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こんばんは、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、今日はですね、まだね、消費税のナンバーを取ってなかったんですよ。
そうしたらね、えらいことになりそうで。
なんだかね、本当に、今頃何してんのって言われそうなんですけど。
本当にね、まああの、作戦さんからはよしてみたいな。
申し訳ございませんでした。
だいぶ前ですよね、皆さん。
Tの番号取られたの。何番が来るんでしょうね。
どのレシートを見ても、必ずね、Tナンバー入ってますよね。
こちらでね、入ってないレシートは、JAさんが経営してます。
非常に大きな野菜果物専門の生花市場というか、そういうふうな、JA経営のところがあるんですね。
そこだけですね、入ってないの。
あとはね、全部入ってない。
本当にね、申し訳ございませんでしたという感じでね。
でも、e-TAXですぐ取れるからって言って。
さっさとしてみたいに言われて、e-TAXで取ろうとしてたんですけれどもね。
私のスマホからでしたらね、ちょっとややこしいんですよね。
もう、あの、税務署に駆け込んだ方が早いと思って。
税務署に駆け込みましたですね。
ほんと、なんだかこういうことってね。
その税理者なしでね、自分で申告とかしてます私どもの弱小、自営業の場合ですね。
本当にね、大きな間違いをするところでございました。
カンプキンもあるかもわかりません。
あのT番号っていうのはね、宗教法人さんはないんですね。
お寺さんとか。
そうですよね。お寺さんとか税金ないです。かかりませんもんね。
そういう慌ただしい1日だったんですが、無事申請してきましたので、どうにか夫には報告いたしました。
水の薪の概念
でね、本題の方に入りますね。五輪の書の続きを読んでまいりますが、
今、私は水の薪を読んで、水の薪ですね。水の薪を読んでるんですけれどもね。
これがね、あと少しというか、もうちょっとありますね。
いろんな語句を書いてくださっているんですけれどもね。
それの17番目の留水の内ということっていうところからが続きになりますので、読み上げますね。
流れる水と書いて留水って読むんでしょうかね。留水の内ということ。留水の内といいて。敵相になりて。
相って書いてあるんですけどね。間合いの間なんですね。敵の間になりて。競い合う時。
近間になって、つばぜり合いとかになる時でしょうね。
敵早くひかむ。早くはずさん。早く太刀を張りのけんとする時。
我身も心も大きになって、太刀を我が身の後より、いかほどもゆるゆると淀みのあるように、大きに強く打つことなり。
打ちならいいては、確かに打ちよき者なり。敵の位を見わくること勧ようなり。
留水の内ということで、近間でね。近間で、つばぜり合いになって競い合っている時に、引き面を打てって言っているんじゃないでしょうかね。
太刀を我が身の後、後ですね。後よりっていうことは、かなり振りかぶってっていうことですよね。
いかほどもゆるゆると、早くじゃなくて、いかほどもゆるゆると、淀みのあるように。
そんなにゆっくり打って大丈夫なんでしょうか。ゆったりと、淀みのあるように大きく、強く打つことなり。って書いてあるんですよね。
小さくても打ち返されたり、打ち落とされたりする危険性があるかもわからないですね。
確かに、つばぜり合いから我々は、引き面を一番よく打ちますね。時々引き小手とか、引き戸も打ちますけれども、
引き面を打つ時に、ゆっくり強くて、ゆっくり打って大丈夫なの?って思うんですけどね。
でもね、ゆっくりしか打てない人と、かなりハイスピードな超一流選手が稽古した場合にね、
あまりにもゆっくり打ってくるので、それを避けようとするんですよ、早い人が。
で、避けようとしてるのにまだ半分ぐらいしか来てないんで、あれ?と思って外してね。
外して、なんで来てないの?と思って、外して後ろに下がったところに、まださらにゆっくり降りてきてるから、それを慌ててね、弾いたとかいうことがございましたからね。
