それは彼がザ長男だから。
あんなに長男らしい長男いないと思うんですよね。
っていうところもありました。
なので改めてブラーを聞き直してみたんですけど、
ファーストエピソードでも小川さんおっしゃってたけど、
ブラーって常にトライアンドエラーなんですよ。
自分たちの財産っていうのをぶち壊しにして、
またイボルブさせて、またぶち壊してっていう繰り返し。
ただ小倉山コックさんが戻ってからの再形成のいくつかの大きなツアーっていうのは、
今までのレガシーをもう一度リアムギャラガーがやっているような形で、
レガシーっていうのをもう少し大切にしようという意識があったんですけれども、
明らかに今回のツアーもまたそれはぶち壊しにいっている。
でそのトライアンドエラーで何かしら新しいものをする、
そこのストラグルみたいなものにポップミュージシャンのあるべき姿っていうのは、
ずっと投影してきたからっていう感じなんだと思います。
アルバム聴いたら変わり続けてますよね、ずっとね、サウンドっていうかね。
だって最新のアルバムのテーマがミッドエイジクライシスですからね。
完全にデーモンの。
そういうパーソナルなテーマだからこそ、もう彼はブラでやるしかなかった。
それはゴリラ伝説できないから。
確かにね。
本当は今回のアルバムってソロアルバムとして作ろうとしてたのを、
グレアムの筆頭にバンドがこれはブラでやるべきだっていう話をして、
作ったレコードだったりするので。
だからやっぱりそこにパーソナルな問題ですよね、中年の危機っていうのは。
でもやっぱりそこを今、なおかつ今ね、
おじさんっていうのが一番生きがたいっていう風に言い出すおじさんもいる時代なので。
確かに。
いい目ずっとしてきたんだから、そのぐらい生きがたくなってくださいよって話なんですけど。
でもやっぱりそれをテーマにするってこと自体もすごく象徴的だと思うし。
最近のグレアムのスタイリング、グレアムじゃない、デーモンのスタイリングってどう思います?
どう?
この前ロエヴェかなんかの。
あーね、娘と言ってました。
そう言ってて。
あれどこの服だっけ忘れてた。
同じ会場で会ったアフラアメリカンのミュージシャンとハグとかしてる写真とかも上がってるんですけど、
肩やめっちゃスタイリッシュに着こなしてるんですよ。
デーモンアルバムが全く似合ってない。
でも今のモードなのね。
だから当然それを着るのは当たり前って感じなんだけど、娘さん隣についていなかったらこれ話になんねえなっていう。
どっから紛れてきたおじさんですかっていう感じになってて。
そこにも若干の美しさを感じるっていうか。
スタイルアイコンしないっていう、今彼はそういう生き方を選んだんですよね。完全に。
だから今年のツアーの毎回ステージでガールズ&ボーイズの前にフィラの服を着るんですけど。
しかもあれ94年のガールズ&ボーイズのビデオクリップで着たフィラのオリジナルパーカーも今ないから、わざわざフィラが作ってくれたんですよ。リプレイ。
ここにまさにそのユニオンジャックをした赤とブルーの。あれをわざわざ着てね、やるんですよ。
あの時のオリジナルのやつがまたかっこよかったんですけどね。
かっこよかったんですよ。私も買いました。
持ってる?じゃあ。
持ってます。実家の。
確かにプラっぽいファッションってありましたね、当時ね。
ファッションだったらアディダス着てみたいなね。
あったあった。
そういう記号を背負うから、その都度背負うので今の自分はニュートラルっていう。どうでもいいかっこですよ。
なんかでもなんかどうでもいいかっこしてるイメージあります、最近のデイも。
なんかだって、さまざまにここに変なガム手ついたまま出てきました。
