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2025-09-08 19:29

我が家が如何にして大家さんになったのか6️⃣

#聞くだけで家が買えるRadio
#家庭教師のリトライ
#さらばラバウルカンパニー
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サマリー

彼らは、大家さんになる過程を振り返りながら、名義変更や土地利用の計画を考えています。様々なアイディアが出てくる中で、家族の意見やコミュニケーションも重要な要素となっています。このエピソードでは、土地家屋調査士とのやり取りや、夢の膨らみと問題への対処について語られています。また、加藤博之先生との出会いが夫婦の方向性を大きく変えるきっかけとなっています。

大家さんになるまでの経緯
おはようございます。今日は月曜日ですが、皆様お元気でお仕事されてますでしょうか。
私はね、今日は月に一度のIT事業というのに行ってくるんですけれどもね。
今日どういうことをお伝えしようかなって思っていて、計画はちゃんと出来上がっているんですが、
自分で簡単なアプリを作ろうという風な感じで行っていきたいと思います。
ちょっと出来る男の子が一人いらして、その子にはキャンバスを使って簡単なホームページをね、
我々の会の会長のご商売の関連のホームページを作ってきてくれるので、それを発表してもらうという風な感じなんですけれども、ちょっと楽しみです。
先月まではすさまじいほどいろんなIT関連のニュースがあったんですけれどもね、今月なんか大人しいなという風な感じなんですよね、先月までに比べたら私的にはね。
松田がAIのインフラを整えるとかね、そこら辺をお伝えしてもあんまり内容も詳しく知りませんし、どうしたもんかなって考えてたんですけれども、
NVIDIAのこととかね、株はしませんけれども、それでなんであんなに強いのかみたいなことをちらっとお話しして、
それで、これからの若い世代の子たちにね、ここら辺やったら日本主導権取れるんちゃうみたいなね、そういうお話をしちゃおうかなとか、
お一人の方は農業を主体にしてやっていくっていうことが決まっているのでね、それでしたらやっぱりロボットですよね、ほんと、そんなことを考えながら、
まあ、そうですよね、とりあえず児童化しましょうみたいな、そんな雑談の会になるかもと思うんです。いつもお菓子を食べながらね、お茶をいただきながら楽しく過ごすんですが、
昨日のね、我が家がどうやって親さんになれていったかという、だんだん学習の部分に入ってきたんですけれどもね、県の方から示された、
土地の活用方法
土地家屋調査士さんが、いよいよ22年の2月にね、我が家の方に来られまして、流れるようにご説明されたんですね。で、まあなんかさすがだなとか最初は思ってたんですが、
これがまた後でどんでん返しに来るんですけど、音が切れちゃってね、あのおとなしい、普段おとなしくっているかいないかわからないような音が、まあだいたいあの、ここ一番の時にしか登場しないんですね。
で、普段は私がギャギャギャギャギャ言いながら、あちこちの人と会うんですけれどもね、まあ、その分出てきて、切れた場合のインパクトは強いというか、あの静かな声でドスンと言うんですけれどもね。
本当にね、もう向こうが慌てふためくみたいな、そんなことがあったんですが、まあその地下区調査士さんのおっしゃる通りに診断してずっと行くんですよ。
もういよいよもう名義は変わりますと、ちゃんと変わりますというか元に戻しますと、まあそこで夫は釘を刺したんですね。
これだけ、まあ何年もかかってやっとここまで来ました。で、それにかかる費用はね、全部県で持ちますって県は言ってくれてます。そこをばっちりと確認したんですね。
もちろんですっていうことで変えられたんですが、陶器の部分に関してはね、向こうが言ってくるかも分かりませんって言ったんです。
はあ?みたいな。陶器?陶器の部分ってもともとこっちに陶器してるのをあんたところが間違えて、また元に陶器するのになんで費用がかかんの?みたいにね。
