2024-10-16 1:32:49

BLUE2

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田中宗一郎です。今回は、われわれサイン・ポッドキャストへのドネーションも兼ねて、このエピソードをご購入いただき、誠にありがとうございます。
普段は、すべてのオーディエンスの皆さんにフリーで聞いていただける通常のエピソードを作っているんですが、この販売エピソードでは、内容的にもよりハードコアな、
より緻密な、よりわからない人にはわからない内容のエピソードを作ろうという趣旨がございまして、今回もよりそういった方向で、
われわれだけが楽しければいいぐらいのエピソードを作ろうと思っています。というわけで、前回に引き続き、ブラー回パート2です。
なので、今回お越しいただいているゲストの方、まずはこの方です。
アジアン・カンフージェネレーションの後藤雅文です。
改めてよろしくお願いいたします。
そして、
音楽ライターの小川忍です。よろしくお願いします。
そして、
ユーチューバー兼編集者の寺沼健太です。よろしくお願いします。
肩書きがひたすら増えていく。
増えていきますね。
最初に、もう最初じゃないんですけど、ぜひ棚総さんに聞きたいのが、今回なんでブラー回やろうってことになったんですか?
でもやっぱりサマーソニック、特にOasis弟バンドのオーディエンスの若返りですよね。
それと先ほどのファーストエピソードでも話したデーモンアルバムのMC。
本当に日本は変わったんだってことと、やっぱり我々も90年代持ってた意識と今全然違う意識にいるよねっていうとこが一番でかいですかね。
で、やっぱりちょっとブラーのあり方に感動はしたんですよね。
決して生産的、ちょっと破滅半分足突っ込んでるような生き方ではあるんだけれども、
これがもう完璧な時代遅れなものにアウトプデートになっていくのかどうかみたいなことも考えたいし。
で、こんなふうにファーストエピソードであったような、ノエルギャラがリアムギャラがデーモンアルバムを真実としたブラーチームがこんなにも方向性を違えたことっていうのは、
やっぱりここ30年間の世界的な動きの違い、変化とも関わっているだろうっていうところですね。
なんとなく確信があった。わかんないですけどね。
だって、サマソーに終わった後、しばらくサマソーに終わった後から、タナソーさんが、俺自分で思ってるよりずっとブラー好きだみたいなことを言い出して。
本当にブラーは好きだったんだなっていうのを思い出したんですよね。
だから前半で俺言い忘れましたが、僕はガチブラー派です。
もう一つ、ノエルギャラガー派であるポイントを一つ言い忘れてました。
ノエルギャラガーに対するめちゃくちゃ共感ポイントが一つあるんです。
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それは彼がザ長男だから。あんなに長男らしい長男いないと思うんですよね。っていうところもありました。
なので改めてブラー聞き直してみたんですけど、ファーストエピソードでも小川さんおっしゃってたけど、
ブラーって常にトライ&エラーなんですよ。
自分たちの財産っていうのをぶち壊しにして、またイボルブさせて、またぶち壊してっていう繰り返し。
ただ、小倉山コックさんが戻ってからの再形成のいくつかの大きなツアーっていうのは、
今までのレガシーをもう一度リアムギャラーがやっているような形で、レガシーっていうのをもう少し大切にしようという意識があったんですけれども、
明らかに今回のツアーもまたそれはぶち壊しに行ってる。
そのトライ&エラーで何かしら新しいものをする、そこのストラグルみたいなものに、
やっぱそのポップミュージシャンのあるべき姿っていうのはやっぱりずっと投影してきたからっていう感じなんだと思います。
アルバム聴いたら変わり続けてますよね。ずっとね、サウンドっていうかね。
だって最新アルバムのテーマがミッドエイジクライシスですからね。完全にデーモンの。
そういうパーソナルなテーマだからこそ、彼はブラーでやるしかなかった。もうそれはゴリラ事実でできないから。
確かにね。
本当は今回のアルバムってソロアルバムとして作ろうとしてたのを、
グレアムの筆頭にバンドがこれはブラーでやるべきだっていう話をして作ったレコードだったりするので。
だからやっぱりそこにパーソナルな問題ですよね。中年の危機っていうのは。
でもやっぱりそこを今、なおかつ今ね、おじさんっていうのが一番生きがたいっていうふうに言い出すおじさんもいる時代なので。
いやいやいい名ずっとしてきたんだからそのぐらい生きがたくなってくださいよって話なんですけど。
でもやっぱそれをテーマにするってこと自体もすごく象徴的だと思うし。
最近のグレアムのスタイリング、グレアムじゃない、デーモンのスタイリングってどう思います?
この前ロエベかなんかの。
あー娘と言ってましたね。
そう言ってて。あれどこの服だっけ忘れてた。
で、同じ会場であったアフラアメリカンのミュージシャンとハグとかしてる写真とかも上がってるんですけど、
肩やめっちゃスタイリッシュに着こなしてるんですよ。デーモンアルバムが全く似合ってない。
でも今のモードなのね。
だから当然それを着るのは当たり前って感じなんだけど、娘さんとなりに着いてなかったらこれ話になんねえなっていう。
どっから紛れてきたおじさんですかっていう感じになってて。
そこでも若干の美しさを感じるっていうか。
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スタイルアイコンしないって今もう彼はそういう生き方を選んだんですよね。完全に。
だから今年のツアーの毎回ステージでガールズ&ボーイズの前にフィラの服を着るんですけど。
しかもあれ94年のガールズ&ボーイズのビデオクリップで着たフィラのオリジナルパーカーも今ないから、わざわざフィラが作ってくれたんですよ。リプレイ。
ここにまさにそのユニオンジャックをもした赤とブルー。あれをわざわざ着てね、やるんですよ。
あの時のオリジナルのやつがまたかっこよかったんですけどね。
かっこよかったんですよ。私も買いました。
持ってる?じゃあ。
持ってます。実家の。
確かにプラっぽいファッションってありましたね、当時ね。コアシスだったらアジア好きってみたいなね。
そういう記号を背負うから、その都度背負うので今の自分はニュートラルっていう。どうでもいい格好ですよ。
でもなんかどうでもいい格好してるイメージあります、最近のデイも。
なんかだって、さまざまにここに変なガム手ついたままで出てきました。バミリー用のガム手がついちゃってて、そのまま出てくるんだよっていう。
そう、だからあと僕がやっぱブラー派であることの理由の一つは、オエーシスってやっぱりアイデンティティが明確なんですよ。
確かに。
北部のワーキングクラスだっていうところから1ミリもぶれないんですよ。
ただ、やっぱデモアルバムっていうのは、デビュータイミングってまだマッドチェスターが元気だった頃、90年なので、だから最初の2曲、ゼアズノーアザベとかバングとかあのあたりの曲って、普通にマッドチェスターのパクリですよ。
で、常にアイデンティティが揺らぎ続けてて、で、自分自身のアイデンティティを否定し続けるし、最終的にじゃあ自分たちのアイデンティティがどこにあるのかっていうのを見出せないままで、今ずっと来てるんですよね。
そこはなんとなく共感ベースもあるんです、僕。戦後に生まれたもうアメリカに文化的にも政治的にも影響を与えられて、それが当たり前。1940年代以前の日本文化みたいなものから自分が切り離されて、それはもう自分の別物だと思ってた。
子供の時にやっぱりハンバーグ、カレー、スパゲッティっていうのはオシャレな食べ物だけど、漬物、味噌汁、そんなもの食べたくないって本当に思ってた子供なの。
それからすると、いやいやって10代後半ぐらいになってくると、それってちょっと完璧に洗脳されてたってことだよねって気づくようになって。じゃかといって1940年代以前のアイデンティティに自分がアクセスできるかっていうと、もう90%アメリカ文化でできてるわけですよ。
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で、もう戻る場所がないんだっていう。じゃあ自分たちはどうアイデンティティを作っていくんだっていうのを未だにやってる。
そこがブラーのいいとこですよね。本当に。やっぱりオアシスを聞いてると、どこまで聞いてもオアシスと自分の関係でしかないんですよ。個人史なんですよ。ただブラーを聞いてると社会が甦ってくる。当時。
自分が生きてた時代が甦るし、当時の社会が甦るし、当時のイギリスの文化が甦る。そういう多面的な記憶装置としては、もうオアシスとブラーは全く違う。オアシスはいつ聞いてもオアシスと私。
結立するんです。時代とは無縁の場所で、俺たちは俺たちであるべきだっていう。なるほどね。それ間違ってないんですけど。ブラーは歴史と流れていくんですよ。彼の個人自身も。それを目撃してるって感覚ですよね。ブラーを聞いてると。
なるほどね。自分とブラーとその時代とか社会っていうのがあるっていう。確かに突然ジャマイコ音楽に接近したりとかね、リズムセクションがとかね、ソロとかでも確かやった気がするし、デーモンとか。やっぱりそのデビューアルバムですごい鮮明だったのが、最初は完全にマッドジェスターだったじゃないですか。でもその半年後ぐらいに彼らはジーザス&メリー・チェーンとかダイナソージニアと一緒にツアーに出るんですよ。ローラーコースターツアー。
それはまさにシューゲイザーの祭りだったんですよ。で、いつの間にシューゲイザーに裏返したんです?みたいな話になってくるんですよ。確かにデビューアルバムを聞くとシングとか完全にシューゲイザーなんですよ。
そうですね。
あのなんか91年のUKの曖昧な感じ。そのマッドジェスターがシュリンクしていってシューゲイザーがふわっと出てくるみたいなあの感じっていうのを、レジャーを聞くともう本当に蘇ってくる。
なるほど。
どっちつかずのあんな感じこそがリアルだったっていう。
じゃあブラーにとって実はブリッドポップって一つの救いというかそんな感じではなかったんですか?どうなんですか?
