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はたらく30代の資本主義解放宣言。
ロンドン在住の主婦でコーチのリチャと、
東京在住の個人投資家でコーチの輝きです。
資本主義解放宣言は、行き過ぎた資本主義に違和感を感じる元商社でニックルートのリチャと、
スタートアップの10年渡り歩いてきた輝きが働くをテーマに、これからの新しい生き方について一緒に考えるポッドキャストです。
ということで、輝きさん、今週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日は養成所でネタミセがあったということでね。
そうです。初めてのネタミセがありました。
初めてだったんですね。どうですか、手応えは?
手応えは、まあでも半々ぐらいですね。
半々?
うん。
半々って言うと?
半々。まあちょっと若干下ネタだったんで。
下ネタだったんですか?
半々でした。受けてる人もいれば、倒ってない人もいるという感じでした。
倒ってない人もいる。そうなんですね。下ネタだって聞いちゃうと、ちょっとここからの掘り下げはね、気をつけていきたいなと思うんですけれども。
なんか、あれですか、講師の人からのフィードバックとかあったりするんですか?
ありましたありました、普通に。
どんなこと言われたんですか?
まあ、なんか構成の話とか、ここももっと早くで持ってきた方がいいよねとか。
まあ、でも結構講師の方でも結構好みもあると思うので。
全て一概に聞けばいいかもしれないですけど。
うん。
まあ、そういう感じでしたね。
なるほどねー。
ネタの方向性としては、ビジネスピッチでめちゃくちゃどうでもいいソリューションをひたすら言って。
うん。
そういうネタです。
なるほどね、やっぱりバックグラウンドを生かしてのネタを書いてるっていう感じなのかな?
そうです。
そんな感じです。
なるほど。
なんか今日のこのネタ見せで、学びが1個あるとしたらそれはどんなことですか?
ああ、でも結構ありましたね。それでいくと。
ぜひ売れました。
シェアしてください。
何だろうな。要は、みんなが面白いというものを結局僕は全然面白くなかったりして。
みんなというか、本当に大衆の方というか。
ただ、逆にみんなが面白くないっていう方のネタがすごく面白かったりして。
で、それの違いがないかなって言ったら、校舎の方は結構こう、社会の問題点とか、なんかインテリジェントな感じなんですよ。
ネタが。
なんかそれに笑っちゃってる自分がいて。
で、全社のみんなが笑ってるものはもう本当にこう、なんだろうな、コテコテのネタ。
もうこうなるよね、みたいな。
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その、分かっちゃうんですよ。
おお、なるほどね。
なんかそう、想像をすればなんか分かっちゃうなとか。
あ、よくあるよね、こういうネタみたいな感じとか。
なんか面白、笑えないです。
だからどっちかというと、校舎の方がちょっと社会に対するメッセージ性があったりとか。
そういったのもあったりして。
で、そっちの方が自分は面白いなと思うと。
あと、講師の人が面白いっていうものは、そのネタ店の場もお笑いの養成所の人たちと講師っていう構成なの。
そんな一般の方がいれてる状況、ネタ店の状況じゃない。
特殊な空間っちゃ特殊な空間なんですよ。
笑いというものを知っている人たちがいる。
なので、そこで一つ出来上がっている常識としては、この笑いという常識がそこにあるんです。
お笑い芸人として面白いことを言うみたいな常識がある中での笑いなんで。
となるとその出来上がっている土台が、たぶんM1とかもそうだと思うんですけど。
M1とかで1位になるネタって、今までにないことをやった人が結構1位になったりするわけですよ。
要は結構レンチャー企業と構造は似ていて、今までにその発想なかったら面白いみたいな感じで、僕結構勝ち上がったりするわけですよ。
