1. 雨の日には本をさして。
  2. #39"『V系SFアンソロジー 偽..
2025-11-20 1:10:34

#39"『V系SFアンソロジー 偽物の物語』の往復書簡・批評・エッセイ"ゲスト:V系SFアンソロジー主催・渡邉清文さん、演出家・佐藤久さん

「雨の日には本をさして。」この番組は、読書と創作について語るポッドキャストです。

エピソード39

・文学フリマ41東京、11月23日(日)於ビックサイトにて頒布予定の、『V系SFアンソロジー 偽物の物語』についてお話ししました!

 ブース【N-41~42】でお待ちしております!

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今回のゲストは、・VKSFアンソロジー主催の 渡邉清文さん・演出家であり小説・評論の執筆者 佐藤久さん

文学フリマ東京(11/23)を控えたタイミングで、V系SFアンソロ3作目「偽物の物語」をめぐって、創作・批評・アイドル・推しの哲学まで語り尽くしました。


アンソロの裏側/“往復書簡”が生まれた背景/ビジュアル系とアイドル文化の交差/推すこととお金の問題/推し方に宿る思想と価値観etc...


📕VKSFアンソロジー最新作「偽物の物語/偽物歌集」文学フリマ東京(11/23)にて頒布


🎧 ゲスト出演エピソード・雨庭さんのPodcast「眠れる夜にはラブレター」もぜひ!

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サマリー

今回のポッドキャストでは、V系SFアンソロジーの短歌やエッセイの内容が詳しく掘り下げられています。特に、「偽物」をテーマにした原稿や、演出家の佐藤久さんの体験を通じて、V系文化とSFの交錯に関する内容が紹介されています。このエピソードでは、V系SFアンソロジーやアイドル文化について議論し、金銭的な消費やファンとしての感情についても深く掘り下げられています。また、リスナーの好みや価値観がアイドルの応援方法に影響を与える点も強調されています。今回のエピソードには、V系SFアンソロジーの主催者である渡邉清文さんと演出家の佐藤久さんが参加し、アイドルやビジュアル系表現について語ります。演劇や音楽を通じた物語の消費と推し活の哲学が特に焦点となっています。ポッドキャストの第39回では、V系SFアンソロジーに関連する往復書簡や批評、エッセイについて、渡邉清文さんと佐藤久さんが自身の創作活動とその哲学を語ります。アイドル文化とSFの交差点や、作品の背後にある感情や創作プロセスが深く探求されています。また、V系SFアンソロジーに関する往復書簡や批評エッセイを通じて、創作の過程や仕事についての話も展開されます。

V系SFアンソロジーの概要
どうも、yoyoです。この番組は、読書と創作について語るポッドキャストです。今回で39回目です。
今回は、連続ゲスト回、V系SFアンソロジー主催の渡邉清文さんと、演出家の佐藤久さんにお越しいただきました。いらっしゃいませ。
よろしくお願いします。V系SFのお店主催の渡邉清文です。
よろしくお願いします。演出家の佐藤久です。
よろしくお願いします。渡邉さんには前回もお越しいただきまして、今度の11月23日の文学不利までまた、今度は3rdアルバムですね。
V系SFアンソロジー偽物の物語と偽物歌集家を新しく発表される予定でございます。
V系SFのお店でだいたいいつも、普通に創作アンソロジーを一冊出すっていう感じで昨年はやってたんですけれども、
今年は短歌も作ろうとか思い出しまして。
短歌が中に収録されてるだけだと、短歌クラスターの人には絶対届かないので、歌集を分けて作ろうといういきなり無謀なことを始めて、2冊同時刊行をやりました。
すごい。並行編集。
聞いてる方で文学不利まで来られる方で、短歌に興味のある方は、SFとか小説とかいいんだけどとか、もう5つ短歌だけでも見に来てくれるといいかなと思ってます。
ありがとうございます。
続いて、今回初登場のV系SFアンソロジーにも寄稿されてるんですが、
演劇活動もされてて、演出家としてご活躍のV系ファンであり、いわゆるバンギャーとして愛にあふれた小説をずっと書かれてる佐藤久さんにお越しいただきました。
どうもありがとうございます。佐藤久と言います。
演劇活動を20数年やってまして、自分は脚本と演出をやっていて、それとは全く別のルートで、VR系が20何年ずっとしていて、SFも読んでて、たまたまこのV系SFっていうテーマを見かけて、渡辺さんに声をかけさせていただいて、
そこからヨヨさんと知り合いになって、現在に至るという感じです。
すごい輪が広がってますね。
V系SFで広がっている。本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
エッセイと批評の重要性
はい、そうしましたら、今回ですね、文学振り間に向けて宣伝を兼ねまして、今回の39回目もやっていきたいなと思うんですけど、今回は、前回ですね、38回目は脚本家の飴庭さんと一緒に対面収録してまして、そのことについて前回お話ししてるんですけど、
どちらは主に恋愛時間SFアンソロジーということで、私が初めて主催したアンソロジーのことをしゃべってまして、今回はV系SFアンソロジーの方のお話をしていきたいなと思ってます。
はい、V系SFアンソロジーはもう今回サードアルバム3冊目ってことで、もう3年間続いている長寿アンソロジーだなっていう感じがあるんですけど、読んでいる方はね、ご存知の方も多いんですけど、
V系SFアンソロジーは他のアンソロジーと違うところは、ビジュアル系バンドに関する批評やエッセイもかなりてんこ盛りだということを、今回話していけたらなというふうに思います。
初期からずっとエッセイっていうか、ライブレポートだったり、いろいろ多かったんですよね。
そもそも創作自体が小説のアンソロジーではないというのがうちの特徴なのか、まずあって。
議局を書いてくる方ですとか、詩とか短歌が載っていたりするわけだけど、
文学フリマっていうのはカテゴリーを申請して出展するので、超小説のSFカテゴリーなんだけども、
じゃあV系って何とか、モチーフになってるアーティストとか曲とかってこれ何なの?みたいなところも当然あるだろうと思って、
俺はこれが好きなんだとか言った人はきっと多いだろうと思って、
なんか誰か書いてみたいなことを言ったら、いろいろちゃんと書いてくる人がいるという流れでやっていてという感じですね。
そうですね。私はファーストアルバムから聞こえてもらってはいるんですけど、
まさか今回自分も往復書館ってエッセイ的なものを渡辺さんと一緒に書かせてもらったんですけど、
ここまで書くに至るとは思っていなかったっていうのが参加した当初は、してから私の中でもいろいろ変化があったんですけど。
そもそも今回は偽物っていう非常に抽象度の高いテーマで原稿を書いてもらったんだけど、
エッセイのほうで言うと、アンソロジー全体の格になるようなことをフィクションとしてのV系っていうエッセイで、
書いてくれたりですとか。
アメリア・アリサさん、彼女が昔のバンギャがレプリカっていう言い方で、
アーティストと同じ格好をしたり、コスプレっていう言葉ではなくてレプリカっていう言い方をしていた時代の少女たちの話を語ってくれていたりですとか。
鎌野咲子さんというSF創作講座の仲間であり、今はオペラの脚本を手掛けているっていうのが一番メジャーな仕事になると思うんだけど、
彼女が今年、「船はついに安らぎぬ」というオペラがあったんですけども、
そこで引用しているいろんな文学作品についての紹介の記事を、今回は「引用の海を渡るある過激について」という題で、
文学における引用参照についてのエッセイとして非常に読みどころのあるものになっていると思います。
アイドル文化との関連
あと佐藤さんがレプリカギターを買ったときの葛藤とさんざいと愛情に満ちたものがあるので、いいと思います。
身を削って。
身を削ってまさに。
そんなコンバで、今回田辺さんと私がいよいよアイドルについての往復書館をすることになりまして、
かなり個人的にはすごく楽しかったんですけど、田辺さんはどうでした?
