レース自体はもう終えて、ちょっとリラックスして話してくれてるんですけど、 今回のレースの結果としてはどういう感じだったんですか。
結果としては、42キロ、44キロ地点でリタイアということで、 完走できずでしたね。
そうですか、何か原因とか、そういうきっかけとかあったんですか。
調子自体はすごく良くてですね、前半も集団を引っ張るようなシーンはあったんですけれども、
今回、悪天候でコースが変更になって、 急遽新設されたエイドステーションで、
エイドステーションを見つけることができず、 それが結構致命的で、そこで
ドリンクが補給できなかったことが結構響いてですね、 結果的に脱水というか、失速してしまってリタイアという感じです。
なるほど、お疲れ様でした。 むちゃくちゃ暑くはなかったけど、やっぱりちょっとドライだし、ずっとやっぱり走ってるし、
そういうところで水がという感じだったんですかね。 そうですね、やっぱり
予定されているエイドステーションでどこのタイミングで補給というのは、 やっぱり予め計画立てているので、そこで取れないというところで
だいぶ痛かったですね。レースも割と走りやすい コースに変わっていたので、
そんなに飛ばしているつもりはないですけど、やっぱり 比較的その速いペースでは進んでいったので、
雨も降って少し走りやすい環境ではありましたけども、逆にその雨のせいで 湿度も高かったかなというのはありますね。
今年はOCC、今回シャモニーで走られたと思うんですけど、 その手前で富士登山だったりとか、いくつかいろんなレースを走ったり優勝したり
されたと思うんですけど、ちょっと今年のレースいくつか振り返りで、どんな感じで順番に 走ってきたかというのをちょっと簡単に教えてもらえますか。
まず春先というか、シーズン入る前ですね。
今年は一つ大きな目標が富士山競争だったので、そこに向けて ロードも強化したいというところで、2月に駅伝に出たりだとか、3月に立川シティハーフマラソンに出たりだとかして、
ロードレースをいくつかやってました。 3月末に覇節年30Kでシーズンインしまして、
神戸トレイルだとか、上田スカイみたいな日本でやる国際大会にいくつか出ながら、
シーズン前半は本当に海外遠征を抑えて富士山競争に向けて トレーニングというか調整していくというような感じでしたね。
なるほど、じゃあやっぱり前半も富士登山が一番大きな国内では取るぞという、 そういう気持ちでずっとやられてたという。
去年、大会記録更新すると制限しておきながら、 更新は愚か優勝すらできなかったので、本当にそれが非常に悔しくてですね、
そこでしっかりリベンジしたいというところで、 結果的に記録は更新できませんでしたけれども、
優勝してきてなんとか一安心はしているところではあります。 ただやっぱり登山競争に向けて短い練習を
主にしてきてたので、今回OCCを迎えるにあたって、 多少距離に対する不安みたいなのは少しありましたね。
なるほど、富士登山去年と今年だと、 走ってみて感覚とか気温とかそういう違いは結構ありましたか?
自分の仕上がりぐらいの具合とかも多分あると思うんですけど。
そうですね、気温で言うと朝のスタート時の気温は、 昨年に比べて2,3度低かったのかなと思います。
山富士山の5号目以降も結構曇っていたので、 比較的走りやすいコンディションではありましたし、
今年乳酸量が値上がりして、さらに去年より観光というか登山の方は少し減ったかなという感じではありました。
そうですか、そういうところも多少は影響は、 走りやすさという意味では多少あったのかもしれないですね。
そうですね。
去年は実は僕も富士登山競走の時に登りながら応援していまして、お見かけしました。
熱かったですね、去年は。
去年は熱かったですし、去年はより人が多くて、 狭いところとか抜けずちょっともたついたりみたいなところもあったので、
それに比べると今年はまだ走りやすいコースでしたね。
なるほど。それを終えて、夏の終わりというかヨーロッパのシャモニーにいらっしゃって、
OCCは年間ではどういう位置づけで走られたんですか?
やっぱりこれも一つ大事なレースですね。
今年の目標としては富士登山競走、 OCC、9月末にある世界選手権というふうに思っていたので、
そこを1ヶ月ごとのスパンなので、 なかなか調整していくのは難しいなと思ってはいましたけれども、
このUTMBのレースを走るのも結構久しぶりで、
OCC自体もこれまで2回、 挑戦してきて2回ともうまくいってなかったので、
今回3回目ということで、 今回こそだということで意気込んでいたところではあります。
なるほど、なるほど。
シャモニーもしくはUTMBシリーズ自体は、 合計今回含めると、CCCとかも昔走られていて、
全部含めると何回いらっしゃっているんですか?
このUTMBでいうとCCC2回、 OCC今回入れて3回、ETC1回、
現地には来たけども走らなかったというのが2回あって、8回。
だいぶ回数としては何度もいらっしゃっているというね。
そうですね。UTMB以外でもモンブランマラソンでも来ているので、
この辺の山はだいぶ詳しくなりましたね。
この辺の山ってどうですか?
走っていてスキーとか他のいろんなところに行かれていると思いますけど、
ここの山域で何か特徴的に感じることってありますか?
