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はい、おはようございます。 精神科医のリブラでございます。
えーとね、何日か前の、遅れて、 曹まさえさんの、あの、何州だったかな。
浄土新州でしたかね。
どっちだったかな。 本願寺派かな。大谷派かな。どっちだったかな。
西か東ですよね。
県与と、県、誰だっけ? まあそれはどうでもいいか。
いや、あの、家康川と秀吉川だったかな。
本願寺派が家康川だったかな。
大谷派が、いやいや、本願寺派が秀吉川。
家康川が大谷派だったっけ。
他にも色々ありますけどね。
歌うのどっちだっけ。両方歌うのかな。 今度聞いてみようかな。
うちはね、田舎がね、あの、あれどっちか西だったんじゃないかな。
よくやってますけどね。
後半盛り上がるってやつね。
まあどうでもいいね。
そうじゃなくて、
スカンクさんの、僕らの何だっけ、
言語化の話、スポンサーしていただいた、
辰吉兄さんにね、アイスクリームもらいました。
アイスクリームでスポンサーしてもらったさ、
辰吉さんにやってもらったね、回ですね。
その前にさ、スカンクさんが、
毎回言うけど録音できてるのかな。
今日も3分で終わらせたいな、スカンクさんがね。
あんな歌ったら3分で入るわけないじゃないか。
こういうこと言うからいけない。
気を取り直してね。
やめましょう、そういう歌はやめますね。
歌じゃねえだろ、お経だろ。
まあいいや、そういうことじゃなくて。
ぶつかった、痛い。
早く早く。
何の話だっけ、アステル。
言語化の話の時のね、
スカンクさんがその事前の放送したでしょ、
脳内会議みたいなやつ。
それのことを言ってらっしゃってね、
なかなか録音じゃ、
俯瞰で見にくいしなとかね、難しい。
それはその通りだなと思って。
で、僕実はね、スカンクさんの放送聞けなかった。
やっぱり。
あれ、なかなか聞いてられないね、あれね。
聞いたのかな、皆さん。
あれ聞けるかね、なかなか。
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あれを聞くのはなかなかな大変だなと思って、
飛ばし飛ばし聞いたんですけどね。
で、僕ら放送を撮る前は聞いてなかったんで、
今も完全には実は聞いてないんだけど、
飛ばし飛ばし聞いたんですけどね。
飛ばし飛ばしだけど、聞いてみると、
やっぱり放送の時にスカンクさんが
どういうつもりで話をしてたかっていうのは
やっぱりちょっと分かりやすくなりましたね。
やっぱり、脳内会議みたいなところで、
全部聞いてないのにちょっとあれなんだけども、
言うのもよくないんだけども、
聞く限りは、
あの中でスカンクさんは言語化を、
コミュニケーションの手段として語ってらっしゃったね。
やっぱりね。
なので自分でその意識を言葉にして、
僕は二人でやった放送の中では、
単純化する作業じゃないかみたいなことを言いましたけど、
言語化というのはね。
概念を、頭の中にある感覚や概念を
言葉にする、単純化して言葉の形に
押し込む作業じゃないかっていう風に言ったんだけど、
始まる前は、スカンクさんは
コミュニケーションの中での言語化の話を
おそらく考えて想定していたと思われる。
営業職をやってらっしゃったから、
やっぱり人に伝えるということ、
あの人はコミュニケーションが好きだから、
コミュニケーションでの言語化を
やっぱり主に考えている感じがしましたね。
確かに、
僕はそうじゃない言語化もあるとは思うんだけども、
コミュニケーションのことに特化して考えてみると、
僕は割と言語化が得意だと言われたりすることがあるんですけど、
おそらく僕が得意なのは例え話なんですよね。
例え話が得意な人は、
言語化が得意というのもあるんだけども、
人に何か物を伝えるのが得意な人が多いですかね。
それは何でかというと、
人間というのは、
物事を理解するときに、
人によるんだけども、
人間の特性で自閉症的な、
論理とか定義で物を理解する傾向の強い人と、
もう少し感覚で理解する傾向の強い人というのがあるので、
いつも言ってる右とか左とかって言ってるさ、
論理よりか感情よりかということで、
理屈より感情より感情的なものを、
感覚を重視する人と論理を重視する人で、
論理の方の自閉症的な方によった人というのは、
またちょっと違うところがありますけども、
若干人間だから連続的ですけども、
多くの人、感情よりの人、
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例えばスカークさんなんかを含めて感情よりの感覚の人、
