おはよう、こんにちは、こんばんは。
薬と健康に関するラジオ、略してくすけんラジオのうっちーです。
このラジオでは、薬剤師である私、うっちーが、薬のことや健康のことなどで、
ラジオ機の方や患者様からの質問などを紹介しながら、
質問に答えたり、薬や健康についての話をしていくというラジオです。
どうぞよろしくお願いいたします。
第260回、また10の倍数回を迎えられました皆様、いつも本当にありがとうございます。
フォローしてくださっている方が増えてきたりだとか、聞いてくださっている方が定期的にいる、
もう本当にいつもお励みになっております。本当にありがとうございます。
前回の10の倍数250回では、ボイスカプセルのサルさんにお越しいただきまして、
2人で高額療養費について話をさせていただきましたけれども、
そのエピソードも多くの方にお聞きいただきまして、
皆様から反応もいただきまして、めちゃくちゃ嬉しかったです。
お聞きいただいた皆様、コメントをいただいた皆様、一緒に話してくださったサルさん、本当にありがとうございました。
最近の僕としましては、自分の野球の個別指導の都合もあってバタバタしておりましたし、
そのせいかストレスで遠景脱毛症になったりもしてますけれども、
皆様からのコメントや反応、そういったので本当にメンタルを保てております。
いつも皆様本当にありがとうございます。
また最近、クスケンラジオのうっちーとして、赤組ラジオさんにお呼びいただきました。
赤組ラジオさん、ビリーさんが主に配信されておりますけれども、
豊橋在住の皆さんで、豊橋から情報を発信している。
豊橋どんな町だよとか、こんなところがあったんだよという、
そういった話をしたりだとか、
普段日々の生活の中で最近どんなことをしている、
そういった話をされている番組様でございます。
地元愛にあふれた素敵な番組様でございまして、
その赤組ラジオさんに推しトークという、
自分が推しているもの、漫画やゲーム、何でもいいから推しているもので話をするというコーナーに出演させていただきました。
その際には僕、ダモンで豊橋が好きって言っとるじゃん。
略してダモトヨという漫画の話をさせていただきました。
豊橋に関する漫画ということもありまして、
ビリーさんもダモトヨを知っているのはもちろんのこと、
豊橋のいろんなことを教えていただきました。
もうめちゃくちゃ楽しかったです。
また赤組ラジオさんでダモトヨについて話した、配信された後に、
ダモトヨ作者の佐野太先生からもコメントいただきました。
もう本当に嬉しかったです。
お呼びいただきましたビリーさん、ダモトヨ作者の佐野太先生、本当にありがとうございます。
今回概要欄にそのエピソードも載せさせていただきますので、
よろしければ皆様お聞きくださいませ。
さて今回は企画会でございます。
また僕のミスで、今回水曜日配信になっております。
前回259回の時にも触れておりますけども、
今回、推し活二次元ライフラジオと三次元喫茶小話をされております
水代誠さんの主催イベント、国家トークテーマに参加させていただいております。
このイベント、参加した番組は4月1日から4月30日までの1ヶ月間に
ある決まったトークテーマで話をしようというイベントでございます。
そして、僕が4月30日が木曜日と勘違いしていた都合で
260回の配信の時にこのイベント参加したエピソード話をしようと思ったんですけども
曜日を勘違いしておりました。
そういったこともありまして、今回急遽水曜日に配信をさせていただいております。
また次週からは月木9日に戻しておりますので、
いつもと違うなと思われるかもしれませんけども、ご了承くださいませ。
水曜参加されておりますお出かけ2次元ライフさんも素敵な番組でございます。
ご本人がオタクによるオタクのための番組と話されておりますけども、
幅広くオタクの話をされております。
アニメやゲーム、漫画のこと、ニコニコ動画とかそういった様々なテーマで話をされております。