バメリー用のガムとかなんかがここについちゃってて、そのままでたくらんだみたいな。
あと僕はやっぱブラ派であることの理由の一つは、オエーシスってやっぱりアイデンティティが明確なんですよ。
確かに。
北部のワーキングクラスだっていうところから1ミリもブレないんですよ。
ただやっぱデモアルバムっていうのは、デビュータイミングってまだマッドチェスターが元気だった頃、90年なので。
だから最初の2曲、ゼアズのオアザベとか、バングとかあのあたりの曲って、普通にマッドチェスターのパクリですよ。
で、常にアイデンティティが揺らぎ続けてて、自分自身のアイデンティティを否定し続けるし、
最終的に自分たちのアイデンティティがどこにあるのかっていうのを見出せないままで、今ずっと来てるんですよね。
なるほどね。
そこはなんとなく共感ベースもあるんです、僕。
分かる分かる。
戦後に生まれた、もうアメリカに文化的にも警察的にも政治的にも影響を与えられて、それが当たり前。
1940年代以前の日本文化みたいなものから自分が切り離されて、それはもう自分の別物だと思ってた。
子供の時にやっぱりハンバーグ、カレー、スパゲッティっていうのはおしゃれな食べ物だけど、漬物、味噌汁、そんなもの食べたくないって本当に思ってた子供なの。
なるほどね。
それからすると、いやいやって10代後半ぐらいになってくると、それってちょっと完璧に洗脳されてたってことだよねっていうのに気づくようになって。
かといって1940年代以前のアイデンティティに自分がアクセスできるかっていうと、もう90%アメリカ文化でできてるわけですよ。
もう戻る場所がないんだっていう。
じゃあ自分たちはどうアイデンティティを作っていくんだっていうのを未だにやってる。
そこがブラのいいとこですよね、本当に。
やっぱりオアシスを聞いてると、どこまで聞いてもオアシスと自分の関係でしかないんですよ。
なるほど。
個人史なんですよ。ただブラを聞いてると社会が生み返ってくる、当時の。
自分が生きてた時代が生み返るし、当時の社会が生み返るし、当時のイギリスの文化が生み返る。
そういう多面的な記憶装置としては、もうオアシスとブラは全く違う。
オアシスはいつ聞いてもオアシスと私。
なるほど。
結立するんです。時代とは無縁の場所で、俺たちは俺たちであるべきだっていう。
なるほどね。
それ間違ってないんですけど。
ブラは歴史と流れていくんですよ。彼の個人自身も。
それを目撃してるって感覚ですよね、ブラを聞いてると。
なるほどね。
自分とブラとその時代とか社会っていうのがあるわけっていう。
確かに突然ジャマイコ音楽に接近したりとかね、リズムセクションがとかね。
ソロとかでも確かやってた気がするし、デーモンとか。
やっぱりそのデビューアルバムですごい鮮明だったのが、最初は完全にマット・チェスターだったじゃないですか。
でもその半年後ぐらいに彼らはジーザ・サンド・メリー・チェーンとかダイナソー・ジュニアと一緒にツアーに出るんですよ。
ローラーコースターツアー。
ローラーコースターツアー。
それはまさにシューゲイザーの祭りだったんですよ。
で、いつの間にシューゲイザーに裏返したんです?みたいな話になってくるんですよ。
確かにデビューアルバムを聴くとシングとか完全にシューゲイザーなんですよ。
そうですね。
あのなんか91年のUKの曖昧な感じ。
そのマット・チェスターがシュリンクしていって、シューゲイザーがふわっと出てくるみたいなあの感じっていうのを、レジャーを聴くともう本当に蘇ってくる。
なるほど。
どっちつかずのあんな感じこそがリアルだったっていう。
じゃあ、ブラーにとって実はブリッドポップって一つの救いというか、そんな感じではなかったんですか?どうなんですか?
