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2021-03-03 13:22

#213 幽霊はいる!けど見たことはない!(きっぱり)【知的迷走回】

死後の世界というものはあって,幽霊もいるだろう
しかし,脳科学の見地から言えば,死んで脳の機能が停止すれば,それでおわりだろう。

そのどちらも信じているのが人間Lyustyleです。
それでいいんです。
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幽霊を信じるのかどうかという話については、僕は幽霊は信じるけれども、見るのは金輪際御免であるという虫のいい立場に立っています。
よく言うじゃないですか、感がいい人がいて幽霊を見る人がいると。
幽霊が見える人と見えない人がいて、霊感が強いと幽霊を見ることができるということなんですが、僕は霊感が強くなくていいです。
もう後ろ振り向いたら、誰この人を振ってみたいな、あんな心臓が飛び出るようなびっくりは、もう金輪際御免ですので。
宙に頭を下げて髪をタランと垂らした女の人がじっと立っているとかね、もう絶対嫌なので、見なくていいんですかね、霊感も鈍くていいんですよ。
でもなんかいるかなという、いることは信じるかなというね、そういうような立場に立っています。
立場に立っているという言い方をすると、なんかすごい感じがしますけどね。
実は僕はですね、幽霊というか、亡くなる人の意識は錯覚であるという立場にも立っているんですよ。
それはどういうことかというと、意識があるというふうに、物理現象によって自分には意識があるというように錯覚をさせられているというかですね。
実際は物理現象によって反応しているに過ぎないんですけども、それをあたかも自分が意識して自分を動かしているかのように錯覚しているという。
そのような考え方に立っています。
これは農家学者の方ですね、前のリュージさんでしたっけ、受動説という考え方があるんですけど、
詳細にですね、人間の反応を調べてみると、何らかの反応をするときに筋肉が動き始める方が早いんだそうですね。
今動かそうとしたときにそれを検知するようなものをつないでおいて、そして実際に筋肉が動き始めたときのこととも計測すると微妙にですね、
人間のさあ今から動かすよという意思が働く方が微妙に遅いんだそうですよ。
つまり実を言うと勝手に先に動き始めてて、それを後から後追いで人間が自分があたかも動かしたように感じているという、それが明らかになっているわけですね。
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ですから本当にいろいろな細胞なり神経なりが働いて自動的に実は動かしているんだけれども、そのことを意識でもってそういうふうにしているかのように錯覚をしていると。
だから人間が死ねばそういう意思自体が錯覚させられたものなので、そういうもの自体がなくなるから身も蓋もない話なんですよ。
肉体が死んでしまえば何もないという、まさにそれですよね。そういうことになるわけですね。
それは僕もそうだろうというふうに思っているんですよ。死んだらもうおしまいという。
死んだらもうおしまいという立場に立っている非常にストイックな考え方をしている人間が、何で幽霊もいるというふうな立場に立っているのかというと、これは人間としてのあれですよ。
人間というのは矛盾した考えを持っていても平気なんですよね。それもまた自分みたいな。
この立場に立っているから全てそれで動いているわけでも何でもなくて、全く相反する二つのことを信じていても全くどうでもいいというのがその時その時というのが人間なので。
いやお前は霊を信じているんじゃないかと。だから必ず死んだらその意識が離れて次の肉体に生まれ変わるというふうに思わなきゃいけないみたいなね。
そういうことを思う必要もないし、その時に幽霊を信じたらそれでいいし、その時に死んだら終わりだろうと思っている自分も本当の自分だし、そういう矛盾に生きているのが人間ですからね。
そこはあまり感じてはないんですが、その死んだらおしまいですという非常に物理的な考え方と、それからいやいや幽霊というのはいますよというスピリチュアルな方の考え方とつなぐものというのはやっぱりありましてね。
それは何かというとやっぱり農科学者、農科学者の人がいやいや死んでも意識はあると言っているのを聞くとその間がちょっと埋まるんですよ。
農科学者というのは徹底的に脳という物理的なものを扱う人たちなので、これが死んだらおしまいというのは本当にそれまでの自分の経験から当然知っているはずなんですが、
ある農科学者の海外の農科学者の方、かなりの人らしくて一目置かれているほどの優れた農科学者の方で、研究論文とかも本当に信憑性が高いものをお書きになっている権威みたいな方なんですが、
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その方が随膜炎か何かになられて一旦死んだというような形になられたわけですね。もう脳の機能が完全に停止したと。
脳の機能が完全に停止しているときに、よく産図の皮が見えたとかいろいろあるじゃないですか。臨時体験とか。
あれはやっぱり脳が生きているから、まだ生きているから反応してそういうのを見ているんだと言われるんですけど、
後で生き返ったときにご自分でですね、死んでいるときにいろいろなリアルな体験をされているんですが、
それが自分の病室に来て自分を見ている家族を明確に見ているわけですね。横に立って。
