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2025-06-14 25:57

【164杯目】京大生のリアルを書き続けて今年で100周年!「京都大学新聞社」の裏側とは?

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トークテーマ「京都大学新聞社」

後半トーク

エンディング

 

今回の「今日も京都てAモーニングを」は、特別なゲスト回。「京都大学新聞社」のお二人をゲストにお招きしました。

前半は、「京都大学新聞社」の活動についてお聞きしました。京大生の「リアル」を書き続けて今年で100周年。その連綿と続く歴史の中には、様々な苦労があったようです。お二人の入社のきっかけや記事の作り方などについてもお伺いしましたが、どうやらKUBSと似ている部分もあるみたいです。

後半も「京都大学新聞社」に関するトークです。京大新聞の情報ソースにはある特徴があるとのこと。お二人の印象に残った取材は、正反対の意味合いでした。

コラボしていただき、そして素敵な記事を書いていただき、本当にありがとうございました。 また機会があれば。

 

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KUBSがお送りするラジオ番組「今日も京都てAモーニングを」は
インターネットラジオ放送局RadiCroにて、毎週月曜日8時から放送中!

以下のURLよりご視聴ください!
▼RadiCroトップページ
www.radicro.com/news/university/kubs/

アーカイブも公開中!
▼「今日も京都てAモーニングを」アーカイブ
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7hXH7UkgnqKGT3dWiQ0x1WqzCDfDppQZ

製作 KUBS 京都大学放送局/RadiCro

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KUBS京都大学放送局
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サマリー

京都大学新聞社は、1925年に創刊され、現在100周年を迎えた学生新聞を発行しています。少数の編集員が活動し、記事作成やアルバム制作など多岐にわたる業務を行い、学生同士の交流の場を提供しています。また、学生たちは実際のニュース記事を取材し、学生生活を記録する役割も果たしています。設立から100年が経過し、新聞制作の苦労ややりがいについて語りつつ、メディアの現状や課題にも触れています。100周年を迎えた京都大学の学生による新聞社の活動では、取材や記事作成の裏側が共有され、特にインタビューや印象深い経験が読者へのメッセージと共に紹介されます。

