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2023-01-18 16:29

廊下で大宴会する下宿〜話しておきたい昭和#410

■お話に関係ないけど3本目のマイクラの動画。癒やされてます
https://youtu.be/2dlnCDRuyjc

■フリーBGM・音楽素材MusMus
#毎日配信 #昭和時代
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00:05
リュースタイルのハッピーライフコーチング。
この番組は、プロコーチのリュースタイルが、あなたのシニアライフを、
そして、これからシニアになるあなたのプレシニアライフを元気にする、
様々なライフハックについて、時には博多弁で語る番組です。
今日は、廊下で大宴会する下宿というお話です。
話しておきたい昭和の話シリーズみたいなものをね、やろうと思っています。
話しておきたい昭和の話、最初は下宿の話です。
下宿という言葉ももう、ほぼ死後になっているんじゃないかと思うんですけれども、
下宿って下の宿って書くんですよね。
元スパイダーアースの釜矢津博史さんが、1975年にリリースした曲があって、
我が良き友よっていう、そういう歌があるんですけどね。
昭和の中頃までの若者の風俗を書いた、若者応援歌みたいな曲なんです。
その中にね、次のような一節があるんですね。
語り明かせば下宿屋の、おばちゃん酒持ってやってくる。
という、そういう一節なんです。
下宿っていうのは、部屋を曲がりして住ませてもらうことなんですね。
もしくは、その用途のために建てられた建物と言ってもいいかもしれません。
前社が曲がりタイプで、後社がアパートタイプというように言ってみましょうかね。
普通の家の空いている部屋を曲がりして、食事付きで住まわせてもらっているということもあれば、
家の横などに曲がり用の部屋をたくさん作ったアパートのような建物を作って、
みんなでそこに住んでいるというような、そういうようなことですね。
曲がりタイプって、普通の家のいくつかの空いている部屋を住まわせてあげるんですよね。
みんなでご飯のときには集まってご飯を食べたり。
家の中の一つの部屋なので、みんな同じ屋根の下に住んでいる兄弟みたいなものなんですね。
部屋の入り口はふすまとか引き戸とかね、そういうようなものでした。
アパートタイプというのはね、手塚治虫さんたちが若い頃に暮らしていた時はそうという、
それを思っていただければいいかなと思いますね。
若き日の石森翔太郎とか、赤塚富士夫とかね、藤子富士夫とかそういう漫画家たちが、
手塚治虫の住んでいた時はそうというアパートに集まって漫画を描いていましたよね。
どちらのタイプも住んでいる人がみんな兄弟みたいに暮らしているということです。
ちなみに僕はアパートタイプのほうでした。
当時のその下宿というのと今のマンションとかアパートとの違いは一体何かということなんですけど、
03:10
家というものが建物の中にあるか外にあるかの違いって言ったらイメージできますか。
これまでね、お話ししたことである程度イメージはできたと思うんですけど、
最大の違いというのは、家というものが建物の中にあるか外にあるかという。
分かりづらいですか逆にね。
下宿の場合はね、いわゆる家ですね。
家は一つの建物の中のまさに部屋ですね。
この部屋が私の家って言う。
アパート形式になってはいても玄関で一度靴を脱ぐんですよね。
そして家に入って廊下を歩いてその両側に作られた部屋に入るという。
学校みたいなもんですよ。
学校の玄関から入って廊下をずっと歩いて教室へ入るでしょ。
あんな感じですね。
なんで郵便物とかも学校の教室に届かないじゃないですか。
学校の玄関に届きますよね。
それと同じで郵便物もその部屋のある家の住所に届くんですよ。
それに対してマンションというのは部屋の一つ一つが家ですよね。
住所もそれぞれで異なっています。
独立しているんですよね。
そこが最大の違いかなというふうに思います。
一つの家の中にある部屋というのは自分の家なので
冷蔵庫も風呂もトイレも電話も共用でいいわけですね。
ですから風呂を沸かす風呂灯板もあったし
便所掃除灯板というのもありました。
一つの家の中にみんなで住んでいるようなものなので
これでいいんですよね。
一つの家に住んでいる兄弟みたいなものと先から言っているんですが
なのでよくどこかの部屋に集まって酒盛りをしていました。
家庭教師先とかから時々良い酒をもらって
帰ってくることがあるんですけど
そういう時っていうのは下宿に帰ってきて
階段を上りながら良い酒もらってきたぞって叫ぶんですよ。
そうするとそれぞれの部屋からおーっていう叫び声が上がって
みんなで何か一品持ち寄ってね
酒の主の部屋に集まるんですよ。
僕の部屋っていうのはなぜか実家からよく海苔が送られてきていたんで
海苔を炙って持ってきました。
卵とキャベツがあったら簡易お好み焼きみたいなものができるんでね
それをさっさと焼いてからお皿に乗せて
みんなでつつきながら酒を飲んでましたね。
大学生の頃っていうのは結構人恋しいもので
一人で論文とかレポートとか書いているとね
結構脊梁感っていうのに襲われるんですけど
一人一人彼女ができたりしてね
部屋に入りづらかったりする時にね
06:00
俺は一人で何やってんだろうかとかいうようなね
寂しさをまた味わってもいました。
でもね酒もらってきたぞという声に救われるんですよね
そしてみんなで語り明かしていました。
一人になれるけれども一人になってしまうことはなかったということですね。
カレーを作るとね必ず食べに来る後輩がいました。
もうどこでね何作っているのかってすぐ分かるんですよね。
カレーでも作っていようもんなら下宿中に匂いが伝わりますので
僕ねよくカレーを作ってました。
しかしね作ったカレーを全部自分で食べられたことはなかったというように記憶してますね。
作った時はこれで3日は食べられるなって安心してるんですけど
ほぼ必ずと言っていいのかな後輩や友達が来るんですよ。
で、おや何作ってるんですかとかね分かっているのにわざと聞くんですよね。
ん?カレーたい。へー。
しばし無言のやりとりが続くんですよね。
食べていくか?え?いいんですか?
