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みなさん、こんにちは。私は今朝早朝から非常につらい状態です。
友人が交通事故でずっと集中治療室におりましたが、本日亡くなりました。
まだ若いです。50になったばかり。非常に元気な人で、私とは非常にご縁がありましてね。
私の小さい時からずっと私の実家の裏で、裏の竹山で市内を作ってくれている高橋のおじちゃんの弟子の
ブラジルにお住まいの木村光雄様とおっしゃる、剣道界では非常に有名な方に、
彼がブラジルに2年間いらっしゃった時にお座り、退座中にお亡くなりになり、
そのことを当時日本人学校に勤めていた彼は、小学生に1年で1回発表する大きなイベントの時に、
劇で木村光雄さんの一生を子どもたちが演じたらしいのですが、その時のDVDなんかもいただきました。
彼は非常に元気で、稽古の間、先生を待つわずかな時間も早すぶりをして、
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誰よりも早く飛んで帰って、次子どもたちの稽古があるからといって飛んで帰って、
去年の今頃、初めて八段を受験するというので、私は彼に非常に可能性を感じていたので、
その時、私の恩師の奥様ともう一人の恩師の奥様に続けてお会いした時に同じことをおっしゃったので、そのことを伝えました。
私が可能性を感じたのは、ただ二人だけだった。その一人でした。その二人に同じことを伝えました。
八段は難しいけれど、二人の奥様のお話を伺う限り、やはり奥様の存在は大きい。
と彼に言いましたら、「大丈夫。うちの奥さん協力的やから。」と明るく大きな声で答えてくれました。
協力ってそういう意味じゃない。あなたがどれだけ奥様に感謝しているか。
今日帰ったらすぐに三つ指をついて、奥様に、あなたのおかげでここまで来れました。ありがとうございましたっていい。
私は言ったんですよ。そしたら、その次の週に私のところに飛んできました。
だって言うんです。奥さんなんて教えてたって言ったら、笑ってた。
そんな会話の一つ一つ、もう次から次へと思い出されて、せめてパンキーさんのような状態でもいいから帰ってきてほしいと願いながら、
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一方ではこのまま楽になった方がいいんじゃないかとか、かわいそうな姿で帰ってきても思ったりしながら、
今朝目覚めた時にいたたまれなくなって、近所のご住職の朝のお勤めに、十字だけ持って走って行きました。
その時にはまだ亡くなったことを知らされてなかったので、ご住職にこういう状態なんですということを申し上げたら、
ご住職は死ということはそんなに悪いことじゃないんですよ、一言おっしゃって。
長生きして、長生きした先に罪を犯す人もあったり、私にゆっくり説明してくださいました。
私は少し落ち着いて家に帰りますが、それでしばらくするとご静家の連絡が入りました。
やはり交通事故っていうことはね、なんだかどうしてそんな時間にそこを歩いてたのとか、いろいろ考えてしまうんですが、
まだ約束したことも果たせてないし、お互いに私が真剣に話してるのに大笑いされたこともありました。
そんな大きな声で明るく高らかに笑う言い声がね、今思い出すことってそういう楽しいことばかり。
お互いにしんどいね、稽古を朝の早くから山奥で続けていて、コロナになって苦しい時代を越えて、
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やっと思い切り稽古できるようになって、師匠も本当に合格させてやりたいと必死で、それに本人も必死でついて行ってたのに、
本当にね、命の大切さ、ありがたさっていうのをしみじみと感じた一日でございました。
ちょっと心が落ち着くまでの時間が必要だった。
でも彼がね、私たちにどうして欲しいかっていうことをよく考えながら、
なぜこんな時期にこんな早く行っちゃったのか、もう少し動揺が収まりませんが、
皆さん、本当に夜遅くとかはあまりお歩きにならないように、
そして、一日一日生かされていることに感謝して、生きていきたいと存じます。
本当に今日はごめんなさい、こんな放送になりましたが。
ではごきげんよう。