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【現代アート】現代写真家 杉本博司 を紐解く | 写真は「絵画史」を継承できるのか?
2026-10-30 28:46

【現代アート】現代写真家 杉本博司 を紐解く | 写真は「絵画史」を継承できるのか?

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東京国立近代美術館で開催された「絶滅写真」杉本の初期の傑作「ジオラマシリーズ」や「海景」などを参照しながら、リヒターやロスコ、マレーヴィチら巨匠たちの絵画史と接続させ、写真と絵画性の往来を批評します。▼ プリズムの分光を撮る「オプティックス」は、芸術家の領域なのか学者の領域なのか?▼ なぜ杉本博司は、写真でありながらリヒターやロスコ、セザンヌら「絵画史」の巨匠たちと接続できるのか?【チャプター】 ダイジェスト00:26 オープニング00:41 「ジオラマ」シリーズ解説|圧倒的技術と打算性02:35 和歌への違和感とミュージアムピース化の戦略05:48 「劇場」シリーズとコンセプチュアル・アート(時間と光の可視化) 「滝」に見る崇高性と信仰10:21 代表作「海景」の抽象表現|水墨画・マレーヴィチとの共通点14:11 「建築」シリーズと絵画的抽象化|リヒター、セザンヌ、ピカソ、キリコ17:41 「オプティックス」と色彩|ロスコ、ゲーテ、ターナーの系譜22:09 「キャンドルの写真」が放つ霊性と光の存在感22:50 感情を排除している?|マティス、ブラックと美術市場でのマジョリティ性24:54 「絶滅写真」の真意と様々な巨匠に通じるセルフブランディング

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サマリー

東京国立近代美術館で開催された杉本博司の「絶滅写真」展を訪れ、初期の「ジオラマ」から「劇場」「海景」「オプティックス」まで、写真と絵画性の関係を語る。ジオラマでは、博物館の模型を人類史の風景として撮影し、照明や現像、巨大なプリントに込められた技術と、現代美術の文脈へ接続する戦略性が評価される一方、和歌や文章を含む展示の自己物語性には複雑な反応が示される。劇場から滝、海景へ続く展示構成は、場所の記憶、自然崇拝、信仰、時間の感覚を段階的に展開していると受け止められた。海景は空と海の反転や濃淡を通して、水墨画的で絵画的な表現と、日本性や宗教性を帯びた広がりを見せる。建築写真や「概念の形」では、セザンヌ、印象派、ピカソ、キリコら近代絵画との接続や、物質と概念の中間にある写真媒体の性質が論じられる。「オプティックス」にはロスコやマレーヴィチ、シミュレーショニズム、光学やテクノロジーの文脈が重ねられ、発色と現像の美しさは称賛される一方、操作性を突き詰めた作品への好みは分かれた。蝋燭の写真には、存在と虚像、霊性を感じたという強い反応が語られる。杉本の作品は感情や情よりも宗教的・普遍的な構造を前面に出し、現代美術の制度に適合するよう設計されているとの批評も出る。二度目の鑑賞を経て、杉本は現代美術を難解にしている象徴でありながら、日本のハイカルチャーを相対化し、「絶滅写真」と名付けることで文化との断絶も演出する、単純な好き嫌いでは片付けられない作家だと結論づけられる。

ジオラマと杉本博司の戦略性
東京都近代美術館で行っている、杉本博司絶滅写真の展示をレビューというか、見てきたよという話をラフにできればなと思っております。
一番最初、ジオラマ。あ、そうだね。いわゆるこれニューヨークやったっけな?博物館。ニューヨークの博物館。模型やね。風景を模型にしてみたいな、いわゆる座博物館的な人類の起源みたいなね。
もうその現に存在しているように撮影している。ジオラマで撮ってるけど、ただまあやっぱりその撮っただけではなくて、ライティングとか、YouTubeで探すと今すごいその当時どういう風に撮ったかみたいな情報