それをね狙ってきているくせに
そしてこっちは必ず食べてしまわれるのに
一通りこのやりとりが儀式のように行われるという。
そこにね同じ部活の仲間がベストなタイミングでまたこれがやってくるんですよ。
その後輩を見てね。
これもまた定まったやりとりで。
まあ3日分と思って作ったカレーを僕は最後まで3日目まで食べたことはないですね。
それぞれの部屋には役割見えたものがうすらとあって
僕の部屋っていうのは差し詰めカレーを食べる部屋だったんだろうなと思いますけど
これからはカレーを食べる部屋になってきて
それ以外にね新聞を読む部屋とかお茶を飲む部屋とかして認識されていたような気がします。
下宿の中で新聞撮ってたのは僕だけだったんで
まあ2階の住人っていうのは下宿に帰ってきて階段を上がると
その正面にある僕の部屋を必ず訪れるんですよね。
そして自分の家のようにねあぐらを書くと
こたつの上にあぐらを書くと
僕はその間お湯を沸かしてお茶を入れてやるんですよ。
新聞とお茶で満足した住人は自分の部屋へ帰っていくというような感じですね。
隣の部屋は先輩の部屋だったんですけど
その部屋とその隣の2部屋っていうのが酒飲み部屋でしたね。
だいたいその2人が酒を持ってくるからなんですよ。
その隣の部屋は先輩の部屋だったんですけど
その部屋とその隣の2部屋っていうのが酒飲み部屋でしたね。
だいたいその2人が酒を持ってくるからなんですね。
一番奥の部屋はオーディオ部屋ということで
すごくオーディオに凝っている後輩が入っていたんですけど
バイトで得た金っていうのは全部レコードの針とかに使うんですよ。
09:03
先輩すごい針が入りましたよ。
聞き比べてみますかとか言ってくるので部屋を訪ねますね。
壁一面にすごいオーディオセットが組んであって
30万くらいするようなマランツのアンプとかそんなのが積み上げてあるんですよ。
そこで曲かけるんですけど一旦聴いた後
じゃあ針替えますよと言って
プレイヤーのトーンアームの先の針を付け替えて
同じ曲を聴くとびっくりするほど音が変わるんですよね。
生涯の中でおそらく出会うことがないだろうと思うような
オーディオセットで曲を聴かせてくれる部屋だったという。
ゲシックだからこそそういう役割がいつの間にかできていたということですね。
こういう兄弟みたいな暮らし方をしているので
プライベートとかあんまりないんじゃないのかと思われそうですが
そうでもないと。
プライベートというような言葉を当時はあんまり使わなかったんですけど
お互い分かっているので入られたくないところまで
ズカズカ入ってくるということはなかったんですね。
そういう意味で本当のプライベートはちゃんと守られていたのかなというふうに思いますけど
でもね今から見ればそれプライベートが守られているなんて
見えない泥というようなこともたくさんあったんですよ。
例えばね、部屋の鍵ってあってもないようなものだったんですよ。
ドアに鍵がついていたけれどもこの鍵が開くんですよね。
ドアノブをね固く握って親指で鍵穴の中心を押さえて
そしてドアノブと一緒にグイッとひねったらカシャンという音がして
鍵が開くんですよね。
みんなそれ知っているけどやらないだけなんですけど
でもね時々入られていましたよ。
今はその下宿に帰ってきたら
おい酒飲みおるけんきゃーいっていうように言われたんですよね。
廊下の奥の部屋から顔出して。
行ってみるとね僕が部屋に置いていた酒をね持ち出して飲んでいたんですよね。
僕の部屋に忍び込んで持って行ってたんですよ。
泥棒じゃんみたいな感じですけどね。
圧巻はね私が帰ってくると部屋が開いていて友達が入っているんですけど
何があったのかと思ってみるとね
その友達がお茶を沸かしてお客さんをね接待していたんですよ。
ちゃんと鍵かけてたんですけどね。
鍵などあってもなきがごとしの下宿の部屋でしたということですね。
でもね良かったのが命拾いしたことがあるんですよね。
インフルエンザと風邪の区別すらもついていない
80年代の正当だったんですけど
僕朝大学へ行こうとして立ち上がった途端にね
クラッとしてそのままバターンと倒れ込んだんですよ。
すごい熱が出ているなっていうのは分かったんですけどね。
