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2025-12-12 30:10

クロルプロマジン誕生と二人の異才:戦場の生還者と“知の巨人”

大胆な発想が医療を変える。

第31回「歴史から学ぶ精神科ラジオ」では、初の抗精神病薬クロルプロマジン誕生をめぐる、外科医アンリ・ラボリと精神科医ジャン・ドレーの物語を紐解きます。麻酔研究の副産物として生まれた“心を静める作用”が、重度精神疾患治療に道を開き、病院の風景と看護の役割を一変させました。二人の洞察と実験が築いた精神医療の転換点に迫ります。

 

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サマリー

このエピソードでは、初の抗精神病薬であるクロルプロマジンの発見に関与した重要な人物、アンリー・ラボリとジャン・ドレイの物語が語られます。彼らの過去や精神医学への道のり、そしてクロルプロマジンが精神科医療に与えた影響について考察されています。特に、精神疾患の治療における革命的なアプローチや、画期的な発見を行ったラボリの業績が強調されています。また、クロルプロマジンの誕生に寄与した二人の異才について探求し、18世紀からの医学の発展における学会の重要性についても語られています。精神科医たちの研究と治験の進展が、現在の薬剤開発にどのように影響を与えたのかについても触れられています。

クロルプロマジンの革命
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモ等。
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、もう一つの事業、運営する社会人サッカークラブが県リーグ優勝で地域リーグを上がるため、各県上位にチームが出て戦うリーグへ進出することが決まった桜がお送りします。
初の抗精神病薬、クロルプロマジンによる精神科の革命です。抗精神病薬というのも難しいし、クロルプロマジンというのを初めて聞きました。
ありがとうございます。初めの情報が多くて紹介しきれませんが、とりあえず始めますね。今日はクロルプロマジンの話です。クロルプロマジンというのは抗精神病薬と言われるお薬なんですけどね。それで、現代の精神科医療が変わりましたよという話をするんです。
今回はクロルプロマジンの発見の物語をしていこうと思います。このクロルプロマジン発見の物語で2人の人物が出てくるんですよ。いずれもお医者さんなんですけれども、とっても重要な人物ということなので、ちょっと細かく見ていきたいなと思うんですけどね。
まず1人が、クロルプロマジンを見つけた下界アンリー・ラボリという人です。下界ですね。このサムネイルに残っている写真の左側の人ですね。この人は1914年の11月にフランス寮のインドシナ、今のベトナムのハノイに生まれました。
お父さんはフランス軍の軍医さんだったと言われていて、インドシナのベトナムに勤務してたんですよね。
彼が5歳のときにお父さんが発祥婦で亡くなって、お母さんはフランスの貴族出身のデイドリートみたいな。お母さんがお父さんの遺体を本国に戻すために幼いラボリを連れて、南米のギニアを経由してフランスに戻ったという結構大変な経験をしたみたいです。
5歳ですもんね。
5歳です。結構今のときに生きることは過酷で、生き残るにはしたたかでなければならないという感覚を植え付けられた後にラボリは回想しています。
12歳の頃に肺結核にかかって、長期の糖尿性かくつが必要で、こういうときに身体のストレス反応とかショックの予防とかっていうような、彼の一生の医学のテーマに結びついたと本人も語っています。
12歳の頃、結構重病、肺結核にかかったみたいですね。ただそれがうまく克服できて、パリの中高に進学して、20歳の頃に海軍の医学校に合格して、軍人としての道に入ります。
軍人として北アフリカで勤務したりとか、同僚のマスイカイと結婚したりもするんですけど、1940年の第二次世界大戦中ですよ。つまりフランスが占領される都市なんですけれども、七畜艦の魚雷戦、四六湖の軍人として乗ってたときに、フランスとイギリスのドーバー海峡にあるんですかね。そこのところの船でダンケルク撤退戦というのに参加して、
沈没するんですよ、その船が。
あらあら。
