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2025-12-05 11:41

「普通」なんてないけど「普通」はある 正常と異常は天の川

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サマリー

このエピソードでは、正常と異常の境界があいまいであり、普通という概念が主観的で連続的であるという視点が紹介されています。天の川を例に挙げて、見かけ上の定義や境界線が実際には存在しないことについて考察しています。また、質の違いやそれに関連する微視的な違いにも言及されています。

正常と異常の定義
今日は、正常と異常の話をしようと思います。 おはようございます。馬政の精神科リブラでございます。
昨日か一昨日か、その前か
普通とはなんだっていう話をね、 あのー
なんだっけ、あのー
ちさこさんだったっけ、ね、されて。 それであの、銀さんじゃない、あの力さんね、コメントしてましたね。
力さんやらね、僕やらがコメントをまたしましたよね。
なんだっけ、普通とは何かと、普通なんかないんじゃないかというようなお話ね。
まあその通りだと思うんですよね。その通りだと思うんですがですよね、その通りだと思う一方でですよね。
えー、普通はね、あるんですよね。なんだそれはということですけど、普通ってのはさ、
これはコメント欄でも書いたんだけど、そのー
普通ってのは、あのー、はっきりはないよ。はっきりはないけどなんとなくあるのよ。
例えばね、それはあの、普通っていうのは、まあ普通は普通ですよ。
普通ってのはさ、その何か定義があるわけじゃなくて、まあ普通と思うかどうかだから、それはね、
えーと、まあそれぞれに、えー、もちろんあるわけですけど、これまさにね、
そのー、僕はあの、天の川みたいなものだと思ってるんですよね、普通ってものはね。
えーと、つまりね、それはね、普通と普通じゃないっていうのは、こう質的な違いとして説明されてるんだけど、
普通なもの、そして普通じゃないものとね、普通な人、普通じゃないもの、人、
普通の行動、普通じゃない行動っていうのはこう、えーと、一応こう質の違いとして語られているわけですけど、
これ実は連続的だし、主観だし、
あのー、そんな普通なんてものはないんだっていうのは、まあよくね、ある言葉ですけど、
でも普通ってものはあるわけですよね。
で、これはね、正常と異常、僕らがね、扱ってるね、精神科のね、精神科もね、普通じゃないものを異常として、
えー、普通じゃないと言って、だから異常であると言って、まあ正常異常みたいな線を引きますけど、
まあこれと似たようなところがありまして、普通、普通じゃない、異常、異常じゃない、異常、正常ね。
精神と癌の連続性
実はですね、精神異常を含め、異常と正常も連続的なんですよ。
なんでそこで僕は、精神科医をしておりますから、異常を正常にする仕事をしてるんですよ。
だけどですよ、精神の異常って何ですか?それは幻覚妄想である。
だけどさ、幻覚妄想ってどこからが幻覚妄想なんですか?
あのね、正常と異常ってそんなはっきりね、線なんかないんですよ、本当は。
本当のことを言うと、打つと打つじゃないところに線引きなんかできないよ、本当はね。
統合主張症と正常にも本当は線がないです。連続的です。
実はそういう精神だけじゃなくて、癌と癌じゃないものも実は線引きないんですよ。
あれは、見た目でなんとなくでこの辺が癌かなとか、この辺が癌じゃないかなとかで線を引いてるだけで、異形性があるとかないとか言ってるけど、
異形性があるっていうのは異形性ってことは普通じゃないって言ってるわけですけど、そこの普通じゃないだって、
だから実は癌っていうものも連続的で、あるところを超えるとバーっと増えてきて、直接的にそれが死因に見えて、死因に見えてね、死ぬので、
死因なんて複雑ですからね、本当のことを言ったらね。
死因に見えて、それが死因に見える場合にそれが癌が死因だということになるわけで、そう見えるかどうかね。
その見えてるのは主観ですからね、主観ね。
全ては連続的で全ては主観なんですよ。
でもね、それのだからといって普通はないと、正常はないとしてしまったら、癌も癌じゃないものもないんですよ。
天の川のメタファー
精神異常も精神正常もないんだよ。だって本当はないんだからね。
正常と異常は全てない。それはさ、もうすでにカオスですよね。
カオスだよ。ケイオスですよ。
ということで、僕らは本当はない普通、本当はない正常、本当はない異常を正常と思ったり、思い込んだり、異常と思い込んだり、
それをある程度共有認識で共有させて、一応社会を回してる。
なので、普通と普通じゃないはないんだけどあるんですよ。本当はないんだけど本当にあるんですよ。
本当はないんだけど本当にあるんですよ。これいい言葉だね。
本当はないのだけれど本当にあるもの。正常と異常の境目。
ということで、これは僕は天の川だと思ってるんです。
天の川ってさ、あるじゃん。
空見て見えませんか?皆さん。天の川見たことありませんか?
天の川って見たらあるじゃん。あれってないと思える?
あるよね。天の川って絶対あるよね。
天の川ってさ、見えるよね。見えるけどさ、あれないんですよ。
どういうことかわかります?
あれはさ、川に見えますけど、あれはね、小さな構成の集まりなんですよ。
集まりというか、集まりっていうのか、えっと、何て言うかな。
線があるように見えるじゃん。天の川って線の状態に、川の状態に。
線に見えるけど、あれ線じゃなくて点なんだよ。
点がいっぱいなの。点がいっぱいそこに集まってるもんだから、
我々にはあそこに帯に見えるわけ。
ミルキーウェイに見えるわけ。牛乳の道に見えるわけ。
だからあれを天の川と僕らは言って、
英語ではミルキーウェイってミルクの道というふうに言うわけですけど、
