1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 昔のうつ病は消えた いま支援..
2025-04-20 25:50

昔のうつ病は消えた いま支援を要する“病気じゃない人” たち

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#健康
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サマリー

精神科医リブラは、精神障害者福祉手帳や年金について語り、患者たちがどのように社会で活躍できるかを探っています。特に、障害者雇用やコミュニケーションの難しさに焦点を当て、働きたいという患者の願いを支える重要性を強調しています。昔の精神科診断が変化し、発達障害の理解が進む中で、従来のうつ病や統合失調症の基準はもはや意味を成さないとされています。新たな視点から、精神的な特性を持つ人々が診断を受ける重要性が浮かび上がり、単なる甘えと見なされることへの懸念が示されています。このエピソードでは、昔の精神病の捉え方の変化や、発達障害に対する理解の深化について話されています。特に、精神病ではない人々が直面する困難と、それに対する支援の重要性が強調されています。

精神科医の診断書
おはようございます。バス園の精神科の リブラです。
今日も仕事をたくさんしています。今は夜ですが、 配信は朝にあげようと思っておりますが、
今日はあげましたしね。ということで、 移動中、移動中に録音しております。
今日思ったこと、本日も思ったことを言いましょうね。 今日思ったのはですね、僕は診断書もたくさん書いてるわけですね。
今日もね。今日は2箇所で外来をやってますしね。 今、3つ目の仕事の到着に向かっている最中ですけども、
今日も診断書をたくさん書いてるわけですけど、
年金とか手帳とかあるんですよ、精神科って。 まあ他の科もあるんでしょうけど、
精神障害者福祉手帳、精神障害者福祉手帳かなとかね。 手帳があると障害者として扱ってもらえると、
おまけしてもらえるとね、タクシーがちょっと安くなったりね。 それよりもですね、やっぱり障害者手帳が役に立つのは、
なんかあれもあるみたいだけど、今日僕が知らなかったんだけど、 管理さんが障害者手帳を取れたら、結構高い級のやつが取れて、
僕の記載が、あれかな、ちょっと書きすぎたかな。 そんなことないと思うんですけど、
僕の書くのがちょっと重めに書いてるのが、 とにかくよく通るんですけどね。
書き読めうまいのかもわかりませんけど。 そしたらお金が入ってきたとか言って、
あれ何ですかって言われて、僕もそんな精度詳しくないから、 なーんで?手帳取ってお金が入ってくるって何?って思ったんだけど、
まあよくわからない、自分で調べてって言って、 役所に聞きゃわかるよって言って、
まあそうですよねとか言って、いう話だったんですけど。 でもちょっとぐらいの数万円もらえたみたいですけど、
数万円のお金とかじゃないんですよ。 年金とかだと結構もらえるけどね。
何万円?5万円とか8万円とかよく知りませんけど、 結構もらえるんで、毎月。
それはとても良いことというか、 その人たちにとってはありがたいことでしょうけど。
そういうお金の問題じゃなくて、やっぱり手帳ってのは、 障害者雇用とか配慮してもらう証拠になるんでね。
そっちのほうが役に立つと思いますね、どっちかっていうとね。
障害者雇用の窓口を突破するために手帳がいるんでね。 手帳ってのはそっちのほうが役に立つなと僕なんかは思いますね。
それを取れるかどうかね。年金もありがたいんだけどね。 直接お金もらうのもありがたいんだけど、