僕もオタク人間ですのでめちゃくちゃ楽しく聞かせていただいておりますし、
先日水曜マコトさんに僕の別番組マンラジの方にも出演いただきました。
2人で色々と漫画の話をさせていただきました。
その説も本当に楽しかったです。ありがとうございました。
その際のエピソードも今回概要欄に貼らせていただきますので、
よろしければ皆様お聞きくださいませ。
水曜さんの企画、以前にもポッドキャスターが答える5つの質問であるとか、
地元やゆうかにある都道府県をPRするポッキャPRというイベントもされておりまして、
僕もその2つ参加させていただきました。
その第3弾である今回も参加させていただきます。
今回このイベントに参加したポッドキャスターは、
みんなで決まったトークテーマでそれぞれ話をしようという企画でございます。
そして今回のイベントトークテーマは、
小学校の思い出でございます。
ということで今回話をさせていただきますタイトルはこちら。
喧嘩にいじめ何でも解決する最高の遊び場放送室
僕は現在38歳でもうすぐ39歳になります。
若い世代の方と話をすると、
いやもうそんなのないですよ、時代遅れですよと言われますけども、
僕らの頃ってまだギリギリ大罰。
先生が生徒を殴るとか、先生がしないとか、
何かしらの武器を持って生徒を威嚇するとか、
そんなのがギリギリ残っている世代でした。
生徒も生徒で他校とかの殴り合いの喧嘩とかがありました。
中学校に入ると結構大々的に他校へ殴り込みとかもありましたけども、
今回話をさせていただきます。
小学校の時はそこまで殴り込みとかはあまりなくて、
可愛いものでした。
他校の生徒と電話とか手紙とかパシリを使って約束して、
お互い何人対何人で喧嘩をするとかね、
決まった場所に集まって喧嘩をするっていうね。
大人になった時にこれ気づいたんですけど、
これ血統罪だよなっていうのは思いましたけど、
子供がやったことですし、もう時効と思っていただければと。
実際他校との血統でも正直小学校の時はあまりなかったかなと。
中学校とかになってくるとまた結構頻繁にありましたけども、
小学校の時はそんなになかったですよっていう。
正直小学校の時って大体は学校の中で喧嘩とかがありましたし、
いじめっていうのもやっぱり正直学校内にありました。
僕自身いじめられっこでした。
小学校1年とか2年くらいの時はやっぱりひどかったですね。
上級生とか喧嘩の強い同級生からよく殴られたりもしてました。
僕がいじめられている姿が近所の人に見つかりまして、
それで学校でね結構大きな問題になったりもしました。
学校内で問題になったということで、
それでねお前のせいで何か怒られただろうということで、
またいじめられる原因にもなったりもしましたねっていう。
でも今はねやっぱり考えてもやっぱりめちゃくちゃ辛かったですよねっていう。
毎日のように学校行ったらもう殴られてましたからねっていう。
でも僕そんな殴られてましたけども、
小学校1年生の時って確か解禁症なんですよ。
もう学校休んだこともないですし、
早退とかもないですねっていう。
小学校3年生の時にインフルエンザになって学校休むまで、
僕学校休んだことないのが自慢だったので、
小学校2年生までは間違いない解禁症だったと思います。
もうなんでそんなに殴られたとかいじめられているのに学校行ってたかっていうと、
僕いじめられてはいましたけども、
クラスで無視されるとかそういう感じじゃなかったんですよね。
無視されるとか精神的なものでしたらやっぱりきつかったと思うんですけども、
殴られるっていう暴力的なことだったんで、
まだ耐えられたんですよね。
またいじめられてはいるけども、
遊んでくれるとか話してくれる友達もいたんですよね。
同じ保育園から同じ小学校に行った友達とかが
喋ってくれたりとか遊んでくれたんで、
やっぱりそういうのもあって学校通っていましたねっていう。
よく言うクラスで無視されるとかそういうのではなかったんで、
僕の場合はまだいじめとしては優しい分類だったと思います。
