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2024年3月18日放送  日本講談協会 会長 神田紅(かんだくれない)さん
2024-03-18 10:27

2024年3月18日放送 日本講談協会 会長 神田紅(かんだくれない)さん

福岡出身、修猷館高校から女優を目指して早稲田大学の演劇研究会へ、女優の市原悦子さんの付き人をしている時に縁あって講談師の神田山陽へ入門。
女流講談師として活動。古典はもちろん主に廣田弘毅、出光佐三など福岡にゆかりのある人物を題材にした創作講談も。
現在は日本講談協会会長。講談教室の開催など講談の普及に尽力しています。
4月19日に自伝「紅流-女講談師として生きる-」を出版します。
https://n-kodan.com
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下田文代リーダーズストーリー
こんにちは、RKBアナウンサーの下田文代です。
この番組では、毎週お一人の福岡、そして日本の経済を支えるリーダーたちの
これまでの人生、そしてこれから開く未来のストーリーを語っていただきます。
今日のお客様です。日本講談協会会長、神田紅)さんです。
さてもげんざえもんそのひのいでたちいかにとみてあれば
きんこざねひおどしのだてよろいにおんなじけいとごまいしころのかぶとは
これぞたわらとおだひでさとがせたのからはしにて
りゅうじんよりもほしうけしといわれあるせんぞでんらいのめいかぶとなり
ありがとうございます。神田紅でございます。
本当に周りの空気が一変しまして、びんびん振動として伝わってきました。
今のは講談のコテンですね。
コテン中のコテンで、私の講談教室でも最初にみんなに勉強してもらう入門編です。
講談教室というのも開いているので。
20年以上になります。東京と福岡でやっております。
一般の人たちがその教室で。
両方で100人近くの方が。
そうなんですね。それだけ愛好家ファンが多いと思うんですけれども。
そもそも講談というのは日本の伝統芸能ということですか。
伝統芸能であり大衆芸能。
江戸時代のちょっと前ぐらい、赤松宝音という人が
家康公の前で御前講談を語ったという記録が最古のものといわれております。
その講談で語られること、伝えることというのはどんな内容のもの?
さっきみたいな古典もありますし、あれはいざ鎌倉というですね。
佐野玄在文がいざ鎌倉と駆けつけていく様を語っているんですけれども。
そういうものもありますし、中心倉。
そういう皆さんよくご存知のような物語もあれば創作講談。
新たに自分がこれをやりたいというものを作るということもあります。
そうですか。どのような創作講談を手掛けていらっしゃいますか。
福岡のゆかりの方々がすごく多いんですけれども。
広田光輝、尾形竹虎、井出水佐蔵、それから金子健太郎、野村傍頭二とか伊藤野江とか、高場納とか。
03:10
そうですか。ご紹介される際に女流講談師という言われ方をご紹介されると思うんですけど。
女流って女性って講談師は少ないんですか。
今はですね、入った時はもうすごい少なかったんですけど、3人だったんですよね。
全体的に。
20数人東京は入った時ですね。その中で女3人ですけど、今は80人ぐらいの中の40数人が女流なので、女の方が多くなったんです。
あらそうですか。その講談を目指す女性たちのどういう動機で入られるんでしょうかね。
大抵の方がですね、落語をまずね、落語をやってみたいと思うんですけど、落語っていうのは難しいんですね、女の人にとっては。
笑わせなければならないですね、まずは。泣かせることも大事なんですけど、笑わせなければならない。
だからどうしても女の人には難しい、その間の芸がですね。
で、講談は、例えば私みたいに女優出身で、舞台やりたいから、じゃあ語りの方に行こうしようっていうんで、講談に入ってくる人。
それから声優になりたかったけど、声優が難しかったから、じゃあ講談に行こうとか、落語に行こうとかって最近は増えてきてるんですけど。
神田さんは福岡ご出身で主流館高校を卒業されて、そして東京の大学を進学されました。
どういう企画で講談師になろうというふうに目指されたんですか。
元々はですね、東京の大学早稲田なんですけど、中退してますけども、女優になろうと思って行ったんです。
学生演劇で有名でしたから、それで月見というクラブに入って、勉強して1年間芝居を見て、それで文学座が自分は合ってるなと思って文学座に入って。
で、文学座で1年間研究生の本科っていうのに進むんですけど、それが約100人いるんですね。
その中の90人が2年目に落とされるんですよ。
私は落とされ組だったんですね。
10人残られた。その中には中村雅俊くんとかね、いらっしゃるんですけど。
私はその残りの90人になったんですけども、すぐにプロダクションに時田藤代さんという方が連れてってくれて。
女優としていろんな仕事を、小さい役ですけども始めました。
その時に市原えつこさん、ご存知ですよね。
06:03
見たの方ですね。市原さんを私も大変尊敬してたので、女優をやらせていただきながら、舞台の時に月人をやらせていただいてたんですね。
その時にたまたま知り合った音楽家の方が、声がでかいからね。講談やってみないということで、私の師匠2代目神田三葉をよく知ってるからということで紹介してくれたんです。
そこで入門されたという形だったんですか。
最初に師匠に紹介された時に、将棋の聞き手やってらっしゃったからね。
将棋の先生ですよねって言ったら、それは余芸ですって言われたんですね。
本職は講談です。でも講談って全く知らなかったので、どんな芸ですかって言ったら、じゃあうちに来なさいって言われて、さっきのさて儲けんざえもんというのを聞かせてもらった。
そしたら私が、師匠それって漢字だらけで、本当に漢文を読んでるような漢字なんですよね。
ですから、それはミラミミミミミミララミミミミミミラでいいんですかって言ったら、面白いやつが入ってきたっていうことでね。
私は中身はあんまりよくわからなかったんですが、音楽的に解釈して。
節を歌うっていうかね。面白かったですね。
先祖、でんらいのめいかぶとなりという和風の音階をずっとつながってる歌い上司と言うんですけれども、そこがね、なかなかできそうでできないんですよね。
いわゆるカルチャーショックでした。で、いよいよのめり込むということになりました。
芸歴っていうふうに申し上げていいんでしょうか。講談の世界でどれくらい。
えっと、45年ですね。
47年近くにはなりますかね。
師匠が69の時に私は入門したんです。
69で入門した時に、師匠の講談は面白くて素晴らしいと思ったんですけど、自分はその年を越して、もう師匠みたいにはとても慣れないですね。
まだ新人の気持ちです。
そうですか。それではまた来週もなぜこの講談の世界に入られたのか、そして小さい時どんなお子さんだったのか、またご苦労などもあったかと思いますので聞いてまいりたいと思います。ありがとうございました。
今週のリーダーは日本講談協会会長、神田紅さんでした。ありがとうございました。
お相手は下田文也でした。それではまた。
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