なので、なるほどなーみたいな、結局そういうゲームをしてるのかっていう感じになりました。
このゲームの人たちはね。
一般の人に受ければいいとかじゃなくて、0位置をしてるというか、今までにあるアイディアからさらにちょっと変化球で違うものを考えるとか。
それをすると講師から褒められる。
逆に、僕昔スピーチの学校とかもちょっと体験で行ったりしたんですけど、そこではみんなめっちゃバカ笑ってたんですよ。
ちょっとしたボケで。
要はスピーチで真面目なことを言うっていう出来上がった土台の中で、シリアスな土台の中でちょっとしたユーモアがあるだけでも爆笑が起こるんですよ、会場で。
なるほどね。
逆にお笑いの芸人しかいないネタ見せと場合では、一つも爆笑はなくて、全員ネタ見せしたんですけど。
爆笑がなくてちょっと面白いみたいな感じのクスクスみたいな笑いはあったんですけど、爆笑がないんですよ。
なんでその、なるほどと。
要は笑いというものは常識を覆すっていうそこの発想なんだなっていうのを改めて体感したって感じですね。
なるほどね。今の話はお笑い芸人がその場の枠組みを捉えた上で、その枠組みを逸脱するような行為をすることでお笑いに変えているっていう、芸人が舞台の上で仕掛けている構造について捉えたっていう話だったわけで。
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で、その上で思ったのが、笑う側も結構枠に、なんだろう、枠を意識している部分が少なからずあるんじゃないかと思いましたね。
スピーチの学校だったら、そういうユーモアに対してみんなが爆笑していいっていう空気がきっとあったと思うんですよ。
ネタ見せの場合だと多分みんなで爆笑していいみたいな空気に至ってないんじゃないのかなというか。
提示されたものに対して笑うことで、私はこれを面白いと思っているっていうメッセージングになるから、笑うことも抑制されてたりするんじゃないかなと思って。
だからそこの空間で笑わせる対象がプロであるっていうことと同時に、プロが集まっている空間である、見ている自分を講師が見ている、いろんなメタ視点が働いて、
爆笑に至るためのハードルとかもいろいろあるんだろうなと思って、改めて自分の置かれた場を認知していくっていうのはすごい大事。笑いを取る上ではすごい大事だな、そうなんでしょうけど。
何だろうな、場の空気にあんまり支配されるものじゃないなというふうに思ったんですよ。
そうですね。場の設定はコーチングもそうですけど大事ですよね。
そうですね。軽いアイスブレイクのつもりが結構深く掘ってしまったので、やっきさん熱く語ってもらえて嬉しかったな。
そんなことを結構感じたんです。演者側に立って初めて感じたことなんで、それは。
だから全然なんか違うみたいな、スピーチのことっていう。
すごい面白さを狙って喋ってるのに笑いは起こらない。
でもスピーチの学校ではちょっとした砕けたユーモアなのにめっちゃ笑うんで。
なるほどな。
いやー、だからあれじゃないですか。クラスで一番面白いやつが舞台でも受けると思うなよみたいのは、ベシャリグラシっていう漫画とかでもね、描かれてますけど。
結局そのね、日常の自分のクラスで面白いこと言うやつが笑わせてるのと、
そういう、さあ俺のこと笑わせてみろよっていう人たちが見に来ている舞台で笑いを取るっていうのは全然違うんだっていう話で。
全然違いますね。
ちょっと思い出したのは、
そしながユーチューバーおぼんないって言ってて。
はいはいはい、言ってましたね。
それに対して、そのコメントを千鳥の大吾が説明してたコメントがあって、
ユーチューバーっていうのは結局、チャンネル登録してるファンが見に来てると。
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ファン向けにファンダムの中でこう、面白いと思ってることをやってみんなで笑ってると。
だから基本的には見に来た人が笑ってるんだと。
芸人は、誰が、ファン以外の人も見てる舞台で出て行って笑わせなきゃいけないと。
