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2020-11-14 11:15

#124 ビートルズの初期の最重要人物とも言えるレイモンド・ジョーンズは実在したのか?(だれそれ?) 【ジョン・レノン回】

収録日の金曜,Youtubeライブのためのネタあつめをある程度終えて,さあこい!YouTubeLive!と待ち構えていたら,
コータローさんがリスナーさんにあてたツイートで,今日のライブは休みだったことを思い出しました。

そこで,先に一つのエピソードをながそうと思った次第です。

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Lyustyleの知的瞑想ラジオ、第124回目の今日は、ジョン・レノン回です。
ビートルズの初期の誕生の鍵を握る最重要人物であるレイモンド・ジョーンズという人が実在したのかということについてのお話です。
非常に重要な人物であるレイモンド・ジョーンズという人。この人が実際にいたのか、それとも実在しなかったのかというお話です。
レイモンド・ジョーンズって一体誰だよっていう話なんですけど、初期のビートルズの出来事を語る上で欠かせない最重要人物なんですね。
この方はですね、セカンドジェネレーションといってですね、ビートルズのファンになった時にはすでにビートルズが解散して数年経ってましたっていうようなね、初めての世代。
ファンになった時には解散していたという初めての世代のことをセカンドジェネレーションと言うんですけど、そのジェネレーションである僕たちぐらいまではもしかしたら結構知っている名前かもしれないですね。
どんなふうに最重要人物なのかというとですね、この人がいなければビートルズが世に出ていたかどうかわからないという無名の一般人なんですよ。
ビートルズのマネージャーという人がいまして、ブライアン・エプスタインという方ですよね。
この方はもともとですね、NEMSというノースエンドミュージックショップだったかな、ストアだったか。
そのレコード店を経営していた方なんですよね。
レコード店を経営していた方でポリシーはですね、頼まれたレコードは世の中にあるレコードは絶対取り寄せてその人に渡すというね、ポリシーなんか持っていたらしくて。
その人のところにですね、1961年のとある日にですね、18歳の若者がやってくるわけですよ。
その若者がですね、欲しいレコードがあるんですけど、と言ってブライアン・エプスタインにね、言ってくるんです。
ブライアンはですね、その少年のことをよく知っていてね、よくレコードを買いに来る人。
カントリー・ウエスタンの曲がとても好きで、よくそこの辺のコーナーにいる、そういう人だったということで、よく知ってたらしいんですけどね。
その人がレイモンド・ジョーンズさんですね。
彼は18歳の、印刷工かなんかやっていた人らしくてね、リバプールに住んでいた人なんですけど、
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僕が欲しいレコードありますか、マイ・ボニーというレコードなんですけど、というようにね、エプスタインに聞いたと。
え、それ何と。そんなのないんだけど、アーティストの名前は?って聞いたら、聞いたことないと思うんですけど、
あの、ビートルズって言うんですけど、っていう風にね、その人が答えた。
このことで、ブライアン・エプスタインがビートルズと出会うきっかけになったんですね。
ブライアン・エプスタインはですね、その同じ日にね、レイモンド・ジョーンズさんの後に、2人組の女の子が現れて、やっぱり同じことを聞いたと。
ということで、これは何かあるに違いないと思ってね。
それで、そういうビートルズというバンドが、地下のキャバン・クラブというところで演奏しているということで、聞きに行って。
それがきっかけで、ビートルズのお世に出したいということで、マネージャーになっていく、そういうような話なんですね。
実は前置きですね、これがね。
この話はね、本当に僕らの中では伝説的な話になってましてね。
当時ね、ビートルズが好きになった僕たちはね、ビートルズの電気みたいなのをよく買って読んでたんですが、
大体最初にこの話が書いてあるんですよね。
ビートルズ誕生の劇的なストーリーですよね。
で、今日今話そうとしているのは、その人が本当にいたのかいないのかっていう話なんですよね。
なんでそのいなかったのかっていう話になるのかというとね、
実はこの人のですね、写真とかが何も残されてないわけですよ。
全くこの人っていうのが、全然その登場もしないしですね、写真もないしですね。
一体誰だよと。
そんなにその、もう64年5年もなって、ビートルズが世界的に有名になった頃、
ブライアン・エイプスタインがね、回想録を書くんですけども、その回想録の中に書いているんですね。
レイモノ・ジョーンズという人が書きたんだと。
だから僕はそれがきっかけでビートルズのマネージャーになったんだという、本人の本に書いているんですよ。
