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2024-12-17 30:16

02x16 コミュニケーションの非対称性

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つまりコミュニケーションが非対称だと色々もやっとするっていうことだよね。

**Tシャツのプリント依頼は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠のフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠へ**

話題に出した本

サマリー

ポッドキャストでは、リスナーからのツイッターコメントを紹介しながら、スプリガンや関連漫画についての懐かしさや印象を語っています。また、戦国時代の日本人の扱いや、最近読んだ本、韓国ドラマについても言及されています。著者は、自身の経験を通じてコミュニケーションの非対称性を掘り下げていきます。特に友人との会話における情報の一方通行さや、リスペクトの欠如がコミュニケーションにどう影響するかを考察しています。非対称性やモヤモヤ感についても触れ、特に相手への好意や期待が非対称な関係に与える影響について語られています。

ポッドキャストの紹介
はい、みなさんこんにちは。週刊無題のなんちゃらキャストのお時間です。
ん?って感じだっけ?このポッドキャストは、私、キョウヘイがあることないこと全て知ったかぶって、でたらめに30分喋る、そういった内容の番組になっております。
ハッシュタグがあります。ハッシュタグは、なんキャストですね。なんがひらがな、キャストはカタカナですね。
ちなみに、用語を紹介しておきますと、無題のなんちゃらキャストなので略称はなんキャストとさせていただいております。
そしてですね、この無題のなんちゃらキャストを聞いていただいているリスナーの皆様のことをリスなんじゃらと呼んでおります。
何のことかわかりませんが、今回は第2シーズンの16回目ですね。
前回は、突然漫画の話をしだしましたと、スプリガンの話をついついのちさんに外に出されてしまったところ、結局漫画の話をしまくってしまったという感じでした。
はいはいはいはい、そうでしたね。漫画の話なんてマジ無限にできますよ。
というわけで、ツイッターのコメント紹介です。
いや、っていうかさ、ツイッターね、Xなんでしょうけど、ツイッター最近さ、広告クソすぎない?
なんかさ、エロい広告とかさ、マジどうでもいいような方形のクリニックの広告とかさ、あとなんか協定の予想の広告とかさ、
無限にマジしょうもない広告とかなんか肌色の広告とかすげー出てきて、これ明らかに劣化してるよなーってみんな言ってるし、
なんつーの、もうツイッターも終わりだなーとか、Xも終わりだなーとかって言ってる割にみんなここに書いてるから、意外に伝わるんじゃねーかなーって思ってるんですけど、
マジなんか後輩してきたよなー、まあいいんですけど、まあそれでも掴んですけど、
でもまあちょっとパッて開いた時に肌色のクソみたいなエロい広告出るのだけは勘弁してほしい、そこだけは最後の線として守ってほしいなーと思いながら、
なんだっけ?コメントを紹介します。
まず最初、はい噂をすればのちさん。早い。
そしてあの後思わずwikipediaでスプリガンのおさらいしちゃった俺とクカイと。
いやいやもちろんそうですよ。
リモンチョウチュウなんて全男子が練習したよね。BBはボクシングよりも洋兵編の方が好きだったなということでコメントいただきましたが、
BBの話なんて1秒ぐらいしかしてないのによく拾うよね。
やっぱこの辺り世代の3で読んでた人からするとあれなんですかね、刺さるんですかね。
リモンチョウチュウ、ガイモンチョウチュウは全員練習しましたよね。
で、サンデーそんなみんな読んでた?
俺はジャンプサンデーマガジン全部買ってたんでね、当然読んでたんですけどね。
そんな感じですが、次まさふみさん。
ナンキャス聞きながらキタクランチュウ。
竹下のしもさんとの下り読んでもらえて足取りも軽くなるぜ。
ちなみにスプリガンはムーとセットでよく読んでた。
ムーか。
ムーってあれでしょ、あの三角のフリーメイソンのマークみたいな表紙に置くかいだったオカルト雑誌でしょ。
それはまさふみさんガチだな。スプリガンとムーセット読んでたのはマジガチだ。
ムーの他にもう一冊くらい変なオカルト雑誌あったと思ったけど、思い出せませんね。
で、前の車の車線変更わかるのはちょっとニュータイプかなって思ったりする。
これは何?まさふみさんもたまにわかったりして自分のことニュータイプだって思うわけ?
