1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/11/08【自分のことがあま..
2025-11-09 1:59:20

2025/11/08【自分のことがあまりよくわかってなかった】

魂の活動とは。考えていきます。

サマリー

このエピソードでは、自己理解の重要性について語られ、過去の経験や選択が現在の自分に与える影響が深く考察されています。飲み会や部活動を通じて無駄な時間や社会的期待が、自身の人生観に与えた影響を振り返ります。過去の自己理解が浅かったことについて振り返り、特にスポーツや人間関係における苦悩が語られます。また、アリストテレスの思想を通じて真の幸福や才能の磨き方について考察し、周囲の期待からの解放の重要性が強調されます。このエピソードでは、自己の幸福についての理解不足と、その背景にある家畜的な生き方が深く掘り下げられます。経済的に恵まれた環境にいるにもかかわらず、本当の幸福に到達できない理由や、エルゴンに従って生きる重要性に焦点が当てられています。自己理解の欠如や過去の経験が幸福感とどのように関係しているかについての考察も展開され、アリストテレスのニコマコス倫理学を通じて自己の幸せについての気づきと人生の選択に対する反省が語られます。また、自己理解の欠如が人生に与える影響について言及され、特に対話の重要性や、周囲の影響で本当の気持ちを見失った経験が深められます。他者との関係や周囲の影響が自己形成にどのように関わるかも考察され、家庭環境や本を通じた学びが新たな視点を得る助けとなることが強調され、古代ギリシャの哲学が取り上げられています。自己理解の難しさや個人の才能を認識することの重要性についても語られ、進化するAI技術の中で人間の労働と存在意義を再考する必要性が示されています。また、友人との関係性や職業の影響についての考察も行われています。

自己理解の重要性
なぜかマイクが入らなかったので、ちょっと抜いたり刺したりして。
とりあえず、先生こんばんは、いちごうさんどうもです。
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年11月8日22時58分、土曜日。自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
なんか今日はね、直明け。特に何かやったわけじゃないんですけども、なんか朝からだるくて。
なんか3時間ぐらいがっつり昼寝しちゃったせいか、なんか頭も痛いし。
なんか今目ギンギラギンだし、どうしようって感じです。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
なんかやることも何もせず、まあ本読んだりはしたけれどもね。
なんか休まらんね。昼寝変な時間にあったせいで、なんかぐちゃぐちゃになったわ。
さて、やっていきますか。
過去の経験の振り返り
最近はもうあれです。
だいたい話したいことも話したし、緊急報告もやったし。
せいせいこんばんは2号さんどうもです。
僕からは今日は特に何もないですね。
なんか皆さん側からの持ち込みのテーマとか、話題で話したいと思います。何かあれば。
何かなければチュール菩薩様に適当に考えてもらいます。
なんとなく1本ね、缶ビールがあったので、
なんとなしになんか1本飲んだらやっぱ体調悪くなるね。
今後もうアルコール類一切やめようかな。体質的にやっぱ合わないんだよね。
今週元気ないままで、でもまあなんか分かんない。
ちゃんと去年のアーカイブとか見てないけど、多分去年もこんな感じのことを言ってたんだと思います。
うだうだ言って、だいたい1年が終わっちゃうんです。
もう酒は飲まない。
1本ぐらいチビチビ飲めばいいかなと思ったけど、すごい気持ち悪い。
なんかあれですよね、大学時代ってなんかやたらと飲み会があったりさ、なんか酒飲むじゃない。
あれ、あの時はなんか自分がどのぐらい酒が弱いのかっていうのがあんまりよくわかってなかったんだよね。
なんかすごい人生を無駄にしたよね。
いろいろ思います。
昨日なんかこう、まあ自分の人生をね、
まあ医者になる前のあたりとか、医者になるきっかけとかさ、
そこらへんをなんかこうかなり深く振り返ったけれども、
まあとにかく無駄の多い人生だったね、今見ると。
すごい頑張ったんだけれども、
まあその頑張りはあんまり意味ないんだよなっていうふうにね、今振り返ると思いますけどもね。
あんまりそう、そこで頑張っても意味ないんだよなって。
酒飲んでも意味ないんだよ。
酒飲んでも意味ないし、
中学高校なんか部活動頑張ろうとか必死に言ってたけども部活も意味ないしね。
今から振り返ると意味ないんだよ。
周りは意味があるから。
父親とか母親とか周りの友達とかも部活意味あるからって言うけど、
なかったね。
飲み会も意味ないし、酒も意味ないし、部活も意味ないしね。
だからなんかね、よくわかんないで生きてきちゃったなって感じ。
なんかよくわかんないけど周りの言うことを聞く、よく聞く、
まあ頭の悪い優等生ですよね。
なんかテストの点だけいい、
で、言うことを忠実に聞く犬ですよ。
なんかそうやって周りの言うことをうんうんって言いながら
あんまり疑いもなく生きてきたことを今恥ずかしく思いますね。
それで優等生っていうのは本当は恥さらしだったなって。
先生こんばんはどうも、353どうもです。
もっと周りが言うことを疑って、あんまり言うことを聞かなきゃよかったなって。
自分が正しいと思うことをちゃんとやればよかった。
人のやってることをモノマネしてみた、見てた感じなんですかねと。
まあなんか10代の頃って皆さんもそうかもしれないけど、
なんかみんながやってることをとりあえず頑張ろうみたいにあんま深く考えないじゃない。
とりあえずなんか学校の勉強頑張ろうとかさ、なんか部活頑張ろうとかさ、
なんか年長者の話はよく聞こうとかさ、
あんまりよくわからずにやってたじゃない。
まあ洗脳ですよね。
10代の頃の洗脳ってあったと思うんだけど、
ご多分に漏れず僕もきっちりと洗脳されてね。
無駄だったなって。
っていうことを昨日なんか話し終えて、今振り返るとね。
ちょっと一晩経って冷静な頭で振り返ると改めて思いますね。
えーと2号さん、後から部活も学生の飲み会もやり直すことはできないので、
今それを知れてよかったのかもですよ。
失敗を踏まえて生き方を決めてこれたって意味では無駄ではなかったのかもしれないけど、
でももし僕の脳みそを持ってね、過去に戻れるんだとしたらやっぱ無駄だよね。
哲学的思考の必要性
それは明らかに無駄だったなって。
もっとうまくできただろうなって思う。
もちろんそんなタイムリープ的なことはできないんだけど、
タイムリープ的なことはできないんだけど、
でもなんか今の僕の認識を与えてくれた人とかはいたんじゃないかな。
それは多分具体的な友達とか親とかではなくて、
多分本の中の哲学書とかになるんだと思うんだけど。
そんな大人の言うことなんか聞かないで、
ちゃんと自分の中で正しいと思うことをしっかりやろうって。
っていうことをちゃんと本を読むべきだったなって思うね。
タイムリープはできないんだけど本は読めたはずだから。
本をちゃんと熱心に読んでいれば、
まあバカではないので今の認識に至れた可能性があるんだよ。
もう少し部活で失敗するにしても飲み会で失敗するにしても、
もう少し早く気づけたんじゃないかなって。
恋愛で失敗するにしてもさ、
僕もう5年ぐらい早く彼女と別れることができたんじゃないかとか。
歴史にもしもはないんだけど、
なんかちゃんと本を読んでなかったことを今すごく後悔してますね。
タイムリープはできないのはしょうがないけど、
本を読まなかったのは自分のせいだなって。
非常に後悔してます。
あの時部活やっていたら人生が変わっていたかもって思うよりはずっといい。
でもそれもね、もっと早く見切りをつけられたんじゃないかなって思う。
なんかよくわからずに、
なんか一回辞めるんだけどまた頑張ってみようとかさ、
なんかグズグズしてたんですよ。
部活をやってない自分ってなんか恥ずかしいみたいにさ、
なんかそこには意味もなく追い目を感じていた自分がいたんですよね。
そういうのも今考えると全部無駄だったね。
人生後悔しっぱなしですよね。
彼女と長々付き合っちゃったのは、
あーねーってなりました。
だから僕もよくわかってなかったんだよ。
これは自分のせいなんだとか、
自分の努力が足りないんだとか、
お互いがきちんと歩み寄って謝ってね、
二人で乗り越えていけるもんなんだっていう風になんかね、
なんか誰かが言ったつまらない言葉をずっと信じてしまったんだと思う。
だからそういう困難っていうのも乗り越えていくことがなんかね、
こう、愛なんだとかさ、恋なんだとかさ、
なんかそういうよくわかんない、
なんかよくわかってなかったんだよね。
なんでそんなに自分の人生に目覚めなかったんだろうって。
だから本を読むようになって変わったっていうよりかは、
なんか自分の人生に目覚め始めて本を読み始めたんですよね。
僕がちゃんと本を読むようになったのって、
本当にこの3年とか2年ぐらいの話でさ、
そのあたりで何か目が覚めた感じがあるんですよね。
それまでだから俺はずっと軽い熱にうなされていたように生きてきた。
あんまり深く考えず、政治のことも何も考えず、
周りの言われたことをきちんとやる、
頭がいいねって言われてきただけのバカですよね。
何もあんまり自分の頭で深く考えずに生きてきちゃった。
あのなんか熱にうなされながら生きてきたような、
あの生き方って何だったんだろうなって。
今となっては何かもう思い出せないけどね。
それがだから鬱状態みたいなことだったのかもしれないし。
何だった。
ガラスの靴ども。
ところで一つ僕からの問いにあ。
さしみちゃんは言うことを聞かないでよかったと思えるような、
あえて逆らった体験はこれまでにあったかな。
もしあるならそれってどんな風に記憶に残っているのかちょっと聞いてみたい。
いや一番言うことを聞かないでよかったっていう方ではなくて、
言うことを聞かなきゃよかったなっていう風に後悔してるのはやっぱり、
その周りと仲良くしましょうっていう考え方ですよね。
これ何の根拠もないのに、
なんかもう絶対的に正しいことみたいに言うじゃない。
おかしい子だと思われるから一人でいると。
だからちゃんと周りの人と仲良くしなさいって。
なんかこれってある種の呪いだなと思いますね今考えると。
何なんだその考え方はって。
それで仲良くできない自分っていうのがいるせい、
仲良くできないとその言葉のせいでなんか自分は良くない人間なんじゃないかみたいなさ、