で、多くの方が亡くなるんですけれども、その中270人が助かると。その中の一人だったってことですね。
助かったのが270人ってことは、もっといっぱい乗ってたんでしょうね。
もっといっぱい亡くなったみたいですね。
すごい船ですよね。
はい、すごいですね。この時ってフランスの敗戦だったわけですね。ナーティスドイツにやられるわけですよ。
これで何とかイギリス軍に助けられて、生き残るという戦いです。
この後フランス軍というのは、いずれも折り返せば行くんですけれども。
ラボリさんというのは、その時に何とか助かるんですけれども、その後回復はするんですけれども、いわゆるPTSDになるんですね。
その後、鬱に襲われたって言われてますね。
生きなければならないと思うと、体とか気持ちが動揺するようになってたと言われてます。
戦後ですね、戦争が終わった後、このシロッコの戦いで残ったものっていうのは英雄寺されるみたいですわ。
で、勲章も受けたりもするんですけれども、でもやっぱり医者としての仕事をしている方がまた気が安まったと言われてますね。
なんかちょっと、自分を外から見ているような感じを受けたと言われてます。
多分まだ鬱の状態があったんでしょうかね。
そうでしょうね。
で、上司が、上官がですね、そういったラボリの様子を見て、フランスにいるよりも、もうちょっと他のところにいた方がいいんじゃないかということで、
北アフリカのセネガルの首都のダカールという海軍基地に派遣されます。
軍医として派遣されて、午前中は内科の診療をするんですけれども、午後は絵を描いたり、描き物をしたり、乗馬をしたりとか。
っていうゆっくりとした生活になると。
この時の記録がちょっと残ってるんですけどね。
ラボリは華奢だったが、見た目はよく濃い色の髪をした映画スター並みのハンサムな顔立ちで、
賢く野心家で、金を使い慣れていてやや気取り屋だった。
妻と小さな子供たちと一緒にアフリカに追いやられているのが気に入らず、当初はフランスに戻りたくてたまらなかった。
そういう感じのフランス人の軍医さんやったってことですよ。
かっこよかったんですね。
かっこよかったみたいですね。いずれこの人ね、映画俳優にもなるんですよ。
そうなんですか。
自分の映画を作って、そこに登場するみたいな感じね。
高齢者とか中年以降の話なんですけれども、っていう感じの方なんですけどね。
というところもありつつ、実は仕事も頑張るんですわ。
内科の仕事もひとつ、下科とか麻酔の研究に、もともと下科の先生なので麻酔の研究に集中するんですね。
手術中とか手術直後のショック死が多いということで、このショックを少なくするにはどうしたらいいんだろうっていうね。
麻酔をかける前に、いろんな抑制をかければ、抑制というかですね、脳とか体の興奮を下げていけば、ショック死が起こらないんじゃないかなっていうようなことを彼は考えて、
いろんなこの麻酔方法に工夫を凝らすと。
それが結構ですね、認められるんですよ、医学の中で。
それでフランスにまた呼び物をされて、研究に打ち込むことになります。
1950年にフランスに戻っててですね、この化学会社のローヌプーラン社というのがあるんですけども、そこが開発していたフェノチア人系の化合物。
RP4560というお薬があるんですけれども、これが後のクロルクロマジンなんですけどね。
科学の言葉が出てきましたね。
そうですね、これは記号としてついてたんですけど、このコーヒスタミン薬という体の中の神経の物質を止める薬があるんですけれども、
それを投与しておくと体の代謝が少なくなって、麻酔をかける前に有効なんじゃないかなということで、それをお薬を使ってたんですよね。
結構うまいこといくと。
手術中のショックとかもなくなってよくなるし、しかもその前に結構患者さんがボワーンとしてリラックスしていると。
痛みもあんまり感じひんということに気づくんですよ。
ということはこの薬というのは精神的にも効果があるんじゃないかなというふうに彼は気づくんですよね。
すごいな、観察ですね。
そうそう、そこってすごい観察だと思うんですけどね。
このコーヒースタミン薬というのは眠気があるというのはもともと言われていたんですけれども、精神症状に効くというのはあまりこの当時は言われていなくて、これはラボリの軽眼なんですよね。
要を見つけたらということなんですけどね。
すごいすごい。