やっぱりね、患者さんたちと話をしてると、 手帳とか取れて、いろいろ年金ももらえるようになったんだけど、
手帳と年金の重要性
本人も言ってたんだけど、そういうことじゃないと。 それだと僕ずっと補助されたままで生活保護もらってね。
それじゃありがたいんだけど、 なんで僕そんなことして生きてるの?っていうわけよね。
面白くないですと、人生が。 僕は働きたいですということで。
そうなんだけど、今まで通りまた仕事をすると、 また同じミスを繰り返すことになるから、
少し配慮をしてもらえるようなところに探してね。 障害者雇用とかで配慮を得ながらね。
活躍の場はあると思うんだけど、 今までも頑張ってる人たちね。
だけど、やっぱりつまずいてるわけね。 複数回つまずいてるわけだから、
同じミスを繰り返すのはやっぱり特策じゃないので、 やっぱり特性に合わせて配慮を。
やっぱりね、難しいんだよね。 コミュニケーションの取り方が変だしね。
変なこと言うからね、やっぱり。 空気読めるからね。
すごい変な人なんで、どうしたってね。
だけど、変な人なもんだから、 変なやつだなって顔されたりとか、
お前何言った?みたいな顔されて、 もしやっぱり向こうも防御的になって、
攻撃が最大の防御みたいな感じで、 噛みついてきたりするからね。
そうなるともうダメなんでね。
僕との関係においては、 僕が最初に噛みつかれた時に噛みつき返さないから。
だんだん、この人味方だと信じてくれてね。
信じてくれるとだんだん穏やかになって、
僕の一言一言で相手も攻撃的にならんわけ。
僕は、このリブラという人は、
この先生は自分の味方をしてくれるんだと 信じてくれたら、
僕の一言一言が棘があるように聞こえたとしても、
多分そういう意味じゃないなって 思ってくれるんだよね。
このリブラという人が僕に言ってくることなんだから、
この先生が言ってくれるんだから、
それは自分のためにと思って 言ってくれるんでしょ、きっと。
ということで、変換して言葉を良い方に。
発達障害の人っていうのは、意図が読めない。
意図が読めないっていうのは、
全部を相手が言ってること、
全部自分の悪口みたいに 取ることもあるわけですけど、
意図が読めないわけだから、相手のね。
意図が読めないっていうことは、 ネガティブもポジティブも読めないわけよね。
なので、このリブラという先生は 自分の味方をしてくれると思ったら最後、
僕が何を言っても自分の味方、
よっぽどアホだ、アホだ、 アホ、アホ、アホ、アホ、アホ、アホ、
アホ、アホ、アホ、アホ、 死ね、死ね、死ねって言ったらね、
そりゃ違うかなと思うかも分からないけど、
だってさ、家族とかでもさ、
うちの娘とかがよく死ねって言うんだよね、
兄弟とかにね。
僕も言いますよ、死ね。
だけどね、誰も死ねと思ってない。
それは我々が相互に 信頼関係があるからですよね。
うちの娘が兄弟とか僕らに死ねって言って、
苦情を言ってるとは思わないんで、
この前なんかうちの娘バカだから、
さっと、すぐみたいな、
なんかそういう時に死ねって言って、
あ、間違えた、
勢いで関係ない時に死ねって言っちゃったら、
死ね関係ないわって言って、
なんだお前アホかと思って、
お前こそ死ねって、
勢いよく死ねって言い過ぎて、
関係ないタイミングに出たとか言って、
お前のその死ねがもう意味わからんわみたいな、
あー間違えた、
今関係ない、死ねは関係ないしまった、
キレがあるじゃん、キレがあるからさ、
キレがある時に言う言葉を言おうと思ったら、
間違えて死ねって言っちゃったら、
末期少女だなお前はって言って、
うまくいかず死ね!
