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はいどうも、バスへの精神科リブラでございます。
今、僕らのコミュニティとはまた関係のないですね、スタイフの放送を何気なしに聞いておりましてね、
そしたらね、何か揉めてる、離婚だったかなんだか忘れましたけど、何か揉めてる相手とのね、
要は何か被害に遭ったというようなことで、その被害を証明するための、
証拠として、精神科医にこんな酷い目に遭ったという、
PTSDみたいな、詳細は言ってらっしゃらなかったのでわからないんですが、
PTSD的なことなのかな、あるいは適応障害みたいなことなのかな、
つまり精神的に、お前のせいで精神的に病んだという証拠をね、
精神科医から証拠と診断書をもらってきてね、そういうのも出しておりますけど、みたいなことをね、言ってらっしゃった。
そういう話をしていた。
皆さんも何となくそういうのはありそう、皆さんやったことはないかもわかんないけど、
何となくそういうのはありそうだと思うでしょ、精神科医がこうね、そういう診断書を書いてね、こういう被害に遭っている。
つまりあれと同じなんだよね、骨折ね、暴力事件でさ、骨折しているという証明をね、
精神科の医者とかね、外科の医者に書いてもらったみたいな、そういう、僕はこれで骨折しているんです、被害に遭っているんです、そういうことだと思うんだけど、
もうこういう話僕めちゃくちゃ嫌いなんですよね、すっごいや、もう本当に嫌なんだこれ、
説明しましょうか、何が僕がこんなに嫌がっているのかね、
整形化はいいですよ、骨が折れているとか折れていないとか客観的な話だからこれは、
これはいいんだよ、だけどね、精神的に沈んでますっていうのはね、これは主観的な話でしょ、わかります?
まるで精神科医に聞けば、どんなぐらい心が傷ついているのかがわかるみたいな、そういう誤解がありませんか皆さん、そういうの結構ね、
僕は感じるんだけど、精神科医は心の傷つき度がね、わかるっていうふうに思ってらっしゃるでしょ、そんなのわからないからね、
でね、僕はこの話の気に入らないのはですね、わかると言って嘘を言って商売してる奴がいるってことなんですよね、
あの嘘を言いやがってと、精神科医の側にも払ったって言うんだけども、わかりもしないくせにわかる顔してそれで商売してる、
で、その、証拠がないからね、骨折だったらね、骨折してないものを骨折したと嘘を言ったらですよ、
これはね、後からレントゲー見てね、多くの医者がね、これ折れてないだろうと、
いい加減なこと言うんじゃないよお前と、お前ヤブ医者だなこの野郎と、そういうリスクがあるでしょ、そういうリスクがあるから折れてないものを折れたということはできないんですよ、
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そう簡単にはね、それは本当に折れたと思って折れたと言うと思うけど、そこは見たての問題でそこはプロとプロの戦いになってくると思うんですけど、
しかしね、精神的な心の傷つきなんてことは誰にもわからないんだよこんなことは、で、わからないのをいいことに嘘を言う奴がいるんだよ、わかるという嘘をね、
で、いやいやちょっと待ってと、この人心傷ついて、いやそんなことないでしょと、それはおかしいでしょということに例えば、
後から見た医者がね、言ったってね、それはね、だって、例えばレントゲー写真があるわけじゃないから、これわからないんですよ絶対に、
そうやってわからないのをいいことにわかるふりをしやがって、くそーっていうね、こういうなんかもうそういう、
僕はそういう嘘みたいなものすごく嫌いなんです、もう本当に嫌いなの、もう人を騙すみたいな、もう人を騙すみたいなのすっごい嫌いなんだよな、
騙されるのも騙すのも嫌、なんかそういう嘘を言ってる人も見るのも嫌い、なんかまあね、嫌な気持ちになる、
で、仮にね、まあそれはまあとりあえず100歩譲って心のね、傷つきがね、の度がわかるとしましょうか、
そんなことは嘘なんだけど、絶対嘘なんだけど、許せんけど、まあでもまあそれが100歩譲ってできるとしましょうか、
だとしてですよ、あのね、
その人が例えば心が傷ついていたとして、0から100までっていうので数字でこんなことできるわけないんだけどできるとして、
例えば60心が傷ついていたとして100のうちね、で何?っていう話、えっとね、それが、
例えばそのDVなり何なりかわかんないけどもその相手の人からくらったっていうその、
それ何?そんなこと証明にならないでしょ何も、つまり骨折したという証拠にはなるんだけれども、例えばね、仮にそうだとしてね、
それが相手による暴力による骨折だという証明はできないわけですよ、少なくとも心の問題に関しては、
まるで生計家のようにこの骨折はね、ここを殴られたことによる、これは暴力でしか起こらない骨折だと思うみたいなことは、
生計ではある程度あると思うんだけども、その心の場合はそんなこと無理なんですよ、