そこではそういうふうに言いませんでしたが、若干の疑問は残ったんです。
で、まあうちは県と話してるんだから、それはないだろうということでずっと進んでたんですね。
それでいよいよ名義も変わるし、今までタデで使ってもらってたり、田んぼとの契約があったので使ってもらってたりした大きな倉庫なんかも全部撤去されましてね。
で、本当にさらちになったんです。
で、そうなりましたらね、なんだか夢が膨らんでくるんですよ。
いや、ここどうやって活用しようかしら。
で、母は最後の悪あがきをしたんですね。
そこにみかんの苗を、みかんの木の苗を100本植えるって。
で、100本買いに行くからついて行ってって言い出したんですね。
で、それを、まあその時にもおかしかったですよね。
かなり弱ってきてましたのでね。
で、まあ夫と私がついてきまして、で、みかんの方はあきらめてもらって、若干畑の部分を残してあげようかなというふうに思ってたんです。
そしたらね、もう苗をね、まあ10万円ぐらいね、買おうとするんですよ。
で、それを一個一個ね、夫がね、これはね、こんなにいらんやろって戻していくんですよ。
で、これもこんなにいらんやろって戻していくんですね。
やっぱ息子って母親に対してお優しいんですよ。
で、いらんやろ、こんなにもいらんやろって言ってね。
で、この10万円ぐらいの苗を3万円ぐらいにしたんです。
で、しぶしぶそれを持って母は帰ってくれたんですね。
で、まあこれを畑に植えるのか、はたまたうちの自宅の方のお庭のちょっと横に家庭サインしてるところに植えるのか。
まあそういうことで揉めてたんですけれどもね。
向こうはさらちのままで置いておいてくれて、こっちに植えたんですけれども、勝手にね、なんやさんに電話してね、勝手に植えてくれっていう電話がかかってきたんですけど、なんやさんから私の方に電話が。
あの畑にね、100本ほどみかの木を植えてくれと言われましたが、植えてよろしいですかって。
その金額聞いたらびっくりしたんですよ。
それで夫と相談して、15本ぐらい、向こうの端の方に15本ぐらい植えてくれませんかって。
まあそんなこともあったんですが、そのおみかの木も少しずつ少しずつ端っこの方に寄せて、今今回2本ぐらいしかないんですよ、結局育たなかったですね。
それでまあどうやってそこを活用しようかっていうことをいろいろいろいろいろ考えて、
名義の変更、名義の変更じゃなくて、地木の変更はできるっていうことが確認できてましたのでね、雑種地にしたら活用の道を開けるだろうなっていうふうに思って、
建物のアイディア
まあね、ない頭で一生懸命考えて、その頃ですよ、もう頭の中はもうなんか夢いっぱいになってるんですね。
であそこの倉庫が建てたところにアパートとか建てたらどうなるだろうみたいな。
でも普通のアパートはいっぱいあるから、普通のアパートではダメよね。やっぱりメルヘンチックなアパートにしたらどうかしらみたいな、もうアホなことばっかり考えてたんですよ。
それでね、いよいよね、京都にね、あのメルヘンチックな村っていうのがあるんですよ。
えーとね、ドリムトン村っていうのがあるんですけれどもね、そこに行ってね、ちょっと見てきましょうよって夫を連れてね、
まあ京都と滋賀の間までね、車を走らせて、もうそこで一日、いやこういう建物だったら絶対もう競争になるわよとか言ってね、話をして。
で夫はね、こんな建物建てたらね、誰も入ってくれへんわとか言ってね、もうボロッカスに言われて、
まあ自分だけが入れる、あの生学レッスン用の小屋っていうのを一個だけやったら建てたるわとか言ってね、そんなお話をしてたんですよ。
でもね、私にしたらなんだか娘に話して、それで娘も将来相続するんだから立派なものを建ててあげましょうよみたいなね、お話をしてたんですよ。
資金はどないするんだというお話でしょ。
でそんな時にね、じゃあもう夫はね、もうそんな無理やから、まあでも小屋を建てて、そうやなあ商売でできるんかなとかね、いろいろいろいろ考えてたんですが、
その時にですね、私はね、ボイシーができた、当時から聞いてたんですね。
土地家屋調査士とのやり取り
えーっとね、その時ね、聞いてたのは池早さんと、池早さんだけだったんちゃうかな。