でもそういうゆっくりじゃないでしょうね。心持ち、ゆっくりドカーンという感じなんでしょうね、と思うんですね、私の解釈ですが。
円の当たりの重要性
それとね、円の当たりということ。円の当たりって何ですの?円をつなぐの円の当たり。
えっと、43番。平方35か条の円の当たりということを参照してください。平方35か条って後ろの方に入ってたと思うんですけれども。
平方35か条の27番。27番。27番。円の当たりということ。円の当たりとは相手が太刀で斬りかけてくる場合の、接近しているときは、太刀で叩くこともあり受けることもあり、張り合ってぶつかることもある。
受けるのも叩くのもぶつかるのも相手を打つ手立てであると心得るべきである。
勢いのままに進むのも外すのも突くのも皆相手を打つためであるから、体も心も立ちもいつも相手を打つありようなのである。
よくよく考え尽くすべきである。円の当たりということ。我々円を切らないようにということはよく言うんですね。
釜山市内をだらっと外してしまって、ちょっと油断をすることを円を切るというふうに言うんですけれどもね。
円を絶対に切らないようにと。特に商談審査のときなんかね。
読んでみますね。円の当たりということ。我打ち出すとき、敵打ち止めん。針の剣とするとき、我打ち一つにして、
頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。立ちの道一つをもっていずれなりとも打つこと。打つところ、これ円の打ちなり。
この打ち、よくよく打ち習い、何度きも出会う打ちなり。再々打ち合いて、分別あるべきことなり。
自分のほうが打ち出すときに、敵がその立ちを止めたり、針の剣とするときに、自分のほうは打ち一つにして。
頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。立ちの道一つをもっていずれなりとも打つ。打つところ、これ円の打ちなり。
非常に難解ですね。円の当たりということ、ちょっと訳文を読んでみます。
己が打ち出すと、相手が打ち止めよう、叩きのけようとするとき、己は打ち一つで、相手の頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。
立ちの道筋によってどこであれ打つ。これが円の打ちである。
己は打ち一つで、相手の頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。立ちの道筋によってどこであれ打つ。これが円の打ちである。
打ち一つで、ということは一息で全部打てということなんじゃないでしょうか。
隙のあるというか打てる場所すべて一息で打てということじゃないでしょうか。それを円の当たりということなんでしょうか。
円を切らない一つの打ちで、一息で全部打てということなんじゃないでしょうか。
次に行きます。そういうことにしておいて次に行きます。ちょっと自信はございませんがそうではないかと思います。
次、19番目なんですけどね。一つ、切下の当たりということ。意思の非ですね。
切下の当たりとは、相手の立ちと己の立ちとが触れ合うほど近いとき、己の立ちを少しも上げずにできるだけ強く打つことである。
このうちは足も強く、身体も強く、手も強く、三つの強さで素早く打たなくてはならない。このうちは何度も打ち習わなくては打ちがたい。
よく稽古すれば強く当たるようになる。
立ちが触れ合うほど近いとき、触れ合ったらもう近いんですね。
一足一刀の間合いとか職人の間とか言い分けてますけどね。
先っぽが触れるのが職人の間合いで、もうちょっと入って一歩で打てるところを一足一刀の間合いとか言いますが、
この時代は立ちの長さもあったとは思うんですけれども、触れ合うほど近いときは少しも上げずにできるだけ強く打つ。
少しも上げずにできるだけ強く打てるように何度も何度も稽古しなさいということですね。
近間から、これは私たちも稽古してますね。小さい頃から早い面打ち、小手打ちですよね。
よく稽古すれば強く当たるようになる。そうですよね。
もう一ついきますね。20番目です。
モミジの打ちの技術
モミジの打ちということ。