喫茶店での交流
ここは京都市内のとある喫茶店。モーニングの時間には、毎日大学生がやってくるようで。
先週もお話ししたんですけれども、今回はある団体の方とコラボをしようと思っています。
新刊のビラ配りの時にお話しして、そこで決まったという感じですね。
京都大学にもそんなにたくさんあるわけじゃないメディアサークルの仲間ですので、ぜひ楽しい話ができればなと思っています。
そろそろお客様がいらっしゃるころでしょう。
いらっしゃいませ。
すみません、Aモーニングを。
はい、かしこまりました。
今日も京都てAモーニングを。
今日も京都てAモーニングを、朝晩県MCを担当します内尾です。
この番組は京都大学を拠点に活動するKUBS、京都大学放送局が制作している番組です。
喫茶店での温かくゆったりとした朝の時間をお届けします。
そして本日のお客様は。
京都大学新聞社の岩崎です。
同じく京都大学新聞社の砂川です。
はい、よろしくお願いします。
京都大学新聞社のお二人に来ていただきました。
数少ないメディアサークルというつながりですかね。
そうですね、ほとんどうちと放送局さんと。
テレビがないですもんね、テレビというか。
そうですね、映像系、映画制作とかの団体もいらっしゃいますけど。
そうですね。
ニュースみたいなのを扱うテレビ局っていうのは、
あんまり聞いたことないですね、僕が知っている限りだと。
そんな感じで、はい。
新刊の時にお話ししたということで、ちょっとその時僕はいなかったんですけれども。
うちも担当者はそんなに話した子はいないんですけれども、
たまたまお話をして楽しく盛り上がったというところで、
ぜひやったらどうかということを新聞社の中でも話し合って、
なかなか学内の団体でも学生同士の交流というか、
そうですね。
そこまでモテていなかったので、ぜひやってみようというところで、
声掛けしたという感じになっています。
こちらこそあんまりこういうコラボの機会ってそんなにないので、
すごく楽しみにしていました。
じゃあ今から30分間よろしくお願いします。
京都大学新聞社の歴史
よろしくお願いします。
このラジオではお便りや曲のリクエストも募集しています。
リクロの番組ページからお寄せください。
ここからは京都や大学のホットな話題についてトークをお送りしていきます。
本日のテーマは京都大学新聞社です。
この後ですかね、このラジオを収録した後に、
この京大新聞社さんからKUBSのことを取材していただけるということで、
ここからの30分間は、
僕が京大新聞社さんのことをちょっといろいろお聞きする時間にしたいなと思っています。
まずその京大新聞社っていうのが、
そもそもどういう活動をしているかにちょっと簡単に教えていただければなと思うんですけども。
そうですね。
まずその京大新聞社っていう名前の通り、
まずは京都大学新聞っていう学生新聞を月2回発行しています。
一番最初の大元が京都帝国大学時代の京都帝国大学新聞というもので、
それが1925年の4月に創刊されたので、
今年でちょうど100周年です。
すごいですね、やっぱり歴史が長い。
そうですね、100年いろんな編集員が繋いできたという感じで。
あと新聞のほかに、入学アルバムと卒業アルバムの発行の事務作業の方をやってまして、
多分1回生の皆さんとかだと、
英語リビングの一番最初の授業で全体のクラスの集合写真をお撮りしたかと思うんですけど、
ありましたね。
ありましたね。
あれが入学アルバムに掲載されるという形ですね。
そうなんですね。
そうですね。
それを京大新聞社さんの方でやってたんですか?
はい、制作会社の方と連携しながらになるんですけれども、
アルバムの方も新聞だけじゃなくて作っているっていう感じです。
そうだったんですね、それは知らなかった。
お二人はどうして京大新聞社に入ったきっかけっていうのは何かあるんですか?
僕は一番最初は別のサークルに入ったんですけども、
ちょっとそっちのサークルの雰囲気が合わないなっていうことに気づいて、
でもゴールデンウィーク明けにちょっとサークル変えようかなって思ったんですけど、
あんまりもう4月で新刊締め切るみたいなサークルさんが多いんですよね。
ただ今Xですか、見てたら京大新聞のアカウントでまだ新刊やってますよっていうのが上がってきたので、
じゃあ行ってみようかなって言って気づいたら編集員になっていたっていう感じですね。
運命的な出会いじゃないけど。
そうですね。
本当にゴールデンウィーク明けに新刊をやっているところを探していってみたいな。
一番興味があるのが京大新聞だったみたいな感じなんですか?
どうですかね。
そんなでもない?
なんかとりあえずX見てたら上がってきてみたいな。
だから京大新聞がXをやっていなかったら僕は多分入っていなかったんじゃないかなって思うんですけど、新聞サークルなので。
そういうこともありますかね。
私はですね、学内に食堂の前とかに新聞の販売ボックスっていうのがあって、
それでその存在自体は知ってたんですけど、
誰が作ってるのかっていうのが全く見えないっていうのが逆に秘密結社官っていうか、
その内側が全然わからないっていうので、