しかもね、レントゲン取れるわけじゃないから相手が嘘言ったらおしまいでしょ、そんなの、で嘘言ってないことがね、
精神科医にわかるわけないのよ、まぁある程度、あのある程度わかるっちゃわかるんだけど、
あの全然しょうがないじゃん、めちゃくちゃ主観的な話じゃないですか、あのそういうのは本当に許せないなぁと思うんですよ、
しかもね、無自覚にですね、無自覚な場合も結構あるんだけど、精神科医は患者さんの立場に立つ、僕らはそういう習慣があるので、
患者さんの味方になろうとして動いてしまうんですよね、どうしてもね、
そうしたら患者さんがこれはPTSDだと相手の被害にあったと言う風に言うとね、
もう一個はね、患者さんの側に立つ習慣がついているのと、もう一個の理由はですね、
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僕らがね、例えば階級医の先生なんか商売だからね、患者さんに嫌われたくないんだよ、
だから患者さんが私が被害にあったというのを書いてください、PTSDを書いてくださいって言ったらまあまあ書いちゃうわけよ、
で、例えば眼科なりが目が見えないもの、見えるものを見えないと書いたらこれは後で、まあそういうの実際にあるんですよ、
目が見える人にね、見えないという診断書を書いてね、これはもう酷い、あの詐欺って言ったかな、なんか騙したって言ってね、
捕まっちゃった先生なんかで見たことあるけどね、それはね、本来ね、これも実はね、目が見えるか見えないか本当は実は分からないんですよ、
本当のこと言うと、あの眼科医が見たら分かると思うでしょ皆さん、分かんないんだよ、医者は実はいろんなことが分かんないのよ、
分かんないけど分かる体でやってるのよ、それは社会的な要請でもあるもんだから、医者がいろんなことが分かったほうが世間的にありがたいもんだから、
医者も分かるふりをしているところもあって、それで社会が安定していることもあるんで、
その嘘も方便てなことで、その医者が分からんこと分かるというのが全ては悪かと言われるとまあちょっとなんとも言い難いところはあるんだけども、
でもやっぱり僕らはね、嘘を言っちゃダメだと思うんだよね、そういう社会的な信頼のもとに僕ら医者というものが高い給料をもらっているわけだからね、
それはもう本当に嘘を言う医者みたいな僕が本当に腹立つんだけど、その眼科の先生の話はね、あの酷かったんですよ、
その人目が見えないという診断書を書いてるんだけどね、自転車で来てたのよ、その病院に、
自転車乗ってね、4輪じゃないよ、2輪だよ、2輪の自転車乗って来てる人のところにね、平気でね、
あの失明してるって書く医者のも、でもそんなことするやつもいるわけよ、そうするとそれは証拠になっちゃったからね、
自転車で行ってんのに目見えてないわけねえだろと言いかけなしなし書くなこの野郎と、
いうことはそれはなったけど、鬱病ですとかPTSDですってのはこれなかなかねひっくり返すの難しいわけよ、
ということでやるんですよ、でまあそういう悪意を持ってね自分が商売をうまくやりたいからやるやつもいるんだけども、
善意なやつもいるわけ、悪気はないの、患者さんのためにと思ってPTSDですって書くの、
これがね本当に危ないんですよ、PTSDってことはね相手の原因を特定して書かないといけないわけだから、
これによってこの人はPTSDになったってわけよ、そうするとこれによってというその行為をした人は加害者だと認定するわけだから、
これはね医者がね状態を認定してるだけじゃないのは加害、あの被害の関係性をね言ってしまうわけよ、
それをいい加減に書くっていうやつがいるんだよこれが腹立つ、
ねえ本当に良くないと思う、僕たちは精神科医というものは、
あのはっきり言ってね、僕らの治療の世界での物語に基づいてやってるの、前もね何かで言ったかもわからないけどですね、
信じというものは実は相対的であるみたいなこと僕よく言うでしょ、
ただの数の違い、大勢の人が信じてるやつが真実で、
まあ少数とか千人一万人、ある種全員じゃなくある程度少ないっていうのかな、
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ある種その一人二人の時は妄想、みんなだったら真実、中間のやつは洗脳みたいなね、
真実なんてのは相対的なものでそんな確実なものじゃないんですよ、
なんです、で僕たちは例えば妄想と思うような症状があるとしてもですよ、
診察の場ではここは妄想じゃないと、これは妄想だと取らない方がいいというふうに取った時はですね、
まるで真実家のように僕は話をすることがあるんです、
僕らの仕事は真実を追求する仕事ではなくて、
患者さんの状態を良くするのが僕らの仕事なので、
患者さんの状態を良くするために一般的な真実とは違う真実が必要ならば、
僕らは一般的な真実とは違う真実を診察の患者医者の治療者関係の間に持ってきてしまいます、
それは一般的な、例えばですね、患者さんが何か被害に遭っている、今の話ですよ、