って出てくるけど、光の回し方とか、部屋の中だけどどうやって太陽光を表現するかみたいなのはすごく気を使ってはいる。
かつそのジオラマではあるから、徹底的に突き詰めることもできるし、どこまでリアリティ追求するかみたいな。なんかある種その外で決定的な瞬間っていうものがないが故に、自分でそれを作ってしまうみたいな部分の
難しさがはらんでるっていうかね。
いわゆるさ、現代美術って日本人とか東洋人としての属性をどうやって絡めるかみたいな、なんかその杉本は結構打算的というか賢いなっていう感じはすごいして、そのジオラマを写真として扱うっていうのが着眼点みたい
なところは、なんか作しめいてるものがかなり初期からあるなぁとは思ったね。
本当によく言われるがちだし、それが苦手であんまり好きじゃない人がいるみたいなこともよく言われるというか。やっぱりその戦略家としてもだし、当時そのシミュレーショニズムとかが対抗してきてて、その文脈
でやっぱ写真っていうのが認められつつあって、ただまだまだっていう段階で自分の写真でそれを盛り上げるみたいな部分が、その展示の文章でも書かれてたんだけど。
和歌と展示の自己物語性
それこそ今回の展示はその本人の和歌とセットなのかな、文章とその文章の後に自分の歌をいわゆるそのせるみたいな、これは最初のジオラマのとこだけじゃなくて他のところも一貫してやってる。そういう物語性みたい
なのはそこからジオラマっていう作品の中にも再解釈されたのか、今回の展示はすごく強く現れてるよね。
和歌、しんどかったな、これは。
言った。
なんかあれだよね、若かった時はやらなかったことなのかなともちょっと思ったりもするけどね、行くとこまで行かれて。
これ言ってしまったらもうそこまでなんやけど、初期このミュージアムピースとなるための作品制作として、人類っていう根本の共通項を用いながらジオラマを撮影する。これどう考えてもミュージアムピース的なものじゃ
んって思う。いくつかやってそこから日本に戻っていくみたいな。
すごいわかりやすくはあるんやけど、そこの打算性みたいなところはちょっとうってなるところも少なからず俺にとってはあった。
だからそこに和歌ある意味何?ってすごい思った。
ファーストインプレッションとしては、なかなかこの自分語りというか感覚は覚えて、他の文章とかは英語訳とかがついてる、いわゆるその説明っていうことを表明してるような文章なんだけど、そういう和歌とか文章に
対してはそういう英語語訳とか、他の言語での翻訳とかがついてなかったりとか、かなりこうセットっていうのが非常に色濃く出てた。
だから見る人が見たらうってなるし、使ってる語彙とかもおそらく杉本さんが普段読んでるような、もっと古典とかの難しい漢文とかそういうものではなくて、我々にこう合わせてくれてるんだろうなみたいな言葉を選んで
るっていうのもなんかこうひしひしと伝わってくるみたいな感覚はあったよね。
ジオラマは人類の成り立ちというか、クロマニオン人とか、白クマ、白クマはなかったと思うけど、猿、もともと捕食される対象としてあったとか、そういう歴史。
そうだね、考古学的な部分ね。
そうそう。
普通にね、普通にすごいのよ、技術的に。
写真としても。
写真として、もうこの時点でものすごいこだわってて、だってこの時多分30いってないぐらいだったはずだから、もちろんね、作り込めるからいくらでも作り込んだんだろうと思うけど、モノクロの階調をさ、すっ
ごい徹底的に潰れないように、白も飛ばないように、なんかそういう部分の現像とかも含めてだけど。
とんでもないことやってんだろうなっていうのは個人的にはやっぱり思うし、たぶん写真やってる人、演技一回やったことある人は思うんじゃないかな。この大きさでまずプリントができない、普通演技で。
うん。
っていうところがやっぱりもう普通に破格っていうのはすごいなって思います。終わってしまいますけど、それで。だから本物実物見る価値はめちゃくちゃある。
劇場?
