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今、リョウジさんの世の中に広がっていく過程を体感するというラジオを聞いたんですよ。
黎明期について語っていらして、ヒップホップの黎明期について語ってくれてて、とっても面白かったですね。
リョウジさん、黎明期という言葉にすごく反応してくれてて、僕もですね、ブログの中でいろんな黎明期について書いてて、
これ、倉下忠則さんとかが、2014年ぐらいですかね、まだ僕のブログっていうのがあまりまだ読まれてない時代に、倉下さんが僕のブログを紹介してくれたんですよ。
その時にね、黎明期が面白いって言ってくれて、やったら嬉しくてね、調子に乗ってたくさんの黎明期を書いたんですけど、
表敬さんの黎明期とかね、いろいろ書いたんですけど、本当に黎明期を語るっていうのはね、僕は面白いと思うし、人の黎明期もとっても聞いてみたいんですね。
で、今日はリョウジさんがヒップホップの黎明期を体験した話をしてくれてて、僕本当に面白かったんですよ。
そうだったよなとか、2000年の最初頃ってキック・ザ・カンクル聞いてたよなって。
でも僕らはテレビに出てから知ったんで、その前のアンダーグラウンドの時代なんて全く知らなくて。
でもその時代を知ってるリョウジさんとかから見ると、ものすごい驚きがあったんだそうですね。
またあのディスるっていう言葉、今ではよく聞くけれども、テレビで初めてそういうアンダーグラウンドだった人たちがそれを使うようになってびっくりしたっていうような話とか。
その前と後との感覚の違いっていうのを黎明期の話をする人っていうのはしてくれてね、すごく面白いんです。
僕も昨日の黎明期の中で、初めてパソコン通信というものに触れた人間の触れる前と後の感覚、
それから初めてマウスというものを使った人間のマウス登場以前とマウス登場した時の感覚ですね。
そういうのの違いっていうのを知ってる人っていうのはその黎明期を経験した人なんですよ。
それ以後の人はもうそれがあって当然でしょっていうところからスタートしているので、
その登場前の人たちの感覚というものが一体どうなったのかっていうことね、やっぱり全然わからないと思うんですよね。
例えば昨日僕が話をした、初めてコントローラーによってカーソルが動くときの要素を見たときの驚愕っていうことを最初言ったんですけど、
ゲーム機が初めて世に現れたときね、70年代の終わり頃ですけれども、
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モニターというのはテレビしか見たことがないわけですから、テレビっていうのは自分たちの手の届かない、アウトコントロールの場所じゃないですか。
そのテレビの画面の中のものが外部のコントロールによって動かせるっていうのはものすごい驚きだったんです。
この感覚はもう既に失われてしまっているわけですよ。その感覚を語れるのは僕らしかいないんですね。
既に失われてしまった感覚というものを語っていくっていうのはすごい僕は貴重なことではないかなって思うんです。
今ネット社会でネットネイティブの人たちはネットにつながっていなかったコンピューターの時代の感覚のことは知らないし、
コンピューターが初めてネットにつながって、自分のパソコンの向こうにもパソコンが広がっていると思ったその瞬間の感覚っていうのをね、びっくりして聞くんじゃないかなって思うんですよ。
そのようにして今は既に埋もれてしまった、じゃなかった、今は既になくなってしまった感覚っていうのをたくさん話して残しておきたいという気が僕するんですよ。
そういう意味で先ほどの漁師さんのヒップホップの話もね、ヒップホップが出てくる前と後の感覚っていうの、その違いっていうのね。
それでね、いろんな人に黎明期を語ってもらいたいなっていうのを思ってるんですね。
みんなにね、黎明期っていうのがあって、それが始まる前にはそんなことを考えたことも見たこともなかったと。
それが出てきて、ものすごく自分の感覚が変わったと。
そういうような話をね、ぜひいろんなところでやってもらうと、僕は嬉しいなあっていうふうに思いますね。
だってその感覚ってもう失われてるんで、そしてその人がいなくなった途端にその感覚自体もなくなっていくわけなんで。
なので、いろんな人たちがその感覚っていうのを共有していくと、なんか面白いことになるんじゃないかなって。
何々ネイティブっていう言葉がありますよね。パソコンネイティブとかキーボードネイティブとかインターネットネイティブとかSNSネイティブとかね。
そのネイティブの世代にいる人はそれ以前、それがなかった時代の感覚っていうのは分からないわけなんで。
そういうのをどこかで聞いて、えーって思ってもらえる一瞬っていうのはね、あっても面白いんじゃないかなと思ってね。
それでこの霊明期、霊明期って言っているんですけれども、いろんな人に自分の霊明期はねっていう話をしてもらったら嬉しいですね。
それが始まる前とその後の感覚の違いを、ぜひいろんなところで話してもらいたいなというふうに思いました。
それでは、「また何か始めた。」のリュウサイルでした。