それでもしかしたら精神疾患の患者さんに効くんじゃないかなということを考えて、
同じ軍病院の精神科の仲間に、ぜひ精神科の患者さんに試してくれ、この薬をというふうに言うんですよ。
ほんだらじゃあそうかということで、精神科の同僚の先生が激しい興奮とかをする患者さんにこのRP4560を投与するんですよ。
そうすると割と効果があったということが分かって、症例報告されます。
今から考えるとひどい話でね。
すごい知見ですけどね。
無許可の。
今やったら考えられないことですけれども、この当時はこういうこともあったということですよね。
これがクロールクロマジンの最初の投与例とされています。
でもまあとはいえ、麻酔科の薬としてはこのクロールクロマジンは使われていたんやけれども、
実際どんなふうな使い方をしたらいいのか、量とかですね、投与量とか投与間隔とかね、
どの患者さんに効くのかというのがまた要は分からない感じだったわけですわ。
ただ1例、2例聞く人が出たということが分かったということなんですね。
次の登場人物、ジャンドレイを待つわけですよ。
もう一人のこのジャンドレイさんというのはどんな人やったかって言いましたら、1907年戻りますって。
天才ジャン・ドレイの軌跡
このラボリさんが生まれる7年前ですね。ラボリさんより7歳年上なんですよ。
ジャンドレイさんというのはね。
このジャンドレイっていうのはね、ラボリはちょっと気取り屋の下界なんですけれども、
このジャンドレイっていうのはとんでもない天才というか、最後獣痴になるんですけれども、天才ですわこの人もね。
しかもええとこの天才です。
1907年下界であるバイオンの市長でもあったモーリス・ドレイの息子として生まれます。
お父さんがお医者さんの市長さんなんですね。
そこでパリで医学を学んで病院で検査を済んで精神医学へと進みますと。
この時はね、実はお父さんは下界になってほしかったみたい。
まあある話ですよね。
精神医学を医学の医者の中で選ぶって、この時代って結構変わりものだったんですよ。だいぶ変わりものだったみたい。
このドレイさんっていうのはめっちゃ頭いいんですけれど、ちょっと不器用なところがあって、シューズとかってちょっと苦手だなって思ってたみたい。
手先がね。
手先がね。やっぱり下界ってそういう元々器用さって本当にめっちゃ大事だから。
いりますよね。
ダンドレイは別に器用でもないし、あまり下界は向かないなと。シューズとかあまり嫌いだったみたいですね。
っていうこともあって精神医学に進んだ。
早くも20代に博士論文を書いたりして。
この時代の20代早いですね。
めっちゃ早いですよ。
しかも精神医学だけじゃなくて、文学とか哲学の学位も学位ですからね。
これを取得するっていうですね。
すごいな。
で、三丹の病院っていう。この三丹の病院っていうのはパリ大学の医学部の教育施設で、パリ大学の大学院病院みたいなところですわ。
そこに勤務して、なんと39歳、1946年にフランスで最年少の主任教授に就任します。
39歳で?
教授ですか?
教授です。
すごいな。
すっげえキレるんですよ。
今でもすごいですよね。
今でもすごいですね。
39歳で教師って滅多にいないかな。
40代こそで多くなってきたけどね、最近はね。
まあまあそれでもですよ。
もうほんまに天才なわけですわ。
この奴隷さんはどんなことで勉強してたかっていうと、主に薬のことを勉強してたんですね。
精神病治療の背景
やっぱり精神疾患を薬で治したいっていうもともとの思いがあったんですわ。
文学とかいうところにも、とても造形が深い人ではあったけれども、精神医学について言うたら、
なんとかこれは物質とか薬で治るはずだっていう思いもあったみたい。
この当時、フロイドさんっていう人が、
フロイドさんとかが精神分析とかトークセラピーとかを、一般的にはやっていたというか、
それがわりと一つの流行ではあったんですよね。
例えば裕福な神経症の患者さんとかは、この精神分析とかトークセラピーを受けてて、
若干良くなってたんですよ。
で、フロイドさんとかが精神分析とかトークセラピーを受けてて、
若干良くなってたんですよ。
これってちょっと揶揄される言葉でよくあるんですけれども、
この見た夢とかね、セックスライフについて話をして、いくらか薬すらぎを得ると。
その瞬間だけね。
瞬間だけじゃなくて、やっぱりそういうことをうまく話をしたりとか、自分の無意識とかをそこから解放することで、
