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こんにちは、お酒を辞めて人生変わった元ノンベーライフコーチのきりんです。このチャンネルでは会社員として働きながら、ライフコーチとしての企業独立を目指している私の日々の気づきや取り組みなどをアトプットしていきます。
今日は、このスタンドFMでしゃべるのは、セルフコーチングみたいな効果があるかもしれないということを思ったお話をしたいと思います。
今年の元日からこのスタンドFMを始めてみて、最初は1分しゃべるのもすごい長く感じたんですけれども、ちょっと慣れてきまして、最初は何回も撮り直しとかしてましたけれども、
今はほとんど撮り直しはなくて、ちょこちょこつなぎ合わせというか止めながら思ったことをポツポツ話している感じなんですけれども、なので今日こういうことを話そうかなっていうぼんやりとしたところだけ決めて、
あとは別に台本もないですし、特にプロットもなくダラダラと話している感じなんですけれども、それが逆に良いのかなと思っていて、コーチングを受けるときもそうですけれども、
今日これをテーマに話そうかなっていうのを考えているわけなんですけれども、やっぱり実際にコーチの方に質問していただきながら、自分で考えを話している間に自分の考えに気づいたりとか、
やっぱり頭で考えているだけのときと実際に声に出して話したときって全然出てくる感情とか情報の量が違うなっていうふうに思っていて、話している間にまた自分の声が入ってくるわけなので、それがまた反数して、
またいろんな記憶とか感情が、そういえばこうだったな、話しているうちに思い出したんですけど、みたいなことが結構起きてくるんですけれども、それがこのSTAND-FMで話しているときにも同じことが起きているのかなっていうふうに思っています。
コーチングのセッションもそうなんですけれども、セッションの中でもちろん話している間に出てきた言葉とか感情っていうのもすごく大事なんですけど、結構セッションが終わった後にじわじわ出てくるっていう、なんかボディーブローのように聞いてくるっていう表現をよく使いますけれども、
そういう状態が続くことがあるんですけれども、それがSTAND-FMでも同じことが起きていて、話してロックオン終わって、一回変なところがないかとか含めて聞き直すんですけれども、それを聞き直して、
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概要欄のところを書くんですけれども、またそれを書いている間にまたしゃべっているときには気づかなかったこととかいろいろ思い出してきて、また書きたくなったりとかしてきています。
一応概要欄を書いて、公開ボタンを押して、それをTwitterというかXの方にシェアをするんですけれども、またそのシェアするときにもう一言なんかしゃべっていないこととか含めて添えたくなるときとかもあって、どんどん言葉があふれてくるというか、そういう連鎖が起きるんですよね。
同じことを題材にしても、やっぱり口でしゃべるのと、またノートとかブログに書くのって同じことを考えながら書いてるんですけど、書いたりしゃべったり、題材としては同じことを扱っているはずなんですけど、やっぱり出てくることっていうのが若干違くて、やっぱり口語と文体っていうんですかね。
それはどうしても書いてるときはその文字を見ながら、どうしても整理をしながら書いて、また消してとかっていうのが発生するので、またしゃべるのとは若干出てくる言葉とかが、言葉選びが変わってくるのかなっていう。
だから両方やっぱりやる、同じことでもしゃべってまたそれを書いて、逆のパターンもあるかもしれないんですけど、両方やってみるとより自分の気持ちも明確になるし、またそれをやる工程の中で、さらに自分の中で考えが深まったりとか、奥底にあった感情とか記憶とかが呼び戻されていく感じがして、それがまた言語化されて、またなんか気づいてっていう中で、
なんかいいサイクルが生まれてくるのかなっていうふうに思いました。
なんかすごい不思議だなと思うのが、この収録ボタンを押したらしゃべれるんだけど、収録終わって何もしてないときに、一人で家にいるときにしゃべってるかっていうと、そんなことはないので、
なんかそれはただ一人ごと家でやってる人みたいになるんですけど、でも後陣効果あるんだったら家でも一人ごと言えばいいんじゃないかなって思うんですけど、やっぱりそれは何かなぜかやらないんですよね。
話し手1のことは、やっぱり聞いていただける誰かがこのスマートフォンの向こうにいるっていうふうに思えることが、もしかしたら一人かもしれないし、数人かもしれないですけれども、聞いてもらえる相手がいるっていうのは、なんか人の繋がりとかそういうものを感じられるいいツールだなっていうふうに思いますし、やっぱり人は一人だとしゃべれないんだなって、