本当にどんだけ殴られたとかしても、
話してくれる人はいたっていうのはやっぱり助かったなと思います。
あとこれは僕学校通ってた理由であり、
なおかつ僕がいじめられる原因でもあったんですけども、
まあ僕空気が読めなかったんですよ。
リアルでお会いした方とかですと、
今現在でもウッチーさん空気読めてないですよとか思われるかもしれませんけども、
今以上にね本当に昔空気読めてなかったんですよ。
今は最低限仕事の場とかで、
今は変な発言しない方がいいなとかで、
最低限の空気読もうっていうのはできるんですけども、
昔は本当に空気読めてなかったんですよ。
だからいじめられたら学校休むとか、
そもそもいじめっ子グループから、
僕嫌われてるっていう感覚があんまり分かってなかったんですよね。
空気読めてなかったんですよね。
なんだったら僕の方からいじめっ子グループに声をかけるとか、
そういうこともあったくらいなんですよ。
いじめっ子グループからしたらこいつアホってんのかって思いますよね。
毎日殴ってるやつが平気な顔して話しかけてきますからね。
気味悪いと思ったでしょうね。
だからそんなのもありまして毎日殴られるっていうのを繰り返しましたね。
でもさすがに空気読めない僕でも、
小学校1年2年くらいそんな生活してればだんだんと学習してきましたね。
今はいじめっ子グループに話しかけんほうがいいなとか、
今ちょっかいみたいなのかけたら殴られるなっていう空気は感じるようになりましたね。
2年くらいかけて学習しました。
そういったのもありまして、
殴られるとかいじめられるっていうのは圧倒的に減っていきましたね。
人と話すとき、大きな声で意識するようになりました。
いじめっ子グループとかに話しかけるときも、
ちょっとボソボソとして話しかけたんですね。
それよりも大きい声で話を意識するようにしたんですよ。
やっぱり暗い感じよりも明るい感じ出してるほうが人間よく見られるんですよね。
いじめられたときってボソボソした話とかが
普段の会話でもそうだったんですよ。
暗い感じになってしまってますね。
いじめっ子グループとかに話しかけるときは、
やっぱり小学校2年生の終わりくらいに気が付きました。
たまにはうるせーって殴られることもありましたけども、
空気を思うとすることと大きな声を気を付けるようになったら
殴られることは圧倒的に減っていきました。
ただね、今現在でもね、リアルでお会いする方とかですと
うっちーの声でかいとか、
声を落としてとか言われたりするんですけども、
やっぱり無理やり殴られることもあったりするんですよ。
やっぱり殴られることもあったりするんですよ。
昔いじめられたときの反動とかもあったら
いまだにこの声の大きさって直らんですねっていう。
正直この声の大きさっていろんな場所で
注意されることはありますけども
僕の中ではねこのおかげでいじめ止まったから
自分の中ではもうしょうがないっていう。
今生きてられてるのはこの声のトーンのおかげだっていう風に
思ってるので多少注意されても仕方ないと僕では思ってるんですけども
いまだに迷惑かけてる皆様本当に申し訳ないなと思っております。
あげないなと思っております 他にも細かいところはやっぱり
直したりはしてましたけどねっていう 例えば苦手なこととかをすぐ止め
たがるところがやっぱりすごい あったんですよね
例えば鬼ごっこで自分が鬼になった 時とかでみんなを捕まえられなく
なったらすぐに止めようとしちゃう とかね帰ろうとすらしてました
からねそりゃ嫌われるわなっていう そういうのはやっぱり直そうと
やっぱり気づき始めたのが小学校 2年とか1年生とか2年生の間には
それは直そうなと思ってました し
またみんながやりたがらない宿題 とか夏休みとかあると思うんですけど
そういうのを僕は率先して終わらせるん ですよ
夏休みの宿題は僕7月中に終わらせる タイプだったんで
で終わらせといてみんなが夏休み の宿題困る頃に宿題を移させて
あげるっていう係だったんですよ そういうねみんなが嫌うこととか