劇場ですね。
うん。どうやったこれ、シンプルに。
そうね、まあだから結構あまりにも有名すぎるから、なんか個人的にはね。やっぱりその当時時間っていうものを取り扱ったりとか、それこそ場所、長時間ロコみたいな部分で、現代美術の方の文脈をここまで
こうわかりやすくコンセプトとして、
やっぱりその作品にできたっていうのは一定の評価があったからめちゃくちゃ高額になってることなんだろうなっていう部分は、まあちょっと頭硬い言い方だけど、やっぱり感じました。概念みたいな部分の作
品だから、現代アート寄りになってくるから、絵画とかを一発目見た時のすごくエモーショナルな、あの体験みたいなのには俺はならなかったかな。
劇場から海景へ向かう流れ
なんかジオラマと時系列的にあるよね、この劇場シリーズは。これ自体がジオラマですよ的な見方ができるというか、あのフレームのあの感じを今度は現代社会に、世界に持ってくるとそこは劇場になっていく
よね的なやと思うし、俺としては。
場所の意味合いとかももうちょっと掘ると、ちゃんと見ようとすると、廃墟とかブラザで撮っていることの意味とか、その場所の記憶、場所の歴史みたいなものも内包させているみたいな感覚だから、頭使わない
と感動できないみたいなところがやっぱりあるとは思うけどね。
記念碑的なものを作りたいっていうのがすごい現れてるなって思ったね。別に人感動させなくていいです。まあそれはすごい嫌な言い方してしまったけど、なんか本当に美術家として成り立つべきためにはどう
するのかっていう。
たぶんこの時もうすでにニューヨークにいたし、普通に生きる糧を作るためにこういうのをやってると思うから、全然そこに対して何のあれもないんやけど、初期っていうことも考えつつやっていくとこういうム
ーブになるよねとは俺は思った。
なるほどね。
すごい完成されてるしね。作品としてすごいパッケージがうまく整えられてるっていうのが、この人の凄みはそこやなって思った。
そこで撮るって思ってもさ、そうすぐできないし、準備をしないといけないし、撮れるってなったとしてもそれまでに借りられる時間限られてるからその間どうするとか、ものすごい緻密にやらないといけないし、と
んでもない努力量は後ろにあるのは踏まえた上で。
写真っていうのはそこに努力量を見るんやね。
なる程度撮ろうと思ったらみたいなこと、それはどうなのみたいな見方もあるじゃん。結果的にイメージが全てでしょみたいなところも別にそれぞれあっていい見方だとは思うけど。
ただこの人の作品だと記憶っていうものがある時点で自分自身の撮影者の記憶も必ず内包するし、そこは今回の文章からそこはもう展示としてのキュレーションに含まれてたと思うから、自分の時間感覚みたいな
ものも。
そういうふうには自然に見たけどね、自分は。キュレーションとしてやっぱなんかやっぱすごい素敵だなって思ったのが、この劇場とその海景、その海の作品の間に滝の写真があるんだけど、自然崇拝の頃のいわゆる
流れを象徴するもの。
あと崇高なものと、あといわゆるその滝っていうものが川になって、川の先が海になってみたいな。もう徹底して綺麗というか。キュレーションとしてさすがだなというか、もうすごく自然にしっくりきた。
なるほどね。
あの一枚が俺は個人的にここが一番好きですね。ここからやっぱその信仰みたいなもの、神聖とか、存在論っぽいいわゆる時間とか、場所とかみたいな話から信仰とかに話がシフトしていく。
なるほど。
海景の絵画性と広がり
というので海景に向かうっていうふうに私はなんか思いました。海景ですね。まあ空と海ですね。
すごいよね。
ここは壮大よね。
開き直りというか、いわゆる水墨画的な雰囲気をここで生まれ始めたというか、もっと絵画的になったなって思った。
ここは結構あれやね、それこそ信仰っていうニュアンスが強くなってくるというか、その海っていうもの自体のモチーフ論的なところと、日本性も割と兼ねてるようなニュアンスというか、
作品のこの流れとしてすごくすごいコントラストがはっきりした海の絵から、映画界とかいろんなその月の光がこう映ってますよとか、そういうグラデーションをかなり作ってるのが今回の海景の写真。
最後は反転してるみたいなね。海が白色になってて空が黒色になってるっていうイメージ。両方につなげてるみたいなね、感じや。
そうだね、海と。
めっちゃ綺麗。
西洋から見た海でもあるし、地球みたいなもの、大陸みたいなものも含まれるし、その視点として。難しく考えようと思えばいくらでも考えられる。
