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2024-10-17 16:49

これが「意見」だ! リブラの戸塚ヨットスクール論

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00:02
それでは本日2本目参りましょう。
テーマは、戸塚ヨットスクール。
いきましょう。
結局ですね、僕の感想を言いましょうかね。
戸塚先生はあの、ちょっとね、
アベマの動画長すぎてまだ見てませんけど、
多分見ないと思いますけど、
めんどくさいね。
戸塚先生の話はよく知ってますよ。
あの、うーんと、多分ここでは言ってないと思うけど、
えっと、
戸塚先生の話はね、
えっと、脳幹を鍛えるっていう話でね、
まあそれは僕ら精神医学のところでも、
えっと、講演会をして、
えー、物議を醸しましてね、
えー、戸塚博史を呼ぶとはね、
何事だと言ってね、
えー、当時、
えー、当時、えっと、
筑波大学の教授だった浅田先生は、
えー、すっごいやられましたね。
えー、まさにリベラルっていうかな、
リベラルにやられたというかな。
えーと、リベラルじゃないね。
あのー、なんて言うんだっけ。
えー、全京都の時の、
なんだっけ、あの、
審査役の人たちがまだ、
まあそういうこと言うとあれか、
まあとにかく生き残ってですね、
その人たちがね、めっちゃ攻撃してきたんだよね。
まあ、そういう、
そういう人が集まってる学会とかがあるもんですからね、
まあね、
まあ戦いたい、
誰か人を叩きたいみたいな、
僕から見るとね、
人を叩きたいという風なのことを、
誰かと揉めて、
誰かと攻撃するのを、
何かゼーとしているようなね、
まあ、という風に僕からは見えるのでね、
その人たちは、攻撃したいため、
つもりじゃないよ、精神医学を、
精神医学を良い方に行きたいと、
いう風に言ってはいるんでしょうけどね、
えー、僕にはただ、あの人を殴りたいと
言ってるようにしか聞こえないわけですけど、
そういう人たちからね、えー、
鳥塚先生が、麻田先生がソース感をくらってね、
非常に厳しい立場に置かれているのを
僕は見ましたけどね、
えー、
その後麻田先生は教授を辞められましたけどね、
それ関係ないとはおっしゃってたけどね、
あの、一回聞いたときにね、
えー、別のところでちょっと
お話聞く機会があって、えー、
なんか、少人数でちょっと
お話をしているときに、
まあ、そういうことじゃないんだよっていう、
それは別の話なんですよとおっしゃってたけど、
まあ、別の話かもしれないけど、
そのソース感はきつかったなと思ってね、
えー、というようなことでよく、あの、
何回か、あの、鳥塚先生の話は聞いてますけどね、
えっと、まあその内容も
遺憾はいろいろあると思うんですけど、
僕が思ったのはですね、
思うのはね、
えっと、結局ね、このYouTubeも
だからその、ゼカ、あの、
ヒカ、ゼカとね、ゼンかアフカみたいなことやってらっしゃったけど、
まあ、これもやっぱりね、
ポジショントークというか、
ポジションだなとは思いますね。
えーとね、正直言いましてね、
えー、鳥塚先生おっしゃるようにね、
えーと、
まあ、なんか、なんていうかな、
まあ、どうにもならんっていう、
あの、僕らの力ではというか、
精神医学の力で、
殴りもせずにどうにもならん人っていうのはいるんですよね、
やっぱね、で、えっと、
それは僕らはもう諦めるわけね。
で、鳥塚先生に言いますとね、
お前ら精神科ね、諦めてんじゃないかと、
03:00
お前らがなんともならないから
俺が暴力でね、暴力じゃないわ、
大罰でね、
えー、なんとかね、仕付けてんじゃないかと、
いうふうにおっしゃるわけね。
で、それはまあ、ごもっともなところがあってですね、
えー、
まあ、それはそう言われるとそうなん、
そうとしか言いようがないということも
いっぱいあるわけです。
僕らその、ただ家で家庭内暴力に対して
お父さんをただ殴っている人に対して
結構無力ですね。
現に今もお父さんを殴りまくってる人
僕見てるけど、
えーと、
これと言ってやりようがないよね。