ごめんなさい。
モミジの打ちとは相手の太刀を打ち落とし、相手の手から離させる打ちである。
これね、時々ね、する人あるんですね。
相談審査でこれをしたら、あんまり評価はいいことないんですけれどもね、これで打ち落とされて竹刀が飛んじゃったりしたら、その手から外れちゃった人は一発不合格ですね。
試合の時は反則を捉えますね。
手から離れて落としちゃった人がね。
恋にね、打ち落として手から離そうとしたような打ちだと判断された場合は、打ち落とした方が反則を捉えますね。
モミジの打ちということ。
モミジの打ちとは相手の太刀を打ち落とし、相手の手から離させる打ちである。
相手が前方に太刀を構え、打とう、叩こう、受けようとする時、己は無念無想の打ちであれ、せっかの打ちであれ、相手の太刀を強く打ち、そのまま続けてどこまでも相手の太刀に粘りつく心で太刀の先端を押し下げて打てば、相手の太刀は必ず落ちるであろう。
この打ちを鍛錬するならば、相手の太刀を打ち落とすことは優しい。よくよく稽古すべきである。
もし、相手は相手の太刀を使って打ち落とすのが好きであるといったら、相手の太刀を使いながら打ち落として、相手の太刀を打ち落とす。
太刀を相手が落としてしまったら
もうそこで勝負ありですもんね
太刀の先端を押し下げるように
なるほどね
私たち
女子男子って分けて考えてはいけないんですけれども
相手の太刀を打ち落とそうとか
いうふうに稽古することはまずないですね
落ちないっていうふうに思ってるんでしょうかね
かもしれないし
その次の打ちを打つ方が有効打突になると
反則と有効打突だったら
有効打突の方がいいんじゃないか
みたいなそういう感覚ですね
まあ昔とはちょっと違いますよね
まあ太刀を落としてしまったら
もうそこで参りました
で命乞いをするか
何かですよね
その一瞬にしてもう勝負あったで
決まっちゃいますよね
ということで
茶花と生け花の美しさ
ちょっと長くなりましたので
ここら辺にしておきます
モミジの家って言うんですって
モミジがハラハラと木から離れるように
そういう表現なんでしょうかね
そういう比喩なんでしょうかね
まあ今モミジの季節ですが
紅葉をしたね
南天の葉っぱに庭で咲いてました
日々草を少し小さな食器にね
本当に一番最小の剣山を使って
ちょっと行けてるんですけれどもね
本当に可愛いですね
小さく小さく小さく行けてるんです
でその後ろにね
えっと方向材の口の小さな高さがね
10センチ裏でしょうかね
の小さな茶色の小瓶っていう曲がありました
茶色の小瓶にこれも色づいてます
南天の葉それと庭に今まさに満開になってます
糸菊ピンクの糸菊を一輪飾っていけております
もうねなんだかね茶花風の
あの小さなね
その角今まで習ってた角とちょっと外れて
茶道の方に近いような
あのお花なんですけれどもね
でも自由なんですね自由で
しかもあのお花を曲げたり
木を曲げたりすることは一切しないんですよね
やっぱりそれが夫は癒されるみたいで
こういうお花を行けて欲しかったんだっていう風に
申しましたね
びっくりしましたけどね
やっぱりそれはやっぱり私自身がね
うすうす感じてたことだったんですよね
この時期やっぱり菊使いますでしょ
で菊のあの古典的な生き方
角花って言うんですけれどもね
それを生けようとしたら中にね
針金を通すんですよ
もうなんかそれが残酷で残酷で
私はもう菊の稽古が大嫌いだったんですよ
でもう嫌とか言いながら針金を通す姿なんかを見てたので
夫が毎年毎年ね
もうそういうのはやめたらどうよって
言ってくれたんですよね
美しいとは思わない
確かにね
あの盆栽のようなね
こう曲がった曲線
本当に稲葉浦のように曲げてね
それがスケートにしても
稼働にしても
なかなかできない技術で
それが美しいと見る人もあれば
中には窮屈だっていうふうに見る人もいるんですね
ですのでもうホッとするような
その茶花のようなお花を生けて欲しいと
リクエストがありましたのでね
もう角羽根は卒業してもいいかなって思っております
ちょっと長くなりましたが
では皆様寒くなりましたので
どうぞお体お祈りくださいませ
ではごきげんよう