ところがその間というのは完全に脳が死んでいる状況だったんだそうです。だからあり得ない話です。
本人もなぜか全然分からないと言われているわけですね。
自分が研究してきた脳の科学から言えば、完全にこの期間というのは、家族が来ていた期間というのは自分は完全に脳が機能を止めていた時間だと。
その時間に起こったことを自分が見ているというのは何でなんだと。
あたかもそれを見ているかのように感じて、それがリアルな体験としてあるのは何でなんだと。
ただ夢を見ただけじゃなくて、そのときに何をしていたか、どんな服を着ていたかとか、どんな話をしていたかとか、
そういうまでリアルにちゃんと分かって覚えているので、後で話をしたときにあたかも本当にその場所にいたかのようなリアルに再現ができるという、
内容がちゃんと分かっていたと言うんですよね。
それでも確実にそれを聞いていたと、見ていたと言ってもおかしくない、そういう体験をされているわけです。
それが決定的になったのが、その方が亡くなっているときに誰かが何かに導かれて、光が何かに導かれて、トンネルの中をずっと通っていたと。
出たところにいろんな住み心地の良い快適な世界が広がっていたんですが、そこに女性がいまして。
その女性がちょっとエスコートしてくれたんだけど、待っててくれってね、してくれたんだけど、
なんかここ来ちゃいけないみたいな感じで言われて、帰ってきたときに目が覚めたみたいな。
よくある話なんですけど。
その人は全然知らない人だったんですね、女性がね。
全然知らない人だったんですが、その体験の後に分かったのが、
自分には幼いときに行き分かれた妹がいらっしゃったらしくて、その妹というのはもう亡くなっていたんですよね。
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で、何かの機会にその妹の写真を見る機会があって、行転したと。
まさにその人は自分が死んでいるときに自分をエスコートしてくれた人だったんですね。
その方というのは、自分が亡くなって向こうの世界に行くまで、その女性のことを知りもしなければ顔を見たことがないわけですね。
ところがその夢の中でその人を見ていると。
で、妹がいたとか、その人の写真を見たとかいうのはすべて後から起こっていることなんで、
その亡くなっているときに知り得ているはずがないという。
そういうようなものをその方が経験するに至って、これはもう農家学云々の話じゃないわと。
あるわと。死んだ後の世界はあるわと。
言って世界に好評されました。
YouTubeとかでもたくさん動画が出ていますけれども。
何かその人はそれで確か農家学者としての権威が落ちたんでしたっけ。
何言い出したんだみたいな。どうかしちゃったぞみたいなね。
確かそうだったのか。その後実はちょっと私ははっきりしないんですけど。
十分考えられますよね。かなりの権威だった方なんで。
その方が死後の世界があるとか言い出したものですからね。
そういうような状況を大きくに及んで、農家学者自体がですよ。
絶対そういうものはないわとか言うはずの農家学者自体が
そういう経験をしたという気の利くにを呼んでね。
もしかしたらあるかもしれんわとかね。やっぱり思います。
これが一つはつなぐものなんですが。
実際その自分の考え方として、意識というのは錯覚だから。
意識させる細胞とかね。そういう生きているものが
細胞とかが死んでしまったらおしまいだっていうのはね。
これは自分がただ考えているだけの、冷静に客観的に考えているだけのことであって。
実際どうかっていうのはわからんわけですよねそれはね。
実際どうかっていうのはわからんわけですよ。
でも実際どうかはわからんけど、冷静に考えたら
いや死んで肉体が滅びて生きてるわけないじゃんっていうのは
冷静に考えたものですよね。
でもその冷静に考えている客観的なことだろうと思っていること自体を
本当か否かと思っている自分もやっぱりいるということですね。
ですからそれが今回のような農家学者が
いや死後の世界はあるんだといったときに
ああさもありなんとやっぱり思ってしまうというね。
ですから一般的には冷静には自分は死後の世界なんかあるもんかと思ってるんですけど
いやあるかもしれんなという。
そういう立場に立っているというね。
立場に立っているけど見るのは絶対嫌だという。
だから自分の中でのほらやっぱり幽霊いたでしょうという証明は
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絶対することができないし見るの嫌なんですからね。
見ないので。
この年になって見ないんでもう見ないと思います。
またその証明をしようとも思わないということなんですね。
私もですね100歳までもしかして健康に生きさせていただけるならば
あと40年ありますのでその40年後には
そちらの世界に行くことになるんでしょうけど
それぐらいまでには何かまた面白い話が出てきているといいなというふうに思います。
はいいかがだったでしょうか。
幽霊というものの存在を信じますか。
また死後の世界というものの存在を信じますか。
どっちにしろね死んでしまわんとわからんことなので
今は信じるとか信じないとか言ったって
とは全くしょうがないことなんですけど
あんまりわからんことをずっと考え続けて
疲弊するのもどうかなという気持ちもありますので
ほどほどにしておこうかなというふうに思っています。
それではまた。
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