それで金もらってるというところで、芸人の方が厳しい環境で笑いを取ってんじゃないかっていう話をしてて、
それはそうだなという話と結びついて理解しました。
難しいですよ。どっちが本当のエミレのユーモアなのかっていうのは難しいなと思います。
競技になってた。
時代にもよりますし、去年のM1とオプションのM1だと審査基準が若干違ってたりするわけで。
競技だな。ユーモアというか、その競技のルールを知ってるやつがちゃんとそれを攻略できれば勝つみたいな。
本当のエミレの人を往復にするためのユーモアかどうかはちょっとわかんないなって感じで。
なるほど。深みにハマってて楽しいですなということで。
このトークもだんだん深みにハマってきたので、ちょっと今日のテーマにいければなと思うんですけども。
今日のテーマは、僕たちはいつ本を読むのかというテーマですね。
そうですね。
ちょうどお互い最近読んだ本がありまして。
こちらですよね。
三宅花穂さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」という本があってですね。
こちら面白かったですね。
簡単に書いてある内容をカイツ版で張訳で説明すると、なぜ働いていると本が読めなくなるのかっていうのは、
結論を手っ取り早く知りたいっていうコスパ主義ですね。
これがはびこる現代においては、本を読むと答え以外のノイズ、まっすぐ答えにたどり着かない。
その答えを得るまでに至るいろんな寄り道があって、これがノイズとなって、これがいっぱい含まれているのが耐えがたいからなかなか本を読めなくなっていっちゃうんだ。
それよりもみんな手っ取り早く答えが欲しくて、YouTubeでサムネを見て一番それっぽいものを見てみたり、
タイトルがそのまんま欲しい情報になっているブログを読んでみたりとか、あるいは中身読まないで見出しだけ見てわかった気になる。
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そういう時短主義、コスパタイパ主義っていうのが本は読めなくなっていってしまう理由なんだと。
なんだけど、このノイズこそが人生を豊かにする要素だと思うので、本読みましょうねっていう本だったなっていうのが僕の解釈なんですけど、これは大筋大丈夫そうですか?
うん、そういう印象でした。
はい、なのでこの本によるとノイズが許容できなくなっているのが本が読めなくなっている理由じゃない?っていうことでして、
この5本自体はもう前半はタイトルと一見少し遠いんじゃないかっていう大正時代ぐらいからの読書と人々の関係性っていうのを歴史で20年ずつぐらいで区切って、
かなり詳細に解説をしていてですね、結構骨太な新書でとても読み応えがあって楽しかったなという本なんですけれども、
あと書いてる人も元陸っていうことでですね、ちょっとそこは親近感を覚えまして、
この人リクルートで、全然僕は関連はない部署であったと思うんですけど、
会社に入ったら本が読めなくなっちゃって、本が読みたいから会社辞めたっていう人らしくてですね、
なかなか変わった人で、流石リクルートそういう人取ったんだなと、面白いなという感じなんですけどもね。
で、このタイトルを読んで、僕が思ったのは、
確かにYouTubeとかあるいはTwitterとかWeb上で手っ取り早く検索して得る情報って、
身についてる気がしないっていう感覚的なものがあって、
本を読んでる時って頭の中でいろんなことを考えながら読むので、
なんかこう自分の身についてくる、身になる感覚があるっていうのは昔からあったんですけども、
このノイズに注目すると確かに動画を見てる時とかなるべく結論にたどり着くように、
余計なとこ飛ばして飛ばして、早送りしたりして、手っ取り早く情報を取ろうとする。
でも本はそれを許さないっていうところで、このノイズの差っていうのはありそうだなーなんて思ったんですけれども、
ヤッキーさん、この本読んでみてまずどんな感想ですか?
そうですね。ノイズの話もそうですし、僕はなんかその大正時代から20年分かったです。
本の受け入れ方みたいな、どう定着していったかみたいなところが、なんか興味深かった。
その遍歴の中で日本人がどういう本を読んできたのかっていうところと、
その読書の中で西洋の序本主義的な考えが徐々に染められていったんだなっていう感じとか、
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成功すればいいみたいな、ちょっと忘れちゃいましたけど、
立心出世みたいな言葉とかあったと思いますけど、本の中で。
そういったものが、やっぱり読書という、本という媒体を通じて結構日本人を洗脳していったんだなって。
多分今まではそういう立心出世とかいう概念ももちろんあったと思うんですけど、
この本でも紹介されてるのは確か、明治か明治時代の後期かなんかで流行った本が、
西洋の本の翻訳で、その本の中にはニュートンの話とか、
西洋の偉人たちの成功の語りが描かれていて、それを憧れる日本人たちみたいな。
立心出世みたいな言葉も同時に流行っていた。
逆に言うと、そういった本が輸入されるまでは日本人たちはそこまでそういったものの価値観として持ってなかったんだろうな、みたいなとか、
日本人の読書の変歴とかを聞いてて感じて、
そういうふうに、リジャーさんの最初の問いからじゃずれる観点ですけど、そんなふうに僕は最初の本を読んでました。
おもしろいですね。
なんかあれですね、成国立志編ですね。成国立志編。
明治4年、1871年に刊行された本で、これは学問の勧めよりさらに売れたということで、
自己啓発本の大ベストセラーっていうことらしいですね。
ニュートン、ナポレオン、ウェッジムートなど、欧米の成功者の伝記を教訓とともに収録しているということで。
欧米の人たちを要は憧れたってことですかね、明治の初期の人たちが。
でもあれですもんね、文明改革の鐘が鳴る時代でしょう。
伝統っていうのがあって、ガストを港に引くんだとか、電気を各家庭に送るんだとか、電話が使えるとか、そういう時代でしょうから。
たぶん日本人のメンタリティに、西欧の方が進んでいてすごいみたいなものが、結構手放しに受け入れられた可能性はあるなぁと思うんですよね。
結構こういう、アメリカからとか、欧米から入ってきている、日本で流行っている自己啓発本って、
欧州じゃ誰も読んでないみたいなこととかあったりするんですよね。
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全く別の文脈ですけど、なんかだから、そういう日本の中で自己啓発本が受け入れられやすいみたいなものはね、確かにあるみたいで、それはそれで面白いですよね。
というところで、今日このタイトルにしたのって、いつどうやって本を読むかみたいなこと、悩んでたりしないかなと思ったんですよ。
僕は三宅加穂さんと同じようにリクルートで働いてて、正直本を読む時間ってほとんどなかったなぁと思うんですよ。
冷静になると、コロナの前は往復2時間ぐらい通勤時間あったんで、その往復の電車で本を読もうと思えば読めたんですけど、
一方でスマホも対応されてたし、結構スマホで仕事ができたもんだから、行きの電車はメールチェックするし、帰りの電車もメールを捌いて、捌きながら帰るみたいな感じで。
あるいは僕は転職エージェントだったんで、ビズリーチでスカウトとかをスマホで、画面誰にも見られないように気をつけながらね、仕事をしながら帰ってたっていうところがあって、
スキマ時間ってスマホのせいでほとんどなかったなと。
自由になる。昔だったら、社外でそういう採用に関する情報をアクセスできる環境じゃなかったので、電車の時間とかは割と自分の好きなことに使えたので、
その時間に本を読むっていうことは選択肢としてあったと思うんですけど、それもなかなか疲れてできなかったし、
後年は移動時間も何かしらできる仕事が自分のスキマを埋めていくみたいな感じだったんで、なかなか読書する時間ってなくて、
なので、いつ本を読んでたかっていうと、子供が寝静まった後に寝る時間を惜しんで30分ずつ読むとかくらいかな。
正直だから、1年に10冊読めたらいいみたいな生活だったんですよ。
10冊、でも結構読んでる方じゃないですか。
1年にね、1年に。
一般的な会社員よりもっと読んでないじゃないですか。
なんかね、統計はサンタッタルものになってると思うんですけど、それでも10冊でしょ。
なので、イギリスにね、妻の仕事に就いて、イギリスに渡ってくるっていうことで会社を辞めて、
こっちに来てくから、じゃあ1年間で100冊ぐらい読みたいなと思って目標立てて、
2023年はいろんな本、オーディブルで聞いた本も含めて100冊くらい読むことができて、
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それでもなかなかね、暇な時間たくさんあるとはいえ、その時間を本に当てるのってなんだか惜しい気がしたりもしたし、
やっぱり隙間時間でいろいろ読むみたいな感じだったので、
いや、フルタイム働いてたら本ってなかなか読めねえぞっていうのが今でも思ってることなんですけど。