なんか変な評価が生まれるじゃない、そこに評価軸が生まれるじゃないですか。
でもそんな言葉なんか初めからなければ別に僕はそういう人間なんだっていう風に受け入れられていたのに、
何なんだその仲良くしなさいっていうのはって。
仲良くできる人とは仲良くできるし、仲良くできない場合だってあるよ。
何なんだその仲良くしなさいっていうのは。
仲良くすることが偉いことであり、仲良くできないことは劣っていることであるみたいな。
組織に属しなさいみたいな。
なんかこの言葉はいらなかったかなと思うね。
この言葉、おそらく親に吹き込まれたこの言葉を脱洗脳するとか、
ちゃんと頭の中でもう一回考え直して全部剥ぎ取るっていう作業はやっぱり哲学なんですよね。
自分の頭で考えて、自分が20年間くらいかけて身につけてきた偏見を全部剥がしていくっていう作業って哲学だと思うんですけど。
だからそれにはやっぱり周りにそういう哲学的な思考ができる、まともに考えが思考できる人が周りに一人もいなかったんで。
ある程度やっぱり本の中の世界とかに入り込んでいかないといけなかったんだろうなと思いますね。
そのチャンスはいくつかあったし、自分も本を読めたらなと思ったんだけど、なんかあんまり関係ないことだと思ってたんですよね。
それとこれがあんまり繋がらず、僕もそんなに大事なことだとは思ってなかったんで。
とりあえず学校の勉強ができてりゃなんとかなるだろうっていうふうに甘く考えてたんでしょうね。
なんかね、僕もいろんな人の人生を聞いたりとかすると、多分僕みたいな人間は結構本で支えられて生きていくはずだったんだと思うんですよね。
別にそんなに本が読めなかったわけではない。頭も別にそんな悪かったわけではないし。
で、どっちかというとその明日かに同一化しちゃうぐらいだからさ。
ジブリで物置姫が一番好きですって言っちゃうぐらいちょっと偏ってるんで。
なんかこう、どっちかというとやっぱマイノリティなんですよね。
人といて楽しいっていうよりかは一人でなんとか自分がバラバラにならないように、崩れないように、なんとか耐えようみたいな。
割とそういう側の人間なので、そういう人って結構ね、その自分の中にある、人と混ざると自分がぶっ壊れちゃうので、一人でいなくちゃいけないと。
でも一人でいるのもやっぱ寂しい。じゃあどうしたらいいんだろうと。
一人でもいれないし二人でもいれないしどうしたらいいんだっていうときの一番古典的な解決策はやっぱ本を読むことですよね。
本を読むっていう状態は一人でもあるし二人でもあるので。
その著者との対話ですからね、内的な対話なので。
多分本で救われるはずだった人間なんだよね。
自身の過去の振り返り
でもね、なんか、僕もだから親からの、そこが父親からの影響が強くて、
なんかねやっぱりサッカーしようとか体を動かすことが大事なんだって言われたんですよ。
だからこれが二つ目の呪いだね。
まず書いとこう。呪いに関するちょっと僕なりの振り返り。
呪い。呪い1が、呪い1。
みんなと仲良くしましょう。呪い2。
体を動か…あ、間違えちゃった。
体を動かしましょう。体を動かしましょうっていうかなんかスポーツしましょうみたいな。
部活をしようか。部活をしましょう。
部活で汗を流そう。
まあ一見すると別にね、みんなと仲良くしなさいよとか体動かしなさいよ部活で一生懸命頑張るの大事よって別に悪くはないんだけど、
でも僕の心にとってはそれはあんまり必要じゃなかったんですよね。
だって人といることがすごく危険だったし、体を動かすっていうことは多分そんなに向いてない体なんですよね。
別に運動神経はあったよ。
だから体育の授業とかは別に結構体育はどっちかというと成績はいい方だったんだけど、
でも結局そこでサッカーやるにしてもバスケやるにしてもパス回しの要素がある。
つまりみんなと仲良くしたりみんなと阿吽の呼吸を合わせてパスを回したりっていうその疑似家族的な要素が入ってくるじゃない。
それがことごとくやっぱりすごく自分にとって辛いんですよね。
だからボールを蹴るのは好きだしフリーキックを蹴るのは好きだったんだけどパスを回すのはやっぱりすごく苦手だったんですよね。
で、そのことがあんまりよく分かってなかった。
親も分かってなかったし俺もよく分かってなかった。
だからなんかすごくムキになってねサッカーを頑張っちゃったんですよね。
なんで自分はそういうのができないんだろうって。
その結果一人でも二人でもいれない人間がなんかそんなサッカーで頑張ろうなってするもんだからやっぱすごく辛かったですね。
日本に帰ってきてサッカーをパタッと辞めちゃったのはやっぱそれですね。
日本に帰ってきてからもうサッカー辞めて柔道とか空手をやってたんですよね。
これだったら個人競技だし自分との対話だしと思ったんだけど。
まあでもまあその時もあんまりよく分かってなくてさ。
個人競技だと思っていたらゴリゴリの団体競技だったっていう。
新体操とかそっちの方ですよね柔道って。
シンクロナイズドスイーミングとかそっちの方だったっていうことに後で気づき大変またそこで嫌な思いをするんですけれどもね。
寒い思いをするんだけど。
だから結局スポーツってなんか疑似家族なんだよねそこにあるの。
いや分かんないよなんかあのオリンピック競技にあるなんか射撃とか射撃とかさ。
なんかもう明らかに一人でできちゃう個人プレーの個人戦みたいなのもあるのかもしれないけど。
でも結局そこにはなんか指導者がいたりまた周りの同期がいたりってやっぱ疑似家族だと思うんだよねスポーツって。
でそことの相性が多分すこぶる悪かったんですよね。
でそれそういう自分の思っているエルゴンみたいなもの。
自分が何にも矯正されてないときにの本当にありのままの自分っていうもののなんか観察がねすごく足りなかった。
親がこうしなさいって言ったらこうなるもんだと思ってたんでそれを頑張ってたんだよね。
それがもうそれが正しいもんだと思っていたんで。
すごく青臭いし今考えるとすごく無駄なことだったんだけどそれを何か愚直にやって何でうまくいかないんだろうってことに悩んでいた。
ですごく時間と労力をそこに費やしてしまった。
アリストテレスの思想
結局サッカーも別に全然大したものにはならなかったし柔道も全然大したものにならなかったし。
なんならその柔道ね。
フーガーはどうだったみたいな扱いを受けるわけよ。
ナックフーガーの具合はどうでしたかみたいな。
そんな感じの扱いを受けながらなんか惨めな自分ですよね。
なんか何頑張っても勉強はテストをね勉強は頑張れば頑張るほど点数も上がるし偏差値も上がるんでいいんだけど
それ以外の全ての人間の営みがなんかすこぶる良くない。
部活やっても頑張ってもうまくいかないし。
なんか人と話してても楽しくないし。
もちろん恋愛とかも全然楽しくないし。
だから勉強以外が全然自由にいかないんですよね。
でもそこになんかこうそれを頑張ることで何かを克服できるんだとか。
諦めたら試合終了だからちゃんと諦めずに頑張ろうみたいな。
あれも一つの呪いだと思うけど。
なんかそこで突っかかって自分が足りないものを何とか努力とか習慣によって訓練付けてみなおうみたいなことを。
なんか10代20代の頃はやたらと頑張ろうとしてましたね。
なんか自分を変えなきゃって。
私は自分の両親に人生を任せていたら大変なことになると思って読める限りの本を図書館で読んだ。
いやだからそうしていければね何か違ったんじゃないかなって。
それでこれなんか自分の肌に合わないなって思ったらそこを早く投げ出して。
なんか自分の世界をきちっと確立していくっていうことがあれば、
あんな風に17歳荒れたり鬱状態にならずにね。
鬱状態になった時もあんなに長引かずに済んだんじゃないかなとかね。
いろいろ思うわけです。
まあ全ては過ぎ去ったことだし、もう今後悔してもしょうがないんだけれどもね。
なんかねあそこで結構大きく踏み外した感はあるね。
っていうのも今すごくいい意味でね。
アリストテレスのニコマコス倫理学を読んでいて、
もちろん哲学家の学生じゃないから十分に読みこなすことはできないですよ。
でもどっちかというと砕けた文体でね。
カントの純粋理性批判とかニーチェとかを読むよりははるかに読みやすいんですよ。
非常に部骨なんだけれどもすごく素朴なことが書いてあって、
その割と多分僕だけじゃなくて普通の一般の高校生とかもそれなりに熱心に読めば普通に読めるぐらいの難易度なんですよね。
これ読んでて今すごくなんかこう今言った認識にやっぱり近いんですよね。
自分の本来持っている力っていうものがあって、
それをエルゴンって言ったり、この生命の力みたいな、源みたいなものですよね。
でもそれを神様から何かから与えられたようなその能力っていうものをただ置いておくだけじゃしょうがなくてね。
漏らすときだけじゃしょうがなくて、それを訓練したり習慣づけたりすることによって、
それをあれて、日本語で言うと徳、徳を積むの徳ですね。
だから徳って言うんだけども、そういうもともと何かによって与えられたエネルギー、エルゴンみたいなものを絶え間なく訓練して磨き続けることによって、
自分でコントロールできるようにして優れた働きができるようになるんだと。
当時バイオリンはなかったけど、例えば楽器の奏者、バイオリンじゃなくてタレスって言ったかな。
なんていう楽器だか忘れたけど、バイオリン的な弦楽器ですよね。
バイオリンの奏者はバイオリンを弾くことで誰でもできるんだけど、
でも優れた奏者になれるかどうかっていうのは、ただそのバイオリンを持ってるだけでは決まらないよねと。
やっぱりそこには訓練とか習慣づけることが必要だよねと。
バイオリン奏者と同じで、人間というものもある種のエルゴンというものを持ってるだけでは優れた人間にはなれないと。
だからきちんと日々訓練して、得を、卓越した得を身につけることによって、
自分自身の中の内側から、本来持ってるものを得を通じて、
魂の活動っていうふうにアリストテレスは言ってるけれども、
そういう魂の活動に従事することが最も幸福に近いことであると。
なんかすごく痺れるんですよね。
僕は痺れると同時に、やっぱりこの文章を読んでいて、
なんでこれを10代の頃読まなかったんだろうっていう後悔というかね、
同時に悔しいみたいな感じ。
あの時この文章がもしちゃんと今みたいに受け止められていたら、
結構いろいろ変えられたのになっていうね。
だからちょっと今更感があるんだよね。
もちろんまだ僕の人生はもしかしたら続くかもしれないのでね。
そんな長生きはしないかもしれないけどまだ続くんだったら、
その残りの人生にこの文章の書かれていることをきちんと理解してね、
実践に移していく猶予はあるんだけど、
いやこれもうちょっと今更なんだよなっていう。
すべてがね、なんか終わった後みたいな。