楽しかったですよ。
本当ですか。
往復書館とかリレー書館みたいなのを前回もやって、
前回、セカンドアルバムのときに佐藤さんと真壁千列さんと三人でやってたんですけども、
またやれてくれる人がいたら楽しいかなと思い、
誰もいなかったら自分が一個はやらなければならないと思っていたので、
こんなのやりませんって代々さんにお声掛けをして、アイドルの話をしてたっていう感じですよね。
前回こちらゲストで出られてたようですけど、
飴庭さんと真壁千列さんっていう人が、二人ともプラスティックトリが大好きな二人で、
熱量の高いページが10ページくらい続いてますけど、
プラのファンでない人もすごく楽しいと思うので、あそこは読んでください。
ぜひ読んでください。
ちょっとこのことについては、飴庭さんのポッドキャスト、
眠れる夜にはラブレターの方でもお話しされてるので、
ぜひそちらも聴いてください。
なんでそのVKSFのアンソロジーで、なぜアイドルの話をしてるのかっていう。
アイドルの話してるね、してるねじゃない。
そのきっかけは多分、私が今年、去年にかけてアイドルにハマり始めたからっていうのが大きいなと思うんですけど、
私はそのタイムレスプロジェクトっていう、今スタートエンターテインメントの所属しているタイムレスっていうグループが始めたオーディションドキュメンタリーにドハマりしまして、
そこから今に至る、まあ今日がフラギ日だったんですけど、
ニューシングルのアイドルっていう、あまり接点のなかったところからこの1年ちょっとで学習をし始めて、
高畑奈美さんとアイドルについて往復所感するまでに至ったという感じなんですけど。
みんなで毎月集まる編集会議という場で、真面目な本だったり論文だったりを紹介する研究的なこともやったりしていたんですけども。
ヨヨさんが急にハマりだしたっていうところもあって、
僕が、田中東高のオタク文化とフェミニズムって本が面白いよっていうようなことを紹介したりとか、
その中でも取り上げられてる中島梓さんの昔の評論だったりとかいろいろあって、
結構刺激的な、というか興味深い内容が多かったのでっていう話をしていて。
というような流れで、じゃあもうちょっと自分たちに引き寄せた話を。
今回の偽物の物語っていう本の中では、ヨヨさんと往復所感をやってますけども、
そんな雑談に話をするような感じでやりとりができると、
なんか面白い話になるかなと思って出してもらったっていうのが。
うちのグループの中で扱ってる直接の理由はその辺ですよね。
僕自身がいつからみたいな話で言うと、
欅坂46の3曲目、4曲目くらい、2人セゾン不協和音の頃、
たまたまYouTubeのレコメンドで流れてきて見て、その辺から聞いてるっていう感じなので、
2017年。
いやもうかなり推してます。
去年だから4周年記念のフォースアニマーサリーライブというのが、
千葉県のドゾマリンスタジアムでありまして、そのとき初めて行ったんですよ。
一応ね、会社が行くことに対する抵抗とかあるわけですけども。
そういう自意識とか一応あったりとかしてるんだけども、行くと楽しいので。
やっぱりドキドキする?
別に、お互い別に周りのことは気にしてないので。
でも私、初めてアイドルのライブに今年行って、タイムレスのアリーナツアーがあったんで、
北海道まで行ったんですけど、めちゃめちゃドキドキしましたよ。
周り可愛い子、みんなそういう文化がわからないから、
私はロックバンド育ちなんで、ライブティー聴いて行くやつって思ってたら、
みんなワンピースやし、なんか可愛いし、ちゃんと目から意識してるし、みたいな感じで、ずっとドキドキしてました。
そうなんですよね、結局私も合意に入れば合意に従いじゃないですけど、
様式があるだろうと思って、両方学ぶんですけど、
やっぱり内輪は胸の高さまでとか、ペンライトはどこまでみたいなのって、
すごくやりにくいなーっていうのを。
一応ね、さくら坂のライブは公式アナウンスとして出てますね。
やっぱりめちゃくちゃ騒ぐ人とそうでない人がいたときに、
いろいろすごい迷惑行為になる人がたぶん出てくるので、
そこは公式のほうに行っちゃったほうがいいだろうっていう判断があると思う。
でもバクチクのライブも厳密に言えばライブハウスとかで、
ダイブとかはしてくれるなっていうアナウンスは流れてたと思うので、
ある程度グループごとに、運営側、事務側が気をつけてることはあるとは思います。
コールの良し悪し問題はずっと揉めているけれども、
なんとなくそれなりの場所に収束しているというか。
なんかバリアのタクを思い出します。
咲き行為っていうのが、すごいバンギャーの中で嫌われる行為で。
花が咲くんだけど。
要は、ビジュアル系バンドのライブ中に特定の自分が好きな、
特に恋に近い気持ちで好きなメンバーに対してハートマークを手で作って投げたりとか、
とにかく女性として好きっていうアピールをすること。
しかもその曲の雰囲気に合わないところでの咲き行為っていうことが多いんです。
咲き行為の定義もいろいろあるんですけど、
それはすごく、どちらかというと嫌われる行為で、
私と彼みたいなそういう概念で咲くっていう行為があって、
ある意味、それが本質は本質なのかなっていうのもあって、
恋することって正直あると思うんですよね。
すごい素敵なパフォーマンスをしている人のファンに行ってその人を見つめてたら、
それは恋に近い気持ちだったり、実際に恋をすることもあり得ると思うんですよね。
なんかその時に実際に距離を詰めて好きですということが叶わないので、
あるいはハートマークをあげるくらいを許してあげてもいいんじゃないかとちょっと思ったりするし、
まあ私たちじゃないですけどね、一応。
私が好きだったのって9ミリパラメラムバレットだから、
なんかゴリゴリのって言ったらあれですけど、
高額ロック系で来てたから、
なんかちょっとね、高派な感じのね、高派なという意味で。
誰かが好きとかそういうのなかったんですよ、今まで。
なんか全体のその音楽とかドラムのリズムとかギターのリズムとかコア色とか、
ベースかっこいい、ベースがかっこいいなとか、
なんかそういうところにはまってたんで、
なんか今私はアイドル推しがいるんですけど、
推しの名前を言うのも恥ずかしくて、こういう場で言えないんですけど。
いいね、いいね。
いいですか?