をやったりしてますとこいつ役に 立つなって思っていただけたんで
やっぱりいじめられることっていう のはもうねほんとなくなってき
ましたね
だからこういうね人が嫌がること を引き受けてよく思われようっていう
ね
これ頼める?とかそういう風に頼 まれた時に
やっときますよっていうね
まあこの状況がね今実際の今の さまざまな仕事の場とかでも活か
されてはいるんですけども
まあただそれで自分の首を絞める こともありますけども
こういったね僕の今の人生の生き方 って過去のいじめられた経験と
その回避策で小学校2年生ぐらい の時にもう学んだことが基礎になって
もうほんと30年ぐらい生きてます ねっていう
そうですね小学校2年生が8歳とか なんでもうそれから30年ぐらい
も全く中身は変わってないですね っていう
だから小学校2年生で学んだことが 今の僕を作ってるなと思ってます
ただ僕自身はいじめから回避される ようになってきました
殴られることはほんとなくなりました もう小学校3年生の時からもう全然
殴られた記憶はないですね
まあ喧嘩することありましたよ っていう
喧嘩はあったけどもいじめられる ってことはほんとなかったなと思
うんですけども
ただやっぱり僕以外の誰かがいじめ られてるとかそういうのはやっぱり
ありましたねっていう
でもうちの小学校他の小学校も そうかもわかんないですけども
特徴的なこととして
上の学年に進んでいくほどいじめ が減ってくるんですよ
1年生から2年生2年生から3年生3 年生から4年生とか
だんだんだんだん学年が上がって いくにつれていじめってのが減って
いったんですね
他校と殴り合いとかになってくる と
それはやっぱり小学校4,5,6とか5 の方が多いんですけども
学校内でのいじめってのはやっぱり 上級生になるほど減っていきました
ね
何らかんだで何年もねその小学校 に通っていれば
学校とかクラスメイトにやっぱり 皆さん愛着持つようになるので
いじめをしなくなるっていうのも 理由だとは思うんですけども
5,6年の高学年はもうほんとはっきり といじめ減ってましたね
もう5,6年生ぐらいになるとほんと みんな仲良かったですね
でこれやっぱりいろんなのある と思うんですよね
小学校4年生ぐらいの時からクラブ 活動とかね
毎週確か火曜日だったと思うん ですけども
5時間目から6時間目の授業が終わった 後にクラブ活動とかソフトボール
部とかサッカー部とかで
そういったのがありましたし
あとやっぱり何かしらの委員会に入る 委員会活動とかも始まりましたね
図書委員会とか生物委員とかクラス 委員とかそういうのもあって
他のあんまり関わったことない 人としゃべれば
図書委員とかで月に1回か2回ぐらい 集められるんですよね
図書委員とか生物委員とかで集め られて
他のクラスの同じ委員会の人と 喋ったりするんですけども
そういうふうに他のクラスって あんま絡んでないなって人も
話すようになると自然と学校とか 学年とかそういうのに
愛着を持つようになってくるんですよね
例えばいじめって5,6年の高学年になると 減っていったなと思うんですけども
その中でも本当謙虚だなと思ったんですけども
小学校5,6年生で委員会活動がありますと
放送委員っていうのがうちの学校ありまして
多分でもこれ前にどのポッドキャスター さんか忘れましたけども
X上でツイッターの時かもしれないですけども
ポッドキャスター放送委員とか放送部が 多かった説みたいなのやってた人いたんですよね
ポッドキャスター以上に放送部とか 放送委員が多いんですよね
僕自身も本当は小学校5年生から 放送委員やりたかったんですけど
僕は小学校6年生の時は放送委員でした
確か小学校5年生の時は図書委員でしたね
この放送委員がもううちの学校では 一番の人気の委員会だったんですよね
というのも放送委員は放送室が使えるんですよ
この放送室という最高の遊び場を 使える権利を持っているっていうのが
めちゃくちゃ魅力的でしたし