ただやっぱりブリッドポップを始めたのは誰かと言われたら明確にブラーだと言っていいと思います。
それはやっぱりその91年92年の流れがあって、僕が信用している歴史館でジェームスマーフィー史館っていうのがあるんですけど、彼に初めて2000年代頭に取材したい時に、ジェームス君は結局何がやりたいのっていうふうな話をしたら、
91年以前あるいはアルグリーンが北米のチャートで大ヒットしてたような時代を取り戻したいんだっていうふうに言ってたんです。
要するにアルグリーンの時代70年代っていうのはブラックホワイト関係なくリズム&ブルースみたいな音楽っていうのが全ての頂点にあった時代。ダンサブルでもあるしメロディアスでもあるっていうプロダクションとかソングライティングのことなんですけど、
その91年以前っていうのは彼の歴史館でいうと、それまでの時代というのは特にニューヨークとロンドンと距離的に近いじゃないですか。そういうこともあって、A、Bの音楽カルチャーっていうのは常にクロスオーバーしてた。
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ところが91年に何が起こったかっていうと、イギリスで一番象徴的なのはアシートハウスからスクリーマデリカ。何よりもダンスミュージックが席巻して誰もがそれに追随していったと。
で、アメリカは何が起こったかっていうと、一つにはネバーマインドだと。グランジが起こると。それと同じタイミングでザ・クロニク。ドクター・ドレインの要するにジーファンクっていうのが生まれたと。で、そこで全部完璧に枝分かれしちゃったんだ。
だからそこがクロスオーバーしてた時代を自分は取り戻したいんだよねっていうところが彼らのLCDサウンドシステムのサウンドコンセプトなんですけど。で、まさにその91年にブラーっていうのは右を曲折してるわけですよ。90年デビュー。
で、91年にレジャーが出てるんですよ。
初来日公演って見ました?
見ました。クソでしたよね。
ってみんな言うんですよ。その時って高校生?
高校生です。
僕はロッキング・オン1年生だったんですよ。
ちったですよね。
そう、ちったです。
あの壁表示に乗った事件ですよね。
そうですそうです。プレッシャー・オブ・ジュリアンをやる時に壁表示に乗ったやつです。ひどい演奏なんですよ。
当時ってUKバンドはひどいっていう前提だったんですけど、それに輪をかけてひどいみたいな。
やる気があるのかないのか、とにかくぶち壊したいみたいな衝動しかない演奏で、セットリストも半分以上が、半分近くが未発表曲。
セカンドアルバムに入る曲、入らなかった曲をやるみたいなところで。
いわゆる、92年ってまだ日本でUKインディロックのマーケットがそんな大きくなかった時代なんですよ。
だから僕91年にロッキング・オンに入ったので、もし間違ったら小笠の方が今インサイダーだからそこはちゃうよって言って欲しいんですけど、
当時は例えば日本のメジャー、東芝EMIがあって、ワーナーがあって、ソニーがあって、ニューバーサルがあってあった時代に、
UKのインディロックをプロモーションしようとレコード会社が全く思わなかった。
だから例えば僕ロッキング・オンに行ったので、ロッキング・オンってモリッシーっていうのがすごい、プリンスとモリッシーっていうのは大切なバンドだったわけですよ。
でも東芝EMIはモリッシーとか売れないし、宣伝したくないし。
ブラーのファーストアルバムもそんな感じ。
セカンドアルバムもいやいやUKインディとか売れないし、みたいな時代なのでマーケットちっちゃかったんですけど、
今2023年に日本のオーバーシリーズのマーケットを広げてくれてる一番のメディアってサマソニックじゃないですか。
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90年代のアダマはそれで規模はもっとちっちゃくなりますけど、何よりもスマッシュが大きかったんですよ。
スマッシュが当時の川崎クラブチッタとか、まだサイズはちっちゃいですけど、出来上がって数年経った渋谷クワトロとか、そういう初めてオールスタンディングの会場でインディバンドを呼ぶんだと。
エスタブリッシュされてない、何千枚しか売れてないものを呼ぶんだっていうので、スマッシュがカルチャーを広げたとこがあって、その派大回帰ぐらいなんですよね。
で、俺今でも覚えてます。俺めちゃくちゃ感動したんです。それが一番ひどいと。
俺は何を見たかっていうと、僕がポストファンク時代後期の最後のヒーローだったジュリアン・コープを見た。
もうとにかく彼はエスタブリッシュされたものを、エスタブリッシュした自分自身のレガシーをいかに破壊し続けるかっていうことをやってきた人なので、一つのアーティストのありようっていうのはそれなんだと思ってて。
あのマッドチェスターの尻尾のアイドルバンドが、こんな破壊的で暴力的なステージをやるんだと思って、めちゃくちゃ感動したんですけど、その翌週にちょうどね、ロッキーオンの廃本があったんですけど、全てのレーベルの人に、「ターナー総裁、ひどかったね、ブラー。」って言われて、「いや違うんですよ。あんたわかってないから。」っていう話を7、8箇所でしました。
でも正直、金返せと思いましたよね。
って思うよね。俺がニューヨーダー見たときみたいなもんだよね。
少ないお小遣いで言ってるわけですよ、こっちとしては。
そうそう、確かにね。
ちゃんと歌えよって思いますよね、普通にね。
川崎のあんな、ああいうところまでね。汚い、汚いっていう柄の悪いね。
そう、当時がちっちゃく汚かったんで。
いやいや、そうですよね。
ただ、彼らがそこである意味、歴史の分岐点を迎えるんですけど、そういう今、ターナー総裁がおっしゃった、破壊のマインドのまま、彼らをなぜかまかり間違ってアメリカに行っちゃったんですよ。
92年の悪夢のUSツアーとして7回。
アメリカにあのまま行くと、もちろんボコボコにされるんですよ。
当時グランジ全盛期で、いかにみんなちゃんと演奏して音圧で、笹倉だったらギターを鳴らすかみたいなときに、なんかフニャモラーとしたイギリス人が演奏もできないのになんか気取った感じで行くもんだから、ビール投げられれば石投げられれば大変な目にやって帰ったわけですよ。
そのトラウマから彼は何を持ったのかというと、おそらくマーフィーさん逆に言ったんですよね。その端境を見つけるのではなくて、イギリスに戻ろうって。もういいと。
だからあの時期は、あの時期ってまだグローバリゼーションって言葉が一般的ではなくて、世界中にスターバックスができることをアメリカナリゼーションって呼んでたんです。
18:00
なので、完璧に彼は反アメリカになる。
アンチなんですよ。ブレッドポップの最初って。
なるほど、いやすげえ。まだ先だけど、この後でもまたグランジに近づいていくじゃないですか。
それまた面白い話です。
そこまで含めてでもその手前で。
92年って本当に面白くて、ブラが暴行された事件が一つあると。
あともう一つレディングフェスティバル、これは象徴的に。
ヘッドライナーがニルバーナとパブリックエナミーという要するに3枠あるんですけど、2つがもうUSになってしまった。
それは当時イギリスで結構大問題になって、もう一つはワンダースタッフですからね。わけわかんないじゃないですか。
ワンダースタッフ人気ありましたからね。
ワンダースタッフは割とスコットランドとか、ブリティッシュだけじゃないフォーク音楽のバックグラウンドみたいなのがあって、孤立面のバンドなんですけどすごく人気があった。
今の歴史観で言うと、90年代初頭のイギリスって、スクリーマデリカはあるわ、ラブレスはあるわ、すごい時代じゃんと思うけど、誰もそんなバンドはヘッドライナーできないわけですよ、当然。
なるほど。
だからインディーバンドがナショナルチャートに入るなんてこともなかった。
あり得なかったんですよ。
なるほどね。今は伝説の名盤というかそういうものだから、あれだけどって、当時のビジネスのあれとしては小さいってことなんですね。
ギャップがあったんです。そのギャップは、クリエーションとかのギャップはオアシスまで埋まんなかった。
なるほどなるほど。
っていう段階で92年で要するにイギリスがそこですよね。ボトムボトムの状態にあるわけです。UKの状態が。
それで93年にモダンライフイズラビッシュっていうのが出ると。それが全ての出発で。
なるほどね。
でちょうどだから92年にイギリスを賑わしたバンドは何かっていうとスウェードなんですよ。
のデビュー曲、ドラウナーズが出たのが92年なんですよ。
だから92年3年のスターはスウェード。これもデモアルバムみたいに意識的ではなかったけれども、
ああいうグラマラスでグルービーでっていう当時のアメリカグランジ的なものとは全く違うことをやる。
で、スウェードのフロントマンとデモアルバムそれぞれのフロントマンの一番音楽的なテイストをきちっと彼らに植え付けることをしたのが共通のガールフレンド。
ジャスティン・フリッシュマンっていう。ここでオエイシスブラーバーサスって話よくありますけど。
その前にスウェードバーサスブラーがあったんですよ。
ジャスティン・フリッシュマンってエラスティカの文字のボーカルになるんですけど、彼女がブレッド・パンダソンと最初大学時代に付き合ってたんですよ。
ブレッドと?なんかそれ全然知らなかったですよ。そのバトルがあったことは。
でもそれをデモに略奪されてっていう試験があった。
なるほどね。
タイ・アメリカ・イギリス・バーサス・UK・バーサス・ユナイテッド・ステイツっていう文化的な対立もあったし、そのUKの中でも、じゃあブリティッシュネスっていうのは何なんだっていうような対立がグシャグシャグシャーと起こり出すのが92年。
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93年の4月か5月だったと思うんですけど、セレクトって当時イギリスで雑誌があって、その雑誌が初めてブリッド・ポップっていう単語を名文化したんですね。
これから時代はブリッド・ポップだから、ヤンキーゴーホームって表紙に書いてある。
その表紙を飾ったのはブレッド・アンダーソン。
でもそれって、僕のイメージではブリッド・ポップってある種受け入れ家みたいなイメージがあったけど、どっちかっていうと、メインストリームにあるアメリカに対するアンチっていうかパンクみたいなオルタナティブみたいな感じはあったんですか?
よく言えばパンクだし、悪く言えば負け犬の遠吠えなんですよ。当時はまだ。
失敗するとネトウヨンみたいな感じになるような、ある種の保守主義というか。
本当に保守主義で、その雑誌も当時読んでましたけど、寝るシャツを脱げと、とりあえずお前は。
リードで書いたんですよ。まず寝るシャツを脱いで、その汚い髪を洗って切ると。
お前もイギリス人なんだからスーツを着なさいって、そのリード文に書いたんですよ。
めちゃくちゃおもろい。
ちゃんとオシャレをして、僕たちのビートズの時代から受け継いできたメロディを取り戻さなきゃダメだと。
必要なのはブリッドポップなんだっていう特集なんですよ。
最大の仮想的はカートコバーンってことなんですか?