いいと思います。
でもこういうことですよね。
なんか、なんで、なんだこの感情は?みたいな。
何かそういう感情が生まれてると。
ちょっとそれについてね、往復書家で、
あーでもない、でもないって渡辺さんと一緒に言ってるんですけど。
すごい面白い往復書家で、ぜひみなさんも読んでいただいて、
なんかお仕事している方はなんか、
自分なりの一言ものを申してほしいぐらいに思います。
今回このポッドキャストで何話そうかなった時に、
このテーマも佐藤さんがこれ話したいっておっしゃってくださったんですけど、
なんか佐藤さんがこれを読んで、
アイドルへの情熱と懸念
なんかこう、どんなことを思ったのかってなんか掘り下げててもいいですかね。
アイドルハマりたてのヨヨさんと渡辺さんはそれなりに長めにアイドルを追いかけてはいるけれども、
そこまで重価金税というわけではない。
多少クールに見てるところもある押し方なのかなと思うんですけども、
そのお二人が話している内容に対して、
私は結構強火の番者なので、
もちろんもっと上には上がいるんですけど、
それなりに結構金額も使っていて、時間も使っていて、
っていうところで、
ちょっと往復書館の中でお二人がお金を使うことを、
特にヨヨさんが本格的に押し始めてから着実に貯蓄額が減っている。
それによってちょっと気持ちが揺らいでいる。
つまりお金が減っていくことに危機感を感じて、
ちょっとアイドルを押すのをためらってるみたいな技術があって、
もちろんお金は減っていくんですけれども、
減っていってることを今認めてるんですけども、
お金は減っていってるんですけど、
別のことでもお金って減っていくので、
例えば普通に生きてるだけでも減っていくし、
例えば家族って家族にお金がかかったりとか、
もしくは例えば親の介護であったり、
それらと何が違うんだろうってちょっと思うんですよね。
自分の人生が充実して、
幸福感を感じて、ポジティブに毎日を生きられるっていう意味であれば、
それにお金をかけてもいいんじゃないの?って思うんですよね。
どうですか?その余裕予算は。
なんで貯蓄が減っているでヒリヒリして、
もう如実に減ってて、
多分今年のメンバーが決まって、
個人の価値観と購買行動
2025年の2月から、
如実に毎月貯蓄ができてないってところに、
私の何かこう、毎月赤字なんですよ、毎月。
本を買うのをやめるとかさ。
多分本を買うことを今までの生きがいとしてきて、
そこにまたアイドルが入ってきて、
私は多分今揺れ動いてるんですよ。
アイドルを買うか、本を撮るかで、アイドルはすごく好きだし、
これからもずっと応援していくっていう覚悟を持ってファンクラブにも入っているけど、
やっぱり私の中でまだ、アイドルを推すことそのものにもやもやする。
なんか100%楽しいものじゃないんですよ。
苦しいし、
なんかちょっと、え、こんなこといいの?みたいなところもあるし、
だから余計にこう迷ってしまうところでも、
買ってるの、アイドルのカップリングソングが若干入ってるし、
なんかプロマイドが若干違う、同じようなCDを3枚買う事象についても、
私はあんまり本当に納得してるかっていうと微妙なんですよね。
それは微妙と思いながら買ってるんですか?
それとも微妙だからそういう商品はないんですか?
いや、もう買っちゃってますね。
欲しいから。
買ってもやってると。
買って、最初来た時、最初のアルバム買った時はすごく、
5枚買ったんですよ。
ご携帯あったんで、どうしよう、買うのどうしようって伝え合ってたら、
会社の人に、そんなに好きなら買った方がいいよ、初めてだよ、初回だよって言われて、
確かに初めてだし、初回だしと思って5枚買ったんですよ。
ご携帯を。
誤魔化けてくる人がいますよね。
ご携帯買ったことは全然後悔してなくて、買ってよかったなって思ってるし、
大切にしてるし、人にも貸したし、
なんか不協にも役立ってるんで、
私的にはいい買い物をしたなって思ってるんですけど、
本当に今日はフラゲ日でシングルが出たんですよ。
私はそこで、これもご携帯出てるはずなんですけど、
私はご携帯買わずに、通常版と限定版のABで3携帯を買ってしまったなって思ってるんですよ。
同じ携帯、3携帯って、なんでここまで私がキリキリしてるかっていうと、
今自分の部屋で撮ってるんですけど、私の部屋には本しかないんですよ。
本を読むための空間、本を読むためだけの空間で成り立ってて、
そこにCDを置く余裕がないんですよね。
CDどこにつけていい?っていうのを、今切磋になっておりますね。
どうしたらいいんでしょう。
むしろ時間の問題に結局はなるとは思う。
本を買うことは一瞬だけど、本を読むためには時間が必要で、
時間が取れないみたいなのはきっとみんなあると思うんだけど、
アイドルでもなんでも、ライブ行く、あるいは音楽1曲聴くでも4,5分かかるっていうことの積み重ねで、
1日に何十分とか何時間とか増やされていくと、
当然他のことができないっていったときに、
自分の好きなものの中でとか、自分の生活とか人生の中での優先順位をどっかでつけるので、
その中での落とし所にはなるっていう。
まさに自分の年収と日々の返済と、
それの残りのお金でどう回していくかっていう。
オフ書館を読んでいて思ったことでもあるんですけど、
ファン文化の考察
自分は40代中盤なんですけど、
人生の半分以上をそういうミディアル系バンドを押していて、
最近思うのが、押し方とか何を買うか、どういうチケットの買い方をするかっていうところに、
その人の思想が出るんですよ。
それはすごく細かいところで、同じものは買わないっていう人もいるし、
ランダムは買うか、いやむしろランダムを揃えるために買うと思うし、
自分がどの体験を大切にしてるか、自分がどういうことを楽しい人生の生きがいだと感じるのかっていうのが、
買い方とか押し方とかっていうのに結構現れてるので、結構一人一人違うんですよね。
