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2024-10-05 14:19

人間の比較心理と社会性 - ブラックジャック精神科医シムラ先生より

ブラックジャック精神科西シムラ先生の社会的比較論の話
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00:07
ペンギン村からお運ばんちは、 抜粋の精神科リブラでございます。
土曜日ですね。
土曜日はね、どうなんですか? あまり皆さん聞いてないんでしょ?
聞いてないところを、聞いてようが、聞いてなかろうが、 やっていきましょう。
今日はですね、何の話しようかな。
今日はですね、土曜日、最近あれですよね。 土曜日になってるのかな?
土曜日になると、精神科医のシムラです。 ブラックジャック精神科医のシムラです。
ブラックジャックという訳あって、 持ってませんよ、医師免許。
精神医学的、何か役に立つ話をしてまいります。
さようなり、ナムアミダブツの。
知ってます? 精神科医のシムラ。
僕のリンクを貼ってるんで、あれきっと偽物なんでしょうね。 僕のね、という設定なんだと思うんですが。
のね、話をね。
だから、ミキサックさんだと言っていいのかな?
ミキサックさんがでいいんだろうな。 シムラさんがでしましょうかね。
シムラさんが放送していらっしゃってですね。
シムラさんの放送を聞いたんですよ、さようなり。
シムラさんがね、僕は知らない言葉だけど、 社会的比較論という話をしていらっしゃったね。
シムラさんのおっしゃる社会的比較論というのは、 僕が初めて聞いた言葉ですけど。
あんまり人と比べるなという話ですよね。
人と比べるから、大変なんだと。
人と比べずに自分に自信を持ってやれば、 精神病じゃないや、精神的な病というかストレスから解放されるよと。
それはそうだよね、と思うことなんですけどね。
だから、あんまり人と比べて大変なんだよね、 という話をしていらっしゃって、その通りだなと思うんですけど。
思うんですけど、ということでは違う話をしますけどね。
だからね、それは人と比べなければいいと思うんだよね。
だけど比べちゃうでしょ。
これさ、あっちこっちで言いましたよね、この話。
シムラ先生のブラックジャック精神科医の シムラ先生のところにも書いたんですけど。
これよく言いますよね、人と比べるなって。
例えば、アドラシン理学とかあるよね。
嫌われる行為、人からの評価を気にするなみたいなのもそうだし。
ちょっと偏執だけど、アドラシン理学もそうじゃん。
あと、仏教なんかもね。
人と比べるんじゃなくて、自分で満ち足りよと。
比べていったらいつまでも満ち足りませんよと言うじゃん。
これさ、あっちこっちで同じこと注意されてるってことはどういうことかわかります?
ずっとみんなこのことで悩んでるってことね。
ずっと悩んでて、あっちこっちで同じ教義みたいなものが語られるってのはどういうことかというと、
僕らがそれを決してできないということなんですよ。
本屋さんに行くとね、ダイエット本ってね、
もういつもね、あれなんだって、
03:01
ダイエット本はずーっと売って、これね、岡田斗司夫先生、岡田斗司夫さんが言ってる話。
ダイエット本と片付けの本は、これチキリンさんも言ってるから、
ダイエット本と片付けの本はね、ずーっと本屋さんから無くならないんだって。
どの時代もずーっとあるんだって、ダイエットと片付け。
片付けの秘、技みたいな。
えーと、だからなんだっけ、大作戒、違う。
促進物、違う。
えー、大作戒、促進物、脱。
脱営業、脱。
断捨離、ね、断捨離。
断捨離とかが流行ってってでしょ。
あんなもんね、すぐね、リバウンドしますからね。
で、片付けとね、えーと、なんだっけ、片付けとね、その、えーと、ダイエットの本がですね、
本屋さんから永遠に無くならない、ずーっとベストセラーみたいになっているのはなぜかというと、
それが人間には決してできないことだからなんですよ、それはね。
まあ、中に一瞬にある人がいるし、えーと、例えば脅迫性の強い人っていうね、こうなんかこだわりが強い人なんかは、
例えばご飯食べずに接触障害みたいになって無くなる人もいるぐらいだから、
まあまあ、あの、全員できないわけじゃないんだけど、まあまあ、多くの人は、えーと、基本的には、まあ、できないっていうことなんですよ。
そういう意味でね、他人と比べるとはできないことなんだよ。
で、ちょうどね、精子のPラインで僕が言ったような、まあ言ってないような、言った気がするんだけど、
韓国産かな?言ってないから言ったかな?
ちょっとシャーデンフロイデっていうね、人の不幸を喜ぶっていうね、あのー、僕らの心についてのね、あの話をしたような気がしますけど、
これも岡田斗司夫さんのところで、あの、あ、これ違うかな、宮剣さんが聞いたのかな?