そうです。だからグランジムーヴメントでしたね。
静岡の田舎者俺ですら寝るシャツ着ちゃったからね。92年3年って言ったら。
それはすごい影響力だったんだね、グランジはね。
だからそこまでの速度が速かったんです。最初デモン・アルバーンがスーツを着てステージに出た時には馬鹿にされてるんですよ。
でもそこから全体がそれを発火点として、もう対反アメリカナイズにガーッと行っちゃうのが、その93年の動きです。
そのナショナリズム前夜みたいなものに加えてもう一つ大きかったのがオプテミズムなんですよ。
要するにこれはもうフォー・トゥモローが鳴った瞬間にもうみんな気づいたんですけど、あの曲って要するにモダンライフはもちろんクソだけども、でも明日のために何とか頑張ろうよって曲なんですよね。
その根底にあるのは要するにもう死にたいとか世の中もう終わりだみたいなことを歌ってるグランジに対する反発なんですよ。
なるほど。
お前たちに何百万万のレコード売ってるのに死にたいとか言うのか。それよりも日常生活でひいひいこっちは言ってるんだよと。
そこで希望を謳わなきゃいけないって言ってフォー・トゥモローは生まれるわけです。
地に足のついたオプテミズムがそこで生まれるわけです。
これは当時ノエルも言ってたんだけど、本当にムカついたとグランジの連中が死にたいとか言ってるのが。
こっちはもう仕事もないし、失業保険で食ってる俺たちからしたら、でかい車乗っていい子会員打ってるお前たちが死にたいとか言うなと。
だったら俺はもう生きてやるんだって歌うんだって書いたのがリブ・フォー・エヴァなんですよ。
でも俺はどうしてブリッドポップに感情にできたか今すごい分かった。
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俺グランジ全然分かんなかった。
なんでかっていうと、こんな茶畑しかないところで絶望とか言われても俺たちはもう退屈で退屈で。
みかんとお茶とサッカーしかなくてみたいな。
そこにうまく参加できなくてみたいな。何してもいいか分かんないみたいな感じで東京出てきて。
そこで僕はブリッドポップとかいろんなイギリスのバンド知るんですけど、めちゃめちゃ惹かれたんですよね。
普通の人のオプティミズムを歌おうとしたんですよね。
なるほど、じゃあ俺はそこに刺さったんだなちゃんと。
ホントにもうミュージックビデオがロンドンの舞台なんですけど、全然そのグラマラスでおしゃれなロンドンじゃないんですよ。
ダブルデッカにあえて乗ってトランパルー川広場に行くと鳩がたくさんチュンチュン言うて。
で、移民街の方にいると白人のおじいちゃんおばあちゃんもいれば若い移民の子たちもいると。
で、その後にプリム・ローズヒルズの丘の上に立つと、なんかすつけたロンドンが見えるみたいな。
これが日常でしょみたいな。それを頑張っていきようよみたいな。あれが歌なんですよね。
なるほどな。
アンチドラマなんですよ。
スリットポップの階層が誰か。90年代ではなく以前のロールモデルになるかっていうと、多分候補が二つあがって。
一つは60年代のキンクス。
まさに。
もう一つは80年代のXTCなんですよ。
で、やっぱりキンクスっていうのは自分のヒーローであるピート・タウンゼントに一回だけインタビューしたときに、それぞれ同世代の人たちの寸標を聞いたことがあるんですよ。
すごいインタビューですね。
聞きたくて。レイ・デイビスはどうだったんだ、どう思ってたんだって言ったら、ミック・ジャガーっていうのはずっと我々っていうのは若く生き続けられるんだっていう。そういうアティチュードだったと。
レイ・デイビスっていうのは20代の時点でじいさんだったんだって言ってるわけですよ。
だから当時の大英帝国って、これを聞いてくれてる20代の人たちとかもう全然10代の人たちって想像つかないと思うんですけど、日本人では普通にイギリスの代名詞って社養の大英帝国。
揺りかごから墓場までの福祉国家。それが80年代の政権始まってから、日本、韓国、アメリカとイギリスが一気に新自由主義にバッと過剰にするんだけど、それまでのイメージっていう1945年に大地財産終わって、それまで世界一の帝国だったイギリスが全ての植民地を失っちゃう。だからずっと経済的に高下するっていう。
だから今も若い人に話をすると、私って生まれた時から経済的に右肩下がりの時代しか知らないんですよ。田中さんとかバブルとか知ってるんでしょうって言われるんですけど、当時のイギリス人っていうのは1945年から90年代の仲間まで50年間国がダメになっていくっていう。そういうの、そっから出てきたのがパンクだったりブリッドポップだったり。
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なるほど。これを抑えておくべきことなんですよ、確かにね。
これは先の話になりますけど、ブリッドポップの終焉もまた政治なんですよね。ブレアが出てきたことでニューレーバーが始まるわけですよ。ある意味政治にブリッドポップが利用されたとも言うんだけども、そこで何かが新しく変わったと思わされちゃったんですよね。今こんなに楽しんだから世の中うまくいくはずみたいな。うまくいかなかったんですけども。
ブリッドポップの始まりはむしろ保守党政権の末期ぐらいの、本当に悲惨な状況。当時ロンドンとか行くとね、そこら中にホームレスが寝てるみたいな。
逆に言うと90年代半ばまでロンドンは過ごしやすかったんですよ。
例えばサウスロンドン行けば危険だからって言われたんだけど、やっぱりだらしない人間がだらしないまま生活できる環境だったんですよ。
それがクールブルタニア、ブリッドポップの時代95、6、7になっていくと、一気に、ここ2、3年の東京、渋谷と同じですよね。ジェントリフィケーションの波が一気に押し寄せて、あれだけ汚いアーティストがスクワッターやってた街が全部きれいになって工学侵入者が入ってくるみたいなことが90年代後半にガーって変わっちゃうんですよね。
ほんとに90年代前半にロンドンに行って食べるもの、まともに食えるものはインド料理だけっていう時代の方が個人的な愛着があります。
住んでる人からしたらね、こんなもう50年もずっと経済成長下がり続けてる国、若者どうすりゃいいんだっていう、今の多分10代20代の人が感じてるような感覚だっただろうからあれなんだけど、この豊かな、まだ90年代前半、日本は失われた30年、始まったところですからの人間からロンドンに行くと、
こんな東京のテンションだらけの空気感に比べるとロンドンってほんといいなっていう。だから80年代なんて逆にイギリスどん底だったですから、バブルガンガンでしょ。ロンドン行ったら日本人だらけだったんですよ。
日本人の学生がとにかくいるっていう。で、とにかくパンクが大好き、インディーが大好き、みたいな流れで90年代の日本におけるUKインディーの流星っていうのが繋がってるみたいな。
久保健さんもその頃行ってた感じですかね。
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トニー・ブレイヤーって当時まだ40代前半なんですよね。が、ずっと選挙で勝てなかった労働党の党首になり、ニューレイバーだって言い出して、今のアメリカの共和党と民主党と似てるんですけど、かつて労働党が絶対にやらなかったような新自由主義的な政策をガンガン取り入れるんですよ。
プラス、ここ10年の韓国と同じですね。文化産業にとにかく力を入れるっていうのをやるのとブリッドポップ、クールブルタニアっていうのがクロスオーバーしだすんですよ。それが94年後。
国策ですよね、あれね。 プラス 国策です。そこにオアシスは内部というか田舎者なんで巻き込まれちゃうんですよ。でもやっぱりブラーはクレバーなんで、絶対ブレイヤーとはタッチしなかった。 ヌイルギャルが批判されてたの覚えてます。
まああれは、アラン・マッギーだけどね。クリエーションストーリーでも描かれてますけどね。 プラス だからやっぱりアラン・マッギーが、ここまでちょっとイングランドとスコットランドの関係の複雑な関係してるんだけど、アラン・マッギーが最初にブレイヤー政権に1000万ぐらいの政治献金を入れて、それをプロモーションするんですよ。
そこに反発するのがボビー・ギレスピーなんだけど、そこに一緒に乗っちゃうのがノエル・ギャラガーなんですよ。 ちなみにYouTuberらしく説明すると、アラン・マッギーはオアシスのマネージャーですよね。
僕が英語圏の音楽業界で一番尊敬してるのがラフ・トレードのジェフ・トラヴィスで、一番軽蔑してるのがクリエーションのアラン・マッギーなんですけど。 プラス でもTNGファンクラブとか出してくれたからな。 マイ・ブラッティ・バレンタインのラブレスを出した人ですよ。
でも僕の大好きなハウス・オブ・ラブをフォンタナーに売ったお金で作ったのがラブレスですから。 プラス 確かに。 結構あの人はね、インディーレベルやってますけど、メンタリティロックンロールなんですよ。 セックス&ロックンロールが好きな人で、パンク的なインディー精神のクリエーションには全くないんですよ。そこがオアシスとハモったところでもあるんだけど。
スノーハンケンも半分ソニーに売ったのもアラン・バッキーです。 プラス そう考えるとちょっとヒップホップっぽいですね。 そこはやっぱスコティッシュ対イングランに対する不信みたいなものとすごく関わっているので、そこを掘り下げても3時間ぐらいいけますね。
だから当時あれでしょ、ブラ初来日でしょ。そのセカンドアルバムも最初はね、XTCのアンディ・パトリティをプロデューサーに迎えてやるんですよ。 それが全然うまくいかなくて、大喧嘩になり、なおかつ当時のブラって、オアシスがクリエーションレベルだったじゃないですか、インディー。その後ソニーの参加に入りますけど、ブラもフードレコードっていうインディレベルだったんですよ。
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で、EMIがお金を出している。そこからこんなレコード絶対ダメっていうダメ押しもくらい、アメリカからの経験はひどい目にあい、本当レコード作れるのかよっていうギリギリの線で作ったのがモダンライフだったでしょ。これも日本でも全くプロモーションされませんでした。
当時すごい覚えてるんですけど、本当にプロモーションがなくて、ただ当時結構インディー系のクラブがすごい多かったんです。下北沢とかQとか、王子の3Dとか、そこら辺に私通ってたんですよ、高校時代に。もうむっちゃくちゃモダンライフ盛り上がってたんですよ。なんかもうその、いきなりみんなファッションが変わるみたいな。
小川さんぐらいが当時10代後半ですよね。の子たちの女性ファンが、特に東京ですよね。のインディークラブ、英語で言うとスクールディスコで最初にマーケット作ったんです。
そんな感じします。女性ファンが多かった。ブラーとかオーシストも全部そうだけど。 本当にみんな寝るシャツ着てたのが、その段階でマーチン履いてロールアップしてたんですよ。それはもうパークライフ1個はもっと明らかだったんですけど、初めてそれでロールアップするんだ、やっぱりそこはみたいな。気づいたのはモダンライフでしたね。
ただ本当にそのオーバーフェイスでのプロモーション。だってロッキングオンでもそんなページじゃなかったですもんね。
ロッキングオンでも、必死に僕と当時のイギリスのコレスポンデットの山下えりかさんがブラーファンだったので、カラー4ページを必死に撮った。そこが上限でした。モダンライフファッション。
でも本当にもうみんなでB面とか駆けまくってて、当時クラブでは。すごい盛り上がってたんですけど。
俺DJ始めた頃です。
その少し後になるとソニーが主催するクラブロックスというのが始まって、エピックソニー主催だったんです。
そこで一気にそのインディーシーン、東京のインディーシーンがバーンと跳ねるんですけど、その前夜ですよね。だから下北とか新宿の花園とか、そこら辺でポツポツと会ったの。
キンちゃんとかがめっちゃ回してる時だよね。キンちゃんって説明してください。ユーチューバー的に。わかんないよね?
