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はいどうもバスへの精神科医リブラでございます。今日もやってまいりましょう。あの皆さんの放送を聞いていてね、やっぱしね、長く話しちゃダメだなと思いましたね。やっぱね、サッと聞いてサッと終わるっていうね、あのなんていうか、次行くっていうのがやっぱりこのスタイフ流だってことで、僕の放送長いのでちょっと反省しておりますけど、とはいえ
短くできるかどうかちょっとラーメン食べたらゲップが出ちゃうね。 短くできるかどうかは
コーヒー美味しいね。わかりませんけど、こんなこと言ってるからね長くなっちゃう。 だけど今ね、毎日やらないといけないとか何時にやるとかそういう重箱から解放されて思いにやろうということで、思った時にやろうってことでね、急に始めましたけど、あのね
いくつか思うことがあったんで、思うことがあった時に言いますけどね、今またスタイフ聞いてたんですよ。なんとなくね、なんとなく聞いてたの。前もどっかで何か言ったかもわかんないけど、イージーさんの、イージーくんの、イージーさんの、なんて書いてあったっけ、あの、やっちゃう、シルベスター、スタローンガーっていうやつ。
お前はリブライオンのやつ。なんだかよくわからないやつ。あれね、ストーリー展開がぐちゃぐちゃでしょ、どちらかって。何の話かよくわからないじゃないですか。なんか変でしょ、全体的に。
あれ、面白いですね、あれ。しかもやっぱりラジオだからね、なんとなく聞いてられるでしょ。で、いろんなことを思ったんだけど、なんだかわからないけど、なんだか気持ち伝わってきませんか、あの放送。あのイージーさんのやつ。あれ面白いですね、ちょっとずつ。なんでもない回もあるしね。
中にね、あの、で語られるね、さりげないセリフがね、なんかね、心に刺さったりするんだよね、あれ。面白いなと思ってんで、人にやっぱり何かを伝えるにはやっぱり結局その感情みたいなところについてはやっぱり僕ら物語で物事を理解するから、やっぱ物語強いなと思ってね。しかもそれがね、計算された物語だけじゃないんですよ、その、あのやっぱね、投影法って言ってね、僕ら精神科ではね、あの木の絵描いてバウムテストって言ってね、描かせたりね、まあいろいろするんだけどね、あの例えば、
木の絵なんか描いたって何もなんだけど、その木の絵の描き方みたいなものの中に知らず知らず気持ちがいろいろ入っちゃうっていうことなんですよ。
だからのでね、投影法ってのは何もね、木の絵だけに出るわけじゃないんですよ。当然ながら自分が作った創作物全部に乗っかるんです。
なので、あのなんとかな、バウムテストみたいな木の絵描かされてなんかちょっとね、心の中見られて恥ずかしいなって思うような人はね、あの作家になれない、
イラストレーターにもなれない。つまりね、自分の描く絵や物語の中には自分がね、さらけ出されたりしてしまうわけ。
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僕なんかはあまり物語を語るのが得意ではないので、こうして言語的に言葉で説明する、こういうのが得意なんですけど、これはやっぱね、言葉で説明するにはやっぱり限界があるんですよね。
僕はやっぱりだから、言葉の人間なので、言葉を紡ぐのは得意なんだけど、ただその小説的な言葉を紡ぐのや物語を紡ぐのはあまり得意じゃないんだなと自分で思います。
その辺ののはやっぱり負けているんだと思う。いろんな普通の人たちとか他の人たちに。僕は負けているなと非常に思いますね。
ただ分析的に物語を見たりするのは得意なところもあると。
皆さんの話を聞いていて物語が強いなと思うんですね。ごめんなさい、投影法の話じゃない。こうして話がとっちらかるんだよね。
ある種、やっぱり絵の中に出ちゃうしね。だから女の人なんかお化粧なんかするでしょ。
お化粧する顔のね、あれは自分の顔に絵描いているのと一緒ですからね。あの化粧にいろいろなその人の感情みたいなのとか心情とか出てしまうんでね。
精神状態が違うと化粧の様子は違ってきますよ。
お洋服好きな人を表服を選ぶでしょ。あの洋服を選ぶところにいろんな心の中のものが投影されるわけ。
お洋服投影見えにくいとは思うんだけど。なんで、それは誰かのファッションを丸切り真似して何かを着たりすれば、それはあまり中身は出てこないけど、つまらないファッションになりますよね。誰かと同じね。
絵だってそうですよ。イラストだってみんなと同じ何かをね、描くことはできると思うんですよ。ある程度技術があればね。何かを模してそっくりなものを作った。
そのそっくりなものの中にわずかには自分の気持ちが投影されるけど、あまり出ないように描くことも多分可能だと思うんだよね。
僕らでは言葉で言うと何かを真似して言うだけとか暗唱するだけとかね。であればあまり自分の中身は出てこないんだけど、そうすると結局つまらないものになるよね。
あまり人の心を動かさないつまらないものになると思います。人の心を動かそうと思ったら自分を入れていくことになるし、自分を入れていくというのはやっぱりそういうふうに投影してしまうということで、内容を見られて恥ずかしいという気持ちにはなるかもわからないね。
映画監督なんか映画化すると小説を映画化すると小説とは全然別の感情を人に与えたりする。あれはもう小説は小説家が書いてるけど、映画はやっぱり監督やらみんなの気持ちがいろいろ織り混ざって、主に多分監督の気持ちが出てくると思うんで、あれはもう監督のものになってしまったりとか。
ということで全ては投影法なんだという話をして、ということでその投影法のいろんなものには投影されるやっぱり物語りが強いというところから話を展開しようと思ったんですけど、もうめっちゃ長くなるので、やっぱりここで切っておくのがいい。何本もあげちゃえ。嫌な人それぞれ聞かなきゃいいんだもんね。
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ということに気づきました。珍しく5分でやめます。さようなりー。