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2012-09-13 17:28

第36回:『自分のステージは自分で作る』梶原しげるさん

駆け出しの頃、番組と番組の間30秒を「俺の番組だ!」と捉え、チャンスへと変えていった梶原さんのエピソードを紹介。


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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、さまざまな業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
皆さんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの畑井香菜です。
伝説の新人プロジェクトの小宮です。よろしくお願いします。
本日は元文化放送のアナウンサーの梶原しげるさんをゲストとしてお呼びしているんですけれども、
小宮さんと梶原さんは何度かお仕事も一緒にされているということなんですが。
そうですね。僕のラジオの番組に出てもらったり、梶原さんの番組に呼んでいただいたり。
そうなんですね。お互いにゲストとして出演。
そうですね。なんとなく大先輩なんですけど、なんとなく可愛がっていただいて気が合うというか。
一緒に食事に行ったりもさせていただいています。
ということで、アナウンサーやタレントとしてこれまでご活躍されてきた梶原さんの経歴を簡単ではありますが、
ご紹介させていただきたいと思います。
梶原しげるさんは早稲田大学法学部を卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社。
在職中は富士テレビなどの多局の番組にも引っ張りだこで、
アナウンサーだけではなく、タレントや歌手としても幅広い活躍をされてきました。
約20年文化放送でご活躍された後、フリーアナウンサーに転校。
49歳で東京政徳大学大学院心理学研究科に進学し、心理学修士号を取得。
シニア産業カウンセラー、認定カウンセラー、健康心理師の資格を持ち、現在カウンセリング業務も担当するほか、
2006年4月からは東京政徳大学応用心理学部の客員教授として教鞭をとっていらっしゃいます。
コミュニケーションスキルを題材にした著書を多数出筆されていますが、
その中でも身長診証に出版されている「口の聞き方は15万部のベストセラー」となり、
その一部が中学校の国語の教科書に採用されています。
はい、ということで今回梶原さんがゲストとしていらっしゃるということで、経歴を拝見させていただいたときに、
本当にいろんなフィールドでご活躍されている方だなという印象を受けて。
そうですね。割とラジオナウンサーですけど、テレビとかでも出ているので、顔とか見ると、
はあ、この人ね、という感じだと思うんですよね。
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ということで、いろんなお話が聞けるんではないかなと思っていますので、楽しみですね。
はい、よろしくお願いします。
はい、それでは本日梶原さんをお迎えしていますが、どうぞよろしくお願いいたします。
第1回目の本日は、チャンスの引き寄せ方が違うというお話をしていただこうと思うんですけども、
梶原さんはもともと新人時代文化放送に入社されて、
卓球のお仕事もされているということで、かなり特集というか、ものすごいチャンスを引き寄せていたのかなという印象を受けるんですけれども。
はい、それは結構20代半ば、25以上で、入った当初はスポーツアナウンサーをやりながら、
泊まり業務というのもやるんです。
必ずアナウンサーが2人1組で、技術さんもいて、トータル4人で泊まるんですね。
夕方の6時に入って翌日の10時くらいまで、何があるか分かりませんでしょ、非常事態が。
その時に備えているんですね。
それから深夜や早朝のニュースも担当するという。
それを先輩と手分けして、私が入った頃はその先輩に、手本も先輩として自分が喋るというような感じでしたね。
その泊まり業務というのは非常に自分にとっての唯一のオンエアの出番なんです。
その時代だとそんなに深夜の番組を見ている人もいないし、というのがあるんですかね。
そうですね。実はまだ深夜放送の残り日と言いますかね。
セイヤングというのがガオセンだったんですね。ニッポンさんはオールナイトニッポン、TBSはパッケンミュージックですけれども。
前世紀は終わったんですけれども、まだ結構人気があったんです。
私の出番というのはニュースでもまだ駆け出しですから、先輩のニュースを横で見ている。
毎日先輩が何かあった時には私が変わるという、そういう役割でほとんど音声として出ることはないんですよね。