でまた実際この放送室のおかげで
この学校特に僕らの年代って
もう喧嘩とかいじめがもう5、6年の時に ガクッと減りましたね
放送室とか放送委員ってどんなことを やってんだっていうね
例えばなんですけども朝の修行タイム
8時25分になりました
遊びをやめてうがいや手洗いして 教室に入りましょうとか
うわこれもう30年ぐらい経ってるけど 今でも言えますねこれ
そんなのを8時25分ぐらいに 朝の放送として流すんですけども
あとお昼の給食の時間になったら
みんなが給食食べてる時間に 音楽とかを流したりするんですよね
あと夕方確か夕方5時だったと思うんですけども
夕方5時になりました
お家へ皆様帰りましょうと言いながら そういった放送をするんですよね
それを放送をするのが 放送委員の仕事なんですけども
その放送をする場所が放送室です
この放送室が本当にとにかく 面白かったんですよ
基本的にはこの放送室って
放送委員にならないと入ってはいけない というところではありました
なので一応放送委員しか入れないっていう 特別感があるんですよね
完全な防音のところで多少騒いでも 外に音響かないしっていうので
それ楽しいところでもあるんですけども
あとこれ放送委員の特権なんですけども
お昼の放送をしなければいけないので
放送室に放送委員の人が めんめん入るんですけども
週代わりとかで例えばこの週は 5年1組の放送委員が
この週は5年2組の放送委員が
この週は6年1組のとか そんなようになってますけども
放送室で給食を食べるっていうのは
普段の教室と違って
自分たちだけ違うところで食べれるっていう その特別感があったのと
それが面白かったのと
放送室ってテレビ見れるんですよね
うちの小学校ってテレビって 本当全然見れなかったんですよ
教室にもちろんテレビ一台あるんですけども
本当たまに道徳の時間とかなんかで 教育テレビを流すぐらいで
基本的にはテレビって全然見れないんですよ
でも放送委員になっていると
放送室でお昼の時間にテレビ見れるんですよ
当時やってましたね
お昼の伝説的な帯番組 笑っていいともとかが見れたんですよね
みんながねテレビ見れない時に
自分たちだけ笑っていいとも見れるという
この特別感めちゃくちゃ楽しかったですね
やっぱりそういったので放送委員人気でしたし
でまた意外と朝のチャイムとか 夕のチャイムの時間には放送室
これもやっぱりこの週は5年1組 この週は5年2組と決まってますけども
朝のチャイム8時25分に放送室にいなきゃいけないとか
夕方のチャイムの時間って 夕方5時だったと思うんですけど
夕方5時とかにチャイムの時間に 放送室にいなきゃいけないって
割とめんどくさいなって 思われるかもしれないですけども
ただ朝の時間を置いておくにしても
夕方の時間とかにどことーと 学校内で残っていいっていう
それもまたね特別感があったんですよね
そしてこの放送員が使える放送室なんですけども
本来は放送委員しか入ってはいけないんですけども
正直なんですけども放送委員ではなくても
この放送室に結構みんなで遊びに行ってました
放送室やっぱり結構しっかり防音されてるんで
騒いで音が響かないし
で午後の授業が終わって 日とか3時ぐらいでしたかねっていう
そこから夕方の帰りの放送まで
5時とかまで2、3時間ぐらいあるんですけども
別にその間のその2、3時間ずっと 放送室にいなくてもいいんですよって
例えば外で校庭で遊んでて
帰りの放送の時間の直前だったら 放送室に入ればいいんですけども
ただ僕らが担当の週とかですと
午後の授業が終わってすぐに放送室に行って
放送室で遊んでたりしてましたね
本当はダメなんですけどもゲームを持ち込んでて
みんなでその夕方のチャイムの時間まで ゲーム大会してましたし
あとは漫画を持ち込んでおいて
先生の目に触れないようなところにね 漫画隠したりしたんですよね
それでみんなで読めるようにしたりしましたし
中にはエロ本持ってきてるやつもいましたねっていう
本当放送室がもう遊び場になってたんですよね