少年大会の経験
おはようございます。昨日は一日、本当に早朝から準備をしまして、
地元の 県道連盟の方の少年の連勢大会というのがございまして
そちらでね もったくさんの少年チームを
8コートに分けて それで
次から次へと審判をしてたんですね 私はの5コートの受け持ちだったんですね
そうしましたらまあ 顔なじみの方とか
先生方とかいらっしゃいましてね まあ忙しいながらも非常に私自身は
審判法の勉強にもなりましたし
また楽しい1日疲れましたけれども楽しい1日でしたね で
と我がチームの少年たちも なんだかんだいろいろなハプニングありながらもね
非常に成長した姿を見せてくれまして またあの仲間が
あとでお昼の時とか帰り行とかに集まりましてね 来年は交渉しようとか言うね
ことを話しておりまして で
まあそういうところで多世代の交流が 持てる競技なんですね私たちの競技はね
で
まあ 少年の
試合で
そこの監督とか保護者席から まあ知った激励が飛ぶ時があるんですね特に連勢大会とか
やはりそこらへんは見苦しきは見苦しいとはっきりね
申し上げるべきではないかという意見も出ましたね そうですよね指導者が
罵倒するんですねでそれはね指導者たるあなたの音 力不足ではないかっ
それをはっきり家と年長の先生方は押しお怒りでしたね 本当に自分で自分の頭を金槌で打たれているようなもんだぞみたいな
それで
若手の大学生の方からはですね
大学の試合ではまあ時々暑くなる時もあるけれども その度にきちっと
本部席の放送係からね 応援は拍手のみでお願いいたしますという一言が必ず入るらしいんですね
で我々のようなもちーちゃなその小学生中学生のしかも連勢大会であってもね それはやっていった方がいいんじゃないかというふうに
言いましたでそこから帰ってきて着替える間もなく あのお夕食の準備だけしておいてで
ああ 飛び出していってね
画学の あの
稽古に参りました 私のパートがだいぶ遅れてますのでね
もう必死でこの2週間アンプしたんですけれども そのアンプした部分はうまくいきました
もうねえ
トップの先生そこのお寺のご住職様ですけれども 坂本さんよく稽古されてますねっていうお褒めのお言葉をいただきましてね
本当に
まあでも12月半ばに 発表会があるのでそれに間に合うかどうか
まあこれからが勝負だと思うんですけれどもね 今日はまあそんな忙しい土曜日
を超えて日曜日の早朝から目が覚めまして 現在まだ5時45分ですが
もっと早くから目が覚めてたんですけれどもね やっぱりなんか興奮状態が続いてたんでしょうかね
で えっと
本多静六の学び
本田勢力のここから本田勢力のね人生と財産の第10回目
ようやくあの半ば頃まで来たかしらっていう感じなんですが
目次で言いましたらね 目次で言いましたら私
大きな第2章の私の社会 私の体験社会学っていうところの
177ページ 小さい5章ですね頭の人間と腕の人間
でそこから
6章第6章の平凡人の成功法
っていうところまでを読み 続けてまいります
でこれが終わりましたら最終の位置に 最終章第3章の人生設計の秘訣に入るんですけれどもね
その手前の 小さい最終章のところですね
その後頭の人間と腕の人間というところで 出身学校にとらわれるなんていうお話がございます
世の中は確かに 下手に頭の人間になろうとするよりはしっかりした腕の人間になることだ
って書いてある
学校学校と騒ぎ立てて
学校学校と騒ぎ立てて来だしたが学校にしてみれ 学校に縛られていてはろくな人間にはなれぬ
本当に役立つ人間になるには皆社会大学でうんと勉強しなくてはならぬ それに生実家な学校卒業生は
その学校でということにとらわれてしまって しまってはいけない
この後もね 同じようなことが続くんですけれども世間にはよく医者の子供だから医者にならなければならぬ
謎と本人の素質や 思考構わず医者にしようと無理し無理事する親もあるがこれなどは全く
バカの骨頂である 私は1歳の学校選択1歳の職業選択は本人の自由にしたい
というふうに続いてます
確かに 親に強く誘導された
子供の エネルギーとか気力がなくなっていく姿っていうのは何度も目にしますね
それに反して 自由に選択してもらうさせてもらっている子供の
本当に 測り知れない伸びしろっていうんでしょうか
そういう姿 子供の姿を見ると
こちらまで 嬉しくなって私は屈伸も何かできるんじゃないかって力をもらうこともありますね
その両極端な子供の姿をねー 見ながらやはり
自分にできなかったことを 子供にはさせてやりたいっていうふうにね
思う気持ちもわかりますね しかしそれがね
冷静な第三者からの目で見ますとね
己の青春を押し付けているわけですね 私もこの失敗はしたことがございます
ですのでよくわかりますね
で本田勢力は6334-63までは義務教育で
34以上の高等教育専門教育は
欲するものだけが言って あと1日も早く実業についていわゆる社会大学で働きながらの勉強が一番良いと思う
というふうに書かれています で腕の人から頭の人へという章に続くんですけれども
頭の人間が かっこつまり事務屋のことかっこ
途中から腕の人間になるのは難しいが 腕の人間が途中から頭の人間になることは容易である
腕がある以上に頭の人間となるのだからそこに それこそ
鬼にかなぼうだ まあしかしえっと