うん、すげえそれわかるな。ニュータイプ確かに確かに。
俺らガンダム世代でもあるからニュータイプっていう言葉もいいよね。
お便りありがとうございます。
そして楽さん。楽しいって書いてね楽さんね。
まさかのギャラリーフェイク。そこまで読んでたと思わなかった。
新作も出てたの初めて知ったので藤田とサラの続きが気になるし読んでみよう。
ありがとうございます。そうなんですよ。意外に引き出し大きいんですよね。
俺も藤田とサラの続きが気になるんで読んでみようと思いますとコメントありがとうございます。
そして噂のセレバシモさん。
通勤電車で聞いてプリントの話でニヤニヤしてしまった。
スプリガンからケンジの話で疑問長寿、外問長寿、鉄箱の流れが記憶の中をノックされてる感じで朝7時をぶっ飛んで在校。
意外にケンジみんな読んでんな。
マジで?俺でも小学校の時友達とケンジの話そんな盛り上がらなかったの。
数名しか読んでなかったの。でも大人になるとみんなケンジ知ってんだよな。謎だな。
ありがとうございます。ケンジはね面白いよね。読み返そうかな。
歴史とエンタメの交流
そしてなおさん。日曜日に出た大会、ITJはサンダル禁止なのでシューズ履いてましたよ。
ジョーラーランナーイラストのプリントサービスまだかいな。
ということでありがとうございます。
あ、そうでね、ジョーラーランナーイラストちゃんとパターン作りましたんで、
1枚だけ自分のテストプリントしかしてないんですけど、
何キャスのなんだっけあれ忘れちゃった。
プリント依頼フォームの中に入れてありますんでどんなイラストかも確認できますし、
フォームにジョーラーランナーイラストって書いて応募してください。
応募?っていうの?これなんていうの?
申し込んでください。そうすれば私がプリントして皆さんにお届けいたしますので。
というわけでなおさん最速してくれたんでやりました。
次カズトレイルさん。
何キャス聞いてたらスプリガーの話題出てて超懐かしかった。
SF×歴史ロマン×ミリタリアクションって最高。
なるほどね。その通り。俺もそう思う。
ニタ系との歴史伝承民族学系だと高田隆っていうのかな?の推理小説QEDシリーズがすごい好きだったな。
なるほどね。QEDってさ漫画にもあるよね。QEDってなんだっけ?
証明し完了みたいな意味のやつですよね。
これなんか月マガがなんかやってた漫画もQEDってなったな。
この小説は読んだことないんでちょっと機会があったら読んでみようかな。
機会があったら読んでみようかなっていうとマジ全然能動的に積極的に読む感じないんで。
はい、読んでみます。
山ちゃんのゆるランさん。スプリが確かに面白かった。幼少期に一生懸命覚えたものって今でも覚えてるな。
これわかるわ。俺が無駄に覚えてる幼少期の記録はアニメレインボーマンの変身の時のセリフなんちゃらかんちゃら。
レインボーマン知らねーな。山ちゃんのゆるランさんは若干世代が違うんでしょうか。
いやでもね、ガキの頃覚えたのって意味もなく脳みその長期記憶のすごい深いところに刻み込まれてますよね。
それはすげーある。
被災部しぶりの町田商店上手かったスタンプ5つゲット。
俺知らなかったんだけど、株主なんですけど知らなかったんだけど、町田商店たまに選ばれたお客様へ超得5倍付きのご案内ですとかつって、
今月最初の間幕はスタンプ5倍とかつ、なんかそういうプレゼントがたまに届くの?ランダムで。
俺これ知らなかったよ。5倍ってどういうことだよ。半額じゃん。すげーよ半額だよ。超いいよ。
ということで俺もマジこれは当たんねーかな。株主とか当ててくれよって思うんですけども、おめでとうございます。
これ見て次の日が3倍スタンプだったんで言ってきましたけどね、結局めちゃくちゃ上手い。
そして最後、さとるちさん。
ダントツ1位の記録のはずなのになんちゃらかんちゃらって言ってるんですけど、これ一体何かと言いますと、
さとるさんとたかさんが2人でランキャスのスカールシャツを着て、峠草でめっちゃダッシュしてるような動画がツイッターに上がってるんですけど、
