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このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人の学びをサポートしている2人がそれぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今回もよろしくお願いします。
お願いします。
今日話したいことは、リフレクションです。
メタ認知の話をしたときも、前回の言葉を使わない学びっていうところでも出てきてましたよね。
確かに、結構よくベンダーから使っている単語ではあるんですけど。
割とね、私もトモコさんも身近にあるものなのかなっていう気がしています。
リフレクションっていう単語は、えみさん、やっぱりあれですか、大学院で英語で学びました。一番最初。
そうなんだと思うんですけど、あんまり覚えてなくて、もともと私反省癖があるので、振り返ったり、くよくよしたり、がっかりして。
そういうのはずっとあるので、あんまり気に留めていなかった。
リフレクション自体をあまり掘り下げて深く考えていなかったっていう感じがします。
なるほど、今なんか反省っていう単語が出てきたと思うんですけど、
日本でリフレクションっていうと、数年前に熊平さんが書かれた本があるんですけど、
それでリフレクショントーンって単語が広まる。
その前からもちろんリフレクションって単語をいろんな人が使ってたと思うんですけど、
企業とか組織とかの中での学びの文脈でリフレクションっていう単語が、
あの本とかを通じて広がったなっていう、リーダー育成の文脈で私は思ってるんですけど、
その時に日本語の訳として内省って使われてるんですね。リフレクションの説明をするときに。
で、本の中にも反省と内省はこう違うんですよみたいなのがババンって書いてあるんですけども、
面白いなと思ったのは、私海外で大学院でリフレクション一番最初に学んだときは、
反省っていう単語と別にセットで学ばなかったんですよね。
で、当時グループラーニング、大人がグループ、チームになったときにどう学ぶかっていう授業を学んでいたときに、
初めてリフレクションインアクションっていう行動をしている中でリフレクションをするみたいな話を聞いたときにリフレクションっていう対話を知ったんですよね。
ドナルドショーンさんっていうプラクティショナーがどうやってその振り返りを構造化するかみたいなリフレクションインアクションとリフレクションオンアクションと、
私の教授はアクションの前のリフレクション、3点セットでリフレクションみたいな話をそのグループラーニングの授業で教えてくれたときに、
リフレクションって3つのタイミングで起きるのね、それが大人のグループラーニングのとき重要なのね、みたいなので私は初めてリフレクションを学んだんです。
反省って意外と出てこなかったなっていうのをその日本の文脈でリフレクションが広がっていく中で感じたりしています。
英語的に言うとリフレクションの中に日本語で言うところの反省も内省も他にもいくつか訳語があるんですけど、
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含まれているので実際にはそんなに区別しているわけではないんですけど、
日本語で話すときにはね、やっぱり反省って言うと良くないことを自分で手がめるみたいな印象が強いので、
あえてここは分けて日本語のカタカナで書くリフレクションについてっていうのがね、今日のテーマですね。
ちなみにその冒頭でもおっしゃったメタニンチとリフレクションって結構似たような話をしていると思うんですけど、
エムさんの中でその2つってどういう関係性みたいなイメージってありますか?
確かに言われてみると重なっている部分があるのかなとか、鶏と卵の関係なのかなとか、
ちょっと調べたりすると研究の中でも混ざっているなという感じがありますね。
メタニンチを上位概念において、その下にリフレクションを置いているものがあったり、その逆があったりするので、
そこは自分の解釈でいいのかなっていうところなんですけど、
私個人的には別のものというふうに考えていて、
メタニンチというのは、認知っていうぐらいなので認識する、分かること、
それに対してリフレクションっていうのはその把握したものに対する個人的な判断とか解釈、
やはり感情や個人の経験が絡んでくるので、
必ずしもその認知したものそのものではなくて、
自分なりの色付けをしたものかリフレクションっていうふうにちょっと分けて考えていますね。
私もさらっと調べた感じだとほとんど違わないんだろうなという印象を抱きつつも、
トーンとしてはもう少し動的な動きをリフレクションは持っていて、
振り返って気づいたことが何か次に繋がる。
次に繋がる時もあるんですけど、多分自分の中で溜まっていく、
自分という人間が思っている価値観がより色濃くなったりとか、
前提がよりちょっとシャッフルされることが起きたりとか、
もしかしたら具体であれもやってみたいなっていう前に進む力になることもあるかもしれないですけど、
リフレクションというものがメタニンチした材料をもとに起きることで、
次に繋がることが期待されるアクションがリフレクションなのかなというふうに思いました。
そうですね、その企業研修にしてもちろん教育の文脈でもリフレクションっていうのは、
教員向けにも学習者向けにもたくさんありますけど、
目的として、じゃあそれをもとに次どうするっていうのがね、
あってやることだったりもするので、
次のアクションっていうのはそういうふうに繋がってくるのかもしれないですね。
そうですね、確かにこういう本で見たりとか、
人材育成とか教員育成の文脈でリフレクションっていう時は明らかに気づきを得て、
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気づきを凝縮して次のアクションに繋ぎましょうみたいな目的が前提としてある文脈でリフレクションって使われてるような気がしますよね。
ただそうじゃないリフレクションもあるなと私は思ってるんですけど、
エミさんはご自身の生活とリフレクションってどういう関係性があったりとか、
エミさんリフレクションってしてますか?