一回ちょっと文章書くのとかも好きだったので、
ちょっと覗きにどんな人が作ってるんだろうっていう根気心もありつつ、
覗きに進化に行って結構面白そうだなっていうところが多かったので、
私も気づいたらいつ行ってたっていう感じで今に至るっていう。
他の団体だとずっと高校からやってたスポーツをやるとか、
その継続性が強い部分多いと思うんですけれども、
うちはあんまりそこまで経験者が多いわけじゃないので、
結構いろいろな入り方というか興味の持ち方はそれぞれっていう。
うちも結構そんな感じではあります。
KUBSももう全然いつでも局員受け付けてるので、
5月とか6月から入局する方もいらっしゃいますし、
もともと放送部経験者の人も半分くらいいますけど、
これは僕とかもそうですけど、ただラジオに興味があって入ってみたっていう人もいますし、
今年はDTM、デスクトップミュージックをちょっとやってて、
それきっかけで放送に興味があるのでっていう人も一人入ってきてくれて、
なかなかうちもいろんな出自というか、
いろんなところから人が入ってきてるのは面白いなと思いますね。
そうです。そしたら、兄弟新聞社さんはだいたい何人くらいで新聞を作ってらっしゃるんですか。
今活動している編集員は10人くらい、そこまで多くはないですね。
そうですね。
なんかもうすごく新聞読む限り手の込んだ新聞だなって印象があるので、
結構何十人かいるもんかなと思ったんですけど、あんまりうちと変わんないですね。
僕らも10人ちょいくらいなんで、
意外とそんなに大人数でワイワイガヤガヤやってるわけではないんですね。
そうですね。少数生とまでは言えないかもしれないけど、
活動内容と編集員の様子
でも人が少ないのは間違いなくて、それが良くも悪くもっていう形で。
そうですね。大変ではありますもんね。人が少ないと単純に。
大変ですね。
やっぱり出すことは決まってますもんね。その新聞を。
月2回発行っていうのがある中で、
記事の取材段階とかから見積むのと、だいたい1ヶ月前とか3週間前から動くって考えると、
ずっと何かしらの作業に追われてるっていうのが常で、
その分ちょっとハードな部分も多いから、いっぱい入ってきてくれても、
なかなか全員が同じような熱情でコミッターできるってわけでもないですし、
検査失礼子だったら、他のサークルが忙しかったら来れなくなったりとか、
そういった事情もあるので、それぞれ好き勝手にというか、
あんまりルーマ数とかもないので、書きたい人が書く。
大基調を書くっていう形をとってる分、書きたくなければ別にそこまで強制することもないので、
そういったところも特徴かなというふうに。
そうですね。じゃあやっぱりうちともすごい似てますね。
うちもやっぱ住人ちょいいますけど、みんながみんなずっと関わってるわけでもないし、
特に本当にこのラジオは今僕が完全に一人でやってるので。
あ、お一人で。
そうですそうです。今はMCが4月から交代しまして、先輩から引き継いでやってるんですけど、
一応この引き継いで新しい人が入ってくるまでのつなぎの2ヶ月くらいは完全に僕一人なので、
今はもう企画からゲストを選ぶところから、収録から編集からは今僕が全部一人でやってますね。
兄弟新聞の制作過程
兄弟新聞も今4、5月はまだ新刊期間なので、メインで書くのはやはり2回生以上なので、
そうですよね。
どうしても人が少なくて、
そうですよね。
4月、5月は今みんな10や1やってる。
わかりますわかります。
そうですよね。
同時並行で新刊もやらなきゃいけないですもんね。
そうなんですよね。
新刊やりながら普通に新学期のいろんなところもありつつ、
で負担が増えたいつもの作業もやらなきゃいけないからやっぱり結構この時期大変ですよね。
大変ですね。
じゃあやっぱりすごい似たもん同時ですね。
いやそうですね。
なんだかんだで。
兄弟新聞、新聞を作るって結構大変だと思うんですけど、やりがいとかそういうところはどういう部分に感じますか。
やりがいですかね。半分ぐらいはそのいろんな特にニュース記事だったら何かの出来事が起こって、
うちが取材をするっていう形でどちらかというとその取材を書くべきみたいな意識でやるところが半分あるんですけど、
そういったところ学生生活に近い動きってやっぱり一般の新聞が報じるようなことでもないですし、
そうですね。
昔の新聞を例えば学内の展示で使いたいっていうような申請が来たりだとか、
学生生活の記録を残すっていうところで長期的な意味で保存とか記録の役割はあるのかなっていうふうに思うので、
今すごくしんどいなって思うとこが強くても後々その後世の人が、
例えばそのコロナ期どういう動きがあったんだろうとかいうときにそのうちの新聞がネットとかで記事上がっているので、
そこで参照してもらったりとかそういった意味で意義はあるのかなっていうところも言い聞かせながら、
しんどい毎日を乗り越えているっていうところもありますね。
確かにその学生が実際どういう動きをしているかって本当にもう僕らとか巨大新聞さんみたいなそういう部分でしか見れないですよね。
取材の特権と難しさ