この2人、ありがとうございます。こんなの着てくださって。スカールシャツはですね、新しいカラーバリエーションを春に出せたらいいなということで、
今ちょっと水面下で動いていますので、よろしくお願いします。
と言ったわけで、だいたいこの、なんて言うんですか、このハガキ職人じゃなくて、
ツイッターハッシュタグコメント職人の皆さんの顔ぶれが定着しまいましたが、皆さん本当にいつも嬉しいです。ありがとうございます。
さて、他に何をいつも俺は喋ってるのかな。そうか、本ね、本読んだって言って、最近全く読んでねって言ってましたけど、最近やっと読み終わりましたよ。
造表たちの戦場っていう本ね、中世の傭兵と奴隷狩りっていう本を読んだんですけど、これなんで読んだかと言いますと、
前回日本人奴隷が海外にも行ってたみたいな本を読んだって話したじゃないですか、その流れでね、戦国時代に一体人間がどう扱われてたかっていう、
日本国内でも奴隷みたいな人間の扱いっていうのはどうなってたのかなっていうのが、この本が参考文献として参照されてたので、続けて読んでみたんですよね。
いや、すげえ面白かったですよ。面白かったんですけど、なんか全然なんか読み進まなくて、結構これ読み終わるのに多分2週間くらい経っちゃったんだよな。
当時の大名同士の戦争では、人の身柄を含めた略奪がされるほどだったっていうことは全然知らなかったなと思って。
かつこの本で示唆しているのは、戦争っていうのは産業だったということですね。これ結構面白くて、教科書通りの理解しかなかったので、
新しい視点を得られたかなっていうのはありますね。農民が普通に1年間農耕しても1年分のご飯が手に入らないみたいな、そういう取れ高しかなかったような時代みたいな感じなんですよね。
なので、そこで戦争を行うことによって他国から結局分取るんですけど、それが産業になっていたっていうのが結構面白い視点だなと思いましたね。
基本的に俺は幕末よりも前の部分っていうのは、あまり現代の日本人に直結していないと思ってるんですよね。感覚としてピンとくることってあんまりないなと思うんですよね。
語源とか、ああ、ゆえん、そういう言われなのねとかっていうのはよく出てきますけど、あんまり趣味の世界だと思ってるんで、そんなに幕末より前の話っていうのを一生懸命読んだりはしないんですけど、結構これ面白かった。
戦国時代の話って教科書以上の理解がなかったので、教科書だとそういう戦国語の漫画以外の理解がなかったので面白かったですね。
例えば、朝鮮に秀吉が出兵したのも、実は国内に平穏をもたらしちゃった上に、エネルギーの本流をどこに向けなきゃいけないかみたいので、朝鮮に出兵したみたいな視点もあるなっていうのは結構興味深かったですね。
朝鮮半島の人からしたらたまたまじゃないと思うんですけど、あと当時諸外国から日本の傭兵っていうのは同盟だったりっていうのがちゃんと文章に残っていて語られるほどですね、当時の日本人っていうのは海外流出してたっていうのが俺ら思って以上に多かったと。
シャムに出たヤマダ長政だっけ?タイに行った傭兵を率いて行って、結局最後独卒されちゃったヤマダ長政みたいな人はすげえ有名ですけど、ああいうのが実はすげえありふれてたんだなみたいな。だから何が言いたいかと言いますと、戦国時代とか徳川豊臣までの時代のイメージがちょっとこの本で変わりましたねみたいな話なんですけど、俺話長いな。
まあ面白かった。面白い本がすぐ読み終わるかというとまたそうじゃないんだよな。物語で面白い本はすぐ読み終わるんだけどね。というわけでダラダラ読んじゃったんですけどね。こんな本も読みました。ちょっとノンフィクションは疲れちゃったんで、しばらく小説でも読みますよ。
あとね、韓国ドラマのシグナルっていうのもね、読み終わりましたね。16話ってこれ結構面白かったんですけど、韓国人の同僚にライフタイムベスト何?って言ったらシグナルって言ったんで、これNetflixになって読んでみたんですけどね。これまああれですよ。なんだっけ?ほら、ハリウッド映画なんじゃん。時空を越えて無線が繋がっちゃうやつ。あれなんて言ったっけ?オーロラのカナダだっけ?