私自身のリフレクション、今してますけどね。
確かにね、結構いろいろな対象が、そもそもリフレクションする対象っていろいろありますから、
価値観とかに対してのリフレクションにもなるかもしれないし、意見とかね。
例えば、受講生の方とセッションが終わった後、受講生の方には振り返ってもらう時間があるわけなんですね。
同じように私も今日のセッションについて振り返りをしているので、
書き残すまでやることは最近は少ないですけど、最初の頃は毎回書き残していましたね。
それ確かに私も似てるかもしれないですね。
コーチングセッション終わった時に、その時に起きたことを振り返るみたいなのを確かにやって、
研修をデリバリーした後も、やっぱり直後にね、一緒に同席してた仲間とちょっと振り返りましょうかって言って、
話すのもあれもある意味リフレクションだなーって今見てて思いましたね。
割と日常的にやっていますね。
確かに。リーダーシップの研修以降やった時に、1週間のセッションで、
なんか合宿的な感じで毎日やったやつがあって、
その1日1日の終わりにジャーナリングをするみたいなのが設計の一部にあったんですね。
結構密度が濃い数時間の後に、そしたらすぐ書き出す。
ノートとか支給されてるんですよ、研修プログラム特有の。
で、みんなそれを開いて思い思いの場所で書いている人がいる中で、
20人ぐらいいる中の2、3人はジャーナリングって何すればいいんだろうみたいな、
その行為でリフレクトすることが意外とフィットしないみたいな、
今までやってきてないからやり方がわからないとか、
なんとなく周りを見てわかっても、
それが本来のリフレクションの効果を生まないみたいな人たちがいるってことを当時発見して、
結局1人の人はなんか詩かな、詩を自分で作って、
その詩をスマホで録音して保存してたんですね。
いいですね。
彼にとってはそれがその日に起きた自分の気持ちとかをキャッチするのが一番良い。
なので、それを学んでからはメンバーともそのインサイトを共有して、
リフレクションの仕方としては目的は当日のことを振り返る、
記憶をする、明日とかにもう一回見えるようにすることなので、
やり方は任せるみたいなリフレクションに変えたことをちょっと思い出しました。
だからリフレクションの仕方も人によっていろいろ、
というかそもそもリフレクションというものをするっていう行為に対してもいろいろかなと思ってるんですけど。
そうですね。教員の中で影響力がある方の発言の中にも、
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ご自身が大学院で留学した時にリフレクションリフレクションって言われて、
かったるいなっていうふうに表現されていたことがあって、
わりとそれに共感する教員の方も多かったりとかね、
子供の頃に書かされた読書感想文みたいなものを想起させてしまう、
意味ないなと思いながら書くとか、ありきたりなことを書いて埋めるとか、
そういうわりとネガティブな印象を持っている人もいらっしゃって、
なのでリフレクションの最初につまずくというのかな、
書きにくそうにしている人っていうのはね、実際大人の学習者でもいますよね。
うちのプログラムでは、毎回の振り返りとある程度まとまった時の振り返りとしてもらっているんですけど、
もう書くことが溜まっていて、待っていて書くっていうね、
そういうタイプの人と、本当に拍手を前にポカンとしてしまうような人がいて、
それは名前が良くないのかなと思ってリフレクションにしてみたり、感想にしてみたり、
振り返りに変えてみたり、色々したんですけど、
何がフィットするかそれぞれっていうのはトモコさんおっしゃる通りで、
フォーマットも結構自由なフォーマットにしているんですけど、
典型的なのは文字でザーッとすごく長く書いてくるっていうのがね、
割とリフレクションに慣れているタイプの人で、
慣れていない人になると本当に過剰書きとか疑似録みたいなスタイルからなかなか抜け出せないっていう人もいるので、
リフレクション、はい、してくださいって渡すだけではなくて、
リフレクションにもやっぱりステップを作ってあげる必要がある学習者っていうのはいますよね。
そうですね、確かに問いの出し方とか、
自己アンケートのところで、アンケートとしてフィードバックも欲しいんだけども、
アンケートの場をリフレクションの場にすることも私結構あって、
その時にリフレクションをして欲しいように問いを書かないと、