ただやっぱりブリッドポップを始めたのは誰かと言われたら、明確にブラーだと言っていいと思います。
それはやっぱりその91年、92年の流れがあって、僕が信用している歴史館で、ジェームス・マーフィー史館っていうのがあるんですけども、
彼に初めて2000年頭に取材したい時に、ジェームス君は結局何がやりたいのっていうふうな話をしたら、
91年以前、あるいはアール・グリーンが北米のチャートで大ヒットしてたような時代を取り戻したいんだっていうふうに言ってたんです。
要するにアール・グリーンの時代、70年代っていうのは、ブラックホワイト関係なくリズム&ブルースみたいな音楽っていうのが全ての頂点にあった時代。
ダンサブルでもあるし、メロディアスでもあるっていうプロダクションとかソングライティングのことなんですけど、
その92年以前っていうのは、彼の歴史館で言うと、それまでの時代というのは、特にニューヨークとロンドンって距離的に近いじゃないですか。
で、なので完璧に彼は反アメリカになる。
アンチなんですよ。ブレッドポップの最初って。
なるほど、いやすげえ、まだ先だけど、いやこの後でもまたグランジに近づいていくじゃないですか。
それまた面白い話になる。
そこまで含めてでもその手前で。
92年って本当に面白くて、ブラがボコボコされた事件が一つあると。
あともう一つレディングフェスティバル、これは象徴的。
ヘッドライナーがニルバーナとパブリックエナミーという予選に3枠あるんですけど、2つがもうUSになってしまった。
それが当時イギリスで結構大問題になって。
もう一つはワンダスタフです。わけわかんないじゃないですか。
ワンダスタフ人気ありましたからね。
当時そうになったんですけど。
ワンダスタフは割とスコットランドとか、ブリティッシュだけじゃないフォーク音楽のバックグラウンドみたいなのがあって、孤立面のバンドなんですけどすごく人気があった。
今の歴史観で言うと90年代初頭のイギリスって、スクリーマデリカはあるわ、ラブレスはあるわ、すごい時代じゃんと思うけど、誰もそんなバンドはヘッドライナーできないわけですよ当然。
なるほど。
だからインディーバンドがナショナルチャートに入るなんて言葉はなかったんですよ。
なるほどね。
今は伝説の名盤というかそういうものだから、当時のビジネスのあれとしては小さいってことなんですね。
そのギャップは、クリエーションとかのギャップはオアシスまで埋まらなかった。
なるほどなるほど。
っていう段階で92年で要するにイギリスがそこですよね、ボトムボトムの状態にあるわけです。UKの状態が。
それで93年にモダンライフイズラビッシュってのが出ると。それが全ての出発で。
なるほどね。
でちょうどだから92年にイギリスを賑わしたバンドは何かっていうとスウェードなんですよ。
もうデビュー曲、ドラウナーズが出たのが92年なんですよ。
だから92年3年のスターはスウェード。でこれもデモアルバムみたいに意識的ではなかったけども、
ああいうグラマラスでグルービーでっていう当時のアメリカグランジ的なものとは全く違うことをやる。
で、スウェードのフロントマンとデモアルバムそれぞれのフロントマンの一番音楽的なテイストをきちっと彼らに植え付けることをしたのが共通のガールフレンド。
ジャスティン・フリッシュマンっていう。ここでオエイシス、ブラーバーサスって話よくありますけど。
その前にスウェードバーサスとブラーがあったんですよ。ジャスティン・フリッシュマンってエラスティカの後のボーカルになるんですけど、
彼女がブレッド・パンダーソンと最初大学時代に付き合ってたんですよ。
ブレッドと?それ全然知らなかったですよ。そのバトルがあったことは。
でもそれをデモに略奪されてっていう事件があった。
タイ、アメリカ、イギリス、バーサス、UK、バーサス、ユナイテッド・ステイツっていう文化的な対立もあったし、そのUKの中でも、
じゃあブリティッシュネスっていうのは何なんだっていうような対立がぐしゃぐしゃぐしゃと起こり出すのが92年。
93年の4月か5月だったと思うんですけど、セレクトって当時イギリスで雑誌があって、その雑誌が初めてブリッド・ポップっていう単語を名文化したんです。
これから時代はブリッド・ポップだから、ヤンキーゴーホームって表紙に書いてある。
その表紙を飾ったのはブレッド・アンダーソンです。
でもそれって、僕のイメージではブリッド・ポップってある種受け入れ家みたいなイメージがあったけど、どっちかっていうと、
メインストリームにあるアメリカに対するアンチっていうかパンクみたいなオルタナティブみたいな感じがあったんですか?