一人でしゃべってる人たまにいますけど、普通はやっぱり相手がいないとしゃべれる、相の手があるわけではないんですけど、相手がいることでやっぱり人ってしゃべりたくなる生き物なのかなっていうふうに思いました。
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話し手1のことは、言語というものを使って、もちろん動物もいろんな鳴き声とかいろんなものを使って仲間とコミュニケーションを取るわけなんですけれども、ここまで言語というものが発達している生き物は人、人間しかいないわけなんですけど、何で人間が言語が発達したかっていう話をこの間、勝間和夫さんのメルマガかなんかで聞いたんですけど、やっぱりその
人が噂話がなぜ好きかみたいなところにも変わってくるんですけど、ちこちゃんでも同じことをやってた気がするんですが、
人の噂っていうのは、あの人がどういう人だとかっていうのを、信頼できる人かどうかとか、あいつはやばいみたいな、そういう情報を交換するために、やっぱり種族として生き延びる生存戦略として、
仲間の群れの中にやばい奴がいたら、その群れ自体にリスクというか危険が及ぶわけなので、やっぱりそういう人を排除したいと思うんですけれども、だからその生存戦略として言葉が発達した、あいつはやばい奴だみたいなのを情報交換するために発達したっていうのが、そういう説が濃厚らしいんですけど、
しゃべるっていうのは、よくも悪くもその人となりを伝えるツールになると思うので、もちろん文字で伝わるところっていうのもあると思うんですが、文字よりもこの音っていう、何ていうかな、波形っていうか、振動でまた伝えられる部分、人間的な部分っていうのが、それがやっぱりあると思うので、
人となりを伝える、よくも悪くも自分がどういう人間かっていうのを伝えるツールとしては非常に有効なのかなっていうふうに思います。
声ってやっぱり他の、文字は同じものを使っていてもやっぱり声はその人にしか絶対出せないものなので、そのユニークさを伝えるには有効な手段なのかなっていうふうに思います。
声ってやっぱり好き、いい声とかっていうのももちろんありますけれども、明確にこれが良い悪いっていうよりもやっぱり個人で好き嫌いっていうのがあるし、この人の声好きだなとか喋り方とか、声だけじゃなくて話すトーンだったりとかスピード、言葉選び含めてだと思うんですけど、
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やっぱり好き嫌いっていうのがある。それは文体でももちろん好き嫌い出ますけど、人柄が出るところではありますけれども、それがより空気感として伝わりやすいのかなって思います。
スタンドFM、YouTubeもそうですけど、それを始める時の自分の中のハードルとして、録音した自分の声ってめちゃくちゃ気持ち悪いじゃないですか。
自分ってこんな声なのっていうのを、それを聞くのがすごい嫌なんですけど、いまだにセッションの録画とか見直すのすごい嫌なんですけど、周りにはむしろそう聞こえている、それが普通に私の声だとして聞こえているらしいっていうことなんで、
なんかそれはもう何年やっても慣れるものじゃないというか、違和感はなくなることは決してないっていうのは、誰だっけな、ミノモンタだっけな、ミノモンタかアナウンサーの小倉智明さんか、ベテランの方でも、あんだけテレビとかに長年出ているベテランの方でも、
あの違和感はなんか消えることはないみたいなことは言っていたので、もうそういうもんだっていうふうに、これはもう割り切るしかないっていうのは、これはもう腹をくくりました。
今こうやって話、今10分ぐらい喋ってる感じなんですけど、最初に始めた頃はもう1分でもすごく長く感じたのが、今10分ぐらい喋れるようになってきたので、やっぱり積み重ね、最初はもう苦手意識すごくあったけど、やっぱりやっていくうちに慣れていくところもあるし、
こうやって喋ることが自分の、誰かのためっていうよりは結局自分のためになってるなっていうことが理解できてきたので、そうするとまた続けるモチベーションというかにもなってくるし、なんかあんまりガチガチにこういうことを話さなきゃとかいいことが言わなきゃとかっていうふうに思わずに、
自分の思考整理のためのセルフコーチングみたいな意味合いで、とりあえず喋ろうっていう感じでスタートボタンを押せるようになってきたので、それはすごくいい自分の中でサイクルというか習慣になってきてるかなと思うので、今後も続けていきたいと思います。
スタンドFMやってみたいけど、ちょっと始める勇気がみたいな方がいれば、私もやってみたいって思ってから始めるまで1年ぐらいはかかったので、最初の一歩を踏み出すお手伝いがこの放送を聞いて、もしできたら嬉しいなというふうに思います。
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今日もお聞きいただきましてありがとうございました。