時刻は0時半です。JOQR。こんなぐらいの仕事しかないんですけれども、私の入社した年はオイルショックの年なんです。
そうなると古くて歴史にならったと思いますけれどもね。
要するに不況の真っ只中、当時なりにね。
そうすると放送局にはステーションブレークという時間があるんです。
番組と番組の間に隙間があるんですね。1分とか2分とか。
そこにスポットを入れられる時間があるんですが、スポットが埋まらないんですよね。
埋まらないと巣ができるから、それをつなぐのが私の仕事。
06:00
常にスタンバイしておく。
常にスタンバイ。録音番組の場合はね、とりわけそうなんですね。
私が一番長い時間喋れるのがセイアングっていう番組の前の0時半。
0時半です。この後は落合恵子さんの登場。J-O-Q-R。
ここの場面が最初は10秒ぐらいだったんですね。
間もなく時刻は0時半です。この後はセイアングです。
落合恵子さんではお楽しみください。J-O-Q-R。
これがね、だいたい10秒以内のコメントであったんですけども、
どんどんどんどんスポンサーがいなくなっちゃって、空いていくわけですよ。
そうすると30秒ぐらい喋れたりする。30秒っていろんなことが喋れるんですよ。
喋りたいと思っているのと、喋らなきゃいけないと思っているのには差が出るんですよ。
喋らなきゃいけないと思っているとすれば、なんとなく天気予報で埋めるとかね。
関東省、北のお風邪のうちなんとかで風力4とかね、いろんなことを言って、
なお、明日はなんとか洗濯日よりです。
お洗濯が溜まった方はぜひ明日の日をご利用ください。
この後は落合恵子さんです。J-O-Q-R。
言ってみればどうでもいいわけですよね。埋めているってことですよね。
ところが私はね、30秒以上その時間ができた時に、
これは俺の番組だというふうに思ったんですよ。
そこでね、当時は銭湯に通っていて、神田川なんていう歌も流行っていて、
いろいろちょっとそんな銭湯の人情話みたいなものを拾ってきて、
まさに石鹸も男いうから女に投げて、女ではいパカ撮ったよとかね、
そこで子供が来たり来たりしているとか、そういうような物語をね、
ちょっと石鹸の銭湯に行ったんですけどね、
そういうことを話したんですよ、30秒ぐらい。
で、この後は落合恵子さんです。J-O-Q-R。
ちゃかちゃかちゃかちゃか、夜明けが来る前に、夜明けが来る前に、
って西洋のテーマがあります。
落合恵子さんが出てくるんです。
こんばんは、落合恵子です。
あら、梶原君って今も銭湯に行ってるのね。
受けてくれたんですよ。
これがみんなに放送されるわけですよ。
落合恵子さんっていう当時レモンちゃんと言われてね、
スーパースターですよ。
今で言うとAKB48みたいな人気があるんですよ。
で、みんな聴いてる。
その番組の中で私ごときの新人が話題になるんですよ。
あら、梶原君って話ですよ。
あの、僕らが声を発声してるとこは視聴性質っていう機械がわーってあるところで、
いざとなったら臨時放送を出せる機械に取り囲まれた部屋なんですよ。
落合恵子さんがお話になってるのは文化放送の当時は第二スタジオってところかな。
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広いスタジオなの。
スタジオのずーっと触って、こっちはJ-O-Q-Rって言ったら、
はぁーってここからしばらくはもう落合恵子さんが3時まで、
そのあとはしれいかよいこ来て番組やって、
僕が一般的に登場するのは4時ちょっと過ぎのニュースだなーみたいな。
で、仮眠の時間なんでしょうね。
仮眠するやつはいないんですけど、一応仮眠を取る時間なんですね。
で、もう仕事も終わったから、
じゃあみんなでちょっとなんか雑談でもするかって、
スタジオ、その視聴性質のスタジオ出ようと思ったら、
モニターから落合恵さんが私の話をしてるんですよ。
そりゃ結構嬉しかったですね。
えー、ことやったら梶原くんってら戦闘かやったんだ。
私が戦闘行かなくなってどのくらい参るかしらみたいな話をされてるんですよ。
そっから行こう。
これも落合恵さんに絶対いじってもらおう。
いろいろネタを考えて、レモンちゃんが触れてくれるネタ探しの間ですよ。
それは私にとってはもう一番にもったいに等しいんですよ。
レギュラーですよね。
いろいろ考えてやってくる。
折よく枠がちょっとずつ増えていくんですね。
会社にとってはあんまり利口じゃないですけども、この枠がね。
時に1分くらいになる。
1分喋ると相当喋れる。
そうするとこの色気が出てきましてですね。
もっと喋りたいっていうことになったわけですね。
梶原さんも結構受けてくれたもんですからね。
で、技術の人はとってもいい人だよね。
もっと喋れる方法がなくはない。
でもこれは非常に問題になることだから、
しっかり多言は無用なんだけども、
例えば、今、梶原君が喋っている番組の前に放送しているのは何という番組だ?
大学事件講座。
それは生テープ?
