コーチの役割とシャンパンタワー
おはようございます。人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨ててライフコーチとして独立した私が、これから企業復業を目指している方の背中を押せるようなお話をしていきます。
今日は10時から毎週のコーチとクライアントさんのミーティングがありますので、 手短に話していきたいと思います。先に告知だけさせてください。
昼スナック10月も開催します。10月21日火曜日午後1時から午後5時まで、場所がいつもの東京若坂のスナック引き出しさんです。料金体系等は概要欄でご確認をお願いします。来ていただける方は応援いただけると助かります。お待ちしています。
今日はですね、コーチの仕事はシャンパンタワーのてっぺんになることという話をしたいと思います。
だいぶ前かな、以前の放送でもコーチは歩くパワースポットだよねっていう話をしたことがあるんですけど、それに近い考え方ではあるんですが、
シャンパンタワーって、私も結婚式ぐらいでしか見たことないけど、
シャンパンを注ぐのは常に一番上のグラスですよね。そこがまず最初に満たされて、そこが溢れると下の段にどんどん流れていって、そこに溜まっていくっていう、それがどんどん下に流れていくと思うんですが、
コーチというのはクライアントさんだったり、周りの人間、周りの方たち、大切な方たちにとっての、この一番上のグラスのような存在だなと思ってまして、
コーチ自身が満たされていることで初めて、その溢れたエネルギーが他の方に流れて、降り注がれていくという順番だと思うので、
自分が枯渇してしまっている、満たれていない状態では、他の人を満たすことができないという存在だと思うんですよ。
ということは、まず最初にすべきは、自分にシャンパンを注ぐことですね。自分を満たすことなんですよね。
先日、クライアントさんとセッションをしたときに、すごいエネルギーが落ちている、本人も疲れているっていうふうにおっしゃってたんですけど、すごいエネルギーが落ちてるなっていう感じがして、
オンラインの場ではあったんですけど、話をしていく中で、だんだん明るく元気になっていく、本当にもう今日疲れてるから、ちょっと早めに終わっていいですかって前半の方で言われてはいたんですけど、
結局通常の2時間ですね、話はしたんですよ、早めに終わらずに。
私もどうしようかなって一瞬迷ったんですが、そこで早めに切り上げて休んでいただくっていうこともできたんですけど、
ただそのエネルギーが注がれていない状態でただ休んでも、これはあんまり回復しないだろうなぁと思いまして、
私ができることは早く休んでもらうことではなくて、やっぱりエネルギーをお渡しする、回復するためのエネルギーをお渡しすることだなと思ったので、
本人がギブアップしない限りは、時間までお話しようと思っていました。
ご本人のエネルギーが落ちている原因として、いろいろご家族の事情とかがありまして、なかなか外に出る機会ですね、
特に人と会ったりとか遊びに行ったりっていう時間機会がなかなか取れていないっていうことが原因だったんですね。
でもその中でも営業活動を頑張っていらっしゃるので、オンラインでひたすら人と話すという活動は継続されています。
そういう状況が続くと何が起こるかっていうと、やっぱり人とひたすらオンラインで話すって疲れるんですよね。
オンラインの疲れ方とオフラインの疲れ方ってやっぱり違くて、オフラインで会う疲れ方ってやっぱり
違うんですよね、質が。なんかすごい疲れるんだけど、でも受け取るものも大きいんですよね。
人と会うことでいただけるエネルギー、エネルギーの交換が起きるので、確かに疲れるけどでもとても受け取れるから、なんか元気になって帰ってくるみたいな
ところがあるんですけど、オンラインって
どうしても消耗する方が多くて、あんま受け取れないみたいな
っていうところがあるなと思って、だから時間は短くてもオンラインの方が疲れるっていうのがあるかなと思います。
その疲れている状態で営業活動に励んだところでですね、やっぱりその相手に