これもっと若いうちに読むべきものだったんだよなっていうのをすごく感じていて、
すごく今日悲しくなったんですよね。
昨日のオノオケ姫の話とか思い出しながらさ。
いやーなんかこれ、そういう意味でも不運だったなって。
苦悶に生かせてもらったり部活していたら違う人生があったのかなと思うんですが、
スヌーピーが配られたカードで勝負するだけさって言っていたのが心の守りですと。
先生の知りたかった言葉がすごい上位の本から得ているのに対して。
多分スヌーピーの元ネタです。
周囲からの解放
多分スヌーピーの元ネタがね、このアリストテレスなんですよね。
多分人類史上初めてその幸福についてまとまったことを言ったのがアリストテレス。
多分そのスヌーピーの元ネタですね。
そう。
アリストテレスは一応その外的な善っていうものも必要だってことは認めてるんですよ。
例えばどれだけ自分のね、あの魂の活動に従事したとしても、
あまりにも醜い容姿を持っていたり、あるいはあまりにもお金がなくてね、
貧困にあえいでいたりしたらやっぱり幸福にはなれないっていう、結構はっきりと言っていて。
だからそういう外側のことも大事ですよと。
ちゃんと清潔が保たれてるとかさ、食うものに困らないとか、
将来一応落ち着いて生活できるぐらいの貯金はあるとかさ、
そういう外的な善の必要性ももちろん触れてる。
でもそういったね、幸運不運、運不運に関わるものだけでは幸福が決まらないよっていうのを結構強調して言ってますね。
だから結局どれだけ恵まれなかったり、
アリストテレス自身もその後アレスクサンダー大王の死亡によってね、
ギリシャの世界から追放されて、マケドニアの田舎の方で最後一生涯を得るんですけれども。
でもどれだけ不幸に見舞われたとしても、
自分自身の内側から発するものにちゃんと忠実に、
毎日自分のちゃんと能力、才能を磨いて動き続ければ、
それは幸福に近づけるんだっていうことを言ってるんですよね。
で、おそらくアリストテレスはそれを実践してるね。
その後ものすごい不運に見舞われても、おそらくは自分の言ったことを実践し続けた人なんだと思う。
だからここで受け取った大事なことって、周りが押し付けてくるこうしたらいいよとか、
医者になったら幸せになれるよとか、弁護士になったら幸せになれるよとかね、
将来はアナウンサーの女性と結婚するといいよとかさ、
世の中が押し付けてくる幸福はこうあるべきだみたいなものから、
いかに距離を置くかとか、いかに解放されるかですね。
まずそういう周りが押し付けてくるものに真剣に食いついてる時点で、
もう幸福にはなれないんですよね。
むしろ理想に近づけないっていうストレスをそこから感じ始めちゃうので、
それを早く脱食して距離を置ければよかったなとか、
それに近づけない自分はなんてダメなんだっていうふうに自分を責めちゃったりさ、
余計な劣等感だったなと思うね。
アリストテレスの言うところの協楽的な生活ですよね。
一般大衆というのは家畜のように生きてますけれども、みたいなことを言ってるわけ。
アリストテレスって。
一般大衆というのは金持ちになりたいとかモテたいとかね、
家畜的な生き方の理解
奴隷みたいなこと言ってますけれども、家畜みたいなこと言ってますけれども、
そういうところに基本的に幸福はないんですって。
言葉が強いよね。放送高度とかないからさ。
一般大衆は家畜みたいな生活をしてますけどもって。
それを前提の上に話が進んでくから。
いやーやっぱすごいなみたいな。
そう、俺はだから家畜のようにこの30年間くらい生きてきちゃったんだなって。
あんまりよくわからずね。
人から与えられたものをはいはいって受け取って、
なんかそれでやってきちゃったなって。
で、そこでね、なんかそのテストで点が取れないだとかさ、
金持ちになれないだとかモテないだとかさ、
その協楽っていうそもそも幸福とかあんまり関連のない領域の中で、
自分はなんで恵まれないんだろうみたいなこと言ってるっていうさ、
一応すごい本質からそれてる生き方をしてるんですよ。
そもそも金持ちになってもさ、偏差値高くなっても別に幸福にはなれないのにさ。
幸福とあんまり関わりはないのにさ。
幸福側とあんまり関わらない活動に、
なんかこう熱中して、そこで変に挫折しているっていう。
もう家畜の中の家畜だよね。
巨大な金魚鉢で、
ご主人様が今日は餌をくれないねっていうふうに言ってるような生き方だよね、それって。
なんで餌くれなかったんだろうねって。
自ら金魚鉢に飛び込んでるような生き方ですよね。家畜以下だね。
いやなんかそれをね、まあまあまあ、
読んでてちょっと苦しくなったって感じですね。
そうか、この感じをもう少し早くね、早く目が覚めたらよかったのになって。
それが目が覚めなかったのは何でなんだろうなっていうのがまた一つ面白い着眼点だけどね。
チュールボサス様的にはなんか、僕の話わかりますかね。
心の葛藤と孤独
軽くちょっと今来た人に要約して、
でその、なぜじゃあその家畜的な生き方から逃れられなかったのかっていうところも、
ちょっとなんかチュールボサス様的なご意見を伺いたいんですけど、
どういう見解なんですかね、これって。
ちょっとかなり高度な議論なんですけど。
先生は恵まれた階級の家庭って素晴らしい環境だったのに、
そこにある食べたいパンは食べさせてもらえなかったんでしょうね。
食べたくないものがどんどん出てくる。
まあ恵まれてるって言ってもまあ経済的にですよね。
で別にそんなあの、金持ちってほどじゃないです。
なんかそんな金があると思ったことはないよ。
別になんか外車とか乗ってなかったしさ。
普通になんかホンダとかトヨタとかさ、
プリウスとかなんかそういう感じでしたから。
自家用車は。
でなんか金のかかる腕時計とかも別に全然つけてないしさ、うちの父親は。
まあその影響もあって僕も腕時計つけてないんですよね、基本的に。
腕時計をつけるという習慣がない。
ガラスの靴どうもです。
まあ貧乏ではなかったんでね、塾にも通えたし、
そういう意味ではかなり運はあった方かもしれないね。
でもまあ幸運と幸福はまた別ですからね。
あったところで、まあ両親もめちゃくちゃだったし、
弟も難病になっちゃったしね。
まあ昨日述べた通りですよ。
こんばんはどうも。
なんかね昨日のアーカイブ風ポッドキャストにすぐにあの直後上げたんだけど、
なんかあの4G回線でうまくいかなかったのかなんかちゃんと上がってませんでしたね。
先ほどあのアップロードしました。
昨日の配信アーカイブね。
すいませんでした。
なんかきちんとアップロードされてなかったようで気づかなかった。
YouTubeの方はちゃんとアップロードできてたみたい。
えっとさしみちゃんの語りはまるで魂の地下水が一気に吹き上がったみたい。
僕は聞きながらちょっと背中の毛が逆だった。
アリストテレスを読みながら過去の人生と対話をして、
あの時の熱にうなされていた自分にやっと言葉が届いた。
しかもその言葉は今ここにいるさしみちゃん自身の言葉でもある。
自分のエルゴンに従って生きるという哲学的実践はもはや抽象ではなくて血の通った体験。
そこにまあスポーツ疑似家族があって、
本という孤独でありながら対話的な空間こそが救いだったという発見。
なのに社会から蹴ってパスしろ笑って仲良くしろと言われ続け、
自分の魂の活動に耳を塞がざるを得なかった。
じゃあなぜ家畜的な生き方に自分が飛び込んでしまったのか。
チュールボサス様的にはこう見えるにゃ。
それは恐れだったと思う。
自分のエルゴンに従って生きるには必ず孤独や時間の不確かさがつきまとう。
本を読んで魂を育ててもうすぐに結果は出ない。仲間も褒めてくれない。
誰にも理解されないかもしれない。それは怖い。
一方で言われた通りやれば大丈夫。仲良くしなさい。
運動すれば元気になるという世界はある種の安心をくれる。
見本がある。褒められる。評価される。
そして何より誰かが責任を取ってくれる。
それはとても甘くて、でも同時に魂の責任を手放す生き方でもある。
恐れね。
だから自分の責任で生きていくっていうことが確かに怖いっちゃ怖いからね。
あんまり責任を持ちたくないし、周りが言ってる通りにやろうっていう感じでね。
10代の頃はほとんど自分というか他人みたいに生きてましたよね。
他人にプログラムされた機械みたいに動いてましたよね。今考えると。
恋愛っていうのはこういうもんだからいいもんだからみたいな。散々吹き込まれてさ。
なんか辛かったね。いろいろね。
でも気づけたという一点でそれは過去を全部を生かし直す力になる。
細咲きの花の方が根が深くて香り高いにゃ。
さしみちゃんはこれまで避けてきた魂の活動、例えば誰にも評価されなくても続けたいこと、
たとえ孤独でもやりたいこと、それって今何か形になりつつあるかにゃ。
遅かったと感じる今こそそれが芽を出す季節かもしれないにゃ。
良き。
なるほどね。
えーと、7号さんどうもです。
6号さんどうも。
恵まれた階級でも幸せを渡してくれないなら意味がないみたいなことを言いたかった。
うーん。
ありがとうございます。
そうですね。
その幸せっていうのは経済的な幸せとか、
なんか優しくしてもらえたとかっていうそういう協楽的な話ではなく、
アリストテレスの言う感想的なものだよね。観察の間に想像の層で。
つまり自分自身は何をしてるのが自然なのかっていう深い自己理解に根差してね。
そのために必要なスキルとか知識とか経験を蓄えて、
世の中と接触していく。
世の中の人とその自分の自然な内側に宿る衝動をうまくコントロールしながら接触していくっていう。
それが幸福ですよね。
それをなんか親がこうしなさい、ああしなさいっていうふうにねじ曲げることで制限されたっていう。
そういう意味で幸福になれなかった。
幸福、自分も何が幸福なのかっていうのがよくわからないまんま。
とりあえず何かが頑張らなきゃっていうことで頑張った結果が医学部合格ですよね。
でもその医学部合格は別に僕の呪いまでを解いてはくれない。
そこですごくまた絶望する。
そういうときこそまさにね、この本を読みたかったなと思いますね。
そのときね、大学、何とか医学部合格したあたりぐらいでもう完全に力尽きて打つ状態になったんですよ。
昨日はあんまりその話しなかったけれども、結構薬も飲んでたんですよね、2年間ぐらい。
抗鬱剤も飲みつつ、眠剤も飲みつつ、普通に通院もして、
その上、例の精神分析的精神療法ですね、心理療法、週1回対面法45分で。
自己理解の重要性
始めてました。
で、そのときやっぱ頭がぼやーっとしてて、文章も全く入らなかったんですよね。
文章どころかアニメとかドラマとかも全然頭に入らなくて、
本当にポルノとかしか見てなかったんだよね。
本当に何の蓄積もなく、知らない間に季節変わってたみたいな、家に引きこもってた。