そういう症状が消えるということはあったことはあった。
実際あったんです。効果もあったこともあったんですが、
ただ、いわゆる精神科病院に入院するような重症の精神病患者さんには、
そういうことは全く意味がないということも奴隷はわかってた。
奴隷は、この精神科病院に入院しないといけないような精神病の患者さんというのは、
脳の物質が物理的に何か原因があるんだろうというふうに考えていて、
単にこの個人の経験とかでこういう精神病というのは起こるんじゃなくて、
生物学的なものだろうと。
いわゆる医学的な病気として考えていいんじゃないかというふうに考えていた。
だから精神医学っていうのを、いわゆる普通の医学と同じような、
精神病の患者さんというのは、
脳の組織とか化学物質とかによる化学として捉えたいよというふうに考えていたんですね。
すごいですよね。
自分でそう考えているということですもんね。
いやいや、こういう生物学的な精神医学というのは脈々とした系譜があるんですよ。
そうなんですか。
そんなふうに考えていた先生というのは、18世紀にもいていたりして、
奴隷が考え出したというわけではないんだけれども、
奴隷はそれを突き詰めようとしていたわけですよ。
クロルプロマジンの発見
だから実際、精神疾患を治すような薬とかを見つけたいな、作りたいなと思っていた。
でも一足飛びにそこには行けずに、
例えばLSDとかメソッドとか、
それってその当時も有名だったんですけどね。
この薬を飲むと幻覚を見るわけ?
そうです。
LSDって麻薬の一つでね。
最近はあんまりないんですけど、20世紀とかにはちょっと流行った時期もあったりして、
流行った時期もあったりして、
その時期については、
白紙瓶とかっていうのは、この幻覚キノコとかに出てくる
幻覚剤の一つでね。
実はこの21世紀の時期には、
幻覚剤の一つで、
幻覚剤の一つで、
幻覚剤の一つで、
幻覚剤の一つで、
幻覚剤の一つで、
幻覚剤の一つで、
幻覚剤の一つで、
流行り始めてからなんですけれども。
この幻覚薬って、実は精神疾患にもちろん使えるんじゃないかなという
気持ちも出てきてて。
え?そうなんですか
最新の医学でね。
上手く使えば。ということがあるんですけれど、
一日でも難しそうですよね。
上手く使えば。ということなんですけどね。
いうことも最近は言われてたりして、
ここは難しいんですけど、
戦後、戦中くらいかな、研究してたんだけれども
これではなかなかうまいこといかないというのも分かってたりとか
イソニアジドっていうお薬、この血核の薬なんですけど
胸の血核ですよ。血核菌による血核
イソニアジドが実は鬱病にも効くっていうことが分かるんですけれど
こういう研究もしてたりとか
それって、やっぱりその血核の患者さんの様子を見てってこと?
そうそう。なんかこのイソニアジドを投与した患者さんっていうのは
なんかこう元気やなっていうのが気づいたみたいな
すごいな、観察やな
っていうような研究をしている中でですね
このドレイさんというのは助手のピエール・デニケルさんとかと
あるいは共同研究者のハールさんとともに
クロール・クロマジンが統合症症にみられる興奮とか攻撃性を
軽減するっていうことを派遣することに至ります
この時の事情はですね、本とかになっているので
ちょっとその時のことを読みましたらですね
1951年の後半に奴隷の右上でのピエール・デニケルが
下界をしている義理の兄から噂話を奴隷に話すと
義理のお兄さんから噂話を聞いたと
これは何かっていうと
陸軍病院でショックを予防する研究を行っている
ダボリさんっていう下界が
精神疾患の患者さんに薬を与えると
その患者さんを好ましく扱うことができるようになった
っていうことがあるようですよっていうことを聞くんですね
ラボリさんがここで出てくるわけですね
そうそうラボリさんの噂を聞くわけですよ
で奴隷の耳に入るわけですね
それはちょっとやってみようよっていうことになって
奴隷はそのクロール・クロマジンを自分とこの患者さんに投与します
これは59歳の肉体労働の男性です
植木鉢を頭に被って意味のなさない言葉を叫んで
パリの通りやカフェで騒動を起こしていた
で奴隷が勤めるサンタンヌ病院に入院して
この患者さんっていうのは治る見込みがない
統合主張症の患者さんだなと思われてたわけです