その人の生き方だったりとか価値観だったりが反映されるものだと思うから、
意外と押し方ってその人の思想とか哲学とかっていうのが垣間見れるものでもあり、
またそういうふうにしていくと、発見があったり楽しめたりするんじゃないかなって思うんですね。
たぶん私にはまだその哲学がないんだと思います。
振り回されてる。
たぶん僕は、さっき話した、名前を挙げたオタク文化とフェミニズムのアイドル押し勝つの話とかで、
著者も悩んでいてみたいなところに対する批判的な読み方もしながら、
弱者さんも巻き込んでるんだけど、
結局いかにお金を使わせるのかっていう、
自分の財布からお金を漏らすことが全部自分の自由意志なのかっていうと全然そんなことはなくて、
ある種資本主義のシステムに巻き込まれてるだけであるということが当然あってですね。
なんかすごいめちゃくちゃなこと言ってるけど。
いや、私は常に感じてますよ。
アイドルグループの、それこそ桜坂は来年国立競技場とかでやるわけだけど、
何万人動員するっていったときに、当然そういうお金の動かし方っていうの計算されていて。
僕自身は、そもそもそんなに積極的にみんなと関わる場所に行くことに対する遠慮とか抵抗とかはあって、
っていうのが一つあるのと、お金はグッズみたいなものに対しては、
ライブDVDとかブルーレイディスクとかは結構買ってたりはするかっていう感じなのと、
アイドルグループっていうか坂道とかって、日曜日の深夜にカンボリ番組があったり、それを見たり。
制作側から見てお金になってないようなことって当然いっぱいあって。
自分が見たいから見るぐらいのペースで見るけど、
こないだのヨヨさんにも、新曲こんなんだよとか、うちのおすすめこんなんですよとか言って強引に見せるとか、
見ろとみたいなことをその中でやってるわけだけども。
でもそれ良かったっていうか、違う扉が開かれていったんだ。
今まで私って狭いっていうか、あんまり新しいものを自分から見つけに行くみたいなのがほぼないんです。
新しいことは好きだから、新しいことを知って満足することは私の性に合ってるんで、本は読むんですけど、
それ以外のジャンル、例えば音楽とか新しいものを聞くっていうのもほぼなくて、
だから幸福書館で渡辺さんがおすすめしてくれたから見てみるかと思った。
あれ、なんかすごい情熱的なダンスだろうとか、
アンハッピーバースデーコール、あれ見たときめちゃめちゃかっこいいじゃんっていうふうに私は思ってしまって、
なんかこう踏みとどまっているんですけど。
もともとね、乃木坂も好きだったので、なんか多分こうドアは開いているんですよね。
鍵はかかってないんで、なんかそう飛び込めばいけてしまうんですけど、
ちょっと私のアイドル成分はこう一つのものに捧げておこうっていう感じなんですけど。
なんか自分なりの押し方って何なんだろうなっていう。
今はなんかあるものをとりあえず、今たぶん1年目なんですよね。
1年目って何するかとりあえず買うんですよ。
新規配っていうやつですね。知ってます?新規配って。
配なのかな?配なのかな?わかんないです。
新規って新しい新規ですけど、新規配っていう言葉があって、
それは新しくファンになった人ですごく熱烈にファンになった人が、
1年とかすごい情熱で現場に通ったり、すごい額を使ったりみたいなことを指すんですよ。
ちょっとネガティブな言葉ではあって、他人に対してあんた新規配だねっていうふうにあんまり言うべきではないんですけど、
そういう言葉が実際あって、私も眺めていて、確かにすごい勢いで熱烈に突っ込んでった新しいファンの方って、
1年だったり3年だったりで急にいなくなるっていうのはあって、
それはもしかしたらお金が尽きるっていうことが一つあるのかもしれないし、
やっぱりそこまでの熱烈な気持ちはほとんど恋愛と通じる気持ちがあると思う。
そういう気持ちってやっぱり長き続きしないっていうことなのかなと思ったり。
なんかそういう新規配っていう状態があって、その配が終わった後に自分の中で新しい自分なりの推し方みたいなのを見つけて落ち着いていく。
上がったり、万華は上がるって言うんですけど、アイドルの方は降りるって言うんですよね。
そこ面白いなって。
面白い、上がって降りる。
そうそう、上がる世界と降りる世界がある。
なんか私個人の感覚で言うと、多分私が今感じてるモヤモヤって、私が推してる対象がそれこそ男性アイドルで、
それこそ男性アイドルの中でも老舗のサイコさんのお家芸みたいな感じのところなんで、
それこそ恋愛消費に慣れてないというか、それで入ってるわけじゃない、
なんかそのドキュメンタリーが面白かったから推してるんですよね、たぶん私って。
その感じで、たぶんその感じでずっとその原影を追っているんだけど、
その感じでいると、ちょいちょいそれと違うことが起きてくると、あれ?なんかちょっと違ったかな?みたいなのもある。
たぶんそれを途切れさせないために、たぶん今度またネットフリックスでドキュメントやるんですけど、
たぶんそれをこそり続けてくれる限り、私はついていくんだろうなっていう感じですね。
ユーヤさんが大久保書館でそういう話をされてたのを読んで、
ああ、なるほどなと思って、恋愛を匂わせるような図言でファンを喜ばせようとするところとか、
プライベートを見せていくとか、あとは性的な、なんかちょっとセクハラに近いようなそういう企画があるとか、
そういうことにちょっと燃やる話題があって、私ちょっとそこはなんか、自分自身にもそういう部分があって、
私もちょっとこれはちょっと嫌だなって思うことがあるんです。
私生活を出すかとか、恋愛に関してどれぐらい発言をするかみたいな、
そういうバランス感覚も非常に価値観があっている。
そういう人を見つけて推していったっていうのはあると思うんですね。
なんかいろんなビジュアル系バンド好きで聴くし、現場も行くんですけど、