被害に遭っているというようなことでなってたらね、
僕が客観的な、僕の個人的な客観的な意見としては、
これはねお父さんお母さん悪くないなと、この人のお父さんお母さん悪くないなと、
この人がおかしいよなと思ったとしてもですよ、
思ったとしてもその人の僕が治療する立場なんで、
ここはその真実邪魔だっていう、真実よりも嘘の方が必要って時あるわけよ、
そうなった時には僕はもうその嘘の方にどっかるわけよ、この場ではですよ、
この診察の場ではそっちの嘘、一般的な社会ではそれは嘘に見えるかもしれないけど、
この診察の場ではそれが真実だわけ、そういうふうな捉え方をするわけ、
一方で客観的に見れば、この人は被害者だなというふうに思ったとしても、
この人が被害者であるということによってこの人が傷ついているのであれば、
あんたの方が問題じゃないのって、あなたがもう少し頑張りなさいよと、
本当はそんなことを思ってなかったとしても、この人は被害者だなと思っても、
この人が被害者だとなると立ち直れないとなれば、
そこには一般的な社会としては被害者だと僕は思ったとしても、
この治療の場ではこの人は被害者にすべきではないと踏めば、
そこはあなたが悪いよっていうような方向で、
あ、そう私が悪いか、あんたが悪いよ、そこはあんたが頑張りなさいよと、みたいなね。
少なくとも今はそっちがいいと思えばですね、
そんなのね、だからどっちが悪いとかいいなんていろいろ考えようなんだから、
立場なんだから、それはね、治療の場においてそうだと思ったらもうそっちにするわけ。
なぜなら僕らはさっきも言いました、真実を追求する仕事じゃないんです。
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患者さんを良くするのが仕事なんです。
それはカルテがあるでしょ、そのカルテに記載されているのはこの診察の現場の話が書いてある。
なのでそこに書いてあることは、この治療するための世界での真実が書いてあるんです。
それは社会的な一般的な真実とは関係がないかもしれない、逆かもしれない。
でもそれは治療においての真実なんです、あくまでも。
それをね、たまにね、裁判所とかがね、出してこいっていう時あるわけ。
この誰が被害者か加害者かっていうのを特定するのに。
ダメなんだって。
診察の場の真実は治療のための真実だから、なんならもう全部嘘なの、そんなものは。
あの社会から言ったら、この場だけの話なの。
それを、裁判っていうのはね、客観的な真実を追求する場なんです。
そこに持ち込んじゃダメなの。
治療の情報はそこに使っちゃダメなの。
それがね、分かってない弁護士、裁判官がほとんど。
もっと悪いのは、悪いっていうか残念なのは、そのことに無自覚な精神回位がほとんどだってこと。
自分がやってるってことが、社会的な真実とはまた別件だっていうことが分かってないんだよく。
まあ僕からするとバカだなと思うけども。
もう本当に嫌だ。
で、被害者加害者問題ね、交通事故だとかさ、会社の上司からのパワハラだとかさ、
だから会社の上司からのパワハラって言ったって、これは上司悪くないなと思っても、
この患者さんのためにその真実が邪魔だと思えば、上司が悪いって僕は言うし、
この患者さんが悪くないな、上司のせいだなと思ったとしても、
いや、そりゃ上司なんていろんな人がいるし、そんなのは取り方の問題だから、
あんたがそれを取ってる、そういうふうな取り方をしてるあんたに問題があるよと。
例えばそれは、他人は変えられない、自分しか変えられないというふうに僕が思っていた場合に、
そりゃそう、ああこの人かわいそうだなと思っても、
いやあんたはかわいそうじゃない、あんたは悪いってなことで、とりあえずそういう物語にしちゃえと。
言うことはあるわけよ。治療のためなんだから。
それをね、裁判所に出してはダメなんだよ。
裁判官もそれ使っちゃダメなんだ。
それを使うということ、あるいはね、分かっていてやるということは、
そんなのは、あの、騙すために信頼書を出してるみたいなもんだから、
僕すごく嫌だ。それはもう全部書いちゃったりする。
これ騙そう、これ騙すことになりますよ、と。
書いてもね、ダメなんだよね。もう裁判官分からねえ、
もう裁判官も弁護士も分かってったのかも分かんないけども、
わざとね、わざとやってるんだったらもう治るのことダメだ。
汚ねえなあ、そういうことするの人を騙す、法律家の不整理。
嫌だわあ。
ってなことで、精神科の、少なくとも精神科の診断書を
客観的な事実認定に使うということに関しては、
本当に慎重になった方がいいし、
本当にそういうことを精神科にも、法律家も本当に考えていただきたい。
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本当に納得がいけない。
と、今思ったので、撮ってみました。
ねえ、やっぱり、こういうなんか熱のある話が楽しいな。
ということで、
昨日は一本も撮れなかったのに、
今日は腹が立って二本目撮っちゃうという、
さようなり!