で通常はこれに高速医を着せて
5分収まるのを待って
で過ごすということだけしかできないんだけれども
この患者さんにクロール・クロマジンを注射してみたわけですね
そうすると叫ぶのをやめて
死罪に落ち着いて遠くからぼーっと見ているような様子になったと
で間もなく寝てしまった
翌日も同じことを繰り返すと
薬を定期的に受けている限り穏やかでだんだん良くなって
発作的な叫び声とか意味不明なつぶやきが減っていったと
投与から9日後医師たちは正常に彼と会話ができるようになったと
入院から3週間後彼は退院することができたっていうね
これが第一例の奴隷の症例と言われています
薬の影響とその成果
でまぁこの3段の病院ではこんな例を見たことがなかったわけですよ今までも
そりゃそうですよね
で他の患者さんにも同じようなことを試して
だいたい1,2回は調査するだけで暴言とか暴力で扱えられなかった患者さんというのは
おとなしくなったということがあるんですね
こういうことをしていると看護師長さんがやってきて
感心したようにこの新しい薬は何というんですかというふうに尋ねてきたと
その時奴隷はですねこの薬は特別な作用があるなというふうに悟ったと言われています
看護師の目には狂いはない
奴隷とデニケルは看護師たちを尊重していた
この医者と看護師っていう関係って実は僕らの時もそうなんですけど微妙なんですよ
微妙という言い方はあれですけどこの当時は医者は圧倒的に少なかったと思うし
ご夫さんが患者さんを日々見てたと思うんですけれど
だから患者さんのすべてのことは看護さんが要知しているわけですわ
だから看護さんが言うことっていうのはほぼ事実だし正しいと言われているので
そいつを尊重しなければならないっていうのが医者としては学ぶことなんですけどね
だから看護師長がこれは良い薬だっていうことは本当にいいんだなっていうことが
奴隷が気づいたってことですね
なるほど
これは医者と看護師のこの微妙な関係の一つにあるんですね
今もそうですか
今もそうです
先生たちは
もちろん協力してやりますよ
協力して僕たちは医者と看護師やるんですけれど
やっぱり違う目をそれぞれ見るんですよ
医者は医学の目として見るし看護師は看護としての誇りというか
こっちを見ています
僕は研修医になって初めかな
外科の先生に聞いたのはね
お前らええかって
その当時はそんな感じなんです
お前らええかって研修医に言うんですけどね
看護師なんでも食べてたらわかんねえぞって
看護師よりも先に自分たちが患者の異変を気づけるぐらい
お前たちは見ないとダメだっていうようなこととかね
もちろんこれはよく見なさいという意味なんですけれども
つまり医者の目と看護師の目って
2つの目を通して患者さんをうまくケアしていくっていうのが
求められるわけですわ
だからそこはちょっとした緊張関係がもちろん
通常医療っていうのはあるんですよ
何でもかんでも頼っているようではあかんのでお互いね
それが緊張を生んでいい医療に生むのかなっていうところもあるんですよね
もちろん通常は協力をしてるんですけれども
そういったところも必要だったりするんですよね
まあまあそれはそれとして
この時代当然看護師に大きく精神科病院は依存していたと思うので
奴隷はねこの言葉を信用して
こいつは効果があるぞってことがわかったってことですね
でこのクロールクロマジンっていうのが
どんなことがわかったかっていうと
クロールクロマジンを使うことで
この精神疾患を持った患者さんっていうのは
心地よい無関心な状態に浸らせることができると
医師と疎通をすることができるし
いわゆる妄想とか幻覚とかとは距離を置くことができる
この距離を置くことができると
話せる論じる能力も回復することが多いと
この時間が経つと精神的な混乱が減って
守備一環として思考することも増えるよってことがわかった
でそれの薬を使っているとですね
精神科病院に勤める職員の方にも影響が出てくると
看護さんの方にも影響が出てくるって言われてて
当初それまでは混乱とか騒音とか叫び声に溢れていた病棟が
静岡で穏やかになってきたと
で患者と会話し励ましい希望を与えることができるようになった
どっちも良くなったんですね
そうなんです
大きなことが起こったようだぞっていうことがわかったんですね
っていうのがクロール・クロマジンの発見ということになります
まとめですけれども