良く言えばパンクだし、悪く言えば負け犬の遠吠えなんですよ。当時はまだ。
失敗するとネトウヨみたいな感じになるような、ある種の保守主義というか。
本当に保守主義で、その雑誌も当時読んでましたけど、寝るシャツを脱げと、とりあえずお前は。
リードで書いてあるんですよ。まず寝るシャツを脱いで、その汚い髪を洗って切ると。
お前もイギリス人なんだからスーツを着なさいって、そのリード文に書いてあるんですよ。
めちゃくちゃおもろい。
ちゃんとオシャレをして、僕たちのビートズの時代から受け継いできたメロディを取り戻さなきゃダメだと。
必要なのはブリッドポップなんだっていう特集なんですよ。
最大の仮想的はカートコバーンってことなんですか?
そうです。だからグランジムーメントでしたね。
静岡の田舎者の俺ですら寝るシャツ着ちゃったからね。
92年、3年って言ったら。それはすごい影響力だったんだね、グランジはね。
そこまでの速度が速かったんです。最初デーモン・アルバーンがスーツを着てステージに出た時にはバカにされてるんですよ。
でもそこから全体がそれを発火点として、もう対反アメリカナイズにガーッと行っちゃうのが93年の動きです。
そのナショナリズム前夜みたいなものに加えてもう一つ大きかったのがオプテミズムなんですよ。
フォートムーローが鳴った瞬間にみんな気付いたんですけど、
あの曲って要するにモダンライフはもちろんクソだけども、でも明日のためになんとか頑張ろうよって曲なんですよね。
その根底にあるのは要するに死にたいとか、世の中もう終わりだみたいなことを歌ってるグランジに対する反発なんですよ。
お前たちに何百万万レコード売ってるのに死にたいとか言うのか。それよりも日常生活でひいひいこっちは言ってるんだよと。
それで希望を謳わなきゃいけないと言ってフォートムーローは生まれるわけです。
地に足のついたオプテミズムがそこで生まれるわけです。
これは当時ノエルも言ってたんだけど、本当にムカついたとグランジの連中が死にたいとか言ってるのが。
こっちはもう仕事もないし、失業保険で食ってる俺たちからしたら、
デカい車乗っていい子買いに売ってるお前たちが死にたいとか言うなと。
だったら俺はもう生きてやるんだって歌うんだって書いたのはリブ4やから。
でも俺はどうしてブリッドポップに感情にできたか今すごい分かった。
そういうの、そっから出てきたのがパンクだったりブリッドポップだったり。
なるほど。これを抑えておくべきことなんですよ、確かにね。
これは先の話になりますけど、ブリッドポップの終焉もまた政治なんですよね。
ブレアが出てきたことでニューレーバーが始まるわけですよ。
ある意味政治にブリッドポップが利用されたとも言うんだけど、そこで何かが新しく変わったとも思わされちゃったんですよね。
今こんなに楽しんだから世の中でうまくいくはずみたいな。うまくいかなかったんですけど。
ブリッドポップの始まりはむしろ保守党政権の末期ぐらいの、本当に悲惨な状況。
当時ロンドンとか行くとね、そこら中にホームレスが寝てるみたいな。
逆に言うと90年代半ばまで、ロンドンは過ごしやすかったんですよ。
例えばサウスロンドン行けばね、危険だからっていうふうに言われたんだけど、
やっぱりだらしない人間がだらしないまま生活できる環境だったんですよ。
それがクールブルタニア、ブリッドポップの時代95、6、7になっていくと、一気に、ここ2、3年の東京渋谷と同じですよね。
ジェントリフィケーションの波が一気に押し寄せて、あれだけ汚いアーティストがスクワッターやってた街が全部きれいになって、
高額侵入者が入ってくるみたいなことが90年代後半にガーって変わっちゃうんですよね。
ほんとに90年代前半にロンドンに行って、食べるもの、まともに食えるものはインド料理だけっていう時代の方が個人的な愛着があります。
