前回、地上最強の商人のついに第1巻に突入したわけですけれども、習慣というものを身につけようというお話でしたね。
それ以降の2巻から10巻までが成功の秘訣。成功とは目的達成ですね。成功とは目的を達成できる力のこと。
目的達成する秘訣が2巻から10巻までに書かれているんだけれども、
この1巻を30日かけてマスターしたもののみが、2巻以降読み進められるというような内容になっています。
なのでですね、始めている人は渡していますが、1巻の内容を渡しています。毎日やっている方、変化がありますかね。
じわじわとね、不思議なことが起こり始めると書いてありますし、実際起こり始めます。
この差ですね。1週間やって2週間目、1日1日と、この大きな枷の大木を切ろうとする斧の一打撃は、わずかな打撃ですけれどもね。
これをでも続けることによって大木も倒れていくわけで、そんなことを始めている人のために、次のところにつながる話をします。
ただですね、第2巻に行くことができません。30日経っていない。そして第1巻を習得、まだ完全に習得していないので、第2巻に行くことができないので、
第1巻の内容、この習慣というやつですね。目的を達成するための習慣という力に関して、今日は特大号でお届けします。
今日は7つの習慣、習慣といえば世界的ベストスラー7つの習慣との合併号でお届けしてまいります。
題して習慣という魔法と私、部屋と挨拶と私的なことです。ちょっとこのタイトルでね、今日やっていきますけれども。
冒頭、第1巻、今日のお昼の目読をしたいと思うんですけれども、持っていない人に対しては私が代わりに朗読させていただきます。聞いてください。
今日私は新しい人生を始める。今日私は古い皮膚を脱ぎ捨てて全く新しい人間となる。その古い皮膚とは長い間失敗を取るに足らぬつまらぬことに悩む傷跡だらけになった私の心の皮膚である。
今日私は新しく生まれ変わる。私の生まれる場所は甘美な恵みの果実をもたらす大いなるぶどうの畑である。
今日私は中でも一番大きく実ったぶどうの草をもいとる。それは知恵の実である。それは幾世代にもわたって私と志を同じくする何人もの賢人によって植え育てられてきた英知の果実である。
今日私はそのぶどうの実を味わい、成功の種をしっかりと飲み込む。それは私の中に新しい命の芽を生やし始める。
私は知っている。私の選んだ道は素晴らしい成功への機会が待っているが同時に失敗への絶望にも満ちあふれていることを。
この失敗者の死体を積み重ねればその影は地上のピラミッドをことごとく覆ってしまうに違いない。
しかしそれらのものと違って私は失敗することはない。なぜならば私の手には楷図があるからだ。
この楷図こそ昨日はただの夢であった彼方の成功の地へ危険極まりない海域を乗り越えて導いてくれるものだからだ。
成功を得るために苦難という代償を支払う必要はもうない。
自然が私の体に痛みという苦しみを与えてはいなかったように私の心には失敗による苦しみという痛みも与えられてはいないのである。
失敗による苦しみとは私にとっては無縁の違法人である。かつて私はそれを苦痛として受け取ってきた。
今私はそれを苦しみであると認めることをきっぱりと拒絶する。
なぜならそれは無知の暗闇を抜けてて富・知・幸福の陽光のもとへ導くための地へと原理としてあらかじめ用意されたものだからである。
それを突破したときあのヘスペリデスの庭園の黄金のリンゴさえも十分とは言えないほどの莫大な報酬を私は手にするのだ。
確かに時は全てのことを教えてくれるかもしれない。しかし人生の時はあまりにも短いのだ。
しかしまだだからといって焦る必要はない。時間は万人平等に割り当てられており、しかも自然自身が焦って特別急ぐということは決してない。
私は待つという忍耐力も身につけなければならない。
あらゆる木の王様といわれるオリーブは生育するのに百年を要する。一方ネギは九週間で収穫できる。
今までの私の人生はこのネギのようなものではなかったか。私は到底このような人生に満足することはできない。
私は今巨大なオリーブの木になろうとしている。すなわち偉大なる商人になろうとしているのだ。