本当にやっぱりバリエーションに富んでいるというところですね。
で、こうするレイアウトも作りやすいというか、
トレーニングするにも、やっぱりこれだけ2000メートル級の山がある中で、
本当にトレイルが張り巡らされているので、
5キロみたいなループも作れれば、 2、30キロぐるっと行くこともできるし、
それが全て絶景ポイント通過できるみたいなところで、
いいところだなぁと、本当にトレイルランディングのメッカだなぁってことは思いますね。
そうですね。
じゃあ今、とりあえずシャモニで一旦シャモニのレースウィークが終わって、
今後今年の夏までに、夏じゃないな、冬、年末まで、今シーズンですね、
までは世界選手権があって、それも含めて他にもいくつかはあるんですか?
そうですね、これからの僕のキャリアとしてというか、
100マイル挑戦したいと思っていて、
今のところ僕は、もちろんUTMBも魅力的なんですけど、
先ほど言ったようにこれだけ来ていると、新鮮さがないというか、
確かによく知っているというか、馴染みが逆にありすぎるというか。
やっぱり僕としては、もともとモントエルに所属していて、
初めての海外のレースもアメリカでというところで、
アメリカのトレーニングカルチャーにすごい興味があって、
というところで、僕の100マイルレースデビューというか、
ウェスタンステージとかにおけたらなと思っていて、
そこに向けて、一応ゴールデンチケットレースのタラウェラ2月エントリーはしているので、
それに向けて世界選手権終わったら、長い距離にシフトしていこうかなと思っています。
モントエルの時に初めてアメリカに行かれたときは、それはどういうレースだったんですか?
それはまず2015年の2月なので、ハセツネで大会記録を出した後ですね。
1ヶ月の短期の語学留学がてら、サンフランシスコに行ったんですけど、
そのついでに100キロのフサレースってほどでもないですけども、
アメリカっぽい。
それは女子の1位に負けながらも総合5位とか6位とかだったんですけども、
その後2回目のアメリカオアが2016年、ゴージュウォーターホールズという当時ゴールデンチケットレースで、
そこで大会記録で優勝して、
その時ウェスタンステージの権利があったんですけど、それを蹴ったという。
その時は。
で、光栄なことに翌年、僕の大会記録がジムに抜かれてみたいな感じで。
なるほどね。
それも面白い流れですね。
なるほどな。アメリカのトレイルカルチャーで、例えば特徴的に感じることってどういうことがありますか?
まず筆形品がほぼないというか、
本当にザックを背負わず、ハンドボトルだったりとかウエストベルトで身軽な感じで行くっていうのが1つ。
かつ、僕がこれまで出てきたレースですけど、やっぱりすごい走りやすい。
だいたい100キロで累積3000とかみたいなコースが、
僕はアメリカのトレイルっぽい印象なので。
こういう日本だったりとか、ヨーロッパのUTMBのレース以上にトレイルランニングに入りやすいようなレースかなと。
なるほど、なるほど。
カルチャーとして。
なるほど、ウェスタンステイツはそういう昔の思い出も含めて、
なおかつ初めて100マイルレースとしてきっちり走るっていうので、ちょっと楽しみだという感じですかね。
分かりました。
筆形品の話が出たんですけど、
ルイっていうブランドも自分で今やられてて、始めようと思ったきっかけって何だったんですか?
まず、モントレールコロンビアに所属している時に、当時結構スカイランニングをやっていて、
もともとモントレールってアメリカのブランドなので、なかなかヨーロッパの地形にマッチしないなっていうところを感じていた中で、
一つはシューズをもっとレースに合わせてチョイスできれば、もっとパフォーマンスが上がるんじゃないかっていうところがスタートで、
じゃあそのシューズを求めてコロンビアを辞めた時に、
シューズは自由に選びたいけど、じゃあアパレルだけ何か付けようかってなった時に、なかなか選択肢がなくて、
なるほど。
やっぱりサロモンだったりアディタスだったりとか、全部ヘッドトゥートーで統一されてしまうので、
そうなった時に、自分でやったら面白いんじゃないかっていう。
後付けの理由としてもあれなんですけど、やっぱり一つ競技をリタイアした後とか、
セカンドキャリアとしての一つの収入源だったりとかもありますし、
あとは日本の業界へのアンチテーゼじゃないですけど、
やっぱりなかなか日本のトップ選手で、こういった海外の選手みたいに、
ブランドからお金をもらって活動できているアスリートがいない。
僕自身コロンビアにいる時に、すごい良くしてもらってというか、
遠征も会社の経費で活かしてもらって、
なおかつ社員としての給料、プラスアスリートとしてのお金ももらっていたので、
ああいうふうに本当にサポートしてもらっていたからこそ、
世界一にもなれたっていうことを思うので、そういうのを僕のブランドを通して、
若手の選手をサポートできたらなってこともあって始めたと思いますね。
結構やっぱりいろんな意味が入っているっていうことなんですね。
単に何かを作ろうというよりは、それがいろんな何かに具体的に繋がっていくという可能性を探りながらやっているという感じなんですね。