ちょっと検索しますね。オーロラのカナダ。Aですね。そうそう、恋のタイムトラベルもの。これですね、要するにこの設定を使っている掲示物なんですけど、すげえシナリオ凝ってる大変だなと思いましたけど、最終的にはね、ちょっとモヤっとする終わり方すっからね。お前いいからハッピーエンドにしろよっていうのが俺の最終的な結論なんですよね。
やっぱり俺これいつも言ってて、これ何回読んだよって思うかもしれないんですけど、俺物語はですね、いろんなシーンの描写とかそういうあたりは読者の想像力に委ねていただいて構わないと思うんですよね。我々の想像力がこなれてればこなれてるほど、作家の書いた一行を膨らませてどういうシーンかっていうのを想像できるっていうのは我々に委ねていただきたいんですけれども、
コミュニケーションの非対称性の定義
最後になんかよくわかんねえ、うやいまいな状態で終わるみたいなね、やめてほしいんですよ。主人公がなんかどっか行っちゃって、いきなり5年後とかつって他の奴らが喋ってるみたいなラストたまにあるじゃないですか。ああいうのね、俺すげえ嫌いなの。もうね、明確にせいやと。
なおさら、何ならね、ハッピーエンドにせいやと思うわけ。やっぱハッピーエンドが一番いいですよ。単純明快なね。あとは視聴者の皆さん、もしくは読者の皆さんの想像力に委ねます。さて、主人公は幸せになったんでしょうか?それともやはりこのまま辛い目に遭ったんでしょうか?それは皆様の想像に委ねられています。
そして、私は、どっちだっけ?筆者だっけ?作者だっけ?私はそこははっきりと語りません。みたいな。ああ、これすっげえ嫌いなんだよね。最後の最後にこれが来るともちろんうわーって思うんですけどね。いや、そこははっきりしろよ。
私はノンフィクションとかつまんねえなと思ったら最初の1ページとか読むのやめちゃいますけど、物語はね、最後の最後の瞬間まですげえ面白くなる可能性があるから絶対最後まで読むわけですよ。で、前半すげえ面白くてうわー超面白いってなったのに、今言ったようなよくわかんない曖昧な俺の解釈に委ねられちゃうかいみたいな終わり方されるとめっちゃテンション下がるじゃないですか。逆にすっげえつまんないけど最後にバキャーンって来たらはー面白かったってなるじゃないですか。そこよそこ。
まあ何を言いたいかわかんないんですけど、ちょっとそのシグナルっていうドラマはね、ちょっと最後はね、もう明快にハッピーでせえや。もうちょっとなんかお前、運命変えちゃったり時間を、なんていうんだっけ、未来を変えちゃったんだからもうよ、お前いいだろうハッピーにしろやって思いました。まあどうでもいいんですけどそんな話でした。
まあシグナル面白かったですね。次何見ようかな。シグナルの日本版坂口健太郎だっけ?と、えっとあいつ誰だっけ、あの凶悪な顔した名前思い出すね、あのほら地面主たちに出てきてジャンキー役だったあいつで出てるんですけどちょっと1話10分くらい見たんですけどなんかめっちゃ全部設定とシナリオが一緒で舞台が2本になってるだけだったんであれなんかちょっとこれもうちょっとなんか独自の解釈とかねえのと思ってやめちゃったんですけどね。
まあそんな感じでした。えっとはい、そんなわけですよ。次何見ようかな。というわけで、あとは何?もう半分終わっちゃったよ。近況とか今日話したいことか。そうですね、近況あれですね息子がなんか次男がロードバイク乗り出したって言ってたんですけどなんか意外に飽きてなくて、この前の週末は青石桜川から高尾から往復40キロ走ってきましたけどね。