ではどのようにしてこの願いを達し得るのか。
私には大した経験もなく知識もない。無知なるが故に何回となくつまずき自己憐憫の思いの中で泣いてきた。
こんな私がどうやってこの王になる目的を達し得るのか。答えは簡単である。今すぐ出発する。これが答えである。
しばしば老人が湧きしり川に飛ぶ経験や知識はさほど重要なものではない。
確かに経験というものは我々に多くのことを教えてくれる。しかしその教え方は貴重な人生の歳月を貪り食らうのである。
それゆえに人生におけるその価値はさほど大きなものとは言えない。
経験による知恵を得た時、もう人生は終焉を迎えていることも多いではないか。
さらに経験による知識とは世の中の流行とも似ている。
今日得た成功例は明日はもはや物の役には立たないかもしれないのだ。
しかしこの待ち物の中にある教えは真理として永続するのである。
そしてこの教えは今私の手の中にある。
重要なことはこの教えとはいかにして成功するかという秘訣を解いたものではないということである。
ここで教えていることはいかにして失敗を防ぐかということなのである。
なぜなら成功とは各人の気持ちのあり方の問題であるからだ。
ある成功の報酬もそれが小さすぎると感じる人にとっては成功とは思えないであろうし、
同じ程度の報酬でも成功したと喜ぶ人には成功である。
また望んでいるものと異なるものを得たところでその人にはそれは成功とは感じられないであろう。
もし千人の賢者に成功とはどんな意味なのでしょうかと尋ねればおそらく千通りの答えが返ってくるであろう。
失敗とはそれが何であれその目的の地に到達できないことを言うのだから。
事実、失敗者と成功者の間に横たわるただ一つの違いとは習慣の違いである。
良い習慣はあらゆる成功の鍵である。
悪い習慣は鍵のかかっていない失敗という長部屋のドアのようなものである。
かくして全てに優先して私の守るべき最初の方は次のようになる。
私は良い習慣を作り自らその奴隷となると。
子供の頃私は単に自分の衝動の虜であった。
しかし今は全ての成人がそうであるように自分の習慣の奴隷である。
私の自由意志というものはとっくに長年積み上げられた習慣の中に閉じ込められており
私の過去の業績は既に定められている運命の道を歩まざるを得ないよう
私の未来を強制しているのである。
私の行動は常に食欲、情熱、偏見、欲望、愛、恐怖、環境、習慣などによって規制されているが
その中でも最も手に負えない冒険は習慣である。
それ故にもし私が習慣の奴隷にならざるを得ないのなら
良い習慣の奴隷になろう。
自分の悪い習慣は直ちに排除されなければならない。
そして新しく耕された土地に良い種をまくのだ。
私は良い習慣を作り出しその奴隷となる。
しかしどのようにすればこのような至難の技を達成できるのだろう。
それはこの巻物によって可能になるのだろう。
私の人生から悪い習慣を取り除き成功へ導くための良い習慣をどのようにして身につけるのか
その秘訣が全ての巻物に詳しく記されてある。
その秘訣の根本的原理は
ある習慣を変えるものは新しい他の習慣だけであるという自然の法則に基づいているのである。
そこでこの法則に基づいて私が始めるべき新しい習慣作りの第一は
この巻物を読むという行為である。
私は次のやり方で自分を鍛えていく。
それぞれの巻物は30日間かけて読み続けなければならない。
その読み方は次のようにする。
朝起きたらまず目読くする。
次に昼食をさましたら再び目読くする。
そして1日の終わりすなわち眠りにつく前にもう一度読むのであるが
この時は声を出して読むのである。
この音読することは最も大切な点であるから決して忘れてはならない。
翌日もこのやり方を繰り返す。
これを30日間続けるのである。
そして次の巻物に移り同様にして30日間続ける。
このようにして私は全ての巻物ともに生活し
巻物を読むことは私の生活の一部すなわち習慣となる。
ではこのようにしてできた習慣で何が達成されるのであろうか。
この中には目的を達成するための秘密が隠されているのである。