その中でやっぱり一番ハマっていくっていうのは、そこの感覚が似てるからで、
多分もっと耳元で好きだよっていうような企画がたくさんある人だったら、ちょっと私ダメだったと思うんですよね。
バランス感覚とか、出し方の価値観みたいなのが合うアイドル、見つかったらいいですね、なんてちょっと読んでて思った。
私が求めているのって完全に、なんかこの間、その新書を読んでなんか気づいたんですけど、
なんか全部答えに求めてしまうんですけど、私は。
それも思想ですよね。
そう、その私の癖なんですけど。
物語批判家の哲学だったかな、ナンバユウキさんの、最近読んで、
そこにアイドルの話もあったと思うんですけど、
アイドルと物語の消費
なんでアイドルとかそういうものをすのかなって思うときに、
アイドルを通して物語を消費してるんだっていう話が確かあって、
私は多分その推しの生き様だったり、
そのアイドルにその未経験からなったっていうそのストーリーラインに惚れてしまったんですよね。
絶対そんなストーリーラインを、今の創作だったら絶対描けない、ベタすぎて。
ベタすぎる、その雪の日に桜の花が咲きましたみたいな、ベタすぎるラインが、
見えて、全く未経験の男の子が現役アイドルになってしまいましたみたいな、
そういう転生みたいな、そういうストーリーラインが見えてしまって、
それがリアルで起こってるっていう事象自体に、私は萌えを感じてるのかもしれない。
わかりました、私の癖が。
アイドルでもロックバンドでも作家でも、
本人の人生とか生き様に対する興味があるのか、
歌ったり書かれたりした表現そのものに対する興味なのかっていうのは、
オーバーラップする部分が当然あるんだけど、
どっちが強いのかなっていうのは結構人によって違うと思うんですよ。
たぶん校舎とか表現のほうが重視していて、
それは桜坂でも爆竹でも小説読んでてもそうなんだけど。
でもその中で、たとえばアイドルだったらば、大人数のグループなので、
それぞれ自分たちの番組以外のところにどんどん出てってる人たちもいるけども、
それもパフォーマンス、ライブが活動の中心で、
そこに引っ張ってくるためのいろんな活動なんだっていう言い方を結構メンバーもはっきりしていて、
そっちのほうの興味、面白さで見てるんだろうなとは思うし、
そこは与野さんが応援してるところの物語がわかるし、
うちの桜坂で言うと、今年4期生が入って、あと2年前に3期生が入ったときに、
合宿中のビデオを見てるんだけど、
合宿で苦しんでるところから、みんながちゃんと応援できるような形の編集で作られているビデオがあるんですけど、
やっぱりダンスパフォーマンスで見せるグループだってわかってて、そこを目指して、
高校時代にダンス部だったりでめちゃくちゃ経験値の高い人もいれば、
本当に踊ったこともないっていう人が頑張って上達していくところと、
両方どんどん向上していくところに魅力を感じて応援してたりするので、
最初はこの人は何者なんだろうってわからないところから入ってて、
付き合って深掘りしていって、新曲が出るたびにこいつ何者なんだっていうのが常にあると、
やっぱりずっと応援し続ける。
定番の曲、おなじみの曲をちゃんと毎年聴かせてもらえるのが嬉しいっていう人もいるだろうし、
うちの爆竹みたいに、なんでお前たちはまた全然わけのわからない新曲を出してくるんだみたいなことを
30、40年近く続けてる人もいるわけで。
ちょっとここで話題を、爆竹の名前が出たところで変えたいんですけど。
この間、ルナフェスに行ってきまして、
日曜日に初めて本当にVisual Kバンドのライブに行って、
9ミリがいたからっていうのもあって、行ってきたんです。
そこで爆竹の生音を浴びてきました。
はい、いかがでした?
かっこよかったです。
私はボーカルの方の存在を知らないので。
新人ボーカルが2人でやってるバンドなので、暖かく見守ってください。
その構成っていうのは、もともとあったものじゃないんですよね。
ボーカルの方がいなくなって、歌いだしたことなんですよね。
桜谷敏がもちろん真ん中でボーカリストと立っていて、
両サイドにギターの2人がいて。
ただ今井久志がツインボーカルでいろいろと歌ってたりとか、
もちろんヒデもコーラスとしては自分の曲のコーラスの部分を一緒に歌ってたりとか若干あったけども、
ちゃんとメインボーカルを張るのは今回の構成になってからが初めて。
すごい良いな。私ロック好きですけど、なんでロックが好きかって言うと、歌詞が頭に入ってこないのが好きっていうか。
いやいやいや、聞こうよ。
私の敵なんですけど、ほとんど言葉としてあんま聞いてないっていうか、音として聞いてる。
あんま意味が入ってこない方が好きなんですよ。
リリックが入っているものよりはサウンドが好きなタイプなんで。
今のこのバクチクの状態っていうか、今のその新しい挑戦の中で結構その、もちろん歌詞も歌ってるんだけど、
なんかサウンドとして調和してるというか、あまりリリックに乗せてるっていうよりはサウンドの中にこう紛れ込ませてる感じっていうのがすごく良くて、
いいなーと思って。バクチクの方だと思うんですけど、ベースの方ですか?すごいニコニコしてる方。
ベースのゆーたんのことかな。
なんかすごい、あの方ってすごい私アイドルだなって思っちゃったんですけど。
言われますよ。私もそう思います。
バクチクのかわいいところ担当を勝手に引き受けてやっていて、いまいとさくらいなんかイラッとくるとか言われたことがありましたけど。
こんなすごいかわいらしいなーって思って。
なんか後ろの方でピースサインをしてるやつがいるとか言って、
バラエティートーク番組でイラッとするんだけどとか言って。
怖いよー。
バクチクって、ほぼ同じ高校の出身で、いまいさくらいの1個下にヒデとゆーたんがいて、
ゆーたんのお兄さんのドラムの兄が3つよつ上になるのがあって、