住んでる人からしたらね、こんなもう50年もずっと経済成長下がり続けてる国、若者どうすりゃいいんだっていう。
今のたぶん10代、20代の人が感じてるような感覚だっただろうから、あれなんだけど。
この豊かな、まだ90年代前半、日本は失われた30年、始まったところですから、の人間からロンドンに行くと、
こんな東京のテンションだらけの空気感に比べるとロンドンってほんといいな。
80年代なんて逆にイギリスどん底だったですから、日本行動バブルガンガンでしょ。
ロンドン行ったら日本人だらけだったんですよ。日本人の学生がとにかくいるっていう。
で、とにかくパンクが大好き、インディーが大好き、みたいな流れで90年代の日本におけるUKインディーの流星っていうのが繋がってるみたいな。
くぼけんさんもその頃行ってた感じですかね。
ブラはその変説、やっぱりまさに最初半アメリカナイズで始まった文化的な動きが、
そのセカンドアルバムも最初はXTCのアンディ・パトリティをプロデューサーに迎えてやるんですよ。
それが全然上手くいかなくて大喧嘩になり、なおかつ当時のブラーって、オアシスがクリエーションレベルだったじゃないですか、インディー。
その後ソニーの参加に入りますけど、ブラーもフードレコードっていうインディーレベルだったんですよ。
で、EMIがお金を出してる。そこからこんなレコード絶対ダメっていうダメ押しもくらい。
で、もうアメリカからの経験はひどい目にあい、本当レコード作れるのかよっていうギリギリの線で作ったのがモダンライフ。
これも日本でも全くプロモーションされませんでした。
当時すごい覚えてるんですけど、本当にプロモーションがなくて、ただ当時結構インディー系のクラブがすごい多かったです。
下北沢とかQとか王子の3Dとかそこら辺に私通ってたんですよ、高校時代に。
もうむっちゃくちゃモダンライフ盛り上がってたんですよ。
なんかもうそのなんかいきなりみんなファッションが変わるみたいな。
小川さんぐらいが当時10代後半ですよね。
の子たちの女性ファンが特に東京ですよね。
のインディークラブ、英語で言うとスクールディスコで最初にマーケット作ったんですよ。
でも本当そんな感じします。女性ファンが多かった。ブラーとかオアシスも全部そうだけど。
本当にみんな寝るシャツ着てたのがその段階でマーチン履いてロールアップシャツ着てた。
そうなんだ。
それはもうパークライフ1個はもっと明らかだったんですけど。
初めてそれでロールアップするんだやっぱりそこはみたいな気づいたのはモダンライフでしたね。
ただ本当にそのオーバーフェイスでのプロモーション。だってロッキングでもそのページじゃなかったですもんね。
ロッキングでも必死に僕と当時のイギリスのコレスポンデットの山下有利香さんがブラーファンだったので。
カラー4ページを必死に撮った。そこが上限でした。モダンライフ。
でも本当にもうみんなでB面とか駆けまくってて当時にクラブでは。すごい盛り上がってたんですけど。
俺DJ始めた頃です。
その少し後になるとソニーが主催するクラブロックスというのが始まって、エピックソニー主催だったんです。
そこで一気にそのインディーシーン、東京のインディーシーンがまたバーンと跳ねるんですけど、その前夜ですよね。
下北とか新宿の花園とか、そこら辺でポツポツと会ったの。
金ちゃんとかがめっちゃ回してる時だよね。金ちゃんって説明してください。ユーチューバー的に。
わかんないよね。
わかんないです。スカパラの。
違う違う違う。チャーベ君とかと仲のいいデザイナーで、あとはなんだっけ、ブリッジだった人。
ブリッドポップ期、その前にニューウェーブオブニューウェーブとかね。
懐かしい。
ニューモッズオブニューモッズっていうジャンルもあったんですよ。スーパークラスとかはニューモッズオブニューモッズって最初言われたやつが。