でも動けない。水が飲みたくても体が動かない。
そのまま午前中が過ぎたんですね。
あっこのまま死ぬわと思ったんですよ本当にその時。
ところが昼になってね
私が絶対に出席しないといけない講義を受けに来ていないっていうことをね
12:02
友達が怪しんだんですね。
それで様子を見に来てくれたんですよ。
どんどんとその塔を叩いておいいるかって叫ぶんですよ。
しかし返事しようとしても声も出ないんですよ。
おいどんどんどんと叩くんですけど
ドアの外にはスリッパが並べて置いてあるんで
私が中にいるってのは分かっているんですよね。
するとね次の瞬間
当然のようにいつものようにガチャガチャとドアを操作してね
鍵を開けて2人の友達がね中に入ってきました。
倒れたまま動けなくなっている私を発見して
水を飲ませておかゆを作ってくれて命拾いしたというね。
あの時2人が鍵を開けてドアノブを発掘してね
中に入ってきてくれなければ
あのままどうなっていたのかなって思いますね。
このような下宿に住んでいた僕ですけども
ここでねおばちゃんが酒持ってやってくる
年に一度の大宴会ということですね。
釜や津博の歌に戻ります。
僕らはいつも年末に下宿の全員が集まって
まず大掃除をして各部屋は自分たちでということでね
共用の廊下とか階段とか風呂とかトイレ玄関とか
みんなで綺麗にするんですよ。
午後からはねみんなでボーリングに行って遊ぶんですけど
そしていろいろ買い込んできて夕方からみんなで大宴会をね
するんです。廊下に各部屋のこたつを出して並べて
そこに料理を持って宴会するんですよね。
廊下で宴会とかあまり聞いたことないんじゃないですか。
これがねほんと楽しくてですね
一人だけ僕だけ彼女が当時いなかったんですけど
みんなで一緒に飲んでたわけ。
彼女がいない寂しさとか吹き飛ぶ瞬間でしたね。
そこでねおばちゃんが登場するんですよ。
宴会が盛り上がったらリーダーの先輩が
よしおばちゃん呼んでくるぞと叫ぶんですよね。
すぐに何人もがねアパートの隣にある大宴に走っていくんですね。
おばちゃんももう分かっていて一生瓶持って階段を上がってくるんですよね。
語り明かせば下宿屋のおばちゃんの先持ってやってくるという
まさに河松博の歌の歌詞がそのまま現実になっていました。
はい下宿の話だったんですけど
プライベートというものについての考え方とか感じ方が
今とは違うかもしれないですね。
今よりもね感じられるプライベートというのは
ずいぶん小さかったかもしれないんですけど
その時代に生きていた僕たちというのは
あんまりプライベートがないとか少ないとか感じたことはなかったですね。
鍵があるのかないのか分からないような部屋の中で
一人勉強して一人料理をして一人悩んで
一人涙したような時間というのも確実にあったんですよ。
でもね酔っ払って帰ってきた柔道部の友達が
15:02
寝ている僕の部屋の鍵を開けてスカスカ入ってきて
余裕に任せて柔道の技をかけてくるというのは嫌でしたね。
はい久々に15分というような長い放送になってしまいました。
途中で離脱してしまった方もたくさんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけどね。
これはあの今朝ずいぶん前に書いていたブログを
今朝リライトしたんでそれをねお話をしてみました。
さて毎回の言い訳なんですけれども
今いろんなことを棚上げしてですね
いくつかのことに絞ってやっている毎日ということで
なかなか皆さんのところにね聞きに行くことができないんですけど
と言いながらねひたすらね空いた時間でマイクラをやって
心をね落ち着けているというようなことがあるんですけどね。
あのなかなかね聞きに行けないんですよね。
なんでかなと思って。
でマイクラをやってゴツゴツゴツゴツ岩を砕いたりとかしてるわけですけど
この状態もね来週ぐらいには復活しそうな気がしていますので
その時にはまた皆さんのところに行かせていただきたいと思います。
それでは長くなって申し訳ありません。
また何か始めたのりゅうスタイルでした。
16:29

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