クロール・クロマジンが開発された
見つけたのはラボリではあるんやけれども
クロルプロマジンの誕生
奴隷がうまくどういう患者さんに効くんだっていうことも
主導してですね
それがわかるようになったってことですよね
データを取ったってことだよね結局
そうデータを取ってそれを見つけて証明したっていうことかな
すごいな
やっぱりラボリと奴隷だけじゃなくてね
それまでの薬理学とか精神学の下積みがあってこそのね
偶然のようには見えるんやけれども
これが見つかったってことになるんですね
じゃあ2回目これで終わろうかなと思いますが
どうでしょうかね何かこういう感想とかあります
昔ってねネットもなければ
本中でも本発行するまでに
執筆が言って印刷が言ってて時間がかかるじゃないですか
だからそういう情報の伝達ってか
昔からね18世紀とか17世紀の時の
そういう医学の下積みって
どうやってみんな仕入れてたんだろうって思いました
それはですね
実はこの次の回でも言うんですけれども
そうですか楽しみにしておきます
学会なんですよ
学会があるんや
学会はねやっぱり定義的に開催されてて
で雑誌も発行されるんですよね
論文っていうのが出すって言ったじゃないですか
論文を出すっていうのはその学会誌っていうのがですね
年に大体1回あるいは2回毎月っていうのもあるけれども
そこのところで雑誌が発行されるんですよね
そこに新しい知見とかねこれが発見したよとか
こんなことしたらこんなことが上手いくよとかっていうことを書いて発表するっていう
まあ論文に載せることもできるし
学会で発表することっていうのができるんですよ
それでも昔ってすごい国同士遠いじゃないですか
ここまで行ったら背中足歩きに行かなきゃし
そうそう
それでもやってたの
あのねだから18世紀ぐらいからみたいよ
それこそそのピネルさんとかが生まれた後になるんですけれども
でもそのピネルさんが居る頃っていうのは精神学ではなかったけど
内科学とか外科学とかっていうのは国内だけじゃなくて
国際的な学会も始まってたみたいよ
18世紀ぐらいから
そうなんだ
だから19世紀ぐらいの頃これよりも100年ぐらい前の時から
精神医学の学会っていうのはありましたね
医学ってやっぱりすごいですね
お医者さん方っていうのは
そういう研究をしたのを持ち寄って
あそこの病院のあの先生はあんなことをしててよかったみたいっていうのを聞き仕入れて
あるいは勉強してそういうのを導入してたっていうのはやってたみたいね
すごいな今の時代ともずっとつながってるんですね
ずっと同じですずっと同じ
それが今はそのネットでね
自分の部屋で座ってても
たさかんで目に入るってことだけれども
そういった便利さはあるけれども
やってることはね基本同じなんかな
薬剤会社じゃないけど
お医者さん自らが治験してるとかも一緒ですもんね
そうそう最近そういうのも多いもんね
お医者さんが治験というかですね
やるっていうことも増えてはきていますね
もともとやっぱりこう勉強をして
人のためにこう動こうかっていう人らやからね
そうやねだからまあ医者の半分が
そういう研究者的な側面も持ってるんですよね
で半分の顔でその会社さんを見るっていう側面もあるってことかな
っていうのがまあまあこの時代からもあったんですかね
でもなんか薬が誕生するそのなんだろう
一番最初のゼロが1になる歴史を見てると
今のすごいたくさんの薬の種類があるじゃないですか
あるある
この人にはこういう同じ薬でも処方の仕方違ったりとか
これってだからすごい研究研究で進んできてるんやなぁと思って
ちょっと考え深かったです
そうなんですよ
ねそうそう先生らからしたら当たり前なんやけど
なるほどって思いますね
まあまあそうだね
まあ薬ってほんまに僕らね
ありがたいことに手に入ってる中での医者になっていることであれないけれども
初めにこれが手に入るっていうのは大きなねことがあったんですよね
はいじゃあまあ今回はこんなんですけど
またこの後ですね
この黒い黒万人がどういう進展を得られるかっていうことを見ていきたいと思いますね
18世紀からの学会の重要性
はいじゃあ終わりましょうか
はい精神科の知識を学べる番組
歴史から学ぶ精神科ラジオは毎週金曜日午前5時に最新話が更新されます
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