わかんないです。スカパラの。
違う違う。チャーベ君とかと仲のいいデザイナーで、あとはなんだっけ、ブリッジだった人。今でも20代みたいな。
36:13
カジヒリキさん?
カジヒリ君とか、その辺の周辺がやっぱり下北王子あたりで盛り上がるんですけど、そのクラブロックスってもうわかんないですよね。コンディは付き合わない。
当時高校生だったんで、コンディさんに怒られながらおかけしてました。
なるほど。コンディっていう、たぶん90年代で一番キャラ立ちをした、一番無茶苦茶なことをやった、一番我々雑誌界の一部からは愛されたディレクターがいたんですよ。
ソニーの。
亡くなっちゃったんでしょうね。
そうですよね。
実はいろいろお聞きしましたけど。
クリエーションレコードを日本で大きくしたの、功績は100%彼だと言っても間違いじゃない。
だから例えばプライマルスクリームのスクリーマデリーが全く日本で売れてないんですよ。
当時は日本コロンビアがあれをしていたのが、彼がクリエーションレーベルに対して巨額なアドバンスをもってソニーがシンジケーションするようになった。
だからそこが始まらなかったら最終的にオエシスがソニーの一部になるみたいなことも起こらないっていう。
だからもうあの名作スクリーマデリーカーの10倍以上をギブアウトとロックスが入ってる。
あのアルバムが日本では売れてるんですよ。
それはそうだよな。
俺もそのクラブロックスっていうDJのセミレギュラーで常に呼ばれてたんですけど、
もう明らかに雑誌の読者からのリアクションとそこでの現場200人のリアクションが違うの。
今ここなんだっていう。この曲ダメでこれ全然okなんだ。
ジーズアニマルメンってこんな人気があるんだみたいなのを汲み取る場所になったんですよ。
なのでもうはっきり覚えてます。パークライフが出るタイミング95年?
4年。
4年はもうレーベルがこれはイギリスでもナショナルチャート入りますと。
社を持ってこれプロモーションしますみたいな。2年前と話が違うよねってぐらい。
93年のモダンライフは1位取ってないですからね。その代わり93年のイギリスで一番盛り上がったのはスウェーデンのデビューアルバム。
これはロッキングのもすごい盛り上がってたし、表紙もやってます当時。それに比べるとブラーは出遅れた感はあった。
確かにね。話若干戻っちゃうんですけど、さっきブラーの当初プロデューサーXTCの人がやったって話あったじゃないですか。
せっかく小川さんもいるんでお聞きしたいんですけど、バンドマンが下の世代のバンドをプロデュースするって結構アメリカにはそんなにカルチャーとしてなくないですかっていう。
39:08
アメリカでミュージシャン上がりの。
今はナショナルの人とかいるけど。
トッドラングレンとかルーヴァーロとかアルビニとか。
ルーヴァーロ、アルビニはエンジニア上がり。
イギリスってシャーラタンズのやつがやったりとか、ニューオーダー。
それは確かにありますね。都邸制度みたいな。
そうそうそう。
エドウィン・コリンズみたいな。
そういうミック・ジョーンズがリバティーンズやるとか、ニューオーダーのやつがストーン・ローゼツの最初のやつやるとかあったじゃないですか。
そういうカルチャーイギリスにはめちゃくちゃあるよなって思ったんですけど。
でもインディレベルだからですよ。
ああそういうことか。
ラフトレイド、リバティーンズ、ラフトレイド、ミック・ジョーンズと距離が近いとか。
フードレコードも社長の名前忘れちゃった、アンディーなんとかなんですけど、その辺の人たちが基本的にインディなのでっていう。
メジャーレベルがミュージシャンをプロデューサーにつけることはほぼほぼないと思います。
知り合いの知り合いみたいな。
アメリカだとエンジニアがプロデューサーになっていくところがありますからね。
コーヒーボーイからやってアシスタントやってエンジニアになってプロデューサーになるみたいな。
デッジ制度で上がっていくみたいなシステムもね。
そうそうちゃんと録音できる人がプロデューサー、結局最終的になるみたいな。
システムがちょっと違いますね確かにね。
あまちがいずむというか。
日本も違うじゃないプロデューサー。プロデューサーってのは小物さんみたいな。
そうですよね。秋元康さん。
そうアレンジャーがプロデューサーみたいな。もっと全然違うみたいな。
なるほど。
でもアメリカとブレイクミュージシャンとかミュージシャンでプロデューサーみたいな今なってるんで。
最近増えましたよねでもアメリカそういうなんか。
みんなもうね、だを触れる世代ばっかりなんで。
確かに。だを触れないと始まらないところになっちゃったよね。
そうそうだからもう全然話飛ぶけど、スタジオワーク分かってないと置いてかれるだけみたいな。
ワンドマンが一番コロナの時戸惑ったんじゃないかっていうか。
誰もリモートワークのノウハウがないみたいな。
俺たちスタジオでギター鳴らしただけだぜみたいな。
で若い子たちみんなできるっていう自分でみたいな。
それも全然脱線しますけど。
結局ねモダンライフもスティーブンストリートっていう職業プロデューサーがついたっていうのが新たな世界ですよね。
アンディ・パードリッジとうまくいきそうもないですけどね。
確かに。一番難しい人ですから。本人もトッド・ラングレンと大喧嘩してた人。
そうですよね。
そうだ。
プロデュースしてもらえない人がプロデュースできるはずがない。
でもなんか頼みたくなる感じも分かる気がしますね。もしかしたらっていうのがあったかもしれないですね。
42:00
多分パンク時代にビートルズアップデートする音楽をやってたのはやっぱりXTCだけなので、
誰もビートルズを、クラッシュ・ペストルズ・ヒットにビートルズを否定するところからパンクで始まったところもあるわけだけど。
でもXTCに話を戻すと、イギリスとか言ってXTC誰も知らねえとか意外とあって当時。
若いバンドとかに好きなイギリスのバンドに言ってXTCとか言って言うと。
いやほんとそれがそうだと思う。
誰だよみたいな。知らないよみたいな。
だからXTCは結局スカイラーキング以降アメリカの方がブレイクして、むしろアメリカの方が今ファンベースは続いてるんですよ。
あとXTCがかわいそうなのは、インディーレーベルあるあるなんですけど、バージンレコードだったんですよ。
だからラフトレイドが最初にインディーレーベルっていうのを始めて、その後誰でも彼も金になるぞっていう風にインディーレーベル始めて、
バージンレコードって皆さんご存じの通り飛行機が始めるみたいな。
音楽じゃなくてビジネスとしてやってたの?みたいな会社の象徴なんですけど、
彼らと契約したもんだから割と潤沢な予算でレコーディングができるっていうキャリアだったんだけど、
今XTCのマスターテープっていうのが半分以上紛失している状態。
怖い怖い怖い。
もうレーベルとして大して機能していないので、彼らがそれをマスターテープを見つけてリマスタリングしようにも、
そのリマスタリングするためにマスターテープを探す費用もバンドが出さないとダメなんだって。
そんなことやってられっかよって状態なので、
当時のバイナルじゃなくて今ストリーミングとかリマスタリングされてないセコハンのCD聞いてもらうと、
XTCは本当に音が悪いです。
そんな理由だったんですね。
なから聞いてみよう。
並べると本当にかわいそうなくらい音悪いですよ。
そういうの結構ありますよね。
日本でもチーナリンゴのアナログ版出たときに、どれかのジャケット、原版みたいなやつがないから、
スキャンしたやつだから画質が悪いんですよね、ジャケット。
音源ではないですけど、結構アニメとかでもこの輪のフィルムが残ってないから、
スキャンして、この輪だけエピソード悪いですみたいなのとか、
エヴァとかああいう有名なアニメでもあるんで。
そういうの起きちゃうんだよね。
だからプロツールス出たてのときに飛びついてやると、
CDと同じサンプルレートでみたいなだから音が悪くてみたいな、
今もう情報量が何倍だよって話だから。
そうなんですよ。
だから意外とスマパンのアルバムとか音が悪かったりするんですよね。
だからでもテープじゃないプロツールスで走りでやっちゃったりしてたら多分、
その初期のやつはめちゃくちゃ悪くってるはずなんですよね。
なるほどね、面白い。
45:00
あとブリッドポップ期、その前にニューウェーブオブニューウェーブとかね。
懐かしい。
ニューモッズオブニューモッズっていうジャンルもあったんですよ。
スーパーグラスとかはニューウェーブオブニューモッズオブニューモッズって最初言われたんですか。
チーズアニマルメンがニューウェーブオブニューウェーブ。
じゃあもう何かあれなんですね。苦労してたんですよイギリスはとにかく。
カテゴライズに苦労してた。
とにかくトレンド作らなきゃな。
じゃあもうブリッドポップって大発明みたいな言葉として。
ブラもなんかネオンモッズ的扱いされてましたよね。
だからその二つの言葉でなんとなくスウェードもブラも。
スウェードはネオブラムって言われてました。
だからマッドチェスターの後の大きな名前を付けなきゃなんないんだけどっていうのがなかなか繋がなくて。
全部ネオネオってついてて全然盛り上がらない。そこでブリッドポップっていう。
これだーっていう話になった。
だから逆にあの頃はまた70年代後半と違ってインディーレベルがバーっと力を持ったので。
逆に当時のインディーから出てたものって権利がよくわからなくなったりとか音源がわからなくなったりとかして
ストリーミングサービスで聞かれないものが山ほどあります。
CD探さないとも見つからないインディーバンドって当時90年代前半から山ほどあるからみたいな時代だったんですよね。
すごい。それで出てきたんだっていうのは不思議ですねブリッドポップね。不思議というか早打ち筋道だったかみたいな。
93年が始まり。93年にブラーがねサイラインしたらむちゃくちゃちゃんとしてて。
去年見てあれは何だったんですみたいな。 あの金返せっていうあのライブはみたいな。
ちゃんと演奏していてあれみたいな。下手なんですけどやる気があるみたいな。びっくりしたっていう。
まあどうでもいいって感じでしたよ。アメリカでもひどい目にあったしよくわからないものを食べてるよくわからない言葉をしゃべる日本に来て何すりゃいいんだみたいな。
でもどうです覚えてます?ガールズ&ボーイズがリリースされた時パークライフがリリースされた時ってどういう記憶でした?