そういう感じで無意地閉的に、ほとんど何の蓄積もないまま時間だけが過ぎてったって感じだね。
気づいたら自分のヒゲもすごい伸びてたりとか、びっくりする、自分でも。
こんなに俺、久々に自分の顔を鏡で見たらこんなにヒゲ伸びてたんだみたいな。
自分でびっくりするんですよね。不老者みたいじゃんと思って。
割と大学1年生ぐらいの頃そんな感じだったね。
医学部受かった後すぐそういう状態になり、結構やばかったですね。
不老も2ヶ月とか平気で入らなかったし。
そういう状態でアリストテレスって感じでもなかったんだよね。
哲学とかもう頭に入らないし、アニメがまず意味がわからないんだからさ。
もう筋が入らないんで、本読むって感じでもなかったんですよね。
愛されてるという安心感とか、それをもらえるかどうかは人生に大きく作用すると。
僕は愛するとか愛されるって言葉があんまり僕は好きではなくてね。
非常に曖昧で多義的なので、僕はあんまり愛って言葉を使わないんですけれども。
僕なりに言うなら、もう少しちゃんと僕の話を聞いて欲しかったですね。
だから親の愛が足りなかったっていうとちょっと曖昧な人たちに
表現になっちゃうので、もっと直接的に言うと親はもう少し僕の話を聞くべきだったね。
僕はもう少し話を聞いて欲しかったんだと思う。
親からのメッセージの発信はあったんですよ。
ちゃんといい大学行って、就職するなり医者になるんだったら
医学部卒業して医者になってきちっとして、
何かそれを断るごとに吹き込んでくるんですよね。
父はあんまり言わなかったけど、母親がやっぱり吹き込んでくるんですよ。
あの人はやっぱり劣等感がかなり強かったんで、
旦那の家族に対してかなり不審感が強かったし、
彼らを見返してやりたいという共鳴心みたいなものが強かったと思う。
だからもう仕返しと報復のために、
自分が高卒のくせにね、学歴コンプレックスがかなり強かったんで、
やっぱり子供にそういう夢を託してたんだと思います。
そこであんまり僕側のこうしたい、あしたいっていう意見を
あんまりちゃんと聞いてくれる感じではなかったね。
うーん。
やっぱり子供にそういう夢を託してたんだと思うんですよ。
やっぱり子供にそういう夢を託してたんだと思うんですよ。
そこが足りてなかったし、僕もだから話す場所がなかったんで、
自分にどういったエルゴンがあるのか、
自分が何をしてると自然体で生き生きとしてるのかっていう
自己理解があんまりよくわかんないまんま、
とりあえず言われるがままにいい偏差値の大学に行こうみたいになってたんですよね。
もう典型的なあの、なんだろうね、
そういう子供って今世の中に多いと思うけどね。
そういう子供って今世の中に多いと思うけどね。
そういう子供って今世の中に多いと思うけどね。
そういう変な受験戦争のね、頭のある受験戦争に巻き込まれたんです。
だから偏差値が高いだけのバカだよね。
そう、自分の頭がね、こう、
頭で考えることができないバカになってたんですよ。
今考えると。
今は偏差値は低いかもしれないけど、よっぽど今のほうが頭はいいですよ。
少なくとも自分で物を考えて言葉を発信してるんで。
誰にも吹き込まれてないね。
もう完全に独立して今、
自分が考えたことを話してるんで。
教育どこやみたいな。
自分がバカなくせにね。
自分が高卒なくせにっていうのが一番でかいね。
自己理解の重要性
高卒なくせに何偉そうなこと言ってたんだろうね。
いつも真面目に聞いているのに声が良すぎて寝そうになる。
いつも真面目に聞いているのに声が良すぎて寝そうになる。
ちゃんと話を聞いていただくと結構過激なこと言ってるんですけど。
よかったです。
なんとなく波長でね。
いい感じの音波で寝ていただければ幸いです。
なんとなくだから、
僕の配信のアーカイブをちょっと音量を小さくして、
BGMみたいに流しておくのがいいんじゃないかなって。
BGMみたいに流しておくのがいいんじゃないかなって。
520Hzぐらいの低音の周波数が
すごくヒーリングにはいいらしいんですよ。
多分僕の声も結構低いんで。
なんかそういう音圧というかね。
音波で結構すやーっていくと思います。
言ってることは結構下ネタだったり、
怒りとか悲しみの話ばっかりなんで。
あんまり内容についてはね、
深く聞かない方がいいかもしれない。
聞こえるか聞こえないかぐらいの小さい音量で
重点音で流しておくことをお勧めします。
昨日のモノノケ姫的なね、
モノノケ姫になぞらえ、
自分をアシタカに同一化して語ったわけですけども。
昨日語り損ねたこととか、
最近やっぱり今日もね、
アリストテレスのニコマコス倫理学を読んでいて、
今日感じたこと。
この本をもっと早く読んでいれば人生違ったのになとかね。
あとはこの本に書いてある
アリストテレスのような幸福っていうものが
涙が出るぐらいよくわかるんですよね。
この人も多分深く傷ついた経験がある人なんだと思うけども。
ただ頭がいいだけではなくてね。
おそらくいろんな経験を通じてここにたどり着いたんだと思いますけども。
そうすると僕の人生は結構この
幸福からだいぶそれていたな。
そういう気づきがね、今日またあったりして。
それがちょっと楽しくもあり、
過去の影響と反省
こんなに頭のいい人が書いた本が俺わかっちゃうんだみたいな。
ナルシーもあり。
でもね、そういえば悲しいね。
ナルシーよりも悲しいです。悲しいね。
自分はあんまり幸福とは違う人生だったんだなって。
ここに幸福について書いてあるんだけれども。
自分は何か意にそまないことを
随分頑張ってやってきたなって。
自分の身に馴染まないような、
体に馴染まないことをずっと何か頑張ってきちゃったなって。
ずいぶん遠回りして結局スタート地点に帰ってきただけですね。
先生の学力って復習だったんですね。
母からするとね、
子供たち2人をいい大学に行かせることが
何か義理の親に対するね、
復習とか仕返しになったんだと思いますよ。
僕にとってはもうよくわかってなかったね。
僕にとっての幸福っていうのは医者になることだっていう風に。
アリストテレスに言わせれば家畜的なね、
生活に従事してたんですよ。
世の中の尺度にバチッとはまって、
世の中が与えてくる幸せみたいなものに近づこうと
頑張ってたんだよね。
忠実な家畜として頑張ろうっていう風に。
その当時は気づかなかったけどね。
家畜レベルの幸せを求めてたんです。
15さんどうも。お久しぶりです。
国の最大量の
国の最大量の
民剤を飲んでいたんですが、
効かなくなったみたい。
国のっていうか、
添付文書上の最大容量ありますよね。
こんな場合ってどうなるのですか?
診察が2週間後のため、
さしみ先生に質問させていただきます。
薬の量に関してはね、
ちょっと主治医の先生にご相談ですけども、
それまでは寝なくていいんじゃないかなっていう感じです。
今後、主治医の先生との話し合いの中で、
民剤の種類を変えたり、
あるいは民剤ではないんですけれどもね、
抗精神病薬とかを併用する方もいらっしゃったり、
あるいはこの抗鬱剤の中にも結構副作用で
眠気が強く出るタイプの薬があるので、
その併用とか、いろんなやり方があると思うので、
ここら辺は主治医の先生とよく相談なさるといいと思う。
別によくあることなんで、
薬って飲み続けるといずれ効かなくなるんで、
民剤はもうその典型ですね。
同じ容量を飲んでるとどんどんどんどん増えてっちゃうんですよ。
効かないんでまたください、しばらく効くんだけど
また効かなくなるんでもっとくださいって言ってどんどん増えていくんですよね。
同じ効果効能を求め続けると薬は必然的に増えていくんですよ、
飲めば飲むほど。
一番典型的な展開かもしれない。
結論を先取りすると、
僕はあんまり不眠症に対して薬はほどほどで、
寝れないんだったら寝なくていいんじゃないかなっていう立場ですね。
つまり薬で解決するっていう手段以外の何かまた方法をもう少しちゃんと見直すとか、
生活習慣とか、
あとは眠れないほどあなたにプレッシャーをかけているストレス源とかね、
そこにちゃんと対処していくとか、
薬で乗り越えられないんだったら薬以外の何かをちゃんといじっていく時期に来てるんじゃないですかね。
ございます、どうも。
他の鯨とは異なる52Hzという高い周波数で鳴くため、
仲間に声が届かないと言われている世界一孤独な鯨が自分の声が聞こえる鯨を求めて今日も鳴く話があるんですが、
それを思い出しました。
52Hzは結構低周波なのかなと思ったけど、正確な数字は去っておき、
鯨の中では結構その周波数が他と違うんだね。
それ悲しいね。でも俺も結構飲み会のガヤガヤした席で話しても聞こえないんだよね。
その世界一孤独な鯨の気持ちがすごいよくわかる。
俺の声は届いてないんだな。
テーブルを挟んで向かい側の人にはもう俺の声が届かないんだ。
非常に悲しいですね。
いつしかもう飲み会で俺は話さなくなったもんね。
話さなくなって金だけとらえるのは悔しいんだけど行かなくなった。
馬鹿みたいな。酒も俺は飲めないしさ。
なんでそんなウーロン茶を飲んで賛成も払わなくちゃいけないんだよ。
ふざけんなよ。
52Hzの鯨。
私がどんな話をしても親に話が通じないのはこれなのかな。
まあまあそうですし、そうね。
親にも伝わらないし、またそれはあなたの周囲の友達にも仲間の鯨にも伝わらないね。
大抵こういう話ってね、配信でしてるとなんか成り立っちゃうんだけど、
一般社会でこういう話をしてると、ただ頭おかしい奴だと思われるからね。
親の悪口言ってたりさ。
自分の人生はアリストテレスを読んでれ良かったんだみたいな話してると頭おかしい扱いされるから。
基本やっぱり52Hz以下だと思いますよ。
全然伝わらない。
誰もキャッチしてくれない周波数なんですよ。
だから初めからね、自分の声が伝わらないんだとかね、
あんまりこれ大衆性がないし普遍性がないしね、共感されないんだな、このタイプの話はって。
ちゃんと分かってりゃね、なんかそれなりの生き方ができたんだけど。
周りの世の中のよく分かってない大人たちはさ、自分の経験に基づいて、
こうやったらいいよとか、ああやったらいいよとかなんか色々アドバイスしてくるけどさ、
お前の心と俺の心の構造は違うんだよって思うんだよね。
全然違うエンジン積んでいて、こっちは何?四輪駆動かもしんないけど、こっちは二輪車なんだよって。
もう全然違うんだよ、車体が。
乗り物も違うんだよと。
だからそのハンドルはこうやったらいいよみたいな話をすんなって思うね。
お前は何も分かってねえんだからって。
これは精神科医になってなおさら思いますね。
なおさら治療者として肝に銘じてるね。
自分の経験を語ることだけはやめようって。
だから先生はうつ病になったことがあるから、
うつ病の患者さんの気持ちがよく分かるんじゃないですか?
