あんな綺麗な街ないですからね。
ロンドンもそうですね、ロンドンも通り一つ挟むと全然治安が違うみたいなことがあって、
イギリスに駐在するお家に会社から配られるような手引き書とか、
あと不動産会社からの日本人向けの住居の選び方みたいな案内の冊子とかには、
ロンドンって地域によるというよりは、地区によるので、
道一本入るとマリファーナの匂いがするとか、
完成な住宅街だと思ってたらいきなり治安が悪くなるみたいなことで、
グラデーションというよりはブロックでも違うみたいな。
アメリカもそうですね。
アメリカもそうなんですね。
そういうところがあるから気をつけなっていうのはあったんですけど。
あとイギリスは階級社会だって言われてますからね。
でも借位を持ってる人たちはいますし、
お金にだけによらず学歴で社会が分断されていて、
その分断している者同士は交わらないから、
分断階級闘争っていうのはそんなに頻発はしないんだみたいなね。
でも行くとこまで行くと先般のプレグジットみたいな。
はいはいはい。
EUから離脱するんだということで、
移民に仕事を奪われているから、
その移民を辞めさせるためにEUから出ていくんだって言ってプレグジットして。
その時はエリートの人たちがみんな頭抱えて泣き叫んでいたわけですけれども、
ついこの間のアメリカの大統領選で同じような景色を目にしましたね。
だからどうなんだろうな、この世の中の分断、
ゲーテッドコミュニティみたいなものって新しいものではないじゃないですか。
確かに昔からありますもんね、階級階層というものは。
日本にもあったわけで、江戸時代とか。
そうですね、そういった意味では治安を保つには階層があってもいいっていうのはありますよね。
その方が平和なのかもしれないっていう見方もあります。
残酷ですけれど、見なければ目に入らないっていうことで。
だからその中で、見なければないのと一緒みたいな態度で、
ゲーテッドコミュニティの中でエリート層が良い暮らしをして、
そこに入れない人たちは不満のある、不得のある暮らしをしていて、
それを治安が保てるから良しとするっていう態度で、
本当にいいんかっていう問題提起のつぶやきだったんですかね、やっきぃさん。
そうですね、なんだろうな。
なんか上に立つっていう言い方もあれですけど、
やっぱり立つって言ってるものは、
たぶん少なからず分かっておいた方がいいなっていう感覚がありまして。
というと?
やっぱり、そういうゲーテッドコミュニティみたいなところで生まれて、
要は裕福で、運がいいわけじゃないですか、こういったところで生まれた人たちっていうのは。
そういった人たちは世の中を良くするという意味でも、
やっぱり責任というか、そういう役割があるっていう見方もありますし、
世のために何かするという意味で。
そういった人たちが、違う階層の人たちのことに対する理解がゼロだったり、
汚いから見ないっていう姿勢だと、
やっぱり全くの共感が生まれないと思うんですよね、その人たちに対して。
そういった意味で、なんだろうな、
その綺麗なものっていうものはやっぱり汚いものがあるからこそ成り立ってるわけで、
だから光があれば闇があるってことで、
これももうちょっとメタ認知すると、今の我々の生活も似たようなものなんですけどね。
人類の、要はお肉食べたりとかしてますけど、
そのお肉の生産過程なんて悲惨なわけじゃないですか。
牛が牛牛になって、鶏が牛牛になって、
ビーガンがよく言ってることですけど、そういう闇もあるわけじゃないですか。
でもそれを闇を見ずに我々は快適な暮らしをしている。
で、そういう状況ってね、食に限らずにたくさんあると思うんですよね。
でもそういう状況を理解して、
その上に我々が立ってるんだってことに感謝するっていうのはすごい大事だと思っていて、
なんで僕とかこの1年ぐらいご飯食べるときに、
結構ね、ガチでお祈りするっていう習慣最近作ってて、
このご飯がどうやってここまで来たんだろうっていうのを習慣にすると、
すごい涙出てくるんですよね、最近。
もうね、ありがとうみたいな。
何気なくみんな食べてると思うんですけど、
やっぱり一個一個のものは何かの上に成り立ってるわけであって、
鶏さんとかも本当だったら20年ぐらい生きられるところを2,3年で殺されて成長ホルモンを打たれてとか、
そういう状況があるけどそれを食べて我々は生きてるわけで、
っていういろんなものが関わってたりとかそれ以外に。
なんでこのゲイテッドコミュニティっていうところをさらに飛躍してメタ認知すると、
我々の文明というものもある種大きなゲイテッドコミュニティだなとも思うわけですよ。
すごいメタ的に捉えてる。
なんでそういった意味でやっぱり何事に対しても何かが関わってるっていうことへの感謝。
これがめっちゃ大事だなって最近すごい感じてるわけですよ。
だからこの光があれば闇もあるって書き方をしたんですけど、