白い帯に見えるじゃないですか。
でもあれって、よーく見て拡大していくとあれ、点の、星の集まりですよ。
星が、点がいっぱい打ってあるの。
だから白い紙に線を引いたんじゃなくて、
白い紙に黒い点をいっぱい書いたの。点画なの。
で、点画をいっぱいバーっと点を打ったら、
引いてみたらあれが線に見える。
そういうふうでね、えっとね、
マクロで見ると質の違いに見える、線に見えるものも、
ミクロで見ると量の違いなんだよね。
数が多いか少ないかなんですよ。
数が多いから線に見えるだけなんです。
でね、天の川はということで、
実は質的な違いに見える天の川は、
実は量的な違いでしかないわけですが、
天の川というものはあるように見えるけど、
実際はだから点しかないわけで、天の川はないわけですよ。
でも天の川って僕にも見える。
皆さんにも見える。見えませんか?
で、だいたい同じ場所は天の川と思いませんか?
ところが、僕が見えてる天の川と、
皆さんが見えてる天の川は少しずれますよ。
だって主観でさ、この辺かなって言って、
実際には拡大したらさ、そこにはさ、線はないんだもん。
で、ふわーっとあそこに浮かび上がってるだけですから。
ということは、僕があそこの天の川に関して線を、
ここからここまでが天の川と線を引いたものと、
皆さんがここからここが天の川と思って引く線は、
ちょっとずれたところに必ずなります。
だけど、だいたい重なるでしょ?
あれと同じです。
だいたい普通というものは重なります。
そして、だいたい同じとこに行きます。
だけど、細かく見ると、
何を普通と思うかは幅があるので差があります。
正常と異常もそうです。
何を正常と見るか、何を異常と見るかは、
人によって違いますけど、
だいたい重なります。
正常と普通の概念
だけど、ちょっとずれます。
そのだいたい重なるのを、
だいたいの重なり方が、
定期発達と言われてる人は結構重なるし、
地平線スペクトラムとか発達障害と言われる人たちは、
重なりがちょっとずれが大きくなってくる。
で、僕らを含め、
チカラさんなど、
普通に見えない人たちっていうのは、
やっぱり情報の、
常識の共有がどうしても少なくなってくるんで、
ブレが大きくなるんで、
どうしても常識は外れていくし、
天の川の場所はちょっとずれますよね。
天の川に例えるとね。
ということで、
今二つのことを言いました。
天の川のように、
常識とか、
正常とか、
普通という、
漠然とした概念っていうのは、
天の川のごときものであって、
それは、
本当はないんだけど、
本当にあるという。
そこに存在は確実にあるわけですけど、
しかしそれは主観に過ぎなくてずれるわけだし、
ところが往々にして重なるもんだからあるという前提で、
会話が成立するし、
同じものを見ている手で会話が成立するし、
同じ方を指させば同じ方にあるからね。
ところが厳密に見るとそれは重ならないし、
厳密に見るとあれはしかも線でさえないというね。
実は線に、帯に見えるけど、
実は点でしかないというね。
一個一個が点でしかないというね。
実はあるように見えてない、
しかしそこには本当にあるという存在。
それが常識であり、
普通であり、
正常というものであり、
そして天の川であるというようなことですね。
質の違いについて
その天の川に見える、
この川に見える、
この質の違い。
天の川というのはある種の質の違いですから、
そこに天の川という完全に帯が見えているわけですからね。
質の違いというものも、
物事というのは質が違う。
例えば、
金と水銀は質が違うよね。
全然。
砂金と金塊は量が違うよね。
ところが、砂金と金塊は量が違って、
金と水銀は質が違うように見えるが、
金と炭素の棒は質が違うように見えるが、
これも拡大して拡大して拡大して拡大していくと、
単に用紙の数の違いであって、
中性質と用紙と電子の数の違いであって、
実は質の違いに見えるものも拡大していくと、
ミクロの視点では、
数の違いに過ぎなくなっていくんですよ、物事って。
という川という、
何なら天の川だけじゃないよ。
水の川だってだよ。
皆さんの周りにある小さな小川ありませんか。
あの川ってさ、水が流れてるじゃん。
水が流れてるものと流れてないところは確実に違うんでしょ。
だけどあれ、どんどんどんどん拡大していったら、
水の分子がそこにあるだけで、
それが動いているだけで、
どこまでが川っていう場所ないし、
川と川じゃないところっていうのは質の違いに見えるけど、
あれただ水分子の数の量の違いだからね。
物事っていうのは質の違いに見えるものは、
拡大していくと量の違いに過ぎないんだというのが一つね。
なので今二つ言いましたね。
一つは、
普通というもの、正常というもの、
常識というもの、
こういったものっていうのはない。
そんなものない。
普通なんていうものはない。
確かにおっしゃる通り本当はないんだが、
本当にあるんですよというね。
確実にあるんですよというのが一つね。
それは天の川ですよというのが一つと、
その天の川というものね。
質の違いに見えるもの。川に見えるもの。
これはどんどんどんどん拡大していくと点に過ぎない。
そして点は他にもある。
なんで天の川のところだけ川に見えて、
他のところはただの星に見えるのか。
それは数が違うから。
質の違いに見えるものは拡大すると量の違いに
修練していって、
全ては量の違いでしかない。
この量の違いで、ミクロでは量の違いでしかないものを
引いていくと質の違いに見えるという、
そういう二点について話してみました。
それではみなさん、さようなら。
そんなことをちょっと言いたかったというだけのことでした。
バイバイ。
11:41

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