いまいさんよりゆーたんとヒデは1個下だから、ビジュアル系は縦社会らしいので。
そうですね。
大変確かに。
最近は自分が後ろの方で手を振って可愛くやるのがキャラとしてちゃんと成立しているので、
意識にやられている感じ。
なんかそう、私はやっぱり最近アイドルに関心があるせいか、すごくアイドル性を感じてしまって。
イエモンのパフォーマンスを見たときに、ドラムの方もすごい見せるドラムの弾き方をしてて、
なんかまた違う扉が開きそうみたいな、またなんか新たな経験をしました。
結構私が演劇のフィールドでずっとやっていて、かつビジュアル系が好きに通じるのがその身体表現をやってるところなんですね。
より美しくかっこよく見せる衣装もメイクもですね、そして動きもすごいやってるんですわ。
あんまりビジュアル系ライブ行ったことない方は、あまりそういうイメージわかんないかと思うんですけど、彼らすごいんですよね、体が。
決めポーズであるとか、決めのフレーズの時の角度とかっていうのをすごく工夫していて、
照明への当たりに行き方とか、立ち位置とかっていうのをすごく工夫してる。
例えば4人とか5人とかいるバンドの中で、演劇でいうミザンスっていう、どういうふうにステージの中で見えてるのか。
4人いたらどういうバランスが見えてて、例えば三手側の人がこういう動きをしてるから、下手側はこうした方が舞台全体として綺麗みたいなことをすごく考えてやってるのが見ててわかるんですね。
こういうシアトリカルなアプローチっていうのが、すごく見ていて見ごたえがあるし、
優れた舞台俳優を見てるのと同じ快楽で、それで私はすごくビジュアル系が好きっていうところがあるんですよね。
なんか今のですごい解像度が上がった気がします。
そう。
どういうふうに見ればいいんだみたいな。
なんか多分私が最近それがわかる。アイドルを見てるから多分なんかわかるんですよね。
あれなんかドラムの人なのになんか今すごいなんかチョケたぞみたいな。
なんかあれ?みたいな。
なんか今までの私のドラムのイメージ、9ミリ、9ミリパラベルバレットの人なので、一切顔を上げずにみたいな人なので、
なんかこう、え、なんか今髪をなびかせてなんか首筋を見せたぞみたいな。
今の世界線画みたいなのがあって、そういうことなのか。
なんかすごい今佐藤さんの哲学に触れた気がする。
歌舞伎と似てるんですよね、すごく。
男性が演じる美しさっていうのをすごくフィーチャーした文化だし、すごく歌舞伎とビジュアル系って繋がってると思うんですよね。
見栄の切り方みたいなものを実際に意識してやってるビジュアル系バンドマンはそんなに多くはないと思うんですけど、
でもやっぱり小さい頃から日本の時代劇だったりとか、例えば特撮ヒーロー物だったりっていうのは確実に歌舞伎の演技の影響を受けて、
歌舞伎俳優の方がやっていたりとか、その盾があったりとか、戦隊ヒーローのアクションも元々は時代劇の盾から来ているので、
歌舞伎から来る身体表現っていうものを見て育ってきた人たちが、かっこいい動きをしようと思った時、かっこいくて綺麗に見える動きをしようって思った時に、
そういう文化的な素養っていうものは出てくると、ことがメインになっている。
日本の男性が表現するジャンルっていうものとして、ビジュアル系は世界の中でもけっこう得意なものとしてある。
歌舞伎からつながっている身体表現の文化の延長上にある。
今年初めてちゃんと歌舞伎を見に行ったんだけど、ビジュアル系が日本で生まれるのは必然だよね、みたいなことを思う。
花道があってそこで芽を切って、みんなで月月から藍の手が上がるっていう文化なわけだし。
女方もいますよね。
たしかに。
ビジュアル系のパフォーマンス
それは音楽をやってる人たちも、すごく自覚的にやってる人たちは多分いて、好きだよね。
見え方が変わってきたなっていう。
あんまりビジュアル系の哲学の話はあんまりお仕方、自分の商品の仕方みたいな深い話ってしたことなかったんで、全然違うなって今思いました。
見方というのか。
私は結構その人の物語とか、そういう背景を見てるんだなと思いきや、佐藤さんは物体とか身体表現とか、そういうところを見てたりとかして。
いや普通に顔がいいなと思ってますからね。
本当にさっきヨヨさんが言ったのと同じで、人前で名前が言えないんですよ。
あんなに書いてるのに。
あんなに書いてるのに。言えないからこそ、物語の中で爆発させるしかなかったってところはある。
すごい、ちゃんと次に行きたいところに来た。次のテーマ、推しとファンの関係性について、佐藤さんにカオルさんの名前が言えない代わりに創作に落とし込んでる話を聞きたいと思います。
今回、ヨヨさんが主催された恋愛時間SFアンソロジー。ジャンルとしては恋愛時間SFっていうことになると思うけども、そのアンソロジーに変化させていただいて、
自分がメインでやってる演劇のSFとは全く違う作品を、恋愛ものを書かせていただいたんですけれども、ちょっと論理的に冷静にくる部分もそれとは全く逆の、本当に自分自身が抱えてる情熱をぶつけるためだけに作品を作ることができる。
あとは、これを書いたらいいんじゃないかって勧めてくれたSF作家の方、一緒に書いていることぜはるかさんなんですけれども、そういうふうに煽ってきてくれた周りの創作仲間がいたので、すごく個人的な作品を書くことができるっていうのがありまして、
私が書いた作品には、ミュージシャンのキャラクターが出てきて、モデルの方が実際にいる。自分の推しの人をモデルしたキャラクターがいるんです。
推しの実際のその方に対する気持ちよりも、自分の妄想の中でどんどん広がって大きくなっていく感情、考えっていうものが、ちょっと処理しきれなくなってきているところがありまして、それを強化するにはやっぱり作品にするしかないんじゃないか。
いいですね。
落ち着きたかった。小説を書いて落ち着きたかった。
推しとファンの関係性
落ち着きました?