テープです。
テープというのは回転しているんで、
周波数を早めると早く回る。
早く回ると隙間が増える。
放送数が増えるということにもなる。
進めないよ、進めないよ。
進めないけど、そういうこともできるということよ。
ここで。
それやっちゃってください。
ちょっとずつ周波数を変える。
いざという時にあるんでしょうね。
あるんですよ。
少しだけやるとちょっと増えるんですよ。
ほんの気持ち。
気持ち早くできる。
気持ち早く!
やっているうちに徐々に長くなって、
こっちも徐々に気持ちがもっと欲しい、もっと欲しいとなって、
最終的にはね、
抗議の、
最近、大学受験講座の講師が早口になっていて、
聞き取りにくいという話があって、
やばい、問題になるかなと思って、
ちょっと戻すようにはなったんですけども、
これは大変にいけないことで、
12:00
総務省の方が気になっていたら文化放送にね、
何の罪もありませんし、
誰も私が悪いんじゃなくて、
私が悪いんじゃなくて、
私が悪いんじゃなくて、
何の罪もありませんし、
誰も私が悪いんじゃなくて、
しかももう何十年も前の話ですから、
どうぞお咎めのないようにお願いしたんですが、
そんなようなことをやって、
自分の喋りの舞台といいますかね、
自分のスタートを自分で作るっていう、
そんな思いがありましたね。
ステージは自分で作るんだ、
そんなことを考えていたのは、
あんまりいなかったかも分からないですね。
みんな綺麗に祭辞記かなんかを、
大体みんな持ってました、アナウンサーは。
それから今日は何の日自体がね、
持ってて、
今日は3月3日なんとかで、
とかまた今日は24世紀の諸賞と言われ、
暦の上ではもう暑さの収まる季節ですね。
でも実際には熊谷では39度、
まだまだ残暑は続きそうです。
あ、時刻間もなく0時半です。
J-O-Q-R
こんな感じなんですよ。
ところが私はそうじゃなくて、
いきなりもうこの間ねって話ですよ。
何度とも聞いてる人は、
ステージ感ですからね、
言ってみれば一般の人にとっては、
トイレタイムでしょうね。
お茶屋慶光さんも聞くためにも、
万全の体制を整えてみんな、
大丈夫向きで一番受信状態の良い状況にしてる時に、
なんだか分かんないけど、
変な兄ちゃんが喋り始めるわけですよ。
いやー、そんなこと大変ですよって、
何言ってんだよこいつはうるせえなって。
だんだん聞いてくれるようになって、
だんだん反響もくるようになって。
すごいですね。
こういうことって、
特殊な世界かもしれませんけども、
ラジオ放送という、
一般でもね、
求められてないけども、
やる価値はあるんじゃないかな、
という気はちょっとしましたね。
やっぱり気持ちを持つっていうのが、
おそらく大事なんだろうなって、
お話を伺ってて思ったんですけども、
梶原さんの場合、
喋りたいっていう、
強い気持ちがあったからこそ、
自分の喋るタイムを伸ばしたり、
するのに協力して、
アドバイスしてくれる人が、
できたんじゃないかなって。
本当にこの話が良かったのかどうのか、
ちょっと今、
そうですね。
事故ということで、
ご許しいただければと思っております。
そんなことも、
そんな気持ちはありましたね。
なるほど。
何とかしたいという。
なかなか梶原さんのようなタイプの方、
これまでゲストでお迎えすることなかったので、
あ、そうですか。
非常に面白いお話を。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
はい、とっても面白いお話でしたね。
たった30秒のスペースをもらった時に、
あ、これ俺の番組だと思えたら、
梶原さんはすごいなと思ったんですけども、
15:00
おそらくそういう風に思えない人も多いのかな、
と。
思うんですが、
それを梶原さんはしっかり、
ある意味チャンスだと捉えて、
いろいろネタを集めたりとか、
し始めたことで、
その後の番組のお茶屋けんこさんが、
梶原さんが喋った、
先頭のネタを拾ってくれたり、
技術の方で、
こうすると、
もしかしたら時間が取れるかもよ、
みたいなお話とかも。
かなりグレーなところまで教えてくれましたね。
そうですね。
でも、そうやって梶原さんが、
自分の番組だと思って、
頑張ってたからこそ、
そういう助けてくれる人が、
いたのかなと思うんですけど。
そうですね。
根本的に、
どんな仕事でも、
たかが30秒と思うのか、
さりと30秒なんですけど、
どんな仕事でも楽しんでやるというか、
相手が見てる、
当然リスナーの方がいて、
その人たちのことを考えて、
面白いことをやろうとするみたいな、
そこの、
どんな仕事に対してでも楽しめるっていう、
梶原さんらしさがすごく、
そうですね。
こういう滲み出たエピソードだなと思いましたね。
はい。
本日のトークはいかがでしたでしょうか。
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