みたいになって言ってるわけですけど、
だからもう死ねっていう言葉がね、
結局ね、発達外の人とかは、
死ねって言ったら死なんて言う言葉はね、
悪い言葉だから言ってはいけないみたいな、
そういう単純な理解するけど、
コミュニケーションですからね、
前提条件によって意味なんか全然違うから、
好きだっていう言葉だって、
嫌いっていう意味になりますしね、
死ねって言葉だって大好きって言葉になったりとかね、
いろいろね、言葉と意味とかね、
全然違いますからね、
言葉を辞儀通り受け取るのは発達外ね、
てなことでね、
我々も発達外の要素はあるわけですけど、
僕らのはそういうコミュニケーションで、
我が家はね、なっていて、
ということで、
何の話だっけな、
こうなりますね、ADHD発動ですね、
よくわからなくなっちゃったぞ、
もともと何の話をしてるんだけど、
とにかく、
両方読めないから、
僕の患者さんなんかは、
僕が味方してくれてるんだってことが、
途中からわかるし信頼してくれるわけね、
そうすると何言っても通るね、
ようになります。
今日なんかも最初の頃は攻撃的だった患者さんが、
僕にはとても穏やかに話をしますし、
最初の頃は、
僕の一言一言に反応した人も、
今は何言っても全然反応しないので、
ああ、そうですねって納得してくれるんで、
相変わらず変なことは言うけど、
例えば、
これがこの画面を見ていただいて、
みたいにして、
わざわざ自分、
僕から画面を見せて説明してるのに、
スマホか何か忘れてたら、
タブレットか見せて説明してるのに、
すいません、見てしまいました、
ん?何?と思ったんだけど、
多分、人のスマホとかタブレットとかを、
許可なく、
見てしまってはいけない、
みたいな常識が働いたんだと思うんだけど、
許可は出してないけど、
僕が見せてるんだからね。
それは見るでしょ。
すいません、見てしまいました、
は?ってなって、
ん?ってなるんだけど、
それは見てしまいましたって、
ちらっと見ちゃったときの、
見せてないのに見ちゃったときの対応であって、
僕がここ見てくださいって言ってるんだから、
許可でしょ、これは、
見てくださいって言ってたから許可だよ、
だけど許可とは言ってないからね、
みたいな間違いをするんで、
人によってはお前何だ?みたいな風になると思うんだけど、
僕の場合は精神科医ですし、
患者さんを見てるんで、
あー間違えてるなと思って、
はいはいはい、オッケーオッケー、
で、ここはもう流してね、
話をしましたけど、
みたいな変ではあるんだけど、
全然信用してくれてね、
というようなことでね、
発達障害って言ってますけど、
自閉症スペクトラムね、
ADHDは違いますね、
自閉症スペクトラムの人っていうのは、
空気が読めんから、
間違います、
意図が取れないから、
みんなが自分のことを悪口言ってる、
という風に取る場合もね、
意図が取れないから、
自分は悪口言われる存在だという風に思えばね、
そういう風にも取るけど、
この先生は自分のことを何とかしてくれるように、
善意でやってくれる先生だという風に信じてもらうと、
僕の言葉を全部善意に聞こえるっていうね、
これはまた普通の人よりも極端に善意に聞こえる、
というような状態に入るわけね。
何の話をしたいんだっけな。
ということで今日も、
その人が働きたいって言うんでね、
いいよと、だけどね、
いいよっていうか、働くといいと、
先生どう思いますかっていうようなことを聞かれたんで、
全然働けると思いますけど、
ただ働いたらやっぱり失敗すると思うんで、
やっぱり気をつけて、
ちょっと1回止めないかついた。
はい、戻ってまいりましたというか、
続きおきましょうかね。
車降りましたので、
音がちょっと違うかと思いますけども、
では続きおきましょう。
で、
何の話だったかな。
働くとか働かない。
でね、働くんですけど、
その人はね、働こうって言うんだけど、
結構ね、
年金だとかね、手帳だとかね、
特に年金とかもらえるとね、
じゃあもうそのお金で、
もう働かないなんてことをね、