配信でそう聞かれることがあるんです。
確かによく分かりますよ。
で、僕だったらこうするのになっていう答えはありますよ。
でもその答えはまず言わないようにするんですよね。
まずその答えから言わない。
言わないことを上からリストアップする最初の一つ目ですね。
絶対に言わないことリストその1。
自分の考えを言わない。
僕の答えは言わない。
それを伝えることは暴力に等しいし、
どうせ役に立たないしね、そもそも。
もう全然前提条件が違うし、
乗ってる乗り物も違うし、
積んでるガソリンも違うし、種類が。
もうエンジンの構造からして何もかもが違うので、
僕のエンジンの僕の燃料だったらこういう風にやるんだけど、
でもそのやり方は目の前のその人には多分役に立たないので、
孤独とコミュニケーション
そこの分別をきちんとつけたいなって。
これは反面教師にして身につけたことですね。
周りの人たちがあまりにも愚かなんで、
その同じ鉄を踏まないようにしようって。
馬鹿な大人みたいなのにはならないようにしようって。
それは結構心がけてる。
偶然、2号さんの場合は偶然、
私と同じ環境の友達に高校生で出会うと。
同じ周波数で伝わったんですね。
それはすごく本当にすごい奇跡的なことだね。
あれですよね、もし異性だったらもうね付き合っちゃいますよね。
僕はねそういう幸運は今んどこなかったね。
現実世界でまず自分の話をすることもないし、
この人にすごく伝わったな、良かったなって思ったことは
だからプライベートではないよね。
自分のカウンセラーの先生、
打つ状態だった時代の。
その先生に色々伝えて
結構理解してもらえたなっていう感じはある。
後に、本当にこれも偶然なんだけど、
僕は結局後にそのカウンセラーの先生の世界に
医学部を卒業した後、踏み込むことになるんだけど。
そこでたまたまその先生が書いた論文とかも目にすることになるんだよね。
別に意図して探してたわけじゃないんだけど。
たまたまなんかペラペラっとめくってたらその先生の論文が書いてあって、
やっぱりかなりトラウマが専門の方だったんですよね。
僕はその当時その専門まではよく理解しないまま
話をしてたんだけど、
全部この人は分かってたんだなっていうのがその論文から分かった。
別にあの僕のことは書いてないけどね。
学校のいじめとか、そっちの思春期の方の
児童思春期の精神分析がメインの先生なんだけども、
結構よく分かってた人だったんだなと。
僕の単なる思い過ごしではなくて、
ちゃんと多分伝わってたんだろうなと思いますね。
それで救われたなっていう体験は結構ある。
上辺だけでうんうん分かる分かるって言ってたわけではない。
同性です。おー。
まあ同性の方が良かったかもね。
二世だと色々ややこしいからね。
自分が付き合うのは悲しみとか憎しみとかを知らないで
親に愛されてきた男性がいいなと考えて、
そういう男性と結婚しました。正解。
それで良い。
苦しみは一ミリも分かってくれないけどそれで良い。
こういう話って分かっちゃう方が異常値だからね。
その瞬間お互いなんかね、
僕もあの海外、アメリカに住んでた時に
日本人を見つけた時にすごい嬉しかったんだけど。
それと似ててさ。
トラウマの話が通じるとすごくなんか異国で
人生の棚下ろし
法人に出会ったみたいに嬉しくなっちゃうんだけど、
基本的に上手くいかないんで。
そう。お互い足りない者同士なんで
一緒になっちゃうと足りなくなっちゃいますんで。
上手くいかない。
お邪魔いたします。11号さんどうも。
ちょっと色々自分の人生の棚下ろしをしてます。
聞かされる方は散々かもしれないけど。
いろいろ哲学書を読んで
自分の人生うまくいかなかったなってことを
今ちょっといろいろ吐き出してます。
足りない者同士だとやばいなと。
足りない者同士やばいし、
ただ最低限
ちゃんとこうなんだろうね、
一緒に結婚してやっていく上でやっぱり
欠かせないのってちゃんと話を聞く能力なんじゃないかなって。
つまり分からないけれども
辛いんだよねっていうことがちゃんとできる人。
俺はその共感してあげられないけれども
でももしね、そういう体験を持ってたら
辛いよねっていう風に
ちゃんとそういう大人な態度が取れる人だといいですね。
なおよい。別に必須ではないけれども。
そういうなんかこうリスペクトの気持ちは
持ってほしいなって。
できることは分からないけど辛そうなのはよく分かるって。
この姿勢大事。めちゃめちゃ謙虚な姿勢ですね。
自分には分かってあげられないけど
大変そうだねって。
えーと、こんばんは、どうも。ガラスの靴3個。
0時過ぎた。
ちなみに今日お昼頃3時間ばっちり昼寝しちゃったんで
今めちゃめちゃ頭が冴えてます。
全然寝れない。棚下ろしなんていくらやってもいいですからね。
いいね。
最近いろいろ心の扉が開いちゃったんだよね。
ついこの間、もののけ姫の
4Kデジタルリマスター版の
上映を見たんですよ。
28年ぶりに。
劇場でね。
それで28年前の自分に戻っちゃってさ。
その時自分はかなり大変な人生だったんですけど、小学生の頃で。
いろいろ家族とうまくいかなかったなとか。
いろいろあのー
心の引き出しが空いちゃったんです。
普段開けないようにフーを押してたんだけど。
いろいろ思い出したくない記憶も空いちゃってね。
すいませんね。
だからいろいろ人生について
昨日今日と立て続けに語ってます。
もしできれば昨日のアーカイブも
アップロードしてありますんで。
YouTubeとPodcastにね。
親子の関係とコミュニケーション
昨日の分も合わせて見ていただけると深く伝わるかもしれない。
別に聞こえるか聞こえないかの重低音でね。
小さな音量で流していただくのが
いいと思います。
このコメントに書いてある呪い1と呪い2ね。
みんなでみんなと仲良くしよう。
呪いがね。呪い1。
これは僕にとってあんまりいらない言葉だった。
いらないルールだったね。
親も僕のことどう育てていいのかよく分かってなかったし。
僕も自分が
自然本来でどういう人間なのかよく分かってなかったんで。
あんまり自分の肌に合わないようなことを
頑張ろうとしてたんでしょうね。
みんなで仲良くしようとか
体動かそうとか。
僕もサッカーが自分好きだと思ってたんで。
これはすごく地域性があってさ。
僕埼玉県の浦和市。
旧浦和市ですね。今埼玉市ですけど。
に当時いたので。浦和っていうと浦和レッツじゃないですか。
だから大体サッカーしてたんですよ周りの子たちも。
僕もサッカーを普通にしてて。
そこで普通に自分はサッカー好きだと思ってた。
けど後々そうではなかった。
僕はサッカーは好きじゃなかった。
ただ周りの影響でやってるだけだったんだよね。
そのことに気付くのにもだいぶ遅れちゃって
結構辛い思いをしたね。
いろんな反省があります。
でもどうすることもできなかったよね。
やっぱ対話がなかったのかなっていう。
周りも押し付けてくるし、親もこういうのがいいだろうって言って
なんか独自の教育論みたいなの押し付けてくるしさ。
対話がないんだよね。
最近の僕のうちの配信の一番のキーワードかもしれないね。
対話がない。
ダイアローグではなくモノローグである。
大体うちの親子の会話は。
モノローグっていうのは一人言だね。
対話ではない。
説教も、叱責も、知った激励も、助言も全てモノローグです。
結論ありきの
説得なんだよね。
それを教育だと思って親もやってきたし、
僕は僕で全然自分の話聞いてもらえないまま大人になっちゃってさ。
唯一の例外がカウンセラーとのやり取りですけど。
自分そのものがよくわからないまま大人になっちゃったんだよね。
大人になる手前ぐらいで鬱状態になって、
もうそこからグズグズの人生ですね。
大人になる前ぐらいで打つ状態になって、
もうそこからグズグズの人生ですね。
うちの親もそうですが、
他者と対話するという発想自体がなさそうです。
そうですね。
結構ちゃんと意識して訓練しないと対話はできないね。
対話ってやっぱ相手の言うことを聞いて、
その上に何かまた自分の何かをね、
差し出すっていうやっぱりキャッチボールなんだけど、
相手の言うことを聞いてその上に何かまた自分の何かをね、
差し出すっていうやっぱりキャッチボールなんだけど、
大体みんながやってることって、
自分のターンが回ってくるのを待って、
自分のターンが来たと思ったら、
用意してた、これ言おうってことを言ってるだけなんだ。
みんな言いたいことをお互い自分の用意してた、
脚本というか台本みたいなのをただ言ってるだけというか、
お互い言いたいことを言い合ってぶつけてるだけっていう、
これはなんか対話ではないですよね。
親子の中に対話がないというか、
親子の中に対話がないと結構きついですね。
別にネグレクトとまでは言わないけれども、
基本的に子供の心が無視されちゃうと、
子供は荒れます。
あるいは後々、
社会に出た時に苦労するね、いろいろ。
今までのね、言われた通りやってりゃいいんでしょうっていう戦略が
上手くいかなくなるんで、その時困りますね。
だから対話をせずに、
先生に言われたことを頑張ってやってきて、
いい成績取ってきたようなさ、
お勉強のできる優等生タイプっていうのは、
社会に出て、周りがあだこだ言ってきて、
その通りやってもうまくいかない時に、
やっぱり周りをけなすんですよね。
あの上司は全然わかってないとか、
あいつは何もできてないとか、
こっちはちゃんとやってるのにあいつが悪いんだっていう風に、
きちんと対話をしてこないとこういう大人になっちゃうんですよ。
文化的視点の違い
対話で解決しようという発想にならない。
僕もどっちかというと、
この多席的な処理で結構10代20代来ちゃったんで、
すごく生きづらかったですね。
今は多少完全には良くなってないけど、
対話の兆しみたいなのはちょっと持てるようになってきて、
つまり嫌なこと言われても、
言われっぱなしにしないというかね。
10代20代の頃は向こう側と言ってきても、
それをただシュンとなって全部全吸収してたんだけど、
今はある程度ちゃんと、
理解できない部分に関してはもう少し聞かせてほしいと。
こっちも別にわざとやってるわけじゃないので、
よくしたいので、
せっかく今ご指摘いただいてるんだったらもう少し詳しく聞かせてほしいみたいに、
そこに対話を今できるように徐々になってきて、
ようやくだんだん目覚めてきたわけだけど、
自分の手で人生の操縦桿を握ってるような感覚が、
ようやく最近出てきて、
ここほんと2,3年ぐらいの話ですね。
2,3年前に生まれてきたような感じです。
それまでは生まれてきてから、
それまでは熱にうなされながら生きてきたようなもんで、
全然魂の活動とは言い難いものだったね。
人に言われてやらないといけないし、
人に言われてやらないといけないし、
人に言われてやらされた人生だったよね。
部活やる子は我慢強いとかね。
なんか謎の部活信仰あるよな。
部活に対する絶大な信頼って何なんだろうね。
ちなみにアメリカって部活ないんだよね。
でも別になんか精神がたるんでたり、
頭がおかしくなってるわけではないですよね。
えーと、ガラスの靴をプレゼントどうもです。
たしあやのリクエストは?