あとは兄弟新聞だとニュースの他に文化面の記事もあるんですけど、文化面とかだと美術館とか博物館とかに取材で行かせていただくことがあって、
行きたいなーって思ってた場所に記者の身分を使って行ける、取材ができるっていうのもありますし、
あとインタビューですよね。兄弟新聞だと兄弟の教員の方とか、あとは外部の卒業生の方とかいろいろインタビューさせていただいているんですけど、
普通の兄弟生だったら間違いなく会えない人に兄弟新聞の記者ですって言うと、
じゃあぜひっていう風に言っていただけるので、それがすごく記者であることの意義というか、
特権じゃないですか。
そうですね、特権っていう表現が正しいかもしれないですね。
うちも結構取材とか、僕はあんまりやってないんですけど、アナウンスの原稿を作るときに取材に行ったりしますけど、
やっぱりそういう立場というか放送局というところを利用していろんなことを聞けるのは面白いなと確かに思いますね。
逆にこう難しいところとかありますか?大変というのはさっきちょっとスケジュールとかの点でお聞きしましたけど。
そうですね、それは難しいですし、あとは技術の伝承というか、その記事を書いたときに、
上海生が見たらここもうちょっとこうした方がいいとか言ってコメントを聞けたりするんですけど、あんまり言いすぎてもというか、
はっきり言いすぎても、ちょっともうメンタル的にしんどくなっちゃう子もいるし、逆に上海生が指導しなさすぎると、
ニュース報道とかそういったところからちょっとその情報がぼやけてしまったりとか、その報じる意義を重視しなければいけない。
でも書いてるのはその学生なので、4年で入れ替わっちゃう。
いろんな書き手の意識だったりとか、問題提起の考え方というか、兄弟親分のスタンスだったりとかを教えていくというか伝えていく部分は、
やっぱり時間もかかりますし、上から怒るみたいな形で言ってもなかなか伝わらないというか、
丁寧にというか、こういう意図があって、もっとこういう表現に変えた方がいいとか、段落構成をもっと入れ替えて伝わりやすくした方がいいとかいうのを伝えるところも、構成段階かなり難しいなというふうに。
記事書くだけだったら自分だけの範囲なんですけど、そこからその構成までやって、レイアウトっていうこのパズルみたいに組み立てて、
印刷所に回すところまで全部うちでやっているので、やっぱり自分たちでやっている分、いろいろスキルが必要なところもあって、そこが大変ですね。
メディアの未来への模索
でもそれで100年連綿と、指導というかそれが続いているわけですから。
何回か人手不足で休館の危機というか、その3ヶ月だけちょっと休んだりとか、学生運動が盛んだった時にはすごく発行ブースとか多くても、それがちょっと下火になったりとか、逆に近寄りがたいとかいうこともあったみたいで、
そこでその全然人が集まらずに、サッカー部から人を引き抜いてくれたりとか、交換条件、両方人が欲しいからみたいな感じで交換条件をやったりとかして、何とか、一時期は2人で回していた時期かも。
卒業生に振り返り企画でインタビューとかしても、みんな口を揃えてもしんどかったことは言われるので、
結構長期的な課題というか、つきまとうところなのかなというふうに、読者が見えないので。
それはありますね。
届けてはいるけど、届いているかが分からないので。
あまりフィードバックがないというか。
最近になってやっと読者アンケートとかでQRコードとかつけて、フィードバック集めるようにはしてるんですけど、それもごくわずかというか、そんな数がたくさん来るわけじゃないので。
うちもあまりメール来ないですね。
なかなか来ないですよね。
正直、兄弟生とかに存在を知られているのかなみたいな節もあって。
兄弟新聞だと、本部校内の西門とか北西門とかに販売ボックスを置いて、一部100円で販売してるんですけど、
サークルの話になって、ボックスあるの知ってますかって他の人に聞いても、知ってるって答えてくれた人はいたかも分からないレベルで。
なるほど。
だから、あんまり学生に存在を知られてないかもしれないっていうのはちょっと難しいところで。
結構至る所にというか。
置いてはあるというか。
そうですよね。西門前なり、吉田南の図書館の前とかにもありますよね。
意外とそうなんですね。みんな気にしてないのか。
逆に修学旅行生とか、吉田神社に旅行で来た人が、ちょっと観光ついでに西門とかから取って行ってくれたりとか、保護者の方とか先生とかの方が強い関心をと言うか、持ってくれるのかなっていう。
通ってると見えないもんなんですかね。
馴染みすぎてるというか。
そもそも今の若者って新聞とかネット以外のメディアに興味あるのかなみたいなところもありますし、オールドメディアの苦しいところではありますね。
なんとか乗り越えなきゃいけないんだけど、なかなかどうやるか難しいですよね。
模索中という感じで。
それでは後半も京大新聞社さんとのトークをお送りしていきます。
京大新聞さんはメディアサークルということで、やっぱり取材みたいなところが共通点になるんですかね。
そうですね。京大新聞はその主に一面に載せているニュース面の方で、いろいろ学内の動きだったりを取材してるんですけど、