だからあの人と使うと作るのが犬かもわからないね、
はっきり言って。
で、なんにもしようがないもんだって。
えーと、
その、なんて言うのかな、
あの、まあ、
暴力的な問題を抱えている人というのがいて、
まあ、生来のね。
戸塚先生に言いますと、
脳幹が弱いというわけですけど、
その脳幹が弱いと戸塚先生が言うタイプの人たちね、
僕からすると発達障害に見えますけども、
の中に、
えー、発達障害いっぱい、
いろんな種類があって幅広い、
僕だって発達障害、おそらくね、
えーと、診断される可能性が大いにあるわけでですね、
まあ、いろんなタイプがありますが、
えーと、ある種の発達障害に
僕には見えていますが、
まあ、おそらく脳幹が弱いという言い方をすると思いますけど、
うまく社会に生きていけなくて、
で、えーと、それでお父さんを殴って、
お母さんを殴って、
暮らしていると。
で、俺はすごいんで、俺はできるんだと言って、
えー、
実際社会に行くんだけど、
うまくいかなくって、
例えばヒステリーで寡黙になって黙り込んでみたり、
まあ、起きたと思ったらお父さんを殴ったり、
寝たきりになって一歩も動かなかったり、
みたいな、あの人を、
はっきり言ってどうしようもないんですよね。
えーと、
やりようがない。
あんまり暴力振ったら精神科の病院にどっか頼んで押し込めるか、
みたいなことぐらいしか、
やりようがないんですよね、正直。
そういうことはよくある。
で、実際そういう風で、たらいまなしになっている
みたいな人はいっぱいありますね。
で、それを、鳥塚先生は、
それは脳幹が弱くて、
その脳幹は鍛えることができるんだと。
ということで、
大罰で、
方向性を変えて、
自分で生きられるように脳幹を鍛えるんだ、
というようなことを、
おっしゃるわけね。
安倍まではあまり言ってくれなかったというのは、
大罰、じゃあ人が死んでもいいんですか、
みたいなことを言われるんで、
それだと論理にならないんで、
はっきり言って。
そんな、そういうこう、
ポリティカルコレクトネスみたいな、
今正しさみたいなことを言われたら、
それは正しくないんで、
そういう意味では、鳥塚先生は。
だって人殺しちゃってるから、
正しいというのは、
ポリティカルにコレクトネスなわけがないので、
ポリティカルなことを言われたら、
あの人はもう勝ち目がないというか、
論にならないんで、
もうバカバカしいと言って、
あなた人が死んでもいいと思ってるんですかと言って、
人が死んでもいいと思ってるわけないでしょ、
という話になるわけですよ。
何この話と、
あなた人殺したんですよ、だからギルティーですよと言われたら、
06:00
これもう論が展開しないんですよ。
鳥塚先生だから黙っちゃったと思うんですけど、
話にならないっていうね。
誰だけに読んだのか話にならないんで。
いうことで、
ああいう風に言われたら、
もう論は展開しないし、
アベマはプライムとしては、
そういう風に言わざるを得ないということで、
ああいう、
もうすでにアベマは、
真っすぐに認められたマスコミみたいになってますから、
そういう風に公共の利益みたいなものを、
公共の利益を、
ある程度主張しないといけない、
メディアではもう、
ああいう議論は無理ですね、
このポリコレの現代ね。
それが、浅田先生は、
僕のさっき言った筑波のね、
もう辞めてしまわれて、
今会議代になられましたけど、
大官の年齢の前に辞めてね、
好きなことやるって言ってね、
そういう先生がいたけど、
浅田先生は、
例えばその学会というものを、
学問の場だと考えて、
鳥塚先生の、
大罰の是非みたいなことを、
学問的に議論することができる、
という風に考えて、
学会に呼んで、
一つの意見ですから、
僕ら精神医学がやっぱり負けてる場所なんで、
そこは、
話を聞いてみようということで、
学問的な意味で呼んだんだけど、
ところが、
浅田先生を叩きたい、
いろんな人を叩きたいという、
僕から見るとそういう風に思う、
一種の人たちが、
ある種の人たちが浅田先生に向かって、
ポリコレ的に攻撃したんだよね。
そういうことされちゃうと、
議論にならないので、
ポリコレというのは、