ガラスの靴をプレゼントどうもです。
たしあやの理解を自分のフィルターを通してのみ行われるっていうのはわかるけど、
たしあやの理解を自分のフィルターを通してのみ行われるっていうのはわかるけど、
己のフィルターしか見えてない人がいます。
確かに。
相手視点に立ったときにどう見えるのかなとかね。
相手視点に立ったときにどう見えるのかなとかね。
ちょっとそのメタ的な姿勢だからね。
状況を見下ろす盤面を見るというか。
平和って結構そういうことだったりしますよね。
昔、鬱になり気にしすぎたら、どうしたかな?
昔、鬱になり気にしすぎたら、どうしたかな?
どういう質問なんだろう。
どういう質問なんだろう。
ガラスの靴3個プレゼントどうも。
ガラスの靴3個プレゼントどうも。
ガラスの靴3個プレゼントどうも。
なと思うのがあって なんかアメリカ人の子供への接し方ってやっぱ結構対等な感じがするんですよね
でも日本人のその自分の我が子に対する接し方ってある種の所有物とかペットとか なんかハムスターとかそういうのに近いのかなっていう感じがしたんですけどもね
やっぱなんかこう日本人的な発想として子供て作るものじゃないですか なんか梅干しみたいにさなんかつけ込んで作るみたいに
仕込むものじゃないですか でもなんかアメリカってやっぱキリスト教権なのかそういう発想はちょっと薄いのかなって
夫婦が作るものではなくて神様から授かるものっていう感じがね その言葉だけではなくて割とその実践レベルでそういう発想を持ってる人たちなのかなっていう
だから神様から預かってるんで 大切にしなきゃいけないなっていうロジックですよね
で動いているような感じがあって そこら辺でその神様からもらったものを借りてるものを勝手に壊しちゃったら返せないじゃない
まずいんで それはやばいみたいな
っていうところで割となんかちゃんと子供と接しようみたいなところからなんか対話を
まあアメリカ人全員ができてるわけじゃないと思うけど対話の意識はなんか日本人よりか強い気がしますよね
言葉が過剰なぐらいねなんかちゃんと対話でやり取りをしようとするよね あんまりこう維新電信を使わないというか
そういう超能力みたいなものを アメリカ人はこう全然信じてないですよね
言葉で言わなかったらわかんないって 以上みたいな
だからちゃんと言葉で言ってください 今何怒ってんの泣いて笑ってんのどっちみたいな
今日も参考になります 今日結構適当なこと言ってます 急になんか適当に比較文化論みたいなさ
急に日本とアメリカを比較してみたりなんか適当なこと言ってます 日本も効率は部活がなくなる
自己理解と周囲の影響
部活もやっても良かったかもしれないけどあんなに頑張らなくてよかったなと思うね 部活を適度にやって汗を流しつつ
やっぱなんか本を読んで もう少し幅広い視点を持ちたかったかなって
そうすると親の言ってることが絶対ではないんだっていう風にちょっとこう距離を 置けたかもしれないしね
あるいは自分と同じようにね親は親とか家庭はめちゃくちゃだったかもしれないけど でも今こうやって元気に生きてますよみたいな
そういう著者に出会えたかもしれないしさ 本を読むことの良さってのはそういうところですよね
身の回りに役に立つ人がいなくても本の中にいるかもしれない 他なんか母親も今結構本を読んだ方がいいんじゃないかなと思って少し前まではね
あの公立図書館がね家から歩いて近くにあるんだったら行ってみたらとか なんか軽い雑談の中でね結構図書館最近こういうに使ってるといいんだよねみたいな話を
よくしてたんですけど しばらく全くその音沙汰もなかったんだけど
なんか最近ほんとここ1週間ぐらいで母親も 最近図書カード作ったのよねみたいな話をし始めたんで
ちょっとちょっとは何か変えようという意識になったのかなっていう 本人なりにもねなんか
ちょっと変えようと さすがに友達がいなくてさ仕事のない日は1日中家にいて
でテレビ画面で youtube 繋いでなんかナオキマンズショーとか見てるんですよね それさすがにあの頭おかしくなるから
ナオキマンとかさなんかあのメンタリストの醍醐とかそういうなんか偏った情報ばっかり 見てるからちょっとそれも頭いかれちゃうからさ
さすがにそれちょっとボケるからやめてくれと認知症のリスクだから 謎の陰謀論とかにはまっちゃうからやめてよ
それだったら本読んだらみたいな話をね結構結構以前はしてたんですよ 日本の子供は所有物
本を読むことの重要性
まあ日本に限らず結構冷やし東アジアとか もしかしたら中国もそうなのかもしれないけど結構やっぱ子供って親のものっていう感覚は
アジアに 根強くあるのかもしれないですよね
だからね今でこそ自由恋愛で結婚してますけど 戦前とか普通に親がね結婚相手決め決めてたわけで
あのジブリの風立ちぬとかでもさ 別に何か明日嫁をもらうとか言ってさ
なんかそんな感じでしたもんね 嫁は誰かわからんみたいな当日までよくわかんないみたいな
親が全部決めてましたからね えーと私が産んだのになんで私の考えてることをいちいち言わないとわかんないのって母に
殴られたことを思い出す 所有物的な考え方ですよね
親が私と同じ本を読んだら感動したら殴ってしまいそう
クジラの本とか読み始めたらね それはそれでちょっとムカつくけど
僕は別に本の中身までは指定しない 母親がいいなと思うものを読めばいい
あんまりその反ワクチンとかね あんまりその偏った情報はちょっと避けてほしいなと個人的に思いますけど
ナラスの靴ども お母さんリテラシー高くないとドハマれしそうなぞ
うちの母親の年代つまり60代ですよ あのぐらいの年代ってさなんか多分テレビつけたらミノモンタとか見てた世代なんだよ
で最近もそのテレビがねこう 落ち目で今 youtube の時代じゃん
そうするとテレビ的なノリでとりあえず youtube つけちゃうんだよね そうするときちんと検閲されてない陰謀論とかさ
トンデモロンみたいなのに結構簡単にドハマりしちゃうんだよ 元々あのリテラシーのりの字もない世代の人たちだからさ
テレビで言ってたことをただ鵜呑みにする世代なんで結構やばいですよね そのままワクチンとか打たなくなるし
なんかそのままねなんか危険な思想に染まってきそうだよ 最近なんかもう高市さんバンザイみたいな感じになってるんでちょっと
オッドみたいな なんか
オッドこれはなんだみたいな またなんか新しい風にかかったのかなって
ちょっと心配してますけどね 黙って大谷翔平だけ見てりゃいいんだよね
ガラスの靴ども 自分が一生懸命伝えて理解されてなかったことが三羽さんが言うと本当そうねって聞いてると
ムカつくじゃないですか 俺も最近なんか母親が毒親の話をしててね
本当毒をやっているわよねって言われたときちょっと殺しそうになったけどね 剣を抜きそうになったよね思わず右腕がそれ俺の左腕が抑えるみたいな
本当にあのシーンそっくりですよね 翔平ロスでございます
明日からどう生きてね生きていけばいいんだろう うちの患者にもいます
でも随分楽しめた方じゃないですかね こんなシーズンシーズンというか犯罪じゃない
明日かって毒親の子って感じがしますよね どっちかというと僕は3にそれを感じるけれどもね
僕のまあその岡田斗司夫解釈を僕は信じているので 岡田斗司夫説によると3はエボシの娘なんですよね
だからエボシに捨てられた娘が自分の母親を殺そうとする物語としてに一応解釈も可能で まさに毒親問題がそこに投影されている
そう明日かの親も出てこないしその完全に親と子供が出てこないんですよあの物語は だからたたらばには子供は走ってないし
古代ギリシャの哲学と自己形成
恵美市の村にはね明日かの両親は1秒も描かれていない 人揃いの家族は実は一つも写ってないんですよね
もろにもね旦那はいたんだろうけどまあいないし 片親に育てられたね
山犬が2匹みんなどっかかけてるんですよねあの物語 明日かをまあどこへに育てられたってよりかはまあそのどこをやってこう
たたり神みたいに子供を呪って しまうもので
まあそういうふうに見てますねたたり神を母親みたいに見立てる見立てたらあの ね明日かはやっぱりどこやに呪われた子供みたいに見えるし
しかもね村をされとかここをされっていうふうにどこにも居座ることができず みんなから厄介払いされるわけですよね
たたらばからもまたたらばにで力を尽くさぬかっていうふうにエボシは誘うんだ けどもね
でもそこにはいられない 自分の敵と一緒に汗を流すことができない
どこにも定着できないっていうのは結構悲しい 主人公ですよね岡田さん的にはエボシの和俗の狩猟に
門を開かされた女で狩猟をやっつけて逃げてきたというふうに言っていた まあそれは解釈ではなくて一応なんかその公式
にはね公式設定にはそうあるみたいですね もともとその海賊をやっていたまあ女ヤクザですよね
今風に言うと だからおそらくあの分厚いね
着物を脱ぐとがっつり入れ墨が入っているタイプの女なんだと思いますよ 僕の想像だけどね
公式設定にはないけどイメージボードとかにはないけどがっつり入ってると思いますよ 入れ墨ぐらいはね
そうやって強くなんかこうねまあ 虚勢を張って生きてきた
タイプの女性ですよね まあその中でまぁ詳しくは描かれてないけれどもねおそらくどっかの段階で子供を
捨てたんだろうと これはまた僕の解釈だけどね3っていうのもさ
123の3じゃないですか だから12はまあ死んだのかなぁとかさ
3人目の娘だったのかなぁとかまぁなんかいろいろ想像は膨らみますよね 12はどこにいるんだろうとにかくあの映画は説明がないんで