なんかいいんじゃないの?この前行ったら羽田空港とかまで行けんな。羽田片尾道60キロだから1日120キロかあと3倍か。まああれですね、ロードバイク本当中学1年生ぐらいになると平気で30キロを超えるし25キロ巡航ぐらいしてくれるんで本当頼もしいなと思うんですけど、まあでも本当に現実級ぐらい危ない乗り物なんで本当口を酸っぱくしてなんて言うんでしょう、車との共存の仕方とかどうやって走ると安全かみたいなことは口を酸っぱくして言ってるんですけどね。
まあそれが必ずしも俺が1人で運転してる時に、自転車乗ってる時にやってるかどうかはまた別の話なんで、本当やって勝手なもんだなって思うし、あと最近気づいたのが、例えば仲間と一緒にロングライド行った時に仲間のね、おっさんたち、おばさんたちには俺ここまで言わねえなと思って。
なんでかっていうと、その人たちはその人たちちゃんと別の人格、別の大人なんで、俺が言わんでも自分で考えるだろうと。じゃあなんで息子が言うかっていうと、俺が言わなかったことで、彼が気づかなかったことで、彼がミスっちゃったことで、彼の身体と命に危険を及んでほしくないからですよね。
じゃあ友達は危険になってもいいのかっていうと、多分そこの境界線が、相手はちゃんと独立した1人の大人なんだからっていうところで、もうちょっと遠くに出前にあるのかな。息子の場合は完全に俺のパーティーの仲間じゃないですか。俺のパーティーの仲間だし、俺が面倒見てる仲間なんで、そこはだから範囲がすごく広くなるのかなって思いましたね。
このままいつ履けるかわかんないんですけど、しばらく濡らしてみて、ビンディングシューズ履きたいとか言ったら履かし合って、冷パン履きたいとかビーブショーツ欲しいとか言い出したら、いろいろ持ってるんで貸してやったりしようかなと思ってるんですけど、どうなるかわかりませんねって感じかな。
今週はやってますけど、先週は特にカンバシーポイント練習はしてないかな。明日四季五祭やって、今週末またエンペース20キロやるんで、どうなるかってとこでしょうか。
なんか嫌いなものの話しようとかって言ってたんですけど、またこれも後回しになっちゃって、嫌いなものの話してくださいっていうコメントはどっからも聞こえてこないんで、全然しなくていいんですけど、ちょっとね、最近いくつか出来事があって、ここ一週間くらい考えてたことがあるんで、そのことをちょっと話したいなと思いまして、
それは一体どういうことかというと、コミュニケーションの非対称性っていうことなんですよね。コミュニケーションの非対称性って一体何かって言うとですね、なんて説明すると一番わかりやすいのかな。
コミュニケーションの非対称性とか非対称性っていうのは、以前に話した誘う人誘われる人みたいなところにもかなり関わってくるんですけれども、例えばすごいわかりやすい例で言うと、今回二つあって、これでコミュニケーションの非対称だなと思ったんですよね。
それはどんなことかっていうと、まずですね、結構古い友達なんですけど、その彼がここ一年くらいあることを始めましたという話がありましたと。そしてそのことっていうのは、俺はもうここ10年弱くらいやってることなので、自分も同じようなことを始めたんで、ちょっとその話題を共有したいからあいませんかって話であったんですよね。
まあ一体それでどんなことがあったかということですね。これはね、彼のことをディスりたいわけじゃなくて、そのね、あったことが面白くてね。面白くてっていうか、愉快ではないんですけど、興味深かったんで、それをちょっとネタにしてるんですけど。
まあどんなことがあったかというとですね、彼はね、自分の話、自分がこんなことしてるこんなことしてるって話をね、めっちゃしゃべりまくるわけですよね。で、俺は聞くんですけど、「ああなるほどね、そういうふうにやってるんだ。俺の場合はね、こうなんだよね。」とかつって、あいつたちで俺がそれに対してどんなことをしてるかっていうようなことをしてたんだけど、