言い換えればそれは目的達成のための力を得るということである。
毎日読み返していると巻物はついには私の思考意識の一部となる。
それは私のもう一つの心とも呼べき場所に染み込んでゆき
私の理解しがたい神秘的な力となる。
それは私に夢を作り出させしばしば不思議な行動を私に送らせるが
結局それは目的達成のための最短距離だったことが後から分かるといったような具合である。
そしてこの習慣が続けられていくうちに私は不思議な力に目覚め始める。
朝起きるごとにそれまでに覚えたことのないような活力が体内にみなぎっているのを知る。
かつて夜明けの時に覚えたあの漠然とした不安感は一掃され
やる気が増し希望に燃え世の人々と会いたくなる。
かつて私はこの世の中には争いと悲しみしかないと思っていた。
しかしその私が今までに思ってもみなかった幸福な世界があることを知るようになる。
知らず知らずのうちに私は日常生活の中で直面する出来事に
巻物の中に解かれている方法を持って対処している自分の姿を見出すようになる。
そして間もなくそれらの行動や反応が簡単かつ自動的に行えるようになる。
なぜなら反復された練習の効果はいかなる行為も容易にするからである。
こうして新しい良い習慣は私のうちに誕生する。
なぜなら絶えざる繰り返しによりその行為が容易になると
それを行うことが楽しみになるからである。
楽しみになるゆえに私は自然にそれを繰り返して行うようになる。
何回も行うゆえにそれは私の習慣になりそして私はその習慣の奴隷になる。
そしてそれは良い習慣であるゆえに私の意思になるのである。
今日私は新しい人生を始める。
私は自分の新しい人生の人間的成長を妨げるような行為は一切しないことをご祖母に誓う。
私は巻物を読むことを一日たりとも欠かさない。
なぜなら失った一日は決して取り戻すことはできないし
または他の日をもってそれを取り換えることもできないからである。
私はこの習慣を破ってはならないしまた破るつもりもない。
またこの毎日の習慣を続行する労力などは
この習慣がもたらす成功と幸福の喜びを思えば取るに足らない些細なことである。
私は巻物の言葉を繰り返し読むとき
それらが簡潔であり単純であるからといって
軽んじてしまうようなことは一切しない。
ワインが作られるためには何千粒のブドウが壺に絞られ
その絞り傘は鳥に投げ与えられる。
歳月をかけて作られる知恵の果実も同様である。
多くの物は残されその傘は風の中へ投げ捨てられる。
残った純粋の真理のみが熟成され
ワインすなわち真実の言葉となって残るのである。
私は巻物に指示されたように
これを成功の種と一緒に一滴も余さず飲み干す。
今日私の脱ぎ捨てられた古い皮膚は塵となって消えていく。
私は殺草と人々の間を歩いていく。
しかしたぶん彼らは私に気がつかないであろう。
なぜなら私はすっかり生まれ変わり
全く新しい人生を歩き始めた人間だからである。
すごい!
ということで第一巻をおさらいしました。
どうでしょうかね染み込んでいく
あれですけれども
私は本当に毎日これを音読しています。
ので本当に染み込んでいっているのを感じております。
ワインが熟成されていくかなと
期待しています。
という第一巻ですね。
この第一巻何が書かれているのか
誰でも聞けばわかるわけですよね。
習慣というのはとても大事だよ。
人間というのは習慣の奴隷である。
よくも悪くもということですよね。
自分の意思があると思っていたけれども
前回の授業でありましたね。
人間の意思というのはとても薄弱なものである。
私たちが感じている意思というのは
健在意識のことまでしか感じできていないということ。
私たちの健在意識というのは
十分の一にも満たない氷山の一角。
よく例えられますね。
そういう意思というふうに人間は呼んでいるんだけれども
本当はその下にその何十倍も
大きな氷山が止めている。
これのことを健在意識と言います。
この健在意識は
コントロールができない。
無意識において人間が動いていたり反応したり
生存のために動いていたり
そういうふうに作られているものだということが