悩みが深まりました。
落ち着かなかった。困ってしまった。
読んでみて、すごく整理されたというか、まともった感じはあるんじゃないですかね。どうなんだろう。
そうですね。書いているときは、全然現実のその方とはもちろん切り離し、そのキャラクターのことを考える。
私がその芸術家とか、自分の尊敬する芸術家に対して何を求めているかっていうのは、すごくクリアになりましたね。
出てきてる、出てるなっていう。
それを自覚できたことで、自分の推し活もより前向きなものになったというか、前向きなのかな、より沼にはまっているとも言える。
さっき推し活の話の中で言った、推し方に思想や哲学が現れるっていうとつながってくるんです。
自分の思想や哲学に向き合うこと、自分の尊敬、どういう思想、どういう哲学が響き合ってできたと思うのかっていうところが整理できたし、
そういう人もいるんだなっていうふうに楽しんでいただけたらいいかなと思うし、
あとはもう純粋に恋愛ものとして、私のは少しSF味は薄いかもしれないですけど、SFでもあるので、その辺楽しんでいただけたらいい。
佐藤さんが推しの名前は呼べないけど、推しを作品に書けるっておっしゃられるときに、
私逆に推しの名前も呼べないし、推しを書こうと思ったこと一切ないなって気づいて、
何なんだろうこの感情の違いって今なりました。
私が今回書いた作品は全然自分が推してるグループとは全く違うもののアイドルグループを買って書いたので、
これは浮気とかじゃないんですけど、ロックバンド育ちなんで、ストーンズの曲なんですけど、
ストーンズの曲って結構私の今まで好きだったロックバンドの曲調と結構親和性が高いんで、
結構ロックなんだよね。
そうですね。結構好きなんですよね。
バンギャーでもストーンズ好きな方結構います。
嬉しい。
でもそれを書くかってなったときに直球ストレートを投げてしまって、逆に恥ずかしかったなって全然書けませんでしたっていう。
ちょっと今後の課題でもあるんですけど。
いや、進んで恥ずかしい思いしなくちゃいいんじゃない?
なんか私いつも変化球じゃないですけど、ちょっと違ったことして直球投げないっていう感じのスタイルなんですけど、創作に関しては。
今回VKSFアントロジーに載せたのはかなり自分の中では直球すぎて、変化球投げられなかった恥ずかしいみたいな。
与野さんの作品も載ってますので、このポジテストを見て興味のある人はぜひ読んでほしいです。
恥ずかしすぎる。ストーンズのイミテーションレインと雨っていう曲をモチーフにしてみたものの席面みたいな。
なんか得てして作者が恥ずかしいって思った作品がすごく面白いってことはあり得るので。
作品の構造と批評
面白いかな。
私は面白いと思います。
私は全然推しを創作物に落とし込めてはいないんですけど。
落とし込みたいという欲もない。逆になんなんだっていう、この感情っていう。
渡辺さんはどうですか。
それこそ、今回の文庫に出したやつとかではなくて、創作講座で書いていたやつというか、
創言SF短編章の最終効果に残った作品の中身が、実は欅坂46の二次創作であるっていうようなことはやっているので。
そうですよね。
これ欅坂がモチーフだってことは言われないと誰もわかんないんだけど。
創言SF短編章の第12回になるのかな。
バーツラフ広場からクリザー、深夜1時27分という長いタイトルの作品なんですけども、一応今書くようには上げています。
19世紀ブラハが舞台の人形劇団の話なので。
私はあの作品を何本か読ませていただいた渡辺さんの作品の中で一番好きです。
ありがとうございます。あれはわりとちゃんと書けている小説。
すごくよくできてると。
これは欅坂の誰が好きでとかっていうよりも、
欅坂の構造そのものを持ち込んで書いているっていうような感じの話で。
VKSFの中でいうと、そもそもダールグレンラジオで選んでいただいたのが、
恐るべき子供たちっていう爆竹の歌詞を3000字ぐらいの物語詞的な感じのやつなんだけど、
爆竹の歌詞を70何曲か断片切り刻んで継ぎ接ぎして物語に仕立てたっていうようなものを書いているので。
あれは本当に鳥肌が立ちました。この人どうかしてると。
そんなに難しいことはやってないつもりなんだけど、自分の話で。
でもやろうと思ってやり遂げる人いないと思うんですよね。
それこそちゃんと形にしたのは初めてだけど、
たぶんあの構想の大元って、35年前ぐらいにあって、
狂った太陽っていう1991年のアルバムがあるんだけど、
一曲一曲は独立した歌、独立した曲として成立しているんだけれども、
曲の中で狂った太陽であるとか、いくつかキーワードが共通している曲があるみたいなところも含めて、
曲の並びがすごい完璧すぎるので、一つの物語として成立する感じに聞けるんですよ。
狂った太陽って。そういう解釈をすると、
すごく一本の非常にSF的な面もある物語になるなって思ったのが最初。
曲でそれをやるっていうのは、言葉だけで言うと、今までの桜井篤人名の時代で言うと、
桜井さんの詩と今井久志の詩と二人が作詞を担当していたので、
その詩の世界観の違い。もちろん一曲一曲違うことを歌っているわけだから違っている。
でもそのトータルとして何か一つの世界がそこに現れてくるっていうものを、
これとこれを組み合わせると面白いだろうなとか、いろいろありましたね。
ついたらやるのかって言うと、確かにやらないなと。
渡辺さんの言動力って課題があるからモチーフにしたってわけじゃないですよね。
ダール・オレンラジオで、今をときめく敵旬の伏見俊さんと、
アノンプレスの代表というか、SF作家の井口恭介さんの二人で、
VKを聞けとかってやってて、あれって受講生の中で応募した人もいるし、
受講生以外でラジオをたまたま聞いていて、たまたま書いてしまう人が何人かいらっしゃって、
その中の何人かが一緒に今やってる人もいるわけだけど、
そういう企画だったらこれは書かなければならないなと思って、
じゃあどうしようかなって思って書いたのが、あのときの作品。
これをすればいけないなって言って、ああいうものを書いてしまうのは。
確かに冷静に考えられると思うんですけど。
やっぱりどうかしてると思います。
佐藤さんは明確な熱い思いがあって、私はどっちかというとないんですけど、
渡辺さんは言動力的に推しを表現したいっていう感じで書いてるのか、
どんなスタンスで書いてるんですか。
特定の人じゃないなって思うんですけど。
すごくこの書き方、二次創作って批評とほぼ表裏一体なので、
批評的に見てるところは、例えば最初に話をしたバツラフ広場文文は、
ある人は欅坂46に対する批評的な面、ぶっちゃけ批判的な面も入っているし、
あれは要するに、人形劇の人形としてメンバーを語っているので、
秋元康らしき人形劇団の座長みたいな人も出てくるわけだから、
そういう内容でもあるんだけど。
しかし、幕竹の歌詞の継ぎ接ぎで一つの話を作るっていうのは、
桜井篤の歌詞と今井久志の歌詞でバラバラにやってる。
結果的に幕竹として成立しているっていう部分の要素を、