よく途中で気づいたんですよね。あれ?一度もね、向こうから、「恭平さんはどういうふうにやってるんですか?」って一回も聞かれてねえなと。どんなことしてるか一回も聞かれてねえなと思ったんですよね。で、一度も聞かれないんで、俺があいづちで、「ああ、俺はこうやってんだよ。ああ、俺はこうやってんだよ。」っていうのはね、もう疲れちゃってやめちゃいましたと。
これっていうのはね、コミュニケーション非対称だなって思うわけですよ。これね、この非対称っていうのはじゃあなんで生まれるのかなとかって考えてたわけですよね。これって何なんですかね、俺が思うのはそうだなあ、なんていうか、彼の視点っていうのが、まあこの言葉ちょっと強力なんだけど、自己中心的なのかな、それだから生まれがちなのかなって思いますよね。
これがその、このネタだから今回のようになっちゃったのか、彼自身がいつもそういう人なのか、どっちなのかなって考えたんですけど、よく考えたらなんとなくね、こうしたような気がするんだよね。いつもあんまり話聞かれた覚えねえような気がしないでもないような気がしないでもねえなって思いますね。
あんまり今まで聞きながらなかったんだけど、今回そのなんか近況みたいので、このこと始めたんで、喋りたいって言って会ったわけだからさ、情報交換みたいなね、思ったんですよね。じゃあそちらはどんな風にしてるんですかみたいなね、全然なかったんで、途中どころにも疲れちゃって、こういうケースってね、なんかバランス、会話のバランス取り戻すの結構難しいよなって喋りながら、彼の話聞きながら思ったんですよね。
まあなんでって、たぶん相手自身がね、この対話っていうよりはどっちかっていうと、まあそういうふうに明示的に考えてるかどうかは別として、一方的に表現をね、こう無意識のうちか意識してかはわかりませんけど、目的としている可能性があるなあって思ったんですよね。
まあね、でもね、わざわざ会いに来てくれて、時間作ってくれて、いや楽しかったんですよ、楽しかったの。全然つまんなかったとかいうとこが全くなくて、すごい面白かったんですよ。ああ、そういうことやってんだって思ったし、あ、それ面白そう、俺もやりたいみたいな話も出てきたんで、全然面白かったんですよ。
友人との会話の分析
ただ、今風の言い方ですと、まあもやっとしたってことですよね。すごくね、そう思いますね。でね、もう一つの例っていうのもありまして、それは一体どういったものかと言いますと、例えばですよね、俺いろんなことやってるじゃないですか、趣味でいろんなことやってますよね。
例えばトレーナーとかもそうですし、あと何かな、もちろんこのポッドキャストもそうですし、あとはシルクスクリーンのプリントとかもそうですし、あとはまあ自分で家建てたりだとか、そういうこといろいろあるので石窯作ったりとか、クラミングホール作ったりとか、まあそういうことをね、一体どういう風にやったのか聞きたいっていう感じで、まあ質問すごくされることがあるんですよね。
で、今回もあることですごく質問してきた友人がいて、まあ友人なんで、俺はちゃんと、ちゃんとっちは変だけど、負担にならないレベルで、いろいろ情報は出し惜しみしないで出すわけですよね。そこがこういう風にできますよ、こういう風にしたらいいんじゃないかな、こんな感じですよということでね、それはそうですよね。
なんでかって言うと、まあ俺は誰かから新生で全部教えてもらったわけじゃないと思いますけど、でも俺はその、話でかくなっちゃうけど、なんかペイフォワードみたいな精神をすごく信じているので、自分がやってほしいことは人に先にやったほうが絶対いいなと思うので、俺だったら誰かそういう先達がいて全部教えてくれたらすごい助かるなと思うので、だったら俺はそれになろうみたいな意識はあるんですよね。