池早さんに連れてボイシーに来たのかな。
ボイシーに来た後で、お一人お二人追加しましたね、フォローする方をね。
今はもう聞いてませんけれどもね。
だから3人ぐらいしか聞いてなかったんですね。
で、いよいよ、だいぶ経ちますよ。
その土地家屋調査士さんが来てくださって、もう一度現場の立ち会いというのをするんですけどね。
その時、また前と同じメンバー揃いまして、今度はね、何だか村の人たちもいっぱい来まして、市も県も職員さんもどっと来たんですよ。
もう何のことか分からない、人いっぱいの中で、その土地家屋調査士さんがピューッとこう、
棒立てたところから向こうまで道路にしたいので、私の方と向こうの方、この線で寄付してくださいますか、と言うんですよ。
夫は、はーい、と言うんですよ。
こちらの人も仕方なくね、はい、分かりました、みたいな。
もういいなりですよ。
もうだからまあ、うちにしたらね、2センチ、3センチ、別段もええやんて、もうさっさと終わってほしい、みたいな感じで夫は言ってましたね。
で、その時はお迎えの土地は竹やぶですね。
うちの土地はトラクターで起こした状態ですね。
で、これをどうするの、これからどうしよう、どうしよう、みたいな夢。
それでまあ、そこからちゃんと名義が変わりましたって言ってくれたのがいつやったかな。
そこもね、まだちょっと調べないとこんがらがってるんですが、とにかくね、その夢が膨らんでる時に、でも夢膨らみつつもどうしていいか分からないんですよ。
一歩も踏み出せないんですよ。
何から始めていいか分からない。
その時にボイシーを聞いてましたらね、池早さんか誰かのボイシーを聞いてましたらね、下にね、ふわーっとね、加藤博之先生のボイシーのね、案内が出てきたんですよ。
聞くだけで家が帰るラジオ。
いや、これ私にぴったりやんってポーンと押したんですね。
それで3日分ぐらいね、どーっと聞いたんです。
その時は60分でしたね。早送りして3日分ぐらい聞いたら、なんだかね、毎日毎日ね、びっくりするような情報の垂れ流しなんですよ。
え、これってプレミアムな放送じゃないのかしら。これ、タダで聞けるのかしらって思って、
その日から、えっと、最初の君っていうね、名前でね、聞いてたんですね。
で、もうね、手を挙げて質問したい場面とかいっぱいあったんですけれどもね、そういう勇気もなく、ひたすらメモを取りながら聞いてたんです。
でもこれではね、先生に直接アクセスできないと思って、
まあまあ毎回毎回びっくりするような情報、私、ゼロの白紙の状態ですのでね、
本当にね、聞くこと聞くことね、もう新鮮でびっくりしたんですね。
で、これは名前もそのプロフィール画像も変えようと思って、
その時は私の何年か前の自分の写真を、えっと、まあ似顔絵に、
自分が勝手にそのネット上で似顔絵作りのタダで無料できるサービスで作った分で、
名前は簡単にマリア、ペンネームがそうなんでね、そうしたんですね。
そうしましたら、それに変えた日にね、一瞬で気がついて呼んでくださったんですよね。
びっくりしましたね。
で、その日が23年の5月25日なんですよ。
まあ、新しい栃川区調査所さんが決まって、もう1年と2ヶ月ですよね。
その間まあ私たちほったらかしになってて、私の夢だけが膨らんでたんですが、
この加藤博之先生と22年の5月25日にネット上で出会い、直接会話させていただき、
ボイシーで登壇させていただいてから、私たち夫婦の方向性はがらっと変わっていきます。
加藤博之先生との出会い
この続きは明日にしたいと思います。
では今日は月曜ですので、皆様あまりご無料なさらないように。
もしまだ勤めになさってて、不機嫌な方に出くわしましたら、
不機嫌な方っていうのは、そっちの問題でこっちの問題ではないっていうふうにニコッと、
そちらさん大変ですね、みたいな感じでスルッと流していただきたいと思います。
ではまた明日。
この放送は家庭教師のリトライと、聞くだけで家が変えるラジオと、
さらばラバウルカンパニー様の提供でお送りいたしました。
ではごきげんよう。
19:29

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