与えられるエネルギー量も少ないので、結果的に相手が受け取れるエネルギーが少ないから
次に繋がらない、この人にお願いしたいと思ってもらうまでに至らない
という悪循環が起きてしまっていたなと思います。結果出ないからさらに本人も落ち込むみたいな
そういうループにはまっちゃってるなっていう感じがしましたので、結果が出ないときほど
自分を満たせていないということをやっぱり認めてと言いますか、自覚をして
そういうときこそ休むとか遊ぶですねっていう時間を取るという勇気が必要だなと思うんですよ。
やっぱり本人も確かにそういう時間が最近全く取れてなかったですという話の中で、ただその今の
制約がある中でできることってないのかなっていうことをやっぱり考え始めて
なんか高齢だったら遠出はできないけど、家の近くでこういう遊び方だったらできそうだな
これだったら趣味を楽しむことはできそうだなっていう話も最後の方に出てきたので
どんどんやりましょうと、そういう話もしましたし、あと今その介護関係の手続きとかもいろいろされているそうなので
それが順調にですねいけば、対面セッションも久しぶりにできそうだなという話もあったので
また直接お会いして私ももっとエネルギーを渡してきたらいいなというふうに思いました。
親の影響と学び
最近そのエネルギーというですねこの目に見えないものではありますが、それを扱う中でその自分が消耗するときとしないときって
どういう違いがあるんだろうっていう話を先日私の対談にも出ていただいた
壁打ちのさきさんが別の方とまた壁打ちの企画でお話しされてたのを聞いて、確かに確かにって思ったことだったんですけど
相手が満足してくれるかどうかを心配しすぎる、恐れるような気持ちがあるとやっぱり自分が疲れてしまう
相手を楽しませよう、楽しんでくれているだろうかという気持ちが強いと自分が消耗してしまうだけれども
自分自身が楽しもうという気持ちで、自分自身が楽しんでいてそれによって相手も楽しんでくれるに違いないという確信が持てているときって
全然疲れないよねっていう話だったかなと思うんですね
私それすごい確かにと思いまして
やっぱり子育てとかをしている中で子供のためにみたいな、子供を楽しませよう、子供に何かいい経験をさせようみたいな気持ちで
子供との時間を過ごしていると結構疲れちゃうんですよ
なんですけど、自分自身が楽しいこと、好きなことに子供を巻き込む
自分のためにもなるし子供のためにもなるよね
子供も一緒に楽しめるよねっていうことをすると疲れない
これすごい大事だなと思ってまして
この話から自分の父親のことを思い出しまして
改めてうちの父親すげえなって思ったんですよ
というのもうちの父親はかなりサラリーマンとしてもすごい働いてた方だと思います
なんか記憶では毎日夜9時とか10時ぐらいに帰ってきていた気がするんですよね
そんなに遠くないんですよ
電車で3駅ぐらいの場所だったんで
通勤が長いというよりは単純に遅くまで仕事をしているっていう状態でしたし
それから帰ってきて夜ご飯食べてとかですし
土日は土日でなんか家で仕事しているような時もあった気がするんですよ
その状態で土曜日は会社の人と午前中テニスやってて
日曜日は町内会ソフトボールクラブみたいなチームみたいなところに入ってたから
それも午前中ソフトボールの毎週ではなかったかもしれないですけど
練習がとか試合とかがありました
で夏休みとかそういう休みの時はキャンプとかバーベキューとか
そういうのも連れてってくれましたし冬はスキーも連れてってくれましたし
結構その会社関係の行事だったり町内会の例えばお祭りとかそういう行事とかもやってましたし
PTAの小学校のPTAの会長もやってましたし
ていういろんなその社会活動的なものもやりつつでもちゃんとその子供と遊ぶ時間も取ってくれていたので
外遊びもそうだし出かけたりするのもそうだしあと家の中ですよね
親の活動と楽しみ
トランプとかボードゲームとか何でしたっけ
どんじゃらマージャンみたいなやつ子供版のドラえもんのやつがあったんですけど
そういう地域的な遊びを結構教えてくれたしパソコンも触らせてくれたし
