最近調子に乗ってることの代表エピソード。
夜のコンビニでヤンヤンつけボーを買い、パソコンの前に座る。無職はドラックストアでプライベートブランドのスナック菓子買っとけって話なのに。
ヤンヤンつけボーは、絶妙な「労働」だ。労働を体験ありがとう!と思わせてくれる絶妙バランスのお菓子。
ねるねるねるねや知育菓子のような過剰な作業ではない。これは労働。特にハンバーガーとか寿司作るやつ。過労。
ただ、ディップして、カラースプレーを纏わせる。その計算された分量配分に、私たちは知らず知らずのうちに計画性を学んできた。ヤンヤンつけボー子そ真の知育菓子。
しかし、その影で泣いている存在を忘れてはならない。「アスパラガス」という名の棒ビスケットだ。スティック状で湿気ず、黒ごまという、一粒でも入れたら健康フードにしてくれる魔法の免罪符ーど(メンザイフード)まで持っているのに、お菓子会では誰の手も伸びない。
私は今までに合計1,000人の前で「アスパラガス好き」を公言してきたが、共感を得たことは一度もない。一袋を一人で消化するために、唾液でふやかして離乳食のように食べるという悲しい消費の仕方に辿り着いた。夏は特に辛いの。アスパラガスが私のことを一気に砂漠に連れて行く。
最近のアスパラガスの「mini」展開は、そんな孤独な愛好家たちが、シェアを諦めたことへの敗北宣言のようにも見える。
ゴミ袋の中から、ヤンヤンつけボーのパッケージに大きく描かれているやんちゃ系パンダがこちらを覗いている。絶対にアスパラガスのことを馬鹿にしてるな・・・という顔で。
一人で食べ終えた後に残る、潰せないカップの嵩張り。じゃがりこはあんなに簡単なのに。カップの高さと厚みからやっぱり、パッケージのパンダの世間を舐めてる感が否めない。そりゃパンダはいいよね。生まれてくるだけで愛され確定人生なんだから。
ヤンヤンつけボーを調子に乗って一人で食べた私に「これは本来、誰かと分かち合うべきものだったのではないか」という、小さな後悔を突きつけてくるパンダ。
パックンチョコという名の「世界代表パティシエ」
最近、お菓子とぜーんぜん真剣に向き合ってない。
個包装のお菓子を、袋しか見ずに、パソコンに視線を当てたまま、口に入れている。
そんな慢心した私を震えさせるのが、パックンチョコだ。あの小さな一粒に描かれたアートを、無視せずにはいられない。美術館の鑑賞。
もしあれがディズニーランドの中で売られていたなら、間違いなく10倍の値段がついているはずだ。本当に。
プリンセスの複雑な髪の毛のうねり、ツヤまで・・・。ドレスの網目、スティッチの毛並み……。プリント技術だと分かっていても、そこには「世界代表パティシエ選手権」の決勝戦のような、緻密な執念が宿っている。多くのキャラクター菓子が、見た目だけで満足して味を疎かにする中、パックンチョコは味のクオリティすら一切の妥協を許さない。パティシエが宿ってる。
一粒一粒を美術館の絵画のように鑑賞し、技術に想いを馳せる。
ヤンヤンつけボーのフィーバータイム(最後にチョコをたっぷりと贅沢に乗せる瞬間)が、幼少期よりそこまで興奮しなくなったけど、パックンチョコの芸術への感動はいまだに変わりない大きな感動だ。
お菓子の袋ばかりを見て、中身と対話することを忘れた大人たちへ。今こそ、パックンチョコの緻密なアートを凝視し、ヤンヤンつけボーのカラースプレーを一粒も零さないよう集中するべきだ。そこには、効率化された現代が忘れてしまった「一瞬への情熱と熱狂」が詰まっているのだから。ワールドカップですね。
【食い意地ラジオについて】
9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。
自我強くてごめん。
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