まともな議論をさせない力になりますから、
ホワイト化が進んで、
狭い世界であれば議論はできるけど、
少しでも開かれた、
少しでも公共であるものは、
岡田斗司夫さん言っている、
家のトイレは汚くてもいいけど、
公共の、
レストランのトイレはある程度、
きれいじゃなきゃ許さないし、
何なら、もっと公共のものは、
デパートみたいなもののトイレは、
もうピカピカじゃないと許さないと。
それ以外の、例えば、
公園のトイレみたいな、
公共だけど汚いみたいなものは、
もう使われないという風に、
ブロックというか、
ミュートされていくというようなことで、
ある種、
戸塚先生と議論するというようなことは、
公衆トイレみたいなものなので、
ミュートされていくというようなことで、
ポリティカルコレクトの、
ホワイト化社会の中では、
戸塚先生の議論というのは、
あんなアベマプライムみたいなところでは、
できないわけです。
実際、精神学の学会でさえも、
できなかったわけです。
その攻撃になってしまった、
ポリコレ攻撃になってしまったから、
浅田先生はここは、
狭い、囲われた精神科医だけの、
世界なので、
ここの中ではポリコレを無視して、
学問的に議論してみようよと、
いうふうに思ったんだが、
残念ながら、
攻撃する仲間討ちとは言えない人たちが、
09:00
混ざってくるので、
僕ら、
戸塚先生について学問的に、
精神学社に開かれた場所では、
できなかった。
その開かれ方は既に、
閉じていると言えないぐらいの、
開かれ方だったわけですね。
このポリコレ時代にね。
というようなことで、
ホンダとかはね、
閉じられている世界なので、
戸塚先生が好きに話すことができるわけで、
そういう意味では、
そういうところから、
アベマからは情報が取れませんけど、
ホンダとか、あの人の講演だとか、
一方的に話すやつからは情報が取れる。
表では議論はできないが、
裏側では僕らは議論はできる。
そこで、僕が思ったことですけど、
僕のポジションからは言いますけど、
戸塚先生の、
脳幹の話は、
脳幹というのは象徴ですからね、
あの人の言っている。
それをね、医学者としてね、
脳幹が鍛えられると思っているんですか?
という人がいるんだけど、
思っていないよ、そんなこと。
だけど、ある種の、
象徴としての脳幹だろ、
ゴゾロップのことだろ、
本当の脳幹のこと言ってないのよ。
言ってるつもりかもしれんけど、
あの人は医学的には素人だから、
脳科学者じゃないんで、
教育者なんで、
それでしまいなんだよ、
脳幹を鍛えるという話は、
ある種正しいと、
僕は思いますけども、
思うけども、
思うけどもですね、
あの人の言っている、
善というのは、
社会に上手く適応できることが、
善。
という風に僕には聞こえますけども、
それを、
youtubeチャンネルを作っているのが、
その若い2人の男の子で、
その2人の男の子には、
原体験があって、
厳しい部活で育った人と、
厳しい受験、
なんていうの、
お受験みたいなことで、
小学生から厳しい受験、
勉強させられた2人と、
それが2人とも、
厳しい部活に行ったおかげで、
社会に出た後の理不尽さにも、
耐えられるようになりました。
ありがとうございます、
という気持ちがあって、
もう1人の、
勉強をめちゃくちゃさせられた子も、
勉強の、
理不尽な勉強のおかげで、
その子の人生で、
理不尽に耐えられるようになりました。
ありがとうございます。
ということは、
理不尽なことに耐えられるのが、
善であるという風になっているわけですよね。
僕はそこが、
必ずしも善じゃないと思っていて、
理不尽に耐えられるのは、
善なんだけど、
そのために、
例えば、
僕なんかは、
理不尽に全然耐えられないんです。
全然。
僕は、
理不尽に耐えられるようになりたくない。
今からでも。
全然なりたくない。
12:00
理不尽に耐えることが、
善であるのは、
理不尽に耐えるというのが、
労働者の条件だからです。
なので、
どこかの会社の、
社員として、
労働者として暮らすのであれば、
のが目標であれば、
それは善になると思う。
だけど、僕は、
医者としてやっていて、
一応サラリーマンではあるけど、