チーズアニマルマンがニューウェーブオブニューモッズ。
じゃあもうあれなんですね。苦労したんですよイギリスはとにかく。
とにかく。
カテゴライズに苦労してた。
とにかくトレンド作らなきゃ。
じゃあもうブリッドポップって大発明みたいな言葉として。
ブラムはニューモッズ的扱いされてましたよね。
だからその2つの言葉でなんとなくスウェードもブラムも。
スウェードはネオブラムって言われてました。
だからマッドチェスターの後の大きな名前をつけなきゃなんないんだけどっていうのがなかなかつかなくて。
ネオネオってついてても全然盛り上がらない。
そこでブリッドポップっていう。
これだーっていう話になった。
だから逆にあの頃はまた70年代後半と違ってインディーレベルがバーっと力を持ったので。
逆に当時のインディーから出てたものって権利がよくわからなくなったりとか音源がわからなくなったりとかして。
ストリーミングサービスで聞かれないものが山ほどあります。
CD探さないとも見つからないインディバンドって当時90年代前半から山ほどあるからみたいな時代だったんですよね。
いやーすごい。すごい。
それで出てきたんだっていうのは不思議ですねブリッドポップね。不思議というか早口筋道だったかみたいな。
93年が始まり。
93年にブラがねサイラインしたらむちゃくちゃちゃんとしてて。
去年見てあれは何だったんですみたいな。
あの金返せっていうライブはみたいな。
ちゃんと演奏していてあれみたいな。下手なんですけどやる気があるみたいな。びっくりしたっていう。
まあどうでもいいって感じでしたよ。
アメリカでもひどい目にあったしよくわからないものを食べてるよくわからない言葉をしゃべる日本に来て何すりゃいいんだみたいな。
でもどうです覚えてます?ガールズ&ボーイズがリリースされた時、パークライフがリリースされた時ってどういう記憶でした?
鮮明に覚えてます。ガールズ&ボーイズは。
当時BとUKで初めて流れた時にもうなんか目の前の色彩が変わった。
もう本当にビビッドでそれまでグランジの時代ですから全て透けてたんですよ。
ブルーグレーだったりグレーだったりなんかちょっとそのもわれた映像だったりとか集計じゃないですか。
それがすべてテクニカルに変わった。赤と青とブルーと黄色とっていう。
あ、色がついたみたいな。その中ではフィラを着たデーモンがいまだかつてなくおしゃれにかつ彼のあの良いビジュアルを最大限に活かす。
ヒゲも綺麗に剃って。ピカピカのアイドルのような顔をして。
そして後ろには上半身裸の男性たちと水着を着た女性たちがキラッキラで踊っているっていう。
ブリッドポップ。太字でボボボボって出てくるみたいな。
当時も大学入りたてで音楽サークルに入ったんですよ。全員デーモンアルバム。
みんなフレットピリーを着るか、フィラのパーカーを着るか、もしくはロンズデールって書いてある。
パーカーを着るか。
ついこの間まで穴の開いたデニムを履いてた子たちが、もうノンウォッシュのブルーデニム、ちょっとくるぶしが出るぐらいのを着て、
足元はコンバースか、クロークスか、もうマーチン。しかもマーチンはレッドね。
っていう風景が変わったみたいな。
どこ行ったみたいな。メリシア2みたいな。
フランジ終わったっていうのは1994年の4月です。完全に。この4月は本当にすごい月で。
4月8日ぐらいにカートコバーンがなくなるんですよ。
カートコバーンがなくなった1週間後ぐらいにオアシスのスーパーソニックが出るんですよ。
その月末にパークライフが出るんですよ。
当時ロッキングオンは、時号はブラー拍子って打って予告出してたんだけども、カートがなくなったんでカート拍子に変わったんですよ。
5月売りが。それを鮮明に覚えてて、あ、ブラーじゃなくなったんだ。カート死んだからみたいな。っていうものが転換期。
