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2024-10-21 10:42

#30 ロンドンで主夫になって2年が過ぎたので振り返ってみた(後編)

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サマリー

ロンドンでの主夫生活によって、自己の基準や目標が再評価され、自由な環境の中での自己理解が深まります。また、主婦としての役割がストレスの少ない生活に寄与し、他者へのサポートを意識することの重要性も強調されます。

主夫としての自己評価
会社にはここまで求められているとか、会社の同僚はここまでやっているとか、後輩はここまでやっている、先輩はここまでやってたとか、
あのリクルートの時だと営業成績がこれぐらい目指しているのに、これぐらい足りない。まあそれはね、当然ノルマはやらなきゃいけないんですけれども、
ノルマを超えたところで掲げる目標っていうのが、果たして本当に自分がやりたいことなのか、それをやった先に自分が何か意味があると、
本当に感じているものなのかっていうものを少し置いといて、 いや、わざわざ勝者を辞めてリクルートに入った自分はこういう目標を立てるべきであるみたいなべき論とか、
入社して何年経つんだからこういうところを目指さなければいけないっていう、スタンダードがあるからそれを超えるために頑張る。
これは良いことではあるんだけれども、それは何だろう、自分の中から生まれた基準というよりは、やっぱり外から当てがわれた基準だったので、
そういう環境でずっと慣れ親しんできたものが、一旦外から目標を与えられない世界、要するに主婦になって、2年間はイギリスにいますと、
そういうふうになった時に結構こう、果てどうしたもんかなっていうことで自分を見失った感はありましたね。
その状態が普通になった時に改めてやりたいこととか何だろうって、結構フリーハンドで考えられるようになったし、
なんか自分がこれなんか違うんだよなって思うものの違う理由とかも、会社員の時はもうしのこと言わずにやらなきゃいけないっていう考え方だったけれども、
今はなんか構造的にどうしてそういうふうになっちゃうか、もう少しこう捉えられるようになって、自分としては前向きに対処できるようになったなってそう思うんですね。
シーズン2始まった感じですね。今まで誰かの価値観に沿ったゲームをしてたけど、そのゲームが全然違うものに変わって。
自由な環境での自己理解
そうなった瞬間に最初はどうゲームをプレイしていいかわかんないという状況だったけど、
自由度の高いゲームに放り込まれたんで。 そんな感じですね。
そうですね、確かにオープンワールドのゲームに取り組んでるみたいな。 MMORPGみたいな。
そうそうそう。 そんな感じはありますし、あと何だろうな、コーチみたいな仕事を続けていく上では、自分の価値観が誰かに引っ張られない方がいいよなってすごい思うんですよね。
例えば売り上げ目標を背負ってしまって、目の前の人から売り上げを立てなければいけないみたいな切迫感っていうのは絶対邪魔じゃないですか。
というよりも、目の前の人の少しでも役に立てればいいなっていう純粋な
善意というか
ニュートラルな状態で相手と向き合うことってすごく重要だし、そのためには自分自身が何か切迫感から少し遠ざけた状態。
仮に切迫感があったとしても、それを表に出さずに
振る舞えるレベルの自精神は必要だし、自分が周りの雰囲気とかに毒されやすいタイプなので
それでも今まで2年間コーチをやっているのは、主婦としてストレスの低い生活をしているからこそなのかなって感じることはあるんですよ。
今後はもう少し仕事として、不要家族じゃなくなりましたから、自分の足で立っている状態になっているので、
もう少しビジネスとして拡大していきたいって考えたときに、切迫感にいたずらに、自分が急かされてしまわないように
しっかりと自分を保つことが必要だなって思いも込めて、多分主婦力っていうのは自分を見失わないこと、あるいは見失っても問題ではないっていうのが大事なんじゃないかなって
思っていることで、これは主婦に限らず
万人にとって重要なことだと思いますし、割と
仏教的な思想でもあるんじゃないかと思うんですよ。
ね、流行ってる本の、自分とかないからってやつですよね。
他者へのサポートの重要性
そう、なんかブレない、ブレないことに
失血すると、これは執着していることになっちゃいますもんね。
そうですね、中道が大事ですからね。