例えば、どういう気づきを得ましたか?みたいなやっぱり難しくて、
過剰書きが来ちゃうというか、
そうじゃなくて、印象に残ったのは何ですか?それはなぜですか?みたいなぐらいにすると、
少しストーリーが出てきたりとかしますけど、やっぱりありますよね。
リフレクションを促進する仕掛けみたいなのは確かにありそうな気がしますね。
例えばね、先ほど出てきた熊平さんのリフレクションっていう本も、
読んでいる最中からリフレクションが起きてくるなっていうのを感じながら読んでいるんですけど、
でも人によってはここからどうすればいいんですかっていう人もいるんだろうなっていうのをね、
想像しながら読んだ感じでしたね。
ありますよね。結構ブログをね、私もゆみさんも書くことを習慣にしてきていて、
ブログを書くっていう声がすごくリフレクションのアウトプットでもあるけど、
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プロセスでもあるじゃないですか。
多分それが比較的慣れてるから、なんかいろんなことでうっかりするとすぐリフレクションが起きるというか、
リフレクションにアクションが起きるというか、
例えば先日ね、ゆみさんと私でウェビナーに参加してましたけど、
ウェビナーに参加しながら違うことで頭が動き始めちゃって、
これはこういうことなんじゃないか。
これはつまりこういう意味づけが自分にはあるみたいなのが同時でパラレルで起きやすいというか、
その場に集中してないってことかも。
なんか今話しちゃったんですけど。
そんなことはないです。ちゃんと聞いてましたよ。
リフレクションしやすい体質。
そうですね。なんか体質みたいなものができていると、
ちょっとしたインプットからわーっとこうリフレクションが始まるみたいなことがね、
起きやすくなるんですけど、
化学反応が起きるのにちょっと時間がかかる。
スパークしにくいっていう場合もありますよね。
そうですね。だからたぶん人材育成とかの文脈で、
ちゃんと数少ない経験を糧にちゃんと学びをしないと、
無自覚で過ごしてて同じ経験で同じことをするでしょみたいな文脈で、
そのリフレクションの大切さみたいなことがあるんですけど、
やっぱりリフレクションをした方が経験がよりカラフルになるというか、
そういう可能性はあるんじゃないかなと思ったりするんですよね。
ちょっとリフレクション好きな人のバイアスが入っちゃいますけど。
そうそう。リフレクションが苦手な人っていうのは、
恥ずかしさとかね、自分を見つめることの怖さみたいなものをね、
持っている場合もあると思うので、
どんなにいいと言われても、何かそれこそ感情的にね、
なんか抵抗感があると思うのでね、
その辺ちょっとね、ほぐせるようになると、
自然に受け入れられるようになっていくのかなという気もしますけどね。
さっき読書感想文の話があったんですけど、
私も確かに振り返ってみると、あんまり読書感想文を書くのが好きじゃなかった気がするんですよね。
で、今読書感想文を書きなさいって言われたら、
自分がこう思ったって、結構自分を主語にバンバン書きたいことを書くと思うんですけど、
多分、もしかしたら子供の頃は、
この本の読書感想文にはこういうことを書いたほうがいいんじゃなかろうかって、
多分すごく気にして文字をひねり出してた記憶があるんですよね。
で、なんか楽しくなかった。
だから誰かの期待値に意識して、
何かをひねり出さなきゃいけない行為として意味付けていた気がしてて、読書感想文を。
それが苦手意識にしていたのが、もしかしたらそのリフレクションが、
苦手な人って自分を主語に何を感じたとか言われてもみたいな、
なんかそういうのちょっとつながってる感じはしますよね。
そうですよね。
なんかそういう誰かの評価を得るんだとか、正解があるんだ、それに近づこうみたいなね。
そういう心意気でいくとリフレクションはうまく進まないので、
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どう思われようと私はそうなんだっていうふうに、
ちょっとある種開き直りが必要なところはありそうですね。
そうですね。
上司が部下に振り返りを促しながら新しい気づきを得てもらう関わり方をするときも、
おそらく上司が答えを持っていると上司が思っていて、
お前この体験から何学んだんだって、
なんかそれを言い出そうとするのが伝わってくると、
本当の意味でのリフレクションや経験学習にならないですよね。
それとちょっと似てる気がしていて、