言う人がいるかと思うでしょ。
そんな人あんまりいなくてね、結局。
逆でね、年金ちょっともらうようになったら、
安心感がバックに入って、
それでね、やっぱり働き始める患者さん、
結構たくさんいるんですよ。
だからね、
そんなね、なんかね、
生活保護とかでズルしてるからなんて思う必要は
あんまないと思う。
生活保護なんかでね、
生活保護なんかもらって、
得したぜ、いえいえ、働かなくていいぜなんて
人はさ、働いたってどうせ役に立たないからね、
そんな人。だから、
そんな人はもういいじゃん、
患者の働きたい気持ち
みんなでサポートしてあげればって
僕なんか思いますけど。
やっぱ普通の人は働きたかったり、
自分の価値を確認したいからね。
やっぱりちょっとあの、
お金じゃないのよ。
例のうちのスカンクさんなんかが、
給料じゃなくて、今すごい元気じゃん、
仕事やり始めてから。
給料は前の方が高かったと思うんですけど、
今のがすごい元気でしょ。
何もお金を稼ぐだけの目的じゃないんだよね。
特に今この、
裕福な日本においてはね、
こんな日本でさ、
なんとかなるじゃんお金。
日本不調だとは言っても、
とはいえ、なかなかいい国ですよね。
なんとかなるでしょ。
そういう意味ではね、やっぱ仕事ってのは、
お金とは、
違う価値に基づいて回ってると思うんですよね。
だから僕は、
そういう手帳とかね、
年金とかね、
わざと意地悪で厳しく書いたりしなくてもね、
嘘は書けないんでね、
いつも患者さんにも言うんだけど、
嘘は書けないので、ただ書き方みたいなものがあるしね、
表現の仕方によって、
ちょっと重く見えたり軽く見えたりする、
書きようってのがあるんで、
ただ嘘は書けないです。
僕は、自分が相互病院の精神科っていう子、
よく言ってますけど、
信頼みたいなものをね、
世間の信頼みたいなものを、
重視して働いているんで、
そういうところで働いているんで、
相互病院っていうのはそういうところがあってね、
町の大きな相互病院はね。
あんまり嘘を書いたりね、
そういう、
患者さんのためとはいえね、
社会的にそういう、
信頼を裏切るようなことをすると、
僕の価値なくなっちゃうんで、
嘘は書かないようにすごく心がけて、
絶対嘘にはならないようにとは思ってますけど、
とはいえね、患者さんたちが、
年金とか手帳とかね、
少し、
少しと思って書くんですよ。
それずるいっていうふうに思う人もいるかもしれないけど、
僕はさっきも言っているように、そんなことはなくてね。
そういうのは取ったほうがむしろね、
従来のうつ病の限界
世の中のためにもなるしね、
頑張る人たちが多いよというのは、
僕は体感では思ってます。
今日思ったのは、
僕はそう思ってですね、
僕はだから発達障害の範囲がちょっと広くて重いんだよね。
発達障害の人たち、自閉症の人たちはすごく大変そうだなと、
僕は思うもんだから、
そこに広めの、
信頼書を書きがちなんですよね。
だけど、
少しね、
僕よりも世代の上のね、
10年、20年ぐらい、
20年上だともう引退してたりしますけど、
10年、
世代の上の先生たち、
なんかですとね、
発達障害という概念が
なかった時代の先生たちなんだよね、
割とね。
専門の子どもを見ている人たちは、
自閉症とかそういうのを信頼してたと思いますけど、
今みたいに自閉症スペクトラム
なんていう概念がなかったし、
統合失調症、
鬱病、
躁鬱病、
神経症、
人格障害、
境界例みたいな、
そういう転換みたいな、
転換は昔精神病ですからね、
と思われていたというかね。
そういう時代に、
ちなみに三大精神病というのは昔はね、
統合失調症と転換と
神経梅毒だったんだよね。
今とはだいぶ違う。
精神科医と神経内科医が
もうちょっと近かったんですよね。
神経梅毒精神科医が見てた。
転換も精神科医が見ててね、
転換で軽減するやつね。
精神的な問題が大きいというのは、
昔治療法が分からなかった時代は
そういう風に見られていてね。
三大精神病の一つだったのに転換がね。
なので、日本転換学会というのは