海ってすごく間口が広くて、何でも受け止めてくれるじゃん、海っていうその記号自体が。だからそれをこう余すことなく使ってるじゃないけど、そういう現代作家としての上手さみたいなのは、やっぱりこの
海景って作品からはものすごく感じるんだよね。
アミニズム的にも、この場所じゃないけど、名前忘れたけど、どっかのホテルとかもさ、外にこれを展示する。設計当時からも外にこれが展示されてて、その展示を見てると実際に海の近くにあるんだけど、その
ホテルが。
実際の海の景色と繋がったりとか、やはりその作品内だけで収まらない。やはりその写真自体の絵画とは違う、力。その作品の中だけで終わらなくて、広がりが他の作品と連続させることで生まれてくるような、
その広がりっていうのも、うまく使う、されてらっしゃるみたいな。
そうやってらっしゃる
らっしゃるみたいな
硬いよ
されてるなーって
いやなんかね
さすがになんかどの口が言うねんってなるからな
この人は
正直俺会計はなんか
本当にわからないが強すぎて
シンプルすぎるがゆえに
全然わからん
って感じやった
なんかもう
その雰囲気だけしかわからん
なんかこの
シプレマティスムやったっけ
マレイビチ的な
その雰囲気
若にも入ってたし
その雰囲気は
わかるのだが
っていう感じは結構あって
あれはもう本当に
綺麗さっていうところで
見たけど
俺ここにあんまり刺さらんかった
すごい個人的には
っていうのは俺は思ったね
建築写真と近代絵画の接続
やっぱりなんか写真と
絵画的な
空気感が狭間に
残ってるようなあれの方が
やっぱり見てて楽しい
っていう感じはあって
もう建築に移すけど
建築のこの
ロイドの建築かな
とか建物を
撮ってるみたいな
俺なんかリヒターみたいな
乗り合ってるな
まあまあまあまあ
逆をやってるんだな
っていうのを
抽象化する
抽象化っていうかシンプルに写真を
絵で描くみたいな
でもすごい写真というか絵画的に
ここから
なっていったなっていう感じは
俺結構してて
縦型とかもそうやし
構図とかもすごい絵画的
最後の建築の写真とかも
すごい絵画的な
そのいわゆる絵画の中でも
近代はねセザンヌ以降かな
印象派とかの
あの辺り以降のやっぱり
動きセザンヌとかがさ
いて印象派
が生まれたりとか
ピカソのキュビズムが生まれたりとか
物を見るっていうこと自体に対して
すごい多様性が生まれた
タイミングのその
後の絵画に対しての
反応っていうか
っていう風に俺は思ったけどね
抽象にやっぱ
持っていきたいのかなってちょっと
俺は思ったけど
でキリコ的な
感じでのを考えているのかな
と俺は思ったね
そっちかーまあでも確かにそっちに
そうだね確かにそれも
俺もそう思うわ
キリコもそうだね
キリコの概念だもんね
この2章だっけ
概念の形っていう章だよね
キュレーションとしては
でもすごいこの
シリーズは俺はだいぶ好きかもね
普通に作品として
かっこいいって
なんか思ったよね
写真媒体の物質性と絵画性
この写真群の中でさ
結構やっぱりその
近代
いわゆる機械というか建築というか
文明っていうのかな
そういうものの向き合う
フェイズっていうかさ
そういうのなんか感じ
たんだけど
次にも繋がるけどさ
いわゆるファッションみたいなものと
次に繋がって
数学の話が出てきたりするけど
人の
考えてる
頭の中だけで成立する
概念だけみたいな部分
実際のものと
写真って結構その中間に来るというか
物談だけど
概念化
記号化されるし
一応ペラペラだけど
厚さはあるし
質量はあるんだけど
なんていうんだろうな
そこの部分を
やっぱり写真っていうメディアだと
強く感じたかな
あとここで
このフレームと
あとその写真自体のプレートがさ
イーゼルみたいな
厚さがあるんだよね写真自体の
あれって
多分そのプリント自体は紙だから
ペラッとしてるんだけど
後ろに厚みがある板があって
その上にすったプリント
綺麗に貼ってる
その周りに額縁がある
みたいな形式になってて
いわゆる絵画っぽいというか
物々しく
全部作品が
展示されてるんだけど
そういうのをすごく意識したタイミングだったな
見てて
確かにね
潜在的にも
ここの章は結構絵画的に
よりがちやなと思ったね
オプティックスと光学の美学
オプティックス
超絵画現代美術
写真
集大成みたいな感じの
ノリというか
そんな感じだと思ったんですけど
どうですか?