ところがですね、その当の本人がね、出てこないんですね。
写真もないし、マスコミにも登場しないし。
もうブライアン・エイプスタインが辞典で書いた以上の情報っていうのがね、全くないんですよね。
当然架空の人物だったからじゃないかという話になるわけです。
おそらくこれは架空の話だろうと近くにいた人たちが、あれ架空の話だよって証言してみたりするんですが、
いやいや、実を言うとあれは俺だったんだよと。
俺が名を語ってあれを言ったんだよと。
そういう人もいましてね。
その人なんかはね、ビートルズの一番最初の初期の頃に近くにいた人で、
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ああ、その人が言うならそうだろうというようなところで、
やっぱり実在しないけれども実在したみたいな変な落ち着き方になって、それでだいたい終わりかと。
それが1997年の頃だったようですね。
正規の大スクープみたいな感じでね、何らかのゲストとして現れた方。
その方がね、皆さんミスターレイモンド・ジョーンズですということで登場したのがね、
当時のレコード屋ネムズというところで働いていたエピスタインとビートルズが、
最初に交わした契約書に承認としてサインしたその人物なんですよね。
その人がですね、いやあれレイモンド・ジョーンズって僕だったんだよと言ったんだからもう誰も疑わないですよね。
で、もうそれで決着がついたと。レイモンド・ジョーンズという人は実は架空の人物で、
それはね、その人なんだと。最初のね、承認としてサインしたその人なんだと。
いうことでもう信憑性あるじゃないですか。
それでね、一応OKだとしたんですがですね、
したんですが、2004年にですね、本物が登場したということなんですね。
1961年の18歳だったレイモンド・ジョーンズさんがね、
それから43年経って60歳を超えたぐらいですね、の2004年ぐらいに登場されました。
もう実在したということでですね、
写真っていうのも残っているわけですね。この人の写真が実際あるんですけれども、
いやー、この方はですね、その印刷会社の見習いだったんですよね。
その最初の当初の重要人物としてね、働いた頃はね。
そこで印刷工場をね、自分で営んでですね、成功を収めたと。
で、ちょうど2004年現在っていうのはもう第一線を退いて、
スペインの農場に住んでいたということだったんですね。
でもマスコミからの接触はね、あったらしいんですよね。
だけどこの方はですね、全くビートルズで金儲けしようとかね、
名声が欲しいとか、全くそんなことは思ったことが一回もないということで、
全て拒否してきたという、そういうような話だったというようなことですね。
非常にですね、なんかすごい劇的な話ですね。
僕たちですね、この本物のレイモンド・ジョーンズがいたんだということに
ものすごく打ち震えるわけですね。
そのビートルズの初期の超重要事項の人物が実際に生きていたと。
架空でなかったんだという、そういう事実ですよね。
1997年に架空説がほぼ確定してから、7年間の間、自分たちは
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あ、架空だったんだとね、きっと思ってたんだろうと思うんですけれども。
2004年に実在をしていたことが、実在が明らかになったという、
そのニュース自体は僕は知らなかったんですけどね。
本で知ったんですけれども、それを読んだ時にはね、感動しましたね。
これを聞いている方でどれだけ僕の話がね、面白いなと思ってくださるかどうかというのは、
これはひとえに僕の話し方にかかっているんだろうと思うんですけれども。
もしね、面白いと思ってもらえたら幸いなんですけど。
もう一度言いますけどね、ブライアン・エンプスタインというビートルズのマネージャー、早く亡くなりましたけどね。
彼が1961年、自分のですね、営んでいたレコード屋に来た一人の若者が、
ビートルズというアーティストの埋没人というレコードありますか?
その一言で世の中にビートルズが生まれたかもしれないというね、
すごいお話の主人公であるレイモンド・ジョーンズという方は確かにいたのだという、そういうお話でした。
はい、いかがだったでしょうか。
なんでこんな話を今頃やっているのかということなんですけど。
今ですね、小太郎さんとビートルズ、じゃなかった、ジュン・レノン生誕80周年記念をYouTubeライブでやっていましてね。
今一生懸命ネタ集めをしているんですが、実は今日これ収録しているのはね、金曜日の22時なんですね。
本当ならYouTubeライブやっているときなんですが、たまたま今日ですね、小太郎さんのご都合でね、
今日お休みだったということを忘れてましてね。
それで一生懸命ネタだけ集めてたというところで、この話をどっかでしたいなと思ったのでね、
実際にポッドキャストでやっちゃったというようなことです。
それではまた、リュウセルでした。
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