カートっていう象徴がなくなって、プリットポップが来たんです。
まだめっちゃ野球してましたわ、90年代。
覚えてるわ。
すごい覚えてる。確かに六本木のウェーブかなんかで、スーパーソニックのシングルCDを初めて買った時のポップに、
ローゼスのセカンドなかなか出なそうなんで、とりあえずこれを聴けって書いてあって。
それで買ったみたいな記憶です。
すべて4月に起こったんですよ。
ロッキオン編集部でしょ。だからパークライフのロッキオンの関東の原稿をその時書いたんですよね。
総状態のアルバムなので、原稿も今読んでも相当総状態。
なるほど。確かに確かに。
すごいでしょうね、それはね。
で、なんか、あれがないですもんね。モダンライフの時にあった屈折みたいなものはすべて消え失せて、
薬やったみたいな灰になってるっていう。それもすべて計算づくなんだけども。
そう、だからブラーアルバム97年に出た時にグレイアムにインタビューしたことがあって、
パークライフとその後のグレートエキスケープで今回のブラーアルバム、それぞれドランクに例えたい。
すごい。
で、当時ブラーアルバムが出たタイミングだったので、俺はパークライフはコカインアルバムだと思う。
で、グレートエキスケープはこれはザナックスのアルバムだと思う。
あの当時英語圏で流行ってた精神安定剤です。
言ったことないからわかんないけどね。
そうです。で、とすれば今回は何?ってブラーアルバムのことを聞いたら、
まあ、ヘロインかウィードだねっていう。
で、その2つのアルバムについてのアナロジーっていうのはかなり正確だと思って言ってたので、
本当にある種の相乗体を切り取ったレコードだと。
しかもその相乗体だったパークライフは4月に出たんです。
その直前の風景ですごくブーてるのが、3月ぐらいに、2月か3月にベッグのメロウゴールドが出るんですよ。
ルーザー。
で、ルーザーの、要するになんか殺してくれっていう歌詞が流れて、
当時のアメリカのグランジの終わりかけですよね。
もうすぐカートが死んでしまうってところの、もう絶望と大敗と、なんかもう行き止まり感っていうのが、
あのゆるゆるの音で流れたその翌月ぐらいにパークライフが来たって。
なるほど。
もう本当にその3月4月でもうなんか変わったんですよね。
すごいですね。
後藤さん野球してたっておっしゃいましたけど、僕はJリーグ開幕直後だからサッカーやってました。
俺その次の年、95年に東京に出てきて、今言ってどっちも知るってことですね、パークライフと。
じゃあもう変わった後の世界に飛び込んだってことですね。
そこで追いつく。
っていうか、こんな世界があったんだと思って。
あの時はいろんなもの作装してて。
作装してました。だって5月にレディオヘッド発売日です、確か。
それも覚えてて、なんかこんなに私たち今楽しいのに、ブリッドポップでパークライフでフーフーってなってんのに、
なんか行ったらトムヨークがステージで泣いてるみたいな。
クリープですね。
クワトロね。
そうクワトロで泣いてて、なんかどうも様子が違うぞみたいな。
ただ最終日のちったは、世界で多分あれほど楽しそうなレディオヘッドの5人はいないってぐらい。
良かったですか。
多分レディオヘッドもカートコバンなくなりました。
その直後にマニックスレトリートプレイジャーズのリッチが失踪してんの。
で、セカンドアルバムを作ろうとしてて。
で、メディアからは次死ぬのはトムヨークだって書かれてた。
最悪だな。
で、その時期に俺はちょうどセカンドアルバムのザ・ベンツ。
まだ名前がついてないアルバムのレコーディング中に取材に来てくれって。
その直後に来日公演があるから。
で、行かしてもらったんです。
で、ようやくその頃ってUKインディロックが日本ですごいマーケットがあると。
そのマーケットを経営してるのがロッキオンマガジンだってことになったので。