本人が何を感じてどういうふうに思って何を得たかっていうのを、
ちゃんと出すのを見守ってあげるというか、
それが関わる側としてはやらないと、
相手には本当の意味での意味のあるリフレクションは安心してできない気がします。
そうですね。
やっぱり心理的な安全っていうのが確保されていない場所でのリフレクションっていうのは、
本当に形式的になってしまいやすいですよね。
なので正解を出さなきゃいけない。
綺麗にまとめなきゃいけないみたいなね。
縛りがあるうちはなかなかリフレクションが進まないかなという感じがしますね。
ブログも似てますよね。
この人にこういうふうに思われたいみたいなことを考えると、
ブログ全然書けなくなるじゃないですか。
書いてる人も読んでる人もつまんないですからね。
そうそう。
なのでやっぱり自分が書きたいから書いているそのプロセスをリフレクションしながら楽しみ、
書き終わったものも自分のためにみたいなものがリフレクション用のブログとしては神話性がよくて、
もっと違う目的のブログも世の中にいっぱいありますけど、
それは多分リフレクションのツールじゃないですね。
そうでしょうね。
ご存知の通り、私はアクションに偏りがちな人間なので、
立ち止まる仕組みみたいなのが結構少なくって、
こうやって人と話すことによってある意味止まっているわけではあるんですけど、振り返ったりとか。
けど自分にとっては結構ブログはその時立ち止まるみたいな、立ち止まって走ってきたことを振り返るみたいなきっかけとしてはすごく活用してきたんですよね。
なるほどな。
今回そのリフレクションっていう本を読みながら思ったことの一つに、
ビジネス文脈でのリフレクションっていうのは、そうやって走り続けている人、
突っ走っている人を褒める、ちょっと立ち止まらせるっていう、
そういう風な位置づけなんだろうなっていうのは、
例えば英語学習者に対するリフレクションの働きかけっていうのは、
そういう面もなくはないんですけど、
一方で立ち止まっている人を進ませる、背中を押す働きかけであることが結構多くて、
リフレクションをすることで心配が減ったり、少し前向きになって、
それならいけそうっていうね、スタート地点に押し出すためのリフレクションっていうのはね、
わりと教育の現場では、そちらの方が多いかなという気がしたので、
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その辺ちょっと違いがあるかもしれないですね。
面白いんですけど、今、えみさんが言った文脈でのリフレクション、
立ち止まっている自分の中に入っていく活動は、
私の中だとリフレクションっていうカタカナよりは自己内政みたいな、
なんか少し言い換えをしている気がするなと思いました。
同じことなんですけどね、リフレクションの和訳って内政もあるから、
だけど私たぶん、例えば研修の設計するときにここで自己内政を促すとか、
リフレクションを促すってあんまり言わないような気が急にしてきた。
面白い。
なので、自分の中でたぶん少し違い分けているんだろうなっていう気がしましたし、
感情のモニタリングとかって大きな意味では、
自分の中でこういう心が動いたっていう体験をリフレクションするなので、
リフレクションなんだけど、感情モニタリングって言ってるような気がするんですよね。
振り返りとかもね、リフレクションの時間ですっていうよりは振り返りの時間ですっていうような、
反省する時間とかもね、あるかもしれないし。
今回私、改めて本に沿ってストーリーテリング、ビジョン語りっていうのをね、
やってみたんです。初めて。
なんかビジネス書にある単語をエミさんが言ってると面白いですね。
ビジョン語り。
ちゃんとこうステップがね、作ってあって、
ある種セルフコーチングみたいなことがね、しやすいようになっているので、
じゃあこれを一回やってみようと思ってですね、
ステップとしてはまず意見、それに紐づく経験とか感情、
で、それを踏まえてどんな価値観を持っているか、何を実現したいか、
その実現したいことはなぜ大切かっていうのをね、書いてみたんですけど、
納得感が高まりました。
なるほど。
なんか別に普段から考えているし、
新しい発見があったという感じではないんですけど、
しっかりわかった感じがしますね。
なるほど。
エミさんにとってその話しながらリフレクションする、
振り返りするっていう体験と書きながら一人で向き合うと、
なんか得られる効果って違ったりします?