すごく独立性が高いサラリーマンでした。
というのは、
あまり理不尽に耐える必要のない職場なんです。
むしろ、
僕が言っていることが、
周りの社員にとって、
理不尽に耐えることが多くて、
医者というのは、
周りに理不尽を振り巻きながら生きるような種族なんです。
なので、
僕らは人の基準に合わせたり、
あまりしないですね。
そうするのは、
僕はすごく苦手だからです。
僕はそういう風な、
戸塚先生みたいな教育を受けてこなかったから、
僕は理不尽に耐える力が、
おそらく弱くなっているんだと思う。
ただ、
僕は理不尽に耐える力は、
自由に動く力は、
それなりにあるんです。
という意味で、
理不尽に耐えられないけれど、
理不尽に耐えられるようにする、
教育のせいで、
僕は自由に羽ばたく力を失うと思うので、
言ったら悪いけど、
僕のポジションから言うと、
受験勉強とか、
子供の頃から、
受験勉強をさせられている子供たちは、
すごく真面目で一生懸命で成績を上げて、
高学歴になる可能性はあるけど、
非常に不自由な発想の貧困な子になると、
例えば僕が主張しますよ。
だとすると、
僕からすると、
あの大罰みたいなものは、
まっぴらごめんだと。
ただ、
僕の患者さんのように、
どうにもならんみたいな人が、
少し救われる人は増える可能性があると思います。
ただ、
その人にとって、
何がいいかというのが、
流動的だから、
どうしても、
まだ子供というか、
成長の結果から、
未来から過去を見ることができないから、
教育をやる段階では、
その子がどっちか分からなくて、
行きたい方向に教育をするんですよね。
何かを強いるということが教育ですからね。
なので、
それを、
とつか的な大罰を、
行うことによって、
労働者はたくさん、
良い労働者が生まれることになると思うが、
このような人は減っていくはずなんです。
少なくとも。
もっと自由な大谷正平は生まれなくなる可能性があると思う。
やっぱり自由な。
佐々木ロキは生まれなくなる可能性があると思う。
この大罰がなくなってから、
ダメな人というふうに見える人は増えたと思います。
正直言うと。
素晴らしい人も増えているわけ。
幅が広くあるわけ。
やっぱり、
僕らは、
労働者の国から、
物作りの国から脱却しないといけないんですよ。
物作りの国として、
15:00
もう成り立たないわけ。
もっと発想とか、
もっと自由な、
そういう社会になっていっているんですし、
これからも成らないといけないと、
僕は思っています。
そうすると、
労働者を作っててどうするのよと。
だから大罰なんかやってたって、
もう意味ないよ。
正直、脱落する人を救うことは、
多少できるかもしれないけど、
上、頭打ちになるから、
これはまだ発展途上国の、
どこかの国だったら、
ある程度大罰に意味はあるという主張は、
飲み込めなくもないが、
現在の日本で、
僕のポジションからすると、
もう絶対嫌です。
僕は大罰を受けなくても、
成長する力が、
僕にはあるということで、
社会としてどうかといった時に、
僕個人としては大罰は、
嫌。絶対嫌。絶対必要ない。
全部やめてくれと思う。
社会全体にしてどうかといった時に、
底辺を上げる意味では、
善だと思うが、
僕は日本というのは、
今底辺を上げて、
たくさん優秀な労働者を作るというフェーズに、
日本はないと思っているので、
日本として、
全体としても、
大罰はダメと思います。
つまり、戸塚先生の論は、
現代は成り立たない。
だけど戸塚先生のポジションからは、
ああいう風に言うでしょうし、
まあそうでしょうねと思うだけで、
僕はダメと思います。
戸塚先生のところの、
24歳の男の子たちは、
一生懸命勉強させられて、
一生懸命部活で、
大罰をくらって、
僕は理不尽に耐えられるようになりました。
と言っているわけですけど、
僕からすると、ああそうですか、
あなたは立派な労働者になりますね。
僕はそういう風になりたくありません。
まあそういう風に思います。
以上、第2号。さよなら。
16:49

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