オプティックスの
もうどう考えてもロフスコやろ
っていう
写真群と
マレービチとか
そういうのを
シミュレーショニズム的な
捉え方というか
そういう風にも捉えれるし
光
光学的な視点での
文明とかテクノロジ
もろもろ
っていう見方もできるけど
いや俺これ
かっこいいなって思った
めちゃくちゃ
綺麗やし
どう思った?
どう思ったの話すると
なんだろうな
正直
俺はあんまり好きじゃない
あんまり好きじゃない
全然
それでいいと思う
好きじゃないって思ったのが
多分そこの
話を突き詰める
ことは
なんて言うんだろうな
多分学者の方が得意だなって思ってしまう
光
光学的な
ものを突き詰めたら
ってこと?
だからもっと多分多様
だと思う
光とかは
単色でこういう風に見せてる
っていう時点でものすごく
操作してるっていうか
もっと可能性あるんだろうな
っていう風に
どうしてもちょっと思ってしまう
なるほど
絵画とかだとそれを
元々の身体とかが
保管するから
なるほどね
これを光学でやると多分
もっと先があるようになってる風に
俺は勝手に思ってしまった
やったことがないやつが
ただものすごい苦労してるらしいよ
プリズムとか300万ぐらいするやつ買ってとか
でもそもそも論さ
学者と芸術家って
共存できんところあるやん
なんていうか
学者は作れんし
変にバトル形式みたいになるのも
嫌やけど
全然
写真家としての
立ち振る舞いとして
このオプティックスは
一つの
この人って現代美術の
文脈を結構
ずっとつなげてる
ロスコとか
そうだろうね
ラレービチとか
その文脈を
写真でやるとっていう
ちゃんと
現代美術家ムーブを
すごい真面目にやってる
っていうのがあって
そこの光学とか
プリズムの操作性
っていうのは俺から見たら
写真は操作性
しかなくないって感じる部分も
正直この現代美術の世界では
思ってしまってる
部分はあるから
この発色とか綺麗に見せる
っていうところに
割とゼンブリしてるわけや
割とこの人って俺が見た感じ
ゼンブリしてるように見えて
だからこそ
その気持ちよさは
あるなっていう風に
蝋燭の霊性と作品への好き嫌い
まあ確かにね
絶対この人って
ゲーテンの色彩論
的なものを
多分読んでると思う
光を黄色で描いてるとかも
あれって
宗教性があって
黄色っていう存在性そのものに
そこの宗教性を
兼ねて
黄色で描いてる
って言われてて
だから多分その文脈も
入ってると思う
この辺り
その気持ちよさみたいなのは
結構俺は感じたし
綺麗さで言うと
こっちの方が綺麗なんだぞ
っていうのを見せつけられるというか
まあそうだね
そのまま転写してるわけだから
そうそう
このオプティックスシリーズは
あまりの現像の
綺麗さに驚くと思う
本当に
写真集も
マジでそうなんだけど
ちょっとビビったねこれは
ロウソクとかね
すごいね
ロウソクはちょっと別枠
逃げるようで悪いけど
いいね全然
ロウソクは別枠
すさまじい
そうそうそれだみたいな
それすごいって感じ
テンション上がっちゃった
すごくわかりやすい主体としての
ロウソクであり
秘であり秘である意味があり
虚像というかね
存在してないような
ロウソクの
黄緑さというかね
これすごい良かった
すごい霊的だよね
本当に
本来俺は
見に行かん類の作家
ではあったから
まあ行けて良かったなとは思ったね
美術家として
ガチで行くなら
そりゃそういうムーブになるよねとも思った
ただ好きか嫌いかで言ったら
あんま好きじゃないなとも思った
俺はね
まあね
絶滅写真と杉本博司の作家像
逆にこの人って
情があんまりないっていう
作品に
俺から見たら情というか
感情みたいな部分が
文字だけが
あるっていう感じ
な感は知った
マティスの絵とか
ジョルジュ・ブラックとか
童的なかき殴りみたいな
絵とかは
感情みたいなのって
結構見えるものやと思う
写真とかでも