あんまり私は区別してないかもしれないですね。
ただ書いたものっていうのは読み返せるので、
改めて目で確認ができるっていう違いはあるかもしれないですけどね。
出てくる内容とかリフレクションのプロセス自体は、
一人で書く場合でもその書く手前では自分と何か対話をしているような感覚はあるので、
あんまり違わないかもしれないですね。
トモカさんどうですか?
話すのは相手によるっていう感じがしますね。
結構話す体験がリフレクションになるかならないかは結構違いがあるなと思っていて、
一方で書くことはエミさんが言ったように、
自分で書いたものが目の前にテキストとして現れるので、
結構その瞬間にまたメタ認知というか振り返りが起こることによって、
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自分と対話を具体でしやすいので、
かなり違う体験になるなっていうのがあり、
流れていかないので、消さない限り目の前にあるのでそれを考えることが続いたりとか、
保存して終わったって思っても、
2日後に読んでみたらまた思うことがあったりとかっていう要因が長続きしやすいっていうのがあります。
書くことで一旦形として収まるんだけれど、
またそこから動き出す、そういう動きとか自由度を許容した方が、
より良いリフレクションが続いていくっていう感じはしますよね。
書いたから完成、出来上がり、固定みたいな、
そういうのではなくて、一旦今の形としてアウトプットにして、
で、ちょっと距離を置いて鑑賞するみたいなね、
そういうための書き出しっていう感じがしますね。
あとは今話してて思ったのは、
自分は職業柄、他の人がリフレクションをする場を作るのが好きなんだろうなと思っているので、
話すことという文脈の時に、どうしても自分が仕掛け人になっていることの方が多いかもしれない、
そういうのもちょっと話すと書くのを割合的には、
自分のリフレクションには書くことを使うことが多いんだろうなっていう気もちょっとしました。
話す時は伝えてることが多かったりして、
リフレクション、このポッドキャストではしてますけど、
意外と改めて考えてみて、話しながらリフレクションをするっていうのは、
自分の中では結構貴重な時間なのかなと思いますね。
リフレクションは新しい情報ではないんですよね。
もうすでにやったこと、知っていることっていうのを改めて違う角度で見てみるとか、
改めて噛み砕いてみるとか、そういう作業ですからね。
そう思うと、私、多分話すことによるリフレクションより、
音声を聞くことのリフレクションが多いんだと、今改めて気づきました。
ポッドキャストとかウェビナーで、自分が少し知っていることを流しきりしながら、
新しいことも入ってくるんだけど、
メインは頭の中でリフレクションがくるくる回ってくる感じがします。
なるほど。じゃあ、ともこさんのリフレクションを促進する材料としては、
耳から入れる、ともこさんの中にある程度知っている知識とか経験があることを聞いた時に、
一番リフレクションが起動するっていうことですかね。
起動してますね。起動して、それをブログに書こうとか、
ツイッターに書こうみたいな感じの意欲につながり、
ブログにまとめた時はすごく長いリフレクション。
なるほど。
そうだそうだ。
聞くことによるリフレクション、書くことによるリフレクションがメインなんだと。
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なんかそんな風に、自分はどうするとリフレクションがしやすいのかなっていうのをね、
見つけられると楽ですよね。お得。
えみさんとの対話で見つけられたら、それはリフレクションですね。
どれだけリフレクション好きなんだって感じですけど。
えみさんは常にしてるから、もうモードは何であれ、
話しても聞いても書いてもリフレクションで、読んでもリフレクションしてそうなイメージだから。
もうなんかちょっと病ですね。
今日はじゃあそんな感じですかね。
リフレクションたっぷりの。
たっぷりでしたね。
今日はリフレクションについて話しました。
紹介した情報や関連する他のエピソードへのリンクは、
エピソードの情報欄に含めています。
まなびの話は毎週1回配信予定です。
よければ番組をフォローしていただけると幸いです。
それではまた次回。