うまく自分なりにピックアップしていってるっていう感じのことをやらせてもらったかなっていうのがある。
あと桜井篤の歌詞も、今のボーカル二人では歌えようのないようなものもたくさんあって、
今井久志っていう人はたぶんSF的なものも大好きで、
日本有数のシュールリアリストだと僕は思っているけれども。
だって今回のルナフェスの鳥の曲とか、めちゃくちゃすごいしわけわかんないし、
僕は現場に行ってないけどセットリストだけ確認してるけども、
ガブリエルのラッパーとか、すさまじい。
SF的な想像力を刺激される歌詞ってたくさんあって、
じゃあ今井久志の歌詞に比べて自分のSF小説だったりの言葉っていうのが、
どのくらい爪痕を残すようなものになるのかっていうと全然なってないなとかって、
毎回思いつつ歌詞を読み返すと思いますけど。
アイドルの話に戻ると、桜坂46の僕の推しの藤吉佳林さんは、
ナギライヨウのルローの月がすごく大好きで、
本が見切れるくらい読んでるって言ってたんだけど、
他の小説は全然読んでないけどあの本だけすごい読んでますとか言ってて、
じゃあどうして俺の小説は彼女に届かないんだろうみたいな、
おかしなことを考えてしまう。
星に届けたいみたいなのがあるってことですか。
うん、どっかあるかも。
よく新人賞とかに出して、先行委員のこの人に読んでもらいたいみたいなことを言う人ってそこそこいると思うんだけど、
あんまり実はなくて、この人に絶対読んでもらいたいみたいな感じの作家さんってそんなにいないっちゃいないけれども、
だから今井久志とか藤吉佳林とか、そういう意味ではそうかもしれない。
またなんか違う参画論が、全然3人揃って、3人違いますね。
渡邉さんに伺っていて、自分の尊敬するクリエイター、アーティスト、作家に憧れる気持ちとか、
そういう人がどういうふうに作品を作ってるのか、作品そのものもそうですし、
そういうものが、ものを作る人が自分の作品に入り込んでいくっていうのはすごく自然なことだと思うんですよね。
それがたぶん小説を書く人が必ずしも小説家を憧れの対象にする必要はないし、それがミュージシャンであっていいし、
ついに名前を言いますけど、私が大好きなデュリアン・グレイのカオルさんっていう方は、
ギタリストでメンバーの中では目立たない位置の方なんですが、バンドのリーダーで曲のほとんどを作曲してアレンジをしているんです。
曲の構成っていうのがすごく複雑で巧みで、音色の重ね方とかもめちゃくちゃ考えて作られている、すごく緻密に構成されていて、
その構成があって、初めて京さんっていうものすごく壮絶な表現力を持ったボーカリストの柄が発揮されている。
かつ、聞いた人は京さんの歌っていうのをものすごく聞いてしまって、カオルさんのギターのことに気がつく人っていうのはあんまりいないんですよね。
そういう点で、またライブのセットリストを考えたりする方でもあって、そういう意味で私、彼のことはすごく超一流の演出家だと思っているんです。
舞台演出家だって。世界中に尊敬している舞台演出家なんです。ものすごく憧れる存在だし、渡辺さんもおこがましいけどそういう気持ちがあるっておっしゃってたように、
私も作品作りとか、自分が見せてもらった巧みな演出っていうものに何か応えられるものがくれたなっていうのは思いますね。
主に自分のメインでやっている演劇の演出の分野で。そういう尊敬して見つめていたら、もちろんご本人の魅力っていうのもすごくあるので、
ここで膨らんだ気持ちっていうのを、今回の同人誌の補作のほうにぶつけて、その気持ちはそっちで吐き出しておいて、
演劇の未来に向けて
演出家としては、引きにできるものが作れるかわからない、引きにできるものが作れると信じて作っていくことはすごく大事だと思って、
それを作っていくことと、また推しとして大好きっていうことと、うまく両方やっていけたら楽しいなって。
いいですね。お二人の創作の哲学を触れた気がします。あんまこんな真面目にしゃべりたいじゃないですか。
表現をどうやって作り上げていくのかっていうのは、いろんな人がどうやってるのかなってことに対する興味があって、
書き手の活動には直接出てこなくて、どちらかというとそれが一番出てきて、なおかつおしゃべりだからいろんな話が聞けるのが、
アニメーションとか映画の監督で、富野由悠季だったり、押井守とかってめちゃくちゃおしゃべりだから、
自分がどんなことを考えてどんなふうにものを作ってるのかってめちゃくちゃしゃべってるわけですけど、
ああいうのって結構聞いてて面白いし、映画監督って自分の思い描いたものを全部できるわけではない、
人をうまく動かして、あるいは騙して何とかするかみたいなことも含めて、
創作活動としてやっている部分の機械に面白いものをぶち込むのかみたいなことをやっている。
佐藤さんが演劇も考えてますとかって。
ちょっと来年上演する予定があるので。
どうなるのかなって興味があるし、演劇ってもうちょっとハードルが高いし、ような気がするし。
大変です。
ですよね。お金の面でも大変だし、役者とかただではないわけだし、
舞台装置だってただではないわけだし、劇場声を叩くわけではないわけだし、みたいなのが増えていくと。
そういうのをどう動かすのかみたいなことも含めて、
結果として自分の語りたいものを見せたいものを見せていくのかっていうのは面白いなと思って。
私も佐藤さんの演劇見たいです。
すいません、なんかすげえめちゃくちゃ語りましたね。
でもまさか創作に根幹に関わるところまで行くとは思ってなくて。
VKSFの店の中で出してる本で言うと、
この場で主催者なんだけど、普通の形態をした小説をほぼ書いていないので。
書かなきゃなと思いつつ書いていないので。
今回は架空のバンドの歌詞集みたいなのを書いてますけど、最終版で6曲にしたんだけど。
視聴者の方もいるかどうかわからないですけど。
23日の文学売り場に来ていただくか。
その後ブースとかで通信販売もやりますけど。
その後来年の京都の文学売り場にも行きますが。
ぜひお手に取っていただければと。
V系SFアンソロジーの紹介
本日はまとめますと、VKSFアンソロジーの宣伝を兼ねまして、
実はVKSFアンソロジーは批評とかで撮ったエッセイもてんこ盛りだぞっていうのを、
渡辺さんと私、よい音で書いたアイドルについての往復書簡について話すことから、
創作に至る他にもね、おかげの話とか、自分なりのお仕事の手続きとか話していきました。
はい、じゃあここまで皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
雨の日には本を刺しては毎週木曜日に更新予定です。
Spotify、Apple Podcastなど各種Podcastアプリで発信しています。
フォロー、評価よろしくお願いします。
ハッシュタグは雨本概要欄にメッセージ本もありますので、ご感想お待ちしています。
それでは終わりになります。
バイバイ。
バイバイ。
バイバイ。
01:10:34

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