大人になってからあらためてキャラかまぼこに向き合って「自炊の正解」を見つけた
私はムチムチしたかまぼこが苦手で、タイヤの皮を食べているようなある種の不信感を抱いてきた。それでも食べ続けてきた。
特に安いかまぼこしか食べたことないかもだけど、魚のDNAが薄まりすぎて、大正時代から令和に至るまでの家系図の果てにたどり着いた残像のような存在だと思っていた。
しかし、そんなかまぼこ嫌いの私を救ってくれたのは「キャラかまぼこ」!!
パステルカラーの魔法、存在自体がプリキュア。
都会のスーパーを巡ってもなかなか見つからないその希少性は、購入する際、二十歳以上かを確認される酒やタバコと同等の「身分」を問われているような気がしてくる。
友達の子供のために必死に探し、全く見つからなくて、結局ナルトで妥協した私に、その子はちょっと忖度も入ってそうな笑顔で「可愛い!」と喜んでくれた。その優しさは、私の荒んだ練り物観を浄化した。
そして私は最近、自炊の最終的なゴールを見つけてしまった。それは「キャラかまぼこのふりかけ」である。
半額の弁当やカップ麺の上に、ピカチュウやちいかわの薄いかまぼこを空中浮遊または密着させる。
5分ほど放置し、ご飯の湿気で目をうるうるさせた彼らと見つめ合いながら食べる時間は、もはや鍋も包丁も必要としない「究極の自炊」だ。ケアの自炊・・・!!
一つ一つのおかずたちと真摯に向き合いたいので、私は人生で「三角食べ」をいくら推進されてきても、給食中の校内放送で言われまくっても、ポスターで見たとしても、この行為を絶対にしてこなかった。
そのおかげで、白米を最後まで残す習慣が身についている。
最後に残った白米の上で輝くキャラクターと対峙する。これこそが、食に対する誠実な向き合い方であり、自炊のゴールである。
独裁者はんぺん、伊達巻という名の免罪符
おでんという過酷な煮込み現場において、はんぺんの立ち振る舞いはあまりにも堂々としすぎている。
他の具材が「すみません」と身を寄せ合い、出汁に染まって小さくなっていく中で、はんぺんだけは誰よりも上に陣取り、鍋全体を支配する。その図々しさ。しかし、それだけの自己主張をしなければ、おでんの迷宮の中で「そういえば入ってたね」と忘れ去られてしまう。
確かに、煮込み料理はどれだけ主張したかが勝負の決め手でありそうだね。
謙虚であることが必ずしも正解ではないと、はんぺんはその白い巨体で教えてくれる。
一方、伊達巻。私はこの存在がスイーツではなく、堂々と「食品(おかず)」として君臨しているこの国の制度に、心から感謝したい。冷静に考えれば、伊達巻はロールケーキよりも甘く、カステラよりもぎっしりと密度が高い、完全なるデザートだ。それなのに、「魚の栄養が入っている」という免罪符一枚で、夕食の食卓に紛れ込む。
正月という多幸感に包まれた日、私は伊達巻の上に生クリームとイチゴを乗せて食べる。それは、コンビニのロールケーキを凌駕する背徳の味!魚さえ入っていれば、こんなドスイーツも栄養である。
かまぼこがムチムチの筋肉質で社会の厳しさを語り、キャラかまぼこで妄想のあわい世界を実現してくれる。
はんぺんはふわふわの虚無で自由を説き、自己主張の大切さを教えてくれて、伊達巻は、砂糖は毒だとか言われて脱砂糖が推進されるこの時代に、ちょっとの魚の栄養だけでおかずとして君臨してくれる。
練り物コーナーに並ぶ彼らは、単なる加工品ではない。私たちの「食い意地」を肯定してくれる、最高にファンタジーな仲間たちなのだ〜。練り物トランポリンランドをいつか開業したいよ〜!
【食い意地ラジオについて】
9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。
自我強くてごめん。
食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。
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