鮮明に覚えてます。ガールズ&ボーイズは。当時BとUKで初めて流れた時にもうなんか目の前の色彩が変わった。
もう本当にビビッドでそれまでグランジュの時代ですからすべて透けてたんですよ。
なんかブルーグレーだったりグレーだったりなんかちょっとその盲われた映像だったりとか集計じゃないですかね。それがすべてテクニカラーに変わった。
赤と青とブルーと黄色とっていう色がついたみたいな。その中ではフィラを着たデーモンがいまだかつてなくおしゃれにかつ彼の良いビジュアルを最大限に生かす。
ヒゲも綺麗に剃ってピカピカのアイドルのような顔をして跳ね踊るわけです。
48:04
そして後ろには上半身裸の男性たちと水着を着た女性たちがキラキラで踊っているっていう。
ブリッドポップって太字でボボボボって出てくるみたいな。
当時もう大学入りたてで音楽サークルに入ったんですよ。全員デーモンアルバム。
みんなフレットペリーを着るか、フィラのパーカーを着るか、もしくはロンズデールって書いてある。パーカーを着るか。
ついこの間まで穴の開いたデニムを履いてた子たちが、もうノンウォッシュのブルーデニム、ちょっとくれぶしが出るぐらいのを着て。
足元はコンバースか、クロークスか、マーチン。しかもマーチンはレッドね。
風景が変わったみたいな。
どこ行ったみたいな。メリシア2みたいな。
フランジ終わったっていうのが1994年の4月です。完全に。この4月は本当にすごい月だよ。4月8日ぐらいにカートコバーンがなくなるんだよ。
カートコバーンがなくなった1週間後ぐらいにオアシスのスーパーソニックが出るんですよ。その月末にパークライフが出るんです。
当時ロッキングオンは、次号はブラー拍子って打って予告出してたんだけども、カートがなくなったんでカート拍子に変わったんですよ。5月売りが。
それを鮮明に覚えてて、あ、ブラーじゃなくなったんだ。カート死んだからみたいな。っていうものが転換期。
カートっていう象徴がなくなって、プリットポップが来たんです。
まだめっちゃ野球してましたわ、94年。覚えてるわ。
すごい覚えてる。確かに六本木のウェーブかなんかで、スーパーソニックのシングルCDを初めて買った時のポップにローゼスのセカンドなかなか出なそうなんでとりあえずこれを聴けって書いてあって、それ買ったみたいな記憶です。
すべて4月に起こったんですよ。
ロッキー音編集部でしょ。だからパークライフのロッキー音の関東の原稿をその時に書いたんですよね。
総状態のアルバムなので、原稿も今読んでも相当総状態。
なるほど。確かに確かに。
すごいでしょうね、それはね。
あれがないですもんね、モダンライフの時にあった屈折みたいなものすべて消え失せて、薬やったみたいな灰になってるっていう。それもすべて計算づくなんだけども。
だからブラーアルバム97年に出た時にグレイアムにインタビューしたことがあって、パークライフとその後のグレートエキスケープで今回のブラーアルバム、それぞれドランクに例えたい。
すごい。
当時ブラーアルバムが出たタイミングだったので、俺はパークライフはコカインアルバムだと思う。
51:05
で、グレートエキスケープはこれはザナックスのアルバムだと思う。あの当時英語圏で流行ってた精神安定剤ですよね。
やったことないからわかんないけどね。
で、とすれば今回は何?ってブラーアルバムのことを聞いたら、まあヘロインかウィードだねっていう。
で、その2つのアルバムについてのアナロジーっていうのはかなり正確だと思って言ってたので、本当にある種の相乗体を切り取ったレコードだと。
しかもその相乗体だったパークライフは4月に出たんです。その直前の風景ですごい覚えてるのが、3月ぐらいに、2月か3月にベッグのメロウゴールドが出るんですよ。
ルーザー。
で、ルーザーの殺してくれっていう歌詞が流れて、当時のアメリカのグランジュの終わりかけですよね。もうすぐカートが死んでしまうってところの、もう絶望と退廃となんかもう行き止まり感。
あのゆるゆるの音で流れたその翌月ぐらいにパークライフが来たって。
なるほど。
もう本当にその3月4月でもうなんか変わったんですよね。
すごいですね。後藤さん野球してたっておっしゃいましたけど、僕はJリーグ開幕直後だからサッカーやってました。
俺その次の年、95年に東京に出てきて、今言ってどっちも知るってことですね。パークライフと。
じゃあもう変わった後の世界に飛び込んだ。
そこで追いつく。っていうかこんな世界があったんだと思って。
あの時はいろんなもの作装してたよね。
作装してました。だって5月にレディオヘッド発売日です。
そう。
それも覚えててなんかこんなに私たち今楽しいのに、ブリッドポップでパークライフでフッフーってなってんのに、なんか行ったらトムヨークがステージで泣いてるみたいな。
クリープですね。
クワトロね。
そうクワトロで泣いてて、なんかどうも様子が違うぞみたいな。
ただ最終日のちったは世界で多分あれほど楽しそうなレディオヘッドの5人はいないってぐらい。
よかったですか。
多分レディオヘッドもカートコバンなくなりました。
その直後にマニックスレトリートプリーチャーズにリッチーが失踪してんの。
で、セカンドアルバムを作ろうとしてて。
で、メディアからは次死ぬのはトムヨークだって書かれてた。
最悪だな。
で、その時期に俺はちょうどセカンドアルバムのザ・ベンツ、まだ名前がついてないアルバムのレコーディング中に取材に来てくれって言われて。
その直後に来日公演があるから。
で、行かせてもらったんです。
で、ようやくその頃ってUKインディロックが日本ですごいマーケットがあると。
そのマーケットを牽引してるのがロッキオンマガジンだってことになったので。
54:01
で、俺ビップ扱いでミスター田中って呼ばれてる。
そっからの付き合いなんですね。
で、リムジンボーンつけられて。
頼むからそのミスター田中って呼んでソイチローって呼んでくれない?ってメンバーに5年ぐらい言い続けるんだけど。
最初のイメージがあるから。
で、やっぱりその当時のロッキオンが彼らをエスタブリッシュしてくれたっていう意識があるので。
あいつらギャグでミスター田中って呼ぶんですけど。
で、その時はもう超神経質。
新曲たまたまザ・ベンズに入ってるジャストって曲。
あれをじゃあこれ聞こうよってクリス・ハボードっていう。
ブライス・エッジっていうマネージャーのナンバー2がカチャって押して。
ターン、チャーン、ツタツタツ。
違う、ベンズをかけたんだ。
ダーン、ダーンってしたらスタジオの端にいたトムヨクがパーって走ってきて。
これだめ、これだめ、これだめ。
もう空気凍りついてる。
で、ベンズを結局聞かせてくれる。ベンズじゃなくてジャストを聞かせてくれるんですけど。
その後のインタビューって。
なおかつその取材日の前日にカートコーパーが亡くなってるんですよ。
で、その後にザ・ベンズって5月にローンチパーティーがあるんですけど。
その時ってもうブリッドポップの空気が来てる時で、
ラディオヘッドと同じマネージメントがスーパーグラスなんですよ。
で、当時のイギリスのメディアはもうラディオヘッドってなかった。
ファーストのワンヒットワンダーだからもうセカンドアルバムなんてどうでもいい。
サポートアクトでつけるオックスオフホードでのローンチギグは
全座のスーパーグラスをみんな見に来るみたいな話になって。
当時俺もロンドンまで来てくださいって言われてたんですけど、
田中さんちょっとこれはやばいですと。
トムヨーくんめちゃくちゃナーバスになって来るなって言ってますって言われて。
ぐらいある種マニックス、ニルバーナ的な世界観、
マニックス的な世界観、ラディオヘッド的な世界観っていうのが暴流に押し寄られて、
スーパーグラス、ブラに代表されるようなフレッシュな若い世代の楽観主義みたいなものが
数ヶ月でイギリス全土を追う。
1994年のマニックスってホーリーバイブルですからね。
しかもスウェードもドックマンスターなんですよ。
だからブリッドポップ以前に人気のあったその2つのバンドが
最もブリッドポップ的ではないハードコアなアルバムを90年に出すんですよ。
それはこの前の対談の2人で話してたんだけど、
あの時俺たち本当に阻害されてたよねって言って。
でもそれはあえての阻害でもあった。
明らかな意識的な対抗勢力。
だから本当にラディオヘッド、スウェード、マニックスはその祭りからは外れてたんですよね。
そうですね。マニックスもだってそれを四角で取ったってことですもんね。
57:01
だってね、ブリッドポップって保守的な流れの中でアメリカ六国に行ったってことですもんね。
アルビリみたいなことで取るみたいな。
そっか。それは正しかったって今はみんなわかってるんだけど。
当時としては本当にいたんだった。
あ、そっか。
いやー、リドヘッドをね。
田中さんの名前知ったの?リドヘッドのイッチを買った時ですけどね。
イッチ。
イッチ買いましたよ俺。
イッチね。
バナナカンパニーとか。
最高の曲でしょ。
最高ですよ。知りましたもんだって。
あれちゃんと俺選曲したんですよ。
練習しましたもんギターとかで。
本当はあれね、1曲目にフランス版でのみ出ていたセカンドアルバムのタイトル曲ザベンズのライブ曲、ライブバージョンって言ってたんだけど、
それは入れないでくれと。
セカンドアルバムの一番重要な曲の一つだから入れないでくれって言われて。
で選曲だけして、タイトルは、デザインはまだバンドの力が強くなかったのでEMIのデザインチームがやるんだけど、
タイトルはトムがつけるって言って、マイアイ&ラグ、セカンドのリード曲の歌詞から取った。
なるほどね。
まだその居心地の悪さみたいなの出てますよね、イッチってタイトルに。
キラーカーってすごい良い曲あったよね。
良いですよね。
エターナルイッチっていう。死ぬまで痒みが止まらないっていう。
痒いんだよなあ。
そうだからなんかね、レディオヘッドってやっぱりブリッドポップって感じじゃなかったですよね、ずっとね。
なんかその不思議な。だからすごい、ブリッドポップって不思議だったなあでも。
でもこれ本当にブリッドポップに混ぜていいのか分かんないなってバンドもいっぱいいましたよね。
例えば?