人間の成長と教育
これは 本当に
明治から大正にかけてのお話 で昭和初期のお話ですが
今の現代社会ですね 本当にあの腕の人間と頭の人間というのは
融合して色が混ざっているという感覚ではありますね
混ざり合うことによって
お互い高め合う 組織になっていくと思うんですね
非常に
東大・京大卒業の
非常に 偏差値だけから言うと非常に高くて
本人たちも非常に勤勉な学生から
他農耕として採用している企業の 成功例とかもありますよね
ですので
企業側からすれば 下請けに出すよりも自社で
土木も建築も電気も何もかも設計も何もかも できる人間を
育てた方がより効率的ということですよね
でその
勉強時間に耐え得るだけの精神力と体力を持ち合わせた
ものを採用して
まあいえば昔の宮田彦さんみたいな人を 100人ぐらい育てているんですよね
まあそういった企業さんもあるくらいですので
これから加速していくでしょうね
宝の持ち草れのホワイトカラーと
一本だけで突っ走る
腕の人間
そこの間に大きな溝があったんですけれども
それが融合したらすごい
化学反応が起きるだろうみたいなね
そういうふうに私も思いましたね
ですので
専門にとらわれる必要は全くないということをおっしゃってますね
途中から転校して頭の人間になりそれで立派に大成功している人は世間にいくらでもある
相川義介さんなども工学出身の大経営者だし
尾崎幸男さんなども古い工部大学の学歴がある
私の友人にもお医者から天下の大政治家になりすました 後藤新平なぞ
努力の新しい視点
っていうふうに書かれてますね 大学や専門学校で収めた3年や4年の学問で自分の進むべき道をことさら狭くして考えるのは
愚かなことだ 一芸一科に通ずればその道は
またすべての道に通ずるのだ というふうに続いていきます
学問と経験はいつも尊いその基盤となるも
なるものである というふうに
書かれております なんだかねこれねえっと
そしてね そこからねずっとね職業の増落下のお話に入るんですね
職業増落下は
この本の中にも
何度となく出てきますね その仕事がね
面白くてたまらない
お金は その後についても来るものだからその楽しいこと先に
もとことんやっちゃってる状態でそれそれを誰誰も止めることはできないという状態
が一番面白いのだと おっしゃってますね
で世間が努力というもの それを
凡人が 天才と競争するにはね
その世間が努力と言ってるのをまあ面白い 面白がってする
そういう ことですよね
でその後その 上位は常に空席であるという
団に入ってきますね 西洋の人生分にも何時の定石は常に空儀であるというのがある
本当に勉強し本当に実力を養うもののためにはその進むべき文庫はいつも開かれている 努力の前に閉ざされたもん
扉は一つもない 表紋が閉まっていても裏紋があり裏紋が閉まっていても塀を乗り越えるという手もある
まあですので
不動産を目指している方 まあいろんな
金融を目指している方 それぞれあると思いますがご商売を目指している方
空席 がもうないではないかって言うね
もう今今の状態全部埋まってるじゃないって言うね そういう考えは絶対に持つなということですよね
いつも入れ替わるのだと
で ええ
うのぼれというのはね 大きな地震につながって
行くのだけれど
中塾学者芸術家といった人々にはことにうのぼれが強い って書いてあるんですけれどもね
それをね人に見えないように小出しにしなければいけないと 大出しにしてはいけないと
おっしゃったんです でねぇ
政治とうぬぼれの脱線 まあねえ
昔ねえ 加藤六蔵という人が
愛知県選出の代議士に選ばれ 意気揚々として出教してきた際
福沢諭吉先生が それはめでたい
一つお祝いの詩を書いてやろうと言って早速筆を取られた 教師
狂う歌ですね
道楽のほっ
そのね 福沢諭吉先生の詩を読みます
道楽のほっ 勇士と
なす アホーの頂上
銀となす 電バタを売り尽くし
ごめんなさい 電来の電バタを売り尽くし去り
もらい得たり 一年八百均です すごいですね
それを筆で書いて その方にお祝いの詩として渡したらしいです
昔はそうでしたよね そこら辺の名詞の方が山とか田んぼを売り払って
政治家になりましたが そういう時代も
去りつつあります
これは大昔の話だったねって早く言える時代にすっかり入れ替わってほしいもの ですね
まああの努力というね
言葉から受ける印象は 非常に苦しい
忍耐を伴う
もののように 認識しておりますが
本田勢力のこの本の中でね 何度も出てくる努力っていうのは
道楽なんですね ごめんなさい
道楽無我夢中 止めようがない
そういう努力だと まあ旗から見たらすごい努力だなって
言ってはいただけるんですが 本人は何とも思っていない
まあそれがなければどの道に行っても成功はしないが それが
それさえあればどこにの道に行っても空席 上位は空席だぞ
いうお話でした では次回は最終章の人生設計の秘訣というところに入っていきます
本多静六の教え
今日はねもう本当にね起きたばかりで声がガラガラで申し訳なかったです 審判をしてましてねあのちょっと声を使いました昨日は
で朝朝一番で まだ6時ちょっと過ぎたばかりでこんな声で申し訳ございませんでした
では日曜日の今日もどうぞお健やかにお過ごしくださいませ ではごきげんよう