精神科が作った学会でね、
今時は脳神経内科医とか脳下科医とか、
小児科医がたくさん所属していて、
おそらく神経内科医の方が精神科医より
多くなっちゃったんじゃないかと思うけど、
もともとは精神科医が作った学会だったりするんですけど、
そんな風にね、
精神科の範囲はだいぶ変わってますけど、
ということで、
昔の精神科の先生、
僕よりも10個くらい上の先生はね、
発達障害という概念をあまり持っていらっしゃらない。
なのでね、
今時ね、
昔ながらのうつ病なんかいないと
僕なんかは思いますけど、
昔ながらの登校死としてもいないと思うんだけど、
なので、
それはある種の、みんな発達障害みたいな、
自閉症の、
自閉症スペクトラムの不適応みたいな形に
今は形を表していて、
昔はそういう人たちが
ある種のうつ病だとか、ある種の登校死症だとかの症状を出して、
そういう病名がつけられていたんだと
僕は思いますけども、
そういう人はもういなくなってしまってですね。
なのでですね、昔の基準でね、
登校死症者の基準で見たらね、
登校死症者なんか全然いないってことになっちゃうしね、
一方で、何でも本人がうつって言うよ、
全部うつ病みたいなのがまかり通っていて、
ただそれは、
僕が見ると、
何でもうつって言うよりかは、
自閉症スペクトラムの症状を背景に、
特性を背景に持っていて、
うまくいかなくて、
うつ病っていう風にね、
状態をね、停止しているという人たちが
最近は多いように僕には見えていますね。
昔の、ちょっと僕より上の先生たちはね、
そういう風だから、
そうなると、
自閉症スペクトラムで
うまくいっていない患者さんみたいなものをね、
昔の基準で診断するわけだ。
そうするとね、
昔の基準で見るとですね、
登校死症の症状も満たさないし、
うつ病というには
抑制症状がないし、
悲哀もないし、
ただ元気がない、すげえ、へえ、みたいに言っていて、
悲哀感がない、もうだめっぽがない、
悲哀感がない、抑制がない、
思考抑制、
抑えられて、うまく考えられないとかね、
そういう症状がはっきりしない、
強引にね、やればあれなんだけど、
不安みたいなものもあまりしなくて、
アパシー的な、あんまりただ元気がないみたいなのだけがあったり、
焦燥がちょっとある人もありますけど、
みたいな、
甘えと診断の重要性
ちゃんと昔のうつ病の基準を満たさない。
そうすると、うつ病もいないね。
送局性障害というのを、
広めに最近は取るんで、
送局性障害だらけという風にも言えるかもわかりませんが、
送局性障害、でも昔の先生は
送局性障害という概念を持っていないので、
僕より10年以上上の
人たちの典型的な診断は送うつ病ですからね。
送うつ病と送局性障害は
概念が違いますからね。
今のときは送局性障害という概念を
よく使いますけど、送局性障害じゃなくて
送うつ病という基準を持っているわけね。
送うつ病はね、循環病みたいな、
いろんな歴史的な流れがあるんだけど、
一番最近のというか、
50年、40年、30年くらい前に、
一番、今の僕よりも少し
年配の先生たちが
勉強した頃の
送うつ病というのは循環病なんだよね、
歴史的にね。
きれいにサインカーブみたいな
気分の波を持っている人たちが送うつ病だ
という風な概念の時代に勉強しているので、
ただ両サイド、
宇宙と層があれば送うつ病じゃなくて、
それがきれいにシュープと言いますけどね、
シュープね。
統合主張者はファーゼかな。
とにかく、どっちがどっちかな。
とにかく、そういう風に
周期性があるというね、
どっちでもいいんだけど細かい言葉は。
きれいなサインカーブみたいなのを取るものを
送うつ病は典型的な送うつ病という風にね。
循環病という風にね。
昔の人は定義するわけ。
そうすると、きちっとした
送うつ病も今あまりいないと。
きちっとしたうつ病もいないと。
統合主張者もいないと。
かといって、発達障害の概念を
今の先生たちは持っていないと。
どうなるかというと、みんな甘えだって思っちゃう。
あれは病気じゃなくて甘えだ先生
ってことになっちゃう。