ね、中道が大事ですよね。自分とはこういう人間であるって自分で決めたものに固執してしまうと、それは執着なので
必ずしもいい結果を生み出さないですし、じゃあ自分とはこうだって掲げたものからずれていくときに、
自分が何者かでなくなってしまうっていうのも思い込み
だと思うから、そういう揺らぎを受け止めて、より良い人間として
世の中に貢献していくみたいなことが大事なんだよなと思いますし、
そうなんですよね。
一、主風としては自分の家族が一番身近で大事な存在なので、この家族がちゃんと
楽しい人生を送れるようにサポートするっていうのが地域的な僕がやるべきことですし、
自分としてはその、なんだろうな、コーチングの形で、あるいはこういう発信を通じてね、何か聞いてくださっている人、自分が直接触れられる人が
より良い人生を歩んでいくきっかけがね、作れればいいなぁというふうに、おこがましくも考えておりまして。
そういうのを忘れずにね、やっていきたいですよね、いろんな仕事も、それに類する仕事も。
こんな感じですかね。
はい。 そうですね。
今日、僕の話を聞いてヤッキーさんどう思いましたか?最後まとめてください。
最後、なんかね、他にも言いたいことがちょっと出てますが、
なんかユシャさんがそう、
金を稼ぐという、自分のアイデンティティから主風になりそのアイデンティティが
一回崩され、でもその中で中途半端な状況を受け入れて、前に進んでいくみたいな話だったと思うんですけど。
最近自分がちょっと思うのは、中道、中途半端な状態を受け入れるって中道だと思うんですよ。
中道で、何かこう良いも悪いも関係なく、ただあるがままの出来事として前に進んで、とらわれがないという状況だと思うんですよね。
だから何かそれを突き詰めすぎると、逆に、
自分とかないかって本も流行ってますけど、何かあの思想に寄りかかりすぎると、本当にこう、
すべてが中道になり、何でも良い状況になって、無欺欲になる思想でもあると思うんですよね。一歩間違い。
僕も昔、まあそういう東洋思想と仏教思想にだいぶ寄って、そういった感じになった時期もあったんですけど、
なんで、なんでこう意味を手放すのがいいんじゃないかと思ってたんですよね。最初にそのアイデンティティとか、
すべての意味を手放して、ただ、ここにいるみたいな。
それだけで価値があるみたいな。でも人間って、やっぱり、
なんで、意味という病だと最初思ってたんですよね。人間はもう意味からどうしても、意味を求めてしまう生き物だと、人間は。
でも多分、意味というこの病自体は治せないもんだなって、最近思ってて。
意味からは逃れることができない。何をどう足掻いても。
なので、その中途半端な状態を受け入れながら、
もう、囚われない形で、
自分の中で入りづけするっていうのは大事なのかなって、最近思ったりしてるんで。
リシャちゃんの主婦の話も、そういう感じにも捉えられそうかなって思ったりしたんで、
シェアしてみました。 ありがたいですね。わかりますね。意味なんかないぜって、世の中の人全員が言ったらどうなっちまうねんっていうのは、
命題としてはあると思うんですよね。個人の選択として、意味に縛られずに気ままにやっていくっていうのは許されるかもしれないけど、
社会全体がそれを実践したらどうなっちまうのかっていうのは、何か選択をするときには考えるべきことだなと思いますし、聞いてて思ったのは、
中道であるっていう東洋哲学の考え方と、あと神が正解を持っていて、神に与えられた使命を全うするっていう西洋的な
絶対性のある教えの、なんか両方のいいとこ取りができてたらいいですよね。 ちょっとね、ちょっとどちらの知識も浅い中でこういうことを言うのは恐れ多いものね。
恐れ多いものの、なんかこう、バランスは大事だし、やっぱり両極にある思想っていうのは何千年もかけて人々が紡ぎ上げてきたので、なんかそれぞれのいいところを自分なりに抑えていって。
結局は僕もそう思います。なんか人生、なんだろうな、生まれてくることに意味はないっていう立場もあると思うし、
けどあえて意味付けするならっていう立場もあると思うんですよ。どっちも素敵だと思うので。
うん、なんか。 そうなんですね。
まあその人自体も、まあ中道で考えるべきってことですね、結局。 うん、そうですね。そうなんでしょうね。
だから何かに、何かに思いっきり追っかかるのは良くないよってことなんでしょうな。 自分の足で辿ろうぜと。
いやーなんかすげー、なんだろうな、学びが深まるようなまとめの最後いただきましてありがとうございます。
10:42

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