そういう話をちょっとした方がいいかなと。メリットしかないんでみたいな話をちょっとした方がいいかなと思ったのが背景ですね。
じゃあどんなメリットなのかと。
実際どうですかしめきさん、外交したことによってエンゲージメント結構高くなったかもみたいな、実感が得られたタイミングとかってあったりします?
僕はやっぱり営業目的だったりとか、もしくはアライアンスとかっていうのもあったりはしますけれども、自分の会社のこととか自分のサービスのことを魅力的に伝えようっていうふうに頑張ってするんですよね。
ビル合成みたいな感じにもなっちゃいかねないですけど、でもそれをどうやったらよく説明できるかな、どうやったらこれ面白いと思ってもらえるかなってすごく試行錯誤しながら何回も頑張って話すんで、
そうしたら勝手に自分がこのサービス好きだなとか、このサービス魅力的だなって自分が発した言葉が返ってきて、自分にすり込まれていくみたいなこととかはあったりしましたね。
ありがとうございます。百点満点の回答です。
じゃあもう今日終わりですか。
正直ね、結局外交してる時にその自分の会社の愚痴とか言う人ってほぼいないんですよ。
うん、そうですね。
前提として、何でかっていうとちょっとプライドとかも働くからですね。
そうですね。
ちゃんとイケてる会社に勤めているぜと。
はい。
今どんなことやられてるんですかとか、どんなビジネスモデルの展開なんですかっていう時に、うちはこういう風なところに強みがあってとか、そういうの語るでしょ。
めっちゃ語ります。
そういうの語り合い合戦になるでしょ。
はい。
仮に社内にいる時には、このビジネスちょっときついだろうとか、マクロ環境的にちょっとどうなんだろうみたいな思ってることがあったとしても、いざ社外の人と外交してる時に、どうなんですかぶっちゃけみたいに言われた時に、いや全然こういうところにチャンスあると思ってますよとか、そういう言い方するでしょ。
しますします。だから自分が普段ネガティブに考えてるなみたいなことも、ポジティブに変換して言うっていうのは癖づきますね。
でも結局それって別に嘘をついてるわけじゃなくて、本当にその会社が伸びてきた理由とかをちゃんと自分の会社の強みをアピールする時に、割と語ってることが多いわけですよ。
それは自社の強みとか魅力の再発見になってるわけですよ。自分なりのアピールしようとするプロセスの中で。
事実を持って言うというよりかは、捉え方を変換して別の角度から言ってポジティブに伝えるみたいなことが多いですからね。
そうそう。結局元となってる事実とかファクトとかアセットとかは変わらないはずなんだ。
そうです。
なので結局、自分の置かれてる境遇がちょっと辛い環境だからちょっと愚痴言を吐いたりとかネガに捉えたりとかっていうのってよくあるかなと思いますけれども、
ポジティブに伝えようとする中で自分たちの強みとか良さってこういうところだよなっていう捉え方の変換に結局自動的になってるんですよね。
なってますね。
結局会社の良し悪しなんて、自分がいる会社の良し悪しなんて全部捉え方でしかないんで。
逆にめちゃくちゃきつかったとしても、今すごいチャレンジングな環境で刺激的で面白いですよっていう捉え方もあるかもしれないじゃないですか。
結局その認識のフレームワークを変えれるかなんで、それが結構外交する中でアピール合戦みたいな感じになった時に割と自然と行われるわけですよ。
それがまず1個目です。
あともう1個は、結局苦しい話とかもすると思うんですよ。
しますね。仲良くなっていけば。
そう、愚痴ってよりかはこういうところちょっと辛いんだよねとか苦しいみたいな。
でもその話をした時に向こうもそういう話をするじゃないですか。
だいたい共感されるじゃないですか。だって同じような境遇にいる人だもん。
こっちが50人くらいのベンチャーで話してる相手が1万人くらいいる会社の係長とかだったら全然話し合わないと思いますけど。
ある程度同じ境遇の人と外交する前提に立った時に共感し合えるじゃないですか。
そうなると、自分だけが苦しいと思ってたけど、全然そうじゃないんだな。