そうするとね、甘えの人たちにね、
若い精神科医がね、
金儲け主義のね、
クリニックがね、
うつ病とか診断を書いてね、
休養が必要とか書くと。
悠々しきことだと。
なんならそこに年金発行するやつがいると診断書を。
この悠々しき問題であると。
いう風にね、
僕よりは10年上の先生は
割とそういう風に考える先生が結構いますね。
甘えだって思うのね。
それは仕方がなくてそういうものがね、
昔はそういう人はいなかったんですよ。
実際ね。いなかったし、
本当にそういう人は甘えだと思われてたというか、
実際甘えもあるんでしょうけど。
それがね、確かに甘えもあるんだろうけどさ。
甘えざるを得ないみたいな人たちがいてね、
そういうね。
という風に僕には見えてるわけね。
やっぱりその辺が全然違うなと思いました。
で、その
10年上の先生たちは
意地悪で甘えだと言ってるわけじゃなくて、
そういう風に習ったし、
昔はそういう風、実際そう見えていたと思うんですよね。
それが発達障害というね、
自閉症スペクトラムという概念が
精神医学の中に出てきたら
途端に今まで僕らが
訳分からんなと思っていたのは
この変な甘えの人と思っていた人たちが
一定の症状を出すというか
一定の所見を出すので、
これはただ甘えてるというか
ある種の状態であるということが
だんだん分かってきて、
それが自閉症スペクトラムという風に説明できると
分かってきた瞬間に、その人たちの苦労とか
苦しみとか何に困ってるかが
見えてきたわけね。
見えてない先生もいるわけですけどね。
僕はそこに共感することができるわけね。
うわぁ、かわいそうだね。
それは大変そうですな。
それはね、あんたは病気ではないかもしれないけど
だから、病気か病気じゃないかで言うと
病気じゃないけど
ある種の特性があって困ってるか困ってないかで言うと
めちゃくちゃ多分困ってると思って
それがだから本人の努力で
どうにかなるかならないかで言うと
なかなかどうにもならないということで
逆言うとですね、病気じゃないかもしれないけど
精神病ではないかもしれないけど
ある種の精神科の障害であることは間違いなくて
精神科の病気というのは
ちょっと特殊な響きで
精神科の場合はね、統合視聴症とか
難易性疾患と言われる統合視聴症
鬱病、躁鬱病というのがあって
難易性疾患が病気であるという風に
捉えて
それ以外の神経症というのは心の病気である
ということで
捉え方を変えるというのが
もともとの精神科の
従来の診断の
特性があるものですからね。
そういうのがあるものですから
精神病かどうかという風に言った時には
精神病かどうかというのは
精神病かどうかというのはつまり
心の問題かどうかという話で
精神病というのは心の問題ではないという前提だったんだよね
なので心の問題ではない
気分の問題ではない
嫌なことがあったからなるわけではないものこそが
本当の精神病で
精神病の捉え方の変化
それこそは助けなければならない
心の問題で嫌なことがあって気分が悪いのは
これは精神病じゃなくてその人の弱さだとか
怠惰だとか
甘えだから
精神科が扱うことではない
そうやって習ったわけ昔は
その基準でいくと
発達障害に発達障害と書いて
自閉症に自閉症スペクトラムと書いて
大量に診断書を発行して
手帳とかを取りに行かせるのは
非常に
僕がやってることなんかを
上野先生でそういう昔の基準で見てる人なんかは
よくよろしくないと
リブラという精神科医は
自分の患者に
優しいか知らんけど
とんでもない嘘を書いて
非常に良くないと
甘えみたいなものを病気として扱っていると
非常に良くないと
そういう風に見える場合があると思います
面白いね
僕には全然
僕も昔そういう風に教わって
昔はそんな風に見てたけど
だんだん自分で経験を重ねていて
今の発達障害が流行り始めているので
そういうのを勉強したりとか
そういう見方ってあるのかなみたいにやっていくと
どんどんどんどんそっちに
気持ちが引っ張られて
しっくりくるもんですからね
なるほどっていうことでね