例えばオーシャンカラーシーンとか、リーフとかなんか。
リーフ。
すごい好きでしたけどアイドル臭いやつが。
オーシャンカラーシーンのファーストは覚えてます?
オーシャンカラーシーンのファースト、僕らねセカンドからかなあ多分。
オーシャンカラーシーンもファーストはマドチャスターなんですよ。
本当に知らないですそれ。
逆にイギリスよりも日本のインディーシーン。
さっき小川さんが言ってたような、大枝下北沢の中ですごい。
あるいは渋谷系のアーティストなんかでもファーストアルバムすごい人気があった。
そうなんですね。
でセカンドでああいうこうポールウェラー的なものが。
ポールウェラーのフックがありましたよねそのフックアップがね。
そこでイギリスはブレイクした。
いやそうなんか契約の問題とかも抱えてましたよね確かね当時ね。
あんまり使えないとかね。
ブリッドポップから給料を取るスウェードとかレイドヘッドもいる一方で
ブリッドポップに何か参入してくるタイプもいて
オーシャンカラーシーンもそうだしあとブーラドリーとかもね
もともとあれ集計座の方がウェイクアップブーなわけですよ。
目覚めろブーって言ってもうブリッドポップのど真ん中で。
ビューティーポンモーニングですよね。
なんか朝のワイドショーとかでかかってるんですよ一人は。
1:00:00
変遷するんですよ一台飲むんですよね。
それグランジの時もそうでしたよね。
グランジじゃないだろってバンドもグランジになっていくみたいな。
そうやってどんどん飲み込んででかくなっていき
8月にディフィニッシュベイビーが出る。
それは決定だったんです。
94年ですか?
94年8月。
俺が出た時はもうオアシスのライブがあるってことを知った時にはチケットが売り切れてたんで。
9月に発売。
でもなんかオアシスってブリッドポップ全体ですけど
ロンドンポップではないじゃないですか。
その国全体を挙げてムーブメントってなんか珍しくないと思うんですけど。
最初はだからオアシスってマンチェスターだったんで
最初ブリッドポップって言われてなかったです。
北からのポストマッドチェスターみたいな感じ。
実際ね、テビュアルもじゃあブリッドポップ的かというとそうでもないじゃないですか。
最初はやっぱりブラーバーサス、オアシスっていうの業界が盛り上げてたっていう。
ところがなんかもうディフィニッシュベイビーが出てしまったら
もうそれがあまりに決定的だったんで
オアシスをブリッドポップとした方が業界的においしいと。
なるほど。
そしたらいきなり彼らもオシャレをしだすんですよ。
それまでダルダルのセーターが弾いてたのにいきなりパーカーを着て
アディダスを着てランブレッダに乗り始めるわけですよ。
ベスパーとバレンベスパーに乗って
で、ユニオンジャックのギターを持ち始める。
本当だ。確かにユニオンジャックのギターに変わった。
変わったんですよ。
最初はだってもう本当にダサかったんで。
本当ダサかったですよね。
だから同時6強にいたでしょ。
オアシスをどうするか編集部内会議。
90年代のやっぱりロッキーオンの最大の目利きは当時の
今もいらっしゃるロンドンのコレスポンデッドの
小島さんね。
小島幸子さんで
ストーン・ローゼツに関してもオアシスに対しても
彼女がとにかくやらなきゃって。
同じタイミングにスマッシュの平賀さんが
本当にちっちゃなクラブで見たオアシスを
これ絶対にやるぞって。
これやるしかないでしょうっていうのを
当時の松井編集長に言うんだけど
なんか俺は乗らないっていう話をするのを
編集部全員で。
全員一番好きではないんですよ。
でもこれはやらなきゃダメだと説得してやったっていう
記憶がありますね。
で翌年俺95年のグラストンベリー。
あれはもうブリッドポップの始まりの瞬間で
もう会場中にスーパーグラスの
ポスターが貼ってあるんですよ。
ああ一緒だここ。
プラス同じ時期の
ケミカルブラザーズのファーストシングル
のポスターが貼ってあって
あれもブレイク・ウィズではあったけど
同じシーンっていう感じで
1:03:00
これもブリッド音楽なんだってことで
ガンガン貼ってあって
で初日のヘッドライナーのオアシスです。
で2日目が本当はストーン・ローゼスだった。
でところがバイク事故かなんかで
ジョン・スクワイアーが事故って
急遽当時コモンピープル
5枚目のアルバムかな?
のシングルがヒットしてたパルフが
急遽ヘッドライナーになった。
ジャービス・コッカー。
で3日目は
おそらく全てのキャリアーの中で
一番低迷してたザ・キュアなんですよ。
3日目ガラッガラでした。
今だったらその10倍入ります。
キュアって何でしたっけ?
ムードなんとかスイングっていう
一番本人が否定したがってる。
低迷期だ。
だからその初日と2日目のヘッドライナー
本当にすごかったです。
オアシスのライブって
観客の声が大きすぎて
歌が聞こえない
演奏が聞こえないって聞いてたけど
本当だねっていう
唯一演奏と歌が聞こえたのは
その日が初演だった
セカンドに入る
Don't Look Back In Any Time
最初は分かんないわけですよ。
リアムがステージからいなくなるから
なんかまた揉めてんの?みたいな。
そしたらノエルが歌いだしたの。
めっちゃいい曲みたいな。
っていうのが
95年のグラストンベリーズの初日で
何よりもすごかったのが
その2日目のパルプ
その数ヶ月後に
ディフェラント・クラスってアルバムが
全員ヒット
キャリア10年近いバンドだったんですけど
そこでのステージの
最後のコモンピープルの盛り上がり方
今でもね
グラストンベリーのメイン10みたいなのは
必ず1位に入りますからね。
本当に一曲で
一夜で
全てが変わるんだみたいな
何よりもやっぱりあの曲は
普通の人々
結局デーモンがやろうとしたのも
ブラがやろうとしたのも
1位の人々の生活
そこに何かしらの
経済的には下がりきってるけど
そこに何かしらの希望と楽しみと
楽観主義をキャプチャーしようってことだったので
それの理想みたいな曲なわけですよ
コモンピープルっていうのは
ディフェラント・クラスなので
クラス階級、階級社会である
イギリスにおいて
階級の違いっていうのが我々を
の足元を結びつけてる
クサビでもあるんだけど
それと同時にだからこそ生まれた文化があるんだ
ってことをセレブレーションする曲なので
階級を飛び越えて
アンセムになったんだみたいな
1:06:00
今なんかブリッド・ポップの名盤とは何かっていうリストで
実は今再評価も含めて
1位になるリストで一番高いのって
ディフェラント・クラスなんですよ
本当にこのブリッド・ポップの1枚を上げろと言われたら
私も多分ディフェラント・クラスだ
これはもう歴史の固定点だという
やっぱり今おっしゃったように
ブラもパルプもそしてオアシスも
みんなイギリスの資生の人々を歌うんだけど
視点が全く違うんですよ
やっぱりブラーっていうのは中3階級
しかも結構高所のアート系のポップっぽい人々なんで
聴く人によっては上から目線で
嫌な感じもあるわけですよ
例えばノエル・カワードの参照があったりとか
若干ハイブローなんですよ
要するに生活に困った内に
彼らが歌う資生の人々っていうのは
やっぱりどこかそれはアイロニカルにならざるを得ないし
それに対するオアシス的な反発もあるわけじゃないですか
オアシスはワーキングクラスの立場から
ワーキングクラスの生活しか描かないんですよ
逆にそこから漏れる人もいるじゃないですか
でもパルプが絶妙だったのは
彼らワーキングクラス出身だけども大卒なんですよ
ジャービス国家って
知的階層でもあるわけですよ
そのコモンピープルって歌で歌われるのは
大学で出会った金持ちの女の子との歌なんですよ
付き合うんだけども
女の子は私はあなたみたいな庶民と付き合いたかったんだって言うんですよ
庶民がどんなセックスをしてどんなとこで買い物をするのか知りたいだけなのっていう歌
それに付き合うんだけども
途中でジャービスはその歌の中でキレるんですよね
お前にそのゴキブリがね
壁を張ってるような家で住んでいるような
僕の本当の生活コモンピープルの生活なんて分かるわけがないだろうって歌うわけですよ
その中で歌われるのは要するに
あらゆる階級をある意味で
ジャービスの視点からまたげるんですよね
大学に行ってるスノップの人たちのことも描けるし
汚い部屋でゴキブリが張ってる部屋のことも描けるしっていう
それができたのはやっぱり北の方の生まれでね
シェフィールドの生まれで
ワーキングクラスの街で育ったけど
学校に全く馴染めない
ディスコにいせんかなって歌われますけど
勉強ができるばっかりに僕は学校に居場所がなかったって歌うようなところで彼は育ったわけですよ
大学に行ったもののっていう
そのチューブラリーな彼が歌うからこそコモンピープルっていうのが絶対最大公約数みたいな
歌えたっていうのは
それはブラーにもできなかったし
オアシスにもできなかった
グレアム・ガイスなんだけど
デーモンもいろんな階級のことを歌うんだけど
彼はね苦しんでる人たちとか悲しんでる人たちを
ちょっとバカにするんだよね
そうなんですよ
それはいけすかない連中のこともバカにすると
全方位バカにするから
そういう意味では筋は通ってるんだけど
人によっちゃあれは嫌だよねっていうのをグレアムがよく言ってました
彼はねちゃんと字逆もあるんですよね
1:09:00
例えばカントリーハウスって曲では
バルザックを読みながらプロザックを飲むっていう中3階級
要するに自分ですよね
自分のぶっ壊れたマインドを歌うわけだもん
その字逆的な部分はリスナーからなかなか見えづらくて
本当に嫌な奴と思われてた時期もあるんで
だからグレート・エクスケープが一番字逆的で
自己批判的なんだけど
それが全く受けなかったんですよ
それと並行してオアシスのセカンドがドカーンっていう
そのあたりはイギリスがあくまでクラス社会だっていうことの明確な
なおかつニューレーバー
新しい労働と第三の道
労働党のみなさんみんなお金をもおけていきましょう
っていうその機運と
ブラが一時期集落し
オアシスが莫大的に大きくなったっていうのは
綺麗にクロスを割したっていう
