然思ってたし
お薬の進歩っていうのはちょっとずつは進んできてた
睡眠薬もこのバルビツレートっていうのが出てきてましたもんね
第二世代の薬なんですけどバルビツレートって
ある程度睡眠薬としては効果がある薬も出てきたりとか
知ってたっていう地盤があったり
あと精神科医は何をしてたかっていうと
もちろん精神分析とかっていうところもあるんですけれども
もう一個の方でいうと分類をきっちりしてたんですよ
精神科の病気っていうのはこんな病気があるよ
っていうことが分かってきてたっていうことがあって
これがですね後々いろいろ大切にはなってくるんですけれども
ただまだ臨床にはですねそれが役立ってないっていう状況です
余裕ないですよね
そうですねまだまだ余裕がない感じ
目の前のことの対象でいっぱいいっぱいですね
っていう状況が前夜の状態でした
戦時フランスの医療
では1回目これでエンディングにしたいなと思うんですけれど
どうですかね
いやなかなか厳しい現実この時代はだったなって
想像するだけですけど
これは現場の方患者さんもしんどいし
治療する医療の方々も大変だっただろうなっていうのと
ハーブティーが最後出てきたじゃないですか
人生目的でそこっていうのが
ちょっともう唖然とするというか
ハーブティーいいですよいいですけどね
こんな状態だった方々の最後与えられるのが
ハーブティーってどうなんだろうっていうのは
すごいちょっと印象に残りました
気持ちを落ち着かせる作用っていうのが
実際現在も証明されているところもあるし
植物由来の薬理作用っていうのも若干あったみたくて
それ自体はですねめちゃめちゃすぐには効果はないんやけれども
実際ちょっとは効果あったみたいですよ
なるほど
香りあるしね香り両方
実際その漢方的なものっていうのは
欧米でもその1種類ハーブティーの中の西洋都切層っていうのは
西洋の方でも割と認められているのがあるみたい
日本でも割と漢方薬って僕らも使うな
今でも使ってらっしゃいますよね
それでちょっと効果はある感じですけども
でもそれってまだまだ弱いからね
そうよ怒ってるね現実から見るとちょっとミスマッチをなっていう感じですけど
おっしゃる通りですわ
大変でしたね
ただね1個1個のこの法則体を使わなあかんような状況っていうのは
実はね僕らも見たことはあるしやったこともある
数は多くはないんだけれども
全く初発の精神疾患の患者さんとか
あるいは特殊な状態に置かれたらこういうことっていうのはやっぱりあるのよね
患者さん自身の安全のためにも必要な時ありますよね
そこをね本当に慎重に考えないといけないんだけれども
こういったことが必要な状況っていうのはあるといえばある
ただもちろんこれをですね乱用しすぎたら絶対上がんないけれども
絶対ダメですけどね
でもまあ必要な時っていうのはないことはないんかなとは思うけどね
この辺のことちょっと微妙なところもあってね
そうですよね現場を見ると理解もできるし
勉強していくと必要な時があるなっていうのは分かるよね
ただ闇雲にとりあえずまず拘束してっていうのは違うけどね
そうそうそれは違うんやけれども
本当にそこのねこの時は必要っていう認識を
みんなが共有するのって大事やけど難しいですよね
そうそう精神科病院とかそういう環境でいると
割とこの感覚っていうのが皆さん共通に出てくるんだが
その感覚っていうのが実はどうなの本当に正しいのかっていうのは
常に更新していかないといけないしね
その時々とか時代とかによっても確かに変わるところではあるので
客観的な目が入らないといけないなっていうところはあるんだけれども
っていうところですね
バランス難しいところですね
難しいですね
ありがとうございます
こんな大きな話なんでねこういうのは難しいですね
すごいすごい
ありがとうございました
1回目これで終わりましょうかね
はい
精神科の知識を学べる番組
歴史から学ぶ精神科ラジオは
毎週金曜日午前5時に最新話が更新されます
お聞きのアプリでフォローして最新話をお聞きください
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