自分の特性だとか周りの特性だとかも
見始めるし
ロボだとかロボじゃないとかも全部そうですよね
思考が短いとか長いとかね
バカの壁とかね
鈍感の壁とか言ってるでしょ
この話は全部発達障害に
繋がる話であってね
発達障害っていうのは生まれながらの特性であってね
これは患者さんだけじゃなくてね
健常者という風に言われてね
患者さんの中にもその特性があってね
そういう意味でそれが行き過ぎてしまったというかな
しかもそれ生まれつきだからね
どうしようもないじゃん
我々も困るでしょそんなこと言われても
スタイフやってる我々頭おかしいとか言われても困るじゃんそんなこと言われても
だって僕らこうやって生まれてきたわけでさ
これが自然じゃん我々の
これどうしようもない
これがたまたまうまく社会でうまくいかなくなって
会社で打つみたいになっちゃう場合があるわけですよ
それをね甘えだって言われると
僕らは非常にきついな
という風に僕はポジションとして思いますのでね
これはやっぱり障害としてね
それは昔の先生が言うところの
病気になるね
精神病ではないかもしれない
だけど精神病だけが
サポートの対象であって
精神病でないものは
全部甘えだっていうのは
いささが強引ではありませんかと
僕なんかは思うわけね
むしろ精神病の人よりも精神病じゃないのに
うまくいかないという発達障害を抱えて
やってる人の方が
僕の目には非常に厳しく
うつっていて厳しいというのは
非常にやりにくいというかな本人がね
辛い思いをしているように
僕の目には見えるので
やっぱり辛い目にあっている人たちこそ
を助けることを
僕らが助けられるかどうかは分かりませんが
助けようとする
ということがやっぱり
医療者としての
精神科の医療者としての
仕事なんじゃないかなと僕なんかは思うので
昔の先生たちはそう思わないよう
場合があるでしょうけど
それは間違っているというよりかは
時代が変わって患者さんの形が変わって
僕らの学問が変わって
概念が変わって見え方が変わって
見え方が変わったというよりかは
状態が変わっているので
間違いだね僕からしたらあれは間違いだね
という風に僕は思いますね
もうまとめましょうねやめよう
めんどくさくなってきたんで
今日僕が思ったことというのは時代によって
前振りがいろいろありましたけど
時代によって物事の捉え方は変わって
僕はやっぱり発達障害をかなり広めに
取りますねそれはね
それはでもね僕はそれがあっていると思っているね
僕は自分の患者さんたちが
毒をするために嘘をついている覚えは
一切ないですね
正々堂々と
正々堂々と説明しますしね
もし聞かれてもね
幸いね僕はそういうことで
世間で信頼されている場所で
信頼を保ちながらやっているので
僕のところにこれインチキだろって
言ってくることはあまり誰もない
クリニックとかはたまに言われてますけど
そういうことも裏切らないようにやっているわけですけど
ということで
世代によって物の見方は違って
やっぱり発達障害というのは
発達障害への理解
最近の話であって
昔の先生には通じない場合があるな
と思ってでもそれってやっぱりね
僕は間違っていると思う
昔は間違っていなかったと思う
だけど今のこの段階になってみると
これだけの社会に
発達障害の人がいて
と言われる人がいてこれだけ苦労しているんだから
これはもう間違いない
それはもともととは違って
今はそういう状態が
発達障害と呼ばれるようになったし
そういう状態の人が増えている
世の中が変わってますよという
変なおじいちゃんの先生のところに
かかってうまくいってない人は
少し10年若くての先生のところに
変わってみたりとかして
ドクターショッピングってあっちこっち行くのは
良くないと思いますけど
でも半年1年して合わなかったら
転院してみるといいんじゃないでしょうか
というところで今日は終えておきましょうか
頑張って到着するぞ
それでは皆さんさよなら
25:50

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