もちろん誰に聞いたか忘れましたけどね、あのシャーデンフロイデっていう人の、あのドイツ語ですよね、
人の不幸を喜ぶみたいなことをそうやって言うわけですけど、僕らそういうことしちゃうわけ、ね。
でさ、どうもね、あのー、これもPラインで言ったような気がしますけど、
その、岡田斗司夫さんの紹介してた何かの本に書いてある話ですけど、
えっと、なんとかおなかざるみたいな猿がね、えっと、なんかこの、なんかお金もらってこうチャリンチャリンと入れるとね、
えっと、その、きゅうりが出ると、でそれを覚えてすごい大喜びすると、入れるときゅうりが出る。
で、チャコーンとね、わきゅきゅきゅきゅってね、嬉しいよーってね、きゅうりを食うと。
でまたそこにチャコーンと入れるとまたきゅうりが出る。嬉しい嬉しい!と言って大喜びをしてるんだが、
途中から隣に同じ猿を置いて、そこにも同じ仕組みを置いて、そこの猿は同じようにお金をもらって、
そのお金を同じように、えっと、その、えっと、お金の投入口に入れると、入れるんだが、
隣の自販機みたいなやつからは、えっと、そのね、おりが違うから隣のとこにはいけないんだが、
その隣のおりからはバナナが出るわけ、隣のおりの猿には。
で自分が入れるときゅうりが出るわけよね。隣のやつが入れるとバナナが出るわけね。
自分はきゅうり、隣はバナナね。それまで、自分はきゅうり、何度やっても結局自分はきゅうり、隣はバナナね。
きゅうりをもらえてね、最初は大喜びだったのに、隣の猿がバナナが、隣の猿のところにバナナがね、
同じやつで報酬が違うと、隣だけバナナが出ると、なった瞬間にこのなんとかお腹猿が
06:04
おいしいって怒りだすと、喜ばなくなるんだって。きゅうりいやーってなるんだって。
なんで俺だけきゅうりだーってなるんだって。面白くない?結局これ比較文化論でしょこれ。
違うさ、比較文化論だっけ。
日村先生、比較文化論でしたっけ。さよなり、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
ね、忘れましたけどね。忘れたっていうのは、なんて言ったかな。
社会比較論か、だからちょっと忘れちゃったけど、結局同じじゃん。人と比べてって猿の特性なのよ。
これ僕、一回西野さんと一緒に飲むみたいな権利があって、一回お話を西野昭弘さんとしたときにね、
僕はそのときにも言ったんだけど、日本がどんどん貧乏になっていて、日本の貧困率が上がってるから、
夢と金という知識を増やして、みんなお金持ちにしたいというようなね、そして子供を救いましょうみたいな話で。
もちろんそうなんだけど、いいんだけど、日本で及び世界で問題になっている貧困率の問題っていうのはね、
OECDの貧困率で日本のやつがどんどん上がってるっていうわけですけど、これはね、相対的貧困率なんですよ。
相対的貧困率って何かっていうと、家庭ごとだから個人ごとじゃないけど、平均の収入をとってメジアンだったかな、
中央値をとって、中央値の収入の半分以下の人たちがどんだけ人っていうか家庭っていうかね、が何割いるかっていう家庭単位だったような、世帯単位だったような気がしますけど、一緒じゃんほとんどね。
ということで、平均じゃなくて中央値、メジアンの人の収入の半分以下の人たちがどのくらい。
だから、真ん中に要は中流階級みたいな、まあ中流階級が良いか悪いかとにかく真ん中の人に比べてお尻の方、収入の低い人たちがぐんと下がっている社会は、相対的貧困率が上がるんですよ。
つまりね、夢と金で誰かがお金持ちになったって、相対的貧困率の問題には必ずしも寄与しないんですよ。
つまり、一番貧しい、相対的貧困の貧困層の子供たちにだけの収入を上げてやれば、相対的貧困率は下がっていくが、誰かがお金持ちになってもダメなのよ、結局。
この貧困の問題は解決しません。誰かがお金持ちになっても。
となると、よく堀江門さんとかが貧しくたって、昔と違ってスマホは全員持っているし、これみんな幸せだからいいじゃないかとおっしゃるね。
それはめちゃくちゃその通りなんだけども、ところが悲しいから人間はシャーデンフロイデで喜んでしまったりですね。
人間は猿の頃から、隣の猿がバナナをもらうと、きゅうりをもらっていても怒りだすという、そういう遺伝子を持っているわけ。
09:00
なんて愚かなね。
だから貧困率を考えるときに絶対的貧困も考えなきゃいけないんだけども、僕らは相対的貧困をずっと問題にしているわけ。
OECDの貧困率はそういうことですからね。
つまり僕らは常に誰かと比べて劣っているということを嫌がるんですよ。
誰かと比べて上に行きたがるんですよ。
そもそもこんな配信しているやつ、みんな自分はこんなことができるぞと言いたい人に認めてもらいたいからやっているわけよ。
前僕がこんな芸能人のモノマネをしているんだって自分のことを棚にあげて批判したりしましたけど、こういうことをやっちゃダメだよ。
ホワイト社会ですからね。
ホワイティに行きましょうね、ホワイティに。
とにかくですね、まあまあしょうがないね。
そういうことなんですよ。
なのでね、僕らは悲しいかなね。
おなか猿の時代からというか、僕らはおなか猿にはなっていないが、かなり前半からですね、僕らは人と比べる種族なんですよ。
PIにも言ったような気がしますがね、こういうね、そもそも人と比べるみたいなことが猿からあるとすればですよ。
僕らのその人と比べるという行為自体が人間のように社会性を持って社会というものを作るときに、もしかしたら大事なことかもわからない。
犬とかもさ、皆さん犬飼っている人さ、犬2匹飼っているとさ、1匹を大事にするともう1匹の犬がわーって怒ったりしません?