なんかいろんなものに触れさせてもらえたなという記憶があるんですよ
あんまり家事はやっていなかった気がしますけどね
母親が発病するぐらいまでは家のことはあんまりやっていなかったような気はするけど
なんか常に活動していた人だなという記憶があるんですよ
すごい体力があるなとでもなんかそんなにこう疲れてるっていうか
まあなんかよくそのねご飯食べて横になってうとうとしてるみたいな
そういうよくあるお父さん像はありましたけど
なんかその消耗してる感疲れてる感っていうのはあんまり感じてなかったなと思って
その理由がなんかちょっとわかったような気がして
要はその子供に対してもその地域のというかいろんな活動に関しても
なんか結局自分がただ楽しんでいるというか
やりたくてやってるだろうなとあんまりその自己犠牲を払ってるわけじゃなくって
あくまでなんか自分が楽しむ前提でやってるんだろうなという気がしました
キャンプとかスキーとかって連れてくのめっちゃ大変じゃないですか
まずその道具をね一式揃えてっていうだけでも大変だし
それを車に積み込んでキャンプ場まで
昔なんてねナビなんてないから地図見て運転していくわけですけど
そういうのも一個一個大変だし
バーベキューとかもそうですよね
そういうのも全部子供のためにやってあげようみたいな感じでやるとめっちゃ大変なんですよ
なんですけど本人が多分やりたかったんだろうなみたいな感じがするんですよ
スキーなんてねそれこそ学生の頃からやってたでしょうから
要は自分の趣味に子供を付き合わせてるっていうだけだったんだなと思いまして
そういう遊び系も基本的に全部そうで
自分が好きじゃないけどでも子供のためにやってあげようみたいな気負いが強すぎると
楽しんでもらえなかった時に
なんでこんなにやってあげたのにみたいな気持ちが多分出ちゃうんですけど
でも自分が好きなことに子供を付き合わせている場合は
子供が気に入らなかったとしても自分が楽しめたからいいかなになる気がするんですよね
そうすると心が消耗しないから折れないからまたやろうとするみたいな
またやる元気があるっていう
それができてたからあんなにエネルギッシュだったのかなって思ってきました
自己満足と子供の喜び
自己犠牲を払わないっていうのがすごい大事ですね
昨日短いYouTubeをVlogを出したんですけど
先月埼玉のキャンベルタウンや長野森っていうところに行ってきた様子を簡単にまとめてるんですが
それも結構遠いので片道2時間以上かけていくので結構疲れる
体力的には確かに疲れるんですけど
もちろん娘が鳥さん好きだし聞いたら行きたいって言ったから一緒に行ったっていうのはあるんですが
そもそも私が行きたいっていう
そこに娘を乗っからせてる
ここ行きたくないって言って行きたいって言わせてそうだよね
行きたいよねっていう風に乗せてるから子供のために連れて行ってあげようみたいな
相手のためにっていうあんまり重くなりすぎずというか
むしろ私に付き合ってくれてありがとうぐらいの感じになるので
本人が楽しんでくれるに越したことはないんですけど
本人以上に実は私が楽しんでいるみたいなところもありましたので
そうすると私も満たされる娘も満たされる
だからお互い満たされていい時間だったねっていう感じですよね
万博も一緒かなそういう意味では
私自身の知的好奇心とか欲みたいな旅行したい欲出かけたい欲を満たす上で
さらに娘も喜んでくれるというプラスになるっていう感じかな
子供のためという大義名分を使って自分が楽しむことができるっていう感じかな
そういう感じで都合よくねやっていけるといいんじゃないかなと思いますんで
なんかそのいい意味で自分都合でいろいろ考えちゃっていいのかなと思います
いろんなプランを立てるときに相手が喜んでくれるかももちろん大事なんだけど
まず自分自身が楽しめるものであるかというものを優先しちゃっていいんじゃないかなと思います
そうやって自分を満たしてあげる自分自身が本当に楽しんでいることが
結果的に相手を楽しませる相手に楽しんでもらうエネルギーを与えることができるのかなと思います
はい今日これからミーティングの時間なので終わります