ビニールがありますね
イギリスって階級社会があるわけじゃないですか
それに対して日本ってやっぱそことは
特にちょっと前は一億総中流みたいな世界だったから
文化的にはかなり差があると思うんですけど
やっぱりもともとインディークラブってのがあったのも含めて
ロッキングウォーの多分功績もあるでしょうけど
UKロックってこの国でものすごい人気だったわけじゃないですか
それってなんでなんですかっていう
俺UKロックって言葉は使わないんですけど
日本語だからUKインディーは英語ですけど
でも要するにブリティッシュロックなり
UKインディーなりの日本での需要の大きさですよね
やっぱり生活様式の問題なんじゃないの
やっぱり多分80年代90年までは
日本人ってアメリカの影響を受けているにもかかわらず
やっぱりアメリカが田舎だっていう意識がはっきりあった
でニューヨークはハイエンドではあるけれども
ロスでサイイナカだっていう
ロスのカルチャーっていうのは
ウエストコーストカルチャーみたいなものだっていう
すごく限られていて
日本とかイギリスみたいに天気の良くない国家と
あまりクロスオーバーしないとか
それで言うと島国の
でイギリス人の音楽も基本的には
ブラーはね戦前の音楽とか取り入れますけれども
基本的にはイギリスの音楽家って
アメリカ音楽の輸入なわけですよね
だから間買い物をやってる
でやっぱり我々も間買い物なわけですよね
アメリカとイギリスの影響を受けてっていう
でその間買い物感に共振があったんだと思う
なるほど
やっぱアメリカの本格的なカントリー・カッション
やっぱりね
あのスケール感がピンとこないんですよ
アメリカのロックの
当時の高校生からしたら
あとやっぱりなんかドライブ前提というか
車前提な音楽って感じがすごいして
1:12:01
アメリカの
ロス行って車で移動すると
ボンジョビも気持ちいいね
本当に実感としてあるんだけど
それがなかなかねやっぱりね
ちっちゃい島国に住んでると
やっぱりなんか都市の音楽の方がピンとくるんですよ
でやっぱ当時のUKロックと言われてたものは
都市の音楽なんだけど
カントリー・サイドの風景が一切ない音楽
そっかそれ聞くと面白い
確かにカントリーって全然入んないですよ
フィリコですらめっちゃ苦労してる
わかります
ほぼ日本で受けたイギリスのロックは
90年代以前はやっぱり全部南部ですよね
アークテック・モンキューズみたいな中西部
ブラックサーバス受けなかったし
ロンドン中心の
やっぱりブリティッシュな音楽が
イングリッシュな音楽ですね完全に
南部都会の音楽が
日本の都会層に受けて
それがなんとなく全国にも派生した
確かに確かにね
環境も似てる気がしますね
同じ島国だし割と密集して都市に暮らしていて
みたいな
レコーディングスタジオも
規模感的にもわかるし
マビロードとか全然違うけど
でも普通にそんなに
なんか店長高くないよねみたいな
地下鉄でどこまでも行けるロンドンって街は
東京と似てますよ
アメリカの変なとこ行っちゃったら
もうどうしていいかわかんないじゃないですか
今だったらもうウーバーなかったら
無理だろうみたいな
そういうのありますね
多分60年代70年代80年代90年代にかけて
経済的に大きな差があった
日本がむしろそれを追い越していくっていう
経済的な豊かさが当然
文化的な豊かさを引き寄せて
だからこそギリスと
モノと共振するようになった
レコーダーが東京来てめちゃくちゃ楽しかったですね
全部あるみたいな
それが出来上がったのがやっぱり
80年代の後半
90年代に入ると時差がほぼなくなる
80年代末とかは
NMEが1週間半くらい遅れたんだけども
90年代になると1週間遅れなくなった
5日くらいになる
輸入版とかもあるからすぐ入ってきて
聞けるみたいな
そういうのが90年代
頭ら辺にHMVが出来て
バージンレコードが入った頃に
ガラッと変わったという
でも安いと思いますよCDが
3000円じゃないじゃんみたいな
UK版は高いんです
UKプレスは高い
USプレスは安い
1000円台で買えちゃうみたいな
CD買えると思いましたもん
それ大きかったなあの時代
でも今さっき小川さんの話聞いて思ったのが
イギリスのロックって
あんまり車に乗ってる歌詞って
思い浮かばないなってちょっと思ったし
でも確かにそれ文化と違うと思いますよ
ロストとかでレコーディングしたら
よしじゃあちょっとラフミックス
1:15:00
俺の車で聴くかみたいな
そうですよね
ドライブ行くぞみたいな文化だった
ドーンドーンってローが出てくるみたいな
日本はカラオケする曲売れるけど
アメリカはドライビングミュージックが売れるって
未だにあるじゃないですか
やっぱりイギリスはどっちかというと
日本に近い感じはしますね
ラジオも家で
カーステイよりも家で聴くラジオ
確かにな
そういうのはあったと思いますね文化的にはね
でもパークライフは1年遅れだったけど
すごい良かったな
歌詞カードにコード進行書いてあるから
そうですよね
エンドブルースセンチュリーとか練習したりとか
オアシスはB2Kも大きかった
そうですよね多分ね
B2K録画してノエルギャラがどうやって握ってるか
ずっと研究しましたね
オアシスのモーニングローリーのスコア買ってきて
どうやっても音がこのスコアに
シンコミュージックの通りに弾いてもならないから
絶対間違えてると思って
ずっと見て
なんかつけてるギターに何あれ
すごい
カポタストって言うらしいぜみたいな
カポのアルナシも近かった
知らなかった俺は
スコアが違ってた
それは多分ついてたと思うんだけど
でも多分ね
違う握りになってた気がするんだよね
手動いて
小指と薬指を一切最後まで動かさないと思って
よくありますよね
バンドスコアめっちゃ違うじゃんみたいな
だから握り方とかね
すごい勉強して
でも俺最近感動したのね
エド・シーランがノエルギャラ側握りで曲を弾いてた時
弾き当たりで
もしかしたらこれなんか
そういう影響あんのかなと思って
あるかもしんないですねそれは
でもそれで僕は作曲の
こんなに動かさなくていいんだって覚えたんで
あの当時はビートUKかじりついてましたね
でもおかげでウィルコにも出会ったのもビートUKだし
あれ番組大きかったですよね
深夜とはいえ民放でみんな見れましたからね
デラソウルを知ったのもビートUKだったりするんで
分かる分かる
いろんな分岐点ではあったんですよ
自分の好きなものがチリ
その中から拾えたっていうかね
地上波ビートUK
でそのソニーのやった全国でのクラブサーキット
でロッキーオンにお金が入ることになった
っていうのでだから
宇野コレマサとかねたまに90年代のロッキーオンが
とにかくUK変更だったことが
いろんな重要をねじ曲げたんだっていうんですけど
そういういくつかの大きなうねりがあったんですよね
原宿のビックラブレコードズの中さんから聞いたのも
やっぱり日本の音楽はレコード屋さん系方向ですよね
やっぱりイギリスのルートから
アメリカの音楽とかも入ってくるって言ってた時期があって
歴史的にもそういう経緯が
レコード屋さんだけ見てもそういう経緯ってあったんだなって
1:18:01
その時になるほどって思った覚えがありますね
ということで時間がほぼほぼなくなってきたんですけど
ちょっと一応ゲーム的にね
もし皆さん選べればチャート作ってくださいって
いったお願いがあったので
先ほど小川さんの方からやっぱり
ブリッドポップ期のアルバムであればやっぱり
世界的に今ナンバーワンと言われてるのは
パルプのディファレントクレスでしょうというお話がありましたが
皆さん的な視点でブリッドポップを
92年から96年と捉えるのか
95年から96年に捉えるのか
いろんな見方もあるんですけれども
個人的なチャートとそのポイントみたいなものを
一応聞いておきたいなと思って
なるほどね
私からいきますかね
アルバムでいいですか
このお三方の後で言いたくないんで
最初に聞かせてください
僕はその最初に言った通り
ブリッドポップを一つ上の世代の音楽として
ちょっとアンチだった部分がめちゃくちゃ出てるんですけど
多分それはブリッドポップじゃねえと
怒る人たくさんいると思いますが
怒らないでください
マッシブアタックのプロテクション
ドリップホップだよ
そう言われるだろうと
みんな聞いてる人突っ込んでるだろうと
あともう一枚が病気のポスト
雷鳴版ですね
イギリスで知らないっていう
でもあのアルバム僕の中でロンドンのポストバーグなんですよ
ロンドンレコードだからね
最後がさっき名前も出たマニックスのホーリーヴァイブル
大傑作ですけどね
ブリッドポップと距離は若干
それをフォローすると
カサビアンってバンドのサーチ
彼がよく言ってるのはブリッドポップというのはサウンドではなくて時代なんで
僕の中ではドリップホップもブリッドポップだった
マッシブアタックがいてオアシスがいて
ガラージも盛り上がってたっていう
90年代半ばのイギリスってのはとにかく音楽的に豊かだった
それは別にブリッドポップと音楽性を定義することなくて
その全てを共有すればいいんだって
だってガラージシーン超面白かったし
俺はオアシスも超好きだったみたいな
でも今言われて思ったのが
僕やっぱトレインスポッティングの影響は受けてると思います
96年ですか
あれでアンダーワールドとかそういうのも入ってるじゃないですか
そうだからあれもダニエル・ボイルね
どうしてもオリンピックのサークルやる人ですから
国策にきっちりアジャストできる人でもあるので
あれもやっぱ国策的なところがあって
あの映画があってやっぱりアメリカでも配給されて
イギリスのダンスミュージックっていうのが最初に売り出されるのは
あのタイミングでもあるんですよ
映画で使われたものはきちっとメインストリームのものから
1:21:03
アンダーグラウンドのものまで
ジャンルもインディロックからダンスミュージックまで
バランスよく選曲されてて
あれが日本の公開が半年後ぐらいですよね
爆発的に流行ったっていう
短間だったんですよ
でももうそれが半年10ヶ月ぐらい
あのコピーを俺作りました