だって別に教えることで俺に損はないじゃないですか。損はね、実際の損はね。また話は続くんですよ。そんでね、すごく質問してきてくれて、いろいろ教えてもですね、その後ね、それをやって実践したのか、実践してどうなったのかとかね、全くフィードバックがないっていうことがあってね、今回もそうだったわけですよ。
で、なんかそれを俺からさ、「あ、そういえばさ、いろいろなんか相談に乗ったけど、あれってどうなった?」とか聞くのも別にいいんだよ、聞いても大した負担じゃないんだけど、なんかそれ、俺聞くのってなんていうか、すげーつまんねーなーって思うわけですよ。
これね、だって容赦ない言い方させてもらえば、例えば質問を通じてね、俺の知識とか経験を吸収した後にね、その吸収して実践した結果を俺に対してフィードバックしてこないっていうのはね、はっきり言うと相手に対する配慮とかリスペクトとか感謝ですよね。
感謝って言葉使っちゃうと、「あーすいませんね、ありがとうって言えばいいんでしょ?」みたいな、そういうすさまじい低いレベルの話を俺はしたいわけではなくて、相手に対するリスペクトとか配慮とか感謝とかっていうのを明らかに書いてるサインだと思うんですよね。
絶対書いてるじゃないですか、そんなの。だって別に大したことじゃないじゃないですか、「あれ、別に教えてもらったあれ?」って言わなくてもいいんですよ。あの話こうなったんでって言ってくるだけで、「あーいいねいいね、すごいいいじゃんよかったじゃん。」ってなるわけじゃないですか。
いやー、だからなんかね、それもすごくやって、まあそういった場合っていうのはどうなるかっていうと、彼は俺の今後積極的に関わる人リストから外れちゃうわけですけど、まあそういうのはしょうがないよね。
で、じゃあこういうコミュニケーションの非対称性みたいなものって何なのかなって考えると、結局それってコミュニケーションの背後にある相手に対する関心とか好意ですよね。
その非対称性と非常に密接に関連してるなって俺は思ったわけですよ。結局コミュニケーションが非対称になるっていうのは、相手に対する好意も非対称なんだろうなって思いますよね。
だって、特に今の2つの例だと校舎の方が分かりやすいですけど、「教えてください、教えてください。」って言って、結局俺から好意を引き出すで引き出して、
別に大したことじゃないじゃないですか、「結局こんなにました。」って言ってくれるだけで済むのができないっていうのは、しないっていうのは、
それから見たら好意が非対称だなって、コミュニケーションの非対称ってそういうことなんだなって思いましたよね。
コミュニケーションの意識
というわけで、こんなことを話してると、俺はものすごく自分が相手との関係に対してすごく意識的だと、意識的にコミュニケーションだったり好意だったりを非対称にしないようにすごく意識してる人間みたいに聞こえるかもしれないですけど、
実はそんなことはなくて、俺自身ももちろん非対称なことをしてると思うんですよね。もちろんね。
だけど今回はたまたまそういう例が縦続きに2つあったんで、面白いな、コミュニケーションで難しいなって思ったんですけどね。
普通この話って、誘われない問題の時も言いましたけど、同じですよね。
この2つの例、どっちもそうなんですけど、どっちもモヤっとしてるわけですよね。
でも結局、じゃあなんでモヤモヤすんのかって話を考えていくと、それってやっぱり相手に対して何らかのポジティブな思いがあるってことですよね、俺としても。
で、こっちから本当にどうでもいい人とか極端に嫌いな人に対して情報交換したいんで、近況を話したいんで会えませんかって言われたらノーって言うじゃないですか。
