東京国立近代美術館で開催された「絶滅写真」杉本の初期の傑作「ジオラマシリーズ」や「海景」などを参照しながら、リヒターやロスコ、マレーヴィチら巨匠たちの絵画史と接続させ、写真と絵画性の往来を批評します。▼ プリズムの分光を撮る「オプティックス」は、芸術家の領域なのか学者の領域なのか?▼ なぜ杉本博司は、写真でありながらリヒターやロスコ、セザンヌら「絵画史」の巨匠たちと接続できるのか?【チャプター】 ダイジェスト00:26 オープニング00:41 「ジオラマ」シリーズ解説|圧倒的技術と打算性02:35 和歌への違和感とミュージアムピース化の戦略05:48 「劇場」シリーズとコンセプチュアル・アート(時間と光の可視化) 「滝」に見る崇高性と信仰10:21 代表作「海景」の抽象表現|水墨画・マレーヴィチとの共通点14:11 「建築」シリーズと絵画的抽象化|リヒター、セザンヌ、ピカソ、キリコ17:41 「オプティックス」と色彩|ロスコ、ゲーテ、ターナーの系譜22:09 「キャンドルの写真」が放つ霊性と光の存在感22:50 感情を排除している?|マティス、ブラックと美術市場でのマジョリティ性24:54 「絶滅写真」の真意と様々な巨匠に通じるセルフブランディング
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サマリー
東京国立近代美術館で開催された杉本博司の「絶滅写真」展を訪れ、初期の「ジオラマ」から「劇場」「海景」「オプティックス」まで、写真と絵画性の関係を語る。ジオラマでは、博物館の模型を人類史の風景として撮影し、照明や現像、巨大なプリントに込められた技術と、現代美術の文脈へ接続する戦略性が評価される一方、和歌や文章を含む展示の自己物語性には複雑な反応が示される。劇場から滝、海景へ続く展示構成は、場所の記憶、自然崇拝、信仰、時間の感覚を段階的に展開していると受け止められた。海景は空と海の反転や濃淡を通して、水墨画的で絵画的な表現と、日本性や宗教性を帯びた広がりを見せる。建築写真や「概念の形」では、セザンヌ、印象派、ピカソ、キリコら近代絵画との接続や、物質と概念の中間にある写真媒体の性質が論じられる。「オプティックス」にはロスコやマレーヴィチ、シミュレーショニズム、光学やテクノロジーの文脈が重ねられ、発色と現像の美しさは称賛される一方、操作性を突き詰めた作品への好みは分かれた。蝋燭の写真には、存在と虚像、霊性を感じたという強い反応が語られる。杉本の作品は感情や情よりも宗教的・普遍的な構造を前面に出し、現代美術の制度に適合するよう設計されているとの批評も出る。二度目の鑑賞を経て、杉本は現代美術を難解にしている象徴でありながら、日本のハイカルチャーを相対化し、「絶滅写真」と名付けることで文化との断絶も演出する、単純な好き嫌いでは片付けられない作家だと結論づけられる。
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