最悪で最高っていうのをコピーを俺が作りました
歴史変えたじゃないですか
パルコから頼まれて作りました
っていうのがあったから
そういう要素もあったんですよ
あの映画
ただ今考えてみると
トレンスポッティングって何の映画かというと
イギリスブルタニアで北部南部
ロンドン中心とした首都圏は
経済的に上り詰めていくけれども
スコットランドはその経済的な繁栄から
取り残されてんだよねっていう
そういう話だったんですよ
イングランドじゃないですからね
あれエジンバラの話ですかね
でエジンバラでみんな
一番危険なヘロインをやってたのが
仕事探そうってロンドンにレイトンが出てきたら
みんな自分たちよりも5歳も6歳も若い学生が
エクサシックってキャーってなってて
この世界は何っていう
そういうような地域格差
だから国の当時のニューレイバーの
制作に対する批判を実は含んでいたんだけど
我々日本人はイギリスすごいなって
言って見てたっていう
そういうことですね
おしゃれめ
おしゃれな映画として
あまりにスコットランドなまりがひどいんで
アメリカ公開で字幕がついた
確かに
それで3問ですね
俺もあんまり面白くないので先に行きますね
俺も本当に先ほどおっしゃったように
1位は突然ディファレントクラス
その前のヒズアンドハーズから
やっぱりイギリスの文化みたいなもの
その1位の人々たちの生活とか
あるいは性
性衝動だったり性生活みたいな
やっぱりポップソングでなかなか書けなかった
それもイギリス特有のライフスタイルみたいなものを
ジャーヴス・コッカーっていう
ソングライターが書き始めることに
非常に感化されてた時期にこれが出て
バーイタリアとかね
行ったことある場所なわけですよ
つまんない場所なのよ
でも確かにここをタイトルに入れて
その生活を歌うことみたいなことにも
本当に時代と場所と分かちがたく
本当に後藤くんとかも
意識的にローカルイメージで書いたりするじゃないですか
あれの極限みたいなことをやったレコードとかあるから
2位はこれもジャンル的には
かつてニューウェーブオブニューウェーブと言われた流れの中ですが
この時代の音楽的なポストパンク的なものを
一番上手く作ったエラスティカのファーストアルバム
1:24:02
ダントツに
いろんな文化的な文脈が吹っ飛んで
音楽的な良さで言えばこれがベストだと思います
3位はやっぱり総合点でどうしたってパークライフだろう
っていう3枚です
じゃあ僕は
3枚ですよね
特にチューン不動って感じだけど
やっぱり一番最初に上げたいのはパークライフですね
自分にとっては
あれなんか今年も行ったけどイギリス
行ったらとりあえず聴きたくなるよなみたいな
ドーバー&クローバーだっけ
だったりとかロンドンラブスとかだったりとか
あの辺の曲って別に普通にバスとか見ながら
勝手に頭の中流れちゃうみたいな
一番自分の中では
ブリティッシュな感じがする音楽として
コード進行とかちょっと憂鬱な感じ
ポップだって聞くけど俺はなんかちょっと
コード進行が独特なメランコリーを含んでるっていうか
それは天気のせいなのかなんなのかわからないけど
すごいやっぱりパークライフを聞くと
ロンドン思うって感じがして
まさにその天気の歌で終わるんですよね
最後ディシンザローで低気圧で終わったら
イングランドが描かれたら終わるっていう
あの歌が最高
最高ですよねあれ本当に大好き
あそこの
いいね確かにいい曲だな
デーモンアルバムが使う
普通あまり使わない5度のマイナーって使うんですよ
5度のマイナーからトニックに回帰させる
ちょっと無茶な
あれをやっぱり対応してるんですよね
フラット5を使ってるってことですか
そう
なるほどね
それはすごいもう一つあって
あとねなんかこのブリッドポップの象徴
あれじゃパルプであったの知れないけど
やっぱスーパークラスも
アイシュート5個はやっぱり
でも僕はアルバムとしては
セカンドのイニットフォーザモアネーカの方が好きだし
サードのモンマサも好きだし
もうその後の方がどんどん
自分にとっては好きなバンドになっていくんですけど
でもやっぱりなんか象徴としてはなんか
be all right
all right がとにかく
あれ以上の青春参加はない
ない
もうなんかちょうど10代バリバリだったし
そうだよなって思っちゃうっていうか
そういうのもあって
あと全然関係ないけど
3つ目は自分の個人的な
あれとして好きだった
あのブルートーンズの
Expecting to fly
最後のブリッドポップナンバーワンアルバム
そうなんですね
いやこれもすごいなんかコード進行的に
ブリティッシュな感じがするんですよメロディーとかが
彼らの解散ライブを大阪に見に行って
何年か前に来て
すごい感動しました
感動ってこんな
こんな現場に立ち会うんだなと思って
1:27:01
最後のライブを大阪でやってみたいな
でも自分にとってこれは思い出深いというか
当時すごい聴いたアルバムの一つだったんで
大好きでした
アルバム出る前の2枚のシングルもめちゃくちゃ良かった
ブルートニックとなんだっけな
ああいうブラインドなんちゃら
スライドリターンって曲もすごいよくて
でもブルトーンすごい好きでしたね
でもその3つがイギリスっぽい感じがして
でオアシスとかはやっぱちょっと
僕はブリッドポップとして見てなかったって感じ
違うロックスターとして見てたんで
やっぱブラー中心に
こうなんかあったなって感じしましたね
そんな3枚でした
ありがとうございます
じゃあ簡単に
私はブラー、オアシス、パルプはもう省いて
順位ではなくて
94年、96年がブリッドポップのコアだとしたら
そのプレ、ポスト、コアの3枚で
まずプレがセント・エイチェンのソータフ
これは本当に当時の記憶として
まさにさっき言ったインディークラブ的なもの
ちょっとそのダンスポップみたいなものの流れと
いわゆるブリッドポップの本丸のちょうど中間の流れ
そのなんか流れを絶妙に組んでる1枚
で、コアの部分ではさっきおっしゃってたエラスティカ
これは本当にもうブリッドポップのアルバムって
基本的にすべてフィックスドポイントというか
歴史の固定点であって
なかなかその後の音楽に影響しづらいんですけど
エラスティカってむちゃくちゃ参照されてるじゃないですか
そうなんですね
今、エラスティカの時代ですよ
全然知らなかった
今の女の子のシンガー
例えばなんだろう
今のシンガーそれこそオリビア・ロドリゴから
ボーイジニアスまで参照される
売るものがあるとしたら
90年代のオルタナティブの女子がいるとしたら
エラスティカ
こんなにその歴史的な永続性を持つものだと
当時思わなかったですけど
あのクールなちょっとガレージな音っていうのが
今すごくアクチュアリティがある
全く想像もつかなかった
ポストパンクとガレージロック合体させたんですよ
今いろんなアーティストが自分のプレイリストに
エラスティカを入れてる
なるほどね
聞き返してみようそれは
あのオングリッドじゃない感じって
めちゃくちゃ今っぽい感じしますよね
本当にかっこいいんですよ
もう本当に私ジャスティンはいろんな意味で
敵なんで
認めたくないんですけどかっこいいんですよ
ブリップアップって言われると
リフで書くソングライティングよりも
コードで曲を書くカルチャーだったんですけど
エラスティカはリフで曲を書いたんです
そういう意味でも得意点だったし
今につながるものがある
でポストはもうこれしかない
アーバンヒムズバーブ
これは本当にブリッドポップが終わった後に
勝利宣言したっていう
全てがずれてるって感じが
なるほどね
バーブ的でいいなっていう
ただね
北米圏でもすごく知られた曲の
いや最も聴かれてる曲で確かでしたよね
1:30:01
本当だからダイヤの日がなくなった時の
ツイートを番組でビタースウィートシンフォニーが
むちゃくちゃかかってたってイメージがあって
それも含めて要するにイギリスの終わりですよね
祭りの終わりを象徴する
97年のあれは
スマップがアルバムでパロリーしましたよね
そうまさに
それ本当に終わり
The Endの一枚っていう感じ
だから本当はこの97年以降の
英国での音楽のトレンドと
そこでのまた大きな社会の変化があって
そのあたりから日本との関係
絡んでくるので
実は今日みたいな話を前提で聞いてもらって
またその後の話をどこかの機会でできたりすると
よりその2023年の
今のいろんなヨーロッパ各国
アジア各国中東各国
そして孤立する
イスラエルとともに孤立するアメリカ
そこである種アメリカの尻尾についてなきゃならない
サウスコリアと日本みたいな関係が
この流れでもう準備されてたんだねみたいな話が
音楽を追っかけるだけで見えたりするので
またやりたいです
続きやりたいですね
やりたいやりたい
ブラー界なのにブラーについて
97年のブラーアルバムについて
言ってないけど大丈夫ですか?
俺も実はブラー大好きなので
自分でブラーベストソング5曲とか
選びましたが
これ別にやった方が良くないですか?
そうですね
延長戦でなんか掘り下げたいですね
今ソウさんが言った話まで
ちょっとやってみますか
じゃあブリッドポップの終わりから
90年代後半
OKコンピューターが
97年をちゃんと語る回をしませんか?
そうですね
じゃあこのメンバーで97年やりましょう
スネーザーが創刊された年でもある
そう思われるとテンション下がる
当初のクールブルタニア
ブラーとオエシスみたいな
仮タイトルをイメージしてたんですけど
良い意味で色んなところに
脱線できたんじゃないかと思います
なのでこれを聞いて買っていただいた方しか
ご存知ないかもしれませんが
このメンバーでまた集まって
97年間
これ97年も色々ありますね
その前後から話していくような感じで
やりたいと思いますので
今回これ買っていただいた方
またそれぞれ小川さんの活動
後藤くんの活動
寺間くんの活動
サインポッドガスの今後
サポートしていただければと思います
本日はとても楽しかったです
ありがとうございました
01:32:49

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