いわゆる一般的な普通の人という風に言ってもいいのかもわかりませんけど、
比較的物事を今知っていることと類似のことで理解するというのが、
普通の理解の仕方。
新しいことを理解するときに定義で覚えるのではなくて、
新しいこと、新しい知らないこと、事実、定義、概念、
そういったものを今知っている何か、
例えばどうですかね、
例えば僕そうだな、そうだな、
例えば新しく起こったことを野球に例えたりとかね、
漫画、アニメに例えたりとかね、
ドラゴンボールで言うと何とかだねみたいな言い方をしたりとかね、
努力をね、
例えばお仕事で努力をしても成功しないみたいなことを
スポーツに例えてね、
訓練してからといって必ずね、
スポーツ上手くいくわけじゃないよねとかさ、
ちょっと違う、例えがあまり上手くないな、
僕は例えが上手いんですよと言った途端に例えが上手くないじゃないか、
今ちょっと眠たいね、
眠たいんですけども、
例えば眠たいと、
まあいいか、
まあとにかくですね、
いい例が出ないな、今日に限ってではないのか、
僕はあまり、ごめんなさい、
例えがそんなに得意じゃない、
まあいいや、どうでもいいんだけどね、
やっぱり知っていることと類似のことを説明しなければいけないんですよ、
人は物事を定義で覚えるわけじゃないんだよ、
自閉症じゃないんだからね、
自閉症の人は意外とそういうことをやるんだけども、
感覚の人たちはですね、やっぱり似たことで、
もともと知っている、似てる情報で、
例えばこんなふうな時って工事じゃないみたいな、
難しいな、今パッと言われると、
何かを何かに例えるならいいけど、
何も例えるものがないと説明するのが非常に難しいなってことは今分かりましたが、
まあ難しいな、
ラジオの周波数を合わせるようにピカッと合うとよく聞こえるけど、
隣のところはザーザー言って、
ほんの少し違うだけでも音って聞こえないよねみたいなのは何でもいいんだけどさ、
そういう今まで知っている、
今まで自分が経験している、
自分というのかな、
聞いている人がね、
今新しく知ろうとしている人がね、
今まで経験して知っていることと類似のことを言うことによって、
ああ難しい、今日はちょっと説明がうまくいきませんでした。
知っている類似のことを言うことによって理解する。
それしかね、
僕たちってのは物を理解することは実はできないんですよ。
定義で理解する人もいるけど、
一般的にはですね、
今既に知っていることと類似のことで理解するしかないの。
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だから、
突飛なことっていうのは僕らは分からないの。
しかもそれを理解すると言っても、
本当のところで理解しているわけではないんでね、
僕らはね、
実はね、
理解したと思い込むことができるってことね。
理解したと思い込むことができるためには、
思い込むことができるためには、
今まで知っていると思い込んでいることと類似のことを、
で、
説明するしかないんですよ。
なので、
例え話がうまい人っていうのは、
相手の、
何だか説明がうまいとか言語がうまいということになるし、
それは実は、
だから相手の納得感を得るためだけのことなんだよね。
相手の納得感を得るためには、
類似のことを説明するしかないし、
その類似の例というのが、
ぱぱぱっと思い浮かぶ人が説明がうまい人だとか、
まあ、
そうだね、
言語がうまいなんてことは言われることが多いね。
あるいは、
そうだな、
まあ、
そう、
それかな、
僕らが物を知っているというのは、
そのことに対して納得感があるということですけど、
その既に持っている納得感と、
新しく知ることの納得感をリンクすると、
新しく知ることの納得感を、
古く知っている、
既に知っている納得感とリンクさせると、
それがうまくリンクがつながって、
納得感がリンクして、
新しいものへの納得感を増やすと、
その納得感を既に持っている納得感を、
新しいものの納得感とリンクさせる行為が、
伝えるということというかな、
知るということなのかな、
というふうに思います。
ここら辺でしょ。
ダメダメダメダメ。
遅くなっちゃう。
ああ、もうダメだ。
10分だ。
どうしよう、これ。
上げちゃうか。
アップしちゃえよ。
今日は3分ぐらいでやめようと思ったんです。
ダメだ。
はい、さよなら。
またね、
コメント欄に書いてくださいよね。
Xに分けてください。
それでは皆さん、
さよなら。
ダメだ。
ダメだ、こりゃ。