運動会に行ってきた
6月3日ですね、今は16時40分ぐらいか、運動会に行ってきたんです。来賓として呼ばれたんですよね。退職をした学校の運動会に行ってきました。
私がですね、退職するとき、2年生だった子たちが6年生になってね、応援団とか、その有相な、頼もしい姿を見せてくれて、本当に嬉しかったですね。
この6年生たちは、1年生の終わり、2月に例のコロナの臨時休校にあった子たちです。
なのでこの子たちは、1年生のときに一般の運動会を経験してるんですよ。ところが2年生から運動会っていうのが、本当にその学年だけで密にならないように行われるというような状況がずっと2、3、4と続いてきて、
5年生のときの5月に緩和されたんですね。語類だったっけ。普通の流行病と同じような扱いになってね。その後の運動会はまだ一般的な運動会のような形ではしなかったんですよ。
開けたばっかりだったということで。今年初めてですね、コロナ以前の運動会に戻ったんですね。今年初めてね。つまり今年の6年生というのは、1年生と6年生、この2回だったんですね。本当に運動会ができたというのはね。
なので非常にですね、考え深かったろうなと思います。
ちなみに今の5年生もそうですね。5年生は、コロナが始まった年ですね、ファーストイヤーにちょっと遅れた形で入学式を行って入ってきて、もう当然運動会なんてですね、ない状況の中で1年生を過ごして。
そして去年の4月、4年生の時に、ちょっと終わりましたよという感じになったんですが、運動会はまだちゃんとした形ではないと。なので今年5年生で経験して、6年で経験してというように。
この子たちも2回ですね。今からだんだん増えていくんでしょうけどね。今の4年生は3回、今の3年生は4回という形で、だんだんね、運動会ができる、一般的な形でできる学年が増えていくという形になるわけですね。
いろいろ私にとってもすごく思い出のある子たちなんですね、そういう意味で。
その子たちが頑張るというのでね、そーっと行って、応援をしようかなと思ってね、行ってたんですが、ちょっと早めに行ったのかな、だからまだ来賓席とかにはまだあまり人がいなかったので、影の方でそーっと見てたら、
当時2年生だった女の子がわーっと気づいて走ってきて、先生来てくれたんですねって言って、私今年応援団になったから先生見て応援してくださいって言うからですね、よく覚えてるよーって話をしているうちに女の子泣き出したんですよね。
自分の活動が役に立っていることを実感
どうしたのって言ったら、いやもう嬉しくてって泣くんですよね。なんて子だろうかと思ってね、なんかすごくね、うわー、そんなに喜んでくれるのかと思ってね、感動しましたよ。
かと思えばですね、その後、遠くからある保護者さんが走ってこられてですね、先生ですねって言うんで、はいって言ったら、いやー、僕、絵を教えてたんですよね。
で、いろんな学年に絵を教えてたんですけど、当時4年生だったお子さんが今中3になっているということで、その先生から絵を教えてもらって、もう本当に絵が好きになったと。
で、5年6年、本当に絵を趣味にして楽しく描いてきて、中学行ったら残念なことにそこ美術部がなかったけど、でも自分で一生懸命描いてて、なんと学校の代表のような絵に選ばれたんですよとか言って言われてて、本当に感謝しているんですって言われたからね、それもそうなんですねと。
で、その方、むしろそのお母さんなんで僕知ってんだろうと逆に思ったんですけど、もうパーッと走ってこられて見つけられてですね、また来賓席の後ろの方に座ってちょこんと座ってですね、見てたら、横にまた保護者の方がちょっと来られて、いやー、先生ですねって言われて入ってたら、私当時、広報担当みたいな感じでメルマガを描いてましたね。
メルマガ描くのって珍しいですよね。保護者、全保護者宛てにメルマガ描いてまして。
で、いつもあれ楽しみにしてたんですって言われてですね、毎日のようになんかの学校の様子、いろんな子どもたちの様子とかね、イベントの様子とか描いてくれて、様子が本当によくわかったんですよと言われて、そうなんですね、良かったですって言ってたら、
こんなに伝わる文章が描けるって、一体どんな風なことをされているんだろうかと思ってましたって言われるから、とりあえず先生やってたら物を描く商売だから、それある程度みんな描けるんじゃねっていうふうには思っているんですけど、
まあちょっといろいろ物描きをしてたりしたもんでとか答えたんですよね。ブログ描いててとかちょっと言いづらかったんでね。10年ブログ描いてますとか言いづらかったんで、いろいろと出筆したりしてます。出筆はしてたんですよ、いろいろなものとかに載せるための正式な公式なものに描いたりとかしてたんですけど、
だからですねって納得していただいてね。それはそれで嬉しかったですね。
まあしかし、その3つの嬉しいことがあったんですけど、どこかで誰かの役に立っているというか、自分で思ってもなかったところで、誰かがそれを役に、自分のやっていることを役に立ててくれているんだなというふうに僕は思ったんですね。
僕は実を言うと、人を応援するということがとっても苦手で、また人を褒めるということもすごく苦手なんです。同時に人から褒められることが苦手で、人から応援されるということも苦手なんですよね。
シニアアップデートというプロジェクトの中でバーンと前に出て、50歳以上の人たちを一生懸命頑張るように応援しているじゃないかと、そして前に出て一生懸命やっているじゃないかと思ってくださる方も多いと思うんですが、実はこれは自分の役割についての演技ですよね。
そういう役割を自分に貸しているので、そういう役割を果たしているということにすぎなくて、自分の素の自分というのは表に出ないで隠れたところであまり目立たないようにひっそりと生きていくということが自分の一番生きやすい生き方なんですよ。
なので、やっぱりそーっと生きていくということが自分にとってもあっているんですけど、見えない自分の本名を出さないりゅうさんという一つの役割の中でいろいろと頑張っていってはいるんですけれども、その自分はひっそりと生きているという状況ですね。
なので、そうやって自分も教師時代はやってきたんだけど、そういう生き方をしてきても、どこかで誰かに影響なり良いことを与えることができているんだなということを今回改めてわかってありがたいなというように思っているところです。
りゅうさんとして生きるというのは自分なりに少し無理をしているところがあるんですよ。頑張らないとこういうことってできないですよね。
なんで時々やっぱり無理をしすぎて、疲弊してしまってがっくり隠れてしまうということはあるんですけど、だから人をわーっと応援するということが僕にはできないというのはそういうようなことなんですよね。
影に隠れてひっそりと生きるというのが本来の僕の姿で、それが一番生きやすいということですよね。
でもそういう人間でも、どこかで誰かに役に立つことができているというのはとっても嬉しいなというふうに思って今回思いました。
なのでですね、無理せず自分ができることをひっそりとやっていきたいなというように思っています。
ありがとうございました。