シガ・リエコとかも
ポイジーなものがあったりとかするけど
逆にこの
杉本
は
海景を見ても海の写真見ても
ポイジーはあんまり
こちらからは肝心というか
もっとなんか
もっと宗教的な
感性の中で作品を
作ってるがゆえに
現代美術的な
ピースとして当てはまりやすいし
それは要するに
マジュリティみたいな世界
共通項みたいなものを
すごい作りやすいっていうのは
感じたね
なるほど
若はノイズやったねっていう
ノイズは
絶対
すごい納得した
歩み寄りはマジでやるって思った
やるよね
そういうことって思った
なんか
巨匠になっていけばなるほど
やってしまうんだよね
人っていうのはっていう感じ
絶対やっちゃうから
俺とか多分絶対やっちゃう
そういう基礎ムーブ
見えてる景色違うもんね
それはそうだと思うよ
だってその銀円写真のこと
絶滅写真とか言ってさ
なんかお葬式とか
なんかそのカルチャーとか
ムーブメントというか
そこの文化に対して
なんか自分が
名乗って言ってる
っていうそこの世界線はちょっと
こっちじゃ分からん
というかその文化を
見続けてきた人間だからこそ
そこの言葉の重みみたいなものを
感じながら
ただそれでも言うみたいな
のも感じながら
ただその
作しめえたお葬式です
って言ってしまうあたりの
村上春樹集というか
なんか
香ってくるものはあったよ
俺的には
そういう表としてね
それはもうそこは
俺も共通ではやっぱあったね
だからその
実はね私2回行ってるんですよ
はい
偉いね
あの
今日行ってそのまま収録してるんだけど
1回見て
1回見たときの感想は
なんていうか
正直
なんていうか現代美術に
対しての難しくしてる
象徴みたいな部分でもあるし
使ってる文化とかも
すごくハイカルチャーだし
多分何にも知らんと
普通にお高く止まってる人
みたいな解釈になりやすいんだけど
ありがたいことに
ここ最近アニメでさ
脳のアニメーションとかやってたりとか
やはりその結構
日本のすごいハイカルチャーとかを
ローに落とすみたいな部分が
今時代の流れとしてもある
っていうのもあって
そういうので徐々に徐々に
見方が変わってきた最中でもあったから
はいはい
自分がねだからその中で
ある種絶滅みたいな言葉を
使うっていうのはやっぱりアンテナが鋭い
というかさすがだなというか
日本に対して
でもそことは私は
ゲーゴーしないみたいな断絶というか
あえて戦匹にもなってる
っていうか崇高さを自分は保たれる
だからもう
死んだことにするみたいな
それこそ老人形 自分を老人形する
三浦化するみたいな部分とかも感じたし
二回見たからこそ
今みたいなこの人の
やり手な感じというか
邪髄なのかもしれないけど
そういう姿とかは
ものすごく勉強させてもらった
からだし
単純に好き嫌いで
終わらせるにはマジでもったいない方
ものすごい方っていうのは
強く残ったとても
いい体験でございました
世界的な
日本人の作家っていうのは
簡単に
やってきてないよっていう
ニューヨークに行って
職業的な
写真家になるのか
現代美術家になるのかっていうことを
尋問していた逆に
なんかデュシャンとか
そういう作家美術館で見て
こっちの方が
存在性として
仁王立ちしてるなっていうのを感じたらしくて
そこから
現代美術家として
やるって決めて
ジオラマ撮ってるからね
まぁもうエグいですよ
ジオラマを初手で行くっていう
その狂気性
初手ジオラマ
エグいねってなるよ
作家として
もっと主観的で
もっと表現によるもん
絶対普通
鼻から
ジオラマやから
鼻から猿撮ってるからね
目線は全然最初っから
違うなっていう
って感じでしたね
ちゃんと受け取った
と思っております
またまたよろしくお願いいたします
さよなら
またね
さよなら
28:46

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