隣の犬が愛されていると俺の方に愛をよこせて、これも比較論なんだよね。
犬とか人間とか猿とかね、やっぱり集団を作って社会を作る、集団と言うかな、集団じゃダメだね。
イワシだって集団を作るけど、あれはあまり関係ないと思うんで。
集団というか社会を作るような生き物はみんなこういうね、他人と比べるということをするんだと思うんだよね。
その他人と比べるということが集団を作るということに寄与しているんだとすれば、
だから行き過ぎたときに仏教でも言うし、この社会なんとか論でも言うんだけど、
他人と比べなさんなやということを言うけど、他人と比べなさんなやがこんなに続くということは僕らできないということだし、
できないからといってむちゃくちゃこじらせるとあまり良くないので、みんなスカンクさんになっちゃうんで、
こじらせない程度に、嫉妬もほどほどに、バランスですからね。
行き過ぎたら良くないと思うんですけど、完全にはなくならないわけ。
それが僕らの特性だからですね。
なので、あんまり完全に楽そうとするのもどうかと思うしね、
人に嫉妬する心をあんまり勇めるのもどうかと思うしね、
ドアラーシー理学が素晴らしいのは、僕らがそれがやめられないから素晴らしく見えるだけのことで、
実際には無理なんじゃないかなと、僕なんかは。
それが本当にできる人は中にはいると思う。
だけど人との評価なんか全然気にしない。
そうなると自閉症だからね、はっきり言って。
ノーベル賞を取ったりするような人、結構そういう人がいるけど。
まあでもね、鳥川博史先生ね、昔いたね、ノーベル賞を取った。
あの先生ね、自分の研究室の隣のね、ライバルの研究者の試験官、ずっと夜にね、
知り合いの試験官を夜中壊して回った。
ノーベル賞を取った。
それでもう過ごした。
これでなくなった。
12:01
ということで鳥川博史先生、有名なね、自分のライバルの試験官を夜中に割って回ったとかね、
そういう話がね、まことしやかに語られてました。
そんな人だったっていうことでね。
あんなね、あんなノーベル賞を取ったりするんだから、まあまあね、自閉症っぽい人だと思うんだけど、
それでもね、心境症的に人のもことを邪魔したりとかね、
あのするようなセンスがあって、
まあそうじゃなきゃね、人間じゃないみたいなところは若干あるわけよね。
まあそうじゃない人は社会で生きていけないっていうね、
やっぱね、多少の嫉妬はね、社会で生きるのには必要でね、
多少のこうしてね、スタイフをやってね、
みんなに褒めてもらいたいみたいなね、
みんなの上に立ちたい、褒めてもらいたいね、
チヤホヤされたいみたいなやつはね、これね、
誰にでもあって必要なことだと思うと同時にですね、
まあないとね、自閉症みたいなのとうまく社会で会わなくなっちゃうと同時にね、
まあかといってこじらせると、
まあスカンク呼ばわりされるということでね、
えー、てなことでね、皆さんね、
まあバランスをもってね、
えー、バランスをもってやっていきましょうという話を今日はしました。
はい、まとめましょう。
まとめると本日は、えーと、えー、えー、
ブラック弱精神科医のC村先生の話を聞いていたら、
他人と比較するなという話が出てきました。
僕もその通りだと思っていますが、
しかし人間は猿の頃から他人と比較するという特性を持っていて、
それ自体がもしかするとというか、
それ自体が、えー、社会とかね、
この、えーと、社会というものを構成するのに必要な能力の一つの可能性があるんじゃないかと僕は思っておりまして、
まあだとすると、えー、僕らはこれをやめることができない。
そもそもこういう論があちこちで語られているね、
他人と比べるな論があちこちで語られているのは、
そもそも僕らができないからであって、
パイレット盆がずっと売れ続ける、片付け盆がずっと売れ続けるのと同じ構造ではないかと思っていると。
つまり僕らはですね、人と比べるのはみっともないし下水けれども、
まあある程度はそういった心を持ちながらね、
えー、まあ時々行き過ぎたら、
まああんまりそういうことね、シャーデンフロイド的なことをするのも、
まあよくねえなと下水なとダッサイなと思いながら、
でも心の中にはそういうのがあるのである程度仕方がない。
受け入れていきながらね、バランスをとっていきましょうというお話でした。
今日もいい話けど。
それではみなさん、さようなりー。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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