例えば組織改革の話だったりとか、あとは事実上に関するニュースだったり、
あといろんな新しい制度ができてたりとか、最近だと国際卓越大学っていう大学ファンドからお金を出して、
特定の大学を支援するみたいな動きがあって、それの申請に関するいろいろな動きを取材していますね。
そういったニュースの集め方も結構いろいろあって、
それは最初は学内の議事録、役員会とかそういった学内の教員の上層部がやっている議事録が京大のホームページに公開されていまして、
そうなんですね。
多分公表義務があるのか、簡単なメモみたいな感じで公表されているのを見て、こういったトピックを話し合っているんだっていうところを知って、
そういった制定の経緯だったりとかを広報課の方に取材にメールして聞くっていうのと、
あと記者クラブっていう京都大学が一般のNHKだったりとか、いろんな放送局だったり新聞社向けの情報を出す研究発表の成果とかを流すところに
京大新聞も加盟していまして、例えばノーベル賞の受賞者の式典とかがあったら、うちも記者会見に行けるっていう、
そういうところで一般人と並んで取材したりとか質問とかが認められているっていうのも、学生団体にしては珍しいのかなというふうに。
そうですよね。ちょっと桁違いですよね。情報を得られる角度もそうですし。
私は加盟しなかったみたいなんですけど、やっぱり最近あんまり直接教員とか職員に取材するっていうのも、
京大新聞社の活動
大学がちょっとやめてくれっていうふうに言ってきたりとか、その情報源が結構狭まってきている中で、
いろんなところから情報を得るっていう意味で加盟した方がいいんじゃないかっていうところで加盟したっていうふうに聞いています。
そうなると信憑性はだいぶ違いますよね。だいぶ深く掘り下げることもできるでしょうし。
一般人と同様のソースをもらえるっていうのは、新聞社というか報道団体としてはすごく寄りどころとなるというか、部分が大きいなというふうに思います。
なんかこう取材した内容で心に残っているものというか、あったりしますか?
自分はさっきのインタビューの話だと、山西篤さんっていう相棒とかいろいろ出てらっしゃる俳優の方がいて、
山西さんが兄弟卒ということで卒業生インタビューの一環で僕も話を聞かせていただいたんですけど、
自分が相棒のファンだったので、好きなドラマの出演者に会えるっていうのがすごく嬉しくて、
いろいろ相棒の話なんかも聞かせていただいたりとか、すごく楽しいというか、
人生の中でも結構思い出に残る時間だったなというふうに思いますね。
それはすごいですね。
そうですね。
いいな。
私は結構ニュース記事を書くことが多くて、一回の新聞で2,3個とか書き持ちして書いているので、
数書いている分印象に残っているのは結構自分がミスしたりとか、取材不足を感じたりとか、
例えばその取材先の方にちょっと迷惑をかけたりとか、そういったところの反省というかすごく強くて、
紙媒体って一回間違ったものを印刷しちゃうと何千本同じ間違いのものを配っちゃうっていう性質上、
私は洋の家宅捜索に来た時の日付をちょっとミスして、
それは結構そのいつどこで何がっていう根幹の情報だった分、すごく反省というか、
なんで確認しなかったんだろうというところをすごく後悔して、
でもそれでも次の発行がやってくるので、またその次の取材をやらないといけないっていう、
そういう気持ちの切り替えがすごく難しかったなっていうのが印象に残っていますね。
ちょっと対照的ですね、2人が。
結構いろいろお話ししまったけど、もうお時間になってしまったので、そろそろエンディングに参りたいと思います。
読者へのメッセージ
今日も京都でモーニングを、そろそろお別れのお時間です。
ということで、今回は京大新聞社の2人に来ていただきました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
京大新聞はこの放送が5月中旬くらいですかね、になるんですけど、なんかこう宣伝というか。
そうですね、その時期だと5月16日号が学内で販売されていると思いますので、ぜひ手に取っていただけると。
それから6月1日号でこのコラボ企画の京大新聞側として内尾さんにインタビューとかもさせていただくので、
6月1日号もぜひお買い求めいただければと思います。
はい、皆さんぜひお買い求めください。
このラジオではお便りや曲のリクエストも募集しています。
レディクロの番組ページからお寄せください。
今日はどうもありがとうございました。
それでは私たちはこれで失礼します。
モーニング、ごちそうさまです。
はい、ありがとうございました。
ということで、私も初めてのコラボ会ということですごく緊張していたんですけれども、
この後の取材も実はかなり緊張していまして、どんなことをしゃべろうかなと思っています。
でも本当にこういう機会をいただけてありがたいなと思うので、また今後もちょっと仲良くしていただけたらなと思っています。
それでは今週もいってらっしゃい。
25:57

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