教えてくださいって言われたらノーって言うじゃないですか。だからこっちとしては一定以上、相手に対してニュートラル、ゼロよりも上の行為だったりってあることですよね。
で、行為っていうのは、これもちょっとある意味ドッグな部分はありますよね。行為の裏には絶対俺としても期待を持っちゃってるってことなんでしょうね。
で、行為とセットの期待があるから、非対称だなってモヤモヤしたりするんでしょうね。
だから相手のこと好きでもどうでもなければ、当然こうあるべきだとかこうあってほしいなーなんていう期待もあるわけないですし、関心もないわけだから。
関心なかったら非対称かどうかなんて気がつかないですよね。だからこのモヤモヤしてるっていうこと自体が相手に対する関心とか、言ってみれば愛情ですよね。
それが現れてるってことなんだよなーっていうことは、俺自身がこういうことで非対称だなーとかって思うっていうのは、つまり相手に対して好意があるわけだから、
そのように相手に対して好意を抱けるっていうのは、自分で言って笑っちゃうんですけど、俺の人間関係っていうのは割と豊かなのかなーって言える気もしますけどね。
まあね、モヤモヤするのも難しいですよね。そのモヤモヤするっていうことが、人間関係の深さですか、深みみたいなものにもつながるっていうのはありますよね。
ただモヤモヤがたまりすぎると勝手にがっかりしたり、失望しちゃったり、同じ意味ですけどね、するので、そこの自分なりの折り合い方っていうのは見つけなきゃいけないと思いますし、
人間関係の点検
でも見つけられてるはずなんですよ。ただ、いやなんでそんなことが連続して起きるんだよみたいなね、俺たちは単にストレスなく豊かな人間関係で生きていきたいだけですし、別になんていうんだろう、こんな配信動画勝手にやってますけど、
積極的に新しく仲良くなる人を作りたいわけでもないんですよね。なので勝手になんかいろんな人が現れてくるわけですよ、これ勝手にって便宜的な表現ですよ。
で、別に俺が頼んでもないのに、この話したいとか、この話教えてくださいとかつって、勝手に出てきた上で俺をモヤモヤさせんじゃねーよみたいなね、それは思ったんで今回この話をしたんですけど、いやーどうです?皆さん、こういうことってありませんか?
いやでも俺もなんかちょっと自分のあれを点検しなきゃダメだなって思いましたね、行為をね。今こんな風に自分の行為を点検しなきゃって口にしてみて思ったのは、自分の行為を点検しない人っていうのは結構いるんだろうなって思いますね。
例えば俺もそうだな、別れすぎれば俺自分の母親とのコミュニケーションスタイルとか、もしかしたら自分の子供たちとのコミュニケーションスタイルとかに関しては、お客様である友人たちに対するコミュニケーションに比べると点検が甘い可能性はありますよね。
だからむずいな。で、その点検ある程度、絶対に嫌われない自信のある人との対応、コミュニケーションだったら、もしかしたら点検する必要ないかもしれないですよね。
で、友達ってのは割と壊れやすい関係じゃないですか。すごい詩的な表現なんですけど。だからそういう時の方が点検した方がいいよね。だってそんな友達作っちゃいなくなってみたいな。
ちょっと待って、俺の古傷をぐさっとえぐられたぞ。なんかいろんなところから嫌われたり追い出されたりしてる気がしてきたな。まあいいや、とにかくなんでもいいんですけど、コミュニケーションの非対称性みたいなテーマをちょっとあげてみたんで、皆さんも一瞬このことについて考えてみたらいかがでしょうか。それじゃあ。
30:16

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