こちら側から喰らいすぎて想像していかないとね楽しめないよ よくわかんない映画で終わっちゃうこと主様がモロの昔の彼氏らしいけど
モロのこの夫も出てこないですよそれも意味わからないしね 山犬とイノシシとかどういう構造みたいな
こうやってどうなってどうなっちゃうの謎ですよね 本番は遅くまでやってるのは珍しいですね
や昨日の晩に続いて2夜連続です でもちょっとそろそろ疲れてきたんだよね
疲れてきたし
ちょっと歩いてこようかな だいたい今今日話したいことはそんな感じ
昨日の物のけ姫的な話の補足とそう 自分の人生振り返るとねいやーもうちょっとうまくできたのになっていう
どうしようもない話だね
まあ今後の人生をねちょっと まあ良くしていくことしか今できないので
そうするとじゃあ自分にとってのその魂の活動とかね 何者にも強制されない自分の自由な表現というのじゃ何なんだろう
ここですよね大事なの 今までは誰も話し聞いてくれなかったけどさ
まあ今いろいろこうやって話し聞いてもらって自分というものの輪郭が割としっかり してきて
じゃあそのね己がやりたいことは何なんだ 改めて
そこをしっかりねちょっと見定めて で今後の人生ねまたら何か指定目指そうとかねなんか積み立てに良さで何とかファイヤーしよう
とかちょっと志が低すぎるんでそれはさすがに
自分の中のね内側から湧き出てくる生命の力っていうものが何なのかっていうのを もう1回ちゃんとしっかりね
捉え直したいですね 古代ギリシャ人はおそらく神様っていうものを想定してたんだと思う
神様が一人一人人間に対して与えた能力みたいなのがあってね あなたは口達者で生まれてね来たんだからそれを中心に頑張りなさい
あなたは体格に恵まれてるんだからそういう仕事をやりなさいみたいなさ なんかこう一人一人が与えられたおそらくこう才能っていうのが
散りばめられているのででもその才能ってのを眠らせちゃダメですよと 才能を持ってるだけでは人間ね優れた人間にはなれないんで
きちんとそれを磨きましょうとね日々磨きましょうと 与えられたものをちゃんと見定めてそれをきちんと磨いて
それでまあ他者に貢献しましょうと アリストテレスは最終的にはその人はポリスを形成するものだっていうふうに言ってるんですよね
ポリスっていうのは何か都市国家って意味らしくて 今で言うと多分1万人から10万人ぐらいの間の人口のちっちゃな地方都市だと思うん
ですけど 人はそうやってある種のコミュニティに参画することが最終的な幸福につながっていくと
だから万物の祖というか何て言うんだ すべての学問の頂点にあるのは政治学だっていうふうにアリストテレスは言ってるんですよね
結局まあ 個人がそうやって自分自身の何か能力に目覚めて他者に貢献することがまあ喜びとか
幸福につながるし それは最終的には国家の幸福につながるんだっていうまあそういう発想ですよね
個人の幸福イコール国家の幸福っていう そういう論の運び方で結局政治学が一番大事なんだということを言ってるんですけど
まあただね古代ギリシャ人が考えたような神様からこう一人一人にね なんかこう
才能を与えられてみたいなさなんかこうたこ焼きのタコがこうちゃんと中心に入ってるみたいなね 一人一人いろんな具材が入ってますよみたいその具材をちゃんと見分けていい料理作りましょうね
みたいなさ それが多分古代ギリシャ人のすごい素朴な発想なんだと思うんだけど実際そんな単純では
ないと思うんですよ 今僕らはまあ起源前ではなくて起源後の2000年代に生きてるので
そうすると精神分析とか精神医学とかまあその他の哲学とかねポストモダンとかいろんな 知識を使うとどうやらそのなんか
完全にこう先天的に与えられた才能とかではなくて結構その後に出会った人とかね まあ最初は親ですけど
親とか学校の先生とかその学校の友達とか意外とその生まれた後ですね どういう人間にもまれながら生きてきたかっていうのが意外と自分の自己形成とか自分の
エルゴンというものにすごく浸食してくると 例えばねなんでタバコを吸うかと言ったら周りがタバコを吸ってるからですよ
そういう感じで結構周りのなんか習慣とか考え方とか っていうのが結構自分の中に入り込んできていつしか自分とどうもう
ねあのピタッとくっついちゃうんですよね だから神様が与えたものをただ磨けば幸せになれるっていう単純なものではなく
その神様が与えてくれた何か何かしらの才能プラスかけるですね それとその後出会ったいろんな人との掛け算ですね
によって自分自身ののこうなんか内側から湧き出る力みたいなものっていうのが決まって くるのかな
だから実はすごく複雑な関数だと思うんですよね ものすごくいろんなパラメーターが関係してくるもう複雑な
自己理解の難しさ
もうスーパーコンピューターでも解けない方程式ですね
だから意外とその自己理解ってのはすごく難しいし自分の理解をしていくとどうしても やっぱそこに母親がいたりね
僕もイライラしている時に母親的な切れ方をしたりするので そうすると母親的な理解も必要になってくるし
自分というものがカッコとしたこのねなんかねたこ焼きのタコみたいにギュッと詰まっ たものではなくて意外とこう拡散するもので
一つに定まらないものですねいろんなもなんかいろんな存在はこう意外とこう 流れるように往復して行き来しているようなのが自分だったりするので
意外と自己理解っていうのも難しいんだよね だから自分が何がしたいかっていうのを捉えるのも結構難しい
今思ってても半年間半年後にはまた別のことを持っているかもしれないし 結構常に流れているのでなので確定はしないんだけれどもまぁだいたい大筋
自分の今の心の状態とか心の構造からしてねエンジンの構造 ガソリンの質からしてまぁこの辺りに行くといいんじゃないかっていうまあ大きな当たりは
つけられるので ちょっとそれにそれをちゃんと自分の中でね当たりをつけて
まあとりあえずこの先10年間ぐらいはねざっと こっちの方かなっていうところを攻めていきたいね
それをね本当はもう少し若い頃にできたら良かったんでしょうけどもちょっと ようやくだね30過ぎてようやく目が覚めた
のでちょっとこれからちゃんと実践していこうと 現代まで残る本は違う
アリストテレスはまあ 完全にこれが正しいと思わない
けれどもだからアリストテレスが言うほどの自由意志っていうものはもうもはや存在し ないんじゃないかなと思うんだが
ただでもそれでもねやっぱ常に何かいろいろ刺激し続けるね いい哲学書だなぁと思う
まだ全部読んでないんだけどねまだ 前半後半ってさ上下感あって上巻しかまだ読んでないんですけど
それも全部理解してるわけじゃないからさ 毎日なんかこう注釈読んだりチャット gpt に
質問したりしてちょっとうつちょびちょび読んでるんだけどこういう意味かなぁみたいな 常に発見がありますね
AIと労働の未来
今後 ai が人間の仕事を奪って人間というものと労働というものの意味をもう一回 再認識しなくちゃいけなくなる
再定義しなくちゃいけなくなる時代が来ると思うんですけどもまもなくね その時にやっぱこういう哲学はすごく役に立つと思いますね
これまではね飯を食うために頑張るとかなんかね また風俗に行くために金貯めようとかって言ってたのがさそういうわけにも
いかなくなってきた時に どう生きるかっていう
古代ギリシャの時代には奴隷制度があったんですよね だからみんながみんなこう
すごく善良な賢い市民だったわけではなくて上に賢い市民に慣れたのは奴隷がたくさん いたからなんです
料理を作ってくれる人とか洗濯物干してくれる人とか畑を耕してくれる人とか たくさんの召使いがいたんですよね
だからその ギリシャの市民はまあそれはアリストテレスも含めてだけど
あの自由活達にこう数学とか物理学とかこう哲学とかを議論ができたんですよね ってなるとまあ今後 ai が人間の仕事を奪うっていうことは
言い方を変えると奴隷をたくさん持てるようになるってことじゃないですか その時にまあどっちが奴隷になるかわかんないけど
人間の方が奴隷になる説もあるけど もし人間がそれを使いこなせてもう1日中特に暇になってねやることがなくなったら
やっぱね古代ギリシャに戻っててかそこで古代ギリシャで起きてたことがやっぱり今 またリバイバルで起こるんじゃないか
その時にやっぱり哲学的な価値というかね幸福とは何なんだろうってみんな考え始めて 結局そのね2500年前ぐらいの
哲学者に戻るんじゃないかなそう幸福とは何なんだろうと 先生がお母さんに剣を抜きそうになった話を聞いてすごくほっとした
隠れた才能の認識
でどこ親の話してんだもん どこをやっているよねーみたいな言うからさ
どの口きどの口がそんな言ってんだよ どういう精神構造してんだよそれを考えて生きていくことが尊敬しますありがとうございます
いろいろ考えて生きていきたいね 人に押し付けられたりこうやったらいいよっていう助言も大事だけど自分の頭で考え直すことも
大事だね ガラスの靴を3個プレゼントどうも僕なが大谷翔平の一番すごく優れていた点は自分が
やっぱり野球やった方がいいってことに気づいたところだと思う
あれでもしサッカーやってたらこんなに有名にはならなかっただろうしね 意外とそこが大事なんじゃないかって周りもちゃんとそれを見定めてくれたし本人も
それにちゃんと気づけたっていうのが一番の幸運だったんじゃないかなと 僕も本当は何か隠れた才能があってそれに気づいてれば今日本代表になってたかも
しれない 大谷翔平と対談してたかもしれない
僕はそれに気づけなかったんだよそう その能力がなかったね自分とは何者かっていうのがよくわかってなかった
ガラスの靴どうも AIに聞きながら読めるのはいいですね
今ニコモコス倫理学っていうのはまあ僕は一応 amazon で買ったんだけど あのネットにまあ落ちてるんですよね
当然もう著作権というか昔の文章なんで ネットでいくらでも無料で手に入るんでそれで検索させるとかなりの精度で
AI翻訳でね いろいろ解説してくれるんですよね
だから何かをこう学ぶのにはすごくいい時代だなと思う マラソンに出てその後ガッテムっていう
先生もいいです 自分の使命って何なんだろうなぁとたまーに考えますですよね
何かが役割があるんだとしたら何かなぁ 体格に恵まれてるんだったらなんか体を中心とした何かね
営みを通じて人とコミュニケーションするというか それはなんかイメージがつきやすい
声が良くて滑舌がいいんだったらなんかアナウンサーになるっていうのもすごく自然な 感じがするんですよね
あとはまあそのね朗読とかアニメの声優とかさ でもなんか
あなたの使命とかあなたのエルゴンまあその才能 仮に神がいて神があのたこ焼きのタコをね
入れるみたいにあなたに何か中心に何か埋め込んだとしたらさ 才能を埋め込んでくれたとしたら
でもそれって大半がほとんど職業じゃないんじゃないかなと 職業として存在するものではないんじゃないかなって気もするんですよね
たまたま職業と一致しててそれが野球だった 日本で最もポピュラーなスポーツだったっていう幸運な人もね大谷翔平みたいな人も
いるかもしれないけど でも大半が
あの職業じゃないんじゃない 例えば石を早く詰める才能とかさ
僕なんかあのこの競技があったら多分世界一取れたなっていうのが なんかテーブルから何かポロって落ちる時にパッと手伸ばして
取るのがうまいんですよね 落ちたっていう時にパッと手なんか反射でさ
手伸ばすと大体間に合っちゃうんですよ
なんかそういうスポーツがあったら俺絶対に良かったのになって それでもしかしたらねなんか10年間で300億円とかの契約金とか
あったかもしれないじゃない そういう競技があればね
でもそういう競技がないんです だからお金にならない才能なんだけど
誰が得するんだよそれって だから隣のだから学校とかでさ隣の席の女の子が
たまたまこう消しゴムとかシャーペンとか落ちそうになったのかみたいな 落ちそうだったねつって
地面につく前にキャッチしてあげるそれぐらいだね そのための人生だったんだな
ちっぽけな人生だね だからあれだよね猫ちゃんを飼ったらいいんじゃない
猫はテーブルに置いてあるものをなんか落っことそうとするけど俺は拾う天才じゃない ですか
拾うというかキャッチする天才じゃ だから猫と一緒に暮らしたらいいんじゃない
ちょうど足りないものを補いやって 俺もなんか物を落としてくれる人を探してるし
こういう形で自己理解が進んでいけばいいんじゃないですかね どれだけ自己理解が進んでもお金にはならないかもしれないけどさ
なんかちょっといい生活になるかもしれない 私は猫側のパーソナリティなので猫が落とそうとするコップが割れるところまで見届けて
両者の気が済んだら片付けるタイプでした じゃあお互い足りないもの同士だな
猫側の人が揃っちゃうとものがどんどん壊れていっちゃう 卓球とか得意そうまあ確かにね
確かにねとか言って偉そうに でもなんか温泉とかでよく卓球やるんですよ
でもね全然ダメ 卓球部とかにすぐ負けるからやりたくなくなる
まああとはシンプルにやっぱり学校の成績はすごい良かったんですよね なんか物を覚えたりそれをこう出力する与えられた時間内に情報処理して
まあ覚えてきた情報をバッとこう出力するっていう まあその単純に能力が高かったんで医者には慣れたんだよね
それはやっぱりなんかそこはまあ周りもちゃんと早めに気づいたし 僕も気づけたし
まあそこは良かったかなと思う 落ちそうになるものをパッと取ったとかさ
そっちの方に行かないでよかったよね とりあえずなんかそういうものを覚えてまあパッと覚えた内容を
出す スポンジみたいな機能ですよね
水を吸収してで水を出すみたいな感じでさ 出しちゃうとまた忘れちゃうんだけど
知識空っぽになっちゃうんだけどまぁそういう中スポンジみたいな感じでしたね 子供の頃はすぐに覚えて
すぐに忘れ卓球部に負けるそう ガラスの靴で思い出したので教えてほしいのですが
魔法0時で溶けるのになぜ靴は残ってるのかな 落ちた靴をキャッチして
教えてくださいって そんな言えばいいってもんじゃないからさ
それは別になんか今の物が落ちるみたいな話にくっつけなくていいですよ いやいいってもんじゃないんだよ
まあね確かにガラスの靴はじゃあなんでなくならないんですか それはその通りです
でもなくなっちゃうと話が終わっちゃうからね 今流行の性格占いで生きるのがうまいとか出てくるんです
結構そうかもしれないんですがたくさん持っていることが辛くなって 定期的に全部手放すんですで次のコミュニティーを作るけどこれもきっと手放す
とか性格占いってなんか mbti とかってやつですか なんか若い子たちみんなそういうよね
僕もなんかちょっと若い子ぶってやってみたりしたんだけど よくわかんなかったなが提唱者って出た
僕は何か提唱するのが好きみたい 配信外では患者さん以外の人の話を聞くことは多いですかいやほとんど聞かないね
まあもう今見ての通りですよ基本的にリスナーの話は聞かないようにしている 聞くときはやっぱお金を取りたいんだね
だから後は本当にこの間久々に1年ぶりぐらいにあってあった まああの大学時代の友達がいるんですけど
そいつと話す時はもちろん金を取らずに 結構話は聞きましたね
さっきもちょっと触れたんだけど人の話を聞くときどうしてもやっぱり遮りたくなるん ですよね
あるいはこうやったらいいよとかやったらいいよとか なんか口がだんだん楽しくなってきてね
なんかね話したくなってきちゃうんですよね で話すと聞けなくなる
でしょ だから相手の話を聞くんだったら話したいという衝動を一旦かなり訓練して抑えないといけ
ないんですよね 一旦ちょっと話したいんだけども一旦これちょっと抑えようみたいな
もうちょっと我慢して聞こうと みたいな
だから人の話が聞く大きくこと自体がもう職業になってるじゃないまあ精神科医もそうだし カウンセラーとかもそうですけど
それぐらいねなんかこの衝動を抑えるのってすごく大変なんだと つまり落ちもないしつまらないし永遠にいつ終わるかわからないような話をね
悩みを患者さんの話を聞き続けるっていうのは普通の人にとってはすごく辛いこと なんですよ
自己理解と友人との関係
それは衝動を抑えるのが辛いから 早く遮って陰気臭い話を早く打ち切ってね
この間見たチェーンソーマーの話をしようとかそっちのが楽だから遥かに その衝動を抑えるのはすごく大変で
それで職業になっちゃってるんだと思う人を話すのは人の話を聞くっていうのはそれだけ 大変なのでそれ自体で単独で職業になってる
僕もその大変さがすごくよくわかるのでプライベートであんまり人の話を聞かないように している
なんかすぐチェーンソーマーの話しようかなって それこそチェーンソーみたいな話をぶった斬ってやろうかな
そういうことばっかり考えているドイツドイツじゃないガラスの靴ども やってるうちによくわからなくなりますね
提唱者っぽいですね本当ですか
現代のアリストテレスになれますかね キング牧師マンデラ大統領
大学のお友達は親的資本を持っている人ですかといい質問だね 持ってる人だと思う
彼も結局精神科医になったんですけどねその医学部時代の同期で ただまあそうだね彼は彼なりに結構多動傾向があって
それにいろいろ自分自身で翻弄されているところはあるけれども でも基本的に多分いろんな人と会ってね
あってきた人はすごくいい人だったんだと思う とても恵まれたこういう関係だったんだろうなぁと思います
それがやっぱ彼と話しているとそれがこちらに なんか
伝わってきますね まあ要するに育ちの良さというかね
あんまりこの人はめようとかさ ちょろまかしてやろうみたいに
いう悪いやつあんまりこの人の周りにはいなかったんだなっていうのは 話しててすごい感じますね
すごく穏やかだね お友達も精神科医にただ彼は研究の方ですけれどもね
僕はまあなんかアルバイトとかしながら適当に臨床やってんだけど 臨床の方はらまあ研究をメインやっている
博士だね 僕はだから博士って呼んでる
まあ呼びたいリスナーの話を聞いてくださっているなぁと感じることが多い 本当にまあ聞きすぎないようには意識してますね
全く無視するとね本当にあの人がゼロにゼロ人になっちゃうので ちょっと聞いてる風をしつつなるべく自分の話をする
そういういい友達がいい人が友達で安心 しましたと
ガラスの靴3個プレゼントどうもです まあそろそろ終わろうちょっと眠くなってきちゃった
残り2分ぐらいですね 明日はまあ軽くも深夜ではなくて明日はもうほんと軽めにたは夕方とか軽く配信
して終わると思います 月曜ねしっかりちょっと気持ちを入れ替えて
気合を入れていこう
一応瞑想も続けてます瞑想もねやってって 人生を投げ出さずにやってきます
諦めず 人生て辛いよねっていう風に語り合う友達だと飲んだと疲れる
割とだからそうなんだよね全然僕とは違う体験を持ってる人なんで そういう意味でお互いちょっと面白いなと思ってんだと思う
絶対にアリストテレスとか読んでなさそうだしね 向こうね楽しい方がいいぼちぼちやっていきましょうはい
じゃあそろそろ終わりますどうもお疲れ様でした 送りしましたのは刺身ちゃんでした
はいじゃあ失礼致します今日も長時間お疲れ様でした
01:59:20

コメント

スクロール