同じような境遇の人たちって社会にいくらでもいるんだな。
っていうのでやっぱり安心感が得られるというか、不必要な自分だけを被害者にするような悲劇のヒーローをヒロインにするような妄想から解け放たれていくわけですよ。
共感し合うことによって。それも絶対でかいと思いますよ。
やっぱりその授業と組織に責任ある立場の方ってすげえ向き合うじゃないですか。
そこで何回一生懸命頑張ろうと思って仕事を冒頭すればするほど視野が狭くなっていってしまってるなって思うんですよね。
そうなると自分の会社だからこういうふうなことになっちゃうんじゃないかとか、この上司の下だからこういうふうに言われるんじゃないかみたいな偏った思想というか。
個別課題、個社課題だと思っちゃうんだけどね。
個別性を頭の中で、それが悪いんじゃないか、あいつが悪いんじゃないか、この会社が悪いんじゃないかって思っちゃうんですけど。
外に出た時に客観的に見たりとか、あとは僕がすごく良かったなと思うのは、対比をしながら見れるっていうことだなと思ってて。
自分の考えの中だとこうだけど、だけでやってたら同じループになっちゃいますけど、
人の意見を聞いたりとか、同じ状況なんだな、冷静に見たら自分も一緒だなみたいな感じになると客観視できるというか、フラットに物事見れるっていうのはすごく良かったなと思いますね。
同じことを社内の人間に言われても響かない時ってあるけど。
社外の人間だったら、それはまた完全なる第三者性があるから、やっぱりそうなのか、自分がちょっとうがった見方してたんだなとか。
そういうふうにフラットに判断しやすいと思いますしね。
だからこの自分だけじゃなかった感みたいなのは結局大事かなと。
そうなんですよ。やっぱり弱みとか、ダサい自分とかって社内でも出しづらいじゃないですか。
だから利害関係が全然ない外の人で、仲良くなった人にポロッと言った時に、それが共感できるだけでも救いになったっていう経験もありましたね。
そうなんですよ。
だから案外どこも同じような苦しみとか辛さとかはあるなと。
その中で自分たちの強みとかアセットみたいなのをアピール合戦のところで気づいて、だから2つの向上があるわけですよ。
自分だけじゃなかった。自分だけが悲劇のヒロインヒーローじゃなかった。
自分たちの会社って捉え方次第で全然良いアセットがあるんだな、良い強みがあるんだなみたいな。
結局隣の芝の方が多い効果って、隣の芝をそんなに見れてないことが問題だと思う。
そうですよね。
それに幻想を膨らませてるんですよ。
結局隣の芝とちゃんと向き合って情報交換して。
うちの庭だって別に夏になったら雑草すごいむしるの大変だし、変な虫いるしとか。
そういうのを、別に隣の家の芝が綺麗だなっていう裏には自分たちと似たような苦労、自分たちとは違う苦労。
案外自分たちも全然悪くないな。そういうのを俯瞰してみるきっかけになるわけですよ。
そうですね。ちょっと隣の芝っていう言葉に引っ張られすぎて、芝で例え続けてたら変な方向性に。
しょうがないですよ。芝は芝なんだから。
僕も営業活動の一環でやらせてもらってますけど、自分で会を開いたりしてるのは、ある種自分がその外交活動の中で成長できたりとか、
川崎さんがおっしゃってくれたような、自分自身の目の前の現状の捉え直しができたりとか、心が楽になるとかそういったこととかもすごく価値を感じたんで。
なのでそれを実感してもらいたいっていう思いもあって、いろんな会をやってるっていうのもありますね。
大事だと思いますよ。
ベンチャー企業それぞれすごく素敵な夢を持ってて頑張ってる人たちばっかりなんで、そういう人たちがちゃんと健全にチャレンジできるような場を作っていきたいなって僕は思ってますね。
もちろんね、たまに時に外交とかをしてもらったことによってできた接点で引き抜かれちゃうとかはゼロじゃないと思いますよ。
会社に対するエンゲージメントがあまりにも低くなっちゃったらね。
でもそれはエンゲージメントが低いことが課題で、外交が直接的な要因になることはなくて、むしろ自社のエンゲージメントを高めたりとか、隣の芝をむやみ当たりなおく思うみたいな。