それをわかることで我々がどういう、なんで生きていられるのかっていうのと、
この世の中の本質ってものが見えてくると思うんですよね。
なんでゲイテッドコミュニティだけで子供を育ててしまうと、
綺麗な分、例えば最近の子供って魚が切り身で泳いでると思ってるんですよ。
まったく都心の子とか。
赤いのがね。
赤いのが泳いでるみたいな。
赤い切り身が。
そう、やばくないですか。
命をいただいてる感覚がないわけですよ。
命をいただいてるのに我々は。
綺麗な部分しか見てないわけですよ。
安らそうだなと思いながら聞いてましたね。
そうだな、メタ認知でトライブトっていう話を聞きながら、
僕が泳いだったのはリモートワークとかですかね。
リモートワークって、自分がリモートワークできるのって、
代わりにいろんなものをやってくれる人がいるからこそなんだよねみたいなところ。
直接結びつけるのは難しいけど、
特にロックダウンでステイホームしてたとか、
今だと例えばECで日々の日用品も買えるじゃないですか。
食品とか。
そうですね。
そういうの家にいながら全部届くみたいな。
Amazonで何でも買えるみたいな状態って、
そこを運んでくれる人がいるから成り立ってるわけで、
というところとか。
そういうの無視して、
あとはメーカーで働いてるけど、
リモートで、フルリモートで仕事してる人とかもいるじゃないですか。
でもその人がフルリモートで働けるのって、
工場で生産する人たちがいるからですよねっていうのは。
自分には直接関係ないけれど、
そういう側面ってあるわけじゃないですか。
本当に自分の力で、
自分の力100%で成果を成し遂げてる人はいないんだっていう話とかもあるじゃないですか。
例えば、家の前の道路とかって自分で作ってないじゃないですか。
国が税金で作ってくれるわけで、
この国が税金でっていう表現もかなりぼやかされてるけれど、
実際コンクリート売ってる人もいるし、
税金の1円1円って誰かが払ったお金がそこに来てるわけなので、
道路の上歩いたことないっていう人はなかなかいないわけで、
そうすると一時が万事繋がってるんだよっていうさっきのヤッキーさんの話は、
実感を持って想像することもできる話だよなというのは。
いろいろありますよね、それを言い出すと。
さらにそこからもう一段メタ認知すると、
時代を越えても全部そうですからね。
我々がコンクリートとか誰が発明したかって話になってきますし、
全てのものが先人が積み上げた何か知識とか富のおかげで今の我々がいるわけで、
そうするとそこに対する想像も広げていくとやっぱり感謝しかないですよ。
そうよねー。
ゲイテッドコミュニティみたいなね、やっぱり家や子ども、
例えば教育の話にフォーカスをしていくと、
子どもをどういう環境で育てるかっていう時に、
いろんな暮らしがある。
いろんなレイヤーで人々が暮らしている。
あるいはいろんな人の相互の協力で、
労働で何かの対価で今の暮らしが得られているっていうことは、
知識として共有すればいいんじゃないのっていう見方があるのかな。
そうですね。知識、今の時代だと知識しかないのかもしれないですけど、
例えば僕の場合だと、僕は父親が日本食レストランをアメリカで経営してるんですね。
そういう環境にいると、不法滞在してるメキシカンの人とか、
留学生の人とか、
違うどこか手稼ぎで来てるフィリピンの人とかも働いてるわけですよ、お店で。
はたまた日本から来てる職人とかもいたりとか。
なので、自然的に。
で、はたまたのお客さん自体はゲイキッドコミュニティを代表するようなめっちゃ富裕層の人が来るみたいな。
なので、僕の環境がもう世界だったんですよね。
格差が目に見てわかるというか。
でもその格差の中で全員がちゃんと共生して、
助け合ってるというか、ちゃんと成り立ってるという状況が、
小さい頃から目の前にあったんで。
別にね、分断とかじゃなくて、この人がいるから何だって言うんですよ、全てが。
下の人も上の人も。
なのでそういう感覚が僕は小さい頃からあったんで。
だからそんな分断で見えないようにするみたいなのって、めちゃくちゃ違和感なんですよね。
助けられてるでしょ。その人がさらえらいしなかったらあなたはこのレストランで食べれませんよとか。
それを汚いものって言っちゃうのはどうなのっていう話ですよね。
その人が作った料理あなた食べてますよねとか。
その人が運んだものあなた食べてますよねとか。
なのでそこらへんの想像と配慮がないゲイテッドコミュニティの上の人たちって多分いると思うんですよね。
あまりにも温室育ちだと。
それは僕の場合はもう体感覚でそういった人たちが常にいたんで、生活の中に。
だからそう、みんな同じ場にいてもハッピーに共存しあえるってのが感覚的にあるんで。
なので教育の中